左メニュー
左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...
神の自由の子となってうける永遠の生命
1966年英文発行
1967年日本文発行
出版者
WATCHTOWER BIBLE AND TRACT SOCIETY
OF NEW YORK, INC.
International, Bible Students Associatin
Brooklyn, N. Y,. U.S.A.
英文初版2,000,000部
Life Everlasting in Freedom of the Sons of God
Japanese
Made in the United States of America
アメリカ合衆国にて印刷・製本
自由の神 に ささげる
また
「神の子たちの出現を待ち望」む
被造物の切なる望みを堅くするために
刊行
この本に引用した聖書ほん訳の略語
新世訳--新世界訳聖書、1961年改訂版(英文)
バルバロ訳--バルバロ訳口語旧新約聖書、1965年
文語訳--日本聖書協会文語聖書
聖句のあとに略語のない場合は、すべて
日本聖書協会口語聖書からの引用です
以下[5][:質問は割愛しました]
自由を楽しめるのはありがたいことです。人間は自由であるように造られましたから、あなたがそう思われるのも当然です。自由を愛するのは人間の本性です。利己的な考えを持たない人は自分が持つ自由のありがたさを知っているので、自分と同等な他の人々も自由であることを望みます。自分は自由ではないと感ずるような境遇におかれると、人は自由を熱望し、自由を得るために努力します。そして。自由を得ないうちは決して満足しないでしょう。ゆえに今日、人は解放の日が来ること、しかもさらに良いことにその日が近いことを告げる知らせを聞いて歓喜します。
2人間の歴史の初めにおいて、人間は自由であり幸福でした。以来何千年を経た今日、人類すなわち人間と呼ばれる、この造られたものが自由を失っていることはきわめて明白です。人々がふつう口にすることばから察して、この自由の喪失ということは一部の人間の問題にすぎないと思う人がいるかも知れません。たとえば、今日、政治の方面では”自由陣営”ということが言われ、”自由
[6]のない世界”があるとの印象を与えています。近年において結成ないし樹立された政党や政府は、他の支配形態の下にある特定の人々を”解放”する必要があると考えています。そこで公正な手段によるにせよ、あるいは卑劣な手段によるにせよ、これらの人々を”解放”することを自分たちの義務と心得ているのです。人間の社会は一部が自由、一部が隷属の状態におかれたままで存在し得ないという政治的信条が唱えられているのです。住民の一部が奴隷ないしは劣った人間として扱われることを不快に思う、公正な人がいるのです。その結果、抗議デモが行われ、自由行進が行なわれます。他の人を奴隷にする者をおさえるために戦争が行なわれます。
3被造物である人間が世界各地において、平等の自由をどれほど享受しても、その結果の部分的なもので、それにはおのずから限度があります。すべての人が、いっそう大きな自由をなお享受しなければなりません。これから実現するこの完全な自由を考えれば、すべての人は程度の差こそあれ、みな奴隷です。人間が自らの力によってもたらすことのできなかった解放は、すべての人に必要です。人間を奴隷にした者は人間よりも力があります。例外なしにすべての人が、今後全く解放されなければなりません。人間がはじめに自由を失って以来、全人類は子の自由を享受していません。
4人間のからだの外にあるもので人間に影響を及ぼしている者を見てごらんなさい。人間と呼ばれる被造物は政治的、社会的、宗教的には奴隷であり、過去四千年のあいだに人類が作り上げた事物の制度につながれています。それで人間は、他の人々を奴隷のように支配しながら、人間の作った、自らの政府に束縛され、暴力に訴える不平分子や野心にみちた敵対者に命をねらわれて、
[7]いつもおびえている政治的独裁者のようです。今日の地上の事物の制度には明らかにどこか悪いところがあります。真の満足はどこにも見られません。しかし人間は現在の事物の制度からどのように解放されるのですか。すべての古いもの、伝統に支えられたものを打ちこわそうとする急進的な過激論者がいるのも不思議では在りません。一方には古いものを利己的に固守して、他方の過激論者と少しも折り合おうとしない保守的な過激論者が居ます。対立する両極端の板挟みになっているのが、人間の不幸な現状なのです。この現状にもかかわらず、いったい人間はどうすれば真に自由となり、全き自由を享受できますか。
5自分たちはみずから独立を保ち、中立を守ることができる、そして両極端に立った二つの側のいずれにもつかないで両方の側とうまくやって行けると考える人や、グループがあります。しかしそれにしても、このような人々は行動また選択の自由を享受していますか。いずれかの側あるいは両方の側から受ける圧迫に対抗する、どれだけの力がありますか。その人々は圧迫をまぬがれません。世界の支配的な勢力が一方から他方へと移るにつれて、影響をこうむらずにはいられません。中立であってもなくても、人間のからだの外にあって人間を奴隷にしている、事物の制度の一部であることに変わりはありません。
6さて、運動や行動の自由を妨げ、自分の意志に反する決定を余儀なくさせるもの、そして人間のからだの外にあって見える、そして触れることの可能なものから目を転じてごらんなさい。人間と呼ばれる被造物に他の力や影響力が働きかけていることは、どこから見ても明らかです。超人間
[8]の見えない力、超自然の勢力は存在しないと断言できる人はいますか。このような問いは、すべて存在する者は物質であると信じている人-唯物論者と自称する人から嘲笑されるでしょう。唯物論者は、善悪を問わず、超自然の見えない霊者の存在を信じていません。実際の目で見ないうちは、このような霊者の存在を信じません。
7しかし唯物的な考えを持つ人のこのような態度は平衡に欠けています。どうしてそう言えるのですか。なぜなら、唯物論者は風が吹くこと、空中に投げ上げられた物が引力のため地に落ちること、電流が電車のモーターを動かすこと、また宇宙船が四方八方からたえず地球に降りそそいでいて、放射線の内で最も強力な宇宙船が宇宙空間から来ることと、ガイガー計数管によってその存在を確かめ得ることを認めています。見えなくても実在するこれら̥の無生ものを認めながら、見えない霊者の存在を信じない、近視眼的な唯物論者は、実際に存在する、しかも悪意を持つ霊者の餌じきになるべく、知らずに自分の身を危険にさらしているのです。そして精神的、道徳的な自由を、これら悪意に満ちた霊者に奪われないように身を守ることをしません。しかも同時に彼らは理知ある生物が他の天体にいることを信じようとしており、レーダーによる通信をむなしく試みています。
8今日、人は自由な選挙による民主的な政治形態を実現したとの理由で、自由を誇るかもしれせん。しかし実際には、天にいる見えない圧制者の奴隷となって束縛され、スーパーマンよりも強力な、超自然の主人の支配下におかれているのです。こうして、被造物である人間が見えない霊者の領域から影響を受け、支配されるのはあり得ることです。つきまとって離れない固執観念に悩む精
[9]神病院の患者だけではありません。人間を奴隷にしている見えない者から解放されるには、確かに人間よりも高い者の助けが必要です。自由の敵である霊者の束縛からみずからを解放することが、どうして人間にできますか。霊者は天にいる、見えない非物質のものであり、強い力を持ち、人間には手の届かない存在なのです。唯物主義のために盲目にされてはなりません。人間の自由を妨げる霊者に関して、無知の暗黒にとどまっているべきでもありません。これらの霊者に関する知識は文字にしるされていて読むことができます。それは信頼できる源から出たもので、敵である霊者を曝露し、わたしたちがどのように首尾よく戦って救いを得るかを示しています。
9人間のからだの外に会って人間の自由を束縛するものについてはこのくらいにして、人間のからだの中にあるものについてはどうですか。善であり正しいことをしようと欲しても、自由にそれをすることを妨げるものが人間のからだの中にあります。生まれた時から、私たちは人間の不完全さにつながれていることを感じます。からだは不具でなくても、たとえりっぱな肉体を持っていても、心はそこなわれていることに早晩気づかないわけにはいきません。からだと心との戦いがあります。正しいことをしようと心ははやっても、からだの欲望は、からだの実際の必要を満たすこと、また健康を増進することと必ずしも一致しません。心がからだを自由に支配して最善の思いを行なうしもべあるいは道具とならせるかわりに、堕落した欲望を持つ不完全な肉体が人を妨げます。時に人は肉体からのがれたい、あるいは少なくとも、生まれつきからだにある弱さ、不完全
[10]さ、悪の傾向からのがれたいと願うでしょうだれの力あるいは何の力によって人はのがれることができ、心では願っている善人になれるのですか。なぜ人はからだと心を完全にすることができないのですか。
10からだと心が絶えず争い、また過去何千年の間人がその中に生まれてきた事物の制度が人間を束縛するものではあっても、そしてまたそれほどの自由がなくても、生きているのはすばらしいことです。人は生命を大事にします。人間の内も外も完全な状態にされるならば、人は人間として永遠に生きることを喜ぶでしょう。しかし人間はなぜ永遠に生きられないのですか。すばらしく造られている人体が更新し続けていつまでも生きるはずのものであることは、医学者でも認めています。なぜ永遠に生きられないかを説明することが、かえって困難なくらいです。人体にそなわるすばらしい防御機能を考えれば、なぜ病気になるかも不思議なくらいです。しかし全人類は自由人、奴隷を問わず、金持ちも貧乏人も、教育のある人もない人も、過酷な束縛につながれています。だれしもその事を認めなければなりません。全世界で常に墓地が拡張されていることは、その証拠です。それは大敵である死への束縛です。
11不慮の死だけではありません。人が殺人者になって殺人の罪を犯すというだけのことではありません。また戦争で人が死ぬ、近代戦において戦場から遠く離れた一般市民に死者が出るというだけのことではありません。飛行機、自動車の事故、鉱山や工場の災害で人が死ぬというだけではないのです。台風、洪水、地震、疫病などの災害が起きるというだけの事ではありません。たとえこれらのものを免れても、死の足音はわたしたちに近づいてきます。人は病気になり、病み、そ
[11]して死にます。長生きをしても、人は年をとり、弱くなり、体の節々と機能はおとろえ、やがて死にます。
12九百六十九歳まで生きた人のことが記録に残っています。それでもこの人は老衰のため、死の手に陥りました。それで永遠の生命に至ることなく、千年の寿命にさえ達しませんでした。今日、百歳あるいはそれ以上の長寿を全うする人はまれです。世界で最も進んだ国々においては、医学のおかげで平均寿命がおよそ七十歳にまで延びています。しかし今日に至るまで、医学はこの悲しむべき死への束縛からただひとりの人をさえ解放することができませんでした。将来においてもそれは不可能でしょう。人間の医学は約束の解放ではありません。医学者といえども、万人共通の敵である死につながれています。
13被造物である人間があらゆる種類の束縛にいつまでもつながれているのではありません。解放の時が近いという希望は、いま明るく輝いています。それで問題は、解放者はだれかということにすぎません。確かな希望の光に照らされて栄光の自由、全人類の自由を望み見るとき、完全な自由が法と支配の欠如、無政府状態を意味し、自由人は思うままに行動できると考えてはなりません。そう考えるのはまちがいです。被造物である人間が解放され、完全な自由を与えられたのちも永遠にわたって、人間はなお法に従わなければなりません。法による支配が行なわれるのです。完全な自由を持つ人でもそれを免れることはできません。なぜですか。人間もその一部である宇宙の営みは法に則っているからです。それは良いことであり、賢明なことです。宇宙に秩序がなければ、宇宙は崩壊してしまうでしょう。
[12]14知られている、見える宇宙の法則は、人間が決めたものではありません。地球をめぐる軌道に有人宇宙船が打ち上げられ、また宇宙飛行士を月に着陸させてのち、地上に帰還させる準備が進められているこの核宇宙時代を迎える前に、宇宙の諸法則ハ昔から働いていました。人間が物質の宇宙に対して無政府主義者になり、その法則を破ろうとするならば、必ず害を受けます。それで宇宙の諸法則に従うのは人間の益であることがわかります。宇宙の法則と一致した、理知的な行動を得るため、またこれらの法則を利用して実際的な益をするため、わたしたちの住むこの宇宙のあらゆる法則と定めを唯物的な科学によって探求することが行なわれています。人間はこれらの法則を廃したり、その働きをとめたりして、自然界の法則からみずからを解放しようとはしません。むしろ、人間がそれに従属するものであることを理知的に認め、宇宙の法の働きの範囲内にあって最大限の自由を享受することに努めます。そうすることから人間が経験するのは束縛感ではなくて喜びです。
15同様に、被造物である人間は、解放された完全な人間の持つ自由を与えられた時にも、人間より高い淵源を有する法の支配を免れません。永遠にわたって人間は太陽を支配する諸法則の影響を受けるでしょう。太陽は何十億の天体を持つ、すばらしい銀河、天の川の中にある一つの星です。楽園に変えられたこの地球の上では、完全になった人間が、太陽の不変の法則から喜びを汲み
[13]取るでしょう。人間は太陽によって時を測り、太陽が西に没してのち、必要な休息をとり、太陽のもたらすあかつきとともに起きて元気な朝を迎え、太陽によって生活を律するでしょう。
16人間は、夜現われる月や星を喜び、それらを支配する天の定めに喜ぶでしょう。人間は、月によって生ずる日毎の潮の干満を利用するようになるかもしれません。人間は四季の移り変わりを楽しむことでしょう。識の変化は、地軸に傾きを持つ地球が天体の法則に従って太陽のまわりを規則正しく公転することから生じます。人間が左右するすることのできない宇宙の法則が働いており、人間はそれに従わなければなりません。しかしそれだからと言って、人間が束縛を感ずることはなく、その働きが人間の自由や権利を侵害すると思う人はいません。これら不変の法則に従って生活を営むことは喜びと益をもたらします。人間はこのような法則の働きに感謝します。そうする人は自分の自由を享受することでしょう。
17それで人間は宇宙の主人ではありません。人間は今も将来も、宇宙の法に従う者です。天にあるものと地にあるものは人間に影響を及ぼしています。人間はそれらのものを変えることができません。昔多くの人が考え、また今でもある人々が考えているように、これらの天体や自然界の力が神や女神であって、崇拝したり、なだめたりすべきものだと言うのではありません。そうではなく、これら理知のない無生のものが人間に影響を及ぼしており、人間はこれらの創造物を支配する法則を認めてそれに従わなければならないということです。これらのものが法則に従って無限の営みを行なっている広い世界の中で、完全な人間は地上の楽園を楽しみ、人間の持つ自由を完全に享受することでしょう。
[14]18それで真に自由を愛する人は正しい有益な法が存在することを望みます。法の枠の中でこそ、安心して自由を楽しむことができるのです。悠久また確実な宇宙の諸法則を正しく理解する人は、それが存在することをうれしく思います。宇宙の万物が法則に従って秩序を保ち、人間に最善の益を与えていることに感謝しなければなりません。宇宙の諸法則に従うことは重荷とならず、またわたしたちに害となりません。人間の為に造られた無生の物と力に従うことが賢明であり有益であるとすれば、無生の物を創造し、それを支配する法則を立てたかたにこそ従うべきではないでしょうか。人間に作用する天地万物の影響に従うことを免れないのと同様、創造者への従順を免れることもできません。万物を創造したものの存在を否定してみても、人間が創造者に依存し、従属し、また被造物である人間に対して創造者の持たれる意志に左右されるという事実は変わりません。創造者にさからうのは、無生の宇宙を支配する法則にさからうのと同じく無益なことです。被造物が創造者に敵対し、その意志と決定にさからう行いをしても、創造者がこの地を楽園にするのを妨げることはできません。地球は神の法に従う被造物、人間の永遠のすみかとなります。
19万物を造った唯一の創造者の存在を認めるならば、わたしたちが被造物である事実を認めることになります。そのことは言うまでもありません。それは有生無生を問わず万物に対する法を立てる者としてこの創造者を認めるということです。被造物である人間は、創造者に対する義務を認めないわけにはいきません。そのように考えるのは決してまちがったことではありません。昔多く
[15]の人は、輝く天体、自然界の力を無知のままに見て神とし、崇拝の義務を感じてそれらのものを拝みました。昔の人が創造物に対して崇拝の義務を感じたとすれば、知識のあるわたしたちは、かつて崇拝の対象とされたこれらのものの生きた創造者に対して崇拝の義務を感ずるべきではありませんか。創造物を拝んだ昔の偶像崇拝者の崇拝は、あらゆる面において有害であり、永遠の生命をもたらしませんでした。それはまちがった崇拝だったからです。実際にはそれは見えない天の領域に住む、悪意ある、超人間、超自然の霊者の崇拝でした。このような崇拝のために人は宗教上の自由を失い、迷信、魔術、占い、占星術のとりこになりました。
20万物の真の創造者の崇拝はそれとは正反対です。人がそれから害を受けることはありません。それはまことの崇拝であって創造者の祝福を得、人の永遠の福祉につながるものです。それは人を解放に導きます。創造者を受け入れるならば、創造者の立てる法に従う気持ちをいだくことでしょう。しかしそのために真の自由を失うことはありません。創造者であり立法者である神を認め、神に従うのも、自由意志によって決めることです。人間に影響を及ぼし、多くの面において人間の生活を支配する天体や地球上の自然界の働きに賢明に従う時、自由がなくなるわけではありません。そのことは確かです。それと同じく創造者の意志と法にすすんで従うことが、純粋で安全また有益な自由を失う結果になることはありません。ゆえに創造者の法の支配に服従することを恐れる必要はないのです。
[16]21今日、唯物論的な科学者は宇宙の諸原則を発見し、理解するための研究をつづけています。それは研究の結果から益を得るためです。私たちはそれ以上に創造者ご自身、さらに被造物、人間に対する創造者の法に関心を払い、またそれを知って理解することに熱心に努めるべきではありませんか。それは宇宙の諸法則の発見よりも人を啓発し、いっそう大きな益をもたらします。迷信、偶像崇拝、不品行、死ぬべき人間に対する大きな恐れ、悪霊、まちがった宗教の教義と制度、あてにならない望みなどに束縛されていた人が自由を得るからです。神の有益な法に絶えず従うならば、人を束縛する、これらの有害なものからいつも離れていることができます。
22宇宙の諸法則は、本から読むことができるものではありません。人間はその働きを観察できるにすぎません。それで研究と発見により、また設定された理論を試みることによって、宇宙の諸法則を知るのです。そのすべてが知られているわけではありません。しかし人間に対する創造者の法は書きしるされていて、今日まで保存されてきました。神の律法を授けられた国民をその律法に従って四十年の間さばいた王は創造者の法を次のように評価し、また創造者の名を示しています。
23「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。この日は言葉をかの日に伝え、この夜は知識をかの夜に告げる……[エホバ]のおきては完全であって、魂を生き変えらせ、[エホバ]のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。[エホバ]のさとしは正しくして、心を喜ばせ、[エホバ]を恐れる道は清ら
[17]かで、とこしえに絶えることがなく、[エホバ]のさばきは真実であって、ことごとく正しい。これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある」-詩篇一九ノ一-一一、[新世訳]。紀元前十一世紀のエルサレムのダビデ王による。
24ほかにも、蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘いものは自由です。生命をあらたにし、「完全であって、魂を生き返らせ」とダビデが詩篇の中で述べている「[エホバ]のおきて」からは、自由を告げる喜びの音が響いてきます。文字に書かれたこの律法を初めて与えられたのは、自分たちの神エホバの力によって紀元前十六世紀の強国エジプトの束縛から解放された人々です。それは解放された国民の律法でした。千五百年以上後に、この国民のひとりが、ともに神を崇拝する仲間に手紙を送り、自由の律法の下にとどまることをすすめて次のように書きました。この人は自分の自由を認識していたのです。「自由の律法によってさばかれるべき者らしく語り、かつ行いなさい」。(ヤコブ、二ノ一二)*一七七六年七月八日、当時、英国の植民地であったペンシルバニア州フィラデルフィアの州会議事堂(今はインデペンデンス・ホール)の塔で、重さ二千ポンドの鐘が打ち鳴
[18]らされました。神の昔の律法から写した、自由をふれる叫びがその鐘に刻まれていることを知る人は、当時少なかったかもしれません。それはどんな句ですか。
25いま公けに陳列されているこの有名な鐘を見る人は、刻まれた次の句を読むことができます。「国中の一切(すべて)の人民(たみ)に自由を宣(ふれ)しめすべし」-レビ記二五ノ一〇」。大英帝国の植民地支配からの独立を宣言した、喜びの新国家にとって、このような句を刻んだ鐘を打ち鳴らすのは、きわめてふさわしいことだったでしょう。四日前の一七七六年七月四日、第二回大陸議会は、最終的に書きあげられた独立宣言を採決して、北アメリカ十三州の植民地が自由な独立の州であることを宣言し、大英帝国との結びつきを否認しました。しかし自由の鐘に刻まれた、心をおどらすこのことばは、解放れた、神のむかしの民に元来、適用されたものです。それは五十年目ごとの行事であるヨベルに適用されました。ヨベルの律法は千九百年前に効力を失いましたが、自由を告げるそのことばには預言的意味があり、そのことばは北アメリカ大陸のみならず、全地の大陸と島々に住む人にまもなく適用されます。ヨベルは、死物と化した単なる昔の事柄ではありません。
26では、中東の小さな国のみならず全地のすべての人に、自由が告げ知らされるのはいつのことですか。神はいつそのようなことを行なわせますか。被造物の人間がひとり残らずその中におかれ、その中で苦しんでいる奴隷の状態と束縛をいやというほど知るわたしたちは、この問いに深い関心を覚
[19]えます。ヨベルの律法が初めて与えられた時のことを振り返ってごらんなさい。それは古代エジプトの「奴隷の家」から神がご自身の選民を解放された翌年のことでした。神は預言者モーセを用いて彼らをシナイ半島に導き入れ、シナイ即ちホレブ山のふもとに至らせました。そこにおいて、神はご自身で石の板に刻まれた十戒と、それに関連した多くの律法の一体系を彼らに授けられました。彼らがいつまでも荒野にいて、水とマナで奇跡的に生きて行くことは、神の目的ではなかったのです。そこは国中の人に自由をふれしめるべき土地ではありません。その地に滞在するのは一時的なことです。神が預言者モーセを用いて彼らを導かれていた、目ざす土地は、敬虔な先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると神が約束された、「乳と蜜の流れる地」でした。(出エジプト記三三ノ一-三。一九ノ一から二〇ノ二一。四〇ノ一-三八)それで神は、約束の地にはいって後に初めて適用される多くの律法を神の民に与えられました。ヨベルの律法が与えられたの時の神のことばは、とくにその事実にふれています。
27「わたしが与える地に、あなたがはいったときは、その地にも、[エホバ]に向かって安息を守らせなければならない。六年の間あなたは畑に種をまき、また六年の間ぶどう畑の枝をを刈り込み、その実を集めることができる。しかし、七年目には、地に全き休みの安息を与えなければならない。これは[エホバ]に向かって守る安息である。あなたは畑に種をまいてはならない。また、ぶどう畑の枝を刈り込んではならない……
28「あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。その五十年目を聖別
[20]して国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。この年はあなたがたにはヨベルの年であって、あなたがたは、おのおのその所有の地に帰り、おのおのその家族に帰らなければならない。その五十年目はあなたがたにはヨベルの年である。種をまいてはならない。また自然に生えたものは刈り取ってならない。手入れをしないで結んだぶどうの実は摘んではならない。この年はヨベルの年であって、あなたがたに聖であるからである」--レビ、二五ノ一-一二[新世訳]
29「乳と蜜の流れる地」に住む、解放された神の民すべてがヨベルの年ごとに享受することになっていた「自由」は、どんなものでしたか。それは負債および同国人のある者への隷属から解放されることでした。ヨベルの年は、永久に手離してはならない財産を失った家族に、それを返す時でした。
[21]国民の一員で負債に陥った者がそれを支払うために自分あるいは家族の者の身売りによって同国人のある者の奴隷になったとすれば、その人も、売られた家族の者も、ヨベルの年には負債を許されて自由の身となり、すべての権利を持つ公民として自由の生活をふたたび始めるだけのものを与えられました。(レビ、二五ノ三九-四三、五三、五四)ヨベルは自由を回復することを意味したのです。その目的は自由人から成る国民を保存することでした。
30もし人、すなわち一家の主人が世襲財産である畑また城壁のない町の家をやむなく売ったならば、買いもどす権利がヨベルの年までその人にありました。その期間中に当人も親族の者も買いもどせなかった場合、それはヨベルの年まで買い主の手にあることになります。「ヨベルにはもどされて、その人はその所有の地に帰ることができるであろう」。これは「このヨベルの年には、おのおのその所有の地に帰らなければならない」という定めに一致します。(レビ、二五ノ一三-三一)このようにして、抜け出ることのできない困窮に家
[22]族が落ち込むことはありませんでした。どの家族も面目を保ち、尊敬されなければなりません。それで貧困のために世襲財産を失った家族は、ヨベルの年に自分のものを取りもどし、財産のある家族として新たな生活を始めることができました。偉大な立法者はこのことを次のように言われました。「あなたがたのうちに貧しくなる者はいないであろう。あなたの神エホバが嗣業(しぎょう)としてあなたに賜わる地において、エホバは必ずあなたを祝福されるからである」--申命記一五ノ四、新世訳。
31しかし実際に国の中に貧しい者がいなくなるためには、偉大な立法者エホバ神に人々が従順でなければなりません。人々がエホバの律法を守らなため、あるいは周囲の事情のために国の中にはいつも貧困が見られることでしょう。エホバ神はそのことを予見され、神の民にむかってさらに次のように言われました。「わたしは命じて言う『あなたは必ず国のうちにいるあなたの兄弟の乏しい者と、貧しい者とに手を開かなければならない』」。(申命記一五ノ一一)それで千五百年後、この国民の貧しい人々の恩人となった人は、死の近いことに言及してこのことばの一部を引用し、次のように述べています。「貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」。(マタイ、二六ノ八、一一)その当時、外国であるローマ帝国の圧政下におかれていたため、ヨベルの年の律法を行なうことは不可能でした。
32昔の神の民に与えられたヨベルの年の律法は、賢明な、愛の律法です。それにより神から与えられた土地は、ヨベルの年の前に七回ある安息の年に加えて五十年目ごとに休息すなわち安息を
[23]得ることができました。他の安息の年と同じくヨベルは、「解放の年」でした。(申命記一五ノ一-九、新世訳)と血が休みを得て産出力を回復したのみならず、土地の住民も恩恵を受けました。すなわち土地を耕す労働からのみならず、負債の重荷、同国人の他の者の隷属から解放されたのです。まことにヨベルの年は解放の時でした。
33しかしヨベルの年というのはただそれだけのことでしたか。それは他の古代民族には見られない、ひとつの特色にすぎなかったのでしょうか。外部からの圧迫のために行なわれなくなったという理由で、それは一瞬にすぎなかったのでしょうか。この特異な律法の下にあった土地の住民以外には、それは意味のないものでしたか。今日の人がそれに意義を見出さず、預言的な意味を認めないとしても、エホバ神の目から見れば、安息の年とヨベルの安息を守ることには深い意義がありました。それは、エホバ神が七十年の間、土地の住民のいない荒れ地とし、人々を遠い外国の地に追放したことにも示されています。そのことが起きたのはなぜでしたか。当時の出来事を記録した霊感の書物は、その問いに答えています。「彼[バビロンの王]は剣をのがれた者たちを捕らえてバビロンへ連れ去った。彼らは彼とそのむすこたちのしもべとなり、そのことはペルシャの国の興るときにまで及んだ。こうして[預言者]エレミヤによって言われたエホバのことばは成就し、ついに土地はその安息を全うした。土地はその荒れているあいだ、安息を得、ついに七十年を満たしたのである」--歴代下、三六ノ二〇、二一、新世訳。
[24]34このように神の民がとらわれたために、昔の帝国の都バビロンから神の民を解放することが必要になりました。エホバ神は七十年の最後の年すなわち紀元前五三七年にこの解放をもたらされました。(歴代志下三六ノ二二、二三)しかし解放された人々は、自分たちの土地に住みながらも、ヨベルの律法をもはや守ることができませんでした。土地はいまやペルシャ帝国の支配下にあったからです。ではヨベルの律法は無駄になり、なんの益をももたらされずに終わったのですか。そうではありません。自由をふれ告げることを命じたこの律法には預言的な意味があり、律法を授けた神にとって、その意義は失われていません。この自由の律法を与えた神の目的は無にならなかったのです。この律法は、全能の神が今後なお実現させる事柄のひな型でした。それはどこに実現されるのですか。かつてこの律法が施行された中東の小国のみならず、すべての国、全地に実現されるのです。それはどういうことですか。エホバ神は全地の人々に自由がふれ示されるようにするということにほかなりません。
35どうしてそのことを確信できますか。そのような明るい希望をいだく、どんな確かな根拠がありますか。それは律法の与え主である神ご自身のことばです。そのことばは聖書にしるされています。西暦一世紀に小アジア、コロサイの町にあった神の崇拝者の会衆にあ
[25]てて、神の霊感による一通の手紙が書かれました。霊感を受けてそれを書いたのは、神の律法に通じていたクリスチャン使徒パウロです。パウロは西暦六〇年か六一年ごろ、イタリアのローマでこの手紙を書きました。安息日や安息の年を定めた昔の律法を守らなければならないと考える人々もいたコロサイの会衆にあてて、パウロは次のように書きました。「あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭りや新月や安息日などについて、だれにも批判されてはならない。これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある」。(コロサイ、二ノ一六、一七)ゆえにアラビアのシナイ山で与えられた昔の律法の事柄は、きたるべき実体の影であり、律法の示した影は、きたるべき大いなる事柄の真実で正確な型を示していました。それは大きな希望を生みました。
36影がその道を進んで実体つまり実質のあるものに到達する時、影は消滅します。それはいつのことですか。それは昔から約束されていた者、真のキリストすなわちメシヤが現れる時です。しかし使徒パウロがコロサイのクリスチャンに手紙を送ったのは、イエス・キリストがすでに地に来られ、人間としての地上のわざを終えて天にもどられたのちです。それでコロサイにいた追随者の会衆はクリスチャンと呼ばれました。霊感による聖書が預言していた真実のキリストすなわちメシヤは、西暦二九年に現れ、西暦三三年には人間としてのご自分のわざを完成しました。ゆえに昔の律法の下にあった人々が、新月すなわち陰暦の最初の日や月々守り、また週の安息、贖いの日の安息、七年目ごとの土地の安息、五十年目ごとの土地また人のヨベルの安息を問わず安息を守って、影とも言うべき仕事をするのをやめる時が来ていたのです。
37ヨベルの年に預言的な意味があることをさらに示す霊感の証拠は、クリスチャンになったヘブル人に送られた手紙の中にあります。それは預言者モーセの兄弟アロンの家の者がなった祭司について次のように述べています。「彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎな
[26]い。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、『山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい』と言われたのである。ところがキリストは、はるかにまさった契約の仲保者となられたことによる。いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているのもではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである」--ヘブル、八ノ五、六。一〇ノ一
38これらの祭司や動物の犠牲が廃止されてから何世紀もたちました。西暦七〇年以来、エルサレムのモリア山上にはユダヤ人の宮も祭壇もないからです。しかしそれらのものは必要ではなくなりました。キリストがすでに来られたからです。それで神は、ひな型であった地上の宮と、そこでささげられた犠牲と祭りを廃止されました。これらのものはひな型であって影にすぎず、神の定めの時に実体に道をゆずりました。そこでヨベルの年と、その時、国中に自由をふれ示したことは、「きたるべき良いことの影」でした。
39人類はいま多くの束縛につながれ、おさえつけられていますが、ヨベルの年によって予表され
[27]ていた実態すなわち全地において全人類に自由のふれ示される時が急速に近づいています。地球上至るところに見られる事態また世界情勢に照らしてみる時、ヨベルの年にもたらされたような解放が早くもたらされることは、緊急に必要でありましょう。機が熟するのは近い将来でなければなりません。文字にしるされた神のことばは、その時が近い将来に定められていることを示しています。西暦二十世紀にはいってから、すでに多くの年月がたちました。人間が創造され、今日の西南アジアに存在した楽園におかれたのは、西暦期限の始まる何年ぐらい前のことですか。人間創造の確実な記録を伝える聖書には、人間創造にまでさかのぼれる年代記がしるされています。聖書のこの年代記は、神の民がバビロンから解放された年を起点として昔にさかのぼっています。それはペルシャのクロス大王の第一年です。--歴代下三六ノ二二、二三。エズラ、一ノ一-四。
40それで聖書の年代の記録と世界史の年代とを合わせると、今日までの時を計ることができます。そうすると、人類生存の六千年が終わりに近づき、七番目の千年区分が始まろうとしていることが明らかになります。人間創造の年は普通、世界紀元(Anno Mundi)と呼ばれ、A.M.と略されます。さて多くの人に親しまれている欽定訳すなわちジェームズ王訳聖書の引照付きのものを見ると、人間創造の年は紀元前四〇〇四年です。これはアイルランド英国教会の高位聖職者であった著名なジェームス・アッシャー大司教(一五八一-一六五六)が行なった聖書の年代記計算によるもの
[28]です。これに従えば、そしてこの年数に千九百九十六年を加えると、合わせて六千年になります。すると、人類生存の第七の区分は、西暦一九九七年に始まることになります。*
41アッシャーの時代以来、聖書の年代記の徹底的研究が行なわれてきました。この二十世紀においては、キリスト教国の伝統的な年代計算に盲目的に従わない、独自の研究が行なわれ、この研究の
______
*D・ブリッジャー、S・ウォウク共編新ユダヤ百科事典(1962年)九一頁「ユダヤ人の年代記」の項に次のことが出ています。「天地創造の時を数えることがいつ始まったかは、つまびらかでない。一説によればそれは西暦二世紀のことである。ユダヤ人の年代と一般の年代とでは三、七六〇年の開きがある。この数字を現行の年代に加えると、ユダヤ歴の年が出る。例えば西暦一九六〇年はユダヤ歴の五、七二〇年にあたる。ユダヤ人の年代記においては、元年以前を b.c.e.(before common era)、元年以後を c.e.(common era)と呼ぶのがならわしである」。
このユダヤ人の年代計算によれば、人間創造の年は紀元前三七六〇年になります。しかしユダヤ人の年代学者は、新約聖書あるいはクリスチャン・ギリシャ語聖書と呼ばれる聖書の最後の二十七冊、たとえば使徒行伝十三章二十、二十一節を年代計算の資料に用いていません。--一九五八年五月号「ものみの塔」(英文)二九七-三〇〇頁「ユダヤ人の時の数え方はなぜ違うか」をごらんください。
好[:考]古学協会員、文学博士アダム・クラークによる「解説および批評」つき聖書(一八三六年)第一巻四一頁によれば、人間創造の年は「世界紀元元年、紀元前四〇〇四年」となっています。
アメリカ、メリーランド州ボルティモアの大司教ジェームズ・ギボンズ枢機卿認可のドウェイ訳聖書マーフィ版創世記一章一節の中に、「世界紀元元年、キリスト前四〇〇四年」としるされています。
J・N・ダービーのラ・セイント・ビブル、フランス語新版聖書(一九四〇年)には、アダムの創造からメ
[29]成果である年表が出版されています。その年表によれば、人間創造の年は四〇二六年です。¥信頼できるこの聖書年代表に従って言えば、人間歴史の第七の千年区分は、西暦一九七五年の秋にはじまります。
42それで人間が地球上に存在するようになって以来六千年になるのは、近い将来、すなわちこの時代のうちのことです。詩篇九十篇一、二節のことばにあるとおり、エホバ神は無窮です。「エホバよ、あなたは世々わたしたちのまことの住みかとなってこられました。山が生まれず、あなたがあたかも産みの苦しみのような苦しみをもって地と肥えた土地を産み出さないうち、定めのない時から定めのない時まであなたは神です」。(新世訳)すると、過ぎ去ろうとしている人間存在の六千年間も、エホバ神の見地からは一日二十四時間の六日に相当するにすぎません。同じ詩篇のことば(三、四節)は次のようにつづいてます。「あなたは人をちりに帰らせて言われます、『人の子よ、帰れ』と。あなたの目のの前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです」。ゆえにこの時代のうちに、そして多くの年を経ないうちに、わたしたちは、エホバ神の目から見て人間存在の第七日にあたる日を迎えることになります。
______
シヤ(キリスト)誕生までを四千年とする年代計算資料が載せられています。一六一二年、プロシャに生まれ、一六八六年に死んだドイツ、ルーテル派の牧師アブラハム・カロビアス(カロフ)の説もこれと一致しています。一八六二年、スウェーデン、ルンドで出版されたスウェーデン語ビブリア、Thet ar All then Heliga Skrift pa Swensko(一二一-一二八頁)をごらんください。これはアッシャーの年代と四年の開きがあります。
¥ペンシルバニヤの ものみの塔聖書冊子協会発行「聖書はすべて霊感によるものにして益あり」(英文)(一九六三年)のうち「出来事の時を時間の流れの中に定める」と題する章の二九二頁、「主要な歴史的日付の表」をごらんください。
[30] 43エホバ神が此の第七の千年期を解放の安息の期間とし、全地の住民に自由をふれ示すための、大いなるヨベルの安息にされるのは、全く適切なことではありませんか。それは人類にとって全く時宜を得たことです。それはまた神にとってとっても全くふさわしいことでありましょう。忘れてならないことに、人類の創造には、聖書巻末の本にも述べられているようにイエス・キリストが千年のあいだ地を治める、キリストの千年統治があるからです。十九世紀前、地におられた時、イエス・キリストはご自身について預言的に「人の子は安息日の主である」と言われました。(マタイ、一二ノ八)「安息日の主」イエス・キリストの支配が人間生存の第七の千年期と時を同じくしていることは、単なる偶然ではなく、エホバ神の愛の目的によるのです。
41神の言の律法に定められていたヨベルの年は、「きたるべき良いことの影」でした。それが予表していた実体は、苦しんでいる被造物、人間すべての益のために、必ず来なければなりません。それがもたらされる祝福の時は、急速に近づいています。まもなく、この時代のうちに、神の力によって象徴的なラッパが吹き鳴らされ、「国中のすべての住民に自由」がふれ示されるでしょう。(レビ、二五ノ八-一〇)神はその必要を予見され、預言者モーセを経て与えられた神の昔の律法の中にそれが予表されるように取り計らわれました。きたるべき世界的な大いなるヨベルの年が神の律法の中にそれが予表されていたことは、それが栄光のうちに全く実現するための完全な法的基礎となっています。したがって、人間の手によらず全能の神によって、被造物の人間がなお解放される十分の理由があるのです。長い間待たれたその時は近づいています!
何千年の間人間は、被造物である人類一般がつながれている束縛からの解放を求めて来ました。事情をわきまえてこの解放を求めた人は少数です。なんとしても必要なこの解放の、確固たる基礎について知るようになった比較的に少数の人は幸いです。被造物である我々人間の解放を目指してとられた歴史的な段階を理知的に見た人々の中に、千九百年前の、一人の自由の闘士がいます。自由に関するその書きものは今日まで伝えられており、何百万の読者の中には大きな自由を得た人が多く出ました。最も貴重な自由である崇拝の自由すなわち信教の自由のために戦ったこの人は、そのために長い間獄につながれました。その貴重な手紙の中には獄中で書かれたものが少なくありません。
2したがって彼は多くの論議をかもした人物であり、彼を殺そうとした者をも含めて多くの敵がいました。彼は全ての人に愛されたのではありません。今でさえその名を聞くと、敵意や侮りの[37]気持ちを抱く人がいます。小アジア、タルソの町のサウロがその人物です。エルサレムの若い法律学徒であったサウロは、エルサレムにおいて次のことばを公に述べた人の追随者となりました。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あたなたがたは、本当に私の弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あたながたに自由を得させるであろう」。*この人の弟子になったことがタルソのサウロに転機をもたらし、彼は唯一の生けるまことの神を崇拝する自由を擁護して戦った著名な闘士のひとりになりました。名前が変わって彼は使徒パウロとして知られるようになり、非ユダヤ人とユダヤ人の両方、ギリシャ人すなわち異邦人とユダヤ人の両方につかわされました。このような使徒として、彼は宗教上の自由に関するすぐれた手紙を書きました。キリスト教を奉じていない人でも、これらの手紙から非常に大きな益を得る事でしょう。
3西暦一世紀のイタリア、ローマにあった同じ弟子達の会衆にあてて、使徒パウロは手紙を書き送りました。その手紙の一部を考慮することにしましょう。クリスチャンの信仰のゆえに自分の受けた苦しみについて述べたあと、パウロは自分の前途にある明るい希望のみならず、被造物であるわれわれ全人類にとって慰めとなる希望を語っています。自由を愛した使徒パウロは、第八章の十八節から二十四節までにわたって次のように書きました。
4「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。なぜな
______
*聖書のヨハネによる福音書八章三十一、三十二節をごらんください。
[38]ら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、私たちは知っている。それだけではなく、御霊の最初の実をもっているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。わたしたちは、この望みによって救われているのである」-ローマ、八ノ十八-二十四。
5霊感によってこのことばが書かれたのちでさえ、多くの面で人間をとらえている束縛から自由になろうとして人間が試みた努力は失敗し、無駄に終わってきました。それで、「被造物が虚無に服した」と述べている使徒パウロのことばに、同意せざるを得ません。そのことのゆえに、使徒パウロのことばどおり、「被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けている」のです。しかし男も女もわたしたちがこの状態に生まれついているのは、わたしたちがそれを望んだからではありません。「被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく」と使徒パウロが述べているように、それはわたしたちの意志によるのではありません。では、被造物であるわたしたち人間はだれ、あるいは何によってむなしい努力を余儀なくされたのですか。
6この虚無に服することは、「服従させたかたによる」、すなわち創造者ご自身によると、使徒パウロは述べています。そう言われると、創造者が被造物の人間に不公正なことをしたように思われます。しかしそうではありません。なぜそう言えますか。
[39]7創造者が最初のふたりの人間を造られた時、人間は不完全な者、病む者、とが、あるいは罪のあるものではありませんでした。人間は死に定められていなかったのです。それで将来に当然受けるべきものを、死のために受けることができないような状態に置かれていませんでした。愛の創造者のほめるべきものを、死のために受けることができないような状態に置かれていませんでした。愛の創造者のほめるべきみ手のわざを示す最初の男と女は、完全に造られていました。神が人間を創造されたのは創造の第6日の終わり頃であり、これをもって地球に関する創造の六日間は栄光のうちに終わりました。「神が造ったすべての物をみられたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である」と、創世記一章三十一節にしるされています。人間の創造者について預言者モーセは霊感の下に申命記三十二章四節の次の言葉を書きました。「主は岩であって、そのみわざは全く、その道はみな正しい。主は真実なる神であって、偽りなく、義であって、正である」。ゆえに完全なみわざを行われる神が、その造られた男と女を、「はなはだ良」いと言われたとすれば、二人は人間として完全であったにちがいありません。人間は神のみ手の完全なわざです。
8言うまでもなく、最初の男と女は、神がそれ以前に造られた宇宙の法則、太陽、月、星の運行の影響および自然界の他の力に支配されていました。しかし宇宙のこの全ての営みの中で人間は自由であり、幸福でした。人間である以上、二人はからだの要求を満たすこと、つまり天の父である創造者の備えられた食物を食べる必要があります。しかしこのような要求にこたえるのは、束縛を受けることではありません。むしろ食べることにより、人間は飢えて死の束縛につながれるのを免れることができました。(創世記一ノ二十九、三十)完全な被造物であった人間は、からだの病気、[40]心の病気、悪い欲望、肉体の堕落に支配されることなく、不完全なもの、よこしまなものに神が下す罪の宣告の下にもありませんでした。このようにして最初の人間は、今日のわたしたちにはない自由を享受していたのです。彼らは神の地上の子であり、「神の子たちの栄光の自由」を知り、それを享受していました。-ローマ、八ノ二一。
9人間の創造者は人間の前途にむなしいもの、到達できない目的、空虚なものを設けず、実現可能のすばらしい目標をおかれました。また地上の他の生物を人間の支配下におくことをされました。このような目的のために創造者が人間に与えられたものは、のろいや罪の宣告ではなくて祝福でした。創世記一章二十六節から二十八節にある創造の記録は次のように述べています。「神はまた言われた、『われわれのかたちにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう』。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地にみちよ、地を従わせよ。また海の魚と空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』」。海の魚、爬虫類と鳥と昆虫を含んでいた空の生物、地球上の他の生物を拝んだり、崇拝したりすることは命ぜられていません。完全な男女はこれらの低い被造物を治めることを命ぜられました。
10地上の最も高等な創造物である人間は、すばらしい栄光の自由を享受していました。人が「神のかたち」に造られ、神が自由の神である事を思えばそれは当然です。今日、偶像崇拝に傾く人[41]々は自由の理念を偶像化して、彼らが「自由の女神」と呼ぶもののことを誇らしげに語ります。しかし民主主義の発祥地ギリシャのクリスチャン会衆に送られた使徒パウロの手紙は、人間の創造者について次のことを述べています。「さてエホバは霊である。そしてエホバの霊のあるところには自由がある」。(コリント第二、三ノ一七、新世訳)自由な父エホバ神の子としての最初の男と女は、自由の子であったと言えるでしょう。天の父エホバ神は、隷属の子の父です。使徒パウロがガラテヤとローマの会衆に書き送った次のことばはは、この事実を裏付けています。
11「このように、あたながたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、『アバ、父よ』と呼ぶ御子[イエス・キリスト]の霊を送って下さったのである。したがって、あたながたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である」(ガラテヤ、四ノ六、七)「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる」-ローマ、八ノ一四-一六。
12ほとんど六千年前に宣言された、人類に対する神の目的によれば、全地は神の子たちの栄光の自由の領域となるはずでした。最初の男と女を祝福して、生めよ、ふえよ、地に満てよと言われた、創造者なる神のことばが意味していたのは、そのことにほかなりません。最初の二人の人間がもとになって、全地は神の自由の子たちで満たされるはずでした。神は最初の男と女の胎を祝福するこ[41]とを目的とされました。彼女はみずから大ぜいのむすこ、娘の母となり、遂には、地に満ちた、完全な、神に似るむすこ、娘たちの曾祖母となったことでしょう。百三十歳になっても、彼女は子供を生む事ができたにちがいありません。(創世記四ノ二五)みずから神の自由の子であった彼らは、自由な神のかたち、自由の神のさまに似た、神の自由の孫たちを生み出したことでしょう。最初の男と女に関する神のこのみこころは、神の祝福の下に実現可能でした。限りのある生命、満足のない、むなしい虚無の生活は人間の前におかれていなかったのです。彼らは自分たちに対する神のみこころを、神の定めの時、すなわち疑いなく神の創造の第七日の中に成就することを当然に期待できました。この目的をもって創造者は、創造の第七日を祝福されました。創造の記録は次のことをしるしています。
13「こうして天と地とその万象が完成した。第七日までに神はその造られたわざを終えられ、第七日にはその造られたすべてのわざを終えて休まれた。神は第七日を祝福され、それを聖なる者とされた。神は造る目的をもって創造されたすべてのわざを終えて、その日に休みにはいられたからである。これはエホバ神が地と天を造られた日に天と地の創造された由来である」-創世記二ノ一-四、新世訳。
14では人間が栄光の自由のうちに完全な出発をしたにもかかわらず、「真実の神」は被造物の人間を「虚無」に服させることをなぜ良しとされたのですか。「偽りなく、義であって、正である」神が、このようなことをされるのは、わたしたちと先祖に対して不公正な仕打ちではありませんか。神のことばは、その理由をはっきり述べています。
[43]15同じく創造の第六日に創造されたにしても、男と女は同じ二十四時間の日に造られたのではありません。男つまり聖書のヘブル語でアーダームが先に造られました。聖書に即したこの事実は千九百年前に受け入れられていました。使徒パウロは補佐のテモテに書き送った手紙の中、「アダムがさきに造られ、それからエバが造られた」と述べています。(テモテ第一、二ノ一三)同じく今日のわたしたちも、疑問をさしはさむ余地のないこの事実を認めます。それは神の創造の記録の第二章に次のようにしるされています。
16「エホバ神は土の塵から人[アーダーム]を造り、その鼻に生命の息を入れられた。すると人[アーダーム]は生きた魂となった。エホバ神はエデンの東のほうに園を設け、その造られた人[アーダーム]をそこに置かれた。こうしてエホバ神は見るにうるわしく食べるによいあらゆる木を地から生えさせ、園の中央に生命の木および善悪を知る木を生えさせられた」-創世記二ノ七-九。
17さて神は土の塵から男を創造し、ついて同じ土から女を創造して、両者を関係なく別々に創造されましたか。ひとりの創造者エホバ神を共通の父として、同じ土から造られたということを別にすれば、両者の間に血のつながりがありませんでしたか。それは創造の第六日の初めごろ、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」と言われたあと、エホバ神が陸上の下等動物を造られた方法であったかもしれません(創世記一ノ[44]二四、二五)しかし創造者が男と女を造られた方法はそれとは異なっていました。人間は地上の他の低い生物とは別の、異なった被造物です。では神はどのようにされましたか。つづきを読んでみましょう。 18「エホバ神は人[アーダーム]をとってエデンの園におき、これを耕させ、治めさせられた。また人に次の命令を与えて言われた。『園にあるどの木の実も意のままに食べてよい。しかし善悪を知る木の実は食べてはならない。それを食べる日にあなたは必ず死ぬ』」-新世訳。
19創世記二章十五節から十七節のこの句の中には、ふえて多くの子孫で地を満たすことをアダムに命じたことばはありません。神がアダムにそのことを命ずる時期はまだ来ていなかったのです。アダムは奴隷の働きをするのではなく、神から任命された働き人としてエホバ神のために「[園を]耕(し)、治め」ることになっていました。アダムは、「善悪を知る木の実」を除いては、エデンの園のあらゆる木の実を食料にすることができました。一本の木の実を食べることを禁ずるのはこの園を創造して所有する神の当然の権利です。「善悪を知る木」の禁断の実を食べて神にそむくなら、アダムは生命を失います。そのことを警告するのは、被造物である人間アダムに生命を与え、いつまでも地上に生きるように、食物となる植物をすべて備えられた神の権利です。
20神のこの律法は独裁的なものではありません。それは人間を奴隷にするものではなく、地上で生命を享受する自由を人間から奪うものではありませんでした。しかも地上の人間として永遠に幸[45]福に生きるのに必要なすべての物が備えられていたのです。いつまでも幸福に生きるために、禁断の木の実を食べることが必要だったのではありません。そのうえ、食べるか食べないかは全く自由であり、完全な選択の自由がありました。人間は、自分の意志や選択とは無関係に事を行う機械人形ではなく、”倫理的に自由な行為者”として行動することを許されていました。
21人(アーダーム)が人間の伴侶を求める前に、創造者である神は人にとって何が良いことかをご存じでした。もちろん、人が伴侶をもつならば、善と悪、神への従順と不従順、永遠の生命と永遠の死のいずれかの方向に感化を受けるでしょう。しかし「真実なる神」がアダムに伴侶を与えられたのは、アダムの益のためであり、従順と永遠の生命を目指してのこのとであったにちがいありません。創造の記録はそのことを明らかにしており、創世記二章十八節はこう述べています。「エホバ神は言われた、『人[アーダーム]がひとりでいるのは良くない。わたしは彼にかなう助け手を彼のために造ろう』」-新世訳。
22神が新しいもの、女を創造する前に、人は自分にかなう伴侶が低い動物の中にいるかどうかは自由にみきわめることができました。神は、人が多くの時間をかけて動物の間に伴侶を探して歩く必要がないように、地のさまざまな獣と空の鳥をアダムのもとに連れてこられました。神はこれらの生物に名前をつける自由をアダムに与えられました。人は恐れをいだくことなく、動物と親しみ、動物[46]に名前をつけたにすぎません。しかし人間にかなう伴侶は動物の中には見あたりませんでした。地上でたたひとりの人間であったアダムは低い動物を崇拝せず、創造者である自分の神をいつも崇拝しました。動物崇拝を禁ずる神の戒めは必要ありません。人間に与えられていた唯一の律法は禁断の木の実に関する律法でした。-創世記二ノ十九、二十。
23人がその自由を十分に行使し、自分の伴侶また助け手として低い生物のどれをも拒絶してのちに、神は次のことを行われました。「そこでエホバ神は人を深く眠らせ、その眠っている間にあばら骨の一つをとって、そのうえの肉をふさがれた。そして[47]エホバ神は人からとったあばら骨を女に造りあげ、これを人のところに連れてこられた。そのとき人は言った。『これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉である。この者は男[イーシュ]からとられたゆえに、女[イッシャー]と呼ばれるであろう』」-創世記二ノ二一~二三、新世訳。
24このことからわかるように、神は女がどのように造られたかをアダムに告げ、女は彼の一部であって肉と骨の上で彼とつながりのあることを示されました。アダムが助けてまた伴侶としてこの女を自由に選んだことは、女を妻にした時のアダムのことばからも明白です。生涯の伴侶としてアダムがどの被造物を選ぶかを見るため、神がアダムのところに連れてこられた被造物の中で、彼女は最後のものでした。また神は二人が子供を持ち、やがては子供たちもまた結婚することを示して、次のように言われました。「それで人[イー[48]シュ]はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」-創世記二ノ二四。マタイ、一九ノ四、五。
25人が神の手から完全な妻を与えられてのち、神はふたりを祝福し、ふえて多くなり、子孫で地を満たすことを命ぜられました。(創世記一ノ二八)こうして男がさきに造られたのであり、女が存在するようになったことは男に依存していたのです。ずっとのちの使徒パウロのことばにも、「女が男から出た」とあります。(コリント第一、一一ノ一二)女は男の一部であり、男と「一体」であったゆえに、アダムに課せられていた神の律法は、女にも適用されました。この律法を守るならば、不従順あるいは違反のために死を招くことはありません。それゆえにアダムは警告の意味でこの律法のことを妻に言い聞かせておいたのです。神の律法は、善悪を知る木の実を食べることを禁じていました。アダムは神から直接にこの律法を授けられており、それが正真正銘の真実なものであることを確信していました。この確信は後代の聖書筆者のふたりのことばに表現されています。「エホバの裁きは真実である」。(詩編一九ノ九、新世訳。)「エホバよ、あなたは近くにいられます。あなたのすべての戒めはまことです」-詩編一一九ノ一五一、新世訳。
26夫から告げられたことの真実を女が疑う理由は少しもありません。ことに夫が神から告げられた事柄を聞かされたのであれば、なおのことです。しかも彼女もまた倫理的に自由な行為者であ[49]り、選択の自由を与えられていました。夫のことばの真偽を最初に問題にしたのは彼女ではありません。それをしたのはひとりの、そしる者でした。このそしる者すなわち悪魔は、どう見ても、用心深い、下等動物のへびにしか見えませんでした。いかにも知らないふりをしたへびは、善悪を知る木の実を食べることを禁じた神の律法と、それを破った時の罰について、聞かされていたとおりのことを述べたとき、へびは神のことばにまっこうからさからうことを述べました。「あなたがたの目が必ず開け、また必ず神のようになって善悪を知ることを、神はご存じなのです」。(創世記三ノ一-五、新世訳)なんという、そしる者なのでしょう!
