歌書(雑集) - いにしえwiki
集高世)四英獄窓唱和集隠玖菟岐集俟采擇録(久阪誠)興風集(久阪通武)歎涕和歌集(宮地維宣)殉難前草(城兼文)殉難後草(同)殉難遺草(同)殉難拾遺(馬場文英)興風後集(城兼文)有節録(同)志士小伝振気篇(春荘冗史)雄魂雑書近世殉国一人一首伝(城兼文)大和一挙諸士歌詩防長正気集(天野
集高世)四英獄窓唱和集隠玖菟岐集俟采擇録(久阪誠)興風集(久阪通武)歎涕和歌集(宮地維宣)殉難前草(城兼文)殉難後草(同)殉難遺草(同)殉難拾遺(馬場文英)興風後集(城兼文)有節録(同)志士小伝振気篇(春荘冗史)雄魂雑書近世殉国一人一首伝(城兼文)大和一挙諸士歌詩防長正気集(天野
王もこれをすてず。忠臣賢士もみな用う。この故にかみ禁中洞裏よりはじめて。宸遊代々すたれず。下民間洛外にいたるまで。與宴家々にさかり也。こゝに拾遺亞相といふ人あり。この道に獨歩し此藝に尊長なり。このありわざ古今にこえ。其德神明に通ぜり。ふかく未萠をてらして。我跡のつくべからざる事を
おもはさりけん(読みひと知らす)*101100.限りあれは 松のこすえに 霧はれて もとつ光りに かへる日のかけ(東京 岡野伊平)*102拾遺11首。101.ほりましく めくみはよもの 池水に 今もたゝへて あふく御代かな(大和 堀江一朗)*103102.くろかねの まとをとほ
を続けてきたという事実以外、現在ではほとんど知られていない。現在最も古く知られているムスク家の者は、500年前の大災害から100年後に森の風拾遺集・龍の書に抜粋された「風の王国の文化習慣に関する考察」を書いている[Note 1]。「エル・マスク」の称号は代々受け継がれている[No
まつほのうらものがたり 311 児教訓 ちごきょうくん 宗祇 312 無名草子 むみょうぞうし 313 拾遺百番歌合 しゅういひゃくばんうたあわせ 寛喜3 藤原定家 313 百番歌合*1 ひゃくばんうたあわせ 313 源氏
園小説)→ 滝沢馬琴【日本随筆大成】とえんしょうせつがいしゅう(兎園小説外集)→ 滝沢馬琴【日本随筆大成】とえんしょうせつしゅうい(兎園小説拾遺)→ 滝沢馬琴【日本随筆大成】とえんしょうせつべっしゅう(兎園小説別集)→ 滝沢馬琴【日本随筆大成】とえんしょうせつよろく(兎園小説余録
萍雑志 柳沢里恭 (柳里恭) 頁六六九閑なるあまり 松平定信 頁七四九画証録 喜多村信節 頁七六一第三巻兎園小説余録 滝沢馬琴 頁一兎園小説拾遺 滝沢馬琴 頁七一保敬随筆 小泉保敬 頁一五五梅園拾葉 三浦梅園 頁一八一新著聞集 著者不詳 (神谷養勇軒) 頁二二五雉岡随筆 五十嵐篤
「し」ではじまる古典作品の一覧しおじり(塩尻)→ 天野信景【日本随筆大成】しおじりしゅうい(塩尻拾遺)→ 天野信景【日本随筆大成】しさいまんろく(思斉漫録)→ 中村新斎【日本随筆大成】しずかなるあまり(閑なるあまり)→ 松平定信【日本随筆大成】しずのおだまき(賤のをだ巻)→ 森山
余録二編西沢文庫脚色余録三編西沢文庫讃仏乗初編西沢文庫讃仏乗二編西沢文庫綺語文草今古参考南水漫遊初編 颯々亭南水主人今古参考南水漫遊拾遺今古参考南水漫遊続編タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
従国書総目録古事類苑国歌大観日本歌学全書日本歌学大系日本芸林叢書日本国粋全書日本古典文学全集日本古典全集日本哲学全書今昔物語集古今著聞集吉野拾遺吉備群書集成稗史集御夜話集三壺聞書三州奇談日本随筆大成(旧版)日本随筆大成(新装版)江戸叢書京都叢書秋田叢書破邪叢書徳川太平記俳諧文庫俳
者) 明治の五大監獄六 六国史 六歌仙(僧正遍昭・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・小野小町・大友黒主) 六家集(長秋詠藻・山家集・秋篠月清集・拾遺愚草・拾玉集・壬二集) 新六歌仙(藤原良経・慈円・藤原俊成・西行・藤原定家・藤原家隆) 和歌六人党(藤原範永・平棟仲・藤原経衡・源頼実・
西沢文庫伝奇作書初編 言狂作書 西沢綺語堂李叟西沢文庫伝奇作書拾遺西沢文庫伝奇作書残編西沢文庫伝奇作書続編西沢文庫伝奇作書附録西沢文庫伝奇作書後集西沢文庫皇都午睡初編西沢文庫皇都午睡二編西沢文庫皇都午睡三編タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
