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[483]ものみの塔エホバの御国を知らせる
あなたはいかがですか。人の足の指を踏むとは、「他人の権利や特権を無意識に侵害したり、弱点にさわって怒らせること」「怒らせること」と定義されています。
他人の足の指を踏むといっても、不注意にという言葉に協調が置かれているのに注意して下さい。正しい原則に従う人、強い確信をもつ人はどうしてもだれかを怒らすことになります。アベルから今日に至るまでの正義愛好者は実際にみなそうでした。この点で特に神の御子イエス・キリストをしのぐ者はありません。もし、自ら進んで妥協していたなら、彼らはみなあのような苦しみや困難を避けることができたのです。しかし、原則が関係しているところでは、正義を愛さぬものを怒らすことについて、不当な心配はいらないでしょう。ーマタイ、一五ノ一二ー一四
しかしながら、日常の諸問題においては、たいていの場合原則が問題になるのではなく、ただ不注意にまたは無意識に人を怒らすのです。それはちょうど、自分の足がどれほど大きいかに気づかず、また他の人に十分道をゆずらなかったのと同じです。
私たちが他の人を怒らすかもしれない小さな事がらは非常にたくさんあります。ある人は、年齢や体重、健康、体の欠陥、例えばアザとか特別に大きな鼻などのことを言われるのをきらいます。そのように気にしていることのどれかに注意をむけたり、ましてやからかったりすれば、人を怒らすのは当然です。そういうことに対する思いやりは、意識的にあるいは無意識に感謝されるでしょう。
口数の多い[の??]は、人を怒らす可能性があります。話がうわさ話なら特にそういうことがいえます。賢明な王は言いました、「言葉が多ければ、とがを免れない」。「愚者は言葉を多くする」。言葉が多ければ多いほど不注意な発言が多くなり、人を怒らす可能性も大きくなります。ー箴言、一〇ノ九。伝道、一〇ノ一四、新口
言葉の使い方でさえ、つまり、いやに上品に気取ったり、荒々しく大げさでも不必要に人を怒らすかも知れません。ごうまんな、恩に着せるような、あるいはきつくていらいらさせるような声の調子も人を怒らすでしょう。「実際的な」冗談も下品な冗談も同じくある人を傷つけるでしょう。口臭とか体臭または「禁煙」のサインがあるところでたばこを吸ったり、個人の衛生に不注意なことも、他の人を怒らす原因になるでしょう。実際のところ、よい作法に対するいかなる違反もいかなる無分別も、あやまりのもとになります。
ある人は、くりかえし人を怒らせていても、友だちが遠慮がちなために、それに気づいていないかも知れません。しかし神の言葉はこう述べています。「あからさまに戒めるのは、ひそかに愛するのにまさる」。友だちは、どういうふうにとられるか分からないということを恐れて忠告をひるみがちです。一見不合理のようですが、人を怒らせやすい人はたいてい非常に神経質で、人が機転をきかすことばかりを期待するという点で最も無分別なものです。ー箴言、ニ七ノ五、新口。
もし最も親しい友達が言ってくれなかったらどうしてそれを知ることができるでしょうか。それはあなたに対する友だちの態度でわかります。彼らは礼儀正しく、じょさいがなく、親しそうには見えますが、あなたを怒らさないようにいつも用心しています。一緒にいるときゅうくつなので、友情という至聖所にあなたを受け入れて特別の愛を表現しないかも知れません。
では、人は、なぜ他の人を怒らせるようになるのでしょうか。根本的にはそれは感情移入の不足、いわば他の人の気持ちを察する力が弱いこと、理解力の不足、神経質なことですが、一口に言えば隣人愛の不足です。この隣人愛の不足は、国民の習慣とか、特定の個人の事情に関する知識の不足に原因するかも知れません。あるいは非常に外交的な性質のためかも知れません。外交的な人は、こまかい事がらに気づかないものです。ですから、他人の不自由や欠陥や苦痛が、それが内向的なものであれば特におかしく思えるのです。そのため、あの人は外交的な人だとか内向的な人だとかいうのは、ある人は無神経で、ある人は感じやすいということのもう一つの表現方法だといわれています。中庸とは、「内向性と外向性との中間」と言われているもので、両極端を避けて、すぐに怒ったり怒らされたりしないことです。
批判的な完全主義者も、感情移入力に欠けているのでおそらく人を怒らすことになるでしょう。良い点に感心したり、ほめたりするかわりに、ただ弱点や誤りばかりに目をつけて批判するので、不必要に人を怒らすわけです。批判的な性質なために、他の人を援助する機会を失ってしまいます。
能率のことばかりくどくどいう人にも同じことが言えるでしょう。そういう人たちは、しばしば、時間厳守とか秩序とか経済のことばかり気にして、思いやりとか人間の価値に盲目になります。家庭の中でいえば、妻は特別に腕によりをかけてごちそうをつくったのに、夫は費用のことでぶつぶついい、夫が贈り物を持って家に帰れば、妻はぜいたくだといってこぼすというたぐいでしょう。感情移入に欠けているので、愛情の表現には、時にはつましさを通り越したことをする必要があるのをふたりとも気づかないのです。