27へびは恐れからの解放者として現れました。そのために女は、神が彼女の上にふりかざしている死の恐れから自由になる必要を感じました。そして善悪をしる木に対して夫とは違った見方をするようになったのです。その木は望ましいものに見えました。彼女は新しい悟りに目を開くことをを望んだではありませんか。神のようになり、善悪を知ることを望んだではありませんか。彼女はいまや盲目と無知の束縛につながれているように感じ、自由になることを望みました。夫の律法の下におかれていることはもはやがまんできません。彼女は倫理的に自由な行為者として自主的に行動し、自分と夫のことを決めるのです。神の禁令は疑わしいものです。明らかにそれは神の利己主義をかくし、人間を低い、劣った地位にとどめて神の優越性を保持するためのものに相違ありません。彼女にとって、神の律法を破ることはもはや死を意味するものではなくなりました。そこで女は禁断の木の実を食べ、そしてアダムが来るのを待ちました。
[50]28夫のために取った実を手渡した彼女は、夫を説き伏せてそれを食べさせました。のちにアダムに告げられたことばは、アダムが妻のことばに従ったことを思い起こさせています。「あなた(は)妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べた」。(創世記三ノ一七)こうして最初の人は、天の父である神の言葉よりも妻のことばに従いました。生まれるはずの子孫は言うまでもなく自分にとってそれが死を意味することを確かに知っていたにもかかわらず、そうしたのです。彼の妻は惑わされたにしても、アダムは惑わされたのではありません。霊感を受けた使徒パウロのことばはこの事実を裏付けています。「アダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した」。(テモテ第一、二ノ一四)「エバがへびの悪巧みで誘惑された」。(コリント第二、一一ノ三)善悪を知る木から取って食べるこを禁じた神の律法の背後にどんな理由があったにしても神をそしったへびはまちがっていました。へびのことばによれば、神はご自身の律法を施工することができず、この律法を破る者に死刑をもって望むことが出来ないことになります。目が開け、善悪を知ることにおいて神のようになったとしても、律法を破った事実は変わりません。エバには及ばなかったとしても、アダムはそのことを知っていました。
29そしったへび、つまりへびの背後にいた見えない者は別として、人類の世に死をもたらしたのは、人間の立場からすれば、だれの責任ですか。自由を行使して正しい選択をしたならば、アダムは死が私たちに及ぶのをふせぐことができたはずです。それでローマ人への手紙五章十二節から十九節に次のことばが見られます。「ひとりの人によって、罪がこの世に入り、また罪によって死が入ってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだ[51]のである・・・・・・アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった・・・・・・ひとりの罪過のために多くの人が死んだ・・・・・・ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至った・・・・・・ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められた・・・・・・ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされた・・・・・・」。このように、文字にしるされた神ご自身のことばは、罪、違反、罪過をひとりの人アダムに帰しています。アダムの行った悪に対して、創造者の神を責めることはできません。
30このようにして最初の人間アダムは自分自身の自由及びアダムを始祖とする全人類の自由を失いました。アダムは自分を、そして私たちを奴隷の境遇に売り渡したのです。アダムは妻のことばに聞き、違反者となった彼女の気にいるようにふるまうことから利己的な満足を得るために、自分を罪の下に売り渡しました。彼は死という価を払わなければなりません。神の律法のかわりに罪の律法がアダムのからだを支配しはじめました。アダムの子孫である使徒パウロが、ローマ人への手紙の中で次のように書いたのも、じゅうぶんにいわれのあることです。
31「わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。・・・・・・私の内に、すなわち、わたしの肉の内にには、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である・・・・・・わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心[52]の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか・・・・・・わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである」-ローマ、七の一四-二五。
32聖書が明白にしているとおり、こうして人類は違反と死につながれました。全能の神エホバは、はじめ完全な人間であったアダムに対してご自身の律法を施行し、死に相当する罪人としてアダムに死を宣告しなければなりません。造られてはじめて存在するようになったアダムは、罪の罰としての無に帰ります。神はアダムに宣告を下してこう言われました。「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る。あなたは[天からではなく]土から取られたのだから、あなたは、[霊ではなく]ちりだから、ちりに帰る」。
33神はこの宣告を執行して、エデンの楽園から人間アダムを追い出されました。神のことばにあるとおり、それはアダムが「手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」からです。死ぬべき者となってエデンの園を終われてのち、人間は霊界の被造物が現れたのを初めてみました。ケルビムが目に見える形になって表れたのです。聖書はそのことをしるしています。「神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた」-創世記三ノ一七-二四。
34こすいてエデンの園の外におけるアダムの生活は空虚なものとなります。アダムから生まれ[53]ようとしていた人類は、いわば、アダムの腰にまだあったゆえに、「自分の意志によるのではなく」て虚無に服することになりました。「命の木」が生えていた元のエデンの園あるいはエデンの園をひな型とする地上の楽園にもどる道を開くことは、被造物である人間がどんなに試みても不可能でした。同様に、被造物である人間のだれが何を試みても、神の良い目的に反することは成功しません。それは失敗し、むなしくなるでしょう。エルサレムの賢い王ソロモンが霊感によって書いた伝道の書(「集合者」)は「空」ということばを三十五回以上使い、虚無、挫折、人間の努力のむなしさについて多くを伸べています。この主題は第一章の冒頭において次のように書き出されています。
35「伝道者は言う、空の空、[神のみこころを行うことを別にしては]いっさい空である。伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねをおらせられる苦しい仕事である。わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって、風を捕らえるようである」-伝道の書一ノ二、十二-十四。また十二ノ八。
36集合者ソロモン王は結論として、健全な助言を与えています。「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」-伝道の書十二ノ十三。
37アダムとエバが神の律法を破って罪人となった日の二十四時間のうちに二人の生命をとっても、それは神の権利に属することでありましょう。その場合、人類は今日まで存続しないはずであ[54]り、私たちも生を享けることはなかったと言えます。しかし合いと知恵の神はそのようにされませんでした。神は人類が存続し、ふえることを良いとみられたのです。しかしみずからの利己的な目的や企てに関する限り、人間が挫折、むなしさ、虚無を味わうようにされました。神の律法に違反したエバに告げられた神のことばは、そのことを示しています。「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、かれはあなたを治めるであろう」(創世記三ノ十六)エバは、神の命令を破って禁断の木の実を食べるように夫を説き伏せました。しかしこうして夫を治めようとした彼女の試みは失敗します。人間の家庭生活を治める神の秩序ととりきめを変えようとした彼女の企ては祝福されず、成功しませんでした。たとえ神の律法を破っても彼女をしたうように、彼女は夫にしむけました。しかし今度は夫の支配を受けながらも夫をしたうようになるのです。
38さてエバの生む多くの子供たちについて言えば、彼らを希望のない状態にとどめておくことは愛の神の目的ではありません。罪の中に生まれた子供達は、「アダムの違反と同じような罪」を犯さなかったと言えます。(ローマ、五ノ十四)彼らは立ち直ることが可能でした。そこで神は彼らが立ち直る機会を得るように道を備えられたのです。これと一致して神は、アダムとエバから出た被造物の人間を虚無に服させました。しかしれおは神の与えられた希望があってのことです。アダムとエバは神の子たちの家族の中から追われ、神の子のもつ自由を失いました。神の子たちの自由はアダムとエバのみならず、まだ生まれていなかった子孫にとっても、失われたものとなりました。神は、神の自由の子である人間が楽園の地を満たすという愛の目的を固守し、それを首尾よく[55]成就させることを決意されています。それがむなしくなることはりません。神は、アダムとエバから生まれ出た被造物の人間を束縛から解放し、人間が元来、享受するはずであった自由を回復することを目的とされました。
39使徒パウロはこのような神の愛の目的と一致することばを書きました。「被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく服従させたかたによるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである」。(ローマ、八ノ二〇、二一)では、被造物である人間を服従させるにあたって、神はこのような希望をどこで表明されましたか。それで、「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる」と言えるのはなぜですか。(ローマ八ノ一九)神は、人類の隷属に対して責めを負うべき者たちに宣告を下したとき、すなわちエデンの園において、この希望を明らかにされました。神は「望みの神」つまり「望みを賜う神」であることを示されました。-ローマ、一五ノ一三、口語訳、新世訳。
40神はアダムとエバに宣告を下すよりも前に、この希望を明らかにされました。エデンの園において神が律法違反者に望んだとき、神は、被造物、人間の隷属をもたらすためにへびをを使った、見えない者に対してまず刑罰を宣告されました。そしる者となったのはべびよりも、むしろへびをとおしてエバに字向きを語ったこの見えない者でした。そこで神は単にへびに対してというよりも、この見えない誹謗者に対して、アダムとエバにも聞こえるところで創世記三章十四、十五節のことをばを告[56]げられました。「そこでエホバ神はへびに向かって言われた。『おまえはこの事をしたゆえに、すべての家畜、野の獣のうちでのろわれたものとなる。おまえは腹ばい、一生のあいだ塵を食べるであろう、またわたしはおまえと女およびお前のすえと女のすえの間に敵意をおく。かれはお前の頭を砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう』」-新世訳。
41この判決のことばに照らしてみると、文字通りのへびの背後にいた見えない者にはなんの希望も残されていません。その時の実際のへびは、ずっと昔に死にました。それも明らかにエバの子たちのだれかにかしらを砕かれて死んだのではありません。そしてへびの類いに属する生物は今日まで繁殖を続けています。へびの類いが滅びて死に絶えることを予想する聖書的な根拠は少しもありません。(イザヤ、一一ノ八、九)十九世紀前の使徒のことばは、地上のへびの背後にいる見えない誹謗者がなお生きていたことを示しています。「平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう」。(ローマ、一六ノ二〇)ここでパウロは、エデンにおいて神から与えられた、希望をこめた約束に言及していたに違いありません。また聖書巻末の本の預言は、大誹謗者サタンがこの時代にも生きて活動しており、なお神の目的に敵対する最後の機会を今から千年後に得る事を確証しています。(黙示録一二ノ三-二〇ノ一〇)そこでこの象徴的な大いなるへびとそのすえのかしらは、なお完全に砕かれることが必要です。
42へびのかしら砕かれるとき、被造物、人間は、へびの影響によってもたらされる束縛およびへびが人類に苦痛と害を与えた悲惨な状態から遂に解放されます。だれがへびを砕くのですか、神は[57]女のすえがへびを砕くと言われました。(創世記三ノ五)それは神が考えておられた「女」によって生み出される子たちのことです。大いなる象徴的なへびのすえについても述べられていますが、それはこの悪しき者の象徴的な子たちを意味しています。使徒パウロのことばにあるとおり、神は女エバから出た人類を虚無に服させました。それでエバの罪深い子たちと子孫は、へびのかしらを砕こうとする自分たちの努力がむなしいことを知るでしょう。ゆえに女のすえは神の霊的な子たちでなければならず、女は天にある、霊的、象徴的な、神の女でなければなりません。先に引用したローマ人への手紙一六章二十節の使徒パウロのことばは、これらの神の子たちがだれであるかを示唆しています。パウロは神の霊的な子たちにそのことばを書き送っているからです。(ローマ、八ノ一六、一七、二三)それで、これらの者たちは、被造物が切なる思いで出現を待ち望んでいる「神の子たち」に相違ありません。
43これら「神の子たち」が天の栄光のうちに現れる時は近づいています。被造物である人間すべてが「共にうめき共に産みの苦しみ」をつづけるのも、あと長いことではありません。束縛された人類の、むなしい事物の制度は一掃され、神の、解放の制度が全地に確立されます。苦しむ被造物はこの制度によって、「滅びのなわめから解放され」、神の地上の子たちの「栄光の自由」にはいるのです。-ローマ、八ノ二一、二二。
神の近づく音を聞いてエデンの園の木の間に身を隠そうとした最初の男と女は、恐れにとらえられました。彼らをめあわされた愛の神を喜んで迎えないで、二人は神の声におびえました。その時までは、自然の裸の姿で二人は互い同志また神の前で当惑しませんでした。神は二人をそのように造られたのです。(創世記二ノ二五)いちぢくの葉をつづり合わせて腰をおおうものをどうにか作ったにしても、彼らはなお恐れました。それは良心のとがめを感じたためでした。神を見ることが出来ないにもかかわらず、二人は違反者また罪人として神の前に自分たちが裸であるのを感じました。彼らは、善悪を知る木の実を食べることを禁じた神の簡単な律法をあえて破ったからです。(創世記三ノ七-一三)それ以来、人間は恐れのとりこになっています。それはアダムとエバが創造者の神に愛を示さなかったからにほかなりません。神のことばには次のように述べています。
2「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、[あるいは恐れには妨げ、矯正、罰が伴い]、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。神を愛する[59]とは、すなわちその戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない」-ヨハネ第一、四ノ一八。五ノ三、[一九五〇年版、新世訳、脚注]
3こうして人類の上には暗黒がたれこめました。それをわずかばかり明るくしたのは、人類の最初の親を罪に引き入れたへびが罰せられるという神のことばでした。女を欺いて罪を犯させたへびは、女エバを自分の側に引き入れました。しかし神はいま別の「女」のことを言われました。神はこの「女」とへびの間に敵意をおきます。すなわちへびとこの「女」およびへびのすえと女のすえの間の敵意です。「彼[すなわち女のすえ]はお前のかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。(創世記三ノ一四、一五)この短い、しかも象徴的なことばは、大きな希望すなわちエデンのへびによって象徴される大欺瞞者から、とらわれの人類が解放される希望をさしのべています。これはまたエホバ神が大いなるへびとそのすえの敵となること、さらにエホバ神が人類のために勝利の解放者を立てられることを意味していました。この解放者はサタンのかしらを砕いてサタンを滅ぼします。アダムとエバの子供達は、神のエデンの約束に信仰をもつならば、大きな期待をいだいてこの解放者を待ち望むことが出来ました。
4しかしこの解放者、「女」のこのすえはだれですか。女のすえを解放者としてたてることがエホバ神によって預言されてからおよそ四千五百十七年後に、この問題は落着し、決定をみました。それに関する秘義は解かれたのです。神のエデンの約束を信じた。十九世紀前の誠実な人々はみず[60]から納得出来る。この問題の解決に達し、約束の女のすえを明らかにしました。その人々は圧倒的な証拠を目前にして、解放のすえのもっともおもだった者がだれかを知りました。エホバ神に堅い信仰をいだいたこれらの人のひとりは、中東においてみずからが調べた事柄についてこう書いています。
5「わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しくみた人々であって、御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を始めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります」-ルカ、一ノ一-四。西暦五六年から五八年ごろに書かれたことば。
6医師ルカ(ルカは調べることに習熟した医師でした)は、領主ヘロデ・アンテパスの治めるガリラヤの町ナザレで、週の第七日に会堂にはいって行ったひとりの人のことを、その記録の第四章に述べています。(ルカ、三ノ一)三十歳になったばかりのこの若い男の人は読むために立ち上がりました。ルカによる福音書四章十七節から二十一節はその時のことを述べています。「預言者イザヤの巻物が手渡され、彼はその巻物をひもといて、こうしるされた所を見いだされた。『エホバのみたまがわたしに臨んでいる。それはわたしに油そそいで、貧しい者に良いおとずれを宣べさせ、わたしをつかわして、とらわれた者に解放を告げ、盲人に見えることを告げ、打ちひしがれ[61]た者を解き放ち、エホバの受け入れ給う年を宣べさせるためである』。イエスは巻物を巻き、係の者に返して座につかれると、会堂にいる皆の者の目がイエスに注がれた。そこでイエスは、『あなたがたの今聞いたこの聖句はこの日に成就した』と説き始められた」-新世訳。
7イザヤ書六十一章一、二節にしるされた自由と解放の預言を自身に適用したこの若い人はだれでしたか。聴衆はそれがだれであるかを認めました。ルカによる福音書四章二十二、二十三節はこう述べています。「すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、『この人はヨセフの子ではないか。』そこでかれらに言われた、あなたがたは、きっと「医者よ、自分自身をいやせ」ということわざを引いて、[北西三十キロあまりのところにある]カ[62]ペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう』」。これらのナザレ人は彼がヨセフのほうんとうの子であると考えました。
8医師ルカは、「ヨセフの子」と思われたこの人の完全な系図を、前の章の最後のところにしるしています。それは四千年以上さかのぼって最初の人間、さらには人間の創造者である神にまで達する系図です。医師ルカはこの系図を次のように書き出しています。「イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子」。つづいて七十人以上の先祖の名前をあげてのち、「エノス、セツ、アダム[に至る。アダムは神の子なり]」ということばで、医師ルカは人間イエスの系図を結んでいます。-ルカ、三ノ二三-三八、[文語]。
9しかし若者イエスは、「人々の考え」たようなヨセフのほうんとうの子ではなく、養子にすぎません。このヨセフはヘリの娘マリヤをめとったのでヘリの義理のむすことなりました。では大工ヨセフが父でないとすれば、イエスの父はだれでしたか。医師ルカの言葉によれば、ヨセフとマリヤが婚約したのみで、まだ自分たちの家でいっしょにならない説き、位の高い神の天使ガブリエルがマリヤに現れてこのように告げました。「見よ!あなたは身ごもって男の子を産むであろう。あなたはその名をイエスと名付けなさい。この者は偉大な者となり、いと高き者の子と呼ばれるであろう。またエホバ神は彼にその父ダビデの位をお与えになる。彼はヤコブの家を永遠に治めるであろう。彼の国は終わることがない」。
[63]10「わたしは男の人と関係していないのに、どうしてそのようなことがあり得ましょうか」とマリヤが尋ねたとき、天使ガブリエルは答えて言いました、「聖霊があなたに臨み、至上なる者の力があなたをおおうでしょう。この理由で、生まれる者は聖なるもの、神の子と呼ばれます・・・・・・神にはどんな告知も不可能ではありません」。マリヤはこの奇跡が自分の身に起こることに同意しました。-ルカ一ノ二六-三八、新世訳。
11そのことののち、神の天使は大工ヨセフに現れ、そのいいなずけマリヤがみごもったのは奇跡によることを告げました。「その胎内に宿っているものは聖霊によるのである」。こうしてヨセフはマリヤを妻としていれるように告げられました。ヨセフはその言葉に従い、その後しばらくしてイエスは、ナザレではなく、南に百十キロあまり離れたベツレヘムで誕生しました。(マタイ、一ノ一八-二五)こうしてヨセフは単にイエスの養父となったのです。イエスの本当の父は「至上なる者」エホバ神でした。
12医師ルカのことばによれば、イエスの誕生の依る、エホバ神の天使はイエスが約束の解放者であり、「女」のすえのおもだった者であることを告げました。他にも多くの者、くわしく言えば、すえの主要な成員の下にある全会衆が、この約束のすえの一部になります。ゆえに人間の処女、母マリヤが、エデンの園においてエホバ神の言われた「女」であるはずはありません。(創世記三ノ一[64]五)しかし解放者が人間となって生まれた夜、神の栄光の天使は解放者がだれであるかを明らかにすることばを、ベツレヘム近くの野原にいた羊飼いに告げました。「恐れるな。見よ、すべての民がに与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである」。その夜これらの羊飼いは赤子イエスをその誕生の場所におとずれ、「救主」、約束の解放者、のちに「主なるキリスト」となったかたの誕生を目撃しました。-ルカ、二ノ一-二〇。
13違反者エバもユダヤ人の処女マリヤも、エホバ神が創世記三章十五節に述べられた「女」ではなく、またそうでは有り得ないとすれば、約束のすえのほんとうの母であるこの「女」はだれですか。イエスには他に「母」がいましたか。いかなる形態においてであれ、イエスの存在は、人間として誕生した時が最初でしたか。あるいはそれ以前に、天の父、至上者エホバ神とともにどこかに住んでいましたか。実際にイエスはどの「女」のすえでしたか。
14神秘的な「女」がだれであるかは、約束のすえの場合と同じく、神の言葉の中に明らかにされています。これは普通の「女」ではありません。使徒パウロが述べているたたえを借りて、彼女がどんな者であるかをわかりやすく説明できます。パウロはコリント人への第二の手紙十一章二節「わたしは神の熱情をもって、あたながたを熱愛している。あたながたを、きよいおとめとして、ただひとりの男子キリストにささげるために、婚約させたのである」と述べています。これは大勢の成員から成る会衆にあてられた使徒パウロの手紙の一節です。しかもこれらの成員は、天にある[65]ひとりの人すなわち復活して栄光を受けたイエスキリストと婚約していると述べられています。さらにパウロは、クリスチャン会衆を妻にたとえたことばを、エペソの会衆にも書き送りました。
15「キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである」-エペソ、五ノ二三-二七。
16バプテスマのヨハネはクリスチャンではありませんが、イエスキリストの追随者が必ずふえる理由を説明したことばの中で、バプテスマのヨハネはなお自分の弟子であった一部のユダヤ人にむかってこう述べました。「わたしはキリストではなく、そのたかよりも先につかわされた者である・・・・・・花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている。彼は必ず栄え、わたしは衰える」。(ヨハネ、三ノ二八-三〇)そえrでバプテスマのヨハネは、花婿キリストの象徴的な「花嫁」の中に自分を含めていません。しかし自分の弟子達をイエスキリストに導くことによって、バプテスマのヨハネは「花婿の友人」となり、大ぜいの弟子が「花嫁」の成員になるのを取り持ちました。
[66]17バプテスマのヨハネはいとこのイエスキリストをさして「世の罪を取り除く神の子羊」と呼びました。(ヨハネ、一ノ二九)この象徴的な呼び名は聖書巻末の本の中でイエスキリストに適用されており、イエスキリストはしばしば「子羊」と呼ばれています。この本の筆者に与えられた幻の中で天の群衆が次のように歌っています。「あなたがた民よ、ヤハをほめよ。全能者なるわれらの神エホバが王となって治めはじめられたからである。わたしたちは喜び、大いに喜び、彼に栄光を帰し奉ろう。子羊の婚姻の時となり、彼の妻の用意がととのったからである。彼女は、輝く、清い麻布を着ることを許された。この麻布は聖徒たちの正しい行いを表す」。ついで天使の声が命じます、「書き記せ。子羊の婚宴に招かれた者はさいわいである」-黙示録、一九ノ六-九、新世訳。
18その後、天使が来て黙示録の筆者に「さあ、きなさい。子羊の妻なる花嫁を見せよう」と言います。黙示録の筆者が見たのは、天にいる文字どおりの女でしたか。彼は次のように書いています。「この御使は・・・・・・聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた・・・・・・それには大きな、高い城壁があって、十二の門があり、それらの門には、十二の御使がおり、イスラエルの子らの十二部族の名が、それに書いてあった・・・・・・また都の城壁には十二の土台があり、それには子羊の十二使徒の十二の名が書いてあった」黙示録二一ノ九-一四。
19このすべての意味はきわめて明白です。キリストの「花嫁」つまり「彼の妻」は文字どおりの女あるいは天にいるひとりの女性ではありません。それは人の住む都であり、「子羊の十二使徒」を土台とする「イスラエルの子らの十二部族」がその都にはいります。それで子羊の妻はクリスチャンの天の都、天にある「聖都エルサレム」です。最終的にはそれは復活を受けた、天のイエスキリストをかしらとし、夫とするクリスチャン会衆全体です。それは天の霊的な組織です。したがってキリストの「花嫁」である、完成したクリスチャン会衆が、見えない天にある象徴的な「女」であるということになります。これは「女」とはいっても組織のことです。しかしこれは創世記三章十五節に述べられている「女」ではありません。
20黙示録のもっと前のところには、天にいるもうひとりの女が描かれています。その描写によれば、この女は地から天に昇った文字通りの女ではありません。したがってイエスの母、処女マリヤでもないのです。次のようにしるされています。「大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた・・・・・・龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った」-黙示録十二ノ一、二、五-一七。
21天のこの「女」は「子羊の妻なる花嫁」とは別の女です。では「太陽を着て」、足の下にに月を踏み、十二の星の冠を着けた、つまり昼も夜も天の光にうるわしく照らされたこの「女」は誰ですか。子を宿しているのを。黙示録の筆者が見たこの女はだれですか。神のみくらの上にある場所[68]にとりあげられ、木のつえではなく、折れない「鉄のつえ」で諸国民を治める権威を与えられる支配者をやがて産むために、この女をみごもらせたのはだれですか。この女はだれの「妻」ですか。
22聖書のたとえに従って言えば、「神の子羊」に「花嫁」、「妻」があるように、天の父エホバ神にも妻すなわち象徴的な「女」があります。「子羊の妻」が会衆であり、多くの成員から成る組織であるのと同様、天の父の象徴的な「女」すなわち「妻」も組織であり、しかもしれは天の霊的な組織です。彼女は黙示録十二章一、二節において、子を宿した「女」として描かれています。
23エホバ神が「女」すなわち「妻」をもたれるということを語るのは、ぼうとくでも、愚かでもありません。元来このような考えと表現はエホバ神ご自身から出ているのです。女に関して黙示録十二章一、二節の幻が使徒ヨハネに与えられる八百年以上前、エホバ神の霊感を受けた預言者イザヤはひとりの象徴的な女にむかって次のことを語りました。
24「『子を産まなかったうまずめよ、喜び呼ばわれ。産みの苦しみをしなかった者よ、声を放って歌い呼ばわれ。捨てられた者の子は、夫なる所有者のある者の子よりも多い』とエホバは言われる。『あなたの偉大な造り主はあなたの所有者なる夫であって、その名は万軍のエホバ、あなたを購う者はイスラエルの聖者であり、全地の神ととなえられる。捨てられし心悲しむ妻、また若い時にとついで出された妻を招くように、エホバはあなたを招かれた』とあなたの神は言わされる」-イザヤ、五四ノ一、五、六、新世訳。
[69]25ここでエホバが象徴的また預言的に語りかけておられるのは、ひとつの都市です。同じ章の中で預言者イザヤをとおして語られたエホバの言葉は、そのことを示しています。「苦しめられ、あらしにもてあそばれ、慰めを得ない女よ、わたしは堅固なモルタルであなたの石をすえ、サファイアであなたの基をおき、ルビーであなたのやぐらを作り、火のごとく輝く玉であなたの門を作り、あなたの境の内をことごとく宝石でつくる。またあなたの子たちは皆エホバに教えをうけ、あなたの子たちの平安は大きなものとなるであろう」-イザヤ、五四ノ一一-一三、新世訳。
26イエスキリストご自身がイザヤ書五十四章十三節を引いて、そのことばをご自分の追随者に適用されたことを知れば、問題の理解はさらに容易になります。「預言者たちの書に『彼らは皆エホバに教えられるであろう』としるされている。すべて父から聞いて学んだ者はわたしに来る」、とイエスは言われました。(ヨハネ、六ノ四五、新世訳)イエスのこのことばは、イザヤの預言に言われた「女」が、イエスの将来の「花嫁」また「妻」となるクリスチャン会衆とは別の女であることを示しています。それは天の父エホバ神の「妻」です。都に似たこの「女」にむかって、「あなたの偉大な造り主はあなたの所有者なる夫であって、その名は万軍のエホバ」と言われるのは、イエスの天の父です。(イザヤ、五四ノ五、新世訳)このことから明らかなように、イエスキリストとその天の父は、それぞれ別の象徴的な女と婚姻されています。それでイエスキリストとエホバ神はおなじかたではなく、ひとりの神を成す三つの位格すなわち「三位一体」を構成しているのではありません。イエスキリストは、天におられた時、エホバ神の「妻」であるこの聖なる組織[70]の一部でした。そこで彼女は、地上におけるメシヤのわざのためにこの神の御子を備えたのです。イエスキリストは人間の子として地上に生まれるため、この天の組織から出てこられました。それはあたかも母親から生まれたかのようでした。
27ダビデのお受けに属するユダヤ人の処女マリヤから産まれたイエスは、生来のイスラエル民族の一員であり、またユダ族の者であって、文字通りユダびと、すなわちユダヤ人でした。エホバ神はイスラエル民族をエジプトから解放し、アラビヤのシナイ山において十戒をはじめとする契約の他の律法を彼らに与えられました。その時からイエスキリストの時代に至るまで、エホバ神はイスラエル民族をご自身の第二の妻として処遇されました。それは預言者エレミヤによって言われたエホバのことばから明かです。エレミヤ記三章十四節において、エホバ神は不貞の妻に対するようにイスラエル民族に対して次のことを言われました。「『背いた子らよ、帰れ』」とエホバは言われる。『わたしはあなたがた民の所有者なる夫となったからである。わたしは町からひとり、氏族から二人をとってあなたがたをシオンに連れて行こう』」。(新世訳)またエレミヤ記三十一章三十一、三十二節において、エホバ神は彼らが古い律法契約を守らなかったことにふれて次のように言われました。
28「エホバは言われる、『見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来るであろう。この契約はわたしが彼らの先祖の手をとってエジプトの地より彼らを導き出した日に立てたようなものではない。「わたしは夫として彼らを所有したにもかかわらず、彼らはわたしのその契約を破った」とエホバは言われる』」-新世訳。
29右に述べた事柄に照らして、使徒パウロはイスラエル民族をエジプト人のどれいの女ハガルに[71]たとえています。ハガルは、族長アブラハムの妻で自由人のサラに仕えた女です。ガラテヤ州のクリスチャン諸会衆にあてて、使徒パウロは次のことばを書き送りました。「アブラハムにふたりの子があったが、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生まれた。女奴隷の子は肉によって生まれたのであり、自由の女の子[イサク]は[神の]約束によって生まれたのであった。さて、この物語は比喩としてみられる。すなわち、この女たちは二つの契約をさす。そのひとりはシナイ山から出て、奴隷となる者を産む。ハガルがそれである。ハガルといえば、アラビヤではシナイ山のことで、[西暦七〇年以前の第一世紀における]今のエルサレムに当たる。なぜなら、それは子たちと共に、奴隷となっているからである。しかし、上なるエルサレムは、自由の女であって、わたしたちの母をさす」。
30ついで使徒パウロは、前に(二十四節)引用されたイザヤ書五十四章一節のことばをただちに「上なるエルサレム」に適用しています。それでこの象徴的な女に対して、「あなたの偉大な造り主はあなたの所有者なる夫であって、その名は万軍のエホバ」と述べたイザヤ書五十四章五節の預言は、万軍のエホバが天のエルサレムの夫であると述べていることになります。したがって天のエルサレムはエホバ神の象徴的な妻です。天のこの象徴的な都、天のこの霊的な組織が、万軍のエホバの象徴的な妻なのです。イエスキリストご自身がのちに言われたように、「エホバに教えをうけ」る者たち、すなわち天の父に教えをうける者たちとは、この天の組織である「女」の子たちです。(イザヤ、五四ノ一三、新世訳。ヨハネ、六ノ四五)アブラハムの本妻でイサクの母となったサラはこの象徴的な女を表し、アブラハムとサラのむすこのイサクはおもにイエスキリストを表し[72]ていました。したがってこの象徴的な女は、クリスチャン会衆のかしらイエスキリストならびにクリスチャン会衆の天の母です。この理由でパウロは次のように述べました。
31「兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子である・・・・・・だから、兄弟たちよ。私たちは女奴隷[地上のエルサレム]の子でぇあなく、自由の女の子なのである。自由を得させるために、キリストはわたしたちは解放して下さったのである」-ガラテヤ、四ノ二二-五ノ一。
32秘義は解かれました!エホバ神がエデンの園で言われた、創世記三章十五節の「女」はエバでもユダヤ人の処女マリヤでもなく、神の天の象徴的な女です。この女は四千年後に「上なるエルサレム」と呼ばれています。(ガラテヤ、四ノ二六)この女の「すえ」はへびのかしらを砕く、すなわちエデンのへびによって表されていた、偽り、そしり、欺きの大張本人を滅ぼします。エホバ神がそのことを約束された時、この象徴的な女は存在していました。神の妻であって約束のすえを産む象徴的な「女」はひとつの組織であり、エルサレムに類似しています。それは夫なるかしら、全能者、至上者である神に従い、ひとつの組織として、離れることなく神にとついている天の聖なる被造物の宇宙的な組織です。天のこの霊的な組織は、約束のすえを生み出さなければなりません。それで大いなるへびの力から人類を解放するこの「すえ」は天から出た者でなければなりません。この解放のすえはほんとうに天から来ましたか。たしかにそうです!
33今までに述べた聖書の教えに照らして、前述の質問をふたたび取り上げることにします。ど[73]んな形においてであれ、イエスはその誕生の時に初めて存在するようになったのですか。あるいはそれ以前に、天の父である最高の神エホバとともにどこかに住まれていましたか。イエスは人間となって誕生した時に初めて存在するようになったのではありません。それ以前にイエスは神の子として、天の父エホバ神とともに、見えない霊界に住んでいられました。天の聖なる子たちより成るエホバの宇宙的な組織は、神の愛する御子を母のように送り出し、御子は地上の人イエスキリストとなりました。そうであればこそ、地上のイエスキリストは、彼のことばを聞いて憤慨した人々に対し、「それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか」と言われたのです。(ヨハネ、六ノ六二)また使徒たちを前にしてエホバ神に祈ったことばの中で、次のように言われたのです。「父よ、[人類の]世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。父よ、あなたがわたしに賜った人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜った栄光を、彼らに見させて下さい」。(ヨハネ、一七ノ五、二四)また死人の中から復活した日に、からになった墓のそばでマグダラのマリヤに「わたしの兄弟達の所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」と言われたのです。(ヨハネ、二〇ノ一七)イエスはその後四十日目に昇天されました-使徒行伝一ノ一-一一。
34神の御子が生命を天から地に移されて、完全な人イエスキリストになったことにつき、使徒パウロはマケドニヤのピリピになったクリスチャン会衆に次のような簡単な説明をしています。「キ[74]リストイエスがもたれていた心がまえをあなたがたの心がまえとしなさい。彼は神のかたちであられたにもかかわらず、神と等しくあることをしい執ろうとせず、かえってご自分をむなしくしてどれいのかたちをとり、人のようになられた。それだけでなく人のさまで現れたときにはご自分を低くして死に至るまで、苦しみのくいの死に至るまで従順であられた。このゆえに神はかれをまさった地位に高め、他のあらゆる名にまさる名を賜った。それは天にあるもの、地にあるもの[死んで]地の下にあるものがことごとくイエスの名によってひざをかがめ、またあらゆる下がイエスキリストは主であると言いあらわして、栄光を父なる神に帰するためである」-ピリピ、二ノ五-一一、新世訳。
35復活したイエスキリストがオリブ山から天に上るのを見て十日後に、クリスチャンの使徒ペテロは、地上のエルサレムにおいて数千人のユダヤ人を前に次の証言をしました。「神はこのイエスをよみがえらせた。わたしたちはみなそのことの証人である。彼は神の右にあげられ、約束の聖霊を父より受けて、あなたがたの見聞きするこのものを注がれたのである。事実ダビデ[イエスの血肉の先祖]は天の上らなかった。しかし彼自身語っている。『エホバはわたしの主に言われた。「わたしがあなたの的をあなたの足台にするまで、わたしの右に座していなさい」』。ゆえに全イスラエルの家は、確かに知るがよい。神はあなたがたがくいにつけたこのイエスを主とし、キリストとされたのである」-使徒行伝二ノ三二-三六、新世訳。
36み子イエスキリストは他のすべての被造物の名にまさる名を与えられましたが、至上の神エホバご自身の右の手よりも高くされたのではありません。イエスキリストはご自分をあくまでも[75]低くしたことの報いとして、このように高められました。天にあって彼は「神のかたち」を持っていましたが、「父なる神」ご自身だったのではありません。彼は天の父の位を横取りしようとはせず、「神と等しくあることをしい執ろうと」しなかったのです。一九六一年に英国で出版された新英語新約聖書がギリシャ語原文を訳した表現を借りて言えば、「それでも彼は神との同等を奪い取ろうとは考えなかった」のであり、一九三九年に出版された完訳聖書アメリカ訳のことばで言えば、「彼は神との同等を得ようとしなかった」のです。彼は「神と等しくなりたいという欲をおこさなかった」のです。-改訂標準訳。
37それどころか彼は「ご自分をむなしくして」天のものを手放し、天の父のみこころに応じてみずからそのことを示されました。それで生命の権利だけが失われずに残ったのです。「どれいのかたちをとり、人のようになられた」キリストイエスが「ご自分をむなしくして」、天のあらゆるものを手放された以上、この地上にあって「人のようになられた」時のイエスは天のものを何ひとつ持っていませんでした。その結果、地上のキリストイエスは神人ではなく、霊者と人間とを合わせた、あるいは天の被造物と地の被造物を合わせた者ではありません。イエスは正真正銘の人間でした。全能の神の霊(すなわち活動力)の奇跡的な働きによって、イエスの生命の力が天から移されたのです。イエスは天に住む者の化身でも「神の言」の化身でもありません。ヨハネによる福音書一章十四節のことばは、この点を明白にしています。「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」。イエスには人間の父がなく、イエスはその肉体をユダヤ人の処女マリヤから受け[76]ました。ゆえに神がなおイエスの直接の父であり、イエスがなお神のひとり子であることに変わりありません。
38エホバ神はイエスキリストがご自身の御子であることを、二回にわたり、声をもって宣言されました。一回は、三十歳の時のイエスが「ご自身を低くして」、いとこであるバプテスマのヨハネからヨルダン川でバプテスマを受けられたあとのことです。ヨハネは、このような水のバプテスマはイエスを罪人に見せることになると考えました。しかし天の神はバプテスマをそのようにごらんになりませんでした。その時の出来事はマタイによる福音書三章十三節から十七節にしるされています。
39「そのとき[西暦二九年]イエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、『わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか』。しかし、イエスは答えて言われた、『今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである』。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ご覧になった。また天から声があって言った、『これはわたしの愛する子、わたしの心にkなあう者である』」。(バプテスマのヨハネは神の声を聞きました)
40それからほとんど三年を経て、神はイエスキリストがご自身の御子であることをふたたび認[77]められました。その時までにバプテスマのヨハネは首を斬られて死んでいます。イエスは、ご自分をだれと思うかについて十二使徒に問われ、使徒シモン・ペテロは「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と答えました。(マタイ、十六ノ十六)イエスはペテロの答えが正しい事を確認されましたが、のちになってペテロの答えの真実をペテロに対して確認されたのはエホバ神ご自身です。そのおり、イエスは使徒ペテロそれに同じ区使徒のヤコブとヨハネを連れ、人を避けて高い山に上られました。そこにおいてイエスを中心に「幻」が生じ、イエスは変貌して栄光に輝きました。何年ものちにペテロはこの出来事を語り、自分の聞いたことを告げています。使徒ペテロは仲間の信者にあてて次のように書き送りました。
41「わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな作り話を用いる事はしなかった。わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』。わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである」-ペテロ第二、一ノ一六-一八。一七ノ一-九。
42変貌ののち、使徒ペテロはヤコブ、ヨハネとともに、「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」とイエスから命ぜられました。先に引用したペテロののことばは、イエスの復活後およそ三十年たって書かれたものです。イエスの復活自体、イエスが神の子であったことを明白にしています。ゆえに使徒パウロは福音について次のように書きま[78]した。「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである」-ローマ、一ノ一-四。
43さらに小アジア、ピシデヤ州のアンテオケにあったユダヤ人の会堂で使徒パウロは、次のことを述べました。「わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果たしになった。それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを産んだ』と書いてあるとおりである」。(使徒行伝一三ノ一四-三三)使徒パウロは、復活して栄光を受けたイエス・キリストと親しく出会い、そのことがあってから「神の御子」イエス・キリストに従う者となりました。-使徒行伝九ノ一-二〇。
44イエス・キリストが昔も今も神の御子であることをこうして証明するのも結局は、イエス・キリストが約束の解放者であるという真理を確立するためです。この解放者こそ、ほとんど六千年前、エデンの園においてエホバ神が預言された「女」のすえのおもだった者にほかなりません。(創世記三ノ一五)地上のイエスが、イザヤ書六十一章一、二節。の預言をご自分に適用されたのは当を得たことでした。「主エホバの霊がわたしに臨んでいる。それは、柔和な者に福音を告げさせる[79]ため、エホバがわたしに油をそそがれたからである。心のいためる者をいやし、とらわれた者に自由を告げ、つながれた者に目の開かれることを告げ、エホバの善意の年・・・・・・を告げさせるために、彼はわたしをつかわされた」。(新世訳)イエスは終始一貫して解放者の務めをはたされました。そのことを目撃した使徒ペテロは次のように証言しています。「神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました」-使徒行伝一〇ノ三八、三九。
45イエスが神の「女」のすえのおもな者であって、大いなるへびのかしらを砕き、この悪しき者の見えない支配から全人類を解放することは、地上におられた時のイエスのことばとわざからも明白です。族長アブラハムの妻で自由人であったサラは、神の「女」すなわち天の霊者の宇宙的な組織を地上において代表する者でした。ゆえに、十八年のあいだ、かがんだままで腰をのばすことのできなかった女をいやされた時、イエスが言われたことばは実に適切ではありませんか。それはある安息日にユダヤ人の会堂で起きた出来事でした。安息日にイエスがこの奇跡的な救いを施されたので、会堂司は意義を唱えました。それでイエスは答えて言われました。
46「偽予言者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。それなら十八年間もサタンに縛られていた。[80]アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」-ルカ一三ノ一〇-一六。
47血縁関係からみれば、イエスは族長アブラハムの子孫となりました。アブラハムはエホバ神から次の約束を与えられた人です。「わたしは大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう」。(創世記二二ノ一七、一八)したがって、イエスがアブラハムの子孫の家系に生まれたことは、大いなるへびの頭を砕く第一歩でした。ヘブル人への手紙二章十四、十五節はこのことを明白に述べています。
48「このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである」-マタイ、一ノ一-十六、三ノ二三-三四もごらんください。
49あがないの犠牲となって遂げた死および死人の中からの復活によって、イエスキリストはまずご自分の忠実な追随者の会衆をサタン悪魔への隷属から解放します。しかしこの会衆ができあがって、イエスキリストとともに神の「女」のすえ、また星のようなアブラハムのすえの一部となる時、イエス・キリストはその御国によって人類の世の残りの人々全部を解放します。クリスチャ[81]ン会衆が神に負うものを説明した使徒パウロの次のことばは、まさにそのことを意味しているのです。「あなたがたがキリストイエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、私たちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである」。(コリント第一、一ノ三〇)コリントの会衆にあてた手紙の先のほうで、使徒パウロはクリスチャン会衆の死からの復活を詳細に述べたあと、さらに次のように書いています。
50「(そのとき)聖書に書いてある言葉が成就するのである。『死は勝利にのまれてしまった。死よ、お前の勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか』。死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜ったのである」-コリント第一、一五ノ五四-五七。
51エホバ神のつかわされた解放者を歓呼して迎えなさい!大いなるへびに敵対し、へびのかしらを砕く約束のすえを歓呼して迎えなさい!この解放者は「女」のすえのおもな者です。そしてこの象徴的な女は神の「女」すなわち「妻」であるゆえに、解放のわざをする、彼女のおもだったすえは神の子であるに違いありません。たしかにこのすえは、神の「ひとり子」であるイエス・キリストです。昇天した時、イエス・キリストは約束の「すえ」の天的な母、つまり神の「女」また妻のもとに帰りました。彼女は神の天的な子たちのおもだった者を、ふたたび迎え入れたのです。
解放者イエス・キリストにあずかる浸礼は、水の浸礼とは別のものです。水の浸礼だけでこの別の浸礼を受けない人もあり、両方の浸礼を受ける人もあります。解放されるのは、解放者にあずかる浸礼を受ける人々だけですか。あるいは解放者にあずかる浸礼を受ける人々は、なお他の人々を解放する榮光のわざを解放者とともに行いますか。自由を愛する人には感心のある問題です。
2霊感による聖書がひとしくあかししているところによれば、知識のあるなしを問わず全人類が待ち望んできた約束の解放者は、神の御子イエス・キリストです。人はどのようにしてこの解放者にあずかる浸礼を受けますか。このような浸礼を受けるひとは何人ですか。その人々はどんな機会と特権に恵まれますか。辞書によれば、「浸礼を施す」とは「液体の中に沈める、浸す」また「浸すことによってバプテスマを施す」という意味です(ウェブスター第三新国際辞典、一九六一年版)
3浸礼を施すと言ってもバプテスマを施すと言っても聖書の中では同じ事柄をさしています。そのことを示す例として、一九一三年に出たアメリカ・バプテスト出版物協会の改訂版聖書からローマ人への手紙六章三、四節を引いてみましょう。「それとも、あなたがたは知らないのか。キリストイエスにあずかるバプテスマ(浸礼)を受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマ(浸礼)を受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマ(浸礼)を受けたのである。ゆえにわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマ(浸礼)によって、彼と共に葬られたのである」。英語の「バプタイズ」(バプテスマを施す)は「浸す、沈める」を意味するギリシャ語「バプティゼイン」からきたことばであり、したがってこの聖書の書き表し方は全く正しいと言えます。(リデル、スコット共編希英辞典、第一巻、一九四八年リプリント版)水の中に浸された人は一時、視界から「没し」、ついで引き上げられます。
4解放者イエス・キリストご自身が、バプテスマのヨハネから浸礼を受けられました。このことについて、前節に引いた聖書のルカによる福音書三章二十一、二十二節に次のことがでています。「さて、すべての人がバプテスマ(浸礼)を受けた時、イエスもバプテスマ(浸礼)を受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊がはとの形をしてイエスの上に下り、天から声があがって言った。あなたはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である」。それでイエスは、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けた最初の人ではありません。ヨハネは水のバプテスマを施すために神からつかわされ、イエスがバプテスマを受けるためにヨハネのもとに来られた時には、すでに六ヶ月の間そのことを行っていました(ヨハネ、一ノ六-八、三三、三四)西暦二九年の春、バプテスマを施[84]すことを始めた時、バプテスマのヨハネはクリスチャン会衆つまり教会を設立しましたか。いいえ。彼はキリストではなく、みずからキリストを名のったこともないからです。そのバプテスマは罪深いユダヤ人つまりイスラエル人のためのものでした。
5これに関しては次のようにしるされています。「皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオピラトがユダヤの総督・・・・・・であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた」。(ルカ、三ノ一-四)しかし悔改めのしるしであるこの水のバプテスマを宣べつたえるために、ヨハネはだれのもとにつかわされましたか。無割礼の異邦人つまり非ユダヤ人ではなく、族長アブラハムの子孫であるユダヤ人すなわちイスラエル人につかわされたのです。そのことはルカによる福音書三章七、八節に示されています。「さて、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出てきた群衆にむかって言った、『まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りからのがれられると、おまえたちにだれが教えたのか。だから、悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。お前達に言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができるのだ」。
6かつてバプテスマのヨハネの弟子であったクリスチャン使徒ペテロは、神がバプテスマのヨハネをユダヤ人すなわちイスラエル人につかわされたことを述べています。「神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土に広まった福音を述べたものです。神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました」。(使徒行伝一〇ノ三六-三八)使徒パウロもこの証言に次のことばを加えています。「神は・・・・・・救主イエスをイスラエルに送られたが、そのこられる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に悔改めのバプテスマを、あらかじめ宣べ伝えていた」-使徒行伝一三ノ二三,二四。
7ヨハネの誕生をその父、祭司ザカリヤに予告した天使ガブリエルは、ヨハネがイスラエルにおいてはたす役割を預言していました。「彼は・・・・・・イスラエルの多くの子らを、彼らの神エホバに立ち返らせるであろう。またエリヤの霊と力をもって神の前に行くであろう。それは・・・・・・ととのえられた民をエホバのために備えるためである」。(ルカ、一ノ一一-一九、新世訳)イエス・キリストは、バプテスマのヨハネが、マラキ書四章五、六節にその出現を預言されていた約束のエリヤであることを認めていられました。(マタイ、一七ノ一〇-一三)バプテスマのヨハネを予表する者となった元のエリヤつまりテシペ人エリヤは、イスラエルの人々に使わされました。それで当然にバプテスマのヨハネもやはりイスラエル人に使わされたのです。-列王紀上一七ノ一から列王紀下二ノ一五。歴代志下、二一ノ一二。
8このヨハネが施した水のバプテスマは、その名をとって「ヨハネのバプテスマ」と呼ばれるようになりました。それはクリスチャンのバプテスマとは別のものでした。使徒パウロは両者の相違を次のように説明しています。「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分の[86]あとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。ヨハネのバプテスマはイエスの名によるバプテスマではありません。(使徒行伝一九ノ一-五)ヨハネのは悔改めのバプテスマすなわち悔改めのしるしとなる水のバプテスマでした。それはイスラエル人のためのバプテスマでした。なぜそうなのですか。
9イスラエル人すなわち生来のユダヤ人は、一国民として彼らの神エホバと契約を結んでいました。紀元前一五一三年、アラビアのシナイ山において、彼らは預言者モーセをとおしてエホバ神と契約すなわち厳粛なちぎりを結び、エホバ神から十戒をはじめ他の何百の律法、命令、法規、法令を授けられました。この律法と命令のすべてをとがなく守ったならば、彼らは擬人となり、神から永遠の生命を受けるにふさわしい者になれたことでしょう(レビ、一八ノ五。ガラテヤ、三ノ一一、一二)しかし律法の文字を守るために誠実に努力し、律法の定める犠牲をささげて崇拝したゆえに、彼らは律法によって義とされ、永遠の生命にふさわしい者となりましたが、律法の下におかれたユダヤ人に生まれた使徒パウロは答えています。
10「律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が『むさぼるな』[十番目の戒め]と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。しかるに、罪は戒めによって機会を捕らえ、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起こさせた」。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。なぜなら、罪は戒めによって機会を捕らえ、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである・・・・・・罪は、戒めによって、はなはなだしく悪性なものとなる・・・・・・わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである」-ローマ、七ノ七-一四。
11異邦人つまり非ユダヤ人はこの成文の律法の下にいませんでした。その下にあったのは割礼のある、生来のユダヤ人でした。ユダヤ人つまりイスラエル人は律法を完全に守ることができなかったため、律法によって罪人とされ、永遠の生命に値しない者とされました。バプテスマのヨハネがユダヤ人に悔改めを促したのは当然でした。エホバの「契約の使者」が来ようとしており、ユダヤ人は悔改めの心をいだいてその者を迎え、また受け入れる準備ができていなければならないからです。そうすれば彼らはエホバのために「ととのえられた民」となり、そのことは彼らにとって安全となり、保護となり祝福となります。なぜそう言えるのですか。エホバの「契約の使者」は、ヨハネが水のバプテスマを施したのとは異なって聖霊と火のバプテスマを施すからです。滅びの火によるバプテスマを免れるために、彼らは罪を悔い改めなければなりません。それは成文の律法によって明白にされた罪です。彼らは水のバプテスマ(浸礼)を受けて心からの悔改めを象徴する、つまり公に表さなければなりません。-マラキ、三ノ一-六。ルカ、一ノ一七。マタイ、三ノ一一,一二。
12多くの人がバプテスマのヨハネのもとに来て教えを聞き、その中には悔改めを促すヨハネのことばに聞き従った人々もいました。「すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出て来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテ[88]スマを受けた」。(マタイ、三ノ五、六)こうして彼らはバプテスマのヨハネの弟子つまりヨハネから学ぶ者となりました。しかしヨハネはその人々いつまでも自分の弟子にしておくのではなく、来るべき偉大な者、エホバの「契約の使者」に彼らを紹介し、「花嫁」のクラスの成員として彼らをこの者に渡します。シモン・ペテロの兄弟アンデレやゼベダイの子ヨハネはこのような弟子のひとりです。(ルカ、一一ノ一。)ヨハネ、一ノ三五-四二。三ノ二五-三〇)その後イエスの指図を受けたイエスの弟子たちが悔い改めたユダヤ人にバプテスマを施すようになり、こうして人々は直接にイエスの弟子となりました。しかし悔改めたユダヤ人にイエスの名によるバプテスマを施す権威は、イエスの弟子達に授けられていませんでした。イエスの弟子達がイエスから授けられたのは、ヨハネのバプテスマにならう、悔改めを表すバプテスマを施す権威でした。-ヨハネ、三ノ二五、二六。四ノ一,二)
13イエスご自身、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けられました。では、イエスが受けられたのは「ヨハネのバプテスマ」でしたか。イエスは罪の悔い改めたことを認めて、すなわちそのしるしとしてバプテスマを受けられたのですか。そのようなことはあり得ません。イエスは神の子であって、ユダヤ人の処女マリヤから罪なく、完全に生まれたからです。神の天使は、マリヤのいいなずけであった大工ヨセフに現れ、「その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名付けなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪[89]から救う者となるからである」と告げました。(マタイ、一ノ一六-二一)イエスという名は(民数記一三ノ一六、歴代志上七ノ二七、リーサー訳に見られるように)ヘブル人の名はエホーシューアの短縮形であり、エホーシューアは、「エホバは救いなり」という意味です。
14イエスが罪のある人に生まれたならば、その民を罪から救うことが出来なかったはずであり、イエスという名はふさわしくなかったことなります。しかし「生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう」という天使ガブリエルのことばがイエスの母に告げられていました。(ルカ、一ノ三五)バプテスマのヨハネは、イエスについてこのすべての事を知っていたのでしょう。それで彼はイエスのことを「世の罪を取り除く神の子羊」と呼びました。(ヨハネ、一ノ二九,三六)ユダヤ人の祭司の子であったバプテスマのヨハネは、神の祭壇に捧げられる子羊が無きずのものでなければならないことを知っていました。-レビ、二二ノ二一。
15バプテスマのヨハネは生まれながらのナザレ人であり、したがってエホバ神にとくにささげられた者でした。(ルカ、一ノ一三-一五。民数記六ノ二-二一、文訳)しかし、祭司ザカリヤの子としてヨハネは自分が不完全な、罪深い者であることを知っていました。そこでヨハネはイエスに向かって、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」と言いました。ヨハネは水のバプテスマが罪を悔い改めたしるしでしかないと思っていたのです。イエスにはバプテスマを受けるにあたってヨハネに告白すべき罪がありません。しかしイエスは水のバプテスマによってそれとは異なるものを示そうとされたのです。そこでヨハネにこう言われました。「[あなたがユダヤ人にバプテスマを施す、のちの場合とは異なり]今は受[90]けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。これを聞いてヨハネはそれ以上とめるのをやめ、イエスをヨルダン川の水の中に沈めました。ヨハネはイエスのバプテスマに何か別の意義があることを今や理解したのです。
16罪のない完全なイエスにバプテスマを施したことは神に是認され、ヨハネはそのしるしを見聞きしました。(マタイ、三ノ一三-一七)後日になってヨハネ自身が次のように語っています。「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授ける方である』。わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」-ヨハネ、一ノ三一-三四。
17ではイエスの浸礼はなんのしるしでしたか。それはどんな罪をも洗い流すものではありません。その時でさえ、罪のつぐないを望むユダヤ人は律法の定めに従って動物の犠牲をエルサレムの宮に携え、それは血をそそがれてのち、神の祭壇にささげられました。(ヘブル、九ノ一八-二二。レビ、一七ノ一一)罪を許されるには犠牲の血をそそぎ出すことが必要であったとすれば、イエスの水のバプテスマはなんのしるしでしたか。
18ユダヤ人の処女マリヤのうい子として、イエスはエホバ神とイスラエル民族との律法契約に従い、エホバ神に献身した者となりました。(ルカ、二ノ七、二一-二七。出エジプト、一三ノ一一-一[91]五)赤子イエスをあがなうため、マリヤの夫ヨセフが定めの五シケルを納めたとすれば、ヨセフは正式にイエスの父となったわけであり、イエスは、エルサレムのダビデ王の王統に属するヨセフの正式の世継ぎとなったのです。(民数記三ノ四六-四八。一八ノ一五,一六)さらに、ヨセフが、一二歳のイエスを連れてエルサレムの宮に上った時、イエスはバー・ミツバすなわち(戒めの子)となり、神とイスラエルとの契約の律法を守る義務を自ら負う者となりました。(ルカ、二ノ四二-五一)イエスはまた職を身につけなければなりません。それで養父と同じく大工になりました。イエスが生まれながらその成員であったユダヤ民族は、神との契約により国をあげて神に献身した民族でした。
19三十歳で全く青年に達したイエスは、(おそらくすでにやもめとなっていた)母親の世話を家族の他の者の手に委ねて、地上におけるご自分の真の目的を成就するわざにとりかかることができました。そこでイエスは家を離れ、いとこにあたるバプテスマのヨハネのもとに来てバプテスマを受けられたのです。罪を悔い改めたしるしでないとすれば、それはなんのためでしたか。(ルカ、三ノ二一-二三)イエスが水のバプテスマを受けられた目的は、罪がどのように除かれるかを述べたヘブル人への手紙十章一節から十節のことばに明らかに示されています。
20「いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそのなえているものではないから、年ごとに引き続き捧げられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、もはや罪の自覚がなくなるのであるから、ささげ物を[92]することがやまったはずではあるまいか。しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去る事ができないからである。それだから、[九章の最後の節において罪を負う者として述べられている]キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、『あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、体を備えて下さった。あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。その時、わたしは言った、「神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、見よ、御旨を行うためにまいりました。」』。ここで、初めに、『あなたは、いけにえとささげ物と燔祭と罪祭(すなわち、律法に従ってささげられるもの)を望まれず、好まれもしなかった』とあり、次に、『見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました』とある。すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのである。この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである」。
21霊感によってしるされたこのことばによれば、「見よ、御旨を行うためにまいりました」と言われたのはイエス・キリストです。イエスは御旨を行うため、神のもとに来られました。「ただ一度イエス・キリストのからだがささげられた」のは、神の御旨によることであり、この「からだ」は、御子イエスのために神が「備え」られたのもです。人間として生まれさせるために御子を地につかわされた時、神は、そのことをされました。引用されたイエスのことばは詩篇四十篇六節から八節のことばであり、イエスの先祖、エルサレムのダビデ王がもともと書いたものです。(詩篇四十篇の表題をごらんください。)これはベツレヘムのダビデが多くの場面において、その子孫イエス・キリストを預言的に表す人物であった証拠です。しかしイエスが詩篇四十篇六節から八節のことばをとりあげてみずからの口より語り、それをご自分に適用されたのはいつですか。「キリストがこの世にこられたとき」と、ヘブル人への手紙十章五節は述べています。
22それはいつのことですか。イエスがベツレヘムに生まれた時のことではありません。その時のイエスは詩篇四十篇六節から八節を読むことも、それを口に出して言うこともできません。あるいはヨセフとマリヤが十二歳のイエスをエルサレムに連れて言った時、そして「わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」とイエスが言われた時のことでもありません。(ルカ、二ノ四十九)なぜですか。ルカによる福音書二章五十一,五十二節のことばはそのわけを示しています。「それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。[94]母はこれらの事をみな心に留めていた。イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」。しかし先祖ダビデがヘブロンにおいてユダの王になった時の年齢と同じ三十歳に達したとき、その時になってはじめてイエスは全く成年に達し、従属の立場をはなれてかぞくから独立することができました。-サムエル下、五ノ四,五。
23三十歳になるまでのイエスは、ナザレの大工でした。(マルコ、六ノ一-三。マタイ、十三ノ五五)イエスが地上の全生涯を大工として過ごすことは、イエスの天の父である神のみこころではありません。そこで今やイエスはご自分に対する神の特別なみこころを行うことを始められました。まずイエスは、ご自分より訳六ヶ月年上であったバプテスマのヨハネのところに行かれました。(ルカ、一ノ三四-三六)そして何があったkはあ、ルカによる福音書三章二十一節から二十三節までに読むことが出来ます。
24「イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊がはとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』。イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳のときであった」。
25考えてみると、これらの事柄はヘブル人への手紙十章五節の表現に適合します。「それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、『あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さった』」。水のバプテスマを受けられたとき、イエスは「祈っておられ」、つまり神と語っておられました。その時にこそ、イエスはダビデのことばを口にして[95]「神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、見よ、御旨を行うためにまいりました」と言うことができました。(ヘブル、一〇ノ七。詩篇四〇ノ七,八)事実、バプテスマを受け、神の聖霊が下ってのちに、イエスは全く新しいわざ、すなわち三年半後の死にまで至るわざを始められました。それでバプテスマを受け、油注がれたイエスは、ご自身について巻物に書かれた事柄を成就しなければなりません。
