「TKO」を含むwiki一覧 - 5ページ

水野竜也 - Bout Wiki

ボールキックでKO負けを喫した。2007年5月30日、ヘビー級キング・オブ・パンクラス決定戦でアスエリオ・シウバと対戦。2RマウントパンチでTKO負け。次期挑戦者決定戦で敗れたものの、チアゴ・シウバのUFC参戦により王者アルボーシャス・タイガーへの挑戦権を得たが、アルボーシャスの

ジョニー・ヘンドリックス - Bout Wiki

ローカル大会で3連勝を収め、WECと契約した。2008年12月3日、WEC初参戦となった「WEC 37」でジャスティン・ハスキンスと対戦し、TKO勝ちを収めた。2009年3月1日、「WEC 39」でアレックス・セルジュコフと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年8月8日、ウ

ジョルジ・サンチアゴ - Bout Wiki

催がキャンセルとなった[1]。2009年11月7日、10か月ぶりの試合となった「戦極 ~第十一陣~」でマメッド・ハリドヴと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。2010年3月7日、「SRC12」のSRCミドル級チャンピオンシップでマメッド・ハリドヴと再戦し、3-0の判定勝ちで初防

奥野泰舗 - Bout Wiki

権・ライトヘビー級に出場。決勝で武田光博に判定勝ちし優勝を果たした[1]。2005年7月14日、プロ修斗デビュー戦で金太郎にマウントパンチでTKO勝ちを収めた[2]。2006年12月2日、2006年ミドル級新人王決定トーナメント決勝で小西"獅子"優樹と対戦し、0-3の判定負けで準

渡辺竜也 - Bout Wiki

一本勝ちを収めた[1]。2008年12月20日、THE OUTSIDER 第4戦で“スパルタンM”内藤"マゾヒスト"と対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めファイティングスピリット賞を獲得した[2]。2009年3月15日、THE OUTSIDER SPECIALで“池袋 弐双龍の

リコ・ロドリゲス - Bout Wiki

終5ラウンドにパウンドで勝利し、第8代UFC世界ヘビー級王者となる。2003年2月28日、UFC 41でティム・シルビアと対戦。パンチによるTKOで敗れ王座陥落となった。2003年8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに0-3

タクミ - Bout Wiki

003年、パレストラ大阪(現・パラエストラ大阪)をオープン。2003年5月30日、修斗でデビュー戦以来となる川尻達也と再戦し、右ストレートでTKO負けを喫した。2004年8月6日、KOTCでチャールズ・"クレイジー・ホース"・ベネットと対戦し、チョークスリーパーによる一本勝ちを収

池本誠知 - Bout Wiki

々の格闘技経験を持つ。1999年10月29日、修斗でプロデビュー。2000年10月9日、修斗でダミアン・リシオと対戦し、マウントパンチによるTKO勝ちを収めた。2002年9月28日、地元大阪のクラブで格闘技イベント「REDZONE」を立ち上げ、2005年まで全10回開催した。20

リオン武 - Bout Wiki

12日、アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラが世界ライト級王座を返上し、急遽5日前にカルバーリョとの世界戦が組まれた[2]。パウンドの連打でTKO勝利を収めて1年前の雪辱を果たし、7年ぶりに世界ライト級新王者が誕生した。2007年5月18日、環太平洋王者の田村彰敏を相手に防衛戦を

長島☆自演乙☆雄一郎 - Bout Wiki

が左目が腫れて足下もおぼつかなく、再開直後から再び仕掛けてきた長島のラッシュに抵抗出来ずスタンディングダウンを取られレフェリーストップで1RTKO勝ち。試合開始64秒、パンチのみでの勝利だった。NJKFスーパーウェルター級初代王者となった[9]。2008年12月22日、「DEEP

スペンサー・フィッシャー - Bout Wiki

でロス・ピアソンと対戦し、0-3の判定負けを喫した[4]。2011年8月27日、「UFC 134」でチアゴ・タバレスと対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した[5]。戦績[]総合格闘技 戦績32 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合24 勝11850008 敗2150勝敗

福田力 - Bout Wiki

P 2005 in HAWAII」のオープニングファイトに出場。ブランドン・ウルフと総合格闘技ルールで対戦し、バックマウントパンチ連打によるTKO勝ちを収めた。2005年11月4日、初参戦となったパンクラスで中村勇太と対戦し、アッパーによるKO勝ちを収めた。2006年1月26日、