また、あらゆる型の偏見が、感情移入の不足を示すものであって、これも人を怒らせるものであることを見のがしてはなりません。口調、言葉、振舞で心の底にある偏見をうっかり表わして、人を怒らすことになるかも知れません。国籍、経済、教育の標準の相違など、何に原因した偏見であろうと、それは感情移入の著しい反対で、他の人に対する思いやりの心の欠けていることを示すものです。
このふるい世には、苦しみ、誤解、不幸なことがたくさんあります。ですから、不必要に人を怒らせて、さらにそれをふやすようなことをしないで、むしろ他の人の考えや感情をよくつかむようにしましょう。他の人が自分と違えば違うほど注意が必要です。このことには、両性間の相違についても言えることです。
この点に関して、神の言葉は「あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい」「賢く行動しなさい」「やさしい言葉を使いなさい」というような良い助言で満ちています。この助言に従って下さい。そうすれば、不必要に他の人を怒らすことはなくなります。ーコロサイ、三ノ一二。四ノ五、六、新口。
…………………
[510] ………
●イエスは、どういう意味で、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない」と言われたのですか。(マタイ、ニ三ノニ九、三〇、新口)復活と、復活の時には結婚しないということについて、サドカイ人が知っているべきであったどんなことがヘブル語聖書に書かれていますか。--アメリカの一読者より
サドカイ人が復活を信じていなかったことは、福音書の記録されはもとより、使徒行伝二十三章六節から十節の記録ーーパウロが死人の復活を信ずると言ったために、パリサイ人とサドカイ人とのあいだに論争が起きたことが書かれているーーからも明らかです。サドカイ人は、イエスがまちがっていることを証明するつもりで、七人の兄弟をつぎつぎに夫にした女は、復活した時にだれの妻になるのかというこうかつな質問をしましたが、イエスは彼らを逆襲して、彼らがまちがっていることを証明しました。それをするに当たってイエスは、ヨブ(一四ノ一三ー一五)や、ホせア(一三ノ一四)ダニエル、(一二ノ一三)の言葉など、死人の復活を示す多くの聖句を引用することができたでしょう。しかし、サドカイ人たちは、モーセの五書だけが霊感されたものだと信じていたので、イエスは、エホバがもえるしばの所でモーセに言われた言葉を用いてこの点を証明しました。
これは、イエスのがわの実に見事な一撃でした。というのは、サドカイ人たちは、モーセの五書に通じていると自負していたからです。それなのに彼らは、イエスが指摘された復活の暗示を、五書の中にはっきりと見ることができていなかったのです。神が、もえるしばのところでモーセに、エホバ神は死者の神でなく生きている者の神であることを啓示するためにいわれた言葉の意味をつかんでいなかったのです。その時死んでいたアブラハム、イサク、ヤコブが、また生きかえって、彼らの共通の神を崇拝するには、死から復活しなければならないでしょう。エホバ神は、死人を復活させるという奇跡をおこなう力をもっておられました。
神が復活させる力をもっておられたことは、サドカイ人がこうかつな質問でイエスをやっつけようとした前に、神の御子イエス自身によってすでに実証されていました。このように強い理由があったため、イエスは、サドカイ人たちが結局はあまり利口でないこと、死人の復活を過小評価する点でまちがっていること、このことで彼らがまちがっているのは、モーセによる聖書も、残りの預言書も、また奇跡を行う神の力も知らないためであることを卒直に彼らに告げることができました。
イエスは、サドカイ人に次のことを教えることによって復活にかんする彼らの質問を容易にきりぬけました。すなわち、地上に復活して来る者は、めとったりとついだりしないこと、そのため、この古い世におい
[511] て七人の兄弟を順々に夫にした女が、だれの妻になるかというような問題は起きないということです。こうしてイエスは、サドカイ人たちが、記録された聖書、ことにモーセの律法にくわしくても、それらの意味と預言的力に関する真の知識をもっていないことを示されました。サドカイ人たちが聖書を知っていたなら、聖書が復活を教えていることも知っていたなら、復活に関するいかなる問題も、神にとってはすこしも問題でないことを知っていたはずです。[:補側的な注解:結婚の誓約をした時、まことの神に対して女性はこの人を夫とする、と誓ったのであるから、「本当の愛」のビデオみたいに永遠に二人は他人によっては離すことができないことを示された。最近の雑誌がめとったりとついだりしないというのは天に復活する人たちである、と特殊に示したのであるから、地上では女性という実態があるのかも知れない[:天には御使いには女性がいないと!!]?!結婚も永遠の契約かも知れないこと?!エホバ神が全能なので、問題は起きないことが考えられる。全能の神は忠節な者を見ておられて、ヒゼキヤ王の映画みたいに報いて(:一撃でも一振りでみんなに報いて??)下さることが考えられる。それ位、その位!]
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