26神の聖霊によって油そそがれたことを知ったいま、イエスは、ご自分について巻物にしるされた事柄、なかでもイザヤ書六十一章一節から三節にあるとおり、「捕らわれ人に放免を告げ」、かれらを解放するための犠牲として「備え」られたからだをささげるのが、ご自分に対する神のみこころであることをご存じでした。
27それ以後のイエスに対する神の「みこころ」は、水のバプテスマを受ける以前のイエスに対するものとは異なっていました。イエスがまだナザレの大工であった時、バプテスマのヨハネは六ヶ月間にわたり、「天国は近づいた」と語って伝道していました。(マタイ、三ノ一,二)この場合、「天国」ということばの「天」はエホバ神をさしています。この理由で、マルコによる福音書一章一五節によれば、イエスが伝道された時のことばは次のようになっています。「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。ナザレでこの事を聞いたイエスは、この福音を信じました。イエスは、地上におけるその母マリヤが奇跡的な子イエスについて天使ガブリエルから告げられた次のようなことばをご存じでした。「エホバ神は彼のその父ダビデの位をお与えになる。彼は王と[96]なってヤコブの家を永遠に治めるであろう。彼の国は終わることがない」。(ルカ、一ノ三二、三三、新世訳)ゆえに先駆者バプテスマのヨハネの伝道から、イエスは天の神の国のために働くべき時がすでに来たことを知りました。そこでダビデが王となった時の年齢に達しようとしていたイエスは、ナザレの大工の職場を去り、神の国の福音を伝道していたヨハネのもとに来られたのです。神の国のわざに取り組もうとしていたイエスは、今やバプテスマを受けられました。
28その時まで、「天国」すなわち「神の国」は「近づい」ていたにすぎません。しかしイエスは、水のバプテスマを受け、神の聖霊によって天から油そそがれてのち、地上の敵のただ中にあって、「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言うことができました。イエスは神から是認された者であり、神の約束の国において王となるために神の聖霊で油そそがれていました。-ルカ、一七ノ二〇,二一。
29質問に答える用意がととのいました。そこでいま提出することのできる質問とは次のことです。イエスの水のバプテスマは、「罪のゆるしを得させる悔い改めのバプテスマ」でなかったとすれば、いったい何のしるしであり、何を意味するものでしたか。この事です、すなわちイエスはすでに献身した人であったゆえに、イエスのバプテスマは、「備え」られたご自身のからだをささげることに関連し、また神の国の事柄に関連して、父なる神の「みこころ」を行うために神の御子が[97]ご自分をささげられたことのしるしでした。イエスの追随者に対して述べられたヘブル人への手紙十章十節のことばが注目されます。「この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである」。ゆえにイエスも、神のこの同じ「御旨」によってきよめられたに違いありません。イエスは水のバプテスマの時、神のこの御旨を行うために来られたのです。イエスはご自分を神に全くささげ、神はイエスを聖別されました。イエスはすべてのものをなげうってご自分を神にささげ、神はこのようにみずからをささげたイエスを受け入れ、声をもって天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」と言われました。-マルコ、一ノ九-一一。
30ゆえにイエスの水のバプテスマは「ヨハネのバプテスマ」とは意味が異なっています。ヨハネはのちにイエス・キリストの追随者となった多くの人にバプテスマを施しました。しかしヨハネによるイエスのバプテスマは、この種のバプテスマとしてはヨハネの施したバプテスマの中で唯一のものです。イエスのと同じ水のバプテスマは、イエスの復活の昇天ののちにイエスの弟子達によって施されました。イエスが死から復活して五十日目の五旬節の日、使徒ペテロは、問いを発したユダヤ人にこう語りました、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」。イエスに対してしたことを悔い改めたおよそ三千人の人がバプテスマを受けました。(使徒行伝二ノ三七-四一)さらにその後エペソにおいて使徒パウロが出会[98]った十二人ばかりの人々は、水のバプテスマを受けていましたが聖霊の賜物を受けておらず、聖霊について聞いた事さえありませんでした。それは西暦三三年の五旬節から何年ものちのことでしたが、その人々はなお「ヨハネのバプテスマ」を受けていたのです。使徒行伝十九章四節から六節はさらに次のことばを加えています。
31「そこで、パウロが言った、『ヨハネは悔い改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来る方、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである』。人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した」。
32イエスは水のバプテスマが象徴したもの、すなわち神のみこころを行うためにご自分を神にささげた事実を非常に重要なことと考えられました。バプテスマからおよそ一年を経たあるとき、イエスはひるげどきにこう言われています。「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである」。(ヨハネ、四ノ三四)生涯を終えるときまで、イエスは神のみこころにかたく従いました。イエスはそのみこころを行うため、バプテスマの時にご自分をささげられたのです。刑柱に釘付けにされて死ぬ前の日の晩、ゲッセマネの庭でささげた最後の祈りの名かで、イエスはこう言われました。「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。(マタイ、二六ノ三六-四四)イエスは本心からこう言われました。それで天のみこころに従って、苦しい、にがい象徴的な杯を飲み、忠実を守って死なれました。
33イエスは、神の「女」のすえのおもだった者として、大いなるへびとそのすえにご自分のかかとを砕かれることをご存じでした。(創世記三ノ一五)またご自分のことについて「巻物の書物」に書かれた事柄を読み、さらにはイザヤ書五十三章八節から十二節にしるされた次のことばを成就しなければならないことをご存じでした。「彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれた・・・・・・彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった・・・・・・これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした」。イエスは、「備え」られたご自分のからだを死に渡し、あがないの価値をじゅうぶんに備えた人間の犠牲となって無実の死を遂げることをご存じでした。それが、ご自分のはたすべき神の「みこころ」の一部であることを認めて、イエスは言われました。「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」-マタイ、二〇ノ二八。
34イエスは、ご自分が殺され、三日目によみがえることをご存じでした。(マタイ、一六ノ二一)そこでこの経験を死へのバプテスマになぞらえておられます。西暦三二年の秋、イエスはルカによる福音書十二章四十九、五十節の次のことばを語られました。「わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。しかし、わたし[100]には受けねばならないバプテスマがある。そして、それを受けてしまうまでは、わたしはどんなにか苦しい思いをすることであろう」。イエスが当時来られたことによって、象徴的に言えば、火のような時がユダヤ人に臨みました。メシヤは最初に現れたとき、国家意識の強いユダヤ人の期待に反して、不面目な死を遂げなければなりません。そのためには彼は精神的にも肉体的にも大きな苦しみを味わいます。メシヤは、全人類を益するあがないの犠牲をそなえるために完全な人間として死なねばならず、またそれだけでなく、モーセをとおしてエホバ神から与えられた律法を守らなかったゆえにのろわれたユダヤ人に代わってのろいとならねばなりません。のろわれたユダヤ人にかわってのろいとなるために、メシヤは杭にかけられて死ぬのです。(ガラテヤ、三ノ一二、一三)苦しい思いをすることについてイエスが言われたのは、杭につけられて死へのバプテスマを終える六ヶ月程前でした。
35それで死へのバプテスマはそれが終わるまで続き、イエスに苦しい思いをさせました。水によるバプテスマは何年も前に終わっていましたが、苦しみを伴う死へのバプテスマは終わっていなかったのです。しかしイエスは殺されて三日目に死人の中からよみがえることになっていました。ヨルダン川におけるバプテスマはこの死へのバプテスマの象徴ではありません。水のバプテスマは、イエスにかかわる神のみこころをことごとく行うためにご自分をささげたことのしるしでした。死と復活がイエスに対する神のみこころのすべてではありません。こうして人間イエスがイスラエルの地において自ら行われた宣教は、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けてのちに始まり、三年半後の死のバプテスマによって終止符を打ちました。しかし死から復活を受けてのちに始まり、三年半後の死のバプテスマによって終止符を打ちました。しかし死から復活してのちのイエスには、さらに神のみこころに従って行うべき事柄がありました。
36しかし死へのバプテスマを受けるのはイエス・キリストだけではありません。イエスの忠実な追随者の小さな会衆もまた、天の御国でイエスとともに治めるため、このようなバプテスマを受けなければなりません。次のような出来事とがあった時に語られたイエスご自身のことばは、その事実を強調しています。
37「さて、ゼベダイの子のヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて言った、『先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします』。イエスは彼らに『何をしてほしいと、願うのか』と言われた。すると彼らは言った、『栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください』。イエスは言われた、『あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることが出来るか』。彼らは『できます』と答えた。するとイエスは言われた、『あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、ただ備えられている』つまり「わたしの父によって備えられている」「人々だけに許されることである」-マルコ、一〇ノ三五-四〇。マタイ、二〇ノ二〇-二三。
38ヤコブとヨハネのみならず、忠実な使徒のすべてが、師イエスの飲んだ杯を飲み、イエスのと同様な象徴的バプテスマつまり死のバプテスマを受ける事になっていました。彼らは水のバプテスマすなわちヨハネのバプテスマをすでに受けていました。(ヨハネ、一ノ三五-四二)彼らが天[102]の御国においてイエス・キリストとともに座するかどうかは、死ぬまで忠実を保ち、死から天の栄光によみがえらされることにかかっていました。
39彼らのは、人類一般の普通の死ではなく、イエス・キリストのさまに似た死です。しかし必ずしも刑柱の上の死という意味ではありません。それはイエス・キリストの追随者であるがゆえの、そしてイエスの象徴的な「杯」を飲み、天の御国の中に召されたがゆえの死です。彼らの復活は、あがなわれた人類一般が地上の楽園に受ける復活ではなく、イエス・キリストのさまに似た、天の御国で支配するための復活でなければなりません。ゆえに彼らが受けるキリストのバプテスマは水のバプテスマとは異なったバプテスマであり、またイエスの場合と同じくそれが終わるまでは「苦しい思い」を伴う、したがって受けることのいっそう困難なバプテスマであるに違いありません。-ルカ、一二ノ五〇。
40使徒パウロは、たとえそれが苦しいものであっても、キリストのバプテスマにあずかりたいという願いを述べています。奇跡的に転向してキリストの弟子になってのち、パウロは水のバプテスマを受けました。(使徒行伝九ノ三-一八。二二ノ六-一六)割礼のあるユダヤ人パウロは、クリスチャンの弟子でダマスコの人アナニヤから水のバプテスマを施された時、イエスの歩んだ道にしたがって神のみこころを行うために自分をささげた事を象徴したのです。パウロはそのことを知っていました。ゆえにイエス・キリストのと同じ死へのバプテスマを受けることが、自分に対する神のみこころであることを、パウロは知っていたのです。ピリピにいるクリスチャンの仲間に次のことを書き送ったのも、そのためでした。
[103]41「しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、なんとかして死人のうちからの[早い(新世訳、ロザハム訳)]復活に達したいのである」-ピリピ、三ノ七-一一。
42「その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり」と述べていることから明らかなように、パウロはキリストともにあずかる死へのバプテスマが何を意味するかをよく理解していました。その苦難のすべては人類一般の世の復活よりも早い復活になんとしても達し、「その[キリストの]復活の力」を知るためでした。こうして使徒パウロは死に沈められ、ついで神の力により死から生命に引き上げられて、天のキリストともになるのです。それは御子キリストの場合と同じく、全能の神のみが特別な力によって施すことのできる象徴的なバプテスマです。
43それを目指して使徒パウロは「キリストのうちに自分を見いだす」、つまりキリストの苦難と[104]死および天の栄光への「早い復活」にといてキリストとともになることを望みました。この独特の経験をするために、パウロは解放者キリストにあずかるバプテスマつまり浸礼をうけなければなりません。パウロ自身、神のこの不思議なはからいをそのように描いています。イタリア、ローマのクリスチャン会衆にあてた手紙の中で、パウロは、アダムから相続した罪のゆえに死がすべての人に及び、また神の過分の恵みのゆえに人類が救われることを述べました。そしてさらに次のように書いています。
44「それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵もまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。では、わたしたちは、何と言おうか。恵が増し加わるために、罪にととまるべきであろうか。断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたち[クリスチャン会衆と使徒パウロ]が、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。それとも、あなたがたは知らないのか。キリストイエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。わたしたちは、このことを知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に[刑柱]につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである」-ローマ、五ノ二一から六ノ七、[新世訳]。
45「キリストイエスにあずかるバプテスマを受けた」。「彼の死にあずかるバプテスマを受けた」、「その死にあずかるバプテスマ」、「その死の様」、「彼の復活の様」と述べたパウロのことばづかいに注目してください。ところでパウロは、「ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ」この手紙を書いたのです。(ローマ、一ノ七)ではこの人々はどのようにして、解放者キリストイエスにあずかるバプテスマを、パウロとともに受けましたか。彼らはどのようにして彼らはどのようにして「彼の死にあずかるバプテスマを受けた」のですか。それは単に水のバプテスマによってではありません。水のバプテスマは人の手によって施されるものです。自分を神にささげた信者を見ずに浸し、ついで人がキリストの死にあずかるバプテスマを信者に施し、ついでこのような死から人をひきおこすわけではありません。イエスを苦しみと死に沈め、死からイエスを引き上げたのは、バプテスマのヨハネではありませんでした。全能の神だけが、このような死からイエスを起こすことが出来ました。神は、イエスが死んで三日目にそのことをされたのです。
46ゆえに神だけが、イエスの場合に行われたごとく、このいっそうおおきなバプテスマを施すことをされます。御子イエスに聖霊で油をそそぎ、イエスを「キリスト」すなわち油そそがれた者にしたのはエホバ神です。(イザヤ、六一ノ一。ルカ、四ノ一六-二一。使徒行伝四ノ二七一〇ノ三八)こすいて神は聖霊でイエスにバプテスマを施され、イエスもまたそれよりのち、ご自分の追[106]随者に聖霊でバプテスマを施すことができるようになりました。(ルカ、三ノ一五,一六)神がそのことをされた時、天から神の声がありました。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。(マタイ、三ノ一三-一七)これはまた、神が人間イエスを霊的な子としてうみ出されたことを意味しています。その時まで三十年間、イエスは献身した、神の地的な子であり、完全な「神の子」アダムに等しい者でした。(ルカ、三ノ二三-三八)
47天の父は聖霊で御子イエスに油をそそぎ、霊によってイエスを生み出されたのみならず、油そそがれたイエスに対して、「飲む」べき象徴的な、「杯」を与えられました。イエスが人間の犠牲として死なれることも、その「杯」の一部でした(マタイ、二六ノ三九-四四)人類の世の罪はこのような完全な人間の犠牲によるのでなければ、他のどんんあ手段を用いても除かれません。それでイエスはご自身が罪人であったからではなく、人類の罪を除くためのあがないの犠牲として、「ただ一度罪に対して死」なれました。(ローマ六ノ一〇)ゆえにイエスの受けるべきバプテスマには犠牲の死のバプテスマがあありました。このバプテスマは苦痛にみちたものであり、それゆえにイエスの心は苦しみました。-ルカ、一二ノ五〇。
48しかし辞書に示されているように、バプテスマつまり浸すことは、つけてから引き上げる、すなわちある物を一時的に液体のに中にひたすことであって、浸してのちに引き上げることを伴います。イエス・キリストは一時のあいだ死の状態にとどまることになっていたにすぎません。預言は、イエスが三日目におこされて生命にもどることを示していました。人間の犠牲としてイエスを死に沈めた全能の神は、もはや人間ではなく霊的な子として三日目にイエスを死から引き上げました。それで完全な人間の犠牲が、和解のための、神の偉大な祭壇から取り去られることはありません。復活後のイエス・キリストにまみえた使徒ペテロのことばで言えば、「キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。こうして、彼は獄に捕らわれている霊どものところに下って行き、宣べつたえることをされた」のです。(ペテロ第一、三ノ一八,一九)このようにしてキリストは、もとおられた天にあって神の霊的な子になられました。キリストはどこから見ても全くの霊者です。(ヨハネ、六ノ六二)この霊的な復活は人間の目に見えませんでした。全能の神は、イエス・キリストの肉体を奇跡的に取り去られました。それはイエスの肉体が犠牲として実際の祭壇の上にささげられたかのようでした。
49エホバ神は三日目に御子イエス・キリストを天の生命によみがえらせて復活を完成されました。そしていまイエスは不滅であるゆえに、ふたたび死のバプテスマを受けることも、ふたたび死[108]ぬこともありません。使徒パウロは、この事実がクリスチャン会衆にとって何を意味するかを明らかにしています。「もしわたしたちが、キリスト共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリストイエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである」-ローマ、六ノ八-一一一。
50クリスチャン会衆すなわち「召された聖徒」は、解放者であるイエスが飲んだのと同じ象徴的な「杯」を飲まなければなりません。すなわち「彼の死にあずかるバプテスマ」を受け、「彼に結びついてその死の様にひとしくなる」のです。こうして彼らはイエスの死にあずかるバプテスマを受けて「彼と共に葬られ」ます。そうでなければ「彼の復活の様にもひとしくなる」、つまり天の不滅の生命によみがえることもありません。この理由で彼らは水のバプテスマ以上のバプテスマすなわち浸礼を受けるのです。それは「キリストイエスにあずかるバプテスマ」すなわち単に人間イエスではなく「キリストイエス」つまり油そそがれたイエス、そして油そそがれた時、神の霊的な子として生み出されたイエスに預かるバプテスマです。彼らは油そそがれた解放者にあずかるバプテスマつまり浸礼をうけなければなりません。(ローマ、六ノ三-五)こうして彼らはかしらであるキリストイエスに結ばれ、「キリストのからだ」である会衆の成員となります。-コリント第一、一二ノ一二,一三,二七。
[109]51このようなバプテスマを施すことが出来るののは、「杯」の与え主である天の父、全能の神だけです。神は、油そそがれた御子イエス・キリストに結ばれるバプテスマを受ける人々を決めます。すなわちイエスに結びついてその復活のさまに等しくなり、神の霊的な子となってイエス・キリストとともに天の栄光の生命にあずかる者を決めるのは神です。神のみこころを行うために自分を神にささげたしるしとして水のバプテスマを受けた信者が、そのあとキリストのバプテスマつまりその死にあずかるバプテスマを受けるかどうかは、神が決めます。水のバプテスマのあと、キリストにあずかるバプテスマつまり浸礼を受ける者として神から選ばれた人々は、神の聖霊によって油そそがれます。その人々は使徒パウロと同じく、「あなたがたと共にわたしたちを、キリストのうちに堅くささえ、油をそそいて下さったのは、神である」と言えるのです。-コリント第二、一ノ二一。
52使徒パウロおよびパウロから右の言葉を書き送られたクリスチャン会衆は、水のバプテスマのあと、やがて神の聖霊で油そそがれました。しかし彼らが霊によって油注がれた時、天から声があったわけではありません。バプテスマを受けたイエスの場合には、天の声が「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」と告げました。(マルコ、一ノ一一)しかしながらパウロと会衆も聖霊によって油そそがれたのであれば、やはり神の霊的な子となるため神によって生み出されたに違いありません。油そそがれたクリスチャンはすべて神の霊的な子だからです。
[110]53クリスチャン会衆の最初の世紀において、水のバプテスマののちクリスチャンが聖霊によって生み出され、油注がれると、そのことは神から授けられるみたまの賜物によって証拠だてられました。みたまの賜物を授けられた人は、外国語を話したり、預言したり、病気や怪我をいやすなどの奇跡を行ったのです。(使徒行伝二ノ一-二一。八ノ一四-一七。一〇ノ三八-四七。一九ノ五,六。コリント第一、一二ノ四-一一)しかし西暦一世紀の終わり頃、イエス・キリストの使徒たちが死ぬと、奇跡を可能にしたみたまの賜物もなくなりました。それはコリント人への第一の手紙一二勝二十七節から十三章十節までにしるされたパウロの預言どおりでした。それでこのような賜物は今日ありません。
54霊の生命に生み出されることは人間の生命に生み出されるのとは違い、地上の父母の意志に左右されません。それはみたまによって生み出すかどうかを決められる神のみこころに依存しています。「光の父」について信者の仲間に書き送ったことばの中で弟子ヤコブはこう述べました、「父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである」。(ヤコブ、一ノ一七、一八)神によって生み出されることは、神の子のおさイエス・キリストと無関係に行われるわけではありません。ヨハネによる福音書一章十一節から十三節には次のことがしるされているからです。
55「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受け入れなかった。しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、[111]血筋によらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである」。
56ここで次のことを考慮に入れましょう。復活後のイエス・キリストは、水のバプテスマを受けた地上の信者に聖霊をそそぐため、エホバ神からいくらかの聖霊を与えられました。「それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである」。エルサレムのクリスチャン会衆に聖霊が初めて注がれた日に、使徒ペテロはこう述べました。(使徒行伝二ノ一-四、三三)そこでイエスが、神の子キリストとしてイエスを受け入れた人々に「神の子となる力を与えた」としるされているのは正しいことです。イエス・キリストは「ただひとり」「神と人との間の仲保者」です。(テモテ第一、二ノ五)イエスはあるユダヤ人指導者の問いに答えて次のように言われました。「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見る事はできない・・・・・・だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない」。(ヨハネ、三ノ三-五)霊によって生み出された神の子たちだけがキリストに結びついて「彼の復活の様にもひとしくなる」ことにより、天の神の国にはいります。
57「キリストイエスにあずかるバプテスマ」あるいは「キリストイエスと結ばれるバプテスマ」(アメリカ訳。新英訳)を受けるのは、神の霊によって生み出され、油そそがれた人々だけです。(ローマ、六ノ三)イエス・キリストはクリスチャン会衆のかしらに任命されており、したがって会衆はキリストにとてからだに相当します。「からだ」である会衆の成員は、神の聖霊すな[112]わち活動力によってこの「からだ」にあずかるバプテスマを受けています。これは水のバプテスマではありません。コリント人への第一の手紙十二章十二、十三節はそのことを次のように述べています。「からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだ[皆一つのみたまに侵された、アメリカ訳。]からである」。その人々は一つの霊によってキリストイエスに結ばれます。
58キリストイエスにあずかるバプテスマすなわち浸礼によってイエスと親しく結ばれる事実は、小アジア、ガラテヤ州のクリスチャン諸会衆に送られた使徒パウロの霊感の手紙の中でも強調されています。イエスは族長アブラハムの血をひく子孫でした。エホバ神は、地のすべての民がアブラハムとそのすえによってみずからを祝福し、永遠の祝福を得ることをアブラハムに約束して誓われました。(創世記二二ノ一七,一八。ガラテヤ、三ノ七-九)約束されたアブラハムのすえの主張な者はイエス・キリストですが、アブラハムのすえは大いに増す、つまり数が増えることになっていました。それでこのすえは、イエス・キリストを神の御子と信ずる人々の会衆をも含むようになります。そのすべてはキリストイエスとともに一つの一致したすえを構成するのです。(ガラテヤ、三ノ一六)それでパウロは次のことばのように、彼らはキリストにあずかるバプテスマを受けます。
59「あなたがたはみな、キリストイエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあながたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシャ[113]人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリストイエスにあって一つだからである。もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである」-ガラテヤ、三ノ二六-二九。
60こうして信者の中には地上の色々な国の人、社会的地位の異なる人、男性も女性もいますが、彼らは多くのすえになるのではなく、ただ一つのすえになるのです。どうしてそうなるのですか。彼らは「キリストに合うバプテスマを受けた」からです。そのすべては弟子になった証拠に、キリストイエスの個性と人格を身につけます。彼らは「キリストイエスにあ」るゆえに、いわば「一つ」、ひとりの複合の人となります。
61「キリストイエスにあずかるバプテスマ」のことを語っている使徒パウロは、理解を助けるたとえを示しています。割礼のある使徒パウロは自分と同じ区ユダヤ人であるコリント会衆の信者を特に念頭において、次のように述べました。「兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいなくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。また、みな同じ霊の食物をたべ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない」-コリント第一、一〇ノ一-四。
[114]62ユダヤ人の先祖が「雲の中、海の中で、モーセにつく」バプテスマを受けたのは、紀元前一五一三年のことでした。その時エホバ神は、馬と馬車に乗って追跡するエジプト人からのがれるイスラエル人すなわちユダヤ人を導いて紅海を渡らせました。そしてイスラエル人を導くために用いられたのがモーセです。救い出された神の民は、全能の神が紅海の水を奇跡的に分けられたので、紅海を渡って東の岸に達しました。紅海の水は彼らの両側に壁となり、エジプト軍の側面攻撃を不可能にしました。またのがれるイスラエル人のしんがりに移された神の偉大な雲は、エジプト人の進路をふさぎ、エジプト人がイスラエル人に追いつけないようにしました。こうして偉大な雲に保護され、両側につづく水の壁の間を通ったユダヤ人の先祖は、比喩的に言ってバプテスマつまり浸礼を受けたのです。(出エジプト、一四ノ一九-二二)殺意にみちた追跡者からユダヤ人の先祖が救われるには、かしらモーセに結ばれ、その導きに従うことが必要でした。このようにして神は雲と水とにより、「モーセにつく」バプテスマを彼らに施されたのです。
63実際にぬれたのは追跡したエジプト人です。彼らが海の底を渡ろうとしたとき、全能の神は海の水の壁をくづして彼らをひとり残らずおぼれさせました。彼らは「モーセにつくバプテスマを受け」ていなかったのです。彼らは滅びましたが、「雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた」ユダヤ人の先祖は解放されました-出エジプト、一四ノ二三から一五ノ一二。
64紅海においてユダヤ人の先祖が受けたモーセにつくバプテスマは、神のみこころを行うため[115]に自分たちを神にささげた、イエス・キリストの信者の水のバプテスマを預言的に表す型ではありません。それは一会衆がひとりの解放者、指導者につくバプテスマすなわち浸礼を受け得ることを示す聖書的な例です。しかしイエス・キリストが、預言されていたモーセのような預言者であってみれば、「キリストに合うバプテスマ」を受けたイエスの追随者は大いなるモーセにつくバプテスマを受けたと言えるでしょう。彼らはいわば、象徴的な紅海をすでに渡り、敵対的な人類の世の「荒野」をいま通っているのです。ゆえに大いなるモーセにずっと結ばれていなければなりません。-申命記一八ノ一五-一八。使徒行伝三ノ一九-二三。
65使徒ペテロが書いた言葉は、キリストの霊的なからだの成員十四万四千人のバプテスマの重要な意義をいっそう明らかにしています。「むかしノアの箱舟がつくられていた間、神が寛容をもって待っておられた・・・・・・その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。※この水[あるいは、この事柄の実体]はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたを救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、今やあなたがたを救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明かな両親を神に願い求めることである」-ペテロ第一、三ノ二〇,二一。
66水のバプテスマを施すことに命ぜられていたペテロはノアの時代に地球をおおった洪水のことから、このような水のバプテスマを当然に思い起こしたかもしれません。(マタイ、二八ノ一九、
――――――――――――
※あるいは、「水を通って救われた」、ヤング訳、また「水によって無事に通過させられた」。ロザハム。
――――――――――――
[116]二〇)しかし水のバプテスマには重要な意味があり、したがってこのようなバプテスマは神の崇拝者にとって重要なものとなります。水のバプテスマは、「からだの汚れを除くこと」の象徴ではありません。ペテロはそのことを明白にしています。それはイエス・キリストの地によってわたしたちが罪から洗われたしるしではありません。このような洗いについては、ヨハネの第一の手紙一章七節および黙示録一章五節に述べられています。むしろ水のバプテスマは、「明かな良心を神に願い求めること」を表すのです。どうしてそうなのですか。
67良心について、使徒はペテロの第一の手紙二章十九節にこう述べています、「もしだれかが、神に対する良心のゆえにつらいことに耐え、不当な苦しみを受けるならば、それはよみせられることである」。(新世訳)つまり神に「よみせられる」ことです。またペテロの第一の手紙三章十六節は次のようにも述べています。「清い良心を保ちなさい。それはあなたがたがキリストにあって行う善行をそしる者が、そのそしることについて、みずから恥じるためである」。(新世訳)それで神に対する清い良心は最も重要です。そして水のバプテスマを受けることは、「明かな良心を神に願い求めることの」表れ、つまりしるしです。ではどのようにして清い良心を神に願い求めますか。イエス・キリストをとおして全く献身し、自分を神にささげることによってそうします。※この献身をするのは、それ以後、神のみこころを行い、神あって生きるためです。そしてわたし
――――――――――――――――――
※アダム・クラーク博士の「新約聖書注解」第二巻一八九七頁b、ペテロの第一の手紙三章二十一節の脚注によれば、「バプテスマは、魂とからだを聖別して神にささげることを意味する・・・・・・」とあります。-一八三六年版。(一一七頁の欄外につづく)
――――――――――――――――――
[117]たちは利己的で罪深い肉欲に関し、また世の諸国民の意志を行うことに関しては死ぬことを望みます。バプテスマのことを語ってのち、使徒ペテロは次のように述べてそれを明らかにしています。
68「この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、体の汚れを除くことではなく、明かな良心を神に願い求めることである。キリストは天に上って神の右に座し、天使たちともろもろの権威、権力を従えておられるのである。このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪から逃れたのである。それは肉に於ける残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像崇拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。今はあなたがたが、そうした度を過ごした淫行に加わらないので、彼らは驚きあやしみ、かつ、ののしっている。彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばく方に、申し開きをしなくてはならない。死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである」ペテロ、第一三ノ二一から四ノ六。
――――――――――――――――――
A・Tロバートソン博士の「新約聖書の絵画的表現」第六巻は、「明かな良心を神に願い求めること」のかわりに「神に対する良心の審問」という表現を使い、ギリシャ語エペロウテマ(「審問」について次のことを述べています。「古典ギリシャ語においてこのことばは質問を意味するのみで答えを意味しない。アントニヌス帝時代の碑文には、審問ののちの元老院の承認に関してこの語が使われている。ここでもその意味に使われているのであろう。すなわち悔い改めて神に帰り、その事実をバプテスマ(このような内面的な心の変化の象徴)によって公に言明したいま、こうして審問を経たのち、神への献身の告白を表すのに、この語が使われている。このように見ると、エイスセオン(神に対して)にエペロウテマ[『審問』]が伴おうと、あるいはスュネイデセオウス[『良心の』]が伴おうと、大きな問題ではない」一二〇頁。
――――――――――――――――
[118]69わたしたちはかつて罪過と罪とによって人類の世の他の人々と同じく死んだ者でした。(エペソ、二ノ一)その時の私たちには神に対して明らかな良心がありませんでした。しかしわたしたち霊的な死人にも、おりよく「福音が宣べ伝えられ」、わたしたちにはこの救いの福音を受け入れました。それで今わたしたちは神に対する明らかな良心を望み、それで、残りの生涯を「神の御旨によって」過ごすために全く献身して、自分を神にささげることにより、明かな良心を神に願い求めたのです。こうして神のみこころのままに生き、「霊においては神に従って生きる」時にのみ、御子イエス・キリストの助けを得て、神に対する清い良心を得る事が出来ます。
70このバプテスマが「今やあなたがたをおも救う」と述べた使徒ペテロのことばに注目してください。そのことばから見て、バプテスマによるこの救いは現在のものであり、将来のものではありません。この点に関して、ノアおよび彼とともに箱舟の中にいた七人のことが思い起こされます。洪水のあいだ彼らの生命は箱舟の中で安全でした。しかもこの八人は洪水の水によって悪人から救われたのです。ペテロの第二の手紙二章五、九節はそのことを述べています。「[神は]古い世を罰することをささしひかえずに、義の伝道者ノアとほかの七人とを守り、不敬虔な者の世に洪水をきたらせ(た)。エホバは敬虔な者を試練の中から救い、正しくない者をさばきの日まで閉じ込めてこれを絶つことをご存じなのである」。(新世訳)神は洪水によって不敬虔な者を滅ぼし、ノアとその家族をそれらの悪人から話して「不敬虔な者の世」から救われました。
71それと同じく、「明かな良心を神に願い求め」て水のバプテスマを受ける人も、人類の世の今の悪い世代から救われます。(ガラテヤ、一ノ三、四)バプテスマを受けてもなおこの世にいることは事実ですが、その人々は世のものではありません。それで、もはや「異邦人の好み」にまかせて歩むことをせず、神の前にやましい良心を持つこともないのです。神の目から見て彼らはもはや罪に定められておらず、したがって世とともに罪せられることもありません。彼らはそのすべてから救われました。どのようにしてですか。この大いなるバプテスマによって、すなわち神のみこころを行うために自分を全くささげたことによって救われたのです。この献身は、のちに水のバプテスマを受けるときに表されます。献身によってわたしたちは明かな良心を神に願い求め、そして献身ののち、この願い求めていた明らかな良心を得ます。それからわたしたちは水のバプテスマによってこの献身を表すのです。神の設けられた、これらバプテスマに関連するいっさいのとりきめが、罪に沈んで良心を失い、罰に定められた人類の世からわたしたちをひきはなし、わたしたちを救うのです。
72死人の中から復活してのち、まだエルサレムの東のオリブ山から昇天しないうちに、イエス・キリストはガリラヤ州においてご自分のもとに集まった弟子にこう言われました。「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあながたと共にいるのである」-マタイ、二八ノ一八-二〇。
73父と子と聖霊の名による水のバプテスマということは、水のバプテスマを受ける信者が三つの事実を認めて受け入れるという意味です。すなわち神は父であり(多くの宗教はこの事実を認めません)、また約束の「女」の「すえ」の父であることを認め、かつ受け入れなければなりません。またイエス・キリストが神の子であり(割礼のあるユダヤ人や他の宗教はこれを認めません)、したがって神の「女」のすえおよび約束の「アブラハムのすえ」の主要な者であることを認め、かつ受け入れなければなりません。バプテスマを受ける者が認め、かつ公に告白すべき最後の点は、イエス・キリストを通して働く霊が、汚れた不浄な悪霊の霊ではなく聖なる霊であり、天の父なる神から出る見えない活動力であるということです。
74バプテスマを受ける人は神のみこころを行うために自分をささげますが、だれに自分をささげるかと言えば、そえrはイエス・キリストの天の父です。こうして自分をささげるのは、自分の追随する神の御子、義なるかたイエス・キリストをとおしてであり、自分自身の義あるいは価値のゆえではありません。(ヘブル、一〇ノ一〇)神のみこころを行うためにあたって神の聖霊すなわち見えない活動力の助けがあることを確信して、そうしなければなりません。これらの事柄を認める信者は、水のバプテスマを受ける資格あります。
75とくに西暦一九一四年以来現れてきた証拠によれば、先にあげたイエスのことばに言われている「世の終わり」の時はいまです。(マタイ、二四ノ三から二五ノ四六)「父と子と聖霊との名によって」施すようにイエスが弟子達に命ぜられた水のバプテスマは、今日に至るまで行われてき[121]ました。しかしこれに関しては、のちの章の中でさらにとりあげましょう。※ここでは、「召された聖徒」であるクリスチャン会衆の特別なバプテスマをすなわち解放者キリストにあずかるバプテスマ、を受けつつある人は、今日、比較的に少数です。それは神の「女」のすえの「残りの」者、「神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たち」に属する人々です。-黙示録一二ノ五,六,一七。
76解放者にあずかる、したがってその死にもあずかるバプテスマを受ける人々の、栄光ある天的な報いは、復活して栄光を受けたイエス・キリストが小アジア、スミルナの会衆に告げられた最後のことばの中に示されています。「あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない」。(黙示録二ノ一〇,一一)解放者イエス・キリストにあずかるバプテスマを受けた、そしてこの「いのちの冠」を得る人々は、人類の他の人々を解放するわざをイエス・キリストとともに行います。
――――――――――――――――
※りっぱな羊飼いイエス・キリストに委ねられている「他の羊」の「おおぜいの群衆」に属する、献身した人々の水のバプテスマについては、第十三章「自由を目指して進む世界中の『善意の人』」をごらんください。
――――――――――――――――
西暦三三年の過ぎ越しの日、死の「バプテスマ」を受ける何時間か前に、イエス・キリストは、弟子達が定期的に特別な晩餐すなわち夕食をする定めを設けられました。イエスが弟子たちのためにこの夕食を始められたことには、一つの目的がありました。この夕食には重大な意味があるのです。イエスご自身がこの夕食に与えられた意味は一般にあやまって伝えられ、その意義をめぐって、意見を異にする人々の激しい宗教論争が戦わされてきました。わたしたちは主の晩餐の意味を正しく理解し、この夕食のとき供えられる物にだれがあずかれるかを理解するのは大切なことです。
2西暦一世紀の半ばごろにおいてさえ、使徒パウロは、主の晩餐が非常に神聖なものであり、それを軽視したり、粗末に扱うことがいかに危険かを、ギリシャ、コリントのクリスチャン会衆に思い起こさせる必要を認めました。彼らは主の晩餐に臨む正しい心がまえを持っていなかったので[123]す。集会の場所においてこの行事をとり行う前に彼らの行った利己的で貪欲なふるまいのために、主の晩餐を守り、その重大な意義を認識することは不可能でした。そこで使徒パウロはこの会衆に次のように書き送りました。
3「そこで、あなたがたが一緒に集まる時、主の晩餐を守ることが出来ないでいる。というのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。あなたがたには、飲み食いする家がないのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに対して、なんと言おうか。あなたがたを、ほめようか。この事では、ほめるわけにはいかない。わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝をしてこれをさき、そして言われた。『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい』。だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主が来られる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである」-コリント第一、一一ノ二〇―二六。
4コリントのクリスチャンのふるまいは、彼らが主の晩餐の目的をはたすことを不可能にしていました。それを守るために一つの場所に集まった時、人々は自分の夕食の食べものやぶどう酒を携えてきて、まずそれを食べたり、あるいは主の晩餐と同時にそれを食べたりしました。人々が朝食あるいは昼の弁当ではなく、夕食を携えてきたということは、主の晩餐が一日どの時刻に行われたかを示しています。つまり、それは午前あるいは午後、日没前の時刻ではなくて晩すなわち日[124]没後の時刻でした。コリント人は自分たちの夕食を食べてから主の夕食を行っていました。それは晩、日没後のことです。聖書に出ているユダヤ人の一日は日没に始まりました。
5このことについて述べる前に使徒パウロは、コリント会衆に分派、分離、分裂があったことを指摘しています。それで主の晩餐を守る時には、ケバ(ペテロ)を宗教指導者と仰ぐ人々、アポロにつく人々、パウロにつく人々がそれぞれグループとなって座を占めたに違いありません。このような有様では、どうしてふさわしく「主の晩餐を守ることができ」るでしょうか。-コリント第一、一ノ一一――一三。三ノ二一,二二。四ノ六。一一ノ一七――二三。
6主の晩餐すなわち夕食をこのように暑かったことは、どんな結果を招きましたか。パウロはそれを次のように指摘しています。「ゆえにだれでもふさわしくないのにパンを食べ、主の杯を飲むものは、主のからだと血に対して罪を犯すのである。人はまず省みて自分を是認してのちにパンを食べ、杯を飲むべきである。みからだをわきまえずに飲み食いをする者は、その飲み食いによってみずからさばきを招く。このゆえにあなたがたの中に弱い者、病む者が多く、また死の眠りについた者もすくなくはない。しかしわたしたちは自分が何者であるかをわきまえるならば、さばかれることはないであろう。しかしさばかれることあるのは、わたしたちが世とともに罪に定められることのないように、エホバの懲らしめを受けるのである。このゆえに、わたしの兄弟よ、それを食べるために集まる時は、互いに待ち合わせなさい。もし空腹の者があるならば、さばきを受けに集まることにならないため、家で食べるがよい」-コリント第一、一一ノ二七―三四、新世訳。
7真のクリスチャンに対し、主の夕食にあずかる前に、ある期間の断食が要求されていたということは全くありません。主の夕食がとり行われている間に空腹をおぼえる心配があれば、自分の家でいつもの夕食をまずとってから、定められた集まりの場所に来ればよいのです。しかし飽食したり、酔って思考力が鈍るほど酒を飲むものがあってはなりません。肉体と精神がそのような状態では、主の夕食においてパンとぶどう酒の意味を正しくわきまえることもできないでしょう。その人は認識を失い、これらのものをないがしろにし、粗末に扱っていることになります。それで「主のからだと血に対して罪を犯す」ことになるのです。その時わきまえることをしなかったゆえに、その飲み食いはエホバ神からの有罪のさばきを招く結果になります。主イエス・キリストを認めない人類の世とともに罪にさだめられないようその人が立ち直るには、神からこらしめを受けなければなりません。ゆえに、主の晩餐を守って祝福を得、神から是認されるには、肉体的にも精神的にも、ふさわしい状態を維持することが必要です。そうすれば、自分を吟味した時、正しい理解と認識をもってパンとぶどう酒にあずかるにふさわしい状態にあることを自覚できるでしょう。
8主の夕食すなわち晩餐には重大な意義があります。それでその意義をしらべ、正しい理解を得るのは大切なことです。それでその意義をしらべ、正しい理解を得るのは大切なことです。わしたちはパンにあずかり、杯から飲むべきですか。それともそうすべきではありませんか。このとき食べるパンはほんもののパンであり、飲むぶどう酒はアルコールを含む、ほんとうのぶどう酒ですか。主の晩餐の席で表象として用いられるパンとぶどう酒にはどんな意味がありますか。たとえバプテスマを受けたクリスチャンでなくても、あるいは表象物のパン[126]とぶどう酒にあずかる資格がなくても、知りたい、また理解したいという気持ちがなければなりません。なぜそう言えるのですか。主の夕食には、きたるべき全人類の解放に光を投げかけ、被造物の人間が「滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る」手立てを明らかにする、そういった意義があるからです。-ローマ、八ノ二一。
9主の晩餐の制定の際に用いられたパンとぶどう酒の杯の意味は、イエス・キリストご自身によって明らかにされました。パンはそのとき終わったばかりの過ぎ越しの岩井の残りであって、たねを入れないパンでした。このことから明かなように、イエスが忠実な弟子たちの守るべき新しい事柄を始められたのは、西暦三三年ニサン一四日の晩のことでした。それは紀元前一五一三年ニサン十四日、エジプトにとらわれていたイスラエル人がはじめて過ぎ越しを祝って以来、千五百四十五周年目に当たる日です。当時、イスラエル人の家族は、きずのない一切の雄羊の血を入り口の二つの柱と鴨居にはねかけ、その家の中に集まりました。この血に保護されて、彼らは焼いた子羊の肉を、その骨を折らないで食べました。イスラエル人の家にパン種をおくことは許されていなかったので、焼いた子羊の肉および苦菜とともに食べたパンは、種を入れないパンでした。またその後の七日間も彼らは種を入れたパンを食べることを神から禁ぜられました。この儀式はイスラエル人に救いをもたらすことになったのです。
10イスラエル人の戸口にぬられた血を見て、エホバの滅びの天使が彼らの家を過ぎ越したので、イスラエル人のういごと家畜のういごは殺されるのを免れました。しかしエジプトのバロの王子を[127]も含めてエジプト人の男のういごと獣の雄のういごは、ことごとく殺されてしまったのです。そのためにバロは預言者モーセの語ったエホバのご要求に屈し、イスラエル人を解放して、エジプトの「奴隷の家」から彼らをさらせました。このようにして神がその選民を解放されたことを記念するため、神はイスラエル人がその後毎年この同じ日つまり陰暦ニサンの月の十四日に過ぎ越しの祝いを守ることを命ぜられました。過ぎ越しはこうして解放を記念する行事となりました。新ユダヤ百科事典一九六二年版三七〇、三七一頁は、過ぎ越しについて、「それはイスラエル人がエジプトから救われたことを記念するものであり、『われらの自由の季節』(ゼマン ヘルーセヌー)として祝われる」と述べています。ユダヤ人の処女マリヤのむすことして、イエスには年毎の過ぎ越しの祝いを守る義務がありました。そしてイエスは死の日に至る迄忠実にそのことをされました。-出エジプト、一二ノ一から一三ノ一八。ガラテヤ、四ノ一―五。マタイ、二六ノ一七―一九。
11昔の過ぎ越しの食事は、新しい解放の夕食の先駆をなすものでした。イエスの称号にちなんでよばれるようになったこの夕食を制定する前に、主イエスは十二使徒とともに従順に過ぎ越しを祝われました。その場にいた十二使徒のひとりマタイ・レビは、そのとき見聞きした事柄を書き残しています。主イエスは、過ぎ越しを守る準備をさせるため、二人の使徒ペテロとヨハネをエルサレムにつかわさました。(ルカ、二二ノ七―一三)使徒マタイはそれにつづく出来事を次のように述べています。
12「弟子たちはイエスが命じられたとおりにして、過越の用意をした。夕方になって、イエスは十二使徒と一緒に食事の席をつかれた。そして、一同が食事をしているとき言われた、『特にあな[128]たがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている』・・・・・・イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』イエスは言われた、『いや、あなただ』。一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた。『取って食べよ、これはわたしのからだである』。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた。『みな、この杯から飲め。これはわたしのからだである』。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた。『みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない』。彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った」-マタイ、二六ノ一九-三〇。
13ローマ・カトリック教会の説くところによれば、この儀式によってイエス・キリストは忠実な使徒たちを祭司つまり文字どおり血肉の人間の犠牲をささげる祭司にされました。そしてこの犠牲は主イエス・キリストご自身の犠牲です。使徒たちは、イエスのことばをくりかえすことによって化体の奇跡すなわち種をいれないパンの実質をイエスの文字どおりの肉に変え、杯の中の、「ぶどうの実から造ったもの」をイエスの文字どおりの血に変える奇跡を行う権をこの儀式によって授けられたと、説かれています。ローマ・カトリック教会の僧職者の説くところによれば、「これはわたしのからだである」また「これは・・・・・・わたしの・・・・・・血である」と言われた時、イエス・キリストご自身がこの奇跡を行われたのです。これは神聖な秘義であって、凝ったり、疑問視したりするのは僭越であるとされています。
14イエス御自身の使徒たちや西暦一世紀の他の弟子たちは、ローマ・カトリック教会のこの教えに対してきわめて僭越であったと言えますか。なぜこのことを問うかと言えば、「新約聖書」つまりクリスチャン・ギリシャ語聖書二十七巻の中で、彼らは”化体”についてなんら述べず、主の夕食をそのように説明してはいないからです。なぜそうなのですか。
15パンが、イエスの肉ではなくてパンよりは何倍も大きいイエスの「からだ」となり、「ぶどうの実から造ったもの」がイエスのほんとうの血になったということが、パンとぶどう酒について言われたイエスのことばの意味であったとすれば、イエスは、木に釘付けにされてカルバリすなわちゴルゴダ(されこうべの場)で死なれる前にご自分を実際に犠牲にされたことになります。また、極言すれば、忠実な使徒たちはほんとうの人間の肉を食べ、人間の血を飲んだことになり、人食いになったと言わねばなりません。これは血を飲み、あるいは食べることをユダヤ人に禁じた神の律法を破る行いです。(レビ、一七ノ一〇,一一)さらに、惑わされたユダヤ人がイエスを木にかけて殺す前に、イエスはご自分を殺し、犠牲にして使徒たちに与えたことになります。さらには、その後クリスチャンの使徒が化体の”秘義”を行ってパンを食べ、ぶどう酒を飲むとき、あるいはそれを他の人々に与えるとき、ユダヤ人ではなくて彼ら自身が「キリストを殺す者」になります。カトリック信徒は過去何世紀ものあいだユダヤ人ではなくて彼ら自身が「キリスト殺し」「神殺し」と呼んできました。
16忠実な使徒がこのようなことをするはずはありません。そのことを得心するため、パンと杯に[130]関するイエスのことばをじゅうぶん考慮に入れたうえで、次のように問うのは、もっともなことと思われます。イエスが割って使徒たちに渡された、種を入れないパンは、どこにあったものですか。それは過ぎ越しを祝うために使ったパンの一部です。ペテロとヨハネが別の店で別々にパンを買ったということも考えられますが、もしそうでなければイエスが使徒たちに手渡されたパンは一つの店のパンでした。ではそのパンの一片に関して、「これはわたしのからだである」と言われた時、それがイエスの「からだ」、イエスの肉の肉になるはずはありません。そのパンがイエス御自身の人間のからだの一部であったことはないのです。ゆえに変わったとしても、それはパン屋のパンが元のパンと同じ大きさの肉の一片に奇跡的変わったにすぎません。
17「これはわたしの血である」とイエスが言われた杯のぶどう酒についても、同じことが言えます。杯のぶどう酒はどこにあったものですか。明らかにそれは、過ぎ越しを祝うためペテロとヨハネがぶどう酒を求めた酒屋あるいは酒藏にあったものです。では、それがイエスの言葉によってイエスご自身の血に変わるはずはありません。そのぶどう酒の実質、「ぶどうの実から造ったもの」は、イエスの血管を流れていたものではありません。したがって、イエスがぶどう酒を人間の血に変えられたと仮定しても、それはぶどう酒が血に変わったにすぎません。それはイエスご自身のからだに流れていた血ではないのです。使徒たちが見、味わい、かいだものは人間のからだを流れていた血ではありませんでした。ガリラヤのカナにおける婚礼の席でぶどう酒がつきた時、イエスはたしかに水をぶどう酒に変えることをされました。そのときの水がめの中の液体は外見も、においも味も、アルコール分を含むほんとうのぶどう酒でした。それを飲んだ者は、自分の視覚、嗅覚、[131]味覚に感ずるものを否定して、これは外見は水であるが実際にはぶどう酒なのだと思い込む必要はなかったのです。-ヨハネ、二ノ一-一一。
18イエスは、カルバリで木にかけられて死ぬ半日以上前に行われた最初の主の夕食の時に、ご自分を犠牲にされたのではありません。パンを祝福して「これはわたしのからである」と言われた時、イエスが使徒たちに理解させようとしたのは、そのパンがイエスの完全な人間のからだを意味する、表す、つまり象徴するということでした。その時イエスのからだはまだカルバリで殺されていませんでした。同様に、ぶどう酒を祝福して「これはわたしの血である」と言われた時、イエスが使徒たちに理解させようとしたのは、ぶどう酒がイエスの血を意味する、表す、つまり象徴するということでした。その時イエスの血はまだカルバリで実際に流されてはいません。このことばは、五つのパンと二つの魚を五千人に食べさせる奇跡を行った時、ユダヤ人に言われたイエスのことばと同様、文字どおりに解すべきものではありません。「わたしは天から下ってきた生きたパンである」と、イエスは言われました。実際にイエスが、わたしたちの食べる文字どおりのパンだというのではありません。つづいてイエスの言われた事柄は、イエスのことばが比喩であることを示しています。「それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」-ヨハネ、六ノ五一。
19主の晩餐が始められた時の模様を伝える歴史的な記録は、聖書の中に四つありますが、イエスの犠牲をささげるために主の夕食を守ることを使徒たちに命じたイエスのことばは、そのどれにも[132]しるされていません。すでに一二三頁の三節に引用したパウロのことばをごらんください。弟子ルがしるしたことも、同労者パウロのことばと一致しています。医師ルカは次のように書きました。「またパンと取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、『この杯は、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい』」。(ルカ、二二ノ一九)これは『わたしの犠牲をささげるためにこのように行いなさい』と言うのとは、まるで違います。パウロを初め医師ルカが書いた、杯に関するイエスのことばを見ると、イエスは象徴的なことばを語っていられることが明らかです。ルカによる福音書二十二章二十節は次のように述べています。「食事ののち、杯も同じようにして言われた、『この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である』」。イエスは、ぶどう酒の杯がそのまま新しい契約であると言われたのではありません。
20医師ルカの書いたこと加えて使徒パウロは、「飲む度に、わたしの記念として、このように行いなさい」と言われたイエスのことばを記録しています。(コリント第一、一一ノ二五)パウロもルカも、イエスの犠牲をささげるためにこのように行いなさいと、イエスが使徒に命ぜられたとは述べていません。そのことをするには、ほんとうの人間の肉と血が必要であったはずです。そのうえ、主の夕食を守るごとにイエス・キリストを実際に犠牲としてささげたのであれば、イエスはそのたびに死なれたわけであり、その人間のからだは何回もささげられたことになります。しかし霊感による聖書に照らしてみる時、そのようなことが可能ですか。ローマ人への手紙六章九,十節によれば可能ではありません。使徒パウロはローマのクリスチャンに次のように述べています。[133]「キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないこと、知っているからである。なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであ(る)。」これからみれば、主の晩餐のたびごとにイエス・キリストが新たに死ぬことは不可能です。一〇七頁四十九節をごらんください。
21この論議は、ヘブル人への手紙十章五節から十節までの次のことばからも裏づけられます。「それだから、キリストが世にこられたとき、次のように言われた、『あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さった。あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。その時、わたしは言った、「神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、見よ、御旨を行うためにまいりました」』・・・・・・この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである」。主の夕食のたびごとにイエス・キリストのほんとうのからだをささげることができないのは、これで明かです。-九一頁二十節以下をごらんください。
22ゆえに主の晩餐を守るのは、人間の罪のためにイエス・キリストを新たに犠牲にささげるのが目的ではなく、神の小羊として十九世紀前に「ただ一度」犠牲となったイエス・キリストを思い起こすためです。種を入れないパンとぶどう酒は、犠牲にされたイエス・キリストのほんとうのからだと、流されたイエス・キリストのほんとうの血をそれぞれ表す、つまり象徴する表象にすぎません。主の夕食を守り、象徴的なパンとぶどう酒にあずかる人は、地的な感覚と分別力をするどくしておくことが必要なのであって、食べ過ぎ、飲み過ぎ、あるいは酔酒のためにぼんやりした頭で[134]その場に臨んではなりません。表象であるパンとぶどう酒が、イエス・キリストのほんとうのからだと血を表すことを認識し、悟ることが必要です。彼らはイエス・キリストのからだと血と犠牲によって清められました。主の夕食をおこなうごとに彼らは認識を深め、また主イエス・キリストのあがないの犠牲に対する信仰を表すのです。彼らはイエス・キリストをふたたび犠牲にするのではなく、イエスの犠牲が人間の唯一の手段である事を示すにすぎません。その証拠に使徒パウロは次のように述べています。
23「『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい』。だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主が来られる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである」-コリント第一、一一ノ二五,二六。
24「飲むたびに」と言われたイエスのことば、また「あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに」と述べたパウロのことばは、真のクリスチャンが同じ年の間に何回も主の晩餐を行うべきことを命じているのではありません。「たびに」という表現があるからといって何回行うかが随意なのではなく、度数を決めたり、命の危うい重病人に主の夕食の表象物を与えたりすることが多くの宗派の決定に委ねられているわけではありません。重大な出来事を記念する行事は年の行事として、つまり年に一度たとえ曜日は違っても、その出来事があったのと同じ日に行われるのがふつうの習慣です。聖書時代の習慣もこれと同じでした。
25たとえば解放の祭りである、イスラエル人の過ぎ越しがあります。神の律法によれば、これは[135]年に何回も行われたのではなく、年に一回、そして紀元前一五一三年のエジプトにおける最初の過ぎ越しと同じ日に行われました。過ぎ越しを祝うのは年に一度でしたが、最初の過ぎ越しからイエス・キリストの死なれた過ぎ越しの日まで千五百四十五間に、イスラエル人はこの祭りを何回も行ったことになります。その過ぎ越しの日に、イエス・キリストは世の罪を取り除く真の過ぎ越しの小羊として死なれました。(ヨハネ、一ノ二九、三六)それゆえにこそ、使徒パウロはクリスチャンが清い生活をすべきことを次のように述べているのです。
26「あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新しい粉のかたまりにたるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ、ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種の入っていない純粋で真実なパンをもって、祭りをしようではないか」-コリント第一、五ノ六-八。
27エジプトにおける最初の過ぎ越しの小羊は、主イエス・キリストを予表していました。したがってイエス・キリストが西暦三三年ニサン十四日の過ぎ越しの日に死なれたのは、予表された事柄は、この同じ日、そしてイエスが実際に殺される何時間か前のことでした。イエスの忠実な追随者は、たとえユダヤ人であっても、エジプトにおける最初の過ぎ越しの小羊を記念して昔からの過ぎ越しを守ることをもはやしません。彼らは、過ぎ越しの小羊の実体であるイエス・キリストを記念するため、表象物のパンとぶどう酒を用いて主の晩餐を守ります。大いなる真実の過ぎ越しの小羊の[136]死を記念することが、エジプトにおける模型的な過ぎ越しの小羊の死を記念することよりもさらにひんぱんに行われても良いでしょうか。そのようなことはありません。それは年に一度の記念日に行われるべきものです。実体の小羊であるイエス・キリストはニサン十四日の過ぎ越しの日に死なれ、また同じその日の晩に主の晩餐を制定されました。それで聖書からみて、主の晩餐を守るべき唯一の日は毎年のニサン十四日です。
28しかしながら今に至るまで主の晩餐は年「ごとに」、まことのクリスチャンによって年一度の記念日に行われてきました。過ぎ越しの小羊の実体であるイエス・キリストが死なれたのは西暦三三年ニサン十四日ですから、その記念日は今までに千九百回以上おとずれたことになります。しかし年ごとに行われ[137]る主の晩餐は地球のように永遠につづくのではありません。使徒パウロが述べたように、まことのクリスチャンは、これを守ることによって、「主が来られる時に至るまで」主の死を告げ知らせるのです。(コリント第一、一一ノ二六)言うまでもなく、主がこられ、そしておられる時、主を「記念するため」の行事は必要ありません。帰ってこられた主はその時もはや離れていず、不在でもなくて、弟子たちともにおられるからです。
29年一回の記念日であるニサンの十四日、日没後に主の晩餐すなわち主の夕食を守ることは、この年に至るまで行われてきました。それは「異邦人の時」「諸国民の定められたとき」が西暦一九一四年の初秋に終わらず、メシヤの治める神の国がその年に天に誕生しなかったということですか。そうではありません。メシヤ[138]であるイエスがその年に来られなかった、あるいはそのとき王位につけられず、イエスの再「臨在」がその時に始まらなかったというのではありません。(ルカ、二一ノ二四。黙示録一二ノ一-五。マタイ、二四ノ三-一四)イエスは来られ、ふたたび「臨在」されていますが、霊者であって目に見えないのです。イエスを待つ弟子たち、つまり女の「すえ」の「残りの子ら」はまだ肉体の人間であり、したがって霊のものを見ることができないためにイエスから今なお離れ、へだてられています。彼らはなお信仰によって歩み、死に至るまで忠実でなければなりません。-コリント第二、五ノ六-九。
30主の晩餐を制定された夜、イエス・キリストはそのあとで弟子たちにこう言われました。「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意が出来たならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」。(ヨハネ、一三ノ一-三。一四ノ二、三)主の晩餐のあと、イエスは使徒たちにむかって次のようにも言われました、「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。しかし、あなたがたは、そうであってはならない・・・・・・あなたがたは、わたしの試練のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、わたしの国で食卓について飲み食いさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう」。(ルカ、二二ノ二四-三〇)イエスのこのようなことばは、「主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである」と述べたパウロのことばの意味にどう影響しますか。
31主の来られる時とはいつのことをさすのか、それがイエスのことばによって決まります。それは一九一四年に異邦人の時が終わってイエスが天の御国に任ぜられた時のことではなく、女のすえの「残りの子ら」が地上にから取り去られ、天に備えられた場所においてイエスのもとに迎えられる時を指すのです。それは一九一四年に天の御国が治め始めた時のことではなく、イエスがその御国契約の下にある弟子たちを地上から連れ去って天の御国に任ずる時のことを指しています。それでイエスのこられることは、聖処女大の花むこが花嫁の家に着き、花嫁をその両親の家から、花むこができないという意味でのへだては取り去られ、御国契約の下にある人々は主イエスに親しくまみえることでしょう。それでイエスを思い出させるものは必要ありません。
32そうであるとすれば、なお地上にいる女のすえの「残りの子ら」は、最後のひとりが地上のすみかから見えない天のすまいと御国にとりあげられて、イエスご自身のもとに招かれるまで、主の晩餐をひきつづき行って「主の死を告げ知らせる」ことになります。なお地上にいる「残りの子ら」がこの年に至るまで主の晩餐をつづけている理由はそこにあるのです。この本の英語版が印刷された年にはおよそ二百の国々に散らばる二万四千あまりのクリスチャン会衆がニサン十四日に主の晩餐を守っていることを報告しています。しかしこの集まりに出席した、関心のある人々がおよそ二百万人上っているのにひきかえ、種を入れないパンの一片をたべ、ぶどう酒の杯から飲んで「主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせる」ことをした人々は一万二千人たらずであっ[140]たことが報告さています。このように少数の人だけで全部の人があずからないのはなぜですか。
