中村和裕
中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...
山本"KID"徳郁 | |
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本名 | 山本 徳郁 岡部 徳郁[1] |
通称 | KID 神の子 |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1977年3月15日(46歳) |
出身地 | 神奈川県川崎市 |
身長 | 162cm |
体重 | 61kg |
リーチ | 168cm |
階級 | フェザー級、バンタム級 |
スタイル | レスリング |
所属 | PUREBRED大宮 →PUREBRED東京 →KILLER BEE →KRAZY BEE |
テーマ曲 | 狂蜂の詩 (たなか雄一狼 feat. SHINGO☆西成) |
山本"KID"徳郁(やまもと"キッド"のりふみ、1977年3月15日 - )は、日本の総合格闘家。神奈川県川崎市出身。KRAZY BEE主宰。
ニックネームは「神の子」または「KID」。ニックネームの由来は本人曰く、「ミュンヘンオリンピックに出場した父親(山本郁榮)は自分の中では神。だから俺は神の子(KID)」「格闘の神様の子供」というもの。しかし、この発言以前に、「大学時代、俺の小柄な身体を見たレスリング部の先輩から、まるで子供みたいだから、KIDだ。と綽名されたのが最初」とも本人が語っている。
全身に多くのタトゥーを彫っている。総合格闘技における師匠であり、姉・山本美憂の元夫であるエンセン井上の代名詞「大和魂」のタトゥーを右上腕に彫っていたが、2009年4月にそれを覆い隠すように別のタトゥーを彫った。肩には「狂」「蜂」、胸には「海」「鈴」「郁」「愛」と漢字のタトゥーを彫っている。
適性階級は60kg前後の階級でありながら、総合格闘技とK-1では本来より2階級も上の70kg級でも大活躍し、70kg級ではHERO'S世界王者となり、魔裟斗からK-1ルールでダウンを奪うなど驚異的な実績を残した。
ミュンヘンオリンピックレスリング・グレコローマン日本代表だった山本郁榮を父親に持ち、姉・山本美憂、妹・山本聖子は世界レスリング選手権大会を制覇している。祖父は水泳のオリンピック選手。
2004年8月にモデルのMALIA(新保真里有)と結婚し、2005年1月には男児、2006年11月には女児をもうけるも、2009年8月に離婚。子供はMALIAが引き取った[2]。
幼い頃よりレスリング(フリースタイル)で活躍。全日本学生レスリング選手権大会優勝(フリースタイル58kg級)など数多くの実績を残した。シドニーオリンピック出場を目指していたが、1999年の全日本レスリング選手権大会(同級)で惜しくも準優勝。
オリンピック出場への道が絶望的になったのと同時期に姉・美憂の夫(当時)であるエンセン井上に師事して総合格闘技に転向。2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権・ライト級で優勝。2001年にプロデビューし修斗で活躍、ライト級世界ランク2位まで登り詰めた。
2002年9月16日、修斗で勝田哲夫と対戦。試合前に勝田がKIDに対して「彼はレスリングの実績があるけど、総合におけるレスリングってものを俺が教えてあげますよ」と挑発したことに対してKIDは不快感を露にしていた。試合ではKIDがパウンドの連打で勝田をKOしたが、レフェリーストップがかかったにもかかわらずレフェリーの制止を無視して舌を出して笑顔で勝田を殴り続けたため120日間のライセンス停止処分を受けた[3]。この悪癖はK-1転向初期にもしばしば見られた。
2003年12月14日、修斗で王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと修斗世界ライト級チャンピオンシップで対戦予定であったが、練習中に右手人差指を骨折し、全治2か月となり欠場した[4]。
2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~」1回戦で村浜武洋と対戦。優勝候補と目されていた村浜を相手にK-1ルール初挑戦ながら圧倒的なスピードとパンチ力を発揮、ノーガードで村浜のパンチを避けまくり、ダウンを奪った後も笑顔で舌なめずりして追撃するなどして2RKO勝利。潜在能力の高さを見せつけ、一気に人気選手となった。しかし、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。
その後トニー・バレント、安廣一哉、ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで魔裟斗に対戦を要求。魔裟斗もこれを受け、2004年12月31日の「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」で対戦。1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、ローブローによりダウン。インターバルの後に試合は再開されたものの、2Rにダウンを取り返され、0-3の判定負けを喫した。