の 御稜威にそむく 敵やなからむ*100 (山階宮晃親王)タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:脚注*1 万葉集*2 風雅集*3 後拾遺集*4 万葉集*5 万葉集*6 万葉集*7 万葉集*8 万葉集*9 万葉集*10 万葉集*11 古今集*12 新古今集*13 新古今集*
集(同)続類題和歌集(阪以得)類題落穂集拾題和歌集(恵藤一雄)新類題和歌集(烏丸光栄)新類題落穂集和歌明題拾要抄草庵和歌集類題(蜂谷又玄)同拾遺(同)釈教題林集(浄恵)三玉和歌集類題(松井幸隆)残林拾葉集(山本紀内)袖中證歌集類題六家集(藤原伊清)新明題和歌集新後明題和歌集古今和
新撰和歌集(紀貫之)群書類従159新撰貫之髄脳(同)拾遺和歌抄()群書類従143金玉集(藤原公任)群書類従159三十六人撰(同)群書類従159九品和歌(同)歌仙歌集()群書類従歌仙歌集書入本願寺本三十六人家集飛鳥井卿写本願寺本歌仙歌集補歌仙補翼抄歌仙歌集校合本歌仙家集三十六人集補
文書編 第8巻自治承元年(1178)至元暦二年(1185)補 自天応元年(781)至承和十五年(848)古文書編 第9巻補古文書編 第10巻拾遺 自延暦八年(789)至元暦二年(1185)補遺続・新古文書編 第11巻総目録・解説 新続補遺金石文編題跋編索引編上 人名索引・地名索引
一 戶田茂睡梨本集第二梨本集第三之上梨本集第三之下國歌八論 荷田在滿 (評)本居宣長國歌八論餘言 田安宗武國歌八論再論 荷田在滿國歌八論餘言拾遺 賀茂眞淵國歌論臆說 賀茂眞淵臆說剩言 田安宗武再奉答金吾君書 賀茂眞淵歌論 田安宗武國歌八論斥非 大菅公圭 (評)本居宣長國歌八論斥非
家古状)武家部 665 御内書引付武家部 666 玄以法印下知状武家部 667 御的日記武家部 668 百手次第聞書之事武家部 668 射御拾遺抄武家部 668 弓馬問答武家部 669 佐竹宗三聞書武家部 669 武田弓箭故実武家部 669 武田射礼日記武家部 670 弓張記武家
部 57 北野神君画幀記神祇部 57 五岳賛語神祇部 57 二十二社并本地神祇部 58 惟賢比丘筆記神祇部 58 神祇正宗神祇部 58 神祇拾遺神祇部 59 麗気記神祇部 61 恒例修正月勧請神名帳神祇部 61 清滝宮勧請神名帳神祇部 61 戒壇院公用神名帳神祇部 63 赤山大明
和歌部 369 東撰六帖和歌部 370 拾遺風体和歌集和歌部 373 飛月集和歌部 374 二八要抄和歌部 375 中古六歌仙和歌部 375 自賛歌和歌部 375 新百人一首和歌部 376 為相卿千首和歌部 379 栄雅千首和歌部 382 正治二年院御百首和歌部 383 後花園院
r to enjoy this hard-earned freedom that we possess.豆知識[]彼女の先祖の一人は、森の風拾遺集・龍の書で抜粋された「風の国土の文明と習俗考察」の著者、ヤコブ・マスクである。500年前の大変動が、この本が書かれた時点で「100年前
現させることができる。キャラクター物語 - 「ヴェンティ。四つの風」 ではアンドリアスは「北風の狼」として描かれている[1]。ただし、森の風拾遺集・龍の書によると、北風の狼の称号は現在の北風騎士の称号保持者に与えられている。西風騎士団の指導者候補には「獅子」か「狼」の称号が与えら
A. 古語拾遺は、平安時代の神道資料です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%AA%9E%E6%8B%BE%E9%81%BA
れている。天下五剣の一振りとして伝えられる【童子切安綱】の他、源氏の宝刀【髭切】と【膝丸】の所有者でもあった。【伝承】「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」など、後世に作られた説話では武人としての側面が強調されている。それによれば頼光四天王を率いて酒吞童子や土蜘蛛など、多くの妖怪を討伐