33主の晩餐の式において表象物のパンとぶどう酒にあずからない。そしてバプテスマを受けている人々は、主イエス・キリストがヨハネによる福音書十章十六節で言われた「他の羊」に属する者であることを表明しています。その句の中で主イエスは特定の囲いの羊について語ってのち、「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」と言われました。バプテスマを受けたこれら「他の羊」はとくに一九三八年以来、主の晩餐につらなるように、ものみの塔出版物の紙上において招待されてきました。しかし彼らは表象物のパンをぶどう酒にあずかりません。それはなぜですか。聖書からみて、あずかる資格があるのはだれですか。
34主の晩餐を守ることに関するパウロの教訓は、「コリントにある神の教会、すなわち、キリストイエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがた」にあてて書かれました。(コリン[141]ト第一、一ノ一、二)主の晩餐は地上で無期限に開かれるものではなく、「主がこられる時に至るまで」、コリントのこれらクリスチャンをも含む弟子たちのために行われるにすぎません。ゆえにこの神聖な晩餐は、聖別された聖徒の、神の会衆のためだけのものであることが明かです。(コリント第一、一一ノ二六)イエス・キリストはこの会衆の基となる成員すなわち忠実な使徒たちのいる席で主の晩餐を始められました。(エペソ、二ノ二〇-二二。黙示録二一ノ一二-一四)これらの使徒たちはイエスの教訓を会衆の他の者に伝え、西暦三四年のニサン十四日以降それを実施しました。パウロがこの問題について書いたのは西暦五五年ごろです。
35この行事を始められた後、イエスは十一人の忠実な使徒(裏切り者イスカリオテのユダはすでにその場を去っていた)にむかって、御国に関する契約を彼らと結ぶと言われました。それは彼らがイエスの国においてイエスとともにいるためです。この国は天の国であって、地上のエルサレムにある地上の国ではありません。(ルカ、二二ノ二八-三〇。一三八頁三十節をごらんください)イエス・キリストは、天国にはいるための、イエスとの契約に忠実な使徒たちを入れたにとどまらず、その後ひきつづいてご自分の会衆の残りの者全部をこの御国契約に入れました。したがってバプテスマを受けたクリスチャンで、天国にはいるため、イエス・キリストとこの契約を結んだ人々は、使徒たちと同じく表象物のパンとぶどう酒にあずかることを許されています。-黙示録一ノ六。五ノ九、一〇。
36これらの人々はもう一つの契約にもはいっていなければなりません。それは神との契約です。[142]順に回すようにと、ぶどう酒の杯を使徒たちに手づから渡された時、イエスはこの契約のことにふれて次のように言われました。「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である」。(ルカ、二二ノ二〇)「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。(コリント第一、一一ノ二五)イエスのこのことばは、エレミヤ記三十一章三十一節から三十四節の預言が予告した新しい契約をさしているのです。この契約は、エホバ神が預言者モーセをとおしてイスラエル民族と結ばれた古い律法契約にとって代わります。エホバ神とクリスチャン会衆との新しい契約を成立させるために、ご自分の血を与えられたことによって、イエス・キリストは約束の新しい契約の忠保者となられました。そのことは次のよう述べられています。
37「しかし今やイエスはまさった務めを得られた。そこで彼は、さらにまさった約束に基づいて立てられた、さらにまさった契約の忠保者でもあられる。初めの契約に欠けるところがなかったとすれば、第二の契約を求めることはなかったであろう。ところが彼は民をとがめて言われる、「エホバは言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と新しい契約を立てる日が来る・・・・・・」』。『新しい契約』と言われた以上、初めのものを古いとされたのである。古くなり、すたれていくものは、やがて消えていく」-ヘブル、八ノ六-十三、新世訳。
38「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの両親をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。それだから、キリストは新しい契約の忠保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない」-ヘブル、九ノ一四、一五。
39「しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神・・・・・・新しい契約の忠保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である」-ヘブル、一二ノ二二-二四。
40この新しい契約にはいっているゆえに、使徒パウロは自分自身また宣教の同労者テモテを「新しい契約に仕える者」と呼んでいます。(コリント第二、三ノ五、六)新しい契約に入れられる信者はすべてパウロやテモテと同じように、この契約の奉仕者とされます。モーセを忠保者とする古い律法契約に入れられたのは、割礼のある生来のイスラエル人でした。同様に、イエス・キリストを忠保者とする新しい契約に入れられる者は、霊的なイスラエル人になります。それで、ガラテヤ州のクリスチャン諸会衆に送った手紙の中でパウロは次のように述べました。「割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように」。(ガラテヤ、六ノ一五、一六)黙示録七章四節から八節に示されているとおり、この新しく造られた者、霊的なイスラエル人は十四万四千人を数えるにすぎません。
41主の晩餐の時パンを食べ、ぶどう酒の杯から飲むことを許されているのは、バプテスマを受けたクリスチャンで、しかもこの新しい契約にはいっている霊的イスラエル人だけです。しかしその[144]人々はどのようにして新しく造られた者となり、新しい契約下の霊的なイスラエル人となるのですか。ぶどう酒の杯に関連してイエスが新しい契約を発表された時、それを聞いた忠実な使徒たちは生来のユダヤ人すなわちイスラエル人であって、その時には霊的なイスラエル人ではありません。しかし五十一日後の五旬節の日には霊的なイスラエル人となり、イエスを忠保者として新しい契約に入れてもらうことができるのです。イエスはそのことをご存じでした。イエスはニサン十四日の午後にカルバリで死なれ、ニサン十六日に復活されました。復活から四十日目に昇天したイエスは、ご自分のあがないの犠牲の価値を携えてエホバ神の前に現れ、さらに十日後すなわち復活から五十日目に神の忠保者として聖霊をそそぐことをされました-使徒行伝一ノから二ノ三三。
42栄光を受けた天のイエス・キリストは、使徒たちだけに聖霊をそそがれたのではなく、使徒たちとともにエルサレムの二階の部屋に集まっていた百二十人の会衆全体に聖霊をそそがれました。同じ日の五穀には、聖霊が注がれた時の出来事を見聞きして回心し、イエス・キリストを信じたユダヤ人と改宗者およそ三千人にも、聖霊が下ったのです。(使徒行伝二ノ三七-四二)神からの聖霊をそそがれたことによって、彼らは新しく造られた者となり、霊的な被造物となりました。そのことはどのようにして可能でしたか。彼らは聖霊によって神から生み出され、将来、霊的また天的なものを継ぐ、神の霊的な子となったのです。それはヨルダン川でバプテスマを受け、神の霊が下るとともに神から神の子と宣言されたイエスの場合と同様です。(マタイ三ノ一三-一七)その同じ霊によって彼らはイエスと同様に油注がれました。彼らがただちに預言すなわち伝道しはじめたのも、そのためにほかなりません。
43新しく生じたこの関係について、使徒パウロはコリントの会衆に次のように書き送りました。「それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」。(コリント第二、五ノ一六、一七)彼らはキリストイエスにつくバプテスマを経ました。イエス・キリストをかしらとする一つの霊的なからだに合うバプテスマを、霊によって受け、イエスにあずかるバプテスマを受けたのです。(コリント第一、一二ノ一二、一三、二七)ゆえにこれらキリストの霊的なからだの成員は、「彼の死にあずかるバプテスマを受けた」のであり、全員が死によって地上の生涯を終えなければなりません。こうして彼らは「彼に結びついてその死の様にひとしく」なり、それゆえに「彼の復活の様にもひとしく」なります。-ローマ六ノ三-六。
44霊によって生まれたこれらの被造物がキリストに結びついていることは、主の晩餐を行う時に彼らが一つのパンを食べ、ぶどう酒の一つの杯から飲むという事実に示されています。コリントの会衆に手紙を送り、悪霊の横行した偶像崇拝の町、古代コリントにあって、悪霊と交わることなくキリストに結びついているようにさとした使徒パウロは、この点を強調しました。パウロは次のように書いています。
45「ゆえにわたしの愛する者たちよ、偶像崇拝を避けなさい。わたしは悟りのある人に言うように言おう。わたしの言うところは判断しなさい。わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかること[146]ではない。パンは一つであるから、わたしたちは大ぜいいても一つのからだである。皆ともに一つのパンにあずかるからである。肉によるイスラエルなるものを見よ。供え物を食べる者は祭壇にあずかるのではないか。では何を言うべきか。偶像にささげられたものに意味があり、偶像に価値があるだろうか。いな、わたしは言う、諸国民の供える物は神に供えるのではない。悪霊に供えるのである。わたしはあなたがたが悪霊にあずかる者となることを望まない。あなたがたはエホバの杯と悪霊の杯とを合わせ飲むことができない。『エホバの食卓』と悪霊の食卓とにかねあずかることはできない」-コリント第一、一〇ノ一四-二一、新世訳。
46パウロのこの論議によれば、主の晩餐のとき「一つのパン」にあずかる人すべては、霊により生み出されて神の子となり、したがってキリストの「一つのからだ」の成員としてイエス・キリストに結びついていなければなりません。その時はじめて、彼らは一つのパンをさいて食べ、祝福のことばのとなえられた「祝福の杯」から飲むことができるのです。
47かしらであるイエス・キリストと今こうして霊的に結ばれている人々は、死から天の霊者の生命に復活することによってやがては天においてイエス・キリストとほんとうに結ばれます。クリスチャン会衆の復活を論じた使徒パウロのことばのとおりになるのです。「朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまけれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである」。(コリント第一、一五ノ四二-四四)目に見えない天でこのように結ばれることは、結婚にたとえられています。天[147]のこの結婚において花むこはイエス・キリスト、花嫁は霊によって生み出された十四万四千人の追随者の会衆です。この人々は「小羊の妻」となります。このことを念頭においてパウロは、会衆に対する気遣いをつぎのように述べました。
48「わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとりの男子キリストにささげるために、婚約させたのである」-コリント第二、一一ノ二。
49使徒パウロは夫と妻の仲を論じたことばの中で次のように述べています。「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられた・・・・・・キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである」-エペソ、五ノ二五-二七。
50ゆえに主の晩餐においてパンとぶどう酒にあずかる人々は、天の花むこイエス・キリストと『婚約』している自分たちのことを考えなければなりません。(ヨハネ、三ノ二七-二九)その人々は「花嫁」として「小羊の婚約」に招かれ、「夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来る」「新しいエルサレム」の一部となるように召されています。この象徴的な都は「小羊の妻なる花嫁」です。(黙示録一九ノ七-九。二一ノ二、九-一四)表象物のパンとぶどう酒にあずかる人々は、したがって地上の住かを永遠に去り、天において花むことともになることを期待しなければなりません。彼らはイエスが天すなわち「父の家」に供えられた場所に行くのです。-ヨハネ、一四ノ一-三。
51今まで述べたことに照らしてみる時、イエスがどの人々に対して主の晩餐を始められたか、それがだれのためのものであり、どの人々がパンとぶどう酒にあずかる資格を持ち、そして主の晩餐を守ることを命ぜられているかは明白です。それでイエス・キリストが「他の羊」と呼んで区別し、また導くと言われた人々は表象物にあずからないことになります。(ヨハネ、一〇ノ一六)ゆえに一九三七年二月十五日号に至るまで、「ものみの塔」誌(英文)は油そそがれたクリスチャンを対象にして指示を与え、この号の五十頁は一九三七年三月二十六日の記念式に関して「油そそがれた者の会は午後六時以後にそれぞれ集まって記念式をとり行うように」と指示しています。これに従い、「油そそがれた」残れる者の一員であることを自覚する人々は集まってパンとぶどう酒にあずかりました。このようにして彼らは天のものに対する切なる望みをあかししたのです。そしてエペソ人への手紙四章四節から六節のことばどおりに考えました。「からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みをめざして召されたのと同様である。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである」。彼らは一様にひとつの望みに召されました。
52マタイによる福音書二十五章三十一節から四十六節に主が述べられた羊とやぎのたとえに描かれているとおり、「他の羊」が一九二三年当時にも地上にいたことは、すでに一九二三年十月十五日号「ものみの塔」(英文)の三一〇頁(三十三節)に示されていました。しかし彼らを呼ぶ声はそ[149]の時にはなく、「油そそがれた」残れる者とひとつの群れに彼らを集める特別な努力や措置も見られませんでした。これらの「他の羊」(昔の忠実な人ヨナダブによって表されていた)もエホバ神に献身し、父と子と聖霊の名によってバプテスマを受けるのが、聖書からみて正しいということは、一九三四年に初めて明らかにされました。(一九三四年八月十五日号「ものみの塔」二四九、二五〇頁三十一節-三十四節。一九三五年二月一日号四七頁。いずれも英文)それで一九一四年に異邦人の時が終わり、「事物の制度の終結」の時期が始まってから二十年を経ています。(マタイ、二四ノ三、新世訳。ルカ、二一ノ二四)「他の羊」が良い羊飼いイエス・キリストの声をようやく聞こうとしており、一九一四年、天で王の位についたイエス・キリストがヨハネによる福音書十章十六節の約束のことばどおり、「他の羊」を「導」きはじめられていたことは明かです。
53その時以来、百万人近い人々がエホバ神に献身して水のバプテスマを受けました。その人々は油そそがれた「小さい群れ」の残れる者ではなく、「他の羊」に属する者であることを表明しています。事実、この人々が水の浸礼を受けたとき、天国に召される希望、御国の霊的な希望をさしのべられていませんでした。それはなぜでしたか。一九三四年以来、このようなバプテスマが行われ、「他の羊」が集められていることには、どんな意義がありますか。
54それが意味したものは、天国に召される十四万四千人がその時までに選ばれており、御国のために「油そそがれた」者のうち、わずかな残れる者が地上に残されていたということです。(黙示録一四ノ一-三)天の神の国を継ぐ人々は、人数に定めのない大きな群れになるのではありません。[150]イエスは、「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さる事は、あなたがたの父のみこころなのである」と言われました。(ルカ、一二ノ三二)この「小さい群れ」の人数は御国を継ぐ十四万四千人に限られています。ゆえに「事物の制度の終結」の時期にこの数はいつか満たされ、油そそがれた残れる者に加えられる者はなくなります。しかも残れる者の成員が忠実な生涯を終えるにつれて、残れる者の総数は減少していきます。
55第二次世界大戦の勃発した一九三九年には、全世界で七万一千五百九人、神の建てられた御国の福音を宣明していたことが報告されています。「他の羊」を集めることが始まったばかりである事を思えば、その大多数は「小さい群れ」の残れる者であったに違いありません。統計があるのは第二次世界大戦後ですが、それによると一九四八年三月二十五日の主の晩餐に三十七万六千三百九十三人が出席しました。そのうち、表象物のパンとぶどう酒にあずかって、油そそがれた残れる者であることを示した人は二万五千三百九十五人にすぎません。しかし一九六五年四月十六日金曜日の晩、この行事に百九十三万三千八十九人が参列し、そのうちでわずか一万一千五百五十人が表象物にあずかりました。したがってわずか十七年間(一九四八-一九六五)に、「小さい群れ」の忠実な残れる者一万三千八百四十五人がこの世を去ったことになります。
56バプテスマを受けたクリスチャンの何人かが油そそがれた残れる者に加えられたということも考えられます。しかしそれは数を増やすためではなく、天国への召しに不忠実なことを表す者が出た場合、その空きを満たすためです。(ローマ、一一ノ一七-三二を参照してください)しかしこのように代わりとして加えられる者があっても、油そそがれた残れる者の減少の一途をだど[151]りました。代わりとして加えられる数よりも、死んで天国に入れられる忠実な人の数のほうが多いからです。
57御国相続者の残れる者を広く集めるよりも、「他の羊」を集める時が明らかに来ていました。一九三五年五月三十一日、これら「他の羊」に関して真理が啓示されたことは、それを示しています。すなわち十九世紀前に使徒パウロが幻の中で見て、黙示録七章九節から十七節に描いた「大ぜいの群衆」は、地上の世界的な楽園における永遠の生命に召された「他の羊」から成ることが啓示されたのです。「ものみの塔」(一九三五年八月十五日号英文)は「大ぜいの群衆」に関する第二の記事二五〇頁三十三、三十四節に次のことを明白に述べています。
大勢の群衆すなわちヨナダブ一同は、明らかに、イエスが「他の羊」と呼ばれた人々である。忠実な弟子すなわち残れる者に対してイエスは言われた、「わたしはよい羊飼いであって、わたしの羊を知り、わたしの羊[残れる者]はまた、わたしを知っている・・・・・・わたしにはまた、この囲い[王家の者たち]にいない他の羊がある。わたしは彼ら[地的な羊の級]をも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」-ヨハネ、一〇ノ一四-一六。
エホバの組織の中に来て、そこにとどまる者は、天においてであろうと地においてであろうと、一致した群れを成すのである。※
58これらの出来事を記録した一九三四年また一九三五年以後、神に献身し、水のバプテスマによって献身を象徴した人の中にも、集められつつある「他の羊」の「大ぜいの群衆」ではなくて、減少
----------------------
※一九三五年八月一日号「ものみの塔」(英文)に、第一の記事「大ぜいの群衆」とともにのせられた記事「キリストにあずかるバプテスマ」の中で、献身したクリスチャンがキリストの死にあずかるバプテスマを受けるための資格が説明され、このバプテスマは「他の羊」に適用されないことが明らかにされました。
----------------------
[152]の一途をたどる「小さい群れ」に属することを表明した、そして今でも表明している人がごく少数います。
59「他の羊」が広く集められているいま、例外的な存在として、油そそがれた御国相続者の残れる者に、天の父によって加えられた人は、どのようにそのことを自覚するのですか。とくにキリストの使徒が在世中の西暦一世紀とは違って、奇跡を行う聖霊の賜物が、バプテスマを受けた人に授けられることのない今日、そのことはどうしてわかるのですか。(使徒行伝、八ノ一四-一八。一九ノ二-六。コリント第一、一三ノ八-一二)十九世紀前、エチオピアの宦官が奇跡的な聖霊の賜物を受けたことを示す証拠はありません。しかし神の天使は、その宦官に水のバプテスマを施すことを福音伝道ピリポに命じました。当時さしのべられていた唯一の希望が天国に召されることであったのを思えば、その宦官の前途にあったのもやはり天国への召しでした。(使徒行伝八ノ二六-三九)それでこのようなクリスチャンであって、しかも奇跡を行うみたまの賜物を受けない人は、水のバプテスマののち、自分が天の御国に召されているという、まちがいのない証拠を自分の心の中に持っていなければなりません。
60このような見方が正しいことは使徒パウロによっても示されています。パウロは自分と同じく天的な希望にあずかる人々にあてて、ローマ人への手紙八章十二節から十七節の次のことばを書き送りました。「それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果たすべき責任を負っている者であるが、肉[153]に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである」。
61ここで二つの霊すなわち「御霊みずから」と「わたしたちの霊」とが注目されます。神の霊的な子たちの霊とともに「御霊みずから」あかしすると述べられている御霊は、神からのものです。それはエホバ神の見えない活動力であり、神の霊的な子たちに隷属感を与えるのではなくて、神の自由の子として受け入れられた自覚を彼らのうちに呼びおこします。それは堕落した肉欲の行いをするように神の霊的な子たちを動かすのではなく、地上の生涯のあいだ霊的な関心事をまず心にかけるように彼らを動かします。この「御霊」は、神の霊感によって書かれたことばを聖書をとおして、神の霊的な子たちにあかしをします。使徒パウロがローマ人への手紙八章十二節から十七節のことばを書いたのは西暦五六年ごろですが、聖書はその後に完成しました。ゆえに今日では、神の子たちにあかしをする、文字による神のことばがパウロの時代よりも多いことになります。
[154]62神の聖なるみことばは、まずだれよりも神の霊的な子たちのために書かれました。(ペテロ第一、一ノ一〇-一二)そのあとのほうの二十七巻すなわちクリスチャンギリシャ語聖書は、神の霊的な子たちに関して、また彼らに対して多くのことを語っています。それで神の霊感によって書かれたことばは、神の霊的な子たちに書き送られた手紙であると言えるでしょう。さて、人間の父親が自分のむすこに手紙を書く場合を考えても、その手紙は他の人に対するものとは全く違ったふうに書かれ、また語りかけています。みずからを表現することばのはしにも、むすこたちに語り、また約束する事柄にも、むすこに対して父親の持つ霊すなわち精神的、情緒的な性向が表れています。それでやさしい父親の手紙にしみこんでいる、またその手紙にこめられている霊は、手紙を受け取る者にとって、彼らが真実の、愛されたほんとうの子であることのあかしです。手紙を読む、あるいは読み聞かされる子供たちは、その霊の力を感じます。
63では父親の霊が表現されている手紙に対して子供たちのいだく霊、つまり精神的、情緒的な性向はどうあるべきですか。彼らの霊は不審、疑い、懸念をいだくことなく、ただしちに答え応じなければなりません。父の手紙が、たとえば、「愛する子供たちよ」と書き出されているのを見るとき、彼らの霊、つまり即座に感ずる心の性向は、そのことばに答え応じ、心の中で「これはわたし(あるいは、わたしたち)のことだ」と言わせるでしょう。そしてたちまち興味と熱意をいだかせます。彼らは手紙の書き手である父親との結びつきを強く感じます。
64父の愛が表れた手紙のことばを読むとき、子供たちの心は、父親の霊の表れに接して暖められます。手紙が何かの教訓あるいは命令を伝え、あるいは子供たちのすべきことについて父の意向[155]を述べているならば、彼らは自信の霊に動かされて、「わたし(あるいはわたしたち)をそれをしなければならない」と感じ、従順な態度をとて、父の命じている事柄を忘れないようにします。父の手紙が何か良いことを約束しているならば、彼らは自動的に「これはわたし(あるいはわたしたち)のためだ」と言い、幸福な期待に満たされるでしょう。父親にしばらく会っていないとすれば、そして子供たちが父をたずねて親しく語り合うようにと手紙にしるされているならば、彼らはおさえきれない喜びをいだき、待つのももどかしく感ずることでしょう。
65このように父の霊は子供たちの霊とともに、彼らが真実の子であることをあかしします。同様にもし神の霊的な子となり相続者になるとすれば、わたしたちの霊は神の霊とともに、自分たちが天的な希望を持つ神の子であることをあかしするのです。神から送られたことばを読み、それが神の霊的な子たちに語りかけているのを読むとき、わたしたちはためらわずに答え応じます。神のことばはこう述べています。「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、また明かではない。彼が現れるとき、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである」。それでわたしたちは感謝の心をいだき、「それはわたしのことだ」と心の中で言います。「それはわたしと関係ない。わたしは『他の羊』に属する者で、神の霊によって生み出されていない」などとは言いません。-ヨハネ第一、三ノ二。
66「父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理のことばによって御旨のままに、生み出して下さったのである」。ヤコブの手紙一章十八節のこのことばを読むとき、わたしたちは[156]僭越に感ずることなく、「たしかに神は、被造物の初穂の一部としてわたしたちを生み出してくださった」と答え応ずる気持ちになります。「あなたがたは知らないのか。キリストイエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである」。ローマ人への手紙六章三節のこの問いを向けられる時、わたしたちは内にある霊に動かされてこう答えます、「わたしはキリストの霊的なからだの成員となるため、自分がキリストにあずかるバプテスマを受け、したがってキリストの死にあずかるバプテスマを受けたことを確かに知っています。わたしはキリストの死と同様な死にあろうことを予期しています」。
67「あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている」。ヨハネの第一の手紙二章二十節がこのことを思いおこさせる時、わたしたちはすぐに同意し、心の中で次のように言います。「確かにわたしは、主イエス・キリストと同じく神の霊によって油そそがれました。このように油そそがれたことが助けとなって、わたしは神のことばのまことの知識を得、真理を理解することができます」。(ヨハネ第一、二ノ二七)それでわたしたちは油そそがれたイエスと同様、伝道をみずからの責務と考えます。(イザヤ、六一ノ一。ルカ、四ノ一六-二三)また使徒ペテロの次のことばに衷心から同意するものです。「ほむべきかな、わたしたち主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生まれさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである」。(ペテロ第一、一ノ三、四)神が備えてくださったものを喜んで受け、わたしたちはこう言います、「この栄光ある天の資産は、わたしの父の霊的な子たちのすべてとともにわたしの継ぐべきものである」。
68新しい契約、天国その他聖書にしるされたすべての事柄についても同様です。聖書は、霊によって生み出された神の相続者にあてて、またそのために書かれた神の手紙です。わたしたちは内にある子としての霊に動かされ、これらのものが他の人ではなくわたしたちのためのものであることを感じないわけにはいきません。
69ゆえに主イエス・キリストをとおし、祈りによってエホバ神に近づく時、わたしたちは神のすばらしい手紙にあるこれらの事柄を心にとめ、それおがわたしたちのものであるゆえに祈りの中にそれをこめ、自分のものとしてそれを受け入れ、それを自分に当てはめます。神の霊的な子であり相続者である者に神のことばがさしのべる天の希望を、心と思いの中にいだき、神の子のおもだった者イエス・キリストの共同相続者である自分を思い、御国においてイエス・キリストともになることを待ち望みます。地にあるものではなく、上にあるものを思い、また求めるのです。(コロサイ、三ノ一、二)また父の手紙にある「尊く、大いなる約束」を心に思うだけでなく、神の霊的な子に課せられている特別な責任を真剣に考え、それをはたそうとの熱意に燃えます(ペテロ第二、一ノ四)わたしたちは、次のことばを述べた使徒パウロにならうことに努めます。
70「ただこの一事を務めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリストイエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」-ピリピ、三ノ一三,一四。
[158]71神のことばおよび神がしてくださる事柄をとおして働く神の霊は、神によって生み出された者の霊とともにこうして、彼らが神の霊的な子であり、したがって「神の相続人であって・・・・・・キリストと共同の相続人」であることをあかしするのです。(ローマ、八ノ一七)この二つの面のあかしを持つ人は、献身してバプテスマを受けた年が一九三五年以前であっても、以後であっても、毎年ニサン十四日には確信をいだいて主の晩餐につらなり、表象物であるパンとぶどう酒の意義をわきまえ、イエスのことばを守ってそれにあずかります。このようにして彼らは、主が来られて地上から主のもとに彼らを招くまで、主の死を告げ知らせることをつづけます。
72とくに一九三八年以来さしのべられた招きに応じて、すべての「他の羊」も貴重な行事である主の晩餐につらなります。霊的なイスラエル人がするように表象物のパンとぶどう酒にあずかるためではなく、霊的なイスラエル人のわずかな残れる者がすることを見守るために出席するのです。主の晩餐は、罪と罪の払う価である死からの、すばらしい解放、解放者イエス・キリストの千年統治の下で彼らにも及ぶ解放に注目させる晩餐であって、彼らはそのことを認識しています。この解放の夕食が毎年行われるごとに、彼らが敬意をもって出席することは、使徒ヨハネの見た幻の成就の一部です。
73「その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数え切れないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、大声で叫んで言った、『救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる』」-黙示録七ノ九、一〇。二〇ノ四-六。
紀元前一五一三年から千五百四十五年間にわたって、神の会衆は一国民全体から成りたち、何百万人の成員を有していました。それは預言者モーセがシナイ半島の荒野で四十年の大部分をともに過ごした国民です。前述の期間の終わりの時、エルサレムにあったこの国民の最高の宗教法廷においてさばかれていた一人の若い男が、サンヒドリンすなわちこの宗教法廷の、威儀を正した判事たちを前に次のことを述べました。「このモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年の間荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。この人が、イスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセであるこの人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会[会衆、新世訳]にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである」-使徒行伝七ノ三十五-三十八。
2生死をきめるさばきを受けていたときにこう語ったこの若い人は、サンヒドリンの判事に対し、彼らの国民が、モーセの預言した約束の預言者を殺したこと、また彼らの国民が神の会衆ではなくなったことを告げました。これを語った証人ステパノは、石打ちの刑を受けて死ぬすぐ前、証言の結びの中で、国民全体を代表するこれらの判事にこう述べています。「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。(使徒行伝七ノ五一-五三)モーセのような預言者である「正しいかた」を殺したのに加えて、彼らはこの「正しいかた」の追随者のひとりを殺し、大きな罪を重ねました。それは彼らが、真の、「神の会衆」の精神を持っていなかったことを明白に物語っています。-使徒行伝二〇ノ二八、新世訳。
3モーセより偉大な約束の預言者と結びつきのある、新しい「神の会衆」は、エルサレムにおいてステパノが石で打たれて死ぬ少し前に設立されました。※それが設立されたのは西暦三三年陰暦シワンの月の六日、すなわちユダヤ人の五旬節またはシャブオトの始まる日でした。これは新しい
---------------------
※ペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会発行、「神が偽ることのできない事柄」第十一章「まことのクリスチャン会衆の設立」二三七-二五六頁をごらんください。
---------------------
[161]「神の会衆」を設立するのにきわめてふさわしい日です。この祭りについて、一九六二年の新ユダヤ百科事典四四二頁シャーブーオートの項に次のことが出ています。
4「それはまた五旬節として知られている。オーメルを数える七週間が経過してのち五十日目にそれは始まったからである。過ぎ越しの第二日[ニサン十六日]に大麦の初穂の束(オーメル)が供えものとしてささげられ、その日から五十日を数えた。小麦は大麦のあとから収穫される。そこで五十日目すなわちシャーブーオートには、小麦から作られたパンの『燔祭』二つ、すなわち収穫の初穂がささげられた。ゆえにこの節会はハグァ ビクリーム(初穂の節会)とも呼ばれる。ユダヤ人の伝統によれば、シャーブーオートはシナイ山において神から十戒が授けられた時として、いっそうの意義をもつようになった。ゆえにゼマン マッタン トーラセヌー(我らのトーラーの授けられた時期)という別の名がある」。
5出エジプト記十九章一節から二十章二十一節によれば、シナイ山においてイスラエル民族に十戒が授けられたのは、彼らが過ぎ越しの時にエジプトから解放されてのち三月目の事です。そして五旬節(シャーブーオートあるいはシャーブーオース)は過ぎ越しののち三月目に行われますから、十戒の授けられた時と五旬節の時とは一致します。十戒は、シナイ山のイスラエル人がモーセを忠保者として神の結ぶことに同意した律法契約の基本的な律法です。-出エジプト、一九ノ三-九。
6したがって西暦三三年の五旬節は、新しい「神の会衆」が、モーセより偉大な忠保者イエス・キリストを通して「新しい契約」に入れられるにふさわしい時でした。その日エホバ神は、エルサ[162]レムの、ある二階の部屋に集まっていた百二十人の弟子たちの会衆に聖霊をそそがせるため、御子イエス・キリストに権限を与えられました。彼らはクリスチャンではないユダヤ人とともに宮出模型的な五旬節を祝うことをせず、それとは別の会衆として、イエス・キリストが送ることを約束された聖霊のそそがれるのを待っていたのです。そしてその朝、まだ九時にならないうちに、クリスチャンから成る「神の会衆」に聖霊がそそがれました。激しい風が吹いてきたような音とともに火の舌のようなものが現れて百二十人各人の頭のうえにとどまり、「御霊が語らせるままに」彼らが奇跡的に「いろいろの他国の言葉で語り出した」ことは、それを証拠だてました。-ルカ、二四ノ四四-四九。使徒行伝一ノ四-八、十二-十五。二ノ一-四。
7「神の」クリスチャン「会衆」の最初の成員の上に働いた神の聖霊のこの奇跡的な表れを、三千人以上のユダヤ人と改宗者が目撃しました。(使徒行伝二ノ五-四二)エルサレムの地上の宮ではユダヤ人の大祭司カヤパが、種を入れて焼いた小麦のパン二つを揺祭としてエホバ神にささげていました。それは小麦の収穫の初穂を神にささげることを表すものです。こうして大祭司カヤパが、レビ記二十三章十五節から二十一節にしるされた神の律法に従って行っていたことは、ひな型つまり来るべき良い事の預言的な影でした。しかし天では、復活したイエス・キリストが、新しい契約の忠保者として、またメルキゼデクのさまに似た大祭司として、救いをもたらす祭司の勤めの初穂をエホバ神にささげていました。これらの初穂はクリスチャン会衆の最初の成員であり、そのとき新しい契約に入れられつつあった人々です。-エレミヤ、三一ノ三一-三四。
8その五旬節の日、これら百二十人の成員はただ一つの国民すなわち割礼のあるイスラエル国民から選ばれました。しかしおよそ三年半ののち(西暦三六年)、クリスチャン会衆の他の成員は無割礼の非イスラエル民族つまり異邦人からも選ばれることになりました。肉においてユダヤ人であると非ユダヤ人であるとを問わず、彼らはみな聖霊をそそがれて霊的ユダヤ人、霊的イスラエル人となりました。そのすべては一つの霊的な「神の会衆」の成員です。罪のある人類の二つの人種的なわかれから、これらの人々が取り出されたことは、種を入れて焼いた小麦のパン二つの揺祭によって正確に表されていました。
9ヤコブ(一章十八節)は、大祭司イエス・キリストの手から象徴的な「揺祭」を嘉納された神について、「父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである」と述べ、預言的なひな型の真実を示しています。黙示録十四章四節によれば、小羊イエス・キリストの忠実な追随者十四万四千人は「神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者」です。天で神の御前における祭司の勤めをすることにより、また五旬節の日エルサレムに集まっていた百二十人の追随者に聖霊をそそぐことによって、イエスは使徒たちのいるところで言われた次のことばを成就しはじめました。「わたしはこの岩の上にわたしの教会[会衆、新世訳]を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない」-マタイ、一六ノ一八。
10イエス・キリストは象徴的な「岩」であって、イエス・キリストご自身、その上に教会つまり会衆を建てます。それは岩の基礎であるイエス・キリストの上に建てられ、彼の天の「花嫁」また「妻」となるゆえに、イエス・キリストはそれをご自身の会衆として語り、「わたしの教会を建てよう」と言われたのです。(エペソ、二ノ二〇-二二。ヨハネ、三ノ二九。黙示録一九ノ七。二一ノ二,九,一〇)象徴的な「岩」イエス・キリストのほかに、神の会衆には副次的な基礎があります。このような二重の基礎は、割礼のあるイスラエル国民が持っていた基礎に相当するものです。
11族長ヤコブすなわちイスラエルは中心の基また基礎であり、イスラエル十二部族の父またかしらとなった、ヤコブの十二人のむすこは、国民の副次的な基礎でした。ヤコブの十二人のむすこの中で、国民全体のおもな基となった者はひとりもいません。(創世記四九ノ二八)このような成りたちは、霊的な「神のイスラエル」の場合にも見られます。(ガラテヤ、六ノ一六)イエス・キリストはおもな、根本の基礎であって族長ヤコブすなわちイスラエルに相当し、十二使徒は霊的なイスラエルの会衆の副次的な基礎であってヤコブの十二人のむすこに相当します。
12建てようとしていた会衆のために、イエス・キリストは初め十二人の使徒を選びました。(ルカ、六ノ十二-十六。マタイ、一〇ノ一-四)二年後、使徒イスカリオテのユダが不忠実となり、[165]過ぎ越しの晩にイエスを裏切って、イエスの命をねらう敵の手に自分の主人を渡し、自分は自殺しました。それで、イエス・キリストに直接に選ばれた使徒は十一人になったのです。(マタイ、二七ノ一-一〇。使徒行伝一ノ一六-一九)死から復活したイエスはその後四十日のあいだ、見えない霊界から弟子たちにしばしば現れましたが、五旬節の時までに使徒の人数をふたたび十二人にするため、イスカリオテのユダに代わる者を選ぶということはされませんでした。(使徒行伝一ノ一-九)では副次的な基礎となる使徒が十一人のままで、霊的なイスラエルの会衆は五旬節に設立されたのですか。明らかにそうではありません。
13主が昇天してから五旬節までに十日の期間がありました。この期間のいつかに使徒ペテロは、天から聖霊の下る時までに会衆のために十二人の使徒がいなければならないと感じました。およそ百二十人の中の男子の成員一同に向かって、ペテロは次のように語っています。
14「兄弟たちよ、イエスを捕らえた者たちの手引きになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった。彼はわたしたちの仲間に加えられ、この務を授かっていた者であった。(彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、そこへまっさかさまに落ちて、原画まん中から引き裂け、はらわたがみなが流れ出てしまった。そして、この事はエルサレムの全住民に知れわたり、そこで、この地所が彼らの国語でアケルダマと呼ばれるようになった。「血の地所」との意である。)詩篇[六九ノ二五および一〇九ノ八]に、『その屋敷は荒れ果てよ、そこにはひとりも住む者がいなくなれ』と書いてあり、また『その職は、ほかの者に取らせよ』とあるとおりである。そういうわけで、主イエスがわたしたちの間にゆききされた期間中、す[166]なわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない」-使徒行伝一ノ十五-二十二。
15ペテロは霊感による聖書を導きにすることを求め、その場にいた他の人々も同様でした。人々は、ペテロの述べた資格に照らして適当な人を自分たちの中に求めました。十一人の使徒を別にして、このような人が少なくともふたりいました。そのいずれもイエスの異父兄弟ではありません。(使徒行伝一ノ一四)しかしそのひとり、あるいは両方とも、主イエスがあるとき選んでつかわされた七十人の福音伝道者の中にいたということは考えられます。しかし確かなことはわかりません。(ルカ、一〇ノ一-一七)さて集まっていた人々はこのふたりの中から選ぶにあたって民主主義的な投票の方法をとらず、くじをひくことによって選択の決定を天にまかせました。人々は箴言十六章三十三節の次のことばを心にとめていたのでしょう。「人はくじをひく。しかしそれによって定まるすべての事はエホバからのものである」。(新世訳)人々は次のようにしました。
16「そこで一同は、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立て、祈って言った、『すべての人の心をご存じである[エホバ]よ、このふたりのうちのどちらを選んで、ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせたので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった」-使徒行伝一ノ二三-二六。[新世訳]。
[167]17くじによってマッテヤが指名されたことに異議を唱えた者は、居合わせた百二十人の中にひとりもいませんでした。そのような者がいたということは記録されていません。その後マッテヤは十二使徒のひとりとしてすべての人に認められ、またそのように呼ばれました。たとえば、それからしばらくたって、ヘブル語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人とが争った時、それを治めるために「十二使徒は弟子全体を呼び集め」たことが記録されています。(使徒行伝六ノ二)十二使徒をを意味する同様な表現はマタイによる福音書二六ノ一四、四七、マルコによる福音書四ノ一〇、六ノ七、九ノ三五、一〇ノ三二、一四ノ一〇、一七、二〇、四三、ルカによる福音書八ノ一、九ノ一二、一八ノ三一、二二ノ三、四七、ヨハネによる福音書六ノ六七、七一、二〇ノ二四にも使われています。またイエス・キリストが復活して現れたことを述べたことばのなかで、パウロはコリント人への第一の手紙十五章五節から八節にこう書きました。「[キリストは]ケバに現れ、次に、十二人に現れ・・・・・・そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、そして最後に、いわば、月足らずに生まれたようなわたしにも、現れたのである」。明らかにパウロは自分を「十二人」のひとりとは考えていません。
18「神の」クリスチャン「会衆」は西暦三三年シワン6日に使徒たちを基として設立されました。そしてタルソのサウロが奇跡的にキリスト教に改宗したのは、西暦三四年か三五年であったと思われます。※それまでのあいだずっと霊的なイスラエルの会衆が、タルソのサウロの改宗と、使徒
---------------------
※J・D・ダグラス博士編「新聖書辞典」一九六二年版二二七頁、「概略年表:新約聖書」をごらんください。
---------------------
パウロとしての彼の任命を待ち、十一人だけの使徒を基にしていたと考えることは理にあいません。たしかにマッテヤはイエス・キリストに直接選ばれた使徒ではありませんが、少なくともエルサレム会衆の使徒になりました。同様な例としてはシリヤ、アンテオケの会衆の使徒となったレビ人のヨセフ・バルナバがいます。(使徒行伝一三ノ一-四。一四ノ四、一四。コリント第一、九ノ四-六。コリント第二、八ノ二三。ピリピ、二ノ二三)このようにして、ヤコブの十二人のむすこを十二部族のかしらとする肉のイスラエルと、十二使徒を副次的な基とする「神の」クリスチャン「会衆」とは、西暦三三年の五旬節以後ずっと類似点を失わなかったのです。
19改宗の十二年後にパウロと呼ばれたタルソののサウロが、イエス・キリストの真実の使徒となったことに疑問の余地はありません。しかもパウロは復活して昇天したイエス・キリストに直接選ばれたのです。(使徒行伝九ノ一-二二、二二ノ六-二一。二六ノ一二-二三。一三ノ九)復活後の主イエス・キリストにまみえたこと、すばらしい奇跡を行ったこと、バプテスマを受けた信者に聖霊を授ける経路となったことなどは、パウロに使徒の資格があることを示しています。(コリント第一、九ノ一、二、五。一五ノ九。コリント第二、一二ノ一二。テモテ第二、一ノ一、一一。ローマ、一ノ一、一一ノ一三)使徒と呼ばれた人のすべてが同じ地位を占めていたのでないことは、聖書からも明かです。復活の前あるいはのちの主イエス・キリストに直接選ばれた使徒は十二人しかいません。(マルコ、三ノ一三-一九。使徒行伝九ノ一五-一八、二六、二七)タルソのサウロが任ぜられて使徒パウロとなったのは、くじによってマッテヤが選ばれ、十一人の忠実な最初の使徒に加えられたあとのことですが、それでも聖書の中でパウロは「十三番目の使徒」と呼ばれていません※黙示録二十一章十四節は、天の新しいエルサレムに「十二の土台」があり、それに「小羊の十二使徒の十二の名」が刻まれていることを示しています。
20もしこれが西暦三三年五旬節の日の副次的な使徒の基をさすとれば、これら「十二の名」にはマッテヤの名が含まれていることになります。しかし「小羊の十二使徒」という表現がイエス・キリストに直接選ばれて使徒に任ぜられた十二人を意味するのであれば、「十二の名」にはマッテヤではなくてパウロの名が含まれていることになります。黙示録二十一章二節および九節から二十六節は天において栄光を受け、完成した「神の会衆」を示す預言的な幻であって、西暦三三年五旬節の「神の」クリスチャン「会衆」を描いたものではありません。そのことを心にとめる必要があります。使徒パウロが諸方のクリスチャン会衆また個人にあてて書いた十三通ないしはそれ以上の手紙から判断すれば、「神の会衆」全体を建て起こすという面でパウロはマッテヤよりも多くのことをしました。また今日「神の会衆」の残れる者の信仰は、パウロの書いた者に因るところが大きいのです。明らかにパウロは「神の家族」「エホバの聖なる者」の「使徒たちや預言者たちという土台」の一部でした。-エペソ、一ノ一、二ノ十九-二十二、新世訳。三ノ一-五。四ノ八-一一。
21「神の会衆」を治めることはどのように行われますか。天からですか。それとも地上の宗教家の手によってですか。「神の会衆」という表現そのものからも、だれがそれを治めるかはおのず
---------------------
※一九二一年一月十五日号「ものみの塔」(英文)三五〇、三五一頁、「十二人のひとり?」の項とくらべてください
---------------------
[170]と明かです。それは天の神であって、宗教指導者たる人間ではありません。聖書の中で天あるいは諸天ということばは神と同じ意味に使われています。たとえば使徒マタイはたいていの場合、「天国」ということばを使っていますが、マルコ、ルカ、ヨハネはイエス・キリストの生涯をしるした記録の中で「神の国」ということばを使っています。(マタイ、三ノ二。四ノ一七、二三。六ノ三三。一九ノ二四。二一ノ三一、四三。マルコ、一ノ一四、一五。ルカ、四ノ四三。六ノ二〇。ヨハネ、三ノ三、五)預言者ダニエルもネブカドネザル王にむかって「天はまことの支配者である」また「いと高き者が人間の国を治め」ると語っており、「天」ということばを同じように使っています。(ダニエル、四ノ二五、二六)「神の会衆」を治め、管理するのは、したがって天であり、その支配と管理は神権的なものです。
22神権的な支配は、民主的な、つまりこの場合で言えば会衆による支配とは全く違うものです。イスラエル国民は昔の模型的な、エホバ神の会衆でしたが、その支配は会衆によるものではありません。それは国民を構成する人々による、下からの支配ではなく、「人民の、人民による政府」、共和制、民主制の支配ではありませんでした。人々はエホバ神が王また律法授与者であることを認めて、エホバ神に従いました。イスラエルの国民的会衆に対する神の公の地位について、イザヤ書三十三章二十二節は次のように希望にみちたことばを述べています。「エホバはわれらをさばきたまふもの、エホバはわれらに律法をたてまひし者、エホバはわれらの王にましまして我らをすくひたまふべければなり」。(文語)エルサレムの位にすわった時のダビデ王も、神にむかって「エホバよ国もまた汝に属す汝は万有の首と崇められたまふ」と述べました。ゆえにシオン山上のダビデ王の位は「エホバの位」と呼ばれました。-歴代志上二九ノ一一、二三、文語。
[171]23忠実であったと時の、イスラエルの国民的会衆は、キリスト教時代の「神の会衆」の預言的なひな型でした。ゆえに霊的イスラエルの神の会衆の支配は同様に神権的なものでなければなりません。それは民主的な、あるいは会衆による支配ではないのです。この神権的な支配は地上の教階制によって行われるものではありません。教階制による支配は、キリスト教国最大の、最も有力な宗教組織の特色となっていますが、いったい霊感による聖書の中には、教階制によるクリスチャン会衆の支配を裏づける根拠がありますか。教階制という語はふたつのギリシャ語のことばから出ており、祭司職による支配を意味しています。しかしこのことばは、はじめギリシャ語で書かれた、霊感によるクリスチャン聖書にあらわれていません。クリスチャンギリシャ語聖書の中で、大祭司を意味するアルキエリウスの語は何回も使われているのに教階制すなわちハイアラキーという語は出ていないのです。
24カトリック百科事典一九一〇年ニューヨーク版第七巻「教階制」の項(三二二頁)に次のことがでています。
「(ギリシャ語でヒエラルキア。ヒエロス、神聖な。アルケイン、支配、命令)この語は偽ディオニシウス・アレオパギタ(六世紀の人)以来、教会における支配権力の全一性を示すために用いられてきました。彼は「神聖な教階制および「聖職者の教階制」という表現を用いて、この語を神聖なものにした」。
25同じ第七巻の三二六頁「初期教会の教階制」の項には、次のように出ています。
教階制の語はここで司教、司祭、助祭(ミニストリ)の三段をさす。カトリック教義(トレント会議二十三部会、教会法六)によれば、この三段の品級は神的制定に基づくものである。この教階制は別の名[172]を品級権の教階制という。その三段が品級の三段に相当するからである。しかし教階制の語はさらに広い意味に用いられる。教会の首位者、キリストの代理者(教皇)なるローマ司教を含めることによって、もうひとつの尊厳ある品級が加えられる。教階制は神意に基づくものであるゆえに、前述の品級の三段は教皇に従属する。しかし教会制定の諸聖職をも考慮に入れるならば、教階制は、残りの聖品段すなわち副助祭職および下級聖品のみならず、品級自体に由来しない特定の機能を有する聖職者の全部を含む、枢機卿、教皇特使、教皇使節、総大司教、首座大司教、首都大司教、大司教、司教総代理、助祭長、聖堂区主任司教、教区牧師、牧師補などがそれである。この広い意味における教階制は裁治権の教階制と呼ばれる。これらの聖職者は教会内において実際の権能を持つからである。教階制という語にはさらに第三の意味がある。この意味における教階制は聖職者と平信徒を含む全教会組織をいう。彼らはすべて教会の成員だからである。ヒエラルケスという用語に相当するハイアラキーアの語は、偽ディオニシウス・アレオパギタ以前には現れていない。
26ここにかかげた引用文は、「教階制」の語が聖書から出たものではなく、聖書の成立から五世紀を経た後代に使われはじめたことを認めています。この引用文の中には教階制の、照合を冠した聖職がなんと多く上げられているのでしょう。教階制がこのようなものであってみれば、「初期教会の教階制」をうんぬんすることは聖書にかなっていません。使徒から伝わった、霊感による聖書の示すところによれば、「神の会衆」が発足してのち最初の一世紀にこのような制度は存在していなかったからです。西暦三三年の五旬節以降、「神の会衆」は、教階制による支配ではなく、神権的な支配、つまり会衆の見えないかしらである、栄光を受けた御子イエス・キリストをとおしての、天の神の支配を受けました。
27イエスの昇天から五旬節までの十日間においてさえ、使徒ペテロみずからがマッテヤを任命して、裏切り者イスカリオテのユダに代わる使徒にならせたのではありません。その選択と任命は、会衆の人々のがエホバ神に祈り、くじによって決められました。それはペテロが決めたことではありません。(使徒行伝一ノ一五-二六)またペテロは、メソポタミアのバビロンで書いたペテロの第一の手紙の中で自分のことを「イエス・キリストの使徒」また「長老[プレスブュテロス]のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする榮光にあずかる者である」と述べています。(ペテロ第一、一ノ一。五ノ一)ペテロは、自分が法王はおろか、ローマ司教であるとさえ述べておらず、次のことばで手紙を結んでいます。「キリストにあるあなたがた一同に、平安があるように」-ペテロ第一、五ノ一四。
28一世紀の半ばごろ、ローマの会衆にあてて書かれた手紙が一通あります。しかし筆者の死とパウロはローマの司教にあててこの手紙を書いておらず、「司教」(エピスコポス)ということばさえ、どこにも用いていません。それでパウロは単なる儀礼としてローマ司教のことをとりたてて述べることさえしていないのです。ローマ人への手紙の最後の章にパウロが個人的に名前をあげているクリスチャンの中にペテロあるいはケパの名はみあたりません。パウロは「きよい接吻をもって互いに挨拶をかわしなさい。キリストのすべての教会から、あなたがたによろしく」と書いています。(ローマ、一六ノ一六)しかし、もし使徒ペテロがローマにいたならば当然ありそうに思われるペテロへのあいさつはありません。手紙の冒頭の句を見ても、それは法王あるいはローマ司教にあてて書かれておらず、次のように述べています。「キリストイエスの僕・・・・・・召されて使徒となったパウロから・・・・・・ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ」。(ローマ、一ノ一-七)当時のローマの最高僧院長はローマ皇帝ネロであって、ペテロのようなクリスチャン使徒ではありません。最高僧院長ネロはローマの異教の祭司長であり、「神の会衆」を迫害する者となりました。
[174]29使徒ペテロは、バビロンで書いたその第一の手紙の中で、人間の階級制度によって「神の」クリスチャン「会衆」を治めるのが不適当なことを示しています。組織の中に聖職階級を設けるならば、俗人すなわち平信徒もまたいることになります。しかし霊感を受けた使徒ペテロは、会衆を聖職者と平信徒に分けるべきではないことを明白に示しています。ペテロは、会衆全体つまり神の霊によって聖別されたすべての人に対し、彼らがひとり残らず霊的な祭司であることを告げて、こう書きました。
30「主[イエス・キリスト]は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神に喜ばれるの霊のいけにえを、ささげなさい・・・・・・あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国[王なる祭司、文語]、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗闇から驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。」-ペテロ第一、二ノ四-九。
31ここで使徒ペテロが引用しているのは、神が昔のイスラエル民族にかつて言われたことばです。神はモーセをとおして彼らを律法契約に入れたときにそのことばを言われました。ペテロは、そのことばが「神」のクリスチャン「会衆」によって実現され、会衆の全員が神の「選ばれた種族」、神の「聖なる国民」、神の「祭司の国」となっていことを述べています。(出エジプト、一九ノ三[175]ー六)昔のイスラエル民族の場合、モーセの兄弟アロンの家計に生まれた男子のみが祭司職につきました。しかし霊的イスラエルの場合はそれと異なっています。つまり王なる祭司となったのは「聖なる国民」を成す彼らの全部であり、選ばれた一部の者だけではありません。そこで使徒はペテロの第一の手紙五章一節からの全部であり、選ばれた一部の者だけではありません。
32「私は、あなたたちの中の長老[プレジビター、カトリック、コンフラタニティ訳]たちにすすめる。私もかれらと同じ長老[ギリシャ語プレスブュテロス]であって、キリストのおん苦しみの証人であり、やがてあらわれる光栄にあずかる者である。あなたたちにゆだねられている、神の群を牧せよ。強いられてではなく、(神に従って)心からおこない、汚らわしい利益のためではなく、献身的におこない、(ゆだねられた団体[ギリシャ語クレローン。ゆだねられた人々、カトリックコンフラタニティ訳]に)支配権の重みを感じさせず、むしろ群れの模範となれ、そうすれば、牧者のかしらがあらわれるとき、あなたたちは普及の光栄の冠を受けるであろう」。
33このことばから次の事柄に注目して下さい。ペテロもそのひとりであった「長老」あるいは「プレジビター」は「ゆだねられた人々」(カトリック、コンフラタニティ訳)の上に権力をふるうべきではありませんでした。そしてペテロのこの教訓自体、「神の会衆」を治め、支配するものが階級制度や聖職者であってはならないことを示しています。「長老」あるいは「プレジビター」に「ゆだねられた」これらのクリスチャンもまた、一人残らず、この「選ばれた種族」、この「聖なる国民」、この「王なる祭司」の一部でした。彼らはすべて王なる祭司であり、会衆の霊的に古い成員つまり「プレジビター」(カトリック、コンフラタニティ訳)がこの「王なる祭司」の上に権[176]力をふるってはなりませんでした。祭司を意味する英語プリーストはギリシャ語プレスブュテロスから出ていますが、プレスブュテロス自体は祭壇に犠牲をささげる祭司を意味していません。
34リデル、スコット共編希英辞典 第二巻一四六二頁bによれば、このギリシャ語は単に「年長者、古い人、のちになってキリスト教会の長老、プレジビター」を意味することばです。それで「王なる祭司」の会衆の上に長老制主義者が権力をふるうことがあってはなりませんでした。ここに使われている「祭司」ということばはギリシャ語プレスブュテロスの訳語ではなく、ギリシャ語ヒエラテウマを訳したものです。ゆえにドーウェイ訳聖書(一六〇一年)が使徒行伝十四章二十二節、十五章二節、テモテへの第一の手紙五章十七節、テトスへの手紙一章五節、ヤコブの手紙五章十四節においてプレスブュテロスをプリースト(祭司)と訳しているのは間違いであり、誤解を招きます。「長老」を意味するプレスブュテロスという語は、必ずしも年長者ではなく、霊的な成長を経た古い人、したがって会衆において奉仕する責任の地位にふさわしい人をさして用いられます。
35ローマ・カトリックのドウェイ訳および新教のジェームス王(欽定)訳聖書は使徒行伝二十章二十八節、ピリピ書一章一節、テモテ前書三章一,二,八,十二節、テトス書一書七節、ペテロ前書二章二十五節においてビショップ(司教または主教)(「監督」およびディーコン(助祭または執事)ということばを使っています。(使徒行伝一ノ二〇、ドウェイ訳 詩篇一〇八ノ八においてビショップリック、司教の職)このような語は宗教家の称号として使われていますが、それはヨブ記三十二章二十一、二十二節(バルバロ訳)の精神に反することです。「私は、誰のほうにも傾らず、誰にもへつらわないだろう。私はへつらいを知らない、そうしないと、創造主は、すぐさま、私を亡ぼされるだろう」。ビショップということばは、「見守る者、監督、保護者、斥候、見張り、取締、検閲者、キリスト教会の監督者」を意味するギリシャ語エピスコポスの訳語です。(リデル、スコットの辞典)もう一つのことば、ディーコンは、「しもべ、使い、寺院あるいは宗教団体に働く人」を意味するギリシャ語ディアコノスの訳語です。これらの簡単なギリシャ語を「へつらい」の称号に変えることを好まない現代の聖書翻訳者、エピスコポスをビショップ、ディアコノスをディーコンというふうに音訳せず、文字通りの意味を伝える英語を使っています。
36たとえば、スミス、グッドスピードの旧新約聖書アメリカ訳(一九三九年)によってピリピ人への手紙一章一、二節をみると次のようになっています。「キリスト・イエスのしもべ、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスと一致している、神の民すべて、ならびに監督たちと補佐たちへ。父なる神と主イエス・キリストがあなたがたに祝福と平安を与えられるように」。この翻訳はテモテへの第一の手紙三章一,二,八、十二節にも「監督」および「補佐」ということばを用いています。新世界訳聖書(一九六一年)も「監督」および「補佐のしもべ」という簡明な語を用いています。
37「神の会衆」が神権的なもので民主的なものではなく、宗教階級制度の支配を受けないとすれば、聖書時代における真実の「神の会衆」には、どのようにして会衆の監督や補佐のしもべがたてられたのですか。それらの人はどのようにして会衆内で責任の地位を占めたのですか。
[178]38宗教界の一部には、使徒行伝十四章二十三節に述べられている手続きに従おうとする試みがありました。その聖句は使徒パウロとバルナバについて次のように述べています。「投票によって会衆ごとに長老を任命し、断食して祈ったのち、彼らはその損じている主にゆだねた」。(ヤングの直訳聖書)あるいは「また投票によりて会衆ごとに長老を任じ、断食して祈り、彼らをその信ずるところの主に委ぬ」。(J・B・ロザハム訳エンファサイズド・バイブル)この投票は会衆の成員によって民主的な方法で行われたもの解釈されました。ここで「投票によって・・・・・・任命」と訳されたギリシャ語の動詞がケイロトネインであることが、この解釈を有力にしたもの思われます。このことばは、文字通りには「延ばす、さしのべる、または手をあげる」。したがって「手をあげて専任する、選んで職務につかせる」、あるいは「(方法のいかんを問わず)投票によって選ぶ」ことを意味します。ージョン・バークハースト著「新約聖書の希英辞典」(一八四五年)六七三頁a。
39しかしこの句(使徒行伝十四章二十三節)のギリシャ語における文法上の構造によれば、手をさしのべたのは使徒パウロおよびバルナバであって会衆ではありません。ゆえに会衆が広報車に投票して職につける、民主的な方法は行われませんでした。この場合にギリシャ語ケイロトネインは「任命す、職に任ずる」ことを意味しています。(同辞典)このギリシャ語の動詞はドウェイ訳およびジェームス王(欽定)訳聖書において「オーデイン」(聖職に任ずる)と訳され、他の聖書(カトリック・コンフラタニティ訳。アメリカ訳。改訂標準訳。新英訳。新世訳)では「アポイント」(任命する)と訳されています。一九六一年版新世界訳は使徒行伝十四章二十三節を次のように訳しています「そのうえ古い人々[プレスブュテルース]を会衆内の務めに任じ、断食して祈り、彼らを[179]その信じたエホバにゆだねた」ー一九五九年九月十五日号「ものみの塔」三五七ー三五九頁。「御心が地になるように」(一九六三年)一六二ー一六七頁。
40使徒のパウロとバルナバ自身も、シリヤのアンテオケから宣教のわざにつかわれるに先立ち、自分たちの上に手をさしのべてもらう、つまり手をおいてもらいました。使徒行伝十三章一節から四節に次のように出ています。「さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。一同が[エホバ]に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が『さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当たらせなさい』と告げた。そこで一同は、断食と祈りとをして、手をふたりの上においた後、出発させた。ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った」ー[新世訳]。 41それでアンテオケ会衆の使徒に任命され、宣教者としてつかわされるために、バルナバとタルソのサウロが選挙運動をしたということはありません。アンテオケ会衆を代表する人々を天が聖霊によって指図したので、彼らは天からの命令に従い、奉仕への任命を目に見えるさまで確認したしるとしとしてバルナバとサウロの上に手をおきました。バルナバとサウロのこの任命を、エルサレムの使徒たちに確認してもらう必要はなかったのです。
42同様なことがこれより何年も前にエルサレムの会衆で起きています。食糧の分配のことで問題がありました。「そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、『わたしたちが神の言をさしお[180]いて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。そこで、兄弟たちよ、あながたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を探し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、わたしたちは、もっぱら祈りと御言のご用にに当たることにしよう』。この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、使徒たちの前に立たせた。すると、使徒たちは祈って手を彼らの上においた」ー使徒行伝六ノ一-六。
43これはタルソのサウロがユダヤ教からキリスト教に改宗する以前の出来事です。それでエルサレムの十二使徒の中にはマッテヤが含まれていました。(使徒行伝一ノ二三-二五)使徒ペテロではなく、会衆の統治体として十二使徒の全部が指図して事を運び、祈ってから七人の人を任命しました。これは十二使徒が、その承認した人々の上に手をおくことによって行われたのです。使徒ペテロは法王であるかのようにふるまってはいません。
44その後十年以上たって西暦四九年ごろ、ある緊急な問題について決定を下すため、使徒たちとエルサレム会衆の霊的に古い人々(長老)とが集まって協議しました。それは信者となった無割礼の異邦人をクリスチャン会衆の成員として迎え入れる前に、彼らに割礼を施すべきかどうかの問題でした。アンテオケの会衆は全世界のクリスチャンの統治体にこの問題を解決してもらうため、パウロ、バルナバおよび他の人々をつかわしました。(使徒行伝一一ノ二六。一五ノ一-五)エルサレムで開かれたこの会議の席上、統治体全員のために指導的な発言をしたのは使徒ペテロではなく弟[181]子ヤコブでした。ヤコブは発布すべき布告になんとしるすべきかを提案しました。それは異邦人の信者に、肉の割礼を受ける義務がないことを言明しています。それには次のことが記されていました。
45「あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟がたに、挨拶を送る・・・・・・聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことを決めた。それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」ー使徒行伝一五ノ二三-二九。
46そののちパウロとバルナバは、この問題に関係のある異邦人の信者にこの決定を伝え[182]ました。(使徒行伝一五ノ三〇-三五)栄光をうけた会衆のかしらの手で直接に選ばれてイエス・キリストの使徒となったパウロは、一世紀の会衆の統治体の成員のひとりでした。したがってギリシャ、テサロニケの地の会衆に次のように書き送ることができたのです。「兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい」。(テサロニケ第二、三ノ六)パウロには、任命し、また権限を委任する使徒の権威がありました。それで小アジアのテモテに次のような指示を書き送っています。
47「わたしは、あなたの所にすぐ行きたいと望みながら、この手紙を書いている万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。これらの事を命じ、また教えなさい。長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない。軽々しく人に手をおいてはならない。また、ほかの人の罪に加わってはいけない。自分をきよく守りなさい」ーテモテ第一、三ノ一四、一五。四ノ一一、一四。五ノ二二。
48使徒パウロは若い異邦人の信者テトスに次のことばを書き送りました。「あなたをクレテにおいてきたのは、わたしがあなたに命じておいたように、そこにし残してあることを整理してもらい、また、町々に長老を立ててもらうためにほかならない」。(テトス、一ノ五)テモテと同じくテトスも会衆内の古い人を慎重に任命すべきではありません[183]でした。テトスの任命した者か職務にふさわしくない者で罪を犯すならば、テトスはその者の罪にあずかることになるからです。テモテの場合と同じく、テトスも会衆内の職務に人を任命する権威を濫用しないように慎み、自分を清く保つことが肝要でした。
49使徒パウロは、テモテとテトスが任命権を行使する際に導きとなるものを与えました。すなわち霊的に古い人(長老)で、「神の会衆」の監督つまり管理者(エピスコポス)または補助者つまり補佐のしもべ(ディアコノス)に任命されるにふさわしい人が持つべき資格を、かなり詳細に書きしるしています。その教訓はテモテへの第一の手紙三章一節から一三節までと、テトスへの手紙一書五節から九節までにしるされています。投票紙、挙手、発声によるいずれを問わず、民主的に、つまり会衆が投票して、三分の二の多数決あるいは単なる多数決により任命を決めたのではありません。候補者が立って競争したり、会衆の成員が選挙運動をしたりすることはありませんでした。この重大な事柄は神権的に天から、すなわち上から制御されました。それは下からの支配ではありません。すべての会衆を治めた統治体は目に見える代理者として用いられ、それは聖霊に満ち、霊感による神のことばを導きにしていました。
50クリスチャンである現代のエホバの証人が全世界の諸会衆においてこの神権的な定めを全面的に実施するようになったのは、一九三八年のことですそれは一九三八年六月一日号および一五日号「ものみの塔」(英文)誌上に二つの部分にわけて「組織」と題するおもな記事がのせられたこ[184]とに始まります。二つの号にわたったこの記号の冒頭には、次のことが述べられていました。
エホバの組織はどこから見ても民主的なものではありません。エホバは至上者であり、その支配あるいは組織は全く神権的なものです。この結論に反ばくの余地はありません。ー一六三頁
その時以来、クリスチャンのエホバの証人の会衆内の公のしもべは、文字になった神のことばと一致して霊的な統治体により、すべて上から任命されてきました。エホバはこのとりきめを祝福されました。
51「神の会衆」にみられたこの神権的な手続きの復興は、主イエス・キリストの預言の中にも示されていました。それは「事物の制度の終結」とイエスの「臨在」つまり霊者としての、目に見えない再臨在の時、忠実な追随者が見てそれと知ることの出来る証拠を述べた預言です。(マタイ、二四ノ三、新世訳)「忠実な思慮深い僕」が任命されることも、目に見える証拠の一つです。恵まれたこの「僕」に関して、主イエス・キリストはマタイによる福音書二十四章四十五節から四十七節にこう言われました。「主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう」。