2005年3月3日のHERO'S旗揚げ発表会見に出席し、HERO'S参戦が発表されるも、怪我のため、3月26日のHERO'S旗揚げ戦は欠場となった。
2005年5月4日、「K-1 WORLD MAX 2005」のスーパーファイトにてK-1ルールで出場。しかしマイク・ザンビディスの右フック一撃で生涯初のKO負けを喫した。
2005年7月6日、HERO'S 2005にスーパーファイトで出場。イアン・シャファーと対戦し、TKO勝利。
2005年9月7日、HERO'S 2005 ~ミドル級世界最強王者決定トーナメント~ 準々決勝でホイラー・グレイシーを右フック一撃で失神KO勝ち、準決勝で宇野薫をパンチで出血させ、TKO(レフェリーストップ)勝ちを収めた。
2005年12月31日、「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」にてトーナメント決勝を須藤元気と対戦し、右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ち。HERO'Sミドル級王者となり、キャリア初の王座獲得となった。
2006年2月17日、修斗に出場した同門の菊地昭の試合後にドクターチェック中であった中山健児リングドクターに対し暴言を吐いた上、足先で臀部を小突いた。事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表を務めるKILLER BEE(現・KRAZY BEE)所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した[5]。翌2月22日にKIDが中山リングドクターに謝罪し和解したが、3月6日付けでインターナショナル修斗コミッション(ISC)よりKIDへの無期限ライセンス不許可処分およびKILLER BEEへの厳重注意処分を受けた。10月12日にKIDがISCおよび日本修斗協会に謝罪し、10月13日付けで無期限ライセンス不許可処分が解除された[6]。
2006年5月3日、HERO'Sで宮田和幸と対戦し、開始4秒、ダッシュからの跳び左膝蹴り一発で失神KO勝ち。この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。
2006年7月23日、レスリングに復帰し、2008年の北京オリンピック出場を目指すことを宣言。プロ格闘家活動を一時休止する。
2006年12月31日、「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」で総合格闘技のリングに一時復帰。アテネオリンピックレスリング・グレコローマン55kg級金メダリストのイストバン・マヨロシュと対戦し、1RKO勝ちを収めた。
2007年1月28日、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権フリースタイル60kg級2回戦でアテネオリンピック銅メダルの井上謙二(自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、試合開始16秒、でフォール負けを喫した。なお、大会前に同階級の有力選手からは「(山本に)1ポイントも与えるつもりはない」「7年もブランクがあっては通用しない」など、長期のプロ活動から復帰した山本を見下した発言が相次いだ。
2007年6月、北京オリンピック出場に望みをかけレスリング明治乳業杯全日本選抜選手権に出場を予定していたが、肘の脱臼が完治せず、練習も満足に出来ていないため出場を取りやめた。
2007年9月17日、HERO'Sでビビアーノ・フェルナンデスと総合格闘技復帰戦を戦った。腕ひしぎ十字固めをかけられ回転して逃げるなど危ないシーンもあったが、スタンドでのローキックなどでダメージを与え、3-0の判定勝ち。試合の1週間前に左手首の豆状骨を骨折していた。
2007年12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」でハニ・ヤヒーラと対戦。ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックでKO勝ち。ヤヒーラがダウンした後の頭部へのサッカーボールキックに対してイエローカードが提示された。
2008年7月21日、「DREAM.5」でジョセフ・ベナビデスと対戦予定であったが、練習中に右膝前十字靭帯を断裂し、欠場となった。同年8月1日に手術を受け、成功した。同時に前年に骨折していた左手首の手術も受けた。
2009年、「DREAM.7」から開幕したDREAMフェザー級グランプリでは実績を考慮されて1回戦をシードされた。
2009年5月26日、約1年5か月ぶりの復帰戦となった「DREAM.9」のフェザー級グランプリ2回戦でジョー・ウォーレンと対戦。ムエタイ・スタイルへと変貌を遂げた打撃をヒットさせるが、グレコローマン・レスリング世界選手権優勝というKIDを上回るレスリング実績を誇るウォーレンに何度もテイクダウンを奪われてパンチを浴び、1-2の判定負け。総合格闘技ルールでの敗戦は7年ぶり2度目となった。