共通の黒い太陽が一瞬映ることもこの不穏な説に拍車をかけている。◇リンボ○真名:蘆屋道満○示す理:なし○所業:なし○人類愛:なし○出典:『宇治拾遺物語』、『安倍晴明物語』、『蘆屋道満大内鑑』、アステカ神話、スラヴ神話など○固有スキル:なし○ILLUST:古海鐘一○CV:森川智之蘆屋
に侵食し、自分のシルエットに書き換えている。そこまでにしておけよ殺生院。◇ステータス身長:166cm体重:53kg?出典:人魚伝説、今昔百鬼拾遺、『深海電脳楽土SE.RA.PH』より地域:日本、どこかの海底属性:秩序・悪性別:女性◇パラメータ筋力耐久敏捷魔力幸運宝具CA+CA+B
は源頼信・平維衡・平致頼らとともに『道長四天王』と称されるほど武芸に秀でた人物で、道長のはからいで和泉式部と結婚した。保昌自身も歌人で、『後拾遺和歌集』に彼が詠んだ和歌作品が一首収録されている。四条公任 CV:佐々木望道長に仕える検非違使の長官で、「道長四天王」の一人。彼の命で京
の病を治した話のほか、天狗封じを行った話も記録に残っている……いや、祈祷や禊であって戦ったわけではないみたいだけれども。ここからさらに『宇治拾遺物語』や『平家物語』にも記述があり、ここまで行くと式神を見破ったとか、渡辺綱が切り落とした鬼の腕を封印したとかという話ばかりになる。この
3:02:08) まあ、日本の人魚は人面魚タイプが多いのだが… -- 名無しさん (2022-01-22 14:34:13) 『今昔百鬼拾遺』の人魚とか、海雷(おそらくこっちのほうが日本では有名)とか人面魚というか件みたいなキメラ系というかだしね -- 名無しさん (20
『今昔物語』や『俊頼随脳』などの説話集はその性格上多くのHENTAIエピソードが納めらているが、日本民俗学の父、柳田国男が編纂した『遠野物語拾遺』第17話の内容を、画面の前の諸君はご存知であろうか。■以下原文第17話小友村字鷹巣の山奥では、沢の蕗(ふき)の葉にことごとく小さな穴が
のルンゴナンゴが遺した戦術魔道書だったのである。最終的に第二共和軍団参謀長にまで出世したシュルツは、当時既に散逸していたルンゴナンゴの遺稿を拾遺し、自身の戦術や注釈を付けくわえて「戦術魔道大典・グリモア」として再編。この書は以降シュルツの門下から出た弟子の系統、つまり「シュルツ流
、バーニシャル」と唱えなければ男性のように内臓が飛散し命を落とす。バーザルババサレの類話だからといって老婆の姿をしているとは限らない。事典の拾遺として『日本現代怪異事典 副読本』で紹介されたこのバーザルは女性の姿をした怪異である。夜、壁を背に勉強をするとバーザルが壁から出現して肩
三十三箇所などの観音霊場巡礼が流行した際、各地で新たな札所が設けられた。江戸三十三箇所もこの1つであり、元禄年間に設定されたことが「江戸砂子拾遺」に記されている。ただし現在の札所は1976年(昭和51年)に改訂された「昭和新撰 江戸三十三観音札所」である。下記の一覧も、この昭和新
妖怪。日本全国に伝承が残り、その正体は閻魔大王の命を受けて罪人の魂を地獄に連れていく獄卒とも、はたまた死体を貪り食らう妖猫とも伝わる。『宇治拾遺物語』によると、火車は地獄の獄卒が罪人を奪い取りに来る時に使用する炎に包まれた車のことを指し、転じて獄卒そのものや、死人を蘇らせる魔性を
戻ってくる話。一方、六日町では父子家庭の父親が死に、残された子どもの元へその父親が毎夜戻ってきて……。『遠野物語』とその続編である『遠野物語拾遺』から、死霊についての話を1話ずつ取り上げて再構成したもの。未練から連日のように現世に舞い戻ってくる死者という、『遠野物語』の中でもトッ
鬼めずき馬の頭に人間の身体を持つ鬼。そのまんま。地獄で亡者を責め苛む獄卒の一員であり、牛の頭を持つ牛頭鬼とセットで語られることが多い。『宇治拾遺物語』では「馬の頭なる鬼」として百鬼夜行に名を連ねる馬頭鬼単体の出番が描かれている。その実態は、高い乗馬技術や馬の素質を見抜く眼力を持ち
を死に至らしめると設定されている。なお、鳥山石燕は殺生石を玉藻前=九尾の狐とは別個にカウントしており、それぞれ『今昔画図続百鬼』と『今昔百鬼拾遺』に描いている。この八体のオリジナル魔化魍はポストカード化され、アンケート葉書を送った読者に抽選で贈られている。「Wiki篭もりさ~ん、