52マタイによる福音書二十四章三節から二十五章四十六節にあるイエスの預言全体と目前にある証拠とに照らしてみると、一九一四年の初秋に「異邦人の時」すなわち「諸国民の定められた時」が終わって以来、わたしたちは、「事物の制度の終結」と呼ばれる時期に生活しています。ゆえに主イエス・キリストのこの「忠実な思慮深い僕」はいま登場しているはずであり、任ぜられた務めを行っていなければなりません。わたしたちはそれを見ることが出来るはずです。しかしどこですか。いずれもキリスト教を自任する、大小千以上の宗教を数えるキリスト教国のどこにも、それは見られません。神のことば全体を手がかりにして率直にさがすならば、クリスチャンであるエホバの証人の中にこの「僕」を見いだすことができるでしょう。とくに一九一九年以来、この「僕」は主イエス・キリストの「家の僕たち」に時に応じて霊的な食物を与えてきたことがわかります。
53この「忠実な思慮深い僕」は個人つまりひとりのクリスチャンではありません。※それはクラス、グループまたは会衆です。この「僕」は、西暦三三年の五旬節から「事物の制度の終結」の時、すなわち今日に至るまでの、霊によって生み出された、忠実な「神の会衆」全体にほかなりません。このことはきわめて明かです。この「僕」はイエスが不在のあいだ食物をそなえるために、主イエス・キリストによって「家の僕たちの上に」立てられているからです。主イエス・キリストは西暦三三年五旬節の十日前に昇天されました。そして五旬節の日にエルサレムに集まっていた、ご自分の家の者の会衆に神の聖霊をそそぎ、また忠保者として彼らを新しい契約に入れることをされました。(使徒行伝一ノ一ー二ノ四二。エレミヤ、三一ノ三一-三四。ヘブル、八ノ六。九
---------------------
※一九二七年二月十五日号「ものみの塔」(英文)所載、マタイによる福音書二十四章四十五、四十六節を論じた「しもべー善なるものと悪しきもの」をごらんください。
---------------------
[186]ノ一五)このようにしてイエス・キリストは、霊によって生み出された会衆をご自分の「僕」に任命されました。そして必要な霊的食物を時に応じて「家の僕たち」に与えさせるために、クリスチャンの「家の僕たち」の上にこの会衆を任命されたのです。「僕」である会衆はわずか百二十人の成員で発足しました。(使徒行伝一ノ一五)西暦三三年の五旬節の日、主人すなわち主イエス・キリストの、バプテスマを受け、霊によって生み出された会衆には、およそ三千人の「家の僕たち」に時に応じて霊的な食物を与えるため、忙しく働かねばなりませんでした。ほどなくしえさらに二千人が「家の僕たち」に加えられ、その数は全部で約5千人に増加しています。それ以前に主の奉仕にすでに携わっていた人々は、新たに加えられた「家の僕たち」を、生命のささえとなる霊的な食物で養わなければなりません。(使徒行伝四ノ四)このように養うことは、十四万四千人の「家の僕たち」全部が「神の会衆」に導き入れられるまで続けられます。(黙示録七ノ四-八。十四ノ一、三)西暦三三年の五旬節から主人のもどる時まで、さらに主人が着いてのち、「事物の制度の終結」の期間中、時に応じて霊的な食物を与えるこの仕事がぼう大なものであることは明らかです。
54使徒時代から今日に至るまでの、霊によって生み出された「神の会衆」を、それがあたかもひとりの人であるかのように「僕」と呼ぶのは、奇妙に思えるかもしれません。しかし昔のイスラエル国民の例を見てもわかるように、それは聖書的に根拠のあることです。先祖である族長ヤコブ、別名イスラエルの名によって、イザヤはその国民に語りかけ、こう述べました。「ヤコブおよびなんぢを創造せるエホバ、いま如此(かく)いひたまふ、イスラエルよ汝をつくれるもの今かく言給ふ、おそるる[187]なかれ我なんぢを購へり我なんぢの名をよべり汝はわが有(もの)なりエホバは宣給(のたま)はく、なんぢらはわが証人(あかしびと)わがえらみし僕なり」。(イザヤ、四三ノ一、一〇、文語)ここでエホバ神はイスラエル国民をさしてご自分の「証人」と言われただけでなく、「僕」(単数)と言われました。一つの国民に組織された彼らはエホバの「僕」として一体となって行動することになったのです。同様にして、霊的イスラエルの「聖なる国民」である「神の会衆」もエホバの「証人」としてのみならず、エホバの「僕」として行動しなければなりません。※エホバ神は会衆を、主またかしらである御子イエス・キリストに従属させました。ゆえに会衆全体が、イエスから奉仕を任ぜられた「僕」となります。ーエペソ、一ノ二二、二三。
55主イエス・キリストが来られて再度の、しかし目に見えない「臨在」が始まった時、イエス・キリストは「神の会衆」つまり「僕」であるグループの忠実な残れる者をごらんになりました。一九一四年から一九一八年までの第一次世界大戦中、世界的な迫害をはじめとして多くの困難に遭遇しながらこの「僕」である残れる者は忠実を保つことに努めました。国によっては政府の命令で彼らの文書を配布することが禁止されましたが、それでも彼らの機関誌「ものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ」は、信仰の「家の僕たち」を養うためにとぎれることなく発行され、配布されました。戦後第一年の一九一九年、この「僕」である残れる者は、主の「家の僕たち」に必要な霊的食物を与える世界的なわざをかつてないほどに推し進めるため、出版物に新しい雑誌すなわち「黄金時代」(今の「目ざめよ!」)をさえ加えて再組織することを行いました。彼らは、主イエス・キリスト
---------------------
一九二七年二月十五日号「ものみの塔」(英文)五三ー五六頁、一九ー四八、五四節をごらんください。
---------------------
[188]がマタイによる福音書二十四章十四節に預言されたわざに本格的にとりかかったのです。「この御国の福音は、すべての民にたいしてあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」ー「ものみの塔」(英文)一九一四年九月十五日号二七九ー二八一頁、一九一九年十月一日号二九九頁、一九二〇年七月一日号一九五ー二〇〇頁をごらんください。
56こうして「忠実な思慮深い僕」であることを証明した残れる者は、帰ってこられた主イエス・キリストに是認されました。そしてイエス・キリストは、マタイによる福音書二十四章四十七節に「主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう」と預言しておかれたとおりにされたのです。これは見えない天にある「全財産」ではなく、是認された「僕」である残れる者が現在おかれている地上にある「全財産」です。これらの「全財産」は、主がいま天においてはいられた、主の御国にとって価値のあるもので、かつ地上にある、すべてのものをさしています。(コリント第一、三ノ二十一-二十三)この本を出版した今に至るまで、「僕」である残れる者は主の地上の全財産を忠実な思慮深く管理してきました。その働きは百六十四に上る世界の主要な言語を用いて全世界百九十七余の土地において行われ、地の四隅に及んでいます。御国の関心事を見守るこの世界的なわざは、ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会の九十五の支部の監督の下にすすめられています。クリスチャンのエホバの証人の統治体はこの法人と結びついているのです。
57「僕」である残れる者によって霊的な食物が時に応じて与えられているのは、驚異的なことです。「僕」のグループを構成する「家の僕たち」だけでなく、今では良い羊飼いの「他の羊」に属[189]する、数えられることのできない「大ぜいの群衆」の必要もみたされています。この「大ぜいの群衆」にはあらゆる国民。部族、言語の人々が含まれています。(ヨハネ、一〇ノ一六。黙示録七ノ九-一七)危難にみちた、不穏な世界のただ中で、この重要な霊的食物をくばることは、とくに第二次世界大戦に先だつ一九三八年以後、「僕」の組織が神権的なものでなかったとすれば、そしていま神権的でなければ決して達成されたなかったことでしょう。それで「僕」の組織は天から、すなわち偉大な神権者エホバ神によって治められていることがわかります。このすべてから理解できるのは、西暦三三年の五旬節から現在に至るまで、天が「神の会衆」をずっと治めてきたということです。
58「神の会衆」の成員は「もろもろの国人」です。(マタイ、二八ノ一九、二〇、文語)したがって会衆は生来のイスラエルの会衆とは異なり国家的なものではありません。それは神権的なものであるゆえに、その機構や内部の事柄は、世のいかなる国の政治家もこれを左右したり、決定したりすることができません。
---------------------
※神の会衆に対する天の支配については、第九章「神の定めによる男と女の地位」でさらにとりあげます。
---------------------
キリスト教国と呼ばれるものが成立してから今日まで十六世紀の間、キリスト教国の諸宗派と政治権力ないし権威、すなわち教権と俗権とは互いに争ってきました。教会と国家が手を結んだ場合も確かにありますが、宗教家と政治家とのそのような結合の枠内においてさえ、教会と国家のいずれが首位を占めるか、また占めるべきかをめぐり、あるいは教会と国家のいずれが他方の意志に服従すべきかをめぐって、両者は争ってきました。教会と国家が友好関係を保つ方法は国によって異なっており、両者の争いはまだ全面的に解決されていません。しかも強力な共産主義政権の出現によって事態は困難になっています。
2キリスト教国の諸宗派は教会と国家との論争および権力争いに加わってきましたが、文字になった神のことばを導きにしてそれに堅く従う真のクリスチャンはそのようなことをしません。神のみこころを行う者は、十九世紀前に使徒パウロの書いたことばを守ってきました。神聖でない異教ローマにいた「聖徒」の会衆にあてて、パウロは次のように書いています。
[191]3「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる」ーローマ、一三ノ一、二。
4「上に立つ権威」という表現は政府あるいは政治権力を意味します。それで、改訂標準訳聖書は「統治している権威者」、ジェイムス・モファットの聖書新訳は「政府の権威」、J・B・ロザハムのエンファサイズド・バイブルは「保護を与える権威者」という表現をそれぞれ用いています。しかし完訳聖書アメリカ訳は「彼の上にある権威者」という、やさしい表現を使っています。使徒パウロがこれらの節(ローマ、一三ノ一、二)の前後に書いている事柄を照らしてみると、パウロの意味するものが「神の会衆」内ではなく会衆外の権威すなわち政治的な権威であることは明かです。
5キリスト教国の宗教組織は、霊感による使徒パウロのこの戒めを甚だしく破ってきました。一つの著しい例は、教会と国家が結合した場合の首位争いを見せています。アメリカナ百科事典一九二九年版第十四巻一〇四頁には、在位一〇五四年から一一〇五年までのドイツ皇帝ヘンリー四世について次のことが出ています。
彼は貴族、聖職者を投獄し、法王に注目されるに至った。グレゴリー(ヒルデブランド)ー彼は何年か前に皇帝会議の承認を経ずに法王の座に昇進していたのであるがーはこの機会をすかさずとらえ、ヘンリ[192]ーが僧職者である司教を叙任する権威を横領していたことに挑戦した。そして一〇七五年十二月、告訴状を皇帝に送り、教会に服従することの証拠を要求した。それに対してヘンリーはウォルムスに招集した司教をそそのかして法王に対する服従を否認させた(一〇七六年一月二四日)、しかしグレゴリーは彼を破門し(二月二十二日)、こうして彼の臣下には服従の義務がないものとした。このためヘンリーはまもなく見捨てられた状態に陥り、そのような事態の下にあってやむなくイタリアに行き、法王に屈辱を余儀なくされた。その時グレゴリーは、タスカニーの女伯爵マチルダの所有する、レギオに近いカロッサ城に隠退していた。ざんげ服をまとったヘンリーは冬のさなか三日の間、城の中庭にたたずんで、その後ようやくマチルダのとりなしによって法王と謁見し(一〇七七年一月二十八日)、きわめて屈辱的な条件をのんで破門を取り消してもらった。
6アメリカナの第十三巻四五三、四五四頁には、グレゴリー七世(ヒルデブランド)について次のことが出ています。グレゴリー七世は一〇七三年六月二十九日から、一〇八四年に位を追われるまでローマ法王でした。
それに対して法王は、皇帝をはじめ、彼を支持する僧侶すべてを破門し、彼の臣下を服従の義務から解放した。皇帝に組するものを失ったヘンリーは、法王の手で王位を追われるのを免れるため、冬のさなかにアルプスを越えてイタリアにのがれ、(一〇七七年)カロッサにおいて屈辱的な悔悛を表すことになった。ヘンリーの以前の不信心ぶりを考えてグレゴリーは、ざんげ服姿のヘンリーを城の門のところに三日間またせ、そののちようやく彼を引見して破門を取り消した。このすべてもヘンリーの行いを変えさせることにはならず、そこでドイツの諸侯はスアピアのルドルフを選んでヘンリーの後を継がせた。またグレゴリーは僣称的教皇の出現をおそれて、一〇八〇年にヘンリーをふたたび破門に処した・・・・・・彼は世俗の君主を体位させようとした最初の法王である・・・・・・グレゴリー七世は一五八四年、グレゴリー十三世によって列福され、一七二八年、ベネディクト十三世によって聖者の列に加えられた。その命日はローマ・カトリック教の暦の上で重複した祭日とされている。
7「文明への歩みー世界史」一九三七年版三一六頁は次のように述べています。「ついでグレゴリーは皇帝を退位させるという大胆な行動に出た。彼はその事を行う法的な権威を持たなかったが、不満をいだいていたドイツ諸侯は、もしそうなれば、反逆の罪を着せられることなく皇帝への忠誠を否認できるという事情があったために、グレゴリーの企ては有効なものになり得た。」
8ゆえに次の問いを出さなければなりません。キリスト教国の宗教上の首長がとったこのように尊大な行動は、「上に立つ権威」にクリスチャンが従うという、使徒パウロの述べたキリスト教の原則に一致するものですか。一世紀に原始キリスト教徒がしたと伝えられる行動とくらべると、それは全く一致していません。前述の世界史の二三七、二三八頁に次のことがでています。
初期キリスト教は異教世界の支配者からほとんど理解されず、また好意をもって迎えられなかった。異教徒の著述家はキリスト教を「堕落した新しい迷信」と呼び、クリスチャンをさして、「道徳的な悪」を行う「そそのかされた人間」、「人類を憎む」者、「極刑に処せられるべき犯罪者」と呼んだ。ローマの政府ははじめキリスト教に対して寛大な態度をとったが、それはおもに軽蔑と無関心のゆえの寛大さであった。ローマにはきわめて多くの宗教があったので、新しい宗教が出現しても、懸念する者はほとんどなかった。エジプト、ペルシャ、小アジア、シリアおよび帝国の他の諸州において、人々は自分たちの宗教を守ることを許されていた。しかし時を経てキリスト教はしだいにあからさまな敵意を受けるようになった。クリスチャンは偶像に反対し、そのことが偶像造りの職に妨げとなったので、それに影響された職人の憎[194]しみを買ったのである。クリスチャンは異教の祭りに加わらず、異教徒の娯楽に関心を払わなかったので、反社会的な分子とみなされた。彼らは家庭を破壊する者という非難を受けた。初期の改宗者の大多数は婦人であり、彼らは改宗後、自分たちの夫を仲間以外の者とみたからである。キリスト教は秘密の団体と見なされ、秘密ということが当然に国家に疑いを持たれる結果となった。迷信深い人々は、疫病、ききん、火事、地震その他あらゆる災害をクリスチャンのせいにした。この新しい宗教が国家の反対を受けたのは、この宗教と帝国との敵対関係におそらくおもな原因があったのだろう。クリスチャンはローマ市民のある義務を拒否した。クリスチャンは国家を破壊することを望む無政府主義者とみられ、兵役につくことを信仰にそむく行為と考える平和主義者と見られた。彼らは政治上の職につかなかった。また皇帝を崇拝しなかった。国家はその存続をはかる以上、この忠誠心の衝突を許すわけにいかないのである・・・・・・積極的な迫害は西暦六四年、ネロの治下において始まった。
9使徒時代のクリスチャンが政治に干渉しなかったことを示す、いっそうの証拠として、エドワード・ギボン著「キリスト教史」一八九一年版一六二、一六三頁の次のことばがあげられます。
彼らの簡素さは宣誓、行政長官の職のはなやかさ、公的生活の活発な論争と相容れなかった・・・・・・彼らは異教徒の支配者の権威に喜んで服従した。彼らは無抵抗の服従を説いたが、行政に参加することはいっさい拒絶した・・・・・・
10すべてのクリスチャンが高い権力すなわち「上に立つ権威」に服従すべき第一の理由として、使徒パウロは「神によらない権威はな(い)」と述べています。アメリカ訳の表現を借りれば、「い[195]かなる権威も神の許しがなければ存在し得ない」のです。たしかに政治権力は、洪水を生き延びたノアの曽孫ニムロデの時代から神の許しによってずっと存在してきました。このニムロデは洪水の次の世紀つまり今から四千年以上前にバビロンとニネベの都市を建設した人です。ニムロデに関して創世記十章十節に、「彼の国は最初シナルの地にあるバベル[バビロン]、エレク、アカデ、カルネであった」としるされています。それ以来興った世界強国として聖書に述べられているのは、エジプト、アッシリア、バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、および大英帝国とアメリカ合衆国との連合です。今日では人類史上かつてなかったほど多くの政府が、神の許しによって存在しています。ーローマ、一三ノ一。
11しかしながら使徒パウロがさらに述べているところによれば、「おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたもの」です。ロザハムのエンファサイズド・バイブルではここのところが、「これらの存在は神のはからいによる」となっています。(ローマ、一三ノ一)では、世に存在する、「上に立つ権威」がエホバ神によってたてられているということになるのですか。キリスト教国の政治家は好んでそう考えます。過去の時代の帝王とうにローマ法王によって戴冠させられた王は「帝王神権説」を唱え、「神の恩寵によって」王位にあることを主張しました。しかし文字になった神ご自身のことば聖書によれば、神は、「上に立つ権威」が権力の座につくことを許し、またその興ることと、興る順序を予見されたという意味において、「上に立つ権威」のためにとりはからわれたにすぎません。聖書の預言からこの事実は全く明白です。
[196]12たとえばエホバ神は紀元前七世紀のバビロニア王ネブカドネザルに夢を送り、バビロニア世界強国のあとに他の世界教国が順次に興ることを予告し、預言者ネブカドネザルに夢を説明させ、解釈させました。(ダニエル、二ノ一-四五)その後ダニエル自身の見た夢の幻と、その中に現れた象徴的な獣とによって、神はおなじような世界強国の興亡を予告されています。(ダニエル七ノ一ー二七)同じくネブカドネザルの孫ベルテシャザルの治世中にエホバ神は別の幻をダニエルに与え、バビロニア帝国のあとにメディアーペルシャ世界強国が興ること、またメディアーペルシャ世界強国がギリシャ世界強国によってくつがえされることを啓示されました。このギリシャの名は明示されています。このギリシャ世界強国から他の国家が群生します。その最後のものは君の君たる者に敵対し、遂に超人間の力によって打ち砕かれるでしょう。ーダニエル八ノ一-二六。
13預言者ダニエルが死ぬ前に、エホバ神はペルシャ世界強国およびそれに代わるギリシャ世界強国についてさらに啓示されました。すなわち「北の王」と「南の王」と呼ばれる、二つの支配的な政治勢力が形成され、両者の抗争は、神の民のために働く大いなる君ミカエルが立って権を執り、また「国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩み」が世界に臨む時まで続くでしょう。それから人間の政治国家にとって「終わりの時」がきます。ーダニエル一一ノ一ー十二ノ四。
[197]14これと関連した、そして同じく政治や国家についての預言は、預言者イザヤ、エレミヤ、エゼキエルも霊感の下に書いており、それらの預言をみると、神は世界の政治情勢の発展を予見し、かつ主権者としてのご自身の意志を成就するために事態を手中に収めていられることがわかります。イエス・キリストご自身もエルサレムの町がローマ軍によって破壊されることを預言し、メシヤの治める神の国が建てられるまで異邦人が世界を支配する「異邦人の時」あるいは「諸国民の定められた時」について語りました。(ルカ、二一ノ二四)さらに復活して栄光を受けたイエス・キリストが使徒ヨハネに与えた幻を描く聖書巻末の本は、相ついで興る七つの世界強国全部を予見し、それらがあたかも一つの支配権の下にある複合的な制度であるかのうように描いています。それは赤い龍が海の砂の上に立って海のほうを見渡した時に海から上ってきた、そして頭が七つある獣によって象徴されていました。頭が七つある獣はだれの力によって海から上ってきましたか。霊感による聖書はそれに答えています。ヨハネの次のことばの中で、龍は獣と明らかに関係があることに注目してください。
15「そして、[龍は]海の砂の上に立った。わたしはまた、一匹の獣が海から上ってくるのを見た。それには角が十本、海が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と大いなる権威とを、この獣に与えた・・・・・・また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、『だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか』・・・・・・そして彼[龍]は、聖徒に戦いをいどんで[198]これに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。地に住む者[は]・・・・・・みな、この獣を拝むであろう」ー黙示録一三ノ一-八。
16しかしこの「獣」に「力と位と大いなる権威」を与える「龍」は、いったい何者あるいは何ですか。聖書はそれが国民党あるいは共産党の中国であるとは述べていません。黙示録十二章九節は龍のことを述べ、前述の問いの答えを明らかにしています。「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落とされ、その使たちも、もろともに投げ落とされた」
17ここで起こる疑問は、西暦二九年の秋、世界の政治権力と栄華をイエス・キリストに提供したのは誰かということです。ルカによる福音書四章五節から七節はこう述べています。「それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、『これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう』」。しかしイエス・キリストは海から上った獣がしたようなことをしませんでした。ルカによる福音書四章八節に次のように出ています。「イエスは答えて言われた、『主[エホバ、新世訳]なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。このようにしてイエスは、「世界のすべての国々」の権威と栄華を、当時それを所有していた政治家および彼らの政治上の後継者の手に委ねておかれました。イエス・キリストは「世界のすべての[199]国々」をキリスト教化しようとはされなかったのです。六番目の世界強国である異教のローマ帝国も当時それらの国々の一つでした。
18同様に、使徒パウロがその手紙を書き送った、ローマの「神の会衆」の「聖徒」も、ローマ帝国をキリスト教化しようとはせず、それを「神聖ローマ帝国」にすることに努めませんでした。彼らは政治に手を出したり、政治上の職につくことをきっぱり拒絶しました。「この世の君」と何のかかわりもないと言われた指導者イエス・キリストのことばを覚えていたからです。(ヨハネ、一二ノ三一。一四ノ三〇。一六ノ一一)また弟子ヤコブの書いた手紙の写しを受け取った時、異教ローマにいたこれらの「聖徒」はヤコブの手紙四章四節に次のことばを読みました。「世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないのか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである」。ゆえに彼らは世の友になりませんでした。
19神の子イエス・キリストは、地を離れて元の天に昇るすぐ前、弟子たちにむかって確かに次のことを言われました。「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を[悪魔により、あるいは悪魔からではなく、エホバ神によって]授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あながたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ、二八ノ一八-二〇)しかしこれはこの「世」つまり事物の制度に属する世界の諸国家をキリスト教化することを、弟子たちに命じているのではありません。あ[200]らゆる国のすべての人をクリスチャンにして水のバプテスマを施すことは命ぜられていません。イエスのことばが命じているのは教えを受け入れる人ひとりびとりを弟子にすることです。それはどの国の人であってもよく、あらゆる国の人を含みます。ゆえにその時から十九世紀を経た今日でも、バプテスマを受けてクリスチャンを自称する人が世界人口の三分の一に満たないのはむしろ当然でしょう。
20しかし弟子を得るわざを全世界にわたって行う以上、イエスの命令を守る従順な弟子たちはあらゆる国の人と接することになり、したがってまたあらゆる種類の政府の支配を受けることにもなります。しかしどんな場合にもイエスの命令に従って弟子を得るわざを行う者は、どこにいても、あるいはどんな形態の政府の下にあっても、「上に立つ権威に従」わなければなりませんでした。人々を弟子にするこのわざを行ったために、「上に立つ権威」からたとえ迫害されても、彼らは反抗してはなりません。「おおよぼ存在している権威は、すべて神に依って立てられたもの」であり、それは神の許しとははかりごとによることを、彼らは文字にしるされた神のことばから知っていました。彼らは預言的な神のことばに予告された定めに従ったのです。神の預言によれば、特定の期間、世界は相ついて興る世界強国に支配されます。ー申命記三二ノ七ー九。使徒行伝一七ノ二六。
21では、神のみこころを行うために全く献身している、バプテスマを受けたクリスチャンが、現存している「上に立つ権威」にさからい、権威に反抗して立ち上がるならば、どういうことになり[201]ますか。使徒パウロは、そのような行動が何を意味するかを明白に告げています。「したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる」。(ローマ、一三ノ二)ゆえに、神のみこころを行うために献身してバプテスマを受けたクリスチャンは、上に立つ権威に反対しようなどとは決して思いません。政治権力に敵対することは、神のみこころを行うための献身と相反する行為だからです。それは神の愛する御子イエス・キリストの国がもはや何の妨げもなしに全地を支配するようになるまで、今のところ神が設けられている定めにさからう行為です。この理由で今日、クリスチャンのエホバの証人は一世紀のまことのクリスチャンと同じように行動します。それで分裂した今日の政府に対して中立の立場をとり、政治に全く手を出しません。彼らはおだやかに神の国を待ちます。
22この世の政治に対するこの中立の立場、神のみこころに従順なことの表れです。それでこの中立の立場を守ったがゆえにクリスチャンの証人が神に罰せられることはありません。しかしキリスト教国の人が上に立つ権威に対し、暴力をふるって反対し、あるいは武器をとって反抗するならば、神はその人々が反逆に対する当然の罰を受けるのにまかせます。神は不利なさばきが彼らに執行されるのを許します。それは彼らの自業自得です。クリスチャンのエホバの証人の中立が、その居住する「国の安全をおびやかす」などと言えば、それは正気の沙汰ではありません。健全な精神を持つ人なら、聖書に従って神の国を伝道し教える、政治的に中立なこれらのクリスチャンの行為が国家の転覆をはかる行為であり、したがって国家は殺戮と罰金あるいはそのいずれかの罰をもって臨むべきであるとは論じ得ないでしょう。
[202]23使徒パウロはこの点において罰を受けるに値しましたか。彼も神の国を宣べ伝えました。上にある権威に対するクリスチャンの態度について助言を与えたのち、ローマ人にあてた同じ手紙(次の章)の中で、パウロは次のように述べて神の国をすすめています。「神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである」。(ローマ、一四ノ一七)エペソのクリスチャン会衆の古い人または長老に語った別れのことばの中で、パウロは次のように述べました。「あなたがたの益になることは、公衆の前でも、また家々でも、すべてあますところなく話して聞かせ、また教え(た)。わたしは信じている、あなたがたの間で歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を、みんなが今後二度と見ることはあるまい」ー使徒行伝二〇ノ二〇、二五。
24パウロはローマにおいて家に監禁されましたが、それでも神の国を宣べつたえることをやめませんでした。兵士の護衛の下でパウロのしたことが次のように記録されています。「朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼ら[訪問者]の説得につとめた。パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え続けた。(使徒行伝二八ノ二三、三〇、三一)公正な判事であって次のように論ずることのできる人はいません。すなわちパウロは聖書をかくれみのにして政府の転覆を説き、政治的な野心をいだいて、実際には宗教的ならぬ政治的な活動をしていたのである、したがってパウロは疑わしい人物であり、これを監視し、拘束し、その手から聖書をとりあげなけ[203]ればならなぬいう論です。神の国を宣べ伝えたいという理由でパウロを斬首の刑に処したのは、ローマ皇帝ネロであったと伝説に言われています。今日、ネロのようになりたいと望む、「権威」は存在しないはずです。
25ローマにおいて初めて投獄されたとき獄中で書いた手紙の一節にパウロは次のことを述べています。「わたしが獄に捕らわれているのはキリストのためであることが、兵営全体[近衞の全営、文語]にもそのほかのすべての人々にも明らかになった」。「すべての聖徒たちから、特にカイザルの家の者たちから、よろしく」。(ピリピ、一ノ一三。四ノ二二)考えてもご覧なさい!「近衞の営」と「カイザルの家」もかかわりがあったのです。それはパウロが神の国を宣べ伝えたためでした。このことをとりあげて、パウロは政治的に危険な人物であり、「上に立つ権威」をおびやかす者である、いま初めて獄中にいるが、もしカイザルの手で釈放されたならば、政府の転覆をはかる政治活動をしたかどによって直ちに再逮捕し、監禁しなければならぬと、唱える人がいますか。今日、権威の座についている人の中には、パウロにならうクリスチャンのエホバの証人に関してそのように考える人がいます。
26使徒パウロはいま存在する、「上に立つ権威」の滅びを説きました。コリント人への第一の手紙十五章二十四、二十五節にパウロの次のことばがあります。「それから終末となって、その時に、[204]キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを討ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである」。しかし現存する地上の政府、権威、権力を滅ぼすのはパウロではありません。パウロはそのような政治的活動に携わっていませんでした。彼は、神がイエス・キリストを用いて必ずそのことをされると言っただけです。預言者ダニエルについても同様なことが言えます。ネブカドネザル王の前で王の見た夢を解いた時、ダニエルはそれがネブカドネザル時代以降における世界強国の興亡を預言した夢であることを説明しました。そして解きあかしの最高潮に次のように述べています。
27「それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです」ーダニエル、二ノ四四。
28バビロン王自身にこのことを語ったために、ダニエルは政府の敵、反政府分子、国家の敵として訴えられましたか。そして国家の安全をおびやかし、「上に立つ権威」をくつがえそうとする者として、直ちに獄に投げ込まれましたか。ダニエルは「世の終わり」すなわち「事物の制度の終結」のことを教えていのではありませんか。(マタイ、二四ノ三、一五、口語。新世訳)確かにそうです。しかし、エホバ神の昔の証人であった預言者ダニエルは、自分自身が「世の終わり」をもたらそうとしていたのではなく、あるいはそれを早めようとさえしていませんでした。それと同じで、今日、のエホバの証人もキリストの手本にならって神の国を宣べ伝え、「事物の制度の終結」のことを語りますが、「世の終わり」をもたらすのはエホバの証人ではなく、彼らはそれを早めようとさえしません。神の時と期を変えることはできないのです。ゆえに「世の終わり」、「事物の制度の終結」を宣べつたえるからといって、地上の政府に敵対し、国家に反対する者としてエホバの証人を正当に非難することはできません。それはパウロやダニエルに対して非難のいわれがなかったのと同様です。
29クリスチャンのエホバの証人が政治的な「上に立つ権威」に対してとる態度は、ローマ人への手紙十三章三節にある使徒パウロのことばに示されています。「いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう」。これが「権威」の座にある者の理想的な姿です。それは善を行う市民をほめ、悪を行う傾きのある者には恐れをいだかせて悪行を阻止する働きをしなければなりません。それで使徒パウロは、いつも善を行うことを、良い市民たるクリスチャンに命じているのです。政治上の「権威」は、おそらくクリスチャンの宗教に同意しないためか、あるいは宗教上の敵対者のする偽りの非難を聞かされているために、実際にクリスチャンをほめることはしないかもしれません。 しかしたとえそうであっても、クリスチャンは善を行っていれば、「権威」からほめられるに少なくとも値します。今日クリスチャンにできる最大の善は、神の国の福音を宣べつたえる事です。それはイエス・キリストご自身がなさったことであり、また弟子たちにお命じになった事だからです。神の国を宣べ伝えるのは悪を行うことではありませんから、エホバの証人は「権威」を恐れません。
[206]30権威ある歴史の本にしるされているように、使徒時代つまり一世紀の真実のクリスチャンは選挙の際に投票せず、また政治上の公職に立候補したり、政治上の職に任ぜられたりしませんでした。(一九三、一九四頁参照)現存する事物の制度の政治をことは、イエス・キリストをとおしてエホバ神に献身していないこの世の人々にまかせたのです。そこで秩序を保ち、人々の必要とする上下水道を維持し、道路の交通を整理し、税を徴収し、法廷を設置し、市場を検査、監督するなどの市民の仕事は政治家と公職にある人の手にまかされました。このように「権威」として公職にある人々は公共のために多くの仕事をしており、献身した神のしもべもその益を受けています。使徒パウロ時代には「カイザルの家の者」の中にもクリスチャンがいました。しかしその仕事が何であったにせよ、彼らはローマ帝国の支配にはあずからず、「上に立つ権威」の一部ではありませんでした。ーピリピ、四ノ二二。
31公職にあるこれらの人々が国民一般のためにしている仕事は、神の民にとっても必要なものです。それによって神の民は多くの負担から解放されます。クリスチャンはこれらの世俗のわずらいから解放されているおかげで、神の国の伝道に関連した神への奉仕にいっそう献身できるのです。使徒パウロはこのことを念頭において次のように論議をすすめています。「彼[権威]は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼[権威]はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである」ーローマ、一三ノ四。
32権威が「神の僕」であると言っても、それが神のことばの宣教師つまり神の御子イエス・キリストの、献身してバプテスマを受けた弟子であったという意味ではありません。ネロ時代のローマ帝国の政治権力についてみれば、そのことは全く明らかです。しかしたとえ暴君また独裁者が権力の座にあっても、あるいは政治をとる者が宗教を迫害しても、なお「権威」は公共のために多くの仕事をしており、迫害されるクリスチャンもまたその益を受けます。このことは全く明らかです。しかしたとえ暴君また独裁者が権力の座にあっても、あるいは政治をとる者が宗教を迫害しても、なお「権威」は公共のために多くの仕事をしており、迫害されるクリスチャンもまたその益を受けます。このことは使徒パウロの場合に明らかに認められます。宗教上の迫害者に訴えられてカイザリヤの法廷に立った時、パウロは判事フェストの前で次のように弁明しました。「わたしは今、カイザルの法廷に立っています。わたしはこの法廷で裁判されるべきです。よくご承知のとおり、わたしはユダヤ人たちに、何も悪いことはしていません・・・・・・わたしはカイザルに上訴します」。これに対し、判事フェストは遂にこう答えました、「おまえはカイザルに上訴を申し出た。カイザルのところに行くがよい」。(使徒行伝二五ノ八-一二)そののち、ローマの「権威」は「神の僕」のごとく、パウロをローマに連れて行き、パウロはその地で神の国に関する大きな証言をしましたー使徒行伝二三ノ一一。二七ノ二三、二四。
33聖書に通じたクリスチャンは、政治上の「権威」がいたずらに剣を帯びているのではないことを知っています。ここに言う剣は戦争の象徴ではなく、それを帯びる者の、時には法律を破る者を[208]死刑にさえ処してさばきを執行する権威と力の象徴です。クリスチャンより成る「神の会衆」内に任命されているしもべは、会衆内において悪を行ったからといって仲間のクリスチャンを投獄したり、死刑にしたりする権限や力を持っていません。クリスチャンはそのような罰を恐れる必要がありません。しかし会衆の外においてクリスチャンが悪を行うなら、政治上の「権威」はそのクリスチャンを自由に罰することを神から許されているのです。クリスチャンはそのことを知っています。その者が交わっていた会衆でさえ、法律すなわち「権威」による当然の罰が及ばないようにその者を庇護することはできません。このように「神の会衆」の成員に対してさえ、国の「権威」は「神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報い」ます。これは今日のエホバの証人が暴動、反乱、革命に加わらず、法を守る一つの理由です。
34しかしながらクリスチャンのエホバの証人にとっては、「権威」の手によって悪行の報いを受けることの恐れが、「上に立つ権威」に反抗せず、また「悪事」を慎むおもな理由はありません。では最も大きな理由はなんですか。ローマ人への手紙十三章五節のパウロのことばはそれに答えています。「だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである」。ここで遂に明らかなように、霊感のパウロは「上に立つ権威」に対する服従の問題を論ずるにあたり、クリスチャンの良心を度外視してはいません。ローマのクリスチャンにあてた手紙の中でパウロが、さとしているのは、少しも良心を顧みることなく絶対的な意味において「上に立つ権威」に従うことではありません。パウロは、バプテスマを受けたクリスチャンが自分の良心にそむくことをせず、良心に従う権利を認めています。同じローマ人への手紙の九章一節のことばは、パウロにも良心があったことを示しています。「わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている」。
35ローマ人への同じ手紙の中でパウロは、非クリスチャンの異教徒にさえいくばくかの良心が残っていることを二章十四、十五節にこう示しています。「すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互いにあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである」。聖書にしるされた神の律法を持たない世の人々にこのことがみられるならば、神の律法を導きとし、生活の規[210]範とする、献身してバプテスマを受けたクリスチャンにとって、良心の問題はいっそう大きな意味をもってきます。クリスチャンの良心は「上に立つ権威」への服従に関してきわめて敏感であり、とぎすまされています。聖書によって教育された良心を持つクリスチャンは、どこまで政治権力に従いますか。この問題を棚上げにしておくことはできません。
36クリスチャンの聖書には、キリストの弟子が多くのものに従う[ギリシャ語、ヒュポタッセスタイ]べきことが説かれています。たとえば使徒パウロはコリント人への第一の手紙十六章十五、十六節にも、「彼らは身をもって聖徒に奉仕してくれた。どうか、このような人々と、またすべて彼らと共に働き共に労する人々とに、従ってほしい[ヒュポタッセスタイ]と書き、またエペソ人への手紙五章二十一、二十二節(文語)には「キリストを畏(かしこ)みて互いに服(したが)へ。妻たる者よ、主に服すがごとく己の夫に服へ」と述べています。コロサイ人への手紙三章十八節(文語)のパウロのことばにも「妻たる者よ、その夫に服(したが)へ、これ主にある者のなすべき事なり」とあり、さらにテトスへの手紙二章四、五、九節にはパウロの次のことばがあります。「そうすれば、彼女たちは、若い女たちに、夫を愛し、子供を愛し、慎み深く、純潔で、家事に努め、善良で、自分の夫に従順であるように教えることになり、したがって、神の言がそしりを受けないようになるであろう。奴隷には、万事につけその主人に服従して、喜ばれるようになり、反抗をせず・・・・・・」。
37使徒ペテロはその第一の手紙の二章十八節(文語)に「僕たる者よ、大いなる畏れをもて主人に服へ、啻(ただ)に善きもの、寛容なる者にのみならず、情けなき者にも服へ」と述べ、第一の手紙の三章一、二、五節(文語)には次のように述べています。「妻たる者よ、汝らもその夫に服へ。たとひ御言に遵(したが)はぬ夫ありとも、汝らの潔(きよ)く、かつ恭敬(うやうや)しき行状を見て、言によらず妻の行状によりて救に入らん為なり。むかし神に望を起きたる潔き女等も、斯の如くその夫に服ひて己を飾りたり。さらにペテロはその第一の手紙の五章五節に「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい」とさとしています。弟子ヤコブはその手紙の四章七節に次のように書きました。「そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、彼はあなたから逃げ去るであろう」。
38それで献身してバプテスマを受けたクリスチャンは、パウロ、ペテロおよびヤコブがここにあげている人々のすべてに従い、同時に、「上に立つ権威」にも絶対的かつ何かも含めた包括的な意味において従うことがどうしてできるでしょうか。それは不可能です。なぜなら利害の衝突があり、人は一方を選んでそれに従い、他方を無視しなければならないからです。霊感を受けたこれらの筆者がこの者に対する服従、あの者に対する責務を考慮に入れたうえでの服従であることがきわめて明らかです。ゆえにこれは限られた範囲内においての服従にすぎません。そこで、たとえば奴隷あるいは召使は、正当なすべての事柄において主人に服従しますが、もし神の律法を破ることを命ぜられるならば、たとえ主人の命令ではあってもそれには従わないでしょう。奴隷がどの神を崇拝しようと、主人にはそれを左右する権利はありません。
[212]39「上に立つ権威」に対するクリスチャンの服従の場合にも、同じ行為の規則があてはまります。その服従は相対的なものにすぎません。それは何もかも含めた、絶対的なものではないのです。神、神のことばと律法、クリスチャンの良心を度外視することはできません。「上に立つ権威」は会衆の外つまり世の事柄において上に立つのであって、「神の会衆」の内部においては「上に立つ」ものではありません。そこにおいては神が至上者であり、会衆内の監督(エピスコポイ)と補佐のしもべ(ディアコノイ)の職につくのは、偉大な神権者エホバ神のみこころにかなう人々であって、政治上の独裁者、共産主義者あるいは全体主義の政治支配者が国家に仕えさせるために選ぶ人々ではありません。服従の問題は、だれが至上者であり、だれの意志と法がより高いものであるかに基づいて決めるべきです。力と権威において絶対なのは地上にある「上に立つ権威」ですか、それとも神ですか。世の独裁者の言うところとは異なり、聖書は神であると答えています。
40ゆえに使徒パウロがテトスへの手紙 三章一、二節に「あなたは彼らに勧めて、支配者、権威ある者に服し、これに従い、いつでも良いわざをする用意があ(る)べきことを、思い出させなさい」と述べたのは、支配者、権威ある者に相対的な意味において服従することを言ったのです。 使徒べテロはその第一の手紙の二章十三、十四節に次の霊感のことばを書きました。「あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。 主権者としての王であろうと、あるいは、悪を行[213]う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい」。その言わんとするところは、相対的な意味において政治支配者と権威に従うことであり、絶対的な意味において、つまり心身をささげて従うことではありません。この点においてクリスチャンが自分の良心をまひさせてしまうことはできません。
41献身してバプテスマを受けた神の民が法を守って善を行ない、 「神の定めにそむく」ことがないのは、刑罰を執行する、 「上に立つ権威」の「剣」を単に恐れるからではなく、むしろクリスチャンの良心のためです。(ローマ、一三ノ二、五) 彼らは良心的に行なえる事柄である限り、 「上に立つ権威」の法律をすべて守ります。 しかし不完全な人間の制度(王、長官)の要求する事柄が、至高の権威エホバ神の要求される事柄と矛盾ないし衝突するならば、その場合に神の民は支配者として人よりも神に従います。 これはキリストの十二使徒がとったクリスチャンの立場です。 それは西暦三三年の五旬節も終わった時のことでした。
42 イエス・キリストの死と復活を宮で宣べ伝えたために、最初ペテロとヨハネがエルサレムで逮捕されました。その後ユダヤ人のサンヒドリンの法廷において、ペテロとヨハネは、「今後はこの名によって、いっさいだれにも語ってはいけない」と判事全員から申し渡されました。そこでベテロとヨハネは「上に立つ権威」に従い、神の真理の伝道をやめることに同意しましたか。 使徒行伝四章十九、二十節に次のように出ています。 「ペテロとヨハネとは、これに対して言った、『神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。 わた[214]したちとしては、自分の見たこと聞いたことを語らないわけにはいかない』」。この立場をとったのに対して、ユダヤ人の「上に立つ権威」は彼らをおどしたうえで釈放しました。
44 「上に立つ権威」は、神のわざに干渉すべきでないことを時によるとなかなか悟りません。 そのようなわけで、ペテロとヨハネが前述の経験をしてしばらくたつと、エルサレムの同じ宗教指導者は、エルサレムの使徒を全部逮捕し、法廷の判事たちはこれらのクリスチャンが法廷の命令を守らないと言って訴えました。 「上に立つ権威」であった彼らはまたしても、人間の法律が神の命令[215]と相いれない場合にクリスチャンのとる立場を説明してもらうことが必要でした。 「これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、『人間に従うよりは、神に従うべきである。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である』」。(使徒行伝 五ノ一七一三二) クリスチャンのエホバの証人は、今日でも使徒のこの手本にならいます。それで神の国の福音を宣べ伝えよという神の命令にそむくことを命ぜられるなら、 「上に立つ権威」の意を迎えるわけにはいきません。
45人間に従うよりも支配者である神に従わねばならないと、使徒たちが言明してのち、判事ガマリエルは最高法廷の判事一同に次のようにすすめました。この助言を心に銘記すれば、「上に立つ権威」は益を得るでしょう。「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい・・・・・・そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。当時の「上に立つ権威」はガマリエルのすすめをいれ、使徒たちを釈放しています。しかしまずむち打って、さらにおどすことを忘れませんでした。今日の「上に立つ権威」も神を敵にまわすことのないように、ガマリエルの助言に従うべきでありましょう。
46今日、クリスチャンのエホバの証人は神に従ったゆえに不当な罰を受けても、使徒の行ないを手本にします。むち打たれ、おどされてから釈放された使徒たちは「御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、 議会から出てきた。そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした」のです。(使徒行伝 五ノ一七四二)クリスチャンのエホバの証人も神に従う道を守り、必要とあれば地下に潜入してまでも神の国の福音を宣べ伝えます。それに反対して「神を敵にまわす」のは、「上に立つ権威」のほうです。「上に立つ権威」が宗教の性格を持つものであっても、神の敵となるならば罰を免れません。
47「上に立つ権威」が、人よりも神に従うことを選ぶクリスチャンの繊細な良心を尊重するいわれはじゅうぶんにあります。クリスチャンとしての良心のゆえに反対するのである以上、「上に立つ権威」は自分たちのほうがまちがってはいないか、神を敵にまわしてはいないかを検討してみるべきでありましょう。ローマにいたキリストの弟子たちが、神の律法と衝突しない法律をよく守ったのは、なかんずく良心のためでした。ローマ人への手紙 十三章六、七節に使徒パウロはこう書いています。 「あなたがたが貢を納めるのも、また同じ理由からである。彼らは神に仕える者として、もっぱらこの務に携わっているのである。あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい」。
48クリスチャンのエホバの証人は、「上に立つ権威」が彼らから徴収した税や貢の使途に対しては責任を負いません。 エホバの証人は、「上に立つ権威」が公共のために多くの仕事をしているという点で「神の僕」の働きをすることを知っています。これらの仕事をするには費用を支出しなければなりません。この「僕」はその行なう有益な仕事に対して正当な支払いを受けるに値します。そこでエホバの証人は、 「上に立つ権威」に対して当然に負債を負うことを認め、使徒パウロが命じているとおり、良心的にすすんで税と貢を払います。
49エホバの証人はまた「上に立つ権威」に対して敬意を払います。 「上に立つ権威」の中でも、その役目上おそれるべき者に対しては正当なおそれを示し、敬うべき公の職にある者に対しては正当な尊敬を示します。それでこのような人々が公衆の中に姿を現わした時、やじったり、顔につばしたり、腐った卵、うれたトマトを投げつけたり、おうへいで無礼なことばを投げかけたりはしません。またどんな政治的陰謀にも良心のゆえに荷担せず、現存する政府の転覆をはかるどんな革命、扇動あるいは反乱にも加わりません。彼らはいっさいの政治的な論争と運動に対して中立を守り、公職に立候補した者に対して演じられる「泥仕合」に参加しません。
5霊的にハルマゲドンと呼ばれる場所で近く行なわれる「全能の神の大なる日の戦闘」においても、彼らはそのとき滅びに直面するこの世の国家に対し、指一本あげることさえしません。それは次の預言的なことばを心に留めているからです。「汝らの戦に非ずエホバの戦なればなり・・・・・・この[218]戦争には汝ら戦ふにおよばず・・・・・・ 汝ら惟進みいでて立ち汝らとともに在すエホバの拯救を見よ」ー歴代志下二〇ノ一五ー一七、文語。
51それでエホバの証人は指導者イエス・キリストの手本を心にとめています。当時イエスの属した国民つまり割礼のあるユダヤ人はローマ帝国の支配下にあり、時のローマ皇帝はテベリオ・カイザルでした。イエスの敵は、イエスを窮地に陥れて大逆罪つまり皇帝に対する反逆ともとれるようなことばを言わせようとしました。そこでパリサイ人の弟子とヘロデ党の追随者は神の律法の見地から語っているかのごとくよそおってこう尋ねました、「カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。 この税金はローマ帝国の貨幣で納めることになっていたので、イエスは人頭税を納める貨幣を見せるようにと言われ、「これは、だれの肖像、だれの記号か」と問われました。彼らが「カイザルのです」と答えると、イエスはこう言われたのです、 「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。カイザルの支配を快く思っていなかったパリサイ人も、カイザルの任命したヘロデ王をいただくヘロデ党の者も、この答えには非を見いだすことができず、彼らの企てはくじかれました。カイザルにはカイザルのものがあり、神には神のものがあることを認めよと、彼らは告げられました。ーマタイ二二ノ一五ー二ニ。
52このようにしてカイザルおよび他のあらゆる政治的な「上に立つ権威」には、税と貢をはじめ当然に受けるべきものを求めるだけの権利があります。しかし神には神のものがあることを見すご[219]したり、無視したりすることはできず、何が神のものであるかを知らねばなりません。神のものを自分に要求する権利はないのです。 カイザルおよび他の「上に立つ権威」はその行なう公益事業に対して支払いを要求し、また公序良俗のための法律を守ることを要求します。それは当然の権利です。しかし神であるかのように崇拝を要求する権利はありません。バプテスマを受けたクリスチャンはエホバ神に全く献身しています。 神を崇拝し、思いと魂と心と力をつくして神を愛し、こうしてキリストの足跡に従うためです。ーマルコ、一二ノ二八ー三〇。
53ゆえにどんな形の崇拝であっても、彼らは地の、「上に立つ権威」に崇拝をささげることはできません。もしそのことをすれば、神の新しい秩序における永遠の生命という賞を得られないでしょう。 黙示録十三章八節はそのことを示しています。この聖句の中で国家を表わしているのは、アメリカのワシ、英国のライオンあるいはソ連のクマではなく、海から上った獣です。 「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう」。このような理由があったからこそ、使徒時代のクリスチャンはたとえそのために生命を失うことになっても、カイザルの祭壇にわずかひとつまみの香をたくことさえも拒絶したのです。同じく今日においても、クリスチャンのエホバの証人が国家を崇拝することはできません。彼らはヒトラーのナチス政権がドイツを支配していた時(一九三三ー一九四五)にも、またムソリーニのファシスト政権がイタリアを支配した時(一九二二ー一九四三)、あるいはスターリンの共産主義政権がソ連を支配した時(一九二四ー一九五三)にも、国家崇拝を拒絶しました。
[220]54このようなわけで、至上かつ全能のエホバ神が、地の、「上に立つ権威」の存在を許している間、クリスチャンのエホバの証人はイエスのことばに従い、またペテロの第一の手紙二章十七節にしるされた使徒の命令を守ります。 「すべての人をうやまい、兄弟たちを愛し、神をおそれ、王を尊びなさい」。彼らは神をおそれます。それで「上に立つ権威」に対する彼らの良心的な服従は相対的なものにすぎず、絶対的なものではありません。この点においてキリストにならう彼らは、キリストの次のことばに従います。「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄[ゲヘナ、文語]で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい」(マタイ、一〇ノ二八) それでクリスチャンのエホバの証人はまず神のものをまちがいなく神に帰し、それから正当な敬意をこめて、カイザルおよび「上に立つ権威」のものを、現存するこれらの権威に返します。
結婚は神の前に神聖なものです。結婚は神が人類に授けられた賜物です。そもそも人間の結婚が行なわれるために、神は男性と女性を創造されました。 モーセより偉大な預言者は昔モーセが霊感によって書いたことばをとりあげ、安易な離婚を論じた一部の宗教家にこう言われました、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。 彼らはもはや、ふたりではなく一体である」ーマタイ、一九ノ三ー六。創世記一ノニ八。 二ノ二四。
2創造者は最初の男をひとりにしておかれませんでした。それは男にとって最善の境遇ではなかったからです。神は男に対応するものとして女を造り、妻として彼女を男に与えました。ふたりは地に対する創造者の目的と全く一致してエデンの楽園で結婚生活を楽しむことになったのです。こ[221]うして結ばれたふたりに対する神のみこころは、神がふたりを結婚させた時の次の祝福のことばに示されています。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」。(創世記一ノ二八) 神は最初の男女に生殖力を与え、生殖に必要なそれぞれの器官を男と女に授けられました。神がふたりを夫婦として一体にしてくださった以上、愛をもって生殖器官を用いることに罪悪感や恥をいだく必要はありませんでした。性の営みによってのみ、ふたりは生み出すことができ、同じようにすばらしい生殖力を備えた多くの子供たちをもうけることができます。それで裸の完全な男と完全な女は、創造者エホバ神の前で、また互いを見て羞恥心をいだきませんでした。性の相違は神から授けられたもので、有用な神の目的にかなうものでした。ふたりがそれぞれの器官を持ち、男であり女であったのは、罪の快楽のためではありません。ふたりは汚れた目で互いを見ず、罪深い欲望の対象として相手を見ませんでした。ー創世記 二ノ二五。
3この最初の男と女から人間家族は結婚の賜物を受け継ぎました。地の上におかれた最初の夫婦が創造者エホバ神にいつまでも従順であったなら、結婚はエデンの楽園以来ずっと幸福な、尊いものであったにちがいありません。淫行、暴行、姦淫、 一夫多妻、別居、離婚、離婚裁判、別居手当、破壊された家庭、父あるいは母の養育を受けられなくなった子供たちなど、すべてこのたぐいの事柄はなかったことでしょう。(マタイ、一九ノ八) ひとりの夫がただひとりの妻を持つという、神の定めたエデンの園における結婚の定則は守られ、また男やもめ、未亡人はなく、したがって再婚の必要が生じることもなかったでしょう。敬虔な夫も敬虔な妻も死ぬはずではなく、配偶者に死なれた夫や妻、親に死なれた子供がいるはずはなかったからです。
4しかし人類の世に罪がはいり込んだために、結婚も堕落し、さまざまの問題を生み出しました。(ローマ、五ノ一二)性は情欲に支配されはじめ、最初の人アダムの曾孫の曾孫にあたる人はふたりの妻をめとりました。(創世記 四ノ一七ー一九) 堕落した人間の性的欲情は一部の天使の欲情をさえかきたてたので、天使が化体して人間の形となり、人間の娘を妻にして同棲し、ネビリムと呼ばれる変態的な混血の子を生み出しました。(創世記六ノ一ー四) それによって人間の結婚はいっそう堕落し、汚されて、遂にノアの時代の世界的大洪水の時までその状態がつづきました。この大災害の時まで地上で結婚は行なわれていましたが、「神の子」である天使と地上の女との不自然な結婚は、それが生み出した子たちとともに大洪水でぬぐい去られました。 (マタイ、二四ノ三八、ペテロ第二、二ノ四。 ユダ、六) 結婚の賜物は天使には授けられておらず、天使は娶ったり嫁いだりしません。(マタイ、ニニノ二九、三〇)男女の結婚は人類に与えられた神の賜物です。
5紀元前二三七〇年にあった大洪水ののち、人類はひとりの夫がただひとりの妻を持つという元々のエデンにおける定めの下に再出発をしました。大洪水を生き残った八人の人間は四組の夫婦すなわちノアとその妻、ノアの三人のむすこと、その妻たちとから成っていました。 地球が荒廃に帰することは神の目的ではありませんでした。そこで神はふたたび結婚を尊ぶべきものとし、結婚の特権をじゅうぶんに享受することをノアとむすこたちに許してこう言われました、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ...あなたがたは、生めよ、ふえよ、地に群がり、 地の上にふえよ」。(創世記 九ノ一七) わたしたちの先祖の死んだ者は数知れませんが、それにもかかわらず今日、地球上の多[224]くの土地には人が満ち、世界人口は三十億を超えるに至りました。しかし飢える人々を養う食糧の生産人口の増加に追いつかないという事実をあげて、神を責めることはできません。結婚をひかえるよりも産児制限をすることの必要がますます叫ばれていますが、それは神の責任ではありません。
6大洪水後に結婚生活が正しい出発をして以来四千年以上の間に、結婚はふたたび堕落し、尊ばれなくなりました。結婚の絆を神聖なものと見る人は、ますます少なくなっています。そのために結婚は以前ほど強固なものではなくなりました。法律によるものとそうでないものとを問わず離婚がふえています。正式に結婚しないうちに肉体の交渉を持つことが許され、正式な婚姻の成立をまたない「試験結婚」が社会改良家によって提唱されています。正式の清い結婚生活にはいるまで童貞また処女性を守る少年と少女の権利が犯されています。失望に終わる結婚も少なくありません。性病は猛威をふるっています。これはエデンにおいて神がもくろまれた結婚の正しい姿ではありません。
7性のことに関して神の律法を守るならば、必ず幸福な結婚をすることができます。文字になっ神のことばは、神のみこころと目的にかなった、清くて健全かつ幸福な結婚の道を終始一貫して説いています。
8モーセの律法以前にエデンの外の罪深い人類は結婚に関する特定な律法をエホバ神から与えられませんでした。しかし神はその型を示すことをされました。それで神は族長アブラハムまたヤコ[225]ブ(イスラエル)のような忠実な崇拝者がひとり以上の妻を持つ、すなわちを持つことを許したのです。預言者モーセをとおしてイスラエル国民に与えられた神の律法の中においてさえ、 一夫多妻および妾をおく風習の存在はエホバ神によって認められていました。神はそれを許容されたのです。しかし同時に神の律法はかなりの規制をそれに加えていました。エルサレムのソロモン王は著しい例で、「王妃としての妻七百人、そばめ三百人」がいました。(列王記上一一ノ一三。 申命記一七ノ一四ー一七) 神の律法は離婚をも認めていましたが、しかしそれに制限を加えています。(マタイ、一九ノ七、八) エホバ神は不公正な離婚を憎まれました。 契約下にある神の選民には属さない異教徒の女との結婚をめあてに、忠実な崇拝者をしいたげた場合はとくにそうです。ーマラキ、二ノ一四ー一六。
9しかしながら一夫多妻と妾の風習は、西暦三三年、古いモーセの律法契約が廃止されるとともに、エホバ神に受けいれられる崇拝者の間でもはや許されなくなりました。これはイエス・キリストの死と復活の結果であり、またイエスの昇天後の五旬節の日に新しい契約が成立した結果でした。 (エペソ、 二ノ一四ー一六。 コロサイ、二ノ一三、一四。 ダニエル、九ノ二七) 割礼のあるユダヤ人は古い律法契約の下で罪人または神の律法の違反者として死に定められていました。新しい契約はそれを成立させたキリストの血によって罪の許しを可能にしたため、 死の定めから人を解放します。(エレミヤ、三一ノ三一ー三四ヘブル、九ノ一ニー一五)宗教的な盲目のために、新しい契約とその仲保者の栄光を見ることを妨げられてはなりません。新しい契約の偉大な神に向かうことが必要です。 「エホバに向くとき、顔おおいは取り除かれる。エホバは霊である。そしてエホ[226]バの霊のあるところには自由がある」。(コリント第二、三ノ五ー一七、新世訳) ゆえにイエス・キリストをとおして自由を享受するエホバ神の崇拝者の結婚に、わたしたちはいま関心を持たなければなりません。
10クリスチャンとなり、したがって古いモーセの律法契約から解放されて新しい契約に入れられたヘブル人に対して、ヘブル人への手紙 十三章四節は、「すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる」と述べています。不品行な者とは、正式に結婚しておらず、したがってその権利がないのに異性の者と性関係を持つ独身者です。 姦淫をする者(男)とは、正式に結婚している者で性関係の相手を正妻に限らず、情欲をほしいままにして不忠実にも正妻以外の女と性関係を持つ者です。 不品行な者はその権利がないのに婚姻の床を貪欲にも楽しもうとし、姦淫を行なう者は自分自身の正式な結婚を尊ばず、自分たちの結婚の床にあずかる権利のない女と性関係を持つことによって好色にも自分たちの結婚の床を汚します。 性に関するこのいずれの行為も罪であり、それゆえに神は不品行な者、姦淫を行なう者に不利なさばきを下されます。神の崇拝者として新しい契約に関連して生きている者であれば、このような不道徳な行為は新しい契約にある自由の濫用です。
11性の不品行を行なう者は天にある新しいエルサレムにはいることを許されません。(黙示録 二一ノ八) すなわち「不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者[227]…………は、いずれも神の国をつぐことはないのである。 あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされた」のです。(コリント第一、六ノ九ー一一)との事実に照らしてみる時、不品行と姦淫を行なう者は、きたるべき「全能の神の大なる日の戦闘」の時に神の保護を受けることなく滅びて、神の新しい秩序に生き残らないことがわかります。 黙示録一六ノ一四、一六、文語。
12満足すべき結果が得られた場合に正式に結婚することを前提にした「試験結婚」のようなとりきめは、神の新しい契約の下では認められません。このような一時的な交渉は実際には淫行であって、そのように呼ぶべきものです。現代の社会改良家の論に従って、不道徳な行為に、それを容認するような、あたりさわりのない美名を冠したからといって、淫行をする者が神からさばかれず、罪せられないということにはなりません。この理由で、婚約しただけのふたりが、正式に結婚する前に性関係を持つのは正しいことではありません。 婚約は婚約者に結婚の床を許すものではなく、婚約者は夫婦ではないからです。
13そうであればこそ、ナザレのおとめマリヤが婚約しただけで大工ヨセフと正式に結婚しないうちに身ごもったことは憂慮すべき事態でした。 ヨセフとマリヤは婚約期間を終えて真の結婚生活にはいらないうちに性関係を持ったかのように見られるでしょう。当然にヨセフはこのような非難に対して身の潔白を証明することを望み、そこでなんらかの法的な手続きによってマリヤをひそかに離縁しようと考えました。離縁するならば、身ごもったマリヤも淫婦として石打ちの刑にされることを免れるでしょう。しかしマリヤが身ごもったのは神の聖霊の働きによるのであり、イエスは奇跡的にマリヤに宿ったのです。神の天使がこのことをヨセフに告げたので、ヨセフはそのことばに従い、当時の風習に従って正式に結婚し、マリヤを妻にしました。ーマタイ、一ノ一八ー二五。
14神の子の自由を望む人々に、事実婚あるいは男女の内縁関係は許されていません。標準的な辞典*によれば、事実婚とは次のようなものです。 「宗教上あるいは民事上の儀式を伴わず、男女が合意によって結んだ結婚関係で、現在たいていの司法権の下においては法律上の結婚とは認められていない。たいていの司法権の下において、この合意が法的な効力を持つためには同棲が必要であり、かつこの合意は書面、宣言あるいは当事者の行為によって証明され得るものである」。内縁関係はこれとは異なります。 それはなんらの手続き、あるいは書類の作成を経ることなく、またどちらかが法律上すでに結婚しているかどうか、さらには双方が法律上の配偶者を持っているかどうかにはかかわりなく、男女が単なる合意に基づいて夫婦のごとく同棲する関係です。これは"結婚"とは言えないもので、内縁関係という表現は英語の辞典には出ていません。+それは単にめかけ囲いと呼ばれています。このような合意によって同棲している人は近所の人々から夫婦と見られているかもしれませんが、それは性的な不道徳の関係です。
---------------------
+アブルトンの英語・スペイン語、スペイン語・英語辞典(一九五六年版)は、事実婚に相当する語あるいは同意語として "合意結婚"をあげています。
---------------------
[229]15内縁関係にある人、妾の関係にある人あるいは事実婚が認められている国において事実婚をしている人が文字にしるされた神のことばと一致するためには、正式な儀式あるいは法的な手続きによって同棲を合法化しなければなりません。そのためには結婚許可証を入手し、そのほか婚姻以前に必要な手続きをとらなければなりません。こうして結婚式ののち、婚姻の成立に関して国の法律を代行する者と、立ち会いの証人の手によって、結婚証明書を作成することが必要です。アブラハムのむすこイサクが四十歳で妻をめとった時の模様は聖書のひとつの章全部を費やして述べられています。それにはなんの秘密もありません。 アブラハムはおいの家族の者の中からイサクに妻をめとらせるため、結婚をとりもつ者として最年長のしもべを遠くメソポタミアにつかわしました。ベトエルの娘リベカが選ばれ、その父と兄ラバンはリベカをとつがせることに同意しました。リベカもまた行くことに同意したのです。
16 それからリベカは家族から祝福のことばを受け、アブラハムのしもべはリベカとその侍女たちを、ベエル・ラハイ・ロイに近いネゲブの地に天幕生活をしていたイサクのもとへ伴いました。リベカはベールで身をおおってイサクに近づき、しもべがリベカをイサクにひき合わせると、イサクは死んだ母親の天幕にリベカを連れて行きました。こうしてイサクとリベカとの契約ではなく親た同志のきちんとした契約によってリベカはイサクの妻となりました。聖書時代の風習によるこの結婚は戸籍に記入されました。(創世記 二四一ー六七) この結婚は、イエス・キリストが十四万四千人の忠実な追随者の会衆と結ばれる結婚の預言的な型になったという点で、さらに名誉あるも[230]のとなっています。ーガラテヤ、四ノ二八ー三一。 黙示録一九ノ七。二一ノ九ー一一。 ニニノー七。
17バプテスマのヨハネは、イエス・キリストとその象徴的な花嫁の場合に自分をなこうど、つまり「花婿の友人」にたとえています。 ヨハネによる福音書三章二十九節によればバプテスマのヨハネは弟子たちにこう言いました、「花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている」。花婿が人々の中で公に花嫁と語る声を聞いた「花婿の友人」は、結婚をとりもつ自分の役目を上首尾に果たしたことを知って喜びました。 男女が結婚生活を始めるのに、内縁関係のような秘密で不法のとりきめはなかったのです。
18イエスはガリラヤのカナにおいて婚礼の宴に参列し、正式な結婚を尊重されました。 この宴は花嫁と花婿が結ばれたことを近隣に知らせる公の行事であり、宴に集まった人々はほまれのある結婚の証人となりました。 この婚礼の宴においてぶどう酒のつきた時、イエス・キリストが水をぶどう酒に変える最初の奇跡を行なってその場の必要をみたしたので、この婚礼は有名になりました。(ヨハネ、 二ノ一一)との結婚は「事実婚」あるいは内縁関係に類した事柄と全く無関係です。王子の結婚についてのたとえ話の中で、イエスは「天国」の一面にたとえられる人間の結婚がの人を集めて祝うの出来事であることを示されました。このたとえによれば、婚礼の宴に招[231]かれた人々は特別な婚礼の衣服を着用しています。 (マタイ、二二ノ一ー一三) いまわたしたちに臨んでいる「事物の制度の終結」についての預言の中で、イエスは「十人のおとめがそれぞれあかを手にして、花婿を迎えに出て行く」 たとえを話されました。 夜中に花婿はやみにまぎれてこっそりと花嫁を新居に連れ込んだのではなく、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と大声に呼ばわらせました。まだあかりのついたともしびを手にしたおとめたちは、花婿とともに父の家での婚礼の宴につきました。 (マタイ、二五ノ一ー一〇) それは何はばかることなく公にとりきめられた結婚であり、公の記録にのせられました。