サラ・カフマン - Bout Wiki

衛に失敗するとともにキャリア初黒星となった[5]。2011年4月2日、「Armageddon FC 5」で藪下めぐみと対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた。2011年7月22日、「ShoMMA: Strikeforce Challengers 17」でリズ・カモーシェと対戦し

久松勇二 - Bout Wiki

全日本空道無差別選手権大会」に出場し、5位入賞[15]。2008年1月30日、パンクラスでガジエフ・アワウディンと対戦し、右ストレートによるTKO負けを喫した[16]。2008年10月1日、パンクラス15周年記念興行で佐藤豪則と再戦し、0-3の判定負けを喫した[17]。2009年

長南亮 - Bout Wiki

優勝を果たした。2002年9月7日、「DEEP2001 6th IMPACT」で臼田勝美と対戦し、開始5秒、跳び膝蹴りからのマウントパンチでTKO勝ち。12月8日、修斗ライトヘビー級王者の須田匡昇に1-2の判定負けを喫した。2003年9月15日、桜井"マッハ"速人にドクターストッ

エメリヤーエンコ・アレキサンダー - Bout Wiki

プリ 2006 決勝戦のリザーブマッチで、かつてのチームメイトセルゲイ・ハリトーノフと対戦し、右ストレートでダウンを奪いグラウンドでの打撃でTKO勝ち。2006年11月12日、オランダで開催された『2H2H』にてファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦、1R早々にテイクダウンされ、そのま

中尾受太郎 - Bout Wiki

始めた。1995年12月、全日本アマチュア修斗選手権・ミドル級で優勝を果たした。1996年1月20日、プロ修斗デビュー戦で奥田康則と対戦し、TKO勝ちを収めた。1996年3月、第2回 全日本コンバットレスリング選手権にて準優勝を果たした。その後修斗にて徐々に頭角を現し、1999年

緒形健一 - Bout Wiki

BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2004に出場。トーナメント1回戦でカテウ・キビスと対戦し、右目尻カットによるTKO負けとなった。2005年1月23日、シュートボクシング「GROUND ZERO FUKUOKA」で、K-1 WORLD MAX日本予選

クラレンス・バイロン・ダラウェイ - Bout Wiki

一本勝ちし、サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した[1]。12月27日、「UFC 92」でマイク・マッセンジオと対戦し、1RにパウンドでTKO勝ちを果たした[2]。2009年7月11日、「UFC 100」でトム・ローラーと対戦し、ギロチンチョークで一本負けを喫した[3]。20

ガイ・メッツァー - Bout Wiki

ブルもあった。1999年2月、UFCに参戦するためパンクラスの王座を返上[1]。3月5日のUFC 19で因縁のティト・オーティズと対戦するもTKO負け(試合後ティトに「ゲイ・メッツァー」呼ばわりされた)。2000年1月30日、PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦で桜庭

デニス・ホールマン - Bout Wiki

定勝ちを収めた[2]。2010年11月20日、「UFC 123」でカロ・パリジャンと対戦し、右フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ちを収めた[3]。2011年8月6日、「UFC 133」でブライアン・エバーソールと対戦し、グラウンドでの肘打ちによるTKO負け[4

小宮由紀博 - Bout Wiki

7年4月22日、新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS」で石井宏樹と対戦し、1Rに2度のダウンを奪うも5Rに肘打ちで額をカットしTKO負け[7]。9月16日、「TITANS NEOS 2」で石井と再戦するも、0-2の判定負け[8]。2007年11月9日、J-NETWO

山本優弥 - Bout Wiki

めた。2008年12月5日、全日本キックボクシング連盟興行でクリストフ・プルボーと全日本ウェルター級タイトルマッチで対戦し、頭部カットによるTKO負けを喫した。2009年2月23日、「K-1 WORLD MAX 2009 ~日本代表決定トーナメント~」に出場。1回戦で前回敗れてい

スタニスラブ・ネドコフ - Bout Wiki

る。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2008年12月7日、初参戦となったパンクラスで河野真幸と対戦しTKO勝ちを収めた[1]。この試合ではスタニスラブ・ネドコブと表記されていた。2009年5月2日、戦極初参戦となった「戦極 ~第八陣~」でト

アンドレイ・シモノフ - Bout Wiki

olute Fighting Council - Russia vs. the World2008年11月29日○ルボミール・ゲジエフ2R TKOfightFORCE - Russia vs. The World2008年4月19日○エミール・ブッサーデ5分3R終了 判定3-0B

デイビッド・ガードナー - Bout Wiki

ト・グライス5分3R終了 判定0-3Freestyle Cage Fighting 462011年4月9日×マット・ドラノワ1R 2:09 TKO(パンチ連打)The Cage Inc. - Battle at the Border 72010年11月19日×Seung Ho Y