2009年7月13日、約4年2か月ぶりのK-1参戦となった「K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8」でチョン・ジェヒと対戦し、1Rに先に有効打をヒットさせて追撃したところを右アッパー、左フックの連打を受け失神KO負けを喫した。
2009年12月31日、「Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~」の「DREAM vs SRC 対抗戦」でSRCフェザー級王者金原正徳と対戦。リーチ差に手を焼き、2Rには金原のパンチを受けてダウンを奪われたが、最終3Rに打撃で猛反撃。試合終了直後に腕立て伏せをしてダメージの無さをアピールしたが、0-3の判定負け。復帰後、K-1ルールを含め3連敗となった。
2010年5月29日、ケージ開催となった「DREAM.14」でキコ・ロペスと対戦し、KO勝ち。2007年12月31日以来、2年5か月ぶりの勝利となった。
2011年2月5日、UFC初参戦となった「UFC 126」でデメトリアス・ジョンソンと対戦し、パンチにタックルをカウンターで合わされるなど再三テイクダウンを奪われ、0-3(27-30、27-30、28-29)の判定負けを喫した[7]。
2011年5月7日、「東日本大震災復興支援チャリティ・ファイトイベント ~立ち上がろう ニッポン~」に参加。自らもエキシビションマッチを行なう予定であったが、負傷により行なわれなかった[8]。
2011年5月28日、「UFC 130」でクリス・カリアソと対戦予定であったが、負傷欠場となった。
2011年9月24日、「UFC 135」でダマッシオ・ペイジと対戦予定であったが、負傷欠場となった。
2011年11月12日、「UFC on FOX: Velasquez vs. Dos Santos」でダレン・ウエノヤマと対戦し、0-3(27-30、27-30、26-30)の判定負けを喫しUFC2連敗となった[9]。
2012年2月26日、ズッファ体制初の日本開催となった「UFC 144」でヴォーン・リーと対戦し、腕ひしぎ十字固めにより自身初の一本負けを喫しUFC3連敗となった[10]。
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
25 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
18 勝 | 13 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1 |
6 敗 | 1 | 1 | 4 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ヴォーン・リー | 1R 4:29 腕ひしぎ十字固め | UFC 144: Edgar vs. Henderson | 2012年2月26日 |
× | ダレン・ウエノヤマ | 5分3R終了 判定0-3 | UFC on FOX: Velasquez vs. Dos Santos | 2011年11月12日 |
× | デメトリアス・ジョンソン | 5分3R終了 判定0-3 | UFC 126: Silva vs. Belfort | 2011年2月5日 |
○ | キコ・ロペス | 1R 1:41 KO(右フック→パウンド) | DREAM.14 | 2010年5月29日 |
× | 金原正徳 | 5分3R終了 判定0-3 | Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~ | 2009年12月31日 |
× | ジョー・ウォーレン | 2R(10分/5分)終了 判定1-2 | DREAM.9 フェザー級グランプリ2009 2nd ROUND 【フェザー級グランプリ2009 2回戦】 | 2009年5月26日 |
○ | ハニ・ヤヒーラ | 2R 3:11 KO(左フック) | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! | 2007年12月31日 |
○ | ビビアーノ・フェルナンデス | 5分3R終了 判定3-0 | HERO'S 2007 ~ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦~ | 2007年9月17日 |
○ | イストバン・マヨロシュ | 1R 3:46 TKO(レフェリーストップ:パウンド) | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
○ | 宮田和幸 | 1R 0:04 KO(跳び左膝蹴り) | HERO'S 2006 | 2006年5月3日 |
○ | 須藤元気 | 1R 4:39 TKO(レフェリーストップ:パウンド) | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 【ミドル級 決勝】 | 2005年12月31日 |