20人間のほまれある結婚に関するこれらの特色は、天国の事柄あるいは「神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた」 十四万四千人の追随者の会衆を花嫁とする小羊イエス・キリストの婚姻の事柄を説明するために用いられました。 天使たちは大淫婦、大いなるバビロンの滅びと神の御子の婚姻に歓喜してこう叫んでいます、「あなたがた民よ、ヤハをほめよ。 全能者なるわれらの神エホバが王となって治めはじめられたからである。わたしたちは喜び、大いに喜び、彼に栄光を帰し奉ろう。 小羊の婚姻の時となり、彼の妻の用意がととのったからである」。 使徒ヨハネも、「書きしるせ。 小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」と告げられました。(黙示一四ノ四。 一九ノ六ー九、新世訳) この天的な結婚の最高潮は急速に近づいています。
21聖書に記録された、これらの是認された結婚は、真のクリスチャンの結婚がどのように行なわれ[232]るべきかを示すひな型となっています。 次の肝要な事柄を守らなければなりません。その結婚が合法のものであることを認めて署名捺印できる証人たちの立ち会いの下に、その国の法律の要求に応じた儀式を行ないます。 婚姻は法律の要求するすべての証書をそろえ、文書によって証明できるものにします。そして調印ずみの結婚証書が政府のしかるべき役所に保管されていなければなりません。 こうして新婚の夫婦は法律上互いに対して責任を負うことになり、また夫婦生まれてくる子供に対する法律上の保護と特権を受けることになります。キリストの追随者であることを望む人は、このようにしてキリストの次の命令を守るのです。 「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。(マルコ、ニノー七)男女の結婚に関連してカイザルが要求しているのは正当な事柄です。エホバ神の要求についても同様なことが言えます。
22現在新しい契約と関連のあるエホバ神の崇拝者には、結婚して子供を育てる義務はありません。このような独身の崇拝者が結婚を望むならば、それは当人が真剣に考慮して決めるべき問題です。たとえ霊的な羊飼い、つまり会衆の監督(エピスコポス) か補佐のしもべ(ディアコノス)であっても、独身を守ることが要求されているわけではありません。もし独身つまり霊的な闇人の生活を選ぶとすれば、それは当人の自由意志によるものです。結婚が望ましいかどうかについて、イエスは次のことを言われました。「凡ての人の言を受け容るるにはあらず、ただ授けられたる者のみなり。それ生れながらの闇人あり、人に為られたる闇人あり、また天国のために自らなりたる闇人あり、これを受け容れる者は受け容るべし」。(マタイ、一九ノ一〇ー一二、文語) それで自分の意志によってみずからを象徴的な闇人にした者が、はけ口を求めて淫行を犯すことは許されません。
23 このように自発的に独身を保ち、童貞また処女性を守る者には、配偶者や子供に対する責任がありません。結婚生活と独身のそれぞれの比較的な利点について、使徒パウロは次のように述べています。
24 「わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい。未婚の男子は主のことに心をくばって、どうかして主を喜ばせようとするが、結婚している男子はこの世のことに心をくばって、どうかして妻を喜ばせようとして、その心が分れるのである。未婚の婦人とおとめは、主のととに心をくばって、身も魂もきよくなろうとするが、結婚した婦人はこの世のことに心をくばっ[234]て、どうかして夫を喜ばせようとする。わたしがこう言うのは、あなたがたの利益になると思うからであって、あなたがたを束縛するためではない。そうではなく、正しい生活を送って、余念なく主に奉仕させたいからである」―コリント第一、七ノ三二ー三五。
25 クリスチャンは主なる神に余念なく奉仕するため独身でいたいと思うでしょう。しかし自分のうちに強い性的な欲求や衝動を感ずるかもしれません。独身生活あるいは比喩的な闇人になることの自発的な誓いをたてたのでなければ、その人はどうすべきですか。 使徒パウロは次のようにすすめています。 「次に、未婚者たちとやもめたちとに言うが、わたしのように、ひとりでおれば、それがいちばんよい。しかし、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである」。(コリント第一、七ノ八、九) このような事情の下では、情の燃えるとき誘惑に負けて淫行の罪を犯すよりも、ほまれのある正しい結婚をするほうがよいのです。ゆえにパウロは次のようにも述べています。 「不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい」―コリント第一、七ノ二。
26献身してバプテスマを受けたクリスチャンが結婚の責任を受け入れる道を選んだならば、神の是認の下に何人の配偶者を持つことができますか。その答えをイエスのことばから知ることができます。モーセの律法による離婚を論じてイエスはユダヤ人のパリサイ人にむかって次のことを言わ[235]れました。 「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえではなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行なうのである」。 (マタイ、一九ノ三ー九) どうしてそう言えるのですか。なぜならその人は、性の不品行を犯したことのない最初の正妻から実際には自由になっておらず、したがってふたりの妻を持つことになるからです。 エデンの園の初めから、人がひとりの妻を持つことは神の目的でした。神はアダムのためにただひとりの妻をお造りになりました。
27ひとりの妻の夫であるというこの要求は、会衆全体の模範でなければならないクリスチャンの監督(エピスコポス)の場合に実際的に適用されます。監督の職にふさわしい人が持つべき長所をくわしく述べたことばの中で使徒パウロは次のように書いています。 「『もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである』・・・さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡白で、自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。自分の家を治めることも心得えていない人が、どうして神の教会を預かることができようか」―テモテ第一、三ノ一ー五。ペテロ第一、五ノ一ー三。 28妻の人数に関するこの定めは監督の補佐の場合にもあてはまります。パウロはつづいて次のように述べているからです。「執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者で[236]なければならない」。(テモテ第一、三ノ一二) 監督あるいは補佐のしもべが既婚者である必要はありません。たとえばパウロが手紙を送った若いテモテは監督(エピスコポス)でしたが、既婚者であったという記録はありません。要するに、監督あるいは補佐のしもべがたまたま結婚している人であれば、ただひとりの妻の夫であることが要求されているのです。それで別の監督テストにあてた手紙の中で使徒パウロは次のように述べています。 「わたしがあなたに命じておいたように町々に長老を立ててもらうためにほかならない。長老は、責められる点がなく、ひとりの妻の夫であって、その子たちも不品行のうわさをたてられず、親不孝をしない信者でなくてはならない。監督たる者は、神に仕える者として、責められる点がな(い)・・・人でなければならない」―テトス、一ノ五ー七。
27ところがもし監督あるいは補佐のしもべの妻が不信者であったり、偽ってキリスト教を唱える宗教団体の会員であったりした場合はどうですか。不信仰あるいは宗教の相違のゆえをもって妻をと離婚すべきですか。そうではありません。不信仰または宗教の相違は、信者である自分の配偶者に貞節な結婚配偶者を離婚する聖書的に正当な理由とはなりません。 わかれ話を持ち出すことがあるとすれば、それをするのは不信者のほうでなければなりません。 使徒パウロは結婚の問題を論じたのことばの中でこの点をとりあげて次のように述べています。
30「もし或る兄弟に不信者なる妻ありて借に居ることを可しとせば、之を去るな。また女に不信者なる夫ありて階に居ることを可しとせば、夫を去るな。そは不信者なる夫は妻によりて潔くな[237]り、不信者なる妻は夫によりて潔くなりたればなり。然なくば汝らの子供は潔からず。然れど今は深き者なり。不信者みづから離れ去らば、その離るるに任せよ。斯のごとき事あらば、兄弟または姉妹、もはや繋がるる所なし。 神の汝らを召し給へるは平和を得させん為なり。妻よ、汝いかで夫を得るや否やを知らん。夫よ、汝いかで妻を救ひ得るや否やを知らん」(文語)
31「わたしはこう考える。現在迫っている危機のゆえに、人は現状にとどまっているがよい。も妻に結ばれているなら、解こうとするな。 妻に結ばれていないなら、妻を迎えようとするな。しかし、たと結婚しても、罪を犯すのではない。ただ、それらの人々はその身に苦難を受けるであろう」ー コリント第一、七ノ一ニー一六、二六ー二八。
32しかし結婚の当事者の一方が法的な離婚に訴えたならばどうですか。言うまでもなくその離婚は国の法律、法廷、警察その他の司法機関に認められ、そのように扱われるでしょう。しかし献身してバプテスマを受けたクリスチャンにとって大きな問題は、その離婚が神と神のことばによって認められ、是認されるかどうかです。 離婚の判決の効力ないし結婚を解消させる力について、神と法廷とが一致しない離婚もあります。このような場合、クリスチャンはカイザルおよび他の 「上に「立つ権威」の法律と見解に従うよりも神の見解に従って神のものを神に返し、神の側に立たなければならないでしょう。イエス・キリストは神から是認され、認められる離婚と、そうでない離婚と[238]の問題を論じてこう言われました、「彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。(マタイ、一九ノ六) それで神と人との前で結婚の絆を真に解く離婚の根拠はなんですか。
38離婚の問題を研究する者はマラキ書 二章十六節に次のことばを読みます。 「イスラエルの神、主は言われる、『わたしは離縁する者を憎み、また、しえたげをもってその衣をおおう人を憎むと、万軍の主は言われる』」。そのうえ結婚は主なる神が人間に授けられた賜物です。ゆえに神の目に有効な離婚をすることはきわめて困難に違いありません。イエス・キリストは地上において神の主要の代弁者でした。イエス・キリストはこれについてなんと言われましたか。 ルカによる福音書 十六章十八節において次のように言われました。「すべて自分の妻を出して他の女をめとる者は、淫を行なうものであり、また、夫から出された [アポレリュメネン] 女をめとる者も、姦淫を行なうもなのである」。これからわかるように離婚によって三人の人が神に対する罪にまき込まれるかもしれません。しかしこれはどんな離婚も無効であり、どんな理由があろうと離婚は許されるべきではないという意味ですか。 ところでどんな離婚にもそれをひき起こした原因があり、マタイによる福音書十九章三節から明らかなようにイエス時代にもさまざまの理由による離婚がありました。しかしルカによる福音書 十六章十八節(先に引用した)のことばは離婚をひき起こした原因ないしそれがどんな種類の離婚であるかにはふれていません。マルコによる福音書 十章十一、十二節も同様です。そこでこの問題についてイエスの言われた別のことばを参照しなければなりません。
[239]34山上の垂訓の中でイエスは申命記 二十四章一節に関してこう言われました、「また『妻を出す者は離縁状を渡せ』と言われている。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外[バレクトス]の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行なわせるのである。また出された [アポレリユメネン] 女をめとる者も、姦淫を行なうのである」(マタイ、五ノ三一、三二) 「不品行」ということばの代わりに、完訳聖書アメリカ訳およびロザハムのエンファサイズド・バイブルは「不貞」ということばを使っています。既婚婦人の不品行ないし不貞は姦淫を犯すことです。 他の現代訳聖書はここに使われている原語のギリシャ語ポルネイア*を「淫行」と訳しています。(新世訳。欽定訳。 アメリカ標準訳) しかしこのことばは時に広い意味に使われ、売春、淫行だけでなく淫をも意味します。
35 「不品行(あるいは不貞、淫行)以外の理由で」というイエスのことばは、結婚生活における不品行すなわち不貞以外の理由で認められた法律上の離婚が、神の目から見た場合には、法律上離婚した人々の結婚の絆を解消するほど根拠のあるものではないことを証明しています。このような離婚はカイザルあるいは他の「上に立つ権威」から合法のものとされても、神の前には無効です。ゆえにイエスのことばどおり、結婚生活における不品行つまり不貞以外の理由で離婚した女と結婚する人はその女を姦婦にし、その姦淫にあずかることになります。なぜそう言えますか。なぜなら
---------------------
---------------------
[240]神の目から見るとき、その婦人はなお最初の法律上の夫の正当な妻だからです。それで淫以外の理由で正妻を離婚する夫は「姦淫を行わせる」、つまり彼女がカイザルの法律の許しによって再婚する場合、姦婦にならせることになります。*
36ゆえに、イエス・キリストを仲保者とする新しい契約に忠実に生きようとしたクリスチャンは、姦淫以外の理由で離婚した女との結婚を避けたことでしょう。彼女を離婚した法律上の最初の夫が死ぬか、あるいは彼女の法律上の最初の夫が別の女と再婚し、みずから姦淫を犯すことによって、彼と最初の正妻との婚姻の絆が実際に切れないうちは、クリスチャンはその女を結婚の相手とは考えなかったはずです。この清い、貞節な行ないからはずれるならば、クリスチャンは「神の会衆」から排斥されるうきめに会うでしょう。なぜなら、姦淫以外の理由で離婚した女は、なお彼女の法律上の夫の妻であり、その夫が死ぬか、あるいはカイザルの法律の下で別の女と再婚するまでは、再婚の自由を持たないからです。(ローマ、七ノ一ー三) ゆえにクリスチャンは、離婚した人
---------------------
---------------------
については慎重にしらべ、その人には神の律法に照らして(カイザルの法律に照らしてではなく)再婚の自由があるかどうかを知るようにします。そして聖書的にはなお元の正式の夫の妻である。離婚した女との結婚を拒絶するでしょう。クリスチャンは他の人の妻を貪ることをしません。(出エジプト記二〇ノ一七。ローマ、一三ノ九)もし姦淫をして離婚された女と結婚するなら、それは汚れた女と結婚することになります。
37ゆえに忠実なクリスチャンあるいは神に献身して水のバプテスマを受けることを望む人は、離婚について尋ねたパリサイ人にむかってイエスが告げられた次のことばを心に留めていなければなりません。「不品行のゆえでなくて [ギリシャ語メー]、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。(マタイ、一九ノ九)それで法律上は離婚していても「不貞」(アメリカ訳、ロザハム訳)以外の理由で離婚した女との結婚を拒絶し、神のものを神に返します。そのようにして会衆にとどまり、あるいは水のバプテスマを受けて会衆に入れられるにふさわしい者であることを証明するのです。
38 夫婦が法律によって別居を認められただけの場合、他の異性と性関係を持つことができないのは言うまでもありません。ふたりは法律の上でさえ、まだ夫婦である以上、それは姦淫を犯すことと同じです。 法律によらず双方の合意によって夫婦が別居した場合、結婚の誓いにも神の律法にも忠実であるためには、道徳的に身を清く保ち、他の異性と性関係を持たないようにしなければなり[242]ません。この点について使徒パウロは、献身してバプテスマを受けたクリスチャンに次のように述べています。「われ婚姻したる者に命ず(命ずる者は我にあらず 主なり) 妻は夫と別るべからず。もし別るる事あらば、嫁がずして居るか、又は夫と和げ。 夫もまた妻を去るべからず」。(コリント第一、七ノ一〇、一一、 文語) もし夫が去るならば、夫もまたひとりでいなければなりません。性の欲求を満足させることが必要ならば、姦淫を犯すことのないように、妻と和解する必要があります。
39 クリスチャンの夫と妻は互いに結婚の分をはたさなければなりません。 精神的また肉体的な面で互いをじゅうぶんに思いやり、愛をもち、したがって堕落や不自然な行為を避けてそのことをします。この点について助言した使徒パウロの霊感のことばは次のように述べています。 「夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。 夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。互に拒んではいけない。ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。以上のことは、 譲歩のつもりで言うのであって命令するのではない。わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている」 コリント第一七三七。
40死は結婚の絆を解消し、したがって配偶者に死なれた人には再婚の自由があります。 未亡人は再婚の特権という神の賜物を自由に受け入れることができるのです。(ローマ、七ノ一三)しかし献身してバプテスマを受けたクリスチャンであれば、再婚できる範囲が限られています。 使徒パウロはクリスチャンの未亡人にそのことを思いおこさせてこう述べました、 「妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。しかし、わたしの意見では、そのままでいたなら、もっと幸福である。わたしも神の霊を受けていると思う」ー コリント第一、七ノ三九、四〇。
41結婚を「主にある者とに限る」のは、未亡人であるクリスチャンにかぎらず結婚を望むクリスチャンすべてについて言えることで、それは霊的な安全を図るためです。主に結ばれていない人と結婚するならば、クリスチャンは宗教のことで不和を招来し、また主との一致から離れ去って永遠の滅びに陥る危険に身をさらすことになります。それは使徒の助言にも、神のことばにしるされた、是認された結婚の良い手本にも従わず、そのうえモーセの律法契約下の選民に命ぜられたエホバの戒めの原則にさからう行ないです。
42結婚そして結婚の絆のうちで享受する特権は、現在の事物の制度のどの時期においても罪ではありません。(コリント第一、七ノ二八、三六) 神のこのすばらしい賜物を用いたいと思うクリスチャンは、望みのままにすることができます。しかし神の御手から、 そして神のみこころと目的に[244]従っていったんそれを受け入れたならば、結婚をほまれあるものに保ち、結婚の床を汚れなく保って、賜物の偉大な与え主である神を喜ばせなければなりません。(ヘブル、一三ノ四) こうしてそのクリスチャンの結婚は、神の妻にも似た、天の聖なる霊者の宇宙組織と結ばれている神ご自身の婚姻のほまれと栄光を反映するものとなります。それはまた忠実な「神の会衆」を花嫁とするキリストの婚姻の貞節と清さを反映するものとなるでしょう。
男は地上で光栄の地位を占めるように意図され、女は男のかたわらにあってつつましい、気男高い地位を占めるように意図されました。男女が造られたこの目的にそう人がひとりもいなかったとは言えません。 人間生存の最初の世紀から、敬虔な男女は、地上ではたすように意図された役割をよくはたし、大きな困難にもかかわらず、そうしました。それには創造者の助けがありました。創造者が語り、また書きしるさせたことばは、その人々の生活に大きな感化を及ぼしました。創造者の目的は男と女が競争し、張り合うことではなく、女が男の助け手となって共同することでした。神のひとり子が処女から生まれて人となった時、自分たちの地位と 特権を認識し、気高い心を持つ女たちが神のひとり子に仕えました。
[246]2男女は相身互いに造られました。六千年にわたる人類の歴史をとおして、一方が他方を必要としなかったことは一度もありません。 男と女から成る人間家族に、わかつことのできない基盤を与えるため、女は男の骨の骨、男の肉の肉として造られました。美しさと完全さを備えた最初の男から取った一本のあばら骨を基にして、創造者が美しい、完全な最初の女を造ったという事実は笑うべきことではなく、それどころか全く賢明で意義のあることでした。(創世記二ノ一八ー二四) 最初の男は最初の女に生命を与えた父ではありません。完全な男女はふたりとも天の父である神の子であり、罪もとがない者でした。地上の生物の中で、神の創造の力の比類のないすばらしさ、神の属性である知恵 力 公正と愛を最もよく表わしているのは人間です。 完全な女の豊かな長い髪は、なんのかぶりものをも必要としませんでした。たくましい完全な男は、神の創造である人間の最初のもの、人間家族の地上のかしらとして、ふさわしい威厳を備えていました。
3男女の密接不可分の間柄、相互の依存関係、創造者との関係においてそれぞれが神から与えられている立場は、文字になった創造者のことばに明らかに示されています。霊感によってそれらの事柄を書いた使徒パウロは、威厳をもって正しい価値判断を述べました。
4「男は神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男あの光栄である。なぜなら、 男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。ただ、主にあっては、男な[247]しには女はないし、女なしには男はない。それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。あなたがた自身で判断してみるがよい。女がおおいをかけずに神に祈るのは、ふさわしいことだろうか。自然そのものが教えているではないか。男に長い髪があれば彼の恥になり、女に長い髪があれば彼女の光栄になるのである。長い髪はおおいの代りに女に与えられているものだからである」―コリント第一、一一ノ七ー一五。
5ゆえに献身してバプテスマを受けたクリスチャンの婦人が、沈黙して耳を傾ける神の民の会衆の前で声を出して祈る時、かぶりものを着け、あるいは使徒パウロの時代には習慣であったベールをかぶるのは意味のないことではありません。かぶりもの、あるいはベールは「かしらに(つけた)権威のしるし」であり、女の上には権威すなわち「神のかたちであり栄光である」男がいることのしるしです。 妻にも似た神の天的な宇宙組織の成員である天使は、婦人のかしらに着けられた「権威」のしるしを見て、偉大な夫、至上者である神への自分たち自身の服従を思い起こします。(ペテロ第一、一ノ一二) 婦人がかしらに着ける「権威のしるし」は、婦人をいやしめ、圧迫する不名誉なものとは見られてはいません。それは男との関係において女が神から与えられた意義深い立場を認めていることの単なるしるしです。この立場にあって婦人は多くの奉仕の特権を得、広い範囲にわたって有用な働きをすることができます。
6男は「権威のしるし」をかぶらなくてもよいのですが、しかしキリストの下にあり、神に従う者であることを認めなければなりません。使徒パウロはコリント人への第一の手紙 十一章三節に[248]そのことを書いています。 「しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である」。この定めに一致して神は女の上に立つ責任と権威を男に与えました。これは人間の歴史の初めからの定めです。会衆の組織に関するとりきめを監督テモテに書き送ったことばの中で、使徒パウロはこう書いています、「女が男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたからである」。(テモテ第一、二ノ一二、一三) 神とキリストはこの定めを厳守されています。
7エホバ神は、低いものに造られた生物になじんで、それらに名をつける特権を男に与え、またエデンの園に関する律法を男に告げました。ゆえに女が創造されてのち、この律法は神の預言者すなわち代弁者である男から女に伝えられたのです。(創世記 二ノ一五ノ三ノ三) エホバ神に嘉納される犠牲をはじめてささげたのはアベルと呼ばれる男であり、彼はクリスチャンの手本である「多くの証人」の最初の者となりました。(創世記四ノ一ー四。 ヘブル、一一ノ四。 一二ノ一) エホバの証人として預言するため神におこされたのは、エノクという名の男の人が最初です。(創世記 五ノ二一ー二四。ヘブル、一一ノ五。 一二ノ一。 ユダ、一四、一五)それ以後、神によって立てられ、神の霊感を受けた多くの預言者は、少数の例外を別にしてすべて男でした。聖書に出てくる女預言者としては、預言者モーセの姉ミリアム、ラピドテの妻デボラ、シャルムの妻ホルダ、ネヘミヤに[249]反対した「女預言者ノアデヤ」またイザヤの妻、パヌエルの娘アンナ、および福音伝道者ピリポの娘四人をあげることができるにすぎません。ー出エジプト記一五ノ二〇。士師記四ノ四。 列王記下二二ノ一四。 歴代志下 三四ノ二二。 ネヘミヤ、六ノ一四。 イザヤ、八ノ三。 ルカ、 二ノ三六。 使徒行伝 二一ノ八、九。
8人間、動物、鳥を大洪水に生き残らせるため箱舟を作るように命ぜられたのも、やはり男の人ノアでした。そしてノアの三人のむすこは人類の三つの大きな人種上のわかれの始祖となりました。これは女家長制ではありません。(創世記 六ノ九から一〇ノ二二) また別の男の人でテラのむすことアブラハムは、彼と彼の裔によって地のすべての家族と民族がみずからを祝福するとの約束をエホバ神から与えられています。おもにこの裔は「人なるキリスト・イエス」であることが明らかになりました。(創世記一二ノ三。二二ノ一八。 ガラテヤ、三ノ八ー一六。 テモテ第一、二ノ五) イスラエル民族の十二部族の始祖となったのも、ヤコブ(イスラエル)の子でアブラハムの曾孫にあたる十二人の男たちでした。(創世記四九ノ一ー二八。使徒行伝七ノ八) ヤコブが臨終の床で四番目のむすこユダに与えた祝福のことばは、シャと呼ばれる者が笏と命令する者のつえを持ち、世界の人々を従えることを預言していました。ー創世記四九ノ八ー一〇、新世訳。
9イスラエル十二部族をエジプトのくびきから解放するため、エホバ神によって立てられたのはアムラムのむすこモーセでした。(出エジプト記 二ノ一から三ノ二二。ヘブル、一一ノ二三ー二八)イスラエル国民のために祭司のつとめをするよう神に選ばれたのも、男アロンとそのむすこたちで[250]す。幕屋すなわち崇拝の天幕において彼らを補佐する大ぜいの男すなわちレビ族の資格ある男子がいました。神は女を祭司のつとめに任ずることをされませんでした。(出エジプト記 二八ノ一から二九ノ三七。民数記 三ノ五ー三九) イスラエル民族を律法契約に入れるため、神に選ばれて神とイスラエルとの仲保者をつとめたのはアロンの姉で女預言者のミリアムではなく、アロンの弟モーセです。(出エジプト記二四ノ一ー一八) 創世記から申命記まで聖書巻頭の五つの本を書くように神から指名されたのも、やはりこのモーセでした。(出エジプト記一七ノ一四ー一六。 申命記 三一ノ二四) それ以後、霊感による聖書の残りの六十一巻を書いたのは例外なく男の人です。 もっともそのうち二冊にはルツおよびエステルという女の名がつけられています。ペテロの第二の手紙一章二十、二十一節は次のように述べています。
10「聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでない・・・・・・なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、[男の]人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
11モーセの後継者ヨシュアから預言者サムエルに至るまで、約束の地においてイスラエル十二部族をさばき、また圧制者の手から彼らを救うため神によって立てられたのは男の人です。唯一の例外は士師バラクとともに働いた「女預言者デボラ」でした。(士師記 四ノ四から五ノ一二) 時を経てイスラエル国民が目に見える王の支配を望んだ場合、神の選民を治める権威をエホバ神から与えられるのは男子に限られていました。(申命記一七ノ一四ー二〇) イスラエル国民それも十二部族全部ではなく二つだけの部族を治めた唯一の女性はアタリヤですが、彼女は殺人者で、王位簒奪者でした。そしておよそ六年の間とにかく治めましたが、その時期の終わりには位を追われて殺さ[251]れました。(列王紀下一一ー一ー六) エホバ神は、イスラエル国民を治める永遠の国の契約をダビデという男の人と結ばれました。 ダビデは全イスラエルの二代目の王として神から油そそがれた人です。(サムエル下、七ノ一ー一七) この王国の契約をはたして神は神の御子「人なるキリスト・イエス」をダビデの永遠の相続者にならせました。ーマタイ、一ノ一、六ー二五。 ルカ、一ノ二六ー三八。三ノ二三ー三一。ローマ、一ノ一ー四。
12婦人の胎に宿った子が男であるとは限りません。しかしユダヤ人のおとめマリヤに生まれた子の性は単に遺伝の法則に委ねられていなかったのです。 天の父である神はそれが男の子であるようにされました。この子の生命は天から移されたのです。(ルカ、二ノ一ー七) それはイザヤ書七章十四節の成就でした。 (マタイ、一ノ二二、二三) イエスの先駆者をつとめ、その現われることを告げ知らせ、イエスに水のバプテスマを施すためにおこされたのは、祭司の家柄の男子であるバプテスマのヨハネでした。(マタイ、三ノ一ー一七。 ヨハネ、一ノ六ー八、一九ー三六) バプテスマそしてユダヤの荒野における四十日間の断食と誘惑ののち、イエスはバプテスマのヨハネの弟子のある者たちを教えはじめられました。(ヨハネ、一ノ三七ー五一)やがてイエスは地上の宣教の最後までイエスと行動をともにする十二人の働き人を選ばれました。だれが選ばれましたか。 十二人の男の人です。イエスは彼らを使徒としてつかわされました。(マルコ、三ノ一三ー一九。 マタイ、一〇ノ一ー五) そののち七十人の伝道者をつかわした時にも、この奉仕の特権のためにイエスが選ばれたのは男でした。(ルカ、一〇ノ一ー一七)このような選択に際してイエスは神の型に従われました。
13ある婦人たちは特別な事情の下でイエスに関連して特権を得ました。しかし十二使徒や七十人の伝道者の特権ではありません。これについてルカによる福音書 八章一節から三節までの次のことばからうかがい知ることができます。 「そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出いてもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した」(ルカ、二三ノ五五から二四ノ一〇) 殺意に満ちた敵の手に渡される二日前、ベタニヤで[253]夕餉の席についていられたイエスの頭と足に香油をそそいだ女のことを、特に述べなければなりません。この女のしたことに不平を言ったわきまえのない人々を沈黙させるため、イエスはこう言われました、 「全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」―マタイ、二六ノ六ー一三。 ヨハネ、一二ノ一ー七。
14死から復活した日にイエスが特別に現われた人々の中には婦人もいました。(マタイ、二八ノ一ー一一。 ヨハネ、二〇一ー一八) イエスの昇天後、聖霊の下るのを待って定期的に集まっていたおよそ百二十人の会衆の中にも「婦人たち、特にイエスの母マリヤ」がいました。(使徒行伝一ノ三ー一五) 聖霊が奇跡的なさまで会衆に下り、人々がみな異言を語りだした五旬節の日、エルサレムのその二階の部屋には、これらの婦人の多く、あるいは全部がいたにちがいありません。(使徒行伝二ノ一ー一二) その場に婦人が居合わせたことは、ヨエル書二章二十八節から三十二節の預言とも一致しています。使徒ペテロはこの預言が、その時の光景を目撃した人々の眼前に成就しつつあることを説明しました。
15集まった群衆がいぶかっているのを見て、ペテロは中でも次のように述べました。 「これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注[254]ごう。そして彼らも預言をするであろう』」(使徒行伝 二ノ一三一八)「娘」と「女の僕」のことがヨエルの預言に述べられている以上、ヨエルの預言がことごとく正確に成就するには、その場にいた百二十人の会衆の中に婦人たちがいて聖霊をそそがれなければなりません。こうして西暦三三年の五旬節以降、みたまの賜物を授けられた、献身してバプテスマを受けているクリスチャンの婦人は、学んだことのない外国語を語り、また預言しました。これは必ずしも将来の重大な出来事を預言したのではなく、聖書の真理を語り告げたのです。
16五旬節の日にエルサレムで預言し、あるいは異言を語った時、婦人がベールをかぶっていたとすれば、すなわち「権威のしるし」を頭に着けていたとすれば、そこに問題はありません。 婦人が人中に出るとき必ずベールをかぶるのは、当時のユダヤ人のおきてでした。 男が女のかしらであることを認めたしるしのかぶりものをしないで婦人が会衆の集会で預言し、また声を出して祈るのは正しいことでしたか。そうではありません。コリント人への第一の手紙十一章四節から七節において使徒パウロはそのわけを説明しています。 「祈をしたり預言をしたりする時、かしらに物をかぶる男は、そのかしらをはずかしめる者である。祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。 髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である」。
77コリント人がパウロに書いた手紙に従ってここに言及されている会衆の集会において、 みたまの奇跡的な賜物を持つ、献身してバプテスマを受けているクリスチャンの婦人が、全会衆の耳を傾ける中で預言し、あるいは声を出して祈ることは許されていました。つまり、かぶりものをする、すなわち「かしらに権威のしるしをかぶる」ならばの話です。(コリント第一、七ノ一。 一一ノ一〇)こような集会は、コリント人への第一の手紙十四章三十一節から三十五節においてパウロが次のように述べている会衆の集会とは異なったものであったかもしれません。 「あなたがたは、みんなが学びみんなが勧めを受けるために、ひとりずつ残らず預言をすることができるのだから。かつ、預言者の霊は預言者[女預言者ではない]に服従するものである。神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行われているように、婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼らは語ることが許されていない。だから、律法も命じているように、服従すべきである。もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。教会で語るのは、婦人にとっては恥ずべきことである」。
18しかし二十三節から二十五節までのパウロのことばからみて、婦人が黙っていなければならず、たとえ神の霊感の下にあっても語ってはならない会衆のこの集会は、会衆の公の集会です。こ[256]れは全会衆がひとつの場所に集まる場合であり、「初心者か不信者」もはいってきて、見たり聞いたりでき、神を崇拝する気持ちになって「まことに、神があなたがたのうちにいます」と言うに至る場合です。言うまでもなく、会衆の成員が集まるどんな種類の集会においても、婦人は男子と意見を異にしたり、聖書の教えに関して論争したりしないように注意するでしょう。このような会衆の公の集会においては預言する、あるいは声を出して祈るという意味での語ることをしないため、婦人は自分の良心が許すならば、また国の法律あるいは風習に反することなく、したがって自分と自分の属する会衆に非難をもたらすおそれがなければ、かしらに「権威のしるし」を着けなくてもよいのです。
19会衆の定めについて使徒パウロがテモテに書き送ったことばも、会衆のこの種の公の集会における正しいふるまいとされているものに一致しています。「女は静かにしていて、万事につけ従順に教を学ぶがよい。女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたからである。またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。 しかし、女[エバのことではない]が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう」(テモテ第一、二ノ一一ー一五) 使徒のこのことばから明らかなように、会衆内で婦人に課せられているこの制限は、霊的な健康を守り、またある種の誘惑に陥らないように婦人を守ります。
[257]20それで会衆を取り扱われる至上の神エホバの方法は、キリスト教時代以前のユダヤ人の会衆すなわち割札のある生来のユダヤ人の場合も、クリスチャンの「神の会衆」の場合も同じであることがわかります。すなわち神権組織内の公の責務に関しては、神は男性を優先的にされました。この事実はエペソ人への手紙 四章七節から十三節において強調されています。使徒パウロは次のように書きました。
21 しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。そこで、こう言われている『彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、〔人々の賜物〕を分け与えた』。 [詩篇六八ノ一八]さて『上った』と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。降ってこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を〔牧者〕、教師として、お立てになった。それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知織の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである」ー〔新世訳〕
22パウロの手紙から引用したこのことばの中で、「使徒」「預言者」「伝道者」「牧者」「教師」はすべて男性名詞です。アメリカ訳(スミス、グッドスピード共訳)によってエペソ人への手紙 四章[258]十一節をみると、そのことはなお明らかになります。 「そして彼はある[男の]人を使徒、ある人預言者、ある人を伝道者、ある人を牧者また教師として我々にお与えになった」。またモハット博士のほん訳をみましょう。「彼はある[男の]人が使徒となり、ある人が預言者となり、ある人が伝道者となり、ある人が牧し、また教えることを許された」。ゆえにエホバ神の代表者として昇天されたのちの主イエス・キリストが与えられたこれらの「賜物」は、「人々の賜物」(エペソ、四ノ八、新世訳)、「人々という形の賜物」(詩篇六八ノ一八、新世訳)でした。これらの人々は霊的な意味での「古い人」 (プレスプュテロイ)でした。「神の会衆」内の責任ある地位につく資格があるのは、このような人々に限られています。
23会衆内の「監督」(エピスコポイ、複数)および「執事」[補佐のしもべ、新世訳] (ディアコノス、複数)の奉仕の地位につく資格についてテモテに書き送ったとき、使徒パウロは前述のことと全く一致して、それらの人が男子であること、男は会衆内の奉仕の地位を願うことができると明らかに述べています。監督も補佐のしもべも既婚者であれば「ひとりの妻の夫」でなければならないとパウロが述べているのは、そのためです。(テモテ第一、三ノ一ー一〇、一二)同様にパウロはテトスにも次の教訓を与えました。「長老[プレスビュテロイ]を立て・・・・・・長老は、責められる点がなく、ひとりの妻の夫であって・・・・・・監督[エピスコポス] たる者は責められる点がなく・・・・・・」ーテトス、一ノ五ー七。
24 パウロも他の使徒も、「婦人執事」 (ディアコニッサ)の職あるいはこのような職につくための婦人の資格、婦人執事の任命方法について何も述べていません。ローマ人への手紙十六章一節におい[259]て、たしかにパウロは「執事」(ギリシャ語ディアコノス、ギリシャ語の女性冠詞ヒーを欠く)の語を婦人に用いて次のように述べています。「ケンクレヤにある教会の執事[奉仕者、新世訳] [ディアコノス] わたしたちの姉妹フィベを、あなたがたに紹介する」。 彼女がどんな面で「奉仕者」であったかは述べられていません。しかしおそらく、 ルカによる福音書 八章一節から三節に示されている種類の奉仕であったようです。イエスの伝道旅行のお供をした人々について次のことが述べられています。「十二弟子「使徒」もお供をした。また・・・・・・病気をいやされた数名の婦人たち・・・・・・そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕[ディアコネイン]した」。フィベはアメリカ訳の中では「助力者」、モファット訳および改訂標準訳の中では「婦人執事」と呼ばれています。 「奉仕者」であるフィベがケンクレヤ会衆内で公の地位を占めていたことを示すものは何もありません。キットゥの百科事典は、彼女が崇拝の場所の門守りあるいは掃除婦にすぎなかったように述べています。
25霊感によるクリスチャン・ギリシャ語聖書の中にディアコニッサ(婦人執事) という用語は出ていません。ローマの知事で著作家の小プリニウスは西暦一〇四年ごろ、トラヤヌス帝に書簡を送っており、このような婦人をミニストライ(婦人奉仕者) と呼んだかもしれません。しかし三世紀の神学者タータリアンは婦人執事のことを多く述べており、その資格を定めています。その著アド ウクソウレムおよびデウィルギニブスによると、未亡人はただひとりの夫と結婚した者でないかぎり、この職につくことを禁じられています。四世紀の使徒憲法* は婦人執事について多く述べ、それを
---------------------
---------------------
[260]「未亡人」や「処女」と区別し、その責務を述べています。また監督による婦人執事の任命の形式を定めています。使徒時代以後になって婦人執事のことがこのようにいろいろ述べられていますが、しかしそれだからといって使徒在世中の第一世紀に婦人執事という公の地位があったと論ずることはできません。ウィリアム・スミスの聖書事典に一筆者が書いているように、「後代の組織が教会のきわめて初期のもののように、著作者によって述べられている」ことは疑いないようです。
26 ギリシャのコリントに近いケンクレヤの会衆に関連してフィベがどんな面で奉仕したにしても、使徒パウロはコリントからローマに書き送った手紙の中で次のようにフィベのことをほめています。 「どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった」。(ローマ、一六ノ二、三) すでにローマにいたのでなければ、フィベは重要な用事でローマをおとずれることにしていたのかもしれません。マクリントックとストロングの百科事典 第八巻一四七頁b「フィベ」の項には、「彼女がローマ人への手紙を携えて行ったと考えることは可能である」と述べています。使徒パウロをはじめ大ぜいのクリスチャンの擁護者また保護者となったフィベは、信頼のおける人であり、また神のクリスチャン会衆の利益を真実に心にかけていることを示しました。フィベがしたこの保護の働きは、必ずしも「奉仕者」としての公の地位にあってするものとは限りません。
27使徒ヨハネの第二の手紙は「選ばれた婦人とその子たち」にあてて書かれました。しかし会衆内の公のしもべである人に教訓を与える手紙ではありません。彼女にも、また手紙の中で「選ばれ[261]あなたの姉妹」と呼ばれている婦人にも子供がありました。ふたりは会衆内の公の奉仕の地位に選ばれたのではなく、天に召されるために神から選ばれた、霊によって生み出されたクリスチャンでした。ーヨハネ第二、 一ー一三。
28 クリスチャン会衆内の責任ある奉仕の地位に男子を任命するという神の定めは、クリスチャンの家庭にまで延長されます。会衆の監督また補佐のしもべの候補にあげられる既婚者に対して、それぞれ「自分の家をよく治め」、「子供と自分の家とをよく治める」ことが要求されているのは、家すなわち家庭においては男がかしらであるという神の定めと一致しています。監督の場合、「その子たちも不品行のうわさをたてられず、親不孝をしない信者でなくてはならない」ということは、使徒の要求でした。 家のかしら、また監督として自分自身の家をよく治めるべき理由は実際的なもので、次のように述べられています。 「自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか」ーテモテ第一、三ノ一ー五、一二。 テトス 一ノ六。
29妻と自分の家を治めるのは重大な責任です。分別と愛を持ち、クリスチャンの原則に対して忠実でなければ、できることではありません。クリスチャンの夫は、ただ威厳を示すために厳格に権威を行使して、無分別になることを避けるでしょう。つまり圧制的で思いやりのない、気ままな暴[262]君のようにふるまうことはありません。 夫は自分の上にもかしらがあることを心にとめています。たしかに「女のかしらは男」ですが、他方「すべての男のかしらはキリストであり・・・・・・キリストのからは神である」からです。 (コリント第一、一一ノ三) それでクリスチャンの夫は直接にはキリストに対して、究極的には神に対して責任を負わなければなりません。 ゆえに夫は、男のかしらとしてのイエス・キリストにならうように努めます。そして妻に対しては、キリストのようなかしとなるべく、思いやりをもって努めるでしょう。それには愛を伴う知恵が必要です。
30 クリスチャンの夫が妻との関係において手本とし導きとするのは、キリストが追随者の会衆に対して持たれる関係です。愛に乏しい世において非キリスト教の社会で行なわれる結婚のあり方や風習は手本になりません。それは婦人をいやしめ、霊的な害を与えます。非キリスト教の町である小アジア、エペソの町の既婚者にあてて、使徒パウロは次のことばを書きました。 「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである」。
31イエス・キリストのものである会衆は完全な人間から成っているのではありません。それは人間の妻が完全でないのと同様です。しかしそれでもイエスはこの会衆を愛し、したがってそれを清め、完全にしてご自分のもとにつつがなく迎えるための労をいとわれませんでした。ゆえに人間の[263]夫も完全な妻を期待すべきではなく、不完全ではあってもやはり妻を愛してその向上を助けることに努めなければなりません。パウロがさらに述べているように、キリストの手本にならうことがこの面でも助けとなります。
32 「それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。『それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。[創世記 二ノ二四] この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい」 エペソ、五ノ二五ー三三。
33妻は女のからだを持つゆえに、物事に対して女性特有の反応を示します。 夫は物事に対して男の見方また態度をとるのが当然であり、したがって夫は妻に対して忍耐強くなければなりません。「夫たる者よ、妻を愛しなさい。 つらくあたってはいけない」と、パウロは述べています。(コロサイ、三ノ一九) 夫は男と女のからだのつくりの相違を知ります。それで分別と理解を示してやさしくふるまわなければなりません。結婚していた使徒ペテロは、クリスチャンの夫、とくにクリスチャンの妻を持つ夫に対して次のことを述べました。 「夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである」。(ペテロ第一、[264]三ノ七) クリスチャンの夫は、愛する妻が、 メシヤによる神の新しい事物の制度の下で永遠の生命を得ることを願い、それで物心両面において妻によくするのみならず、霊的な面においても妻をみるでしょう。妻を助けることが実際には夫の益ともなります。
34たとえ妻が夫と信仰を同じくせず、夫のように献身してバプテスマを受けたクリスチャンのエホバの証人でなくても、クリスチャンの夫は妻のために最善の霊的な糧を備えます。 妻が宗教を異にし、あるいは全くの不信心だからといって、それを口実に別居したり、もっとひどいことに離婚したりすることはありません。宗教のことが理由で妻のほうから離れるならば、夫はあえてそれをとめなくてもよいのです。しかし夫が忠実で活発なエホバの証人であるにもかかわらず夫から離れず、また夫がエホバの証人としてクリスチャンにふさわしい生活をしている場合にその夫とともに居るならば、妻は聖書の説く真のキリスト教を身近に見聞することになります。そうすれば妻は知しないうちに大きな益を受けることになるでしょう。時たつうちにはクリスチャンである夫のふるまいから良い感化をうけて行動するかもしれません。不信者の妻を持つクリスチャンの夫、あるいは宗教の点では「つり合わないくびき」を共にしている夫婦にとって、喜ばしい結果を得る可能性があるのです。コリント人への第一の手紙 七章十四節から十六節に使徒パウロが述べているのは、そのことにほかなりません。
35「不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである。もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉[265]妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮させるために、召されたのである。なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また、夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか」。
36ではクリスチャンの妻は夫に対してどんなふるまいをし、夫をどのように見るべきですか。 宗教の相違は、夫から離れ去って別居や離婚をする正当な理由とはなりません。たとえ夫が献身してバプテスマを受けたクリスチャンでなく、エホバの証人でなくても、夫を家の正当なかしらと認め、その点において夫をおそれ、つまり深く尊敬しなければなりません。ひきつづき夫とともに暮らすならば、そのことは夫にとってよい機会となります。妻の語る真理のことばにたとえそのとき耳を傾けなくても、夫とずっと一緒に暮らすことが霊的な面で夫の益になることを、 妻は認めなければなりません。 宗教の面で一致していない家庭にあっても、クリスチャン、エホバの証人は絶望の状態にはおかれていません。 使徒ペテロの次のことばは希望があることを示しています。
37 「同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和で、 しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。むかし、神を仰ぎ望んでいた[266]聖なる女たちも、このように身を飾って、その夫に仕えたのである。たとえば、サラはアブラハムに仕えて、彼を主と呼んだ。 あなたがたも、何事にもおびえ臆することなく善を行えば、サラの娘たちとなるのである」ーペテロ第一、三ノ一ー六。創世記一八ノ一一、 一二。
38 「サラの娘たち」となるのはサラの子孫になること、つまり血縁関係によってではなく、とくに妻としてサラにみならうことによってです。 九十歳の高齢になるまでアブラハムに仕え、たとえ心の中においてであってもアブラハムを自分の「主」と認めたゆえに、サラがイサクを産み、イエス・キリストの先祖となる特権に恵まれたことを考えてごらんなさい。イエス・キリストはおもに「アブラハムのすえ」であり、地のすべての家族と国民はこのすえによってなおみずからを祝福するのです。(ヘブル、 一一ノ一一、一二)こうして不信者の夫に対しても、比喩的な意味においてサラの娘となるクリスチャンの妻は、たとえ真理を夫に納得させることができなくても、必ず神から報われます。
39ヘブル人のサラは、夫に仕えるという点でクリスチャンの妻の手本ですが、さらに大きな、そして大切な手本は、「キリストのからだ」であるクリスチャン会衆です。 夫がクリスチャンであるかないかは、問題ではありません。キリストの会衆はキリストの霊的な花嫁であり、将来の妻です。真のクリスチャン会衆はイエス・キリストを主と認め、かしらと認めます。そしてキリストを主と呼びます。それでキリストのかしらの権を無視したり、キリストの命ずることを拒否したりしません。むしろキリストの宣べ伝えたことを宣べ伝え、その教えたことを教えて、キリストを喜[267]ばせようと努めます。使徒パウロの次のことばは、婦人をいやしめるものではなく、クリスチャンの妻を気高い人にするためのものでした。
40 「キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。妻たる者よ。 主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。 キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の教主であられるように、夫は妻のかしらである。 そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである・・・・・・妻もまた夫を敬いなさい」 ーエペソ、五ノ二一ー二四、三三。
41これはすべてのクリスチャン会衆の婦人にあてはまります。 使徒パウロはコロサイにあった会衆の婦人にも、「妻たる者よ、夫に仕えなさい。 それが、主にある者にふさわしいことである」と述べて、同じ助言を与えているからです。(コロサイ、三ノ一八) クリスチャンの妻がそうすることは、ある事情の下において、とくに夫がクリスチャンではなく、エホバの証人ではない場合に困難かもしれません。しかしそうするのは「主にある者にふさわしい」と使徒パウロが述べていることに留意しなければなりません。それは主イエス・キリストと結びつきを持つクリスチャンの婦人の道です。 そこでもし「主に仕えるように」夫に仕えることに努めるなら、このクリスチャンの婦人の道は容易になります。 単に夫を喜ばせるというよりも、主イエス・キリストを喜ばせることを念頭においてそうするからです。夫と妻が主イエス・キリストとその会衆の手本に努めてならうようにすれば、健全な結婚生活の幸福は増し加えられます。 結婚の当事者は、会衆のみならず家庭においてそれぞれ相手が神から[268]与えられている立場を認めなければなりません。それは不和と争いをなくす道です。それによって結婚の当事者はそれぞれ自分に恵まれた立場にふさわしい品位を保ち、結婚の絆の中で自分に課せられている重大な責任を快くはたすことができます。それを見て結婚の絆の外にある人々だけでなく、クリスチャン会衆の外の人々も、真のキリスト教の益を認めるでしょう。こうして人が男女の地位に関する、神の権威ある定めを認めるならば、キリストのかしらである神に誉れがもたらされます。
イエス・キリストおよびその先駆者バプテスマのヨハネと接した人の中には軍人もいました。彼らはどのようにあしらわれましたか。それはなぜでしたか。 バプテスマのヨハネのもとにはいろいろな人が来て教えを乞いましたが、医師ルカはその人々についてこう述べています、「兵卒たちもたずねて言った、「では、わたしたちは何をすればよいのですか」。彼は言った、「人をおどかしたり、だまし取ったりしてはいけない。自分の給与で満足していなさい』」。これらが無割礼のローマ人の兵卒であったとは考えられません。 彼らはとくに関税あるいは税の徴収に関連して取り締まりにあたった土着のユダヤ人の兵卒でした。それでモーセの律法契約の下にあったこれらユダヤ人の兵卒に与えられた助言は、その直前にユダヤ人の取税人に与えられた、「きまっているもの以上に取り立ててはいけない」という助言に相応するものです。エホバ神と契約関係にあったこれらユダヤ人の兵卒が、罪を悔い改めたしるしにバプテスマを受けるには、その後の[270]行ないによって悔い改めにふさわしい実を結び、悪名高い西暦一世紀の兵士たちの非行をやめることが必要でした。ールカ、三ノ一ニー一四。 マタイ、三ノ八。
2バプテスマのヨハネは、兵役を退くようにとの指示をこれらユダヤ人の兵卒に与えませんでした。ヨハネの時代(西暦三二年、ヨハネが首を斬られるまで続いた)には、預言者モーセをとおしてイスラエル民族と結ばれたエホバ神の律法契約がまだ廃止されていません。新しい契約の仲保者であるイエス・キリストの死と復活と昇天はまだ将来のことでした。天にある仲保者イエス・キリストがエルサレムの会衆に聖霊をそそぎ、あらたに生まれたクリスチャン会衆と神との間に新しい契約を成立させたのは、西暦三三年の五旬節を迎えてからのことでした。(ヘブル、九ノ一四ー二四。 テモテ第一、二ノ五、六。 使徒行伝 二ノ一ー三三)したがって割礼のある生来のユダヤ人は、なお古い律法契約の下にありました。この古い契約の下においては、 ユダヤ人は、ユダヤ人の古代史家フラビアス・ヨセハスの言う神権政治(神の支配)のための戦い(「アピオンに答えて」 第二巻 五十二節)に携わることを許されていました。そこで彼らの戦いは、神の命令と指図を受けた神権的な戦争でなければなりませんでした。そしてユダヤ人の壮丁はイスラエルの軍隊にはいって兵役につく義務がありました。ー民数記一ノ一ー三、四四一四六。 申命記 二〇ノ一ー九。 サムエル上、八ノ一〇ー一二。
3このようにバプテスマのヨハネは、悔い改めたユダヤ人の兵卒を、当時なお有効であった古いモーセの律法契約の見地からあしらっています。これに反して、イエス・キリストは、イスラエル[271]の律法契約の下にいない非ユダヤ人の兵士と接しました。しかしイエスは、ローマ人がユダヤ人を従え、ユダヤ人の土地をローマ帝国の領土にしていたからといって、彼らに反感を持つことはされませんでした。それで百人の部下を持つローマの一百卒長を次のように処遇されたことが記録されています。
「さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、 「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています』。イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に「行け」と言えば行き、ほかの者に「こい」と言えばきますし、また、僕に「これをせよ」と言えば、してくれるのです』。「イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。 イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない・・・・・・』
「それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた」ーマタイ、八ノ五ー一三。ルカ、七ノ一-一〇。
4イエス・キリストは地上の生涯の最後の日にも、ローマの兵士との出会いを経験されました。しかし後刻「ユダヤ人の王」として訴えられたにもかかわらず、イエスは兵士たちと戦おうとはされませんでした。ヨハネによる福音書 十八章一節から十四節に、その時のことがしるされています。
「イエスはこれらのことを語り終えて、弟子たちと一緒にケデロンの谷の向こうへ行かれた。そこには園があって、イエスは弟子たちと一緒にその中にはいられた。イエスを裏切ったユダは、その所をよく知っていた。イエスと弟子たちとがたびたびそこで集まったことがあるからである。さてユダは、一隊の兵卒[272]と祭司長やバリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、たいまつやあかりや武器を持って、そこへやってきた。
「しかしイエスは、自分の身に起ろうとすることをことごとく承知しておられ、進み出て彼らに言われた、「だれを捜しているのか」。彼らは「ナザレのイエスを」と答えた。イエスは彼らに言われた、「わたしが、それである」。 イエスを裏切ったユダも、彼らと一緒に立っていた。
「イエスが彼らに「わたしが、それである」と言われたとき、彼らはうしろに引きさがって地に倒れた。そこでまた彼らに、「だれを捜しているのか」とお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスを」と言った。イエスは答えられた、 「わたしがそれであると、言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちを去らせてもらいたい』。それは、「あなたが与えて下さった人たちの中のひとりも、わたしは失わなかった」とイエスの言われた言葉が、 成就するためである。
「シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落した。その僕の名はマルコスであった。すると、イエスはペテロに言われた、『剣をさやに納めなさい。 父がわたしに下さった杯は、飲むべきではない」。
[「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」ーマタイ、二六ノ五二ー五四]
「それから一隊の兵卒やその千卒長やユダヤ人の下役どもが、イエスを捕え、縛りあげて、まずアンナスのところに引き連れて行った。彼はその年の大祭司カヤパのしゅうとであった。 カヤバは前に、ひとりの人が民のために死ぬのはよいことだと、ユダヤ人に助言した者であった」
5のちにローマ総督ポンテオ・ピラトの前に立った時、イエス・キリストは、剣をとって戦うことを使徒ペテロに許さなかった理由を説明されました。「あなたの同族や祭司長たちが、あなたを[273]わたしに引き渡したのだ。あなたはいったい、何をしたのか」というピラトの問いに対し、「イエスは答えられた、『わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない』」ーヨハネ、一八ノ三五、三六。
6さらに尋問を重ねたのち、総督ポンテオ・ピラトが自分は「上に立つ権威」のひとりであると言明し、イエスにむかって「何も答えないのか。わたしには、あなたを許す権威があり、また[枕]につける権威があることを、知らないのか」と言ったのに対し、イエスはもっと高い権威があることをローマ総督に思い起こさせて、こう言われました、「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」。(ヨハネ、一九ノ一〇、一一、 [新世訳]) イエスは至上の権威によって許された事柄にさからおうとはされず、総督ピラトは、「上に立つ権威」に対する武力反乱の疑いをイエスにかけることができませんでした。
7杭につけるために、ピラトがイエスを渡してのち、兵卒どもがイエスにした仕打ちに注目してください。「それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、『ユダヤ人の王、ばんざい』と言った。また、イエスにつばきをかけ、葺の棒を取りあげてその頭をたたいた。こうし[274]てイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから〔杭〕につけるために引き出した」 ―マタイ、二七ノ二七ー三一〔新世訳〕
8ローマの兵士たちは、杭につけられたイエスが死ぬまで見張っていました。すると恐ろしい事が起きはじめたのです。「百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった』と言った」―マタイ、二七ノ五四。
9杭の上で死なれたのちにも、イエスは刺されました。 「さてユダヤ人たちは、その日が準備の日であったので、安息日に死体を〔杭〕の上に残しておくまいと、(特にその安息日は大事な日であったから)、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に〔杭〕につけられた初めの者と、もうひとりの者との足を折った。しかし、彼らがイエスのところにきた時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水が流れ出た。それを見た者があかしをした」―ヨハネ、一九ノ三一ー三五、〔新世訳〕。
10ひそかにイエス・キリストの弟子となっていたアリマタヤのヨセフが総督ピラトの所に行き、イエスのなきがらを乞いました。 「ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した」(マルコ、一五ノ三九、四二ー四五)そののちローマの軍隊は、たとえイエスが抵抗しなかっ[275]たとしても、イエスに対してなんの手出しもできませんでした。何年ものち、使徒ペテロは、王、総督など人間のたてた者にクリスチャンが従うべきことを述べたことばの中で次のように書いています。 「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。さらに・・・・・・ [杭〕にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた」―ペテロ第一、二ノ一三、二一ー二四。
11総督ピラトの許しを得たユダヤ人の宗教指導者は、アリマタヤのヨセフがイエスのしかばねを横たえた墓を封印し、見張りの兵士をたてました。イエスの弟子がしかばねを盗んで、イエスは復活したと言いふらすことを恐れたのです。しかしイエスの死の三日目になってみると、墓を封じた石は天使の手でころがしのけられており、墓はすでにからでした。イエスは復活したのです。 マタイ、二七ノ六二ー二八ノ一五。
12イエスが死から復活して五十日目すなわち西暦三三年の五旬節に、「神の」クリスチャン「会衆」がエルサレムにおいて設立され、エホバ神は仲保者であるイエス・キリストをとおしてこの会衆を新しい契約に入れました。会衆に聖霊がそそがれたことはその証拠です。ゆえに地上の神権政治のために武器をとって戦うことを許し、兵役を定めていた古いモーセの律法契約は終わりました。(エレミヤ、三一ノ三十三四) しかしなお三年四ヵ月とおよそ十日のあいだ、神の恵みはアブラハムの子孫であるイスラエル民族の上にとどまり、クリスチャン会衆に入れられる人はユダヤ人か、[276]ユダヤ人の宗教に改宗して割礼を受けた人に限られていました。(ダニエル、九ノ二四二七)ついで西暦三六年の秋、無割礼の異邦人の信者のためにも、クリスチャン会衆にはいる門が開かれたのです。
13そのときクリスチャンになる用意ができていたのは、ひとりの軍人でした。イタリア人でローマの百卒長をつとめたこの人は、「七十週」年の最後の週すなわち神の特別な恵みがイスラエル民族に示された期間にパレスチナのユダヤ人の間で良い評判を得ていました。その事実は次の記録から伺われます。
「さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。 イタリヤ隊と呼ばれた部隊の百長で、信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈をしていた。ある日の午後三時ごろ、神の使が彼のところにきて、「コルネリオよ』と呼ぶのを、幻ではっきり見た。 彼は御使を見つめていたが、恐ろしくなって、「主よ、なんでございますか』と言った。すると御使が言った、『あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている。 ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンとい人を招きなさい。 この人は、海べに家をもつ皮なめしシモンという者の客となっている」 とのお告げをした御使が立ち去ったのち、 コルネリオは、僕ふたりと、部下の中で信心深い兵卒ひとりとを呼び、いっさいの事を説明して聞かせ、ヨッパへ送り出した」 使徒行伝一〇ノ一ー八。
14このことがあってから四日目に、コルネリオの三人の使いはペテロをはじめ、何人かのユダヤ人のクリスチャンを伴って帰ってきました。コルネリオの家では大ぜいの異邦人がペテロの話を聞[277]こうとして集まっていたのです。 コルネリオは仔細を告げてのち、こう語りました、「今わたしたちは、[エホバ]があなたにお告げになったことを残らず伺おうとして、みな神のみ前にまかり出ているのです」。そこでペテロはこれらの異邦人にイエス・キリストを宣べ伝え、最後にこう語っています、「イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたである 預言者たちもみな、イエスを信ずる者はことごとく、その名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」ー 使徒行伝一〇ノ九ー四三、〔新世訳〕。
15百卒長コルネリオと彼の家にいた他の異邦人たちは、使徒ペテロが説いた事柄を受け入れたにちがいありません。 次の出来事を見ればそれは明らかです。
「ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった。割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた。それは、彼らが異言を語って神をさんびしているのを聞いたからである。そこで、ペテロが言い出した、「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でパプテスマを授けるのを、だれがこぼみ得ようか』。こう言って、ペテロはその人々に命じて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた。それから、彼はペテロに願って、なお数日のあいだ滞在してもらった」ー使徒行伝一〇ノ四四ー四八。
16使徒ペテロがコルネリオと仲間の異邦人の信者にどんな指示を与えたか、また百卒長コルネリオと部下の「信心深い兵卒」がその後なにをしたかは、聖書に述べられていません。カイザリヤのコルネリオの家にクリスチャン会衆が設立されたかどうかも、聖書からはわからないのです。 コルネリオのその後の動静についてはなんら知ることができません。 何年ものち(西暦五六年ごろ)、[278]使徒パウロは宣教旅行の帰途カイザリヤに上陸して「伝道者ピリポの家に行き、そこに泊まりました。(使徒行伝 二一ノ八)その後パウロはカイザリヤで二年間も投獄されていましたが、百卒長コルネリオのことはそれに関連して述べられていません。(使徒行伝 二三ノ三一ー三五。二四ノ二四ー二七) その時までにパウロは「上に立つ権威」と良心に関してローマ人への手紙 十三章一節から五節のことばを書いていました。 コルネリオはこの助言を知ることができたはずです。 当時のカイザリヤに関連して何人もの百卒長のことが出ていますが、コルネリオという名の百卒長のことは述べられていません。ー 使徒行伝 二三ノ二三。二四ノ二三。二七ノ一、六、一一、三一、四三。二八ノ一六。
17 パウロと一緒に旅行した医師ルカは、パウロが囚人となりローマで初めて監禁された時の模様を次のように述べています。「わたしたちがローマに着いた後、パウロは、ひとりの番兵をつけられ、ひとりで住むことを許された。パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた」(使徒行伝 二八ノ一六、三〇、三一) 番兵がパウロの宣べ伝えたことのどれだけを耳にしたか、あるいはその聞いた事柄にどんな反応を示したかは、パウロの侍医ルカのことばにしるされていません。
18 しかしクリスチャン使徒パウロのうわさは、ピリピの会衆にあてた手紙の中でパウロ自身が述べているように、近衛隊と呼ばれるネロ皇帝の親衛隊にも伝わりました。「さて、兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。すなわち、わたしが獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体[近衛の全営、文語]にもそのほかのすべての人々にも明らかに・・・・・・なった」(ピリピ、一ノ一二、一三) しかし近衛の兵士の中に、神の国に関するパウロの音信を受け入れてクリスチャンになった者がいたかどうかはしるされていません。もっともパウロは「カイザルの家の者たち」がクリスチャンであることを示し、彼らのあいさつを伝えています。 (ピリピ、四ノ二二)パウロはこれらの人々が政治上の職についていたとは述べていません。
19クリスチャン・ギリシャ語聖書には、霊によって生みだされた「神の会衆」に関連して軍事的なことば、あるいは表現が使われています。たとえばパウロは、ピリピの町にいたクリスチャンに書き送ったことばの中で、「あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦」っている様子を聞かせてほしいと述べています。(ピリピ、 一ノ二七)「戦い」ということばのかわりに「奮闘する」(欽定訳。 アメリカ標準訳。 改訂標準訳。ヤング訳)あるいは「競う」(新英訳)ということばを使っているほん訳もあります。しかしどんな「戦い」であったにしても、それはキリスト教国のローマ・カトリックの〝十字軍"の場合のように"火と剣"による戦いではなく、また信者がカイザルの兵士と「力を合わせて」 カイザルのローマ帝国のためにする戦いでもありませんでした。それは「福音の信仰のため」の戦いです。ゆえにそれは別の戦いでした!