金泰泳 - Bout Wiki

KOREA 2007でゼルグ"弁慶"ガレシックと対戦。試合序盤のガレシックの左ハイキックで右目まぶたをカットし流血。ドクターストップによりTKO負け。なお試合前の選手コールの際、「きんたいえい」ではなく韓国語の発音である「キムテヨン」とコールされた。2008年4月29日、DRE

アントニー・ハードンク - Bout Wiki

ラディエーターと対戦し、判定負け。2006年11月18日、UFC 65でUFCデビューを果たし、シャーマン・ペンダーガーストに右ローキックでTKO勝ち。2007年4月5日、UFC Fight Night 9でジャスティン・マッコーリーに判定負けを喫した。8月25日はUFC 74で

フランク・シャムロック - Bout Wiki

ため反則負け。2007年6月22日、Strikeforceでフィル・バローニと世界ミドル級王者決定戦を行ない、チョークスリーパーで失神させ、TKO勝ち。初代Strikeforce世界ミドル級王者となった。2008年3月29日、「Strikeforce: Shamrock vs.

渡辺久江 - Bout Wiki

と対戦した。2010年4月11日、2年4か月ぶりの復帰戦となったシュートボクシング「維新-ISHIN- 其の弐」で井川恵と対戦し、左フックでTKO勝ち。当初はRENAと対戦予定であったが、RENAの負傷欠場により対戦相手が変更となった[5]。2010年7月19日、「REBELS

マイク・トーマス・ブラウン - Bout Wiki

2008年11月5日、WEC 36でユライア・フェイバーの持つWEC世界フェザー級王座に挑戦、カウンターの右フックでダウンを奪ってパウンドでTKO勝ちを収め、フェザー級世界トップのフェイバーからベルトを奪取した[7]。2009年3月1日、WEC 39でレオナルド・ガルシアと対戦し

ルイージ・フィオラヴァンティ - Bout Wiki

、判定負け。プロデビューからの連勝は7で止まった。2006年9月9日、D.O.G VIIで来日し、メインイベントで門馬秀貴と対戦。パウンドでTKO勝ち。2008年6月21日、The Ultimate Fighter: Team Rampage vs. Team Forrest F

超弁慶 - Bout Wiki

09年7月12日、VALKYRIE初参戦となった「CAGE FORCE & Valkyrie」で佐藤瑞穂と対戦し、バックマウントパンチによるTKO勝ちを収めた[14]。2009年8月23日、「SHOOT BOXING GIRL'S TOURNAMENT Girl's S-cup

崔領 - Bout Wiki

留学。2003年7月13日、「DEEP 11th IMPACT in OSAKA」のフューチャーファイトで大野敏彦と対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収めた。2004年2月7日、「Spirit MC Interleague 1」で開催されたミドル級トーナメントに出場し、キム・ド

中村大介 - Bout Wiki

けを喫した。2004年7月3日、「DEEP 15th IMPACT」で行なわれたDEEPウェルター級トーナメントに参戦。1回戦で小野瀬哲也にTKO勝ち。続く10月30日に行なわれた準決勝では星野勇二にKO勝ちを収めるも、決勝戦で中尾受太郎にTKO負けを喫した。2005年4月3日、

シリル・ディアバテ - Bout Wiki

1年11月20日、日本デビュー戦となったシュートボクシング「BE A CHAMP 4th STAGE」で伊賀弘治と対戦し、3度のダウンを奪いTKO勝ちを収めた。2002年3月31日、シュートボクシング「The age of S Vol.2」でローカス・スタンブラスカスと対戦予定で

山本元気 - Bout Wiki

ザー級タイトルマッチでゲーオ・フェアテックスと対戦し、判定負け。王座獲得に失敗した。2008年4月26日、石川直生と対戦し、頭部カットによるTKO負けを喫した。試合後のインタビューで「年齢も考えると辞めてもいいのかな」と引退を示唆した[2]。2008年11月8日、K-1ルールの大

寒川直喜 - Bout Wiki

定負けを喫した。2007年7月26日、プロ総合格闘技初挑戦となった「DEEP GLOVE」でキム・ギョンナムと対戦し、ドクターストップによるTKO勝ちを収めた。2007年8月19日、和術慧舟會総本部主催「ラウェイ ミャンマーVSジャパン 5対5マッチ」でラウェイルールに初挑戦。ラ