○ | 宇野薫 | 2R 4:04 TKO(ドクターストップ:左眉尻カット) | HERO'S 2005 ~ミドル級世界最強王者決定トーナメント 準決勝~ 【ミドル級 準決勝】 | 2005年9月7日 |
○ | ホイラー・グレイシー | 2R 0:38 KO(右フック) | HERO'S 2005 ~ミドル級世界最強王者決定トーナメント 準決勝~ 【ミドル級 準々決勝】 | 2005年9月7日 |
○ | イアン・シャファー | 3R 1:23 TKO(レフェリーストップ:パウンド) | HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント | 2005年7月6日 |
○ | ジャダンバ・ナラントンガラグ | 1R 1:55 KO(右ストレート) | K-1 WORLD MAX 2004 ~世界王者対抗戦~ 【総合ルール】 | 2004年10月13日 |
○ | 安廣一哉 | 2R 2:40 腕ひしぎ十字固め | K-1 WORLD MAX 2004 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ 【ミックスルール】 | 2004年7月7日 |
○ | トニー・バレント | 1R 0:58 チョークスリーパー | K-1 WORLD MAX 2004 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ 【総合ルール】 | 2004年4月7日 |
○ | ケイレブ・ミッチェル | 1R 0:40 TKO(レフェリーストップ:右フック) | 修斗 | 2003年9月5日 |
○ | ジェフ・カラン | 5分3R終了 判定3-0 | SuperBrawl 29 | 2003年5月9日 |
○ | 勝田哲夫 | 1R 2:45 TKO(レフェリーストップ:パウンド) | 修斗 | 2002年9月16日 |
× | ステファン・パーリング | 1R 0:30 TKO(ドクターストップ:額カット) | 修斗 | 2002年5月5日 |
- | ジョシュ・トムソン | 2R 2:00 無効試合(ローブロー) | Shogun | 2001年12月15日 |
○ | 門脇英基 | 1R 4:02 TKO(レフェリーストップ:右フック) | 修斗 SHOOTO TO THE TOP | 2001年9月2日 |
○ | 亀田雅史 | 1R 4:17 KO(パンチ) | 修斗 SHOOTO TO THE TOP | 2001年7月6日 |
○ | 塩澤正人 | 5分2R終了 判定3-0 | 修斗 SHOOTO TO THE TOP | 2001年3月2日 |
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
4試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
1勝 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
3敗 | 2 | 1 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | チョン・ジェヒ | 1R 1:20 KO(左フック) | K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8 | 2009年7月13日 |
× | マイク・ザンビディス | 3R 0:39 KO(右フック) | K-1 WORLD MAX 2005 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ | 2005年5月4日 |
× | 魔裟斗 | 3R終了 判定0-3 | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
○ | 村浜武洋 | 2R 2:38 KO(2ノックダウン:左フック) | K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~ 【1回戦】 | 2004年2月24日 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | バレット・ヨシダ | 1R 0:26 TKO(タオル投入) | The CONTENDERS Millennium-1 【ライト級トーナメント 決勝】 | 2001年6月10日 |
○ | 若林次郎 | 延長R終了 判定2-0 | The CONTENDERS Millennium-1 【ライト級トーナメント 準決勝】 | 2001年6月10日 |
○ | 小室宏二 | 5分2R終了 判定40-38 | The CONTENDERS Millennium-1 【ライト級トーナメント 1回戦】 | 2001年6月10日 |
前優勝者 | HERO'S 2005 ミドル級最強王者決定トーナメント優勝 2005年12月31日 | 次優勝者 J.Z.カルバン |
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