[280]20使徒パウロ自身もクリスチャンとしてこの別の戦いに参加していました。ネロ皇帝の治世の時に死んだパウロは、死ぬ少し前に書いた最後の手紙の中でこう述べています、 「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう」。(テモテ第二、四ノ七、八)パウロはスポーツ愛好者のネロ皇帝からこの「義の冠」を期待したのではありません。パウロはカイザルの軍隊にはいったことも、カイザルのスポーツ競技に参加したこともないからです。パウロは別の戦いをしてクリスチャンの信仰を守りました。
21クリスチャンの監督テモテにあてた、最後の手紙の中で、使徒パウロは次のようにも述べています。 「キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。また競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。労苦をする農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである」。(テモテ第二、二ノ三十六) 苦難に耐え、天の主人に仕えることによって、監督テモテは「キリスト・イエスの良い兵卒」となるのです。 キリストにならうとすれば、あるいは使徒パウロにならってさえ、テモテは指導者キリスト・イエスが地上で使わなかった武器を使うようなことはしないはずです。(コリント第一、一一ノ一) 「キリスト・イエスの良い兵卒」として、テモテはパウロの命じているものを使うでしょう。
22 「わたしの子テモテよ。 以前あなたに対してなされた数々の預言の言葉に従って、この命令を与える。 あなたは、これらの言葉に励まされて、信仰と正しい良心とを保ちながら、りっぱに戦いぬきなさい」。(テモテ第一、一ノ一八) 「愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう」―テモテ第二、ニノ二三ー二六。
23 テモテはパウロのこれらの手紙を保存しました。それは手紙の教えを実行するためであったでしょう。これらの手紙の写しは原語のギリシャ語のものをはじめ、ラテン語その他の言語にほん訳されたものが今日まで伝えられています。しかし異教ローマの最高僧院長をつとめた異教徒の将軍コンスタンチヌス大帝がキリスト教徒になったふりをし、 「十字架のしるし」によって勝利を得たと主張する前の何世紀かにおいて、忠実なクリスチャン一般はどのようにイエス・キリストにならい、またクリスチャン・ギリシャ語聖書の教えを守りましたか。 聖書とは別に世界史の本にもそのことがしるされています。 「文明への歩み―世界史」(ヘッケル、シグマン共著)の次のことばはすでに引用したものです。(一九四頁)
クリスチャンはローマ市民のある義務を拒否した。 クリスチャンは国家を破壊することを望む無政府主義者と見られ、兵役につくことを信仰にそむく行為と考える平和主義者と見られた。 彼らは政治上の職につかなかった。また皇帝を崇拝しなかった。
24 エドワード・ギボン*が「キリスト教史」(一八九一年版)の一六二頁から一六四頁において、明らかに初期クリスチャンを軽蔑して書いていることばは、前述の事柄を裏づけています。彼らは単純であって、宣誓することはでな行政長官の職や粉糾した公的な生活にあずかることをいさぎよしとしなかった。彼らは無知な人道主義者であって、司法の剣によると、戦争の剣によるとを問わず、人間の血を流すことが不法であるとの考えをまげようとしなかった。 しかし彼らの態度は犯罪的また敵対
---------------------
---------------------
[283]的であって、社会全体の平和と安全をおびやかすものである。次のことが認められていた。すなわちユダヤ人の律法に由来する権力も、霊感を受けた預言者、油そそがれた王により天の是認を受けて行使された。しかもそれは完全とは言えない法律の下で行使されたのである。クリスチャンも、現在の世においては、このような制度があるいは必要かもしれないと考え、その考えを公にした。 彼らは異教徒の総督の権威にすすんで服従した。しかし消極的な服従を説く一方で、クリスチャンは行政に実際に参与せず、また帝国の防衛の任にあたる軍隊に加わることを拒否した。改宗以前からこのような暴力的また血なまぐさい職業に携わっていた者の場合には、あるいはある程度それが許されたかもしれないが、クリスチャンが兵士、行政長官、支配者になるのは、さらに神聖な務めを否認することになるゆえに不可能であった。公共の福祉に対するこの無活動の犯罪的でさえある立場のゆえに、彼らは異教徒から侮られ、非難された。 すべての人がこの新しい宗教のおく病な気風に染まるならば、四方を野蛮人におびやかされている帝国の運命はどうなるかと、このように問うのが異教徒の常であった。 この侮べつ的な問いに対して、キリスト教の護教論者は、あいまいな答えしか与えていない。彼らの安全が何に依存しているのかは秘密であって、護教論者はそれを明らかにすることを望まなかった。ただ人類の改宗が達成されるまでには、戦争も政治もローマ帝国も、世界自体も消滅してしまうものと考えられていた。次のことが言えよう。この場合も他の場合におけると同様、初期クリスチャンの立場は彼らの宗教上の良心と幸いにも一致していた。また公的な活動を避けていたゆえに、国家や軍隊から栄誉を受けることはなかったが、そのかわり兵役を免れる言いわけを得た。
25 マクリントック、ストロング共編 「聖書神学、教会に関する文献の百科事典」(一八九四年版) 第十巻はこの問題に対する「クリスチャンの見解」をとりあげ、三世紀のローマ・カトリックの宗教著述家タータリアンに言及して、八八一頁に次のように述べています。
[284]キリスト教は常に人々と諸国家に平和の精神を吹き込む。自由および個人の尊厳の精神についても同様である。しかし奴隷制度あるいは戦争の廃止を強制することはしない。またいかなる政府の武力行使にも反対しない。初期クリスチャンが兵役につくことをしなかったおもな根拠は、「およそ血を流す者は」等の聖句であった。しかしほかにも理由があった。 初期クリスチャンは、彼らを絶えず迫害した政府のために働く義務はないと考えた。また兵役に関連した偶像崇拝を恐れたのである。 兵卒は上位者の場合とくらべて、偶像崇拝をそれほど強制されなかったにもかかわらず、タータリアンは一兵卒となることを禁じている。ローマ帝国の紋章には像がつけられ、また偶像が描かれていたので、タータリアンにはそうする十分の理由があった。(タータリアンのデイードウロラートリア C. xix.デコロナ ミリーティスC・xi. アポロギア C・xlii. アドスカプラムC・iv) *
26同じ第十巻 八八二頁、 「教義上の見解」の副見出しの下に、この百科事典は次のように述べています。
---------------------
*この百科事典はさらにコンスタンチヌス大帝の時代に言及して次のように述べています。「これらの反対理由にもかかわらず、兵士となるクリスチャンは非常に多かった。 コンスタンチヌスが改宗し、また偶像の旗じるしが十字架の旗じるしに変えられたことによって、兵役につくことはすべてのクリスチャンの義務となった。教会と国家の利害はいまや共通のものとなったのである。オーガスチヌス [西暦三五四一四三〇]は、クリスチャンが兵士となることに対して、 良心の上での疑いをなんら持っていないと述べている。 (Ep.138 アド マルケリヌムxii )・・・・・ローマ・カトリック教会の聖職者によれば、教会と国家との結びつきが強くなるほど、戦争は正当化されるという」。
しかし四世紀以降のこの論は、ローマ総督ポンテオ・ピラトに対するイエスのことばと全く相容れません。ヨハネによる福音書 十八章三十六節によれば、イエスは次のように言われました。「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。
---------------------
[285]しかし戦争を擁護するこの現代的な意見は、明らかに国家権力に迎合しようとの意図から生まれたものであり、昔からのキリスト教の教理および新約聖書の明確な教え (マタイ、五ノ三九。 ローマ、一二ノ一七ー二一その他)はもちろん、福音書全体の精神に明らかに反するものである。この意見を支持するために引用される若干の聖句もその役にはたたない。(たとえば、ルカ、二二ノ二六。 マタイ、二六ノ五二と比較せよ。 ローマ、一三ノ四は司法行政に言及しているにすぎない)・・・・・・
決疑論者は、「おおよそ存在している権威」すなわち政府当局あるいは軍事当局、換言すれば政府自体に戦争の責任を負わせ、このような場合におけるクリスチャンの良心をたいていなだめてきた。しかしこのような考え方をすれば、クリスチャンは世俗の、あるいは政治支配者の命ずるままにどんな無法、偶像崇拝さえもしてよいことになる。民主あるいは共和政治下において多数者の意志は、この問題において事柄を左右する根本的な要因ではない。 良心の問題においては、各人が神に対する恐れをもってみずからの決定を下さなければならない。
27最も初期の原始キリスト教徒がこの問題に対してとった立場は、権威ある古い歴史の他の文献心からも証明されます。 * 彼らはキリストの十二使徒にごく近い時代の人で、背教が始まる以前の人です。(テサロニケ第二、二ノ三ー五)今日のまことのクリスチャンは、後代の背教した人々の行ないや教えではなく、霊感を受けた使徒たちの教えと手本に従うことを望みます。それでカイザルすなわち「上に立つ権威」にはカイザルのものを従順に返すことを怠りません。しかしカイザルの要求には限度があることも知っています。クリスチャンは神のものを神に返すべきことを良心に刻みつけているからです。 彼らは神を偉大な神権者として認め、したがって献身してバプテスマを受
---------------------
---------------------
[286]けたしもべとして彼らの参加する神権的な戦いを神の命ずるままに行なわなければなりません。 教会と国家との結びつきがあり、流血に汚れた背教のキリスト教国のために戦うことはできません。彼らは全身全霊をささげてだれに奉仕するために召されたかを知っており、使徒の救えどおりにその者に自分をささげています。
28 「あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。なぜなら、あなたがたは罪に支配されることはないからである」―ローマ、 六ノ一ニー一四
29みずからを神にささげたクリスチャンであるなら、自分のからだと精神を「義の武器」として神への奉仕に使わなければなりません。罪深い人間の手に自分をゆだねて、命ぜられるままに罪を犯すことはできないのです。その証拠に、使徒パウロは「上に立つ権威」と、それに対しクリスチャンの払うべきものを論ずるに先だち、次のことを述べました。
30 「ああ神の富と知恵と知識は深いかな。そのさばきは窮めがたく、その道は尋ねがたい。れがエホバのみこころを知るに至ったであろうか。だれがその助言者となったであろうか。 だれがまず彼に与えてその報いを受けるであろうか」。すべての物は神から出て神によって成り、神に帰するからである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。兄弟たちよ、そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた聖なる供[287]え物としてささげなさい。それが、あなたがたの理性の力をもってする聖なる奉仕である。またこの事物の制度にならうのをやめなさい。善にして、喜ばれる、全き神のみこころをみずからわきまえるために、心をかえて新たにしなさい」 ローマ、 一一ノ三三ー一二ノ二、新世訳。
31神のあわれみに基づいてなされた使徒のこの訴えに応じ、生きた、聖なる、嘉納される犠牲として自分のからだを神にささげる人は、自分の生命、からだを神のために犠牲とし、神への奉仕にささげる義務を神の前に負っています。 自分のからだを神の犠牲の祭壇からあたかも取り去ったかのように、そして神の敵であるか、それとも神の目的にさからっている地上の主人に仕えるためにそのからだを渡してしまうならば、神への聖なる奉仕を全く捨てたことになります。 彼らは理性の力によってそのことをわきまえています。ゆえに神への聖なる奉仕のために自分の生きたからだ犠牲としてささげた人は、現存する事物の制度にならうことをやめ、神から離れた世で人気を得ようとすることをやめなければなりません。世の宣伝に耳を傾けて世の思いを持ってはならず、むしろ神の聖なることば聖書を学んで神の良い、かつ受け入れるにたる全きみこころをわきまえ知ることにより、心をかえて新たにしなければなりません。それで神のみこころを行ない、神のものを神に返すことが必要です。
32 「上に立つ権威」について論じたすぐあとで、使徒パウロは犠牲としてみずからを神にささげた人々の武器のことを述べています。 「なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この[288]事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。 なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。そして、宴楽と泥酔 淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」 ローマ、一三ノ一一ー一四。
33使徒パウロは「光の武具」のことを語っています。明らかにそれは当時のローマの兵士が攻撃や守備に用いた実際の武具のことではありません。このことから全く明白なように、「主イエス・キリストを着た者は、旗をかかげたカイザルの軍団とは異なった戦いをしています。 「主イエス・キリストを着た者は、霊的な「光の武具」をとって「やみのわざ」すなわちつつましさのない行ない、 宴楽 泥酔 淫乱、好色、争い、ねたみと戦うことを命ぜられていました。 主イエス・キリストはこのような行ないを決してされませんでした。それでイエスにならうという意味でイエスを着ることに努めた者は、イエスに似る者となったはずです。彼らが主イエス・キリストの追随者であることは、やがて明らかになります。イエスは山上の垂訓の中で弟子たちに言われました、「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」―マタイ、五ノ一六。
34パウロと同じく使徒であったペテロは、クリスチャンがしている別の戦いのために武装するにはどうすればよいかを、さらに示しています。ペテロもまた王や長官に対するクリスチャンの服従[289]について論じ、「良心」のことに三度ふれてからのち、次のように述べました。 「キリストは天に上って神の右に座し、天使たちともろもろの権威、権力を従えておられるのである。このようにキリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。 肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう」。
35ペテロの第一の手紙 三章二十一節から四章三節までのこのことばが良心的なクリスチャンに命じているのは、特に良心と義のために苦しみを受けることに対し、イエス・キリストと同じ心がまえをもって心の武装をすることです。 使徒はこれより先、ペテロの第一の手紙 二章二十一節から二十四節までと、三章十八節にイエス・キリストの心がまえを述べています。このことにおいてイエス・キリストは追随者のならうべき手本を残されました。神に対する良心のゆえに肉体に苦しみを受けた人は、「罪からのがれ」ました。それはいたずらにではありません。なんのためですか。 肉における残りの生涯を、「もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすため」です。イエスのように神に献身してバプテスマを受けるまでは、その人も「異邦人の好み」にまかせて行動すことに時を費やしてきました。その中にはエホバ神に対して不法行ないである偶像崇拝など、「上に立つ権威」が命じた事柄も含まれています。 神のみこころを行なうように教育された良心に従っ[290]てクリスチャンが残りの生涯を生きることは、この世において苦難を伴う戦いを意味します。 ペテロ第一、五ノ九、一〇。
36神に対してクリスチャンの忠実を守るためのこの戦いに勝利を得るには、イエス・キリストの心がまえで武装しなければなりません。ある場合には「上に立つ権威」の承認さえ得て世間一般に罪が行なわれていても、それをしないために苦しみを受けたのであれば、良心を清く保つことができます。神に対して悪を行なったゆえに受ける苦しみではないという自覚があります。それで使徒ペテロは次のことばを加えました。「クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい」―ペテロ第一、四ノ一六。二ノ一九。三ノ一六、 二一。
37このようにキリストの心がまえをもって心の武装をし、罪をやめたゆえに不当な苦しみを受けてもそれに耐える覚悟のある良心的なクリスチャンは、神をあがめることができ、自分の負うクリスチャンの名をはずかしめないでしょう。彼は「異邦人の好み」にまかせて行なう世の罪深いならわしを「神の会衆」に持ち込むようなことをしません。こうしてクリスチャンは、悪の実を生み出す悪魔的な知恵ではなくて上からの知恵を表わします。ゆえにヤコブの手紙 三章十四節から四章四節は次のことを述べているのです。
38 「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら、誇り[291]高ぶってはならない。また、真理にそむいて偽ってはならない。そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである。ねたみと党派心のあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。
39 「不貞のやから[不貞の女たち、新世訳] 。 世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである」。
40クリスチャン会衆内で戦い、争い、殺し、むさぼることが弟子ヤコブの霊的な兄弟たちにとって悪であったのは当然としても、会衆の外でならば、それらを行なうことができましたか。会衆から一歩世の中に出れば、そのようなことをしてもさしつかえありませんか。霊的な兄弟たちと一緒にいる時だけ、クリスチャンらしくふるまえばよいのですか。そうであるとすれば、今日のキリスト教国の宗教的な偽善と変わらないことになります。それは上から、すなわち神からの、第一に清く、次に平和ならしめる知恵を表わす道ではありません。それは下からの地的な、「肉に属するも[292]の、悪魔的なもの」であり、不貞のやからの欲情すなわち「快楽のため」の欲情の行ないです。そのようなことをすれば神の敵である世の友となり不貞の者となります。したがってその者は神の敵となるでしょう。
41使徒パウロは、このようなねたみ、争い、世の愚かな行ないをクリスチャン会衆から除き去る必要を感じました。(コリント第二、一二ノ二〇、二一)パウロは会衆内のこのような状態また世にならう行ないと戦うために、どんな武器をもって事態に臨むことを警告していますか。パウロはどんな武器を使う権威をエホバ神と御子イエス・キリストから授けられていましたか。 コリント人への第二の手紙十章一節から六節にあるパウロのことばをごらんください。
42「さて、「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる』このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める。わたしたちを肉に従っ歩いているかのように思っている人々に対しては、わたしは勇敢に行動するつもりであるが、あなたがたの所では、どうか、そのような思いきったことをしないですむようでありたい。わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりにしてキリストに服従させ、そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである」。
43この句を改訂標準訳聖書でみると「われわれの戦いの武器は世のものではない」とあり、ジェイムス・モファット博士の聖書新訳には「われわれの戦いの武器は肉の武器ではない」とあります。なぜ世のものではなく、また肉の武器ではないのですか。パウロと仲間の信者は別の戦いをしていたからです。彼らの武器は、異端と不信者に対してキリスト教国がおこした十字軍の兵士の武器とは異なっていました。このあとのほうの武器は人に強制する力はあっても、理知に訴えて説得し、納得させる力がありません。 使徒パウロはこのような武器のむなしさを知っていました。 「要塞」「神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物」を打ちこわすには、そして「すべての思いをとりこにしてキリストに服従させるには、まさった武器が必要でした。それは「神のためには力「ある」 武器すなわち神がその忠実な民のために備えられた、また神に是認された武器です。
44 「神のためには力ある」 これらの武器は、今日でもわたしたちの手にはいります。 人間の歴史をふりかえって今の時代を以前の時代とくらべてみると、いまが「悪しき日」であることを認めないわけにはいきません。 今の世を動かしている知恵は、天の神から下る清い、そして平和と正義の知恵ではなく、「地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なもの」です。わたしたちは敵の正体を知り、何者を相手に戦うのか、完全な勝利を得るにはどんな武器を使わねばならないかを知っています。それでエペソ人への手紙六章十節から十八節にパウロが書いた教訓に従わなければなりません。
[294]45 「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、 やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
46 「すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、 正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい」―テサロニケ人への第一の手紙五章八、九節をも見てください。
47わたしたちの戦いは「血肉に対するものではなく」と、使徒は述べています。どの人種、国籍、部族、皮膚の色、文明の「血肉」であっても、それは問題ではありません。 使徒が述べているとおり戦いの相手は見えない支配、権威 暗黒の世の支配者となって「天上にいる悪の霊」であるゆえに、わたしたちは別の戦いをしているのです。これらのものと戦い、「悪魔の策略」が巧妙をきわめる「悪しき日」にあって勝利を得るには別の武器が必要です。わたしたちの攻撃の武器は「御霊の剣、すなわち、神の言」です。文字になった、剣のようなこの神のことばは、今日、霊感による本 六十六巻から成っており、その最後の巻の啓示から、いま全世界の諸国民は「天上にいる[295]悪の霊」の影響を受けていることが理解されます。彼らがいやおうなく集められている場所すなわち事態は、黙示録 十六章十三節から十六節に明らかにされています。
48「また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者*の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能の神の大いなる日に、戦いをするためであった…. 三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した」。
49この「悪しき日」にあって「神の武具で身を固め」たクリスチャンは、象徴的な寵すなわち悪霊の支配者サタン悪魔と、獣のような地上の政治組織と、人類の将来を予想し、形づくろうとするにせ預言者 第七世界強国のそれぞれから出る悪霊の宣伝と戦わねばなりません。サタン悪魔の下にある見えない悪霊に霊感された、これら宣伝の表現と戦うことによって、クリスチャンは「全世界の王たち」もろともに集められないようにさからい。 全能の神との戦いにまき込まれることを避けます。 「御霊の剣、すなわち神の言」をとるクリスチャンは、この戦いの結末がどんなものかを知っています。 黙示録 十九章十七節から二十一節に預言的に描かれているとおり、「地の王たちと彼らの軍勢」は完全に敗北して永遠の滅びをこうむるでしょう。 ハルマゲドンにおける「大いなる日(の) 戦い」は全能の神の戦いであり、したがって霊的なよろいを着けたクリスチャンは物質的、この世的な肉の武器をとらず、地上の王たちやその軍勢を滅ぼすことに加わりません。
---------------------
---------------------
50龍すなわちサタン悪魔と「天上にいる悪の霊」すべてが、キリストの治める千年のあいだ底知れない穴すなわち隔離された無活動の奈落の底に投げ込まれて束縛されるまで、クリスチャンは悪霊との戦いをつづけなければなりません。悪霊が束縛されて底知れぬ所に閉じ込められるのは、サタンの見える地上の勢力がハルマゲドンにおいて敗北し、一掃された直後のことです。(黙示録一九ノ一九から二〇ノ三)そこでクリスチャンが決定しなければならないのは、ハルマゲドンにおける滅びに向かって行進する「全世界の王たち」の下に召集されるか、それとも全能の神の側に来て別の戦いをするかです。 全能の神の側にある忠実なクリスチャンには、神の建てる自由と平和の新序の下でうける、終わりのない幸福な生命という勝者の冠が保証されています。
[297]中立を意味する英語ニュートラリティは、「どちらでもない」あるいは「(二者の)いずれでもない」という意味のラテン語ネウテルから出ています。ゆえに中立は、人または国が他人また他国同志の争いに対していずれにも組さず、どんな援助をも与えない立場あるいは状態を意味します。 東西両陣営の政治体制が衝突し合っている今日、中立を宣言し、中立を守ろうとしている国々があります。しかしそれらの国々は国際連合に加盟していながら、そのことをしているのです。本書発行の時において、国際連合の加盟国は百十七ヵ国でした。*
---------------------
---------------------
[298]2アメリカナ百科事典(一九五六年版)によれば、国際法における中立とは「他国家間の戦争に関して不参加の立場をとる国の法的な地位に適用される用語である。それは単なる戦争放棄ではなく、交戦国に対する中立国の、および中立国の交戦国に対する権利と義務を含む関係」です。 アメリカナ百科事典はさらに次のことを述べています。 「中立の地位は古代世界においてはほとんど認められていなかった。それが法律に記載されたのは、 十四世紀に制定された海事法コンソラートデルマーレがおそらく最初であろう。その後の世紀において中立者はさまざまの主張をし、また要求を出して、この法律を発達させた」。
3 「中立」ということばは、西暦一世紀の終わりごろに書き終えられた聖書には出ていません。クリスチャンの「神の会衆」が多くのことばを費やし、すすんで中立を宣言したのは、この二十世紀、一九一四年に第一次世界大戦が勃発してからです。アメリカ合衆国が帝国ドイツに宣戦を布告する一年以上前、「ものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ」 (英文)一九一六年一月一日号の六頁第二欄に次のことが述べられました。
戦火はペルシャさらにはインドにも及ぶ可能性がある。どの国も平和を望んでいるが、おく病風を吹か威信を失うことを恐れている。主のみたまはどこにも見られない。またそれは当然のことである。これらの大国はキリスト教の国ではなく、単にこの世の国であって、この世の君の支配下にあることが、す
---------------------
[二九七頁の欄外からつづく]みはなされなかった。国家は直接に関係のある重大な問題でなければ、軍事行動なかなか起こそうとはしないゆえに、中立の理念は根強く存続している」。
---------------------
[299]べての人の目に明らかになる時がきたのである。この世の君は「不従順の子らの中に今なほ働いて、怒り、憤り、憎しみ、ねたみ、争い、にがにがしさを煽っている・・・・・・我々は主に愛せられるすべての人々が次のことを心にとめるように衷心から訴えるものである。すなわ偉大な主はふたりのみであって、神とキリストの側に召された我々はこのふたりの主に忠節でなければならない。 この世の神のために盲目にされ、誇り、自慢、敵意、憎しみ、争いの精神にみたされた、よこしまで曲った人々の中にあっても、我々は神とキリストに忠節を保つ。サタンの帝国の抗争する勢力の間にあって、我々は中立を保つことを願う・・・・・・
我々はみずからの中立の立場を忘れてはならぬ。我々はすべての人に対して公正、親切、寛容を示そう。我々の立場を理解また認識できない人々とこの問題を論ずることは、できるだけ避けるべきである。
4第一次世界大戦終結ののち何年かを経て、一九二二年二月十五日号の同じ雑誌は、「中立はクリスチャンの態度」と題して六十二頁 第二欄に次のことを述べました。
ゆえに主の聖別された民が占めるべき正しい立場は中立の立場である。 「我の世のものならぬ如く、彼ちも世のものならず」。(ヨハネ、一七ノ一六) 「我なんぢらを選べり。而して汝らの往きて果を結び、且その果の残らんために...... 汝らを立てたり」。(ヨハネ、一五ノ一六) 主の民が結ぶべき実は争い、敵意、虚飾ではなく、聖霊における愛、喜び、平和である。これは我々が世の人々と論争し、我々と同じ立場を全人類にとらせようと努めることでもない・・・・・・
国々にはその戦いをさせておけばよい。 主はそれをごらんになり、最後の結末は栄光のものとなるであろう。我々は新しい国民、この世のものではない新しい国に属する者である。肉の武器を使わず、みたまの剣を使って信仰の良い戦いをし、前におかれた栄光あるものをとらえようではないか。からだのかしら、[300]救いのおさである彼にあって全うされてみずから立つのみならず、同じ霊によって生まれ、同じ天の軍勢の成員である者たちすべてが立つのを助けようではないか。全被造物に対する神の愛のはからいは、神のいとし子の栄光の国においてやがて明らかにされるであろう。この国は人類全般を祝福し、治め、教え、向上させるものである。 「うめき苦しむ被造物」はそのとき滅びのなわめから解放され、祝福を受け入れるほどの者はすべて神の子たちの栄光の自由に入るであろう。
5 第二次世界大戦が欧州に勃発して二ヵ月後、「エホバの御国を宣明するものみの塔」 一九三九年十一月一日号(英文)に「中立」と題する十頁のおもな記事がのせられました。その第五節には人のことが述べられています。
世界の国々の一部にいま戦争が行なわれている。 参戦していない国々の中には中立を宣言したものもある。 エホバの証人の真の中立の立場を、諸国家の政府が明白に理解することは困難かもしれぬ。 しかしその立場および彼らがとる、あるいはとってきた立場の正しさについて疑問の余地がないようにするため、エホバの証人の立場を明確に述べなければならない。
ついでクリスチャンのエホバの証人の立場をくわしく述べたのち、この記事は次のように結んでいます。
偉大な神権者とその王の側に立場を占めた人々は、神が彼らを救って永遠の生命を与えてくださることを知り、ひたすら神により頼んで自分たちの立場を守りとおすであろう。主の側にある者は国家間の戦争に対してすべて中立であり、偉大な神権者とその王に全幅の支持を与えるであろう。
[301]6 アメリカナ百科事典が指摘しているように中立とは「単なる戦争放棄ではなく」、抗争中のいずれの側に対する援助をも放棄することです。 クリスチャンの中立がキリスト教国によって公に支持されたことはありません。キリスト教国の著名な代弁者、ローマ・カトリック、正教会、新教の何十万人の牧師の発言や行動をみれば、それは明らかです。ゆえにクリスチャンのエホバの証人は中立の立場をとるにあたって霊感による聖書に支持を求めます。西暦四世紀、ローマ皇帝コンスタンチヌス大帝の時代にキリスト教国が成立する前の原始キリスト教徒に範を求めなければなりません。
7人間となって地上にいられた時、イエス・キリストは当時の政治問題に対して中立でした。西暦三三年ニサン十一日すなわちイエスが殺される三日前にエルサレムであった一つの出来事は、そのことを格別、明確にしています。ローマ領ガリラヤ州の総督ヘロデ・アンテパス王は、明らかにユダヤ人の過ぎ越しを祝うため、ちょうどその時エルサレムに来ていました。彼はユダヤ教に改宗して割礼を受けていたのです。ヘロデ党の追随者もエルサレムに来ていました。 ユダヤ教の宗派の中でもパリサイ派の人々は、政治上の問題に関してこれらヘロデ党の人々とは意見を異にしています。ヘロデ党の人々は死んだヘロデ大王の王家を擁立し、今やヘロデ・アンテパスに希望をつないで彼が国を治めることを望んでいました。 ユダヤ教のパリサイ人はエドム人ヘロデ大王の家の者が支配することを喜びませんでした。彼らはローマとローマの任命した総督からユダヤ人が独立することを望み、マカビー家時代におけると同様なユダヤ人の独立を欲していたのです。マカビー家時[302]代は紀元前一六五年に始まり、紀元前六三年にローマのポンペイ将軍がエルサレムを占領してユダヤ人をローマの支配下におくまでつづきました。そこで聖書に次のことが出ています。
8 「そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています』ー マタイ、二二ノ一五ー一七。
9ルカによる福音書 二十章二十節のことばから明らかなように、これは政治の問題でイエスをわなにかけようとするたくらみでした。 「そこで、彼らは機会をうかがい、義人を装うまわし者どもを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした」。当時エルサレムにいたローマ総督はポンテオ・ピラトでした。
10ユダヤ人の土地を治める外国人の総督やカイザルに税金を収めるのはユダヤ民族の独立の精神はもちろん、神の律法に反すると、パリサイ人は考えました。「彼らは尋ねて言った、『先生、わたしたちは、あなたの語り教えられることが正しく、また、あなたは分け隔てをなさらず、真理に基いて神の道を教えておられることを、承知しています。ところで、カイザルに貢を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。イエスは彼らの悪巧みを見破って言われた。 『デナリを見せなさい。それにあるのは、だれの肖像、だれの記号なのか」。 「カイザルのです」と、彼らが答えた。するとイエスは彼らに言われた、「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』ールカ、二〇ノ二〇ー二五。 二三ノ六ー一二。
11完全に平衡のとれたイエスのこの答えは、ユダヤ人の独立を目ざすパリサイ人の努力や運動、たとえそれがメシヤすなわちキリストであるイエスをいただいてのものであってもそのような独立運動を支持せず、またヘロデ党の追随者の政治的な望みをも支持していません。パリサイ人もヘロデ党の追随者も、国の政治を運営するカイザルの支出に対して税金を納める義務があったのです。異邦人が世界を支配する「七つの時」は紀元前六〇七年に始まっていました。それでユダヤ人の国がローマ帝国の一部となってローマ人に支配されることを神は許し、したがってまた神の選民がカイザルに貢を納めることにも神は反対されませんでした。同時に神の選民は崇拝と絶対の従順という面で神のものを神に返さなければなりません。このように、エホバ神を崇拝しながら、同時に世の争いや政治に対して中立を守ることができるのです。
11カイザルのものをカイザルに返すのが正しいことを宣言した三日後に、イエスは、敵意を持つ世に対して使徒またイエスの弟子のすべてがとるべき立場を忠実な使徒たちに告げられました。 主の夕食を制定したのち、それにつづく話の中でイエスは十一人の忠実な使徒たちにむかって言われました、「もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである」。[304](ヨハネ一五ノ一八、一九)イエス・キリストのすべての弟子は、自分たちを憎む世に対して中立以外のどんな立場をとることができるでしょうか。
13それから何分も経ないうちに、イエスは弟子たちのために祈られました。それは彼らがこの世に対してとる中立の立場を考慮してのことです。天の父にささげられた祈りの中で、イエスは忠実な使徒たちに関してこう言われました、「わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることです。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」。(ヨハネ、一七ノ一四ー一七)イエスはこの世の政治上また軍事上の争いに対して中立でした。イエスの弟子たちも同様でなければなりません。 彼らはこの世のものではないゆえに、世の政治上の事柄、政策や争いに干渉するのは彼らのすることではありません。この世の政治や闘争にかかわりを持つのではなく、イエスの弟子は神の真理によって聖別される、すなわちこの世から分けられ、神にとって聖なる者になるのです。
14イエスがこの祈りをされるのを聞いた使徒ペテロは、このキリスト教の原則を実地にあてはめています。ローマ皇帝ネロの治世の時、メソポタミアのバビロンで書かれた使徒ペテロの最初の手紙は次のように書き出されており、手紙を宛てられた人々はこの世のものではないことが示されています。「イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジアおよびビテニャに離散し寄留している人たち[パレピデモイス]、すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、 御霊のきよめにあずかっている人たちへ」―ペテロ第一、一ノ一、二。
15 とくにペテロは「割礼のあるもの」への使徒でしたが、しかしこの手紙は割礼のある、生来のユダヤ人だけにあてて書かれたのではありません。それはユダヤ人、異邦人を問わず、イエス・キリストの弟子となった人々にあてて書かれました。ペテロの手紙のギリシャ語本文においてその人々はパレピデモイスと呼ばれています。そのことばは「異国の寄留者へ」という意味です。アメリ[306]カ訳は「外国人」、ヤングのほん訳は「寄留者」、ロザハムのほん訳は「巡礼者」、新英訳聖書は「しばし宿る人々」、そして新世界訳は「仮の居住者」という表現をそれぞれ用いています。ペテロの使ったギリシャ語の原語およびこれら現代の英語聖書のほん訳者が使っていることばによれば、ローマ帝国の諸州にいたクリスチャンはその国のものではなく、外国人と呼ばれています。それは文字どおりの意味ではなく、霊的な意味においてです。身体的には、彼らはこれらローマの諸州にあり、しかも土着の人であったかもしれません。しかし霊的、宗教的には土地の者ではなかったのです。 彼らはこの世のものではなく、しばしその中に居住しているにすぎませんでした。
16この事実のゆえにクリスチャンは、この世の政治や論争に加わるのをさしひかえる義務があります。外国人は自分が外人として居住する国の政治上の事柄に参加する権利を持たず、投票権を与えられていません。それと同様にクリスチャンは、どの国に住んでいても政治上の事柄には手を出さず、国家の争いに対して中立を守ることが必要でした。ペテロの第一の手紙を受け取ったクリスチャンが、彼らのことを「寄留者」、「仮の居住者」あるいは「外国人」と呼んだペテロのことばの意味をじゅうぶんに理解しなかったとしても、それは使徒ペテロの説明によってすぐに明らかになりました。王のように人間の立てた者に対する服従を論ずるに先だって、ペテロは次のことを述べています。
[307]17 「あなたがたは、以前は・・・・・・民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。愛する者たちよ。 あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉欲を避けなさい。異邦人の中にあって、りっぱな行ないをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう」。ペテロはこれに次のことばをつづけています。 「あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。 主権者としての王であろうと、あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい」ーペテロ第一、二ノ一〇ー一四。
18ここで使徒ペテロが彼らを「この世の旅人」(パロイクース) と呼んでいる事実によっても、彼らがこの世から分けられた別のものであることが強調されています。「この世の旅人」であるクリスチャンには、この世の政治や論争に参加する権利がありません。霊的に言って、彼らにはそうする権利も義務もないのです。 この世の旅人としての立場のゆえに、彼らはかかわり合うことをせず、中立を守ります。 それで世の国が政治を行ない、戦争をすることに干渉しません。献身したクリスチャンは世にいるあいだ別のこと、すなわちペテロの第一の手紙二章九節にあるように「暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを・・・・・ 語り伝える」ことをします。 この世で政治上の職や軍職につくことのない彼らは神との関係において別の国民的な立場を占め、別の職についているのです。そのことはペテロの第一の手紙 二章九節に、「あなたがたは、選ばれた種族 祭[308]司の国、聖なる国民、神につける民である」と述べられています。 神のことと世のことを一緒にはできません。彼らは「神につける民」であって、世の民ではないのです。
19彼らはもはや不浄なこの世の諸国民に属するものではありません。それで使徒ペテロは次のように述べています。 「従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なる者となりなさい。 聖書に、『わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである」。(ペテロ第一、一ノ一四ー一七。 レビ、一一ノ四四、四五) したがって世の諸国民の中に宿っている間、クリスチャンが中立の立場を捨てて自分たちの清さを汚すことはできません。
20 「神の会衆」はこの世に対して外国人の立場にあります。 この世が「神の会衆」に対して占める立場も同様です。 この世から出て神の会衆の成員となった人々に告げられた使徒パウロのことばは、この事実を強調しています。 「そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人[異国にいる外国人、新英訳。外国人あるいは他国人、アメリカ訳] でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである」。(エペソ、二ノ一九) 「同じ国籍の者」になったことは、彼らが新しい国籍を得たこと、新しい国民、神の「聖なる国民」に属する者となったことを物語っています。彼らは[309]「神の家族」のひとりとなりました。 それでこの世の諸国家の戦争や政府の事柄を神の「聖なる国民」の事柄と一緒にして妥協することはできません。この二つは別物であって相いれないのです。「聖徒たちと同じ国籍の者」は聖なる立場を守ります。それでこの世の国家間の戦争や内乱に対するクリスチャンの中立の立場をふみはずして新しい国籍から逸脱してはなりません。
21霊感を受けた使徒パウロは、献身してバプテスマを受けたクリスチャンが世の政治また軍事活動に対して厳正中立の立場を守る別の理由を指摘しています。パウロが中立を守ったのは、彼が使徒であったからにとどまらず、異邦人とユダヤ人を含む諸国民への使節であったからです。 諸国民への使節としてパウロは人々に宣べ伝えるべき和解の音信を携えていました。使節としてこの音信を伝える自由のために戦ったパウロは、そのため遂にイタリアのローマで投獄され、獄中から小アジア、エペソのクリスチャンにあてて書いた手紙の中で、自分のために祈ってほしいと述べています。「また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。わたしはこの福音のための使節[大使、新世訳]であり、そして鎖につながれているのであるが、つながれていても、語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしい」ー エペソ、六ノ一九、二〇。
22「使節[大使]であり、そして鎖につながれている」とは、なんと矛盾した境遇ではありませんか。これは国家の権利をふみつけるものです。使節すなわち大使は王あるいは政府の代表者であ[310]り、したがっておよそ文明国においてはその身体は不可侵のものとされたからです。「大使」ということばは「代理者」を意味する中世のラテン語アンバスキアトールから出ています。
23アメリカナ百科事典 第一巻(一九二九年版) 四七〇頁によれば、大使とは「一国を代表して外国に派遣される、最も階級の高い外交使節。 その職権をもって自国の権益と尊厳を守ることを要求されている。外国に常置される常置大使と、臨時に派遣される特派大使とがある。講和条約その他、条約の締結等にあたって全権を委任された特派大使は、全権大使と呼ばれる。 大使の称号は厳密でない意味に使われることも多い。公使は特別な場合に用いられ、名誉においては大使に次ぐ」。
24外国に派遣されて職務を行なう大使はどんな立場を占めていますか。アメリカナ百科事典は次のように述べています。「承認された大使は、接受国の法律に対するいっさいの責任と忠誠を完全に免除される。しかし大使が特権を濫用し、義務をかえりみずに政府の法律を侮辱したり、公然と攻撃したりすれば、大使の待遇を与えることは拒否されて、職権は停止されることがある。あるいは派遣国元首に対して召還を要求したり、一定期間内に退去することを求められたりする場合もある。法の擬制により、大使は国家権力の及ぶ領土の外にいるのと同様である。また大使は外国に居住するあいだ、派遣国の国民として待遇され、また政府は大使の行為に対して裁判権を持たず、身体上の拘束を加え得ないのが国際慣行となっている」。
25右に述べた大使の特権に照らしてみると、使徒パウロはローマで「鎖につながれ」 なくてもよかったはずです。彼はローマ帝国の法律を侮辱したことも、公然と攻撃したこともありません。生[311]来のローマ市民であったパウロは、ローマの法を司る法廷でさばかれ、帝国の最高の審判者であるカイザルに上訴していました。(使徒行伝 二五ノ一一、一二。二六ノ三二) たとえ外国人でも、不当な仕打ちを受けるならば、居住する国の法廷に訴える権利があります。しかしローマ帝国は、イエス・キリストを代表する、神の大使としての使徒パウロの霊的な資格を認めませんでした。それでローマの総督は、パウロを訴えた敵のユダヤ人の歓心を買うため、パウロがカイザル、ネロ皇帝の前に出るまでパウロを鎖につないだままにしておきました。パウロは大使として、政治に対する中立の立場を守りました。
26 マクリントック、ストロングの百科事典 第一巻 「大使」の項に次のことが出ています。
ヘブル人と諸外国との関係は限られたものであったため、大使の働きを必要とする場合は少なかった・・・・・・外国に駐在する大使は、もちろん存在していない。聖書に出てくるのは「特派大使」 つまり特別な場合に特定な使命をおびて遣わされるものであった。たとえば王の即位や勝利を祝ったり、苦難を慰めたり(サムエル下、八ノ一〇、一〇ノ二。 列王記上五ノ一)、悪に対して忠告したり (士師記一一ノ一二)、恩恵を求めたり(民数記 二〇ノ一四)、同盟を結んだり(ヨシュア、九ノ三以下。 マカベ前書八ノ一七)などの場合である。
27ローマからは大使として認められなくても、使徒パウロが大使であることは、彼の勝手な想像ではありません。神の存在、イエス・キリストの史実性が単なる想像でなく、また現在、人類がエホバ神から離反していること、あるいはハルマゲドンにおける「全能の神の大なる日の戦闘」の起[312]こることが単なる想像でないのと、それは同様です。(黙示録一六ノ一四、一六) パウロは、エホバ神と神の偉大な大使イエス・キリストに敵対する諸国民や人々に遣わされた"特派大使”として、自分の大使の職にともなう責任を真剣に引き受けました。ゆえに神から任命されたものとしてパウ口は、イエス・キリストをとおしてエホバ神と和解することに関する音信を携え、招かれずして人々のところに行ったのです。パウロは、宣教の同労者テモテとともに自分のことを使者と呼び、コリントのクリスチャン会衆に次のように述べています。
28 「しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。すなわち、神はキリストにおいて世ご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちは〔キリストに代わる大使〕 なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい」ーコリント第二、五ノ一八ー二〇〔新世訳〕
29天に国籍を持つキリストの忠実な弟子たちのすべては、使徒パウロと同じく「キリストに代わる大使」です。彼らにも、神は使徒パウロに対すると同じく、キリストをとおして神と和解するという同じ音信をゆだねました。(ピリピ、三ノ二〇、二一)天の国籍を持つこれらクリスチャンの使者は、今日何千人程度のわずかな残れる者が地上にいるにすぎません。彼らは同じ和解の音信を宣べ伝えています。
30神から離れていた人々の大群衆がこの和解の音信を受け入れ、キリストをとおして神に献身し、この献身を水のバプテスマによって表わして神と和解しました。彼らは天の国籍を持たず、楽園の地でける永遠の生命を待ち望んでいますが、それでもこの和解の音信をとりあげ、今では全世界二百余の土地において、なお神から離れている人々にこの音信を伝えています。彼らはキリストに代わる公使とでも言えるでしょう。キリストに代わる大使であっても公使であっても、献身しバプテスマを受けたクリスチャンすべては、神から与えられた使命を心にとめ、また世の事柄に対して中立の立場を守らなければなりません。
31 イエス・キリストは、この世の政治と闘争に対する中立の道を弟子たちのために定められました。これによって弟子たちは騒乱の時にとるべき行動を知ることができました。西暦六六年、ローマ領ユダヤ州のユダヤ人はカイザルに反逆し、そのためにエルサレムの町は、反乱のすみやかな鎮圧をはかってローマがさし向けた軍隊に包囲されました。その時なおエルサレムにはユダヤ人のクリスチャンの会衆があったのです。彼らは同胞とともに立ってローマに反抗しましたか。 反逆したユダヤ人とともにカイザルに敵対して戦いましたか。彼らはイエス・キリストから命ぜられていたことを心にとめ、それに従いました。それはすなわち中立の立場を守り、戦いのいずれの側からも離れることでした。
32カルバリにおける殉教の三日前に、イエス・キリストは、ローマ軍によるエルサレムの滅亡を預言されました。その日エルサレムの宮で一部の弟子たちは「見事な石と奉納物とで宮が飾られている」ことを話題にしていたのです。イエスは彼らに言われました、「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が来るであろう」。そこで弟子たちはたずねました、「先生、では、いつそんなことが起るのでしょうか。まそんなことが起るような場合には、どんな前兆がありますか」。この問いに対する答えの中でイエスは次のことを言われました。
33 「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう」ールカ、 二一ノ五ー七、二〇ー二四。 マタイ、二四ノ一ー三、一五ー一九。
34不可解なことにローマ軍は有利な地歩を捨てて囲みを解き、 ユダヤ人の叛徒は撤退するローマ軍を悩まして大きな損害を与えました。イエスの弟子のユダヤ人でエルサレムとユダヤ州にいた者たちはここにおいて師の預言の成就を認め、ローマ軍団の撤退とともにエルサレムの包囲が解除さ[315]れたのに乗じてヨルダン川を越え、川の東側にあるギレアデの山地へと逃げました。彼らが避難した先はおもにペラの町で、ここはマタイの福音書 四章二十五節、マルコの福音書 五章二十節、七章三十一節に述べられているデカポリスの一つです。 マクリントック、ストロングの百科事典 第七巻八七九頁一節に次のことが出ています。
ペラは、エルサレムがローマ人に包囲され破壊された時に、エルサレムのクリスチャンの避難先また住所となったところで、それゆえに特に興味深い土地である・・・・・・弟子たちは、「山に逃げよ」と命じた聖なる主のことばに従った。(マタイ、二四ノ一六) そして彼らが避難したのはギレアデの山地にあるこの地であったと言われる(ユウセビウスのヒストリア エクレスィアスティカ iii, 5)
35国家主義的になることを拒絶し、イエス・キリストのことばに従ってクリスチャンの中立の立場を堅く守ったゆえに、これらユダヤ人のクリスチャンは生命も自由も失わずにすみ、「キリストの使者」として宣教をつづけることができました。その中立の立場は、献身してバプテスマを受けた後代のクリスチャンのよい手本です。これらの事柄は文献によっても証明されます。たとえば西暦一六五年にクリスチャンとして殉教したジャスティン・マーターは、その著作「弁明」の四十九節にイザヤ書二章三、四節を引用して次のように述べています。「弁明」は西暦一三八年から一六一年までのローマ皇帝アントニウス・パイアスに対するクリスチャンの弁明として書かれました。そのうえ、来たるべきことを預言の霊が告げるのは、このようにしてであります。すなわち「律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちか[316]えて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」。 これが実現したことは容易に認められるのであります。 エルサレムより十二人が世に出ました。 彼らは無学で語ることを知らない者でしたが、神の力によりすべての国に宣べ伝えました。 あらゆる人に神のことばを教えるためキリストにより遣わされたことを宣べ伝えたのです。ゆえに、かつて殺し合うことをした我々も今では敵と戦わないのみか、迫害する者に偽って彼らを欺くよりは、キリストの信仰を告白しつつ売雨として死におもむく覚悟でおります。かかる場合に我々は(詩人) ことばのとおりに行なったと言えるかもしれないと存じます。 [イユリピデス・ヒツポリッス、六〇八]
「誓いものはわが舌のみにしてわが心にあらず」。ひとたび皇帝によって兵籍に入れられ軍務に携わる兵士は自分の生命、親、故国、家族よりも、自分の誓いをはたすことを大事と考えます。それでも皇帝はなんら不滅のものを彼らに与え得ないのです。 してみれば、不滅のものを切望する我々が、我々の願いをかなえることのできる者から望みのものを受けるため、すべてに耐えるのは全く当然であります。 ローマのクレメント、ポリカープおよびイグネイシャスの書簡、ジャスティン・マーターおよびタータリアンの「弁明」 テンプル・シュバリエ神学士訳。 一八三三年 英国版。
36聖書預言の第六世界強国の皇帝に対する「弁明」の中でジャスティン・マーターがイザヤ書 二章三、四節を引いて論じてから千八百年後のこの二十世紀にも、ジャスティン・マーターと同じ考え方をするクリスチャンがいます。そのことは一九五八年八月一日金曜日の午後、注目を集める出来事によって明らかにされました。それは七月二十七日、日曜日から八月三日、日曜日までの八日間にわたり、全世界百二十三の土地のクリスチャンを集めてアメリカ合衆国ニューヨーク州ニュー[317]ヨーク市で開かれたエホバの証人の「神の御心国際大会」の第六日目でした。 この大会は隣接する二つの球場すなわちヤンキースタジアムとポログラウンドの両方に聴衆を収容した大規模なもので、大会のプログラムは両方の球場で同時に進められました。
37八月三日、日曜日の午後、二つの球場は、広く宣伝された講演 「神の国は支配する世の終わりは近いか」を聞く人々で埋めつくされました。しかしジャスティン・マーターを思い起こさせる出来事があったのは、一九五八年八月一日金曜日午後のことです。
38その時、「この大会はなぜ決議すべきか」と題する話につづいて、二十節から成る決議が両球場に満員の聴衆に読まれ、ついで採決にふされました。この特筆すべき文書の十三節から十八節は次の事柄を決議していました。
また、古い世の最も重大な状態の中にいて、かつキリスト教国の牧師の失敗というものに照らし合わせてみるとき、この終りの時に全国民に対するエホバの証人であるという特権に私たちはエホバに最も深く感謝しています。 そして、エホバの御名の誉を高め、私たちに課せられた任務を為し行うという重い責任を深く認識いたします。また、一九四、四一八名のエホバ神の証人と善意者は、エホバの清い御意を更に学び、かつそれを遂行する仕方を学ぶ為にこの国際大会に参集しました。また、象徴的に言って私たちは剣を鋤に打ちかえ、槍を鎌にかえました。私たちは多数の国籍から成り立っていますが、互に剣を挙げることをしません。なぜなら私たちはクリスチャン兄弟であり、神の一つの家族の成員だからです。私たちはお互どうしに対する戦争を、もはや、学ぼうとせず、平和、一致、兄弟愛の中に神の道を歩みます。
[318]また、多くの異なった国民から私たちが来たという事実にもかかわらず私たちは一つのクリスチャンの民です。それは、私たちがこの世とこの世の憎むべき争いから離れてイエス・キリストを通し唯一の神、天の御父に献身しているからです。 そして私たちは御父に向かい「あなたの御意が天のごとくに地にも行われますように」との一致した祈りを誠実な気持で捧げます。『この世の支配者なる』 サタン悪魔の支配下にあるこの世の諸国民の意志が行われるようにとは祈りません。また、私たちの地的な制度は、すべてのものの頭なる最高の神によって支配されている為、 神権的なものです。 そして神の下にいる私たちの指導者は政治的な独裁者ではなく、正しい羊飼なるイエス・キリストです。そして神の聖霊は私たちを動かし、私たちを通して神の御意を為さしめる活動力です。さらに霊感された聖書は、私たちの律法の本、指示の本、そして最高の教育の本です。
また、無くして私たちは別れて行きますが、しかし私たちはきわめて大きな規模で経験したこの制度の一致を守りつづけます。私たちが戻るとき違った形式の人間政府や違った政治支配下に生活しますが、しかし神に向かって戦う人間によって、私たちの一致が破られるとか、神権制度から私たちが引き離されるようなことはありません。私たちはお互の為に祈りつづけ、聖書的な指示に従いつづけます。迫害がいっそう強まり、私たちが散り散りになろうと、或いは地下にもぐろうと、又は聖書研究の文書を取り去られようと、私たちは人間に従わず神に従って行きます。 そして聖書だけを用いても、或いはもし必要ならば私たちの心に貯えられた神の言葉によって、神が人類に与えた唯一つの希望である御国の良いたよりを伝道します。私たちは、共産主義の鉄のカーテンの背後つまり全体主義的な政府と独裁支配の下にいる忠実兄弟たちの手本に見ならいあらゆる面において努力をいたします。私たちは、それらの兄弟たちの為に祈りを捧げつづけます。
38 イザヤ書二章三、四節に基づいてクリスチャンの中立を表明したこの決議は五十三ヵ国語で七二、三四八、四〇三部印刷され、一九五八年十二月一日から全世界に配布されました。またこの決[319]識と、それを紹介する話は、一九五八年十二月一日号「ものみの塔」に掲載され、これは五十一ヵ国語で三、五五〇、〇〇〇部印刷されています。
40さらに一九五八年八月二日、土曜日には、「御心が地に成るように」と題する新しい本 (英文)がこの国際大会の聴衆一七五、四四一人に発表されました。この本の第十一章は「終りの定められた時」という題で、ダニエルの預言の十一章二十七節以下の歴史的な成就をくわしく述べています。 正統派ユダヤ教の律法博士アイザック・リーサーのほん訳によれば二十七節はこうです。 「これらふたりの王は危害を加えようと心に図り、 一つ食卓に座して偽りを語る。 しかしそれは成功しない。 終わりは定められた時まで来ないからである」。
41聖書の時の定めと、現代における聖書預言の成就によれば、わたしたちは第一次世界大戦の勃発した西暦一九一四年の秋以来、「終りの定められた時」に生きています。それで前述の本の第十一章は、同席して互いに偽りを語るふたりの王を、二十世紀の時点においてとらえています。 神の天使から預言的な幻を啓示された預言者ダニエルは、一方の王を「北の王」、 他方を「南の王」と呼んでいます。預言の成就からみて、「北の王」はナチス、ファシスト、共産主義の国々を含む官憲主義、全体主義国家のブロックをさし、「南の王」は自由で民主的な国々のブロックをさしています。現代の歴史家はこれら二つのブロックを東西両陣営あるいは自由世界と共産主義世界と呼びならわしています。西暦一九一四年以降、これら南北ふたりの象徴的な王の間には二つの世界大戦をはじめ激しい戦いが行なわれてきました。
42クリスチャンであるエホバの証人は、対立する二つのブロックすなわち全体主義諸国と民主主義諸国の間にはさまれてきました。このことは全体主義の「北の王」に言及したダニエルの預言の十一章三十二節に次のように示されています。 「彼は契約を破る者どもを、巧言をもってそそのかし、そむかせるが、自分の神を知る民は、堅く立って事を行ないます」。 「自分の神を知る民」とは今日の神の証人です。 クリスチャンであるこれらエホバの証人はどうすべきですか。ある国々は国際連合という世界組織に加盟していながら、中立を宣言しています。それらの国は東西いずれの陣営にも組さないことを宣言しました。 これらの国がいわゆる中立諸国です。
43唯一の生ける真の神の崇拝者が宣言する中立は、どの種類の中立ですか。 それは「中立な神の会衆それとも中立諸国―どちらが真に中立ですか」という問題です。カトリックと新教を問わず、キリスト教国の宗教組織は、どんな意味においても中立ではありません。 一九五九年二月一日、長老教会の一説教者は、日曜日の説教の中で次のように述べました。
特定の権力あるいは政治哲学を教会と結びつけることはもとよりできないが、今日のおもな闘争に中立を保つことは不可能である。これは信仰の分野に属することだからである。 世界の征服を目ざしているのは一つのイデオロギーーキリスト教とは全く相反する観念または価値の体系である。これは教会の務めである。まちがった中立の考え方のために、我々が傍観者の立場にとり残されることが断じてあってはならない。
過去のどんな時にもまして今こそ、教会は神に対する信仰を全世界に宣言すべきである。人間と人間の運命に関するこの見解とマルクス・レーニン主義の間に占める中立の立場はあり得ない・・・・・・まだ立場を定めていない人々に呼びかけるのは教会である。*
44ソ連政府の無神論にもかかわらず、ロシヤ正教会は、ソビエト社会主義共和国連邦の宗教的な侍女として相変わらず仕えています。象徴的な「北の王」と「南の王」の政治的イデオロギーがどあろうと、これらの「王」は両方ともこの世のものであり、世界支配の問題に関してエホバ神に敵対しています。(詩篇二ノ一ー六) 中立諸国もその点は同様で、宗教あるいは政治的イデオロギがどうあろうと、この世のものであることに変わりはなく、キリストによる神の国を望むよりも、人間による世界支配がつづくことを望んでいます。キリスト教国の諸教派は神とキリストを信すると言いながら、国家的または国際的な危機に際してはみな国家主義的になり、この世の政治に干渉します。こうしてエホバ神とその油そそがれた王イエス・キリストに対し、こぞって反対しているのです。まもなくハルマゲドンにおいて、世の政治組織をあげての神への敵対が明らかになることでしょう。 一黙示録一六ノ一四、一六。
45あらゆる公の記録に照らしてみる時、油そそがれた「神の会衆」は第一世紀から今日に至るまで、世界のあらゆる場所において中立主義、全体主義、民主主義のいずれを問わずこの世の政治お
---------------------
---------------------
[322]よび論争に対して絶対中立の立場に立ってきました。
46全世界に百万人以上を数える良心的なクリスチャンがこれらの事実を直視して、中立な「神の会衆」の側に立ち、その立場をすすんで明らかにしました。 彼らは全人類を治める正当な政府として、メシヤによる神の国をたたえます。霊感による神のことばに基づく信仰を持つ彼らは、ハルマゲドンにおいて神の国が勝利を収めることを知り、神の天の政府の下に、清められた楽園の地で永遠の生命を享けることを待ち望んでいます。
「彼らのいのち[魂、新世訳] を しえたげと暴力とからあがなう。 彼らの血は彼の目に尊い」。エルサレムのダビデ王がみずから作った歌にあるこのことばは、快い安心感をわたしたちの心によびおこします。(詩篇七二ノ一四) これは非凡な知恵を持つ子ソロモンに関する歌です。ソロモンはダビデの跡を継いで「エホバの位に坐しその父ダビデに代りて王とな(る)」ことになっていました。 (歴代志上二九ノ二三、文語) ダビデの詩篇はその王位継承者が祝福され、したがってまた王がその臣民すなわち、たとえ貧しくいやしくとも正義に傾く心を持つ人々に祝福となることを願った、実際にはエホバ神への祈りでした。「彼は乏しい者をその呼ばわる時に救い、貧しい者と、助けなき者とを救う。彼は弱い者と乏しい者とをあわれみ、乏しい者のいのち[魂、新世訳]を救う)」。(詩篇七二ノ一二、 一三) 弱い者、乏しい者のいのち、すなわち魂は、強い者、富める者のいのち、すなわち魂と同じく尊ばれます。それは王国の臣民すべての生命が保護されるという意味です。このような王の支配下に暮らす人には、なんの恐れもありません!
2「彼らの血は彼の目に尊い」と歌ったダビデは、「血」ということばを命と同じ意味に用いています。この詩篇の同じ節の中でダビデは「彼らのいのちを、しえたげと暴力とからあがなう」と述べており、「血」と「いのち」とをならべて用いているからです。(詩篇七二ノ一四) つまり、神を恐れる王は、臣民の中の最も低い者でも、しえたげあるいは暴力のためにその血が流され、生命が奪われることはないと述べています。その者の命すなわち「血」は、「エホバの位」にすわる王にとって、あまりにも尊いものでした。エルサレムの王ダビデは文字になった神のことばを深く研究し、人間の命は血を基にしていることを神のことばから知っていました。(申命記一七ノ一四ー二〇) 人体の血管を流れている血は命を意味します。からだから血が流れ出てしまうことは死を意味します。
3聖書の三番目の本(レビ、一七ノ一四)の中でダビデ王は神の民に対する神の次のことばを読みました。「心の肉の生命はその血にしてはすなはちその魂たるなり」。(文語)命すなわち魂が血の中にある、つまり密接不可分に血と結びついているゆえに、血は人の魂すなわち命に等しいのです。血が人間の命に不可欠のものであることは、「血」ということばの現代的な定義にも示されています。 血液とは 「脊椎動物の主要な導管体系を循環している体液で、身体のあらゆる場所に栄養と酸素を補給し、排泄すべき老廃物を運び出す・・・・・・」 (ウェブスター第三新国際辞典)とのように血液はからだを養うと同時にからだの老廃物を除きます。
4血は神によって創造された驚異であり、神は地上の生き物に、命をささえて行くための血を与えられました。最初の人間アダムの完全なからだを創造して「命の息」すなわち神からの生命の力アダムの鼻に吹き入れられた時、神はアダムの体内に血液を循環させ、アダムは「魂」である人間として生きる者になりました。(創世記 二ノ七、新世訳) 生命は神から授けられたもので神のものです。同様に、生命すなわち魂をその中に宿す血も神のものです。
5地上の生き物に生命を与えた神に感謝した詩篇作者ダビデは、次のように歌いました。 「[エホバ]よ、あなたは人と獣とを救われる。神よ、あなたのいつくしみはいかに尊いことでしょう。人の子らはあなたの翼のかげに避け所を得、 あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。 あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる。いのちの泉はあなたのもとにあり」。(詩篇 三六ノ六九〔新世訳〕) 創造者である神は、当然にご自分のものとして、すべての生き物の命に対する権利を持たれます。また神は、当然に神のものとして、すべての生き物の血に対する権利をも持たれます。神はこの権利を主張されたことがありますか。今に至るまでこの権利を保持されていますか。
6人類に血のことを初めて言われたのはエホバ神です。それは今から五千八百年以上前のことですが、人類史の初期にあたる当時においても、神は人類に対して血の持つ価値と意味をだれよりもよくご存じでした。神はこう言われました、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます」。これは弟を殺した"冷血"なカインに告げられた神のことばで[326]す。これはアベルの血が土にしみ込んだという意味にもとれます。しかし殺害の時に血が流されなかったとすれば、殺された無実なアベルの命が注ぎ出されたと言えます。 アベルは土の中に葬られなければなりません。 カインはおそらくアベルの死体を隠したことでしょう。それで「弟アベルは、どこにいますか」と、神はカインにわざわざ問われました。しかしアベルの死体がどこにあったとしても、その血はあたかも神にむかって叫び、その叫びは神に達してカインが犯した殺人をあばきました。創世記 四ノ八ー一〇。
7アベルの血が土の中からエホバ神に叫んだのはなぜですか。ひとつにはアベルはエホバを神としてい崇拝をささげ、神の是認を得ていました。アベルは「義なる者と認められた」のです。(創世記 四ノ三十七。 ヘブル、 一一ノ四)次のことも言えます。アベルの命は神のものであり、またアベルが享受すべきものであって、何人といえども奪ってはならないものでした。カインはアベルの血を流す者となりました。 しかもそれはアベルの血に宿る命を生命の与え主なる神に帰すしぐさとして土に注ぎ出したのではありません。死者の復活があることを少しも知らなかったカインは、神に積極的に仕えるアベルを見、ねたみの気持ちから、そのようなアベルの献身を阻止しようとしたのです。こうしてカインは弟アベルを殺す者になりました。アベルの血は殺人者カインに帰せられます。 カインは流された弟の血に対して償いをしなければなりません。 生命と血の与え主エホバ神にとって、正しい崇拝者の血に対する報復が必要でした。そこで、アダムとエバからすでに罪のうちに生まれていたカインは神の呪いを受けました。 カインには復活の希望も神からさしのべられていません。創世記 四ノ一一ー一六。 ヨハネ第一、三ノ一二。
[327]8聖書の巻頭には創世記、巻末には黙示録が収められています。この黙示録の六章九節から十一節は、栄光を受けたイエス・キリストが神の右の手から巻き物を受け取って第五の封印を解いたのちに、クリスチャン使徒ヨハネの見たものをしるしています。「神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の〔魂〕が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。彼らは大声で叫んで言った、『聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。すると、彼らのひとりびとりに甘い衣が与えられ、それから、『彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまい、もうしばらくの間、休んでいるように』と言い渡された」〔新世訳〕
9不当に流された血に対して報復を求める訴えは、ここでも主権者にして主なる神に提出されています。神は創造者であり、魂すなわち命をささえる人間の血に対して正当な権利を持つかたです。 血の扱い方は、神の前において決してささいな、取るに足りない、容易に申し訳のたつ事柄ではありません。犠牲としてささげられたものの血は神の祭壇の下にそそがれました。 そして魂は血であるとされているゆえに、これら殉教者の魂は「祭壇の下」にあるのが見えたのです。
10文字になった神のことばは最初の巻から最後の巻に至るまで、人間と動物の血について多くのことを述べています。古いヘブル語聖書において、「血」を意味するヘブル語ダームは三百四十六回、以後のクリスチャン・ギリシャ語聖書において、「血」を意味するギリシャ語ハイマは百一回現わ[328]れており、その合計は四百四十七回になります。それで現代医学におとらず、エホバ神は血とその重要さについてご存じです。 生命を宿す血は神にとって神聖です。血はその与え主である創造者すなわち神のものだからです。血をどのように見るべきか、血をどう処置すべきかについて、完全な発言権を持つ者は神のほかにはいません。
11カインが殺人者になって以後(創世記四ノ一〇、一一)、エホバ神は、ノアの時代に一年間つづいた洪水の直後にそれを言われるまで、血[329]の問題をふたたびとりあげませんでした。洪水を生き残った八人の人間が救いの箱舟から出て、天の保護者に対する感謝の犠牲をささげたのち、 エホバ神はノアと三人のむすこに対して食物のことを告げられました。神はエデンの園の完全な男と女のために食物のことを定めておかれましたが、いまや人類家族の再出発にあたって次のように言われたのです。「すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。 しかし肉を、その命 [魂、新世訳] である血のままで、食べてはならない。あなたがたの命[魂]の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。 兄弟である人にも、わたしは人の命[魂] のために、報復するであろう。人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたちに人を造られたゆえに」ー創世記 九ノ三ー六。
12このことばはきわめて明瞭です。食物とするために殺した動物や鳥の血を人が食べ、あるいは飲んだならば、神はその血に対して報復をされます。それは獣が人を殺した場合にその人の血を獣から求めるのと同様です。人間と動物のいずれの場合にも、血は命を意味します。 生き物の生命、その血を用いて自分を養う権利はだれにもありません。また人間の血を用いて悪をしてはなりません。
13 エホバ神は預言者モーセの手によって、圧制的なエジプト人に災いを送り、第一の災いはナイル川とその運河の水を血に変えました。注目すべきことに、エジプト人も奴隷のイスラエル人も、この奇跡的な血を飲もうとはしませんでした。 出エジプト記 七章二十一節にあるように、「エジプト[330]びとは川の水を飲むことができなくなった。そしてエジプト全国にわたって血があった」のです。血が、魚と人間の命をささえる飲み物になるとすれば、災いは無意味なものになってしまいます。
14食用に供するために動物を殺しても、その命に対して神の前に罪を負わないようにすることは、どうして可能でしたか。預言者モーセをとおしてイスラエル国民に与えられた神の成文の律法は、その点を明らかにしています。血を飲んだり食べたりすることを禁ずる神のことばは、この律法の中でふたたび述べられています。それはノアが箱舟を出てから八百五十六年を経たその時までに、血の神聖さを守る神の律法が効力を失っていたからではなく、この禁令の適用をさらに具体的に示すためです。約束の地を目前にしたイスラエル人に対し、預言者モーセは霊感を受けて次のように述べました。
15 「あなたの神[エホバ〕が賜わる恵みにしたがって、すべて心に好む獣を、どの町ででも殺して、その肉を食べることができる。すなわち、かもしかや雄じかの肉と同様にそれを、汚れた人も、清い人も、食べることができる。ただし、その血は食べてはならない。 水のようにそれを地に注がなければならない」。「ただ堅く慎んで、その血を食べないようにしなければならない。 血は命[魂、新世訳]だからである。その命[魂]を肉と一緒に食べてはならない。あなたはそれを食べてはならない。水のようにそれを地に注がなければならない。あなたはそれを食べてはならない。こうして、[エホバ]が正しいと見られる事を行うならば、あなたにも後の子孫にも、さいわいが
あるであろう。そして幡祭をささげる時は、肉と血とをあなたの神「エホバ〕の祭壇にそそぎかけ、肉はみずから食べることができる」 ー申命記一二ノ一五、一六、二三ー二五、二七、[新世訳]。一五ノ二三。
16この禁令がイスラエル人の町の門の内に住む外人の居住者にも適用されたことは、神の律法に次のように述べられています。「イスラエルの人々のうち、またあなたがたのうちに宿る寄留者のうち、だれでも、食べてもよい獣あるいは鳥を狩り獲た者は、その血を注ぎ出し、土でこれをおおわなければならない。すべて肉の命 [魂、新世訳] は、その血と一つだからである。それで、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命[魂]はその血だからである。 すべて血を食べる者は断たれるであろう」ーレビ、一七ノ一三、一四。 17血を食べたり、飲んだりすることをこのようにして避け、血は神の祭壇にそそぐか、あるいは地面に注ぎ出し、土でおおうことによって、動物の肉を食べる人もその命を神に帰したことになります。それで神のものである命を食べて自分を養うことはしていません。およそ神のものならば、聖なるもの、神聖なものと考えるのが当然です。血は肉の命を表わすゆえに、神はその民に対し、血を神聖なものとして用いることを命ぜられました。そのようにして神の民は神との良い関係を保つことができます。そこで神は次のように言われました。
18 「イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろ[332]う。*肉の命[魂、新世訳]は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命[魂」であるゆえに、あがなうことができるからである。このゆえに、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたのうち、だれも血を食べてはならない。またあなたがたのうちに宿る寄留者も血を食べてはならない」―レビ、一七ノ一〇ー一二。
19神聖さというこの血の性質と一致して、エホバ神は、イスラエル民族と結ばれた古い契約および霊的イスラエル人の「聖なる国民」と結ばれた新しい契約が血によって立てられるようにされました。クリスチャンになったヘブル人にあてられた霊感の手紙の筆者は、この点を次のように強調しています。 「だから、初めの契約も、血を流すことなしに成立したのではない。すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを民全体に宣言したとき、水と赤色の羊毛とヒップとの外に、子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、そして、『これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である』と言った。彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけた。こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない」―ヘブル、九ノ一八ー二二。
---------------------
---------------------
20イエス・キリストは新しい契約の仲保者であられ、エホバ神とクリスチャン会衆との間に新しい契約を成立させるために、ご自分の人間の血を与えられました。以後、年毎に弟子たちの行なうべき主の夕食を始められた時、イエス・キリストは新しい契約のことを言われました。 この新しい契約のために、イエスの血は流されようとしていたのです。イエスがそのとき弟子たちに与えて飲ませた杯は、新しい契約と象徴的な関連があります。イエスは次のように言われました。 「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である」(マタイ、二六ノ二六ー二八。 ルカ、二二ノ一九、二〇) イエスは人間の血を弟子たちに飲ませたのではありません。イエスは単に杯の中のぶどう酒がご自分の血を表わす、つまり意味するようにされたのです。それで弟子たちは信仰によってイエスの血を飲んだと言えるにすぎません。同じく信仰によって、彼らはイエスの流された血の益にあずかります。
21西暦三三年の五旬節の日に、古い律法契約は廃止され、天のイエス・キリストの手によって成立した新しい契約がそれに代わりました。(エペソ、二ノ一四、一五。 コロサイ、ニノ一三、一四。ヘブル、一〇ノ八一〇)すると、血を食べたり飲んだりすることを禁じた、古いモーセの律法契約の規定も廃止されたのですか。そうです。ではイエス・キリストの弟子は、血を食べたり飲んだりすることを禁ぜられていないのですか。決してそうではありません。血を禁ずる命令はノアとその三人のむすこに与えられたもので、わたしたちは皆ノアのむすこたちの子孫であることを決して[334]忘れないようにしましょう。ゆえに今日、クリスチャンそして他のすべての人も、ノアのむすこたちから出た子孫である以上、血を禁ずる命令の下にあるのです。 神のこの禁令が廃止されたことは一度もありません。これはわたしたちの見解でも解釈でもなく、霊感を受けた使徒たちが下した解釈です。
22五旬節の日に新しい契約が成立してからおよそ十六年後の西暦四九年ごろ、エルサレムのクリスチャン教会の統治体は必要に迫られて特別な会議を開きました。論争の焦点は、信者となった異邦人に肉の割礼が必要かどうかでした。 古い律法契約の下において、割礼はすべてのユダヤ人と改宗者に要求されていました。エルサレムのこの会議は神の聖霊の導きを受け、割礼は必要ではないとの決定を下しました。 古い律法契約の一つの特色であった割礼がもはやエホバの崇拝者に必要ないとすれば、ではやはり古い契約におり込まれていた血の禁令も適用されなくなりましたか。ところがそうではありません。血の禁令は以前からのもので、アブラハムが神に命ぜられて割礼を受けた時にさえ、すでに存在していました。ー創世記一七ノ九ー一四、二ニー二七。
23 エルサレム会議の布告は血の問題を避けることなく次のように述べています。「聖霊と我らとは左の肝要なるものの他に何をも汝らに負はせぬを可しとするなり。即ち偶像に献げたる者と血と絞殺したる物と淫行とを避くべき事なり、汝等これを慎まば善し。なんぢら健かなれ」 ー使徒行伝一五ノ一二九、文語。
