「TKO」を含むwiki一覧 - 7ページ

桜木裕司 - Bout Wiki

左フック)WAFC「第2回パンチリーグ」【パンクラチオン無差別級タイトルマッチ】2009年10月17日×ハンス・ストリンガー2R 2:11 TKO(パウンド)DEEP 43 IMPACT2009年8月23日○加藤実2R 0:59 KO(左ストレート)DEEP 41 IMPACT2

ディン・トーマス - Bout Wiki

開催された修斗で宇野薫と対戦し、スリーパーホールドで一本負けを喫した。2000年3月17日、修斗で三島☆ド根性ノ助と対戦し、頭部カットによるTKO勝ちを収めた。2001年6月29日、UFC初参戦となったUFC 32でBJペンと対戦し、TKO負けを喫した。2002年9月27日、UF

佐藤豪則 - Bout Wiki

ドローとなり、王座獲得に失敗した[2]。2009年9月23日、戦極初参戦となった「戦極 ~第十陣~」でジョー・ドークセンと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。2010年2月7日、パンクラスのメインイベント・ミドル級暫定キング・オブ・パンクラスタイトルマッチで近藤有己と対戦し、0

佐藤嘉洋 - Bout Wiki

葉友浩と対戦し、1RKO勝ちを収めた。2001年11月17日、ミラン・ステビッチとWKA世界ムエタイウェルター級タイトルマッチを行ない、4RTKO勝ち。王座奪取成功。2002年10月17日、K-1出場権獲得試合で清水貴彦に判定勝ち。しかし、K-1には出場出来なかった。2003年1

山本喧一 - Bout Wiki

なったGRABAKA自主興行「GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK」のメインイベントで菊田早苗と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した。菊田とは、UWFインターナショナルの入団テストとしてスパーリングを行なった際に腕を骨折させ菊田がプロレスラーを諦めた、と

デイブ・メネー - Bout Wiki

FC 33でギル・カスティーロを判定で破り、初代UFC世界ミドル級王者となった。2002年1月11日、UFC 35でムリーロ・ブスタマンチにTKOで敗れ、王座陥落。2006年6月28日、Cage Rageでアレックス・リードと対戦し、判定勝ち。2009年にはアメリカの新しい総合格

キム・ジョンワン - Bout Wiki

試合時間記録となった。2006年4月29日、MARS WORLD FIGHTING GP in SEOULで小椋誠志と対戦し、1R1分36秒TKO負け。戦績[]総合格闘技 戦績31 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合10 勝54010021 敗51501勝敗対戦相手試合

黒田アキヒロ - Bout Wiki

08年5月11日、初参戦となったニュージャパンキックボクシング連盟で中須賀芳徳と対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪うも、2Rに跳び膝蹴りでTKO負けを喫した[8]。2008年8月31日、J-NETWORKライト級王者細野岳範に挑戦し、肘打ちによるKO勝ち。24戦目で初めて王座を

マルティン・カンプマン - Bout Wiki

ていたが、膝の負傷により欠場した[1]。2009年1月17日、ウェルター級に転向し「UFC 93」でアレッシャンドリ・バロスと対戦し、2RにTKO勝ちを収めた。4月1日、「UFC Fight Night: Condit vs. Kampmann」のメインイベントでWEC世界ウェル

ミゲール・トーレス - Bout Wiki

、「WEC 34」のWEC世界バンタム級タイトルマッチで前田吉朗と対戦。パンチで前田の右目を腫らし、3ラウンド終了時にドクターストップによるTKO勝ち[4]。王座の初防衛に成功した。12月3日、「WEC 37」でマニー・タピアと対戦。2RにマウントパンチによるTKO勝ちで2度目の

昇侍 - Bout Wiki

年10月24日、1年ぶりの試合・1年8か月ぶりの総合格闘技復帰戦となった「DEEP 50 IMPACT」でジョン・ジンソと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた[4]。当初は長倉立尚と対戦予定であったが、長倉が左アキレス腱断裂により欠場したため対戦相手が変更された[5]。2010年

マーク・ケアー - Bout Wiki

」と主催者や一部マスコミから叩かれてしまったことからファイトスタイルを変更した。2001年7月29日、PRIDE.15でヒース・ヒーリングにTKO負け。その後ZERO-ONEでプロレスの試合を数試合行った後、PRIDEはおろか、マット界から数年姿を消した。この間に、自身の麻薬中毒