カーター・ウィリアムス - Bout Wiki

GP 2003 in LAS VEGAS」でK-1に初参戦。1回戦で優勝候補筆頭だったマイケル・マクドナルドを破ると、準決勝戦で藤本祐介をTKOで破り、さらに決勝戦でベテランのリック・ルーファスをKOで破り、日本で行なわれるGP開幕戦への切符を手にする。10月11日のGP開幕戦

イゴール・ボブチャンチン - Bout Wiki

05年2月20日○セルゲイ・テレジモフ1R ヒールホールドWater of Peresvit2004年12月4日○藤井軍鶏侍1R 4:02 TKO(右フック→サッカーボールキック)PRIDE 武士道 -其の伍-2004年10月14日○ダン・ボビッシュ2R 1:45 TKO(グラウ

菅原雅顕 - Bout Wiki

月14日、修斗で神酒龍一と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2005年10月28日、修斗でHIROと対戦し、パンチでHIROの鼻骨を骨折させTKO勝ちを収めた[4]。2006年6月11日、キックボクシング初挑戦となったJ-NETWORKで増田利之と対戦し、2-1の判定勝ち。この試

菊地昭 - Bout Wiki

(現・KRAZY BEE)に移籍。2005年7月6日、HERO'Sにて井上克也と対戦、グラウンドで打撃を浴びせ続け、レフェリーストップによるTKO勝ち。「パンクラスと修斗の現役チャンピオン対戦」として注目された。2005年9月7日、HERO'Sにて、元パンクラス王者の國奥麒樹真に

長倉立尚 - Bout Wiki

]、アマチュアで3連続KO勝ちを収めた。2008年12月28日、「DEEPフューチャーキングトーナメント2008」ライト級に出場。3連続1RTKO勝ちで優勝を果たした[3]。2009年10月10日、「DEEP 44 IMPACT」で長谷川史と対戦し、長谷川が左肩を脱臼しドクタース

WINDY智美 - Bout Wiki

田正子と対戦し、腕ひしぎ三角固めによる一本負けを喫した。2005年6月5日、初参戦となったパンクラスでバッカス羽鳥と対戦し、タオル投入によるTKO勝ちを収めた。2006年4月16日、全日本キックボクシング連盟で行なわれたIKMF東洋女子バンタム級王座決定戦でシン・ミンヒと対戦し、

ダニエル・アカーシオ - Bout Wiki

・シウバのスパーリングパートナーを務めていたこともある。PRIDEデビュー戦の高瀬大樹戦でシュートボクセの十八番である踏み付け攻撃を連発し、TKOに追い込んだことから、「踏み付け大奉行」のニックネームで呼ばれたこともあった。目次1 人物2 来歴3 戦績4 脚注5 外部リンク6 W

ダグ・マーシャル - Bout Wiki

に失敗するとともにキャリア初黒星となった。2006年3月17日、階級をライトヘビー級に落としWEC 19でティム・マッケンジーと対戦するも、TKO負け。2006年8月17日、WEC 23のWEC世界ライトヘビー級タイトルマッチで王者ロデューン・シンケイドと対戦し、TKO勝ちで王座

ISAO - Bout Wiki

対戦し、スタンドパンチによるKO勝ちを収めた。2009年8月8日、ネオブラッド・トーナメント・ライト級決勝で富山浩宇と対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収め優勝を果たしMVPを獲得した[1]。2009年10月25日、パンクラスでABと対戦し、開始50秒、ABの膝蹴りがローブローと

イム・チビン - Bout Wiki

ナメント」に出場。1回戦で小林聡と対戦し、2RKO勝ち。4月12日に韓国で行なわれたキックボクシング興行で右足の甲を負傷し、タオル投入によるTKO負けを喫し、その怪我の影響で5月23日の「全日本ライト級最強決定トーナメント」決勝戦は欠場となった。2005年5月4日、K-1デビュー

エンセン井上 - Bout Wiki

・"ノトリアス"・ナンセン1R 2:10 腕ひしぎ十字固め吉田秀彦引退興行 ~ASTRA~2010年4月25日×トム・サワー1R 4:14 TKO(マウントパンチ)SuperBrawl 352004年4月16日○西田操一1R 0:55 ギロチンチョークFury Full Cont

ゼルグ・ガレシック - Bout Wiki

6 外部リンク7 Wikipedia来歴[]2006年12月9日、Cage Rage 19でマーク・ウィアーと対戦し、開始50秒でパウンドでTKO勝ちし、第2代Cage Rage英国ミドル級王者となった。2007年4月8日、PRIDE初参戦となったPRIDE.34で瀧本誠と対戦し