24ゆえに異邦人のクリスチャンもユダヤ人のクリスチャンも、「血と絞殺したる物」すなわち血を抜かずに体内で血が固まっている動物の死体を避けることが必要です。血を飲んだり食べたりすることを禁じた使徒の布告は、何年もののちやはり有効でした。使徒パウロが最後にエルサレムをおとずれた時、弟子ヤコブはパウロにこう語っています、「異邦人で信者になった人たちには、すでに手紙で、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、慎むようにとの決議が、わたしたちから知らせてある」(使徒行伝 二一ノ一五ー二五) 使徒たちのこの布告が廃止されたことはかってありません。
25使徒パウロは、キリストの使徒たちの死後、キリスト教の信仰と実践から離れ去る者が出ることを預言しました。(テサロニケ第二、二ノ三ー一二) 食べるために絞め殺したものと血とに関し使徒の布告が述べていた事柄に、背教者が異議を唱えることは当然に予想されます。そのことは事実となり、とくに四世紀に著しくなりました。四世紀のはじめ、異教の最高僧院長であった皇帝コンスタンチヌス大帝がキリスト教に改宗しました。 もっともそのように唱えたにしても、コンスタンチヌス大帝が水のバプテスマを受けたのは、三十一年間にわたった治世を終えて三三七年五月二十二日に死ぬ少し前のことでした。最高僧院長の地位を終生すてることのなかったコンスタンチヌスは、当時実践されていた形でのキリスト教とローマの異教との融合を図りました。ついで西暦三五四年、オーレリウス・アウグスチヌスが生まれました。長じて修辞学の教師となった彼は、イタリー、ミラノの司教の感化で改宗し、三十三歳の時にバプテスマを受けました。彼は人間の不減を信じていました。彼はのちに北アフリカ、ヒッポの司教となり、多くの著作を残しています。
26血の問題をも含めて多くの面で宗教上の考えに変化が起きたのは、いまローマ・カトリック教会の聖徒に数えられているこのアウグスチヌス以来のことです。マクリントック、ストロングの百科事典 (第一巻 八三四頁b)に次のように出ています。
新約聖書においても、この禁令が解除されたことを暗示するものは何もない。むしろ異邦人を割礼のくびきから解放することを、聖霊が使徒によって宣言した(使徒行伝 第十五章) その時に、血を避けるべきことが明白に定められ、かつ禁ぜられたこの行為が偶像崇拝および淫行と同列におかれたことは、とくに注目に値する。 アウグスチヌスの時代以後、この定めは一時的な命令にすぎないという解釈が行なわれ出した。初期の護教論者がキリスト教の敵の中傷に答えるための一つの論拠は、動物の血を飲むことさえ不法である以上、まして人間の血を飲むのはもってのほかであるというにあった。同様なことを証明する後代の文献は多く存在する。 (ビンガム著オリギネス エクレスィアスティカ、第十七巻 第五章二〇節)
27血を禁ずる命令は初期クリスチャン会衆に対する一時的な命令にすぎないという論について、アダム・クラーク博士の「新約聖書解題」 (一八三六年版) 第一巻 八三六頁bの脚注に次のことが出ています。
「しかしさらに論をすすめると、これが一時的な必要にすぎなかったとしても、いつまで必要であったろうか。
8、「ハモンド博士によれば、それはユダヤ人と異邦人が一つの共同社会を形成するまでであった。 また聖アウグスチヌスによれば、肉のイスラエル人が異邦人の教会に現われなくなるまで、それはつづいた。またそれは宮とユダヤ人の国家が破壊されるまでつづいた」。
しかしエルサレム会議の布告は、血と絞め殺したものに対する禁令が異邦人つまり非ユダヤ人のク[337]リスチャンにいつまで適用されるかについて、なんら時間的な制限を課していませんでした。 血禁ずる布告が出されたのは、「異邦人の教会に現われ」る「肉のイスラエル人」の怒りを買わないようにするためではなく、創造者なる神の怒りを受けないためです。ローマ・カトリック教会の聖人アウグスチヌスは、迫害する者にたとえ強制されても血を食べるよりは死を選んだ初期クリスチ殉教者の手本にならっていません。 アウグスチヌスは妥協的な解釈を下しました。それでもキリスト教国は、そうすることが便利なために彼の教えに従っています。それで神の明白なおきてを破って人間の伝統的な教えに従っているのです。 ユダヤ人のパリサイ人に対して言われたイエス・キリストのことばは、キリスト教国にもそのままあてはまります。 「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか」―マタイ、一五ノ三。 マルコ、七ノ九。
28一世紀のエルサレム会議を介して延長された神のおきてを守り、動物の血を食べたり飲んだりすることを拒絶した初期クリスチャンは、迫害者の非難すなわちクリスチャンが人食いのように人間の血を飲むという非難のあやまっていることを証明できました。神の目から見て人間の血は獣や鳥の血よりも価値があることを、彼らは知っていました。ゆえに価値の低い血の場合にも神の律法を破らなかったとすれば、まして価値の高い血の場合に神の律法を破ることはなかったはずです。(ヘブル、一〇一ー四) ところがアウグスチヌス以後、血の神聖さに関する神のおきてを、動物の血の場合に無視してきたキリスト教国の信心家は、さらに一歩堕落の歩を進め、人間の血を体内に入れることをいといませんでした。
29それでアメリカナ百科事典一九二九年版 第四巻一一三頁に次のことが出ているのも不思議ではありません。
輸血。血液そのものをひとりの血管から他の人の血管に移し入れる処置。 輸血は同種に属する動物の間でのみ可能である。歴史輸血の歴史は古代エジプトにまでさかのぼる。 文献に残る最も古い例は、一四九二年、法王インノケンチウス八世に施されたものであるが、三人の若者の生命を犠牲にしたこの輸血も、法王の命を救うことにはならなかった。 十七世紀中葉にハーベーが血液循環を発見して以後、動物を用いる輸血の研究と実験は長足の進歩を遂げた。この発見以後、ドイツ、英国、フランスの医師は輸血の研究にとくに活発に従事した。 血液はからだを養う主要な手段であるから、養分補給のためには、幾つかの変化を経て血になる食物をとるよりも輸血のほうが早道であると、彼らは考えた。
30一四九二年に輸血を受けた法王インノケンチウス八世の昔の例にならったのは、法王ヨハネス二十三世です。 この法王は一九六三年五月末、バチカン市において輸血を受けましたが、それにもかかわらず翌六月の三日に死亡しました。
31これが割礼のある生来のユダヤ人で使徒となったシモン・ペテロであったなら、人間の血を自分の体内に入れるのを許したとは、とうてい考えられません。血に関するエルサレムの布告に名をつらねてのちには、なおのことです。ペテロは輸血によって自分の体内に人間の血を入れるようなことをせず、むしろ殉教者として自分の血を流しました。―ヨハネ、二一ノ一八、一九。
[339]32血液銀行は今日の医学界においてごくふつうのものとなっています。これについて、一九五六年版アメリカナ百科事典 第四巻一一一頁b 「輸血と血液代用物」の項に次のように出ています。
(5)保存血液は、第一次世界大戦中の一九一八年にシカゴ大学医学部のオスワルド・ロバートソン教授によって初めて用いられた。 大規模な血液銀行は一九三七年、(イリノイ州) クック郡立病院に設立されたものが最初である。
ここで次のことを問うのは理にかなっています。負傷した兵士に輸血をするのは、つまり命を救うためですが、兵士はその後も戦争のつづくあいだ何をしますか。戦争で負傷した兵士が輸血によって生き延びた時、彼はそのあと何をしましたか。負傷した兵士が輸血を受けるのは、さらに敵兵の血を流すためですか。
33 血液銀行の減少しつつある保存血液をふやす運動が、今も定期的に行なわれています。こうして何千パイントの血液が、生きた人間のからだから採取されているのです。死体から血を採ることさえあるのを聞くに至っては、驚かざるを得ません。 輸血を受ける人にとっては、それがだれの血であるかわからない場合もあります。一九六六年一月六日付ニューヨーク・ワールド・テレグラム・アンド・サン紙の三面には、「赤十字血液を刑務所に求める」との見出しの下に興味深い事実が報じられていました。
赤十字では、交通機関のストで多くの献血者が集まらないため、ストの影響をこうむらない人々から血液を集めることに努力を集中している。この種の人々の筆頭としてあげられているのは刑務所に収容されている人である。
[340]一日六百パイントの目標に達するため、赤十字はライカーズ島、婦人拘置所、グリーン・ヘイブン刑務所に、移動採血班を派遣した。
34今日、"文明”国の人々は、世界のあるところで食人種が人間の血を飲むことを聞いて戦慄します。それでいながら、輸血によって人間の血を自分の体内に入れることに対しては全く別の見方をしています。しかしイエスのことばを聞いた十九世紀前の人々はどんな態度をとったでしょうか。わずか五つのパンと二つの魚で女、子供を別にして五千人を満腹させる奇跡を行なわれた時、イエス・キリストは人々にむかって比喩的にこう言われました、「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
35人間としての自分たちの命に関係があったとしても、イエスのことばを聞いた人々はどんな反応を示しましたか。 「そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか』」。その時イエスは血についてまだ何も言われていません。イエスは次のようにことばを続けられました。「よくよく言っておく。 人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる」。
36全人類のための完全な人間の犠牲について、イエスがこのように話をすすめられた時、聴衆はどんな反応を示しましたか。 人間の肉を食べ、人間の血を飲む話を聞いて、人々は明らかにショックを受けました。使徒ヨハネは次のことを記録しているからです。 「弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、『これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか』・・・・・・それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった」―ヨハネ、六ノ五一ー六六。
37イエスは、ご自分の血管を流れる血の価値をよくご存じでした。血の神聖さに関する神の律法を破ることなく、全人類を益する、ご自分の血の神聖な用途をご存じでした。それで罪なくしてご自分の生命の血を流されたのです。それは死から復活してのち、血の生命の価値を天の父にささげるためでした。イエスの天の父は、「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死人の中から引き上げられた平和の神」と呼ばれています。(ヘブル、一三ノ二〇)ご自分の完全な人間の生命を犠牲にされたゆえに、キリストは「すでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき・・・・・・やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされた」のです。(ヘブル、九ノ一一、 一二) キリストの追随者は、輸血によってではなく、キリストの血の価値に信仰を働かせることによって、キリストが流された血の益を受けます。
38血の神聖さに関する神の律法を破ることに対し、今日だれが声を大きくして抗議し、また警告していますか。 一九二七年十二月十五日号「ものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ」(英文)に「神の報復の一つの理由」と題する主要な記事が載せられました。ノアと三人のむすこに告げられた創世記九章二節から六節の神のことばは洪水後ほどなくしてから今世紀に至るまでの人類史上において無視されてきました。この記事はそのことに注目し、また過去四千年の間おびただしく流されたすべての血に対する神の報復が、近くハルマゲドンの戦場においておとずれることを警告しています。しかし世界がこの警告を顧みないまま一九三九年には第二次世界大戦が勃発し、一つの戦争に限って言えば人類史上最大の流血をひき起こしました。
39 血液銀行が相ついで設立され、重要な役割をはたすようになりました。その最も盛んであったのはキリスト教国です。しかし戦争が終わらないうち、一九四五年七月一日号「エホバの御国を宣明するものみの塔」(英文)は、クリスチャンのエホバの証人の立場を明白にしました。 「正しい崇拝を支持して動かされない」と題するそのおもな記事は、詩篇十六篇四節の次のことばをも含めて十六篇の全部を論じています。 「おおよそ、ほかの神を選ぶ者は悲しみを増す。わたしは彼らのささげる血の灌祭を注がず、その名を口にとなえることをしない」。そして人間の血を飲むことと、一四九二年、法王インノケンチウス八世に施された輸血のことに注目しています。これは「血の神聖さ」と題する副見出しの下に展開された詳細な論議の最高潮に述べられていました。
[343]40このようなことからクリスチャンのエホバの証人は多くの論争に巻き込まれ、医師や医師の団体との衝突を招きました。 聖書の教えと宗教的信念また自由人である良心的なクリスチャンの利を全く無視した高圧的行為に対抗するため、争いが法廷に持ち出されたことも少なくありません。遂に事態は、事実と聖書に基づいてエホバの証人の言い分を徹底的に述べ、至上の神の律法を説明するとともに宗教上の自由を擁護する必要を感じさせるに至りました。これが行なわれたのは、一九六一年六月初旬から国際的な規模で開かれた一連の大会すなわちエホバの証人の「一致した崇拝者」 地域大会においてでした。ニューヨーク市のヤンキースタジアムで六日間にわたって開かれた大会の三日目すなわち六月二十二日の午後、「血の神聖さを尊重する」および「神のみこころにかなうように命を用いる」と題する二つのおもな話につづいて、六十四頁の冊子「血、医学および神の律法」が発表されました。この冊子の五十六頁一節に次のことばがあります。
・・・・・初期クリスチャンは信仰を否定して自由を買うよりも死を選びました。現代のエホバの証人)も血の問題に面するとき、神への忠実を固く守ることを宣言します。 人間歴史の中で今ほど広範囲に血があやまり用いられている時はありません。その忠実のゆえに神は正義の新しい世において力と健康、永遠の「生命を与えて報いて下さるでしょう。そのために神は彼らを死からよみがえらせることさえできるのです。
---------------------
「目ざめよ!」 (英文) 一九四八年十月二十二日号一三頁「輸血の危険」また一九四九年一月八日号一二頁「輪血ー一医師の意見」、一九四九年九月二十二日号二五二七頁 「輸血は聖書の教えと一致しますか」、「ものみの塔」(英文) 一九四九年十二月一日号 三六七、三六八頁 「輪血について」をごらんください。
---------------------
[344]41偉い医師たちにさからうことになってもエホバの証人があえてこの立場をとったのは、輸血のために命を失ったり、また重い病気にかかって寝たきりになる人が大ぜいいるからではありません。この冊子はそれを明らかにしています。良心に基づくこの立場をとるのは、このような間違った血の用い方が神のみこころに反するからであり、霊感による聖書に明白に述べられた神の律法を破るものだからです。
42今までに戦場となった地球上のいろいろな場所でおびただしい血が流されてきたのは、それだけでも間違ったことです。しかし神を恐れず、明白な神の律法を少しも尊重しない人々が金銭上の利益を得るために動物の血や人間の血を商品化しているのは、いまわしいことです。確かに人類はすでに重い流血の罪を負っており、しかもその罪は日毎に重くなっています。 生命の源エホバ神が全人類に対して申し開きを求める時は迫っており、人間は血の神聖さを犯したことに対して償いをさせられます。 「全能の神の大なる日の戦闘」において彼ら自身の生命が奪われてしまいます。(黙示録一六ノ一四ー一六、文語) 彼らはあたかも自分自身の「血を・・・・・・飲まされて酔わせ」られたようになるでしょう。(イザヤ、四九ノ二六) エホバ神は西暦七〇年にイスラエル民族の流血の罪をただすことをされました。それはイエス・キリストの預言の成就です。(マタイ、二三ノ三四ー三七。ルカ、 一一ノ四八ー五一) エホバ神の原則は変わりません。それでエホバ神はこの時代においても、現存する事物の制度の下で犯された流血の罪をただされます。 第三次世界大戦があれば、核[345]兵器、細菌兵器の使用によって地球上の男、女、子供をひとり残らず殺すことさえ可能な現代において、諸国家の流血の罪はどこまで重くなるかはかりしれません。
43神の前に流血の罪を負い、神から罪に定められて滅びることを望みますか。(黙示録一六ノ五、六)そうでなければ、文字にしるされた神のことばを虚心にしらべ、貴重な生命の血に対する神の見解と律法を学ぶのはあなたの務めです。そして使徒の布告に従い、血と絞め殺したものを避けなければなりません。そのようにして、血の復讐をする者の手からのがれるための、神の備えの避難所にのがれてください。血の復讐をする者は、かつて肉体となり、わたしたちの親族となられたイエス・キリストです。(民数記 三五ノ九ー二九) イザヤ書 二十六章二十、二十一節にしるされた神の助言に従い、神の保護の下にある安全な場所に身をかくしてください。 「わが民よゆけなんぢの室にいり汝のうしろの戸をとちて悲のすぎゆくまで暫時かくるべし視よエホバはその処いでて地にすむものの不義をただしたまはん地はその上なる血[ヘブル語、複数]をあらはにして殺されたるものをまた掩はざるべし」(文語)。そうするとき、あなた自身の血は、血の復讐者すなわち支配する王の目に貴重であり、王はあなたの魂を滅びよりあがなって、神の正義の新しい秩序の下に生命を得させてくださるでしょう。 —詩篇 七二ノ一四。
「かれらは大なる患難より出できたり、羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり」。(黙示録七ノ一四、文語) この人たちはだれですか。 彼らがその中から出てきた 「大なる恵難」とはなんですか。彼らはどのようにして小羊の血でその衣を洗ったのですか。 またなぜ洗ったのですか。また手にしゅろの枝を持っているのはなぜですか。彼らはどうして神の宮で聖なる奉仕ができるのですか。 十九世紀前、幻の中でこの「大ぜいの群衆」を見た使徒ヨハネは不思議に思って、彼らのことをひとりの長老に尋ねました。今日なお地上に残るヨハネの霊的な兄弟たちこの同じ「大ぜいの群衆」に関する最新の知識を得ようとして尋ねます。 2この「大ぜいの群衆」がだれであるかは、西暦一九三五年に至るまで聖書の研究者にとって奥義すなわち「聖なる秘密」となっていました。そしてその年以来、ヨハネの黙示的な幻の成就につれて、現実のものとしてのこの「大ぜいの群衆」に関する知識が増し加わってきました。十四万四[347]千人の霊的なイスラエル人に関する幻を最初に見た使徒ヨハネはつづいて次のようにしるしています。
3 「その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、大声で叫んで言った、『救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる』」 黙示録七ノ九、一〇。
4この「大ぜいの群衆」は十四万四千人の霊的 イスラエル人とは全く別のグループです。 「大ぜ「いの群衆」は霊的イスラエルの子たちの十二部族以外の人々の中から出ているからです。 彼らは他のあらゆる国民、部族、民族、国語の人々を含んでいます。この「大ぜいの群衆」に数えられる人が最後に何人になるかはわかりません。 使徒ヨハネ自身もそれを数えることができませんでした。ヨハネが数についての手がかりを与えていない以上、今日のわたしたちもやはりこの人数を知ることはできません。ヨハネの幻より何年も前にやはり「大ぜいの群衆」のことが述べられていますが、それは十四万四千人もの大ぜいではありません。(マタイ、一四ノ一四。一五ノ三〇、三三、三八、三九。一九ノ二。二〇ノ二九。二六ノ四七。 ヨハネ、六ノ二、五)そこで、 ヨハネが十四万四千人を数えてすぐのちに見たものを、それと比較して黙示録 七章九節に「大ぜいの群衆」と言ったとすれば、数えることのできない、この「大ぜいの群衆」は、それだけでもかなりの群衆である十四万四千人より少ないものであってはならず、 十四万四千人よりもはるかに多くなければなりません。百万人としても、それは十四万四千人のわずか七倍です。
5 「大ぜいの群衆」は今日の分裂した世界のあらゆる国民、部族、民族、国語の人々から成っていますから、なんらかの面において一致団結をもたらすのは至難のわざでありましょう。ところがヨハネに与えられた幻はそれが成し遂げられることを保証し、また今日の事実はそれが成し遂げられたことを示しています。しかもそれはすでに死物と化した国際連盟や、 現在百十七の加盟国を擁する国際連合によって実現されたのではありません。
6数えることのできない「大ぜいの群衆」の立場は、国際連盟、国際連合のそれとは正反対のものです。どのように正反対なのですか。 「大ぜいの群衆」は是認されて、全能の神のみくらと、かって犠牲となった小羊イエス・キリストの前に立っています。国際連合は天地の最高の主権者としてのエホバ神を認めません。 国際連合は人間の世界主権以外の主権を認めず、それを保持することに努めています。また全人類の救いのために犠牲となられた小羊イエス・キリストを認めず、さらに小羊イエス・キリストが復活して天にいます御子であって、今や神から油そそがれ、全人類を一つの民として治め、全地を支配する王として即位されている事実を認めません。
7国際連合に席を持つ代表者たちは、あたかも「白い衣を身にまと った)」かのようにして神のみくらと小羊の前に立っていますか。そのようなためしはありません。しかし「大ぜいの群衆」はそのよそおいをしてそこに立っています。衣は、たとえば家のむすこ (ルカ 一五ノ二二) あるいはイエスの復活の日に化体した天使のそれのように威厳を表わします。(マルコ、一六ノ五。一二ノ三八。 ルカ、二〇ノ四六。黙示録六ノ一一)「大ぜいの群衆」は、天のみくらに座していられ[349]最高の尊厳者、生きとし生ける者の領域において最も高い神のみまえに立っています。 ゆえに彼らの衣は汚れているようなことがあってはならず、純白でなければなりません。
8「大ぜいの群衆」はどのようにしてその衣を白くしたのですか。 長老はヨハネにこう説明しています、「彼らはその衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである」。(黙示録七ノ一四) 彼らは敵を殺して血をあびたのではなく、したがって人間の血で衣を汚したのではありません。(イザヤ、六三ノ二ー六。詩篇六八ノ二三) 彼らはひとりの友、愛を受けた、そして彼らも愛する者の血で衣を洗いました。ゆえにその血は彼らの衣を清める働きをします。それは「世の罪を取り除く神の小羊」の血です。(ヨハネ、一ノ二九) ここでふたたびヘブル人への手紙九章二十二節のことばが適切になります。「こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない」。しかし人はどのようにキリストの血で衣を洗うのですか。
9 イエス・キリストは十九世紀前にご自分の血を流されました。いばらの冠をかぶせられた頭、釘づけにされた手足、槍で突かれた脇から血が流れ出たのです。 輸血の効用を信ずる医者が、イエスの死後まもなくそのからだから血を採取したというようなことはありません。 三日目にイエスはよみがえらされました。その後イエスは魂を宿したご自分の血の価値を携えて昇天し、天の父のもとに帰って行かれました。つまりからだの血管中の血に依存していた人間の生命の全部の価値を携えて、イエスは昇天されたのです。 ヘブル、九ノ一一ー一四、二四ー二六。一三ノ一〇-一一、二〇,二二
[350]10ゆえに今日「大ぜいの群衆」はイエスの血で何かを洗おうとしても、イエスの血に直接近づくことができません。しかし彼らは罪と死から自分たちをあがなう手だてとしてイエスの血を受け入れ、自分たちの罪を神に告白し、 小羊の血による神の許しを願って、イエスの血に信仰を働かせます。自分たちを清め、みくらにいます神の前で義なるよそおいを得させるキリストの血に信頼して彼らは神に献身し、その献身を確証する水のバプテスマを受けます。こうして彼らは罪によって汚された者ではなく、罪を許された者として神と小羊との前に現われます。
11清い 威儀を正した姿で至上の尊厳者の前に現われるために彼らの衣をこのように洗った「大いの群衆」は、このようにして「善意の人」になりました。(ルカ、二ノ一四、新世訳)彼らは神の善意、神の是認を受けており、この「エホバのめぐみの年」にあって神の御前に出ています。(イザヤ、 六一ノ二、文語。 コリント第二、六ノ一、二) このように義をそなえた人として受け入れられる立場を神の前と神の小羊の前に占めているゆえに、彼らは「白い衣を身にまとい」と述べられているのです。必然的にこれは彼らが真実のクリスチャンであり、全能の神を信ずるのみでなくて、イエス・キリストの完全な人間の犠牲を信じ、イエスが天の神の右に高められたのを信じていることを意味しています。 ふさわしい衣をつけた彼らは、比喩的に言ってしゅろの枝を手に持っています。
12彼らが「しゅろの枝を手に持って」いるのはなぜですか。(黙示録七ノ九) ユダヤ人でクリチャンとなった使徒ヨハネはしゅろの枝を見た時、ヘブル人の聖なる暦の一年の中でもいちばん喜ばしい祭りであった仮庵の祭りを思いおこしたことでしょう。これは聖なる年の陰暦七月に行なれた収穫の祭りで、とくにしゅろの枝が使われました。それでしゅろの枝はおのずから喜びと結びつけられており、レビ記二十三章四十節にはこの祭りについて次のことが述べられています。 「その首日(はじめ)には汝等佳樹の枝を取べし すなはち棕櫚(しゅろ)の枝と茂る樹の条(えだ)と水揚(かはやなぎ)の枝とを取りて七日の間汝らの神エホバの前に楽むべし」 (文語)。 紀元前六〇七年バビロニアの軍勢のために破壊されたエルサレムの城壁が再建された時、バビロンからのユダヤ人の残れる者は仮庵の祭りをしました。そのとき総督ネヘミヤは次の布告を発しています。
13「あなたがたは山に出て行って、オリブと野生のオリブ、ミルトス、なつめやし、および木の枝を取って、しるされてあるとおり、仮庵を造れ」国に帰ったユダヤ人の残れる者はそのことをしました。「それでその喜びは非常に大きかった」のです。―ネヘミヤ、八ノ一三ー一七。
14使徒ヨハネはエルサレムにおける仮庵の祭りにいつも参加していました。それでこの祭りの時ルーラーブ*すなわちしゅろの枝が打ちふられ、またそれがハレルの朗唱と結びついていたのを
---------------------
---------------------
[352]覚えていたことでしょう。 ヨハネはイエス・キリストが参列された最後の仮庵の祭り(西暦三二年)をおぼえていました。その時のことについて、A・エダーシェイム博士著「ユダヤ神殿」二四四頁に次のことが出ています。
・・・・・・仮庵の祭りも終わろうとしていた。それは「祭の終りの大事な日」「ヨハネ、七ノ三七」であった。 それは「聖会」に数えられていなかったが、一つには祭りの終わりであったのと、もう一つにはラビの書きものの中でそれが「大いなるホサナの日」と呼ばれるようになった環境とから、その名称を得た。 「大いなるホサナの日」と呼ばれたのは、「ホサナ」と唱えながら祭壇のまわりを七回めぐったことに由来する。 それは 「やなぎの日」また「枝を打つ日」と呼ばれた。 やなぎの枝からすべての葉が落とされ、しゅろの枝を祭壇のかたわらで、ばらばらになるまで打ったからである。その日のことであった、祭司がシロアムから黄金の水差しを携えて帰り、その中味を最終的に祭壇の基部に注いでのち、また祭司たちが銀のラッパを三度吹き鳴らすのに応じて人々が崇拝し、笛の音に合わせて「ハレル」が歌われてのち―人々の感興が最高潮に達した、ちょうどその時である詩篇百十八篇の最後の節を唱えながら、祭壇のほうにむかって葉の茂った枝をさながら森の木々のそよぐかの如くに打ち振る崇拝者の大群衆の中から一つの声があがった。神殿に書き渡るその声は人々を驚かせ、人々の指導者に恐れと憎しみの心を抱かせた。声の主はイエスであった。「イエスは立って、叫んで言われた、だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい」・・・・・・
15使徒ヨハネはまたイエス・キリストが、最後の過ぎ越しを祝われる五日前、ろばに乗ってオリブ山からエルサレムにはいられた時の目ざましい光景を思い起こしたことでしょう。 ヨハネは目撃[353]したことを次のように書いています。「あくる日[西暦三三年ニサン九日]、祭にきていた 大群衆[オクロス ポリュス。 黙示録七章九節にあるのと同じ表現]は、イエスがエルサレムにこられることを聞くと、しゅろの枝をとり、イエスを迎えに出て行った。そして彼らは叫び始めた、「おお!救いたまえ。 エホバの御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に!』」。(ヨハネ、 一二ノ一二、二三、新世訳) それでこの場合にしゅろの枝は、神の国と神の油そそがれた王とを喜んでたたえることと結びつきがあります。このように考えると、黙示録七章九節に描かれたヨハネの幻の「大ぜいの群衆」の手にしゅろの枝のあったことが幸いにもおのずと思い起こされます。それはまたこの幻の成就の時が、西暦一九一四年後のいつかであることを暗示しています。一九一四年は神のメシヤの国が天に建てられた年です。その年、エホバ神は小羊イエス・キリストを即位させ、天と地において、敵のただ中でキリストの支配が始まりました。
16この理由で「大ぜいの群衆」はキリスト教国にならわず、「唯一の光」 また世界平和と安全のための「人類最後の希望」として国際連盟また後継者の国際連合に頼ることを拒絶しました。 黙示録七章十節に描かれているように彼らは「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」と叫んでいます。彼らは国際連盟や国際連合ではなく神と小羊にむかってしゅろの枝を打ち振り、大声で歓呼しています。 この重要な事実と一致して、彼らは十四万四千人の霊的イスラエル人の残れる者に加わり、マタイによる福音書二十四章十四節に記録されたイエスの預言の成就にあずかっています。「この御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マルコ 一三ノ一〇) 彼らは、犠牲にされた「神[354]の小羊」と、神のメシヤの国をとおしてエホバ神から救いが施されることを公に告白し、そうすることを恥じません。 彼らは楽園の地における永遠の生命を待ち望んでいます。
17天はこの「大ぜいの群衆」の光景に歓喜し、その叫ぶことばに和しています。 使徒ヨハネはその見聞きしたところを黙示録七章十一、十二節にしるしました。 「御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、『アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、 ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン』」。天使は七つのものを神に帰しています。この完全な数のものが「大ぜいの群衆」の救いのために働きます。
18前述の「長老」のひとりがヨハネに尋ねます。それは彼自身がある事柄をヨハネに教えるためです。黙示録七章十三、十四節(文語)にそのことが出ています。「長老たちの一人われに向ひて言ふ「この白き衣を着たるは如何なる者にして何処より来りしか』我いふ、 『わが主よ、なんぢ知れり』かれ言ふ 『かれらは大なる患難より出できたり、羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり』」。
19この「大ぜいの群衆」がどこから来たかをヨハネに尋ねた長老は、「大ぜいの群衆」がどの国民、部族、民族、国語の人かを尋ねているのではありません。むしろ彼らが経てきた特筆すべき経[355]験のことを尋ねているのです。長老がみずからの問いに答えて、「かれらは大なる思難より出できたり」と言ったことばからも、それは明らかです。 患難とはいったいどんな思難ですか。
20 ここに言われている「大なる患難」は、かつてイエス・キリストが言われ、使徒ヨハネもそれを聞いた患難と同じものですか。それについてはマタイによる福音書二十四章二十節から二十二節までにしるされています。 「あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。その時には、世の初めから現在に至るまで、かってなく今後もないような大きな患難 [トリプスィスメガレー]が起るからである。もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう」。ここで主イエス・キリストは天使が預言者に告げた、ダニエル書十二章一節のことばを一部引用されたものと思われます。 「その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かってなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます」。両方の預言とも、みぞうの患難の時について述べており、実を言えば同じ患難のことを述べています。さてこれは「大ぜいの群衆」その中から出てくる「大なる患難」ですか。
20黙示録にはほかにも思難(トリプスィス)のことが述べられています。 黙示録一章九節において使徒ヨハネは自分のことを、「あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難[トリプスィス]と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネ」と述べています。 栄光を受けられた天のイエス・キリ[356]ストはスミルナの会衆に対して、黙示録二章九、 十節のことばを言われました。「わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。 見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあであろう。 死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう」。
21また黙示録二章二十二節にも「大きな患難」のことが述べられていますが、これはテアテラのクリスチャン会衆にいる「あのイゼベルという女」と宗教上の不品行をして悔い改めない者たちが、イエス・キリストの手によって投げ込まれる患難です。ゆえにこの「大きな思難」は、サタン悪魔とその地上のしもべたちが投獄という手段によってイエス・キリストの弟子たちの上にもたらす患難とは別のものです。
22主の晩餐を始められてのち、主イエス・キリストが使徒たちに告げられた次のことばを、使徒ヨハネは思い起こすことができました。「あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである」。最後に、イエスは使徒たちのために祈る前にこう言われました、「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。 わた[357]しはすでに世に勝っている」。(ヨハネ、 一六ノ二〇、二一、三三) イエス・キリストの弟子に臨むこのようななやみは、エホバ神からのものではありません。 しかし弟子たちを試みるものとして、神はそれを許されます。
24患難は必ずしも宗教的な迫害ではありませんが、迫害もその中に含まれます。 (マタイ、一三ノニーとマルコ、四ノ一七には「困難や迫害」ということばが出ています) 使徒パウロが信者の仲間にむかって、 「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った時、多くの苦難の中に迫害を含めていたことは疑いありません。(使徒行伝一四ノ二二) 「患難」が「迫害」と同じ意味に使われている場合もあるようです。(テサロニケ第一、一ノ六。三ノ三、七)その理由でいくつかの聖書のほん訳(欽定訳。新英訳。改訂標準訳。アメリカ訳)は、使徒行伝十一章十九節において「患難」のかわりに「迫害」のことを述べ、また「大なる思難」(ヘートリプスィス メガレー)のことを述べた黙示録七章十四節はアメリカ訳において、「彼らは激しい迫害を通り抜ける人々である」となっています。
25しかしながら黙示録七章十四節は、マタイによる福音書 二十四章二十一節 (マルコ 一三ノ一九)においてイエス・キリストが預言的に述べられた「大きな患難」のことをさしているように思われます。これに先だつことばの中でイエスは確かにエルサレムのことを言われました。 西暦七〇年にエルサレムの町がローマ軍によって破壊され、百万人以上のユダヤ人が死んだ時、エルサレムには確かに「大きな患難」が臨みました。しかしそこにおいてさえ、エルサレムとその経験は、現代においてエルサレムに相当するキリスト教国に何が臨むかを預言的に示すものでした。さらにま[358]黙示録七章十四節は、エルサレムがローマ人に破壊されてのちに書かれました。それが書かれたのはたしか西暦九六年ですから、エルサレム滅亡の二十六年後のことになります。それで黙示録七葦十四節は将来の事柄をさしていたのです。ゆえに黙示録七章十四節の「大なる恵難」は、人間のこの事物の制度に臨む最後の患難のことです。章の最初の節と、前の章の最後のことばは、この解釈の正しいことを裏書きしています。 それは世界の患難を前もって警告することばです。
26 「そして、山と岩とにむかって言った、『さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御と小羊の怒りとから、かくまってくれ。御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか』。この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、『わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない』—黙示録六ノ一六から七ノ三。
27地の四隅すなわち東西南北から地の四方の風を一度に吹かせるならば、全地そして全人類にとって惨事になるでしょう。 木を根こそぎにし、葉や実をひとつ残らず落として木をいためつけるほどの暴風また旋風は、地と海の上の人や物に大きな害を与えます。(エレミヤ、四九ノ三六) それは黙示録 七章十四節の「大なる患難」をひきおこし得ます。それがきわめて重大な世界的患難であることは、ある大切なわざの成し遂げられるまで、風がひきとめられていることからもわかります。[359]神からの合図によって四人の天使が地の四隅から災いの風を吹かせ始めないうちに、「わたしたちの神の僕らの額」に印をおすことが終わっていなければなりません。
28 「わたしたちの神の僕ら」を印することは、西暦一世紀の昔に始まりました。これら「わたしたちの神の僕ら」の人数は十四万四千人です。(黙示録七ノ四ー八) これらの人々の最後の者すなわち最後に残ったわずかな人を印することは、「神の小羊」イエス・キリストの千年統治が始まらないうちに完成されます。つまり「わたしたちの神の僕ら」の残れる者は、人類生存の六千年の終わりごろ、神に属する特別な者として額に印をおされるでしょう。わたしたちは今その時点に近づいているのです! 聖書による時の定めはそのことを示しています。* ゆえに世界的なあらしが迫っているに違いありません。
29では「大ぜいの群衆」について、「大なる患難より出できたり」と述べられているのは実際にどういうことですか。 ダニエル書十二章一節と合わせてイエス・キリストが予告された「大なる恵難」は、西暦一九一四年に始まりました。「異邦人の時」すなわち「諸国民の定められた時」が終わったのは、その年の初秋つまり昔の仮庵の祭りの時期でした。(ルカ、ニーノ二四、口語、新世訳)「異邦人の時」は、西暦一九一四年の秋から二千五百二十年さかのぼった紀元前六〇七年のその季節に始まりました。(エレミヤ、四一ノ一から四三ノ七。ゼカリヤ、七ノ五。八ノ一九) 一九一四年の
---------------------
---------------------
[360]秋には人類の世は第一次世界大戦の渦中にあり、大戦中から戦後にかけて深刻な食糧不足、地震、疫病が起きました。イエスの預言どおりの事態が生じたのです。イエスが言われたとおり、このすべてはこの時代の人類にとって「産みの苦しみの初め」でした。(マタイ、二四ノ三十八。マルコ、一三ノ三十八。 ルカ、 二ノ一〇、一一) 第一次世界大戦は世界主権をめぐる戦いであって、神の国に敵対するものであり、したがってそれは神の怒りを招きました。
30「諸国民の定められた時」が西暦一九一四年に終わり、神の国の時が到来したいま、諸国民に対する神の怒りはどの程度まで表明されますか。それがどの程度にまで及ぶかは、黙示録十一章十六節から十八節にしるされた、神の崇拝者のことばに預言的に示されています。「今いまし、昔いませる、全能者にして[エホバ]なる神よ。大いなる御力をふるって支配なさったことを、感謝します。 諸国民は怒り狂いましたが、あなたも怒りをあらわされました。そして、死人をさばき、あなたの僕なる預言者、聖徒、小さき者も、大いなる者も、すべて御名をおそれる者たちに報いを与え、また、地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました」 〔新世訳〕。
31第一次世界大戦中の献身したエホバの証人は、この世界戦争が次第に発展して、黙示録十六章十三節から十六節に預言されたハルマゲドンの戦いになるのではないかという考えに傾いていました。*一九一八年十一月の休戦と大戦の終結は、少なからぬ驚きをもって迎えられたのです。全能
---------------------
「ものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ」(英文)一九一四年 十月十五日号三〇七、三〇八頁の副見出し「悩みの日を短かくする」以下。一九一 四年十一月一日号三三七、三二八頁「悩みの時の序幕」「ハルマゲドンの強いし。「ものみの塔」(英文)一九一五年六月一日号の記事「来たるべき嵐と栄光の結末」。一九一八年二月十五日「エリヤとエリシャの予表したもの」一九一八年五月一日号「シオンの勝利は近し」以上をごらんください。
---------------------
[361]の神エホバが、諸国民に対する怒りの完全な表われである「全能の神の大なる日の戦闘」をその時に遂行せず、神の宇宙主権に敵対する諸国家を滅ぼされなかったのはなぜですか。これらの聖書研究者が何年もたってから悟ったように、全能の神は患難の日を短くして、ご自分の「選民」に対するあわれみを示されたのです。そのことはマルコによる福音書 十三章十八節から二十節にあるイエスのことばにも預言されていました。
32「この事が冬おこらぬように祈れ。その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。もし〔エホバ〕がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである」 *ー〔新世訳〕。
33第一次世界大戦の終結の時から、「ヘブル語にてハルマゲドンと称ふる」 象徴的な場所における「全能の神の大なる日の戦闘」を迎えるまでのあいだ、これらなお肉体の人である「選民」のために、なすべき多くのわざが残されていました。(黙示録一六ノ一六、文語) マルコの福音書 十三章十八節から二十七節およびマタイの福音書 二十四章二十節から三十一節にあるイエスの預言どおり、集めるわざが必要でした。なお肉体の人間である「選民」の最後の者たち、つまり残れる者をあらゆる場所から集めて、その世界的な一致を実現しなければなりません。神の霊によって彼らを
---------------------
---------------------
印することも、その中に含まれていました。それによって彼らは「わたしたちの神の僕ら」すなわち霊的イスラエルの十二部族であることがわかります。 黙示録七章一節から三節によれば、十四万四千人の霊的なイスラエル人がその額に「生ける神の印」を受けるまで、四人の天使は全地に及ぶ破壊をもたらす四方の風をひきとめておかねばなりません。この印するわざは第一次世界大戦が頂点に達した一九一八年には終わっていませんでした。したがって「地の四すみ」に立つ「四人の御使」は、象徴的な「地の四方の風」すなわち全地に及ぶ破壊をもたらす力をひき止めておくように指示されました。
34印をおすわざのために天使をつかわされた生ける神エホバは、このようにして「期間」を「縮められ」、印をおすわざの残りを行なうための猶予を与えられたのです。 全能の神は迫る患難の進略をさえぎり、それが宇宙主権の問題をめぐる諸国家と全能の神との最後の戦争に直結しないようにされました。こうして神は患難の期間の単なるはじめ、すなわち諸国民の「産みの苦しみの初め」がその時に臨むことを許されたにすぎません。神は、「選民」のうち、なお地上の肉体の人間である者たちが、天使の介入を経て集められるべきことをご存じでした。御子イエス・キリストも、マタイの福音書 二十四章三十一節においてそのことを言われました。したがってそれより先、マタイの福音書 二十四章二十二節でイエスが言われたとおり、「選民のためには、その期間が縮められ」たのです。こうして一九一八年、エホバ神は、諸国家の患難がハルマゲドンの段階に達することのないように、その発達ないし進行をおさえられました。
35そこでこの休止期間すなわちその合間に神の選民に印をおすことの完成される期間が終わると、「全能の神の大なる日の戦闘」が始まります。すでに一九一四年に始まっていた諸国家の患難は[363]そのとき激しさを加え、破壊の程度から言ってもそれは「世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難」となるでしょう。 この観点からみるとき、患難の期間が短かくされるとは、人類に臨むこの患難が少なくされることを必ずしも意味せず、むしろ患難の期間が中断されることを意味しています。それで量あるいは規模において患難が小さくされるのではありません。
36「選民」に印をおし終わると、言うまでもなく、別のわざを行なう道が開かれることになります。そして一九一八年、患難の期間が短かくされて生じた休止の期間に一つの新しいわざが始められたのは、現代歴史の事実です。
37歴史的にみると、この付加的なわざは一九三一年、その年の七月二十四日から三十日までオハイオ州コロンバスで開かれたエホバの証人の国際大会において注目されました。七月二十六日、日曜日、一万五千人の聴衆を前に行なわれた公開講演のあとで、出席していた「選民」の残れる者何千人によって一つの決議が採決されました。それによって彼らは聖書預言のイザヤ書四十三章十節から十二節に基づく独自の名「エホバの証人」を自分たちの名にしたのです。しかしつづいて七月三十日、木曜日午後三時にこの国際大会のおもだった講演者は、「物を書く墨つぼをつけた人」と題する話をしました。 エゼキエル書九章の預言を説明したこの話の直後に「立証」 第一巻が発表されました。この本は、「物を書く墨つぼをつけた人」に関する第九章をも含めてエゼキエルの預言の最初の二十四章を説明しています。
38 エゼキエル書 九章に描かれている、物を書く墨つぼをつけた人が人々の額にしるしをつけるのは、黙示録七章一節から八節に描かれている十四万四千人の額に印をおすこととは別です。前述の話はこの点を明らかにしました。物を書く墨つぼをつけた人この手で額にしるしをつけられるのは、 十四万四千人の「選民」とは全く別の人々です。 亜麻布を着、その腰に物を書く墨つぼをつけた人の手で額にしるしをつけられたのは、霊により生み出されていない、地的な階級の人々であって、彼らが得る機会のある永遠の生命は天にある神の国の下に将来、 楽園となる地上でのものです。大会での話は、彼ら[365]が「善意の人」であり、「いま生きていて死ぬことなく」、ハルマゲドンの戦いに生き残る人々であることを明らかにしました。ものみの塔誌に収録されたこの話は、次のことを述べています。
・・・・・・このような人が何人いて音信に耳を傾け、主の側に立つかはだれにもわからない。その事は「しもべ」級の人々のおもな関心ではない。 「しもべ」の務めは命ぜられたとおりにキリスト教国を行きめぐり、しるしをつけることである。 次の事を心に留めなければならぬ。 あかしをするこのわざの目的は世の人々を改宗させてなんらかの組織に導き入れることではなく、次の事を知らせるにある。すなわちキリスト教国の悪し組織からのがれたいと思う人はそうすることができ、主の側にあることを宣言できる。そうすれば殺りくが始められる時の思難を無事に通り抜ける者となるであろう。..・・・・しるしをつけるわざは、それが終わるまで続けられねばならぬ。それが終わると、エゼキエルの聞いた総司令官の別の命令が行なわれるであろう。―一九三一年九月一日号「ものみの塔」 (英文) 二六三頁、「物を書く墨つぼをつけた人」と題する記事の十六、十七節。
39実体のエルサレム(キリスト教国)で行なわれている憎むべきことのために嘆き悲しむ、キリスト教国内の人々の額にしるしをつけるこのわざは、このような人々に単に聖書の 加識を授けることだけに終わるのではありません。エホバの崇拝者としての立場をとり、それを公にするように援助しければなりません。 見わけるしるしをつけるこのわざが、本格的に行なわれるようになったのは、一九三五年になってからです。その年の五月三十一日金曜日の午後、エホバの証人とその同労者のワシントン(コロンビア区) 大会において、おもだった講演者は「大いなる群衆」と題する歴史的な話をしました。 この話は黙示録七章九節(文語)の「大なる群衆」が地的な階級の人々で[366]あって、霊により生み出されていないことを初めて明らかにしました。またこれらの人々はレカブの子ヨナダブおよびマタイの福音書 二十五章三十一節から四十六節のイエスのたとえ話の羊、またヨハネの福音書十章十六節でイエスの言われた「他の羊」によって預言的に予表されていた人々であることが、はじめて明らかにされたのです。この話があってから、「大なる群衆」に属する人々の多くが、コロンビア区ワシントンで四日間(五月三十一日ー六月三日)にわたって開かれたこの大会において水のバプテスマを受け、 小羊イエス・キリストをとおしての、神への献身をあらわしました。以来この群れに属する人々を集めるわざに対する異常な熱意が、 全世界にひろまったのです。―一九三五年七月一日号「ものみの塔」(英文) 一九四頁、「大会」の項およびエホバの証人の一九三六年度年鑑(英文) 六二、六三頁をごらんください。
41患難の休止期間の終わりと、「全能の神の大なる日の戦闘」の開始とが近づいている今日も、「大「せいの群衆」の成員のバプテスマはひきつづき行なわれています。 去る一九六四年から一九六五年にかけての奉仕年度中にも、エホバの証人の一九六六年度年鑑(英文) 二八七頁に報告されているように全世界で六万四千三百九十三人がバプテスマを受けました。復活された主イエス・キリストは水のバプテスマに関連して 「世の終わり」のことを言われました。西暦一九一四年以来、わたしたちは「世の終わり」すなわち「事物の制度の終結」(新世訳)の時に住んでいます。イエスは弟子たちにむかってこう言われました、「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子とし[367]て、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。 見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ、二八ノ一九、二〇) それで「他の羊」になる人々のバプテスマが行なわれることになります。どうしてそうですか。
42西暦三三年に死人の中から復活したイエス・キリストは、復活後四十日目の昇天に先だって、バプテスマに関するこの教訓を残されました。イエスの昇天後十日目の五旬節の祭りの日となり、およそ三千人のユダヤ人またユダヤ人の宗教に改宗して割礼を受けていた人々がイエス・キリストに対する信仰をいだくようになり、そこエルサレムにおいてキリストの使徒たちは、命ぜられていたことを行ないはじめました。すなわち割礼のあるこれらの信者が「罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受け」ることをはじめさせたのです。 ー使徒行伝二ノ一ー四一。
43これら信じたユダヤ人は、エホバ神と結ばれたモーセの律法契約の下にあったゆえに、父なる神にすでに献身していました。そして彼らの先祖はそれより十五世紀前、「雲の中、海[紅海]の中で、モーセにつくバプテスマを受けていました。(コリント第一、二〇一、二) そこでいま信者となった、割礼のあるユダヤ人や改宗者の水のバプテスマは、彼らが信ずるようになった御子イエス・キリストの追随者として、これから神のみこころを行なうために、悔い改めて自分を父な神にささげたことを表わすものでした。そうすることに対して彼らは聖霊を約束されていまし[368]た。それは彼らが神の霊に生み出されて神の霊的な子となり、油そそがれることを意味していたのです。律法契約の下にあって割礼を受けた人々だけの、このような水のバプテスマは、その後およそ三年半のあいだ続きました。そしてそれからは、律法契約とかかわりのない無割礼の人々も、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けるようになりました。ー使徒行伝一〇一ー四八。
44これら無割礼の異邦人の信者はユダヤ人の律法契約の下になく、したがってすでに献身して父なる神と結ばれていた人々とは異なっています。ゆえに水のバプテスマを受けるには、神の御子イエス・キリストを信ずる者として神にまず献身することが必要でした。それで彼らの水のバプテスマは、御子イエス・キリストをとおして父なる神に献身したことを表わしたのです。そのうえ割礼のあるユダヤ人だけに神の恵みが示された期間は、西暦三六年、異邦人の最初の改宗者コルネリオが改宗してバプテスマを受けるとともに終わりました。また割礼あるユダヤ人と結ばれた神の律法契約はもはや神に認められず、 神にいま認められているのは、イエス・キリストを仲保者とする神の新しい契約だけです。ゆえに割礼のある生来のユダヤ人といえども、それ以後は各人が神に献身することが必要でした。そうしなければ、神の御子イエス・キリストの名によって水のバプテスマを受けることはできません。それで西暦三六年以降、割礼のある生来のユダヤ人が受ける水のバプテスマは、キリストによって神に個人的に献身をしたことの象徴です。
45「事物の制度の終結」の時を迎えた今に至るまで十九世紀のあいだ、父と子と聖霊の名による水のバプテスマが施されてきました。全部で十四万四千人を数える神の「選民」に印をおすこと[369]は、いまほとんど終わっています。しかし西暦三三年にさかのぼって考えると、バプテスマに関する指図を弟子たちに与えられた時に、イエスはなんと言われましたか。行ってすべての国の民を弟子とするにあたり、イエスへの信仰に十四万四千人を改宗させてバプテスマを施したなら、バプテスマを施すことをやめるようにとは言われませんでした。バプテスマを施すことを一九四六年までつづけよと、言われたのでもありません。その年、クリスチャンのエホバの証人と交わり、「この御国の福音」を定期的に伝道した人は十五万八千三十四人に上り、その年の間に一度でも伝道に参加した人全部を数えると、その人数は十七万六千四百五十六人になります。これは十四万四千人をはるかに上回る回数です。* イエスが言われたのは、このようなことではありません。イエスは弟子としてバプテスマを施すべき人の数を制限せず、特定の年を定められませんでした。
46それでマタイの福音書 二十八章十九、二十節にしるされたイエスの指図は、ひきつづき行なわれています。すでに建てられた神の国の福音は、マタイの福音書 二十四章十四節のことばに従って、ひきつづき全世界に宣明されています。大ぜいの人がそれを聞いてイエス・キリストの弟子になることを望み、御子イエス・キリストをとおして父なる神に献身します。今日、百万を越える人が全地において神の国を宣べ伝えるわざを定期的に行なっているのです。その大多数は献身のしるしとしてすでに水のバプテスマを受けました。今日、十四万四千人の霊的イスラエル人すなわち御
---------------------
エホバの証人の一九四六年度年鑑(英文) 二一六頁から二一八頁によれば、一九四五年には毎月十二万七千四百七十八人が御国の音信を伝えていました。その年の間一度でも伝道した人全部を数えると、伝道者の最高数は十四万一千六百六人になります。
---------------------
[370]国相続者の総数を満たすために、献身してバプテスマを受けた信者のわずかな残れる者が必要であるにすぎません。
47このように十四万四千人よりもさらに何十万も多い人々が、いま献身のしるしとしてバプテスを受けていることが報告され、記録されています。その人々が献身して自分を神にささげた時、天国に召されることが神のみこころであっても、あるいは「他の羊」として地上の生命の楽園に迎えられることが神のみこころであっても、そのことにはかかわりなく神のみこころを行なうために献身したのです。その点で決定を下すのは、献身する人ではなくてエホバです。献身するのに神に対して条件をつける人はいません。 献身する人は神のみこころに自分をゆだねます。その人の前途に何があるかは、献身とバプテスマののちに神ご自身が決定されるのです。神が明らかに示されたところによれば、神はいま「他の羊」の「大ぜいの群衆」を集められています。
48あらゆる国籍の「大ぜいの群衆」を集めるこのわざが一九三一年以降つづけられていることは、印をおされるべき 「選民」の残れる者を集める天使のわざが一九三一年に事実上終わったことを示しています。これを裏づけているのは、献身してバプテスマを受けたクリスチャンのエホバの証人のうち、年毎の主の晩餐においてパンとぶどう酒にあずかる人の数が毎年減少しているという事実です。 それとは反対に、「大ぜいの群衆」は増加の一途をたどってきました。―一五〇ー一五二頁、、五五ー五八節。一五七、一五八頁、七〇一七三節をごらんください。
49これは使徒ヨハネが黙示録 七章の幻で見た物事の順序と一致しています。まずヨハネは「四人[371]の御使が地の四すみに立っている」のを見、彼らは、「わたしたちの神の僕らの額」に印がおされるまで地と海と木とをそこなうことのないように地の四方の風をひきとめていました。ついでヨハネは、印をおされた者の数が霊的イスラエル十二部族の十四万四千人であることを聞きます。印をおすわざの終わったことが報告され、ついで使徒ヨハネは「その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、 しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち」と述べています。(黙示録七ノー九) 「大ぜいの群衆」を神の御座の前に集めることは、一九一八年に患難の期間が短かくされてのち、大いなるバビロンが滅び、そして世の国々に臨む患難の最高潮ハルマゲドンの戦いがはじまるまでの間に行なわれます。そのことは歴史の事実から全く明白です。
50とのことは長老が使徒ヨハネに、「かれらは大なる患難より出できたり」と述べたことばとよしく調和します。(黙示録七ノ一四、文語) この長老は、彼らが大なる思難をとおって来たとは述べていません。そのような表現は、たとえば使徒行伝 十四章二十二節においてパウロとバルナバが、迫害されていたクリスチャンにむかって「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語ったことばの中に使われています。しかし長老は「大ぜいの群衆」が「大なる思難より」出て来たと述べています。すでに見たように、彼らは「大なる患難」の全期間の初ま日りと終わりとの中間の時期に出てくるのです。 偽りの宗教の世界帝国大いなるバビロンが滅び、ついでハルマゲドンの戦いによって、現在の事物の制度が完全に滅びる時、「大ぜいの群衆」を集めることはもはや行なわれません。
51 「大なる患難より」という表現が使われていることから、一つのグループとしての「大ぜいの「群衆」は「大なる患難」の最後の部分を生き残り、キリストの千年間治められる事物の新しい秩序に、死を見ることなく迎え入れられるという意味にこれをとることができるでしょう。 前置詞的な「より」という表現から見て、「大ぜいの群衆」が神の正義の新秩序に生き残っていくことはじゅうぶん考えられます。たとえばコリント人への第二の手紙二章四節に使徒パウロは、「わたしは大きな患難と心の憂いの中から、多くの涙をもってあなたがたに書きおくった」と述べています。 これを書いた五五年ごろの「大きな患難」にも、パウロは生き残りました。およそ十年後に、パウロはその最後の手紙であるテモテへの第二の手紙を書いているからです。パウロはその時まで生き延びました。同じくクリスチャンの殉教者ステパノも、エルサレムのサンヒドリンに出た時、こう語っています、「族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。 しかし、神は彼と共にいまして、あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵を表わさせた」(使徒行伝七ノ九、一〇) このようにしてヨセフはエホバ神の手によってあらゆる苦難から救い出され、生き延びたのです。今日の「大ぜいの群衆」についても同じことが言えます。
52マゴグの地のゴグがたとえ望んだにしても、「大なる患難」の最高潮の時に「大ぜいの群衆」が滅びることはありません。 (エゼキエル、三八、三九章) しかし「大なる患難」を単に生き残ること自体は「大ぜいの群衆」にとってなんらの功績ではなく、報いをもたらすものではありません。[373]もちろん、大ぜいの群衆が「その衣を小羊の血で洗い、それを白くした」ことは、報いに値する功績です。(黙示録 七ノ一四)しかしそれでもつづいて述べられた長老のことばから見れば、彼らが「大なる恵難より」出てきたことは、功績のひとつに数えられています。 「それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう」。(黙示録七ノ一五) 「それだから」あるいは「この故に」(文語)という長老のことばからわかるように、大ぜいの群衆が「大なる患難より」 出てきたことには、なんらかの功績あるいは誉れが関連しています。
53言うまでもなく、 「大なる患難」が中断されている期間に大ぜいの群衆はその象徴的な衣を小羊の血で洗って白くします。自分たちのあがないとしてイエス・キリストの血を受け入れたことを公に告白するのは、このような時代にあって勇気と深い認識と神への献身を要することです。しか今日、世界中の「大ぜいの群衆」が神の子たちの自由を目ざして進む間、衣をこのように洗う以上のことが要求されています。それはどんなことですか。
54「選民」の残れる者に印をおし、「大ぜいの群衆」を集めることが行なわれるように、エホバ神は一九一八年、患難の期間を短かくされましたが、その時までには他にも重要な事柄が一九一四年以来起きていました。地上において諸国民と諸国家に「産みの苦しみの初め」が臨んだだけでな天で戦いが起きたのです。この戦いは神のメシヤの国が一九一四年に建てられたのにつづいて[374]起こり、その結果、サタン悪魔とその悪霊は地の近くに追い落とされました。(黙示録一二ノ七ー一一) それ以来、地のすべての人にとって危険な時代が始まったのです。
55清められた天には喜びがありました。しかしこの地球上の人々にとって事態がどんなであるかは、次のような天からの声に要約されています。 「地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。(黙示録一二ノ一二) したがって「大ぜいの群衆」が現われ、その衣を小羊の血で洗って白くするのは、サタン悪魔と悪霊が地において抑制されるこの「短い時』のことです。しかしほかにも次のことがしるされています。 「龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。龍は、女に対して怒りを発し、 女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのしかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った」ー 黙示録一二ノ一三、 一七。
56 それで「大ぜいの群衆」に加わった人々は、一九三一年以来、神の女の「残りの子ら」と交わってきました。そしてこれら「残りの子ら」とともに神の戒めを守り、またいま誕生した御国の王としてエホバ神により位につけられたイエスをあかしするわざを行なってきました。「大ぜいの群衆」に属する人々が「残りの子ら」と同じ経験をしたのも、やはり同様な理由からです。彼らも同じく龍、サタン悪魔の迫害の目標となってきました。 神の戒めを守り、イエスのあかしを持つゆえ[375]に、彼らもサタン悪魔から戦いをいどまれ、こうしてイエスが忠実な使徒たちに言われた、「あなたがたは、この世ではなやみがある」ということばを経験してきました。(ヨハネ、一六ノ三三)このなやみに耐え、至上の主権者としてエホバ神をたたえ、救いをエホバ神とその小羊に帰することによってのみ、全く、そうすることによってのみ、 「大ぜいの群衆」は遂に「大なる患難より出できたり」、それに生き残るでしょう。
57ゆえに「大ぜいの群衆」が大いなるバビロンの滅びとハルマゲドンの戦いに生き残るには、神の保護を受けさえすればよいというのではありません。厳しい試みを経ることが必要です。 「大ぜいの群衆」は、「大なる患難」の最高潮のとき、神の保護を受けるにふさわしい者となっていなければなりません。それで生き残ることは「大ぜいの群衆」にとって、功績となる、真に注目すべき偉業とも言えるのです。こうして大いなる患難より出、衣を小羊の血で洗って白くしたゆえに、つまり「それだから」使徒ヨハネは彼らが「神の御座の前」にいるのを見ました。 ー黙示録七ノ一五。
58神の御座の前に立つと言っても、彼らが霊者となって天にいる必要はなく、またそのような意味ではありません。このギリシャ語の前置詞(エノーピオン)は文字どおりには「面前で」を意味し、クリスチャン・ギリシャ語聖書中において比喩的にも文字どおりの意味にも使われています。たとえば使徒行伝 四章十九節にあるペテロとヨハネのことば、「神の目に正しいかどうか」の中で[376]「の目に」と訳されています。 (新世訳) ヤコブへの手紙 四章十節 (新世訳)は「エホバの目の前に[エノーピオン] へりくだれ」と述べています。(またペテロ第一、三ノ四)また黙示録 二十章十二節には、地上に復活する人々について、 「死んでいた者が、 大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた」とあり、復活したこれらの人々が実際の地球上にいるにもかかわらず、ヨハネの描写によれば、その人々は神の天の御座の前に立っています。同様に、「大ぜいの群衆」は天に行かなくても、神の御座の前に立てるのです。彼らは実際には地上にいます。さらに黙示録十四章一節から三節を見ても、神の小羊とともにシオンの山に立つ十四万四千人のかたわらに 「大ぜいの群衆」はいません。それでこの幻は、天のシオンの山に立つ人々の中に大ぜいの群衆が含まれていないことを示しています。
59したがって彼らが御座の前に立つことは、神に受け入れられる者としてうやうやしく神の御前に立ち、神の是認を得ていること、そして神の命ぜられるままに喜んで奉仕する用意をしていることを示していると言えるでしょう。彼らは特にどこで仕えますか。 「彼らは 昼も夜もその聖所神に仕えているのである」。(黙示録七ノ一五) 神の聖所でこの聖なる奉仕をすると言っても、彼らが霊者となって天にいる必要はありません。彼らは地上にいますが、霊的な宮の階級に属する残れる者と交わっています。「神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである」。これは「大ぜいの群衆」ではなく、「選民」にむかって語られたことばです。(コリント第一、三ノ一六、一七。コリント第二、六ノ一六) 同じく、栄光のイエス・キリストは「大ぜいの群衆」ではなく「選民」にむかってこう言われました、「勝利を得る者を、わたしの神の聖所におけ[377]る柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない」。(黙示録三ノ一二) 「大ぜいの群衆」は「聖所」級に属するわずかな残れる者を無視することなく、"聖所"の残れる者とともに一致してエホを崇拝しています。
60 「大ぜいの群衆」は、神の霊的な宮の中で「昼も夜も仕えていますが、それは彼らが祭司の勤めをしているという意味ではありません。彼らは霊的なイスラエル人ではありません。昔のひな型を見ると、イスラエル国民の場合、エホバの祭司は、割礼のある、生来のイスラエル人の中でもモーセの兄アロンの属するレビ族の者に限られていました。宮で仕えるレビ人の奉仕者でさえも、資格あるレビ族の男子であることが要求されています。祭司職と宮での勤めに関する昔の定めは預言的なひな型であり、したがって今日の「大ぜいの群衆」はたとえ神の宮の中で聖なる奉仕をしていても、神の霊的な祭司ではあり得ません。むかし宮で用いる水や祭壇のたきぎを補給するために、水を汲み、たきぎを切る異邦人がいましたが、大ぜいの群衆はこれらの異邦人に似ています。彼らは昔のネテニ人すなわち「与えられたる者」に似ています。ーヨシュア、九ノ二三ー二七。 歴代志上九ノ二、文語。エズラ、二ノ四三一七〇、文語。
61いま「大ぜいの群衆」は「大なる患難」が終わらないうちに自分を神にささげているゆえに、十四万四千人の霊的な祭司の残れる者に加わって「この御国の福音(を)、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝え」る特権に恵まれています。(マタイ、二四ノ一四) それはまことに聖なる奉仕です。彼らは「昼も夜も」たえず神に仕えます。
[378]62 「大ぜいの群衆」がささげるこの聖なる奉仕に答えて、「御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って」くださいます。(黙示録七ノ一五) ゆえに「大ぜいの群衆」が「大なる患難」の最高潮を生き残り、その中より出るのも不思議ではありません。 彼らは御座にいます天地の神の加護の下に導き入れられました。それで地上のどんな軍事国家も与えることのできない守護を受けています。神の過分の恵みとあわれみとによって、「大ぜいの群衆」は、「エホバの忿怒(いかり)の日に匿さ」れるでしょう。 (ゼパニヤ、二ノ三、文語) エホバが「そのおられる所を出て、地に住む者の不義を罰せられ…....地はその上に流された血をあらわして、殺された者を、もはやおおうことがない」時、彼らは「しばらく」 隠され、安全です。 (イザヤ、二六ノ二〇、二一) ゆえに「大ぜいの群衆」が今でさえ神の御座の前に立ち、救いを神と小羊とに公に帰しているのは当然です。
63 「大ぜいの群衆」は羊のような人々です。現存する事物の制度の終わりに関するイエスの預言の最後には、羊とやぎのたとえがありますが、「大ぜいの群衆」は、なお地上にいる 「聖所」級に属する残れる者に善を行なうという理由で、このたとえの中で羊にたとえられています。彼らは、りっぱな羊飼いイエス・キリストがなお「導かねばならない」と言われた「他の羊」に属する人々です。(ヨハネ、一〇一六) いま「大なる患難」が最高潮に達しないうちに、「他の羊」の「大ぜいの群衆」がイエス・キリストに導かれるさまは、黙示録七章十六十七節に美しく描かれていま[379]す。 「彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。
64イエスの山上の垂訓中第四の至福に説かれているように、「他の羊」の「大ぜいの群衆」は、唯一の神のみがキリストをとおして与え得る義に飢えかわいてきました。そして今や彼らの飢えとかわきは満たされたのです。(マタイ、五ノ六) その衣を神の小羊イエス・キリストの血で洗ったゆえに、彼らは神の前に義の立場を得ています。唯一の生ける真の神と、人類に対するその愛の目的に関して、真理に飢えかわいていた彼らは、文字になった神のことば聖書から霊的な食物を得て満ちたりました。神の目的を学び知って、神のみこころを行なうために献身したいま、彼らは生きることに真実の意義を見いだしています。神に聖なる奉仕をささげる生活には、真実の喜びがあります。現在の事物の制度の下にあって「聖所」級に属する残れる者とともに患難に耐えながらも、彼らは神の新しい秩序の下で楽園の地に永遠の生命をから得る希望をいだくゆえに歓喜します。 神の小羊は確かに彼らを「いのちの水の泉」に導かれました。
65するとは、群れが食物と水を得られるようにするだけでなく、群れを保護し、完全に導くことです。この点において神の小羊はりっぱな羊飼いとなられます。 それゆえ、象徴的に言って、太陽も炎暑も、もはや彼らを侵すことがないのです。しかしエホバ神に忠実に仕えるゆえに宗教上の迫害を受けたり、この世で悩まされたりすることがもはやないという意味ではありません。その意[380]味は諸国民に神の怒りが臨んでいる今日、彼らは神の怒りから保護されているということです。りっぱな羊飼いイエス・キリストは彼らを保護されます。神の善意をなお得ることができる間に、彼らはイエス・キリストをとおして神に献身し、このようにして神からの平和を得ている「善意の人」となりました。ールカ、 二ノ一四、新世訳。 イザヤ、四九ノ八、六一ノ一、二。コリント第二、六ノ一、二。
66まもなく大いなるバビロンとその政治的な情夫に対する神の怒りが燃えてその両方が滅びる時、「他の羊」の「大ぜいの群衆」はおおわれ、滅びをもたらす、焼きつくす火からさえぎられます。彼らは神の天幕の下に保護され、偽りの宗教と政治がことごとく滅びるのを見るでしょう。
67「大ぜいの群衆」は彼らの羊飼い、 神の小羊に従い、ハルマゲドン後の事物の新しい秩序の下に導き入れられます。大いなるバビロンの滅びと、そのすぐあとにつづく、世の政治組織を滅ぼすハルマゲドンの戦いに生き残って、彼らは清められた地、圧迫や束縛をもたらすサタン悪魔の見える組織の一掃された地に生きて迎え入れられることでしょう。今でさえ、「大ぜいの群衆」の「羊」がいつまでも嘆く必要は決してありません。小羊イエス・キリストをとおして示された神の過分の恵みのゆえに、黙示録 七章十七節のことばはすでに彼らの上に成就しています。「また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。(黙示録二一ノ四) 「切に慕」う思いに目を輝かせて彼らは「神の子たち」が全く「現れ」ることを、「聖所」級の人々の残れる者とともになお待っています。 ローマ、八ノ一九、文語。
被造物の人間が「神の子たちの出現を待ち望」むのも、もはや長いことはありません。被造物自身が「滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る」のも、もうまぢかです。ーローマ、八ノ一九、二一。
2人間が堕落してからすでにほとんど六千年の間、人類史の全期間を通して、被造物はこれら神の子たちが天の栄光のうちに現われることを待ち望んできました。サタン悪魔と悪霊がとらえられ、底知れぬ所に投げ込まれて束縛される時も次第に迫っています。そのあとには、神の子のおもだった者イエス・キリストが、栄光の霊的兄弟すなわち贖われた神の子たち十四万四千人の会衆とともに治める千年期が到来するのです。これら十四万四千一人の神の子たちすべてより成る天の御国は、地上の全人類が滅びのなわめから解放され」、地上において神の自由の子となるのをほんとうに助けるでしょう。ほとんど六千年前、男女の創造のあとでエホバ神が創造の第七日に対して表明された祝福ときよめは、こうして最後の仕上げを加えられ、輝かしい完成を見ます。創世記一ノ二六から二ノ三。
3それで被造物の人間は、クリスチャン使徒パウロが西暦五六年ごろ、ローマの会衆にあてて次のことばを書く何千年も前から、これら神の子たちの出現をすでに待ち望んでいたことになりまり。 「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べるし、言うに足りない。被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる」。(ローマ、八ノ一八、一九) エホバ神がこれら特定な「神の子たち」のことを初めて言われたのは、創造の第七日の初めごろ、不従順な男女が追い出される直前のエデンの楽園においてでした。
4いまやサタン悪魔を象徴するものとなったへびに向かって、神は言われました、「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕し、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。(創世記 三ノ一五)アダムとエバから生まれ出た被造物の人間は、このように表明された神の目的のゆえに、大きな期待をいだいて女の裔の出現を待ち望んできたのです。その現われる時、女の裔は力をふるって象徴的なへびのかしらを砕き、わたしにちに自由をもたらします。
5エデンにおける神の約束ののち四千年のあいだ、いまやエデンの楽園の外におかれた人類はその間ずっと「虚無に服し」、「滅びのなわめ」にあって、そのすべては「共にうめき共に産みの苦しみを続けていました。(ローマ、八ノ二〇ー二二) そこヘエホバ神はご自分のひとり子を地につ[383]かわしてエデンのアダムに等しい完全な人間とならせ、約束のキリストとならせました。象徴的なへびのかしらを砕き、へびのすえを滅ぼすことを任ぜられた女のは、こうして現われはじめたのです。人間となって地上にいられた時でさえ、イエス・キリストは、サタン悪魔と悪霊に勝たれました。比喩的に言ってイエス・キリストはくびすを砕かれましたが、死からの復活によって神の天的な子と宣言されました。 ーローマ、一ノ一ー四。
6死人の中から復活して五十日目に主イエス・キリストは天から聖霊をそそぎ、霊に生み出された、神の他の子たちの会衆を設立されました。キリストはイザヤ書八章十八節をひいて「視よわれエホバが我にたまひたる子輩」 (文語) と言うことができました。 (ヘブル、 二ノ一三、一四) キリストは、罪ゆえの死の定め、および罪と死とのおきてから彼らを解放されたのです。これら神の自由の子たちのひとりとして、使徒パウロは次のように書いています。「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである」―ローマ、八ノ一、二。
7これら霊に生み出された神の子たちは、「キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上」、天国においてイエス・キリストの共同相続者とされます。(ローマ、八ノ一六、一七) それゆえに彼らは天のイエス・キリストとともにへびのかしらを砕くことにも加わります。これら神の子たちに告げられた使徒パウロのことばの中にも、そのことが含まれています。「平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう」。(ローマ、一六ノ二〇) これからわかるように、彼らは約束された女の裔の一部です。
8霊に生み出された、地上の神の子たちのすべては、栄光あるものを待ち望んでいました。すなわち死から復活して、遂には天の神の真の霊的な子とされることです。彼らは復活の約束を心にとめています。「朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである」。(コリント第一、一五ノ四二ー四四) これは神の子としての身分を全く授けられることを意味するものでありましょう。神が霊のからだを持たれるのと同様に、彼らも霊のからだを持つ者となるからです。いま肉体にあって彼らがうめき、苦しんでいる多くのことから、彼らはそのとき解放されます。 それを考えて使徒パウロは[385]次のことばを書きました。「実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」ーローマ、八ノ二二、二三。
9神の子たちが栄光のうちに現れるのを待ち望んでいることは、霊によって生み出された、これら神の子たちも同様です。彼らも栄光のうちに現れる子たちの数にはいっているからです。栄光のうちに現れるこのことによって、全人類にもすばらしい解放の時がもたらされます。霊によって生み出された神の子たちは、栄光のう[386]ちに現われることにあずかります。しかしそれにふさわしいことを、地上にいる間に証明しなければなりません。そのことを励ますために、使徒パウロは次のように書きました。「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。 そこではキリストが神の右に座しておられるのである。 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう」。(コロサイ、三ノ一ー四)クリスチャンとしてこのように行なうゆえに、彼らは、この世にあっても世のものではないという立場に立ちます。 世の快楽、事業、企図に対しては死んだものであっても、彼らは将来に生きる者であり、天においてキリストとともになる、すばらしい将来にふさわしいことを証明しようと、いま努めているのです。
10約束の女の裔のおもだった者イエス・キリストは当然に解放者として現われ、大いなるへび、サタン悪魔を砕き、へびの裔を滅ぼします。 へびの裔の、地上にいるものも滅びます。それは大いなるバビロンの滅びの時、ついで大いなるバビロンの情夫となった商業と政治がハルマゲドンの戦いで滅びる時のことです。世のこれらの勢力は、霊によって生み出された神の子たち、つまりイエス・キリストの忠実な追随者を大きな患難にあわせてきました。それゆえ、「大なる思難」の最高[387]潮において神の子たちが現われることは、これら世の諸勢力にとって、恐れるべき事柄となるに違いありません。使徒パウロが、苦しみにあう兄弟たちに書き送った次のことばは、そのことを述べています。
11 「これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろうーわたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである」―テサロニケ第二、一ノ五―一〇。
12神を知って認めることを拒絶