ガイ・デルモ - Bout Wiki

1回戦で日向篤史と対戦し、左ストレートによるKO勝ち。2回戦で鍋久保雄太と対戦し、3-0の判定勝ち。準決勝で奥山健太と対戦し、膝の負傷によるTKO勝ちを収めた[4]。2006年12月20日、「DEEP 27 IMPACT」で行なわれたフューチャーキングトーナメント2006・ライト

イゴール・ポクライェク - Bout Wiki

27-30、27-30)の判定負けを喫した。2010年2月20日、オーストラリアで開催された「UFC 110」でジェームス・テフナと対戦し、TKO負けを喫した。2010年8月1日、「UFC on Versus: Jones vs. Matyushenko」でジェームス・アーヴィン

ブレット・ロジャース - Bout Wiki

or vs. Rogers」のメインイベントでヒョードルとWAMMA世界ヘビー級タイトルマッチで対戦し、2ラウンドに右フックからのパウンドでTKO負け。キャリア11戦目での初黒星となった[7]。2010年5月15日、「Strikeforce: Heavy Artillery」のS

ジョシュ・バーネット - Bout Wiki

者、セーム・シュルトに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。2002年3月22日、「UFC 36」で当時無敵の王者だったランディ・クートゥアをTKOで下し、史上最年少で第7代UFC世界ヘビー級王座を獲得するが、後のステロイド・ドーピング薬物検査にて陽性反応が出たとして、1度も防衛戦

ジョン・ジョーンズ - Bout Wiki

ントでブランドン・ヴェラと対戦。1ラウンド途中に顔面蹴り上げの反則を受け、ダメージで試合が中断したが、再開後に肘打ちとパウンドの連打によってTKO勝ちを収め[8]、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[9]。8月1日の「UFC on Versus: Jones vs. Mat

ブランドン・リー・ヒンクル - Bout Wiki

5 チョークスリーパーPancrase Fighting Championship 32011年4月2日○ケビン・ジョーダン1R 2:30 TKO(パンチ連打)DaMMAge Fight League 1: The Big Bang2010年11月24日×クリス・トゥクシェラー4

滑川康仁 - Bout Wiki

・ヴァラビーチェスにネックロックで一本勝ちを収めた。2004年10月14日、PRIDE 武士道 -其の伍-でマウリシオ・ショーグンと対戦し、TKO負けを喫した。2007年12月12日、DEEP 33 IMPACTで世界最弱プロレスラーストーカー市川と対戦。フロントチョークで一本勝

ブロック・レスナー - Bout Wiki

の判定勝ちを収めた[4]。2008年11月15日、「UFC 91」で15か月ぶりに復帰してきた王者ランディ・クートゥアと対戦。パウンドによるTKO勝ちで、キャリア4戦目にしてUFC世界ヘビー級王座を獲得した[5]。2009年7月11日、「UFC 100」で行なわれたUFC世界ヘビ

高橋藍 - Bout Wiki

10年3月19日、JEWELS初参戦となった「JEWELS 7th RING」でASAKOとシュートボクシングルールで対戦し、顎の負傷によるTKO勝ちを収めた[4]。その後、JEWELS 8th RING、JEWELS 9th RINGとJEWELSに連続参戦し、3連勝を果たした

及川知浩 - Bout Wiki

1試合(T)KO判定その他引き分け無効試合28勝131500013敗580勝敗対戦相手試合結果イベント名開催年月日×キ・ヒュク・チョイ2R TKO(タオル投入)SHOOT BOXING 2011「ヤングシーザー杯OSAKA -SB165- "ALPINISME vol.1"」20

大類宗次朗 - Bout Wiki

nd-」で藤井陸平と対戦し、0-3の判定負けを喫した[11]。2009年12月5日、「CAGE FORCE」で一慶と対戦し、タオル投入によるTKO勝ちを収めた[12]。2010年8月8日、パンクラスのセミファイナルで金井一朗と対戦し、2-0(20-19、20-19、20-20)の

中村優作 - Bout Wiki

4]。エントリー時のリングネームは優作であった。2010年1月24日、プロデビュー戦となった「DEEP 45 IMPACT」で広斗と対戦し、TKO勝ちを収めた。2010年4月4日、「DEEP☆KICK」で行なわれた60kg級関西最強決定トーナメント1回戦で竜宣と対戦し、バックブロ

ヘクター・ロンバード - Bout Wiki

ellator FCと契約を果たし、ミドル級トーナメントに出場。5月29日の準決勝ではダミアン・ステリーにバックマウントからのパンチの連打でTKO勝ちを収めた。6月19日の決勝ではジャレッド・ヘスにTKO勝ちし、初代ミドル級王座を獲得した。2010年5月13日、Bellator