束を言わせ、復活させた晴明を呼び寄せた。こうして、約束に従わせる形で、今度は道満と、道満に付いたメスブタを斬首して復讐を果たしたという。宇治拾遺物語藤原道長の愛犬が主人の外出を必死に止めたことがあった。不審に思った道長が懇意にしている晴明を呼んで問うと、犬は道長に式神の呪いがかけ
ポ……つまるところただのモブ。……なのだが、人目に付きやすい立ち位置と珍妙な名前*1故に印象に残りやすい。そのせいか、朗読劇「アストルティア拾遺譚」で声が付いた上に魔王たちから名前をイジられたり、モブキャラにもかかわらずホワイトデーの人気投票イベント「アストルティア・ナイト総選挙
担当した。驚きである。自分が単なる刀ではなく人間であると再認識する七花であった。東風吹かば匂ひおこせよ梅の花───主なしとて春を忘るな───拾遺和歌集「即刻・追記修正」この項目が面白かったなら……\ポチッと/#vote3(time=600,20)▷ コメント欄部分編集 人間認識
されている。また、発見の古い温泉ではその利用の歴史もかなり古くから文献に残されている。文献としては『日本書紀』、『続日本紀』、『万葉集』、『拾遺集』などに禊の神事や天皇の温泉行幸などで使用されたとして玉造温泉、有馬温泉、道後温泉、白浜温泉、秋保温泉などの名が残されている。平安時代
トでは修正されました。大災害が起きたのは500年前ではなく100年前である。この違いは、序章の数ヶ月前にトワリンが覚醒した後に書かれた森の風拾遺集・龍の書の最下部の引用文では調整されていない。序章でのファデュイの関わりはほとんどなく、他の登場人物から言及される程度。第二幕の冒頭、
の中をずぶ濡れになりながら帰っていくこととなる。そして、その夜――。道灌が近臣にこのことを話すと、ひとりが進み出て、こう言ったそうだ。――後拾遺和歌集に『七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき』という歌があります。その娘は蓑のひとつもない貧しさを山吹に例えたのでは
: 源仲親の子、仲国・仲章・仲兼・仲雅・仲賢・仲輔・光輔・仲季・頼季・明喜(僧侶)の父、遠章・親章兄弟(仲章の子)の祖父。脚注[]↑ 『宇治拾遺物語』『今昔物語集』↑信高(信行の父)の弟。↑ 大伴姓伴氏流甲斐宮原氏一門で、青木貞吉の孫、吉遠の子、吉虎・柳沢信興の父。この記事は 『
経基は、武蔵国・信濃国・筑前国・但馬国・伊予国の国司を歴任し、最終的には鎮守府将軍まで累進した。経基は文人としてもすぐれた勅撰歌人であり、『拾遺和歌集』などに2首が採録されている[12]。45歳で病没したという。その後は、子の経忠が後を継いだ[13][14]。 脚注[]↑ 経基の
に対して抵抗してきた(後南朝)が、1471年に彼の曾孫が越前国に追放されて以後、歴史上から南朝は姿を消した。人物[]幼い頃から賢明で、『吉野拾遺』に幼児の彼が侍臣の嘘を見抜く話が伝わる。歌人としても有名であるが、南朝出身のためか本名で歌が載ることは少ない。脚注[]↑ 長慶天皇と同
- 1990年発行第35巻までは初出掲載を基準に『てんとう虫コミックス』収録(計10作品[58]を除く第37巻までのほぼ全話)と未収録話を拾遺しながら掲載。第36巻以降は『てんとう虫コミックス』から収録した新編集となっていた。計832話収録(うち130話はてんとう虫コミックス単
省襄陽市棗陽県↑ 現在の江蘇省徐州市↑ 字は游。高祖・劉邦の従弟で、荊湣王の劉賈の異母弟。↑ 6.06.1中華民国の唐長孺の『魏晋南北朝史論拾遺』が引く晋(東晋)王敦の言より。↑ 『晋書』45巻の侯史光の経歴書によると、劉夏は東莱郡掖県(現在の山東省煙台市莱州県)の人と記されてい
偶者なし(スサノオとする説あり)子五男三女神(本文中参照)神社神宮・皇大神宮(内宮)、神明神社など記紀等古事記、日本書紀、先代旧事本紀、古語拾遺などに登場関連氏族大王家(皇室)、出雲国造、二方国造、島津国造、素賀国造、津島県氏、武蔵国造、三上氏、凡河内国造、茨城国造、筑波国造、師
千年前から南岳に移行した。有史以降の歴史[]30回以上の噴火が記録に残されており、特に文明、安永、大正の3回が大きな噴火であった。『薩藩地理拾遺集』においては708年(和銅元年)、『薩藩名勝考』においては716年(霊亀2年)、『神代皇帝記』においては717年(養老元年)、『麑藩名