國奥麒樹真 - Bout Wiki

月7日、SRC12でレオ・サントスと対戦し、チョークスリーパーで一本負け。2010年10月30日、SRC15で真騎士と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した[12]。当初真騎士と対戦予定であったレオ・サントスが頸椎損傷および首のヘルニアにより欠場となったため、代理出場となった[

ベン・ソーンダース - Bout Wiki

月10日、UFC: Fight for the Troopsではブランドン・ウルフと対戦し、右膝蹴りでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ち[1]。2009年6月13日、UFC 99でマイク・スウィックと対戦し、右フックでTKO負けを喫した[2]。11月21日、UFC

アマール・スロエフ - Bout Wiki

pedia来歴[]2002年、UFCに参戦するが、チャック・リデルとフィル・バローニに連敗する。2003年の『M-1 MFC』では岡見勇信にTKO勝ち。その後2003年12月31日の『INOKI BOM-BA-YE 2003』でディン・トーマスに勝利したことにより日本での活躍の機

サトルヴァシコバ - Bout Wiki

]2006年1月4日に行なわれた全日本キックボクシング連盟ライト級王座決定戦で、吉本光志(同級2位/IKMF東洋ライト級王者)を2R2:30TKOで下し、第16代ライト級王者となった。2006年7月23日に初防衛戦を行ない、増田博正(同級2位)に膝蹴りをもらい、額をカットされドク

門馬秀貴 - Bout Wiki

日、CAGE FORCEのウェルター級トーナメントに参戦。1回戦でヤンネ・トゥリリンタに一本勝ちするも、9月8日の準決勝でダン・ハーディーにTKO負けを喫した。2008年3月15日、「DREAM.1」で桜井"マッハ"速人と対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。2009年2月20日

中尾芳広 - Bout Wiki

IDEデビューとなったPRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDのワンマッチでイ・ウンスと対戦し、膝蹴りで左目下を負傷させTKO勝ちを収めた。2006年9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦のワンマッチで中村和裕と対戦。両者が噛み合わず全く

エルメス・フランカ - Bout Wiki

61でジョー・ジョーダンと対戦し、三角絞めで一本勝ち。2007年1月25日、UFC Fight Night 8でスペンサー・フィッシャーをTKOで破り、UFC世界ライト級王座挑戦権を獲得。2007年7月7日、UFC 73でショーン・シャークとライト級タイトルマッチで対戦し、大差

ロブ・ブロートン - Bout Wiki

ge Rage 17」でテンギズ・テドラゼの王座剥奪により空位となっていた英国ヘビー級王座を巡りジェームス・トンプソンと対戦。激戦の末3RでTKO勝利を収め、第2代Cage Rage英国ヘビー級王者となった。2006年12月9日、「Cage Rage 19」でバタービーンをグラウ

入江秀忠 - Bout Wiki

したが、ドローに終わった。2009年1月4日、戦極初参戦となった戦極の乱2009のオープニングファイトで加藤実と対戦し、マウントパンチによりTKO勝ちを収めた。2010年1月21日、自身がオーガナイザーを務める新宿区歌舞伎町のイベントスペースPINK BIG PIGで記者会見を行

川原誠也 - Bout Wiki

参戦となった「戦極 ~第七陣~」で行なわれた戦極フェザー級グランプリ1回戦でニック・デニスと対戦し、パウンドを浴びたところでタオルが投入されTKO負けとなった[5]。2010年2月7日、パンクラスで赤井太志朗と対戦し、3-0(30-28、30-28、29-28)の判定勝ち[6]。

清水清隆 - Bout Wiki

E FORCE初参戦となった「CAGE FORCE EX -eastern bound-」で漆谷康宏と対戦し、左ハイキックで右目尻をカットしTKO負けを喫した[8]。2009年に開催された第15回ネオブラッド・トーナメント フライ級に出場。4月5日の1回戦で清水俊裕にチョークスリ

エヴァン・タナー - Bout Wiki

がボクシングで主導権を握り、3-0の判定勝ちを収めた。2005年2月5日、「UFC 51」のUFC世界ミドル級王者決定戦でデビッド・テレルにTKO勝ちを収め、第3代UFC世界ミドル級王者となった。4か月後の6月4日、初防衛戦となる「UFC 53」でリッチ・フランクリンにTKO負け

エヴァン・ダナム - Bout Wiki

ンに代わり「UFC 95」でペール・エクルンドの対戦相手に抜擢された[2]。試合は1ラウンドに左ストレートでダウンを奪い、パウンドで追撃してTKO勝利を収めた[3]。2009年8月29日、「UFC 102」でマット・ヴィーチと対戦予定であったが、ヴィーチの欠場でマーカス・アウレリ

我龍真吾 - Bout Wiki

トルマッチ】2011年7月30日○網本規久3R 0:52 KOGLADIATOR 182011年5月22日○ディーゼルCUC1R 2:24 TKOGLADIATOR 172011年5月21日×亮次3R終了 判定0-3谷山ジム「ビッグバン・統一への道 其の五」2011年5月15日×

竹内出 - Bout Wiki

と3度目の対戦となったが、チョークスリーパーで一本負けを喫した。2005年7月6日、HERO'Sに初参戦し、オープニングファイトで三浦広光にTKO勝ちを収めた。2006年6月11日、D.O.G VIで岡見勇信と対戦し、TKO負けを喫した。2006年12月2日、マーコートが返上して

立嶋篤史 - Bout Wiki

戦し、2-0の判定勝ちを収めた[2]。2010年4月18日、新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS VII」で深津飛成と対戦し、TKO勝ちを収めた[3]。2010年9月11日、新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS VIII」で田中義人と対戦し、0-3の判

マイケル・マクドナルド_(1991年生) - Bout Wiki

プロ総合格闘技デビュー。2009年5月8日、「Palace Fighting Championship 13」でコール・エスコベドと対戦し、TKO負けを喫した。デビュー以来の連勝は7でストップした。2010年2月4日、「Tachi Palace Fights 3」でマニー・タピア

ウェズ・シムズ - Bout Wiki

:12 ギロチンチョークFCFS 26: Beach-N-Brawl2008年6月28日×スティーヴ・ボッセ1R 3:05 アンクルホールドTKO 34: Sims vs. Bosse2008年6月7日×トラヴィス・フルトン5分3R終了 判定0-3Fightfest - Capi

マイク・ピアース - Bout Wiki

9か月でプロ総合格闘技デビュー。2009年3月1日、28歳6か月でのWEC初参戦となった「WEC 39」でジャスティン・ハスキンスと対戦し、TKO勝ちを収めた。2009年4月30日、「Respect Is Earned 2」でポール・ブラッドリーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた

アルトゥール・ウマハノフ - Bout Wiki

up 2004においてナザロフ・アルダックと対戦し、総合格闘技デビュー。フロントチョークを仕掛けるも、素手の状態の相手のパウンド連打を受け、TKO負け。黒星デビューとなった。2006年9月9日、D.O.G VIIにおいて飯田崇人と対戦。パウンドにより飯田を負傷させ1R終了時にレフ

マイク・パイル - Bout Wiki

戦し、ギロチンチョークで一本勝ち。UFC初勝利となった。2010年1月2日、「UFC 108」でジェイク・エレンバーガーと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した[4]。2010年6月12日、「UFC 115」でジェシー・レノックスと対戦し、三角絞めで一本勝ちを収めた[5]。2010

ライル・ビアボーム - Bout Wiki

チョークで一本勝ち。2008年10月10日、ShoXC: Elite Challenger Seriesでハファエロ・オリヴェイラと対戦し、TKO勝ち。2009年6月19日、ShoMMA: Strikeforce Challengers 2でドゥエイン・ラドウィックと対戦し、ブル

ダミアン・リシオ - Bout Wiki

リシオは実弟。目次1 来歴2 戦績3 外部リンク4 Wikipedia来歴[]2000年10月9日、修斗で池本誠知と対戦し、マウントパンチでTKO負け。2005年9月17日、D.O.G IIIで岡見勇信にTKO負け。戦績[]総合格闘技 戦績24 試合(T)KO一本判定その他引き分

ステファン・ボナー - Bout Wiki

脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2003年9月13日、「Jungle Fight 1」でLYOTOと対戦し、1RカットによるTKO負け。総合格闘技デビューからの連勝は3で止まった。2005年1月、リアリティ番組「The Ultimate Fighter 1」に参加

クリストフ・ミドゥ - Bout Wiki

1月5日、HERO'S 2005 in SEOULにてイム・ジュンスと対戦、膝蹴りで倒してからのパンチで1R50秒、レフェリーストップによるTKO勝ち。2007年4月14日、BodogFightでローマン・ゼンツォフと対戦し、1R終了時にセコンドからタオルが投入されTKO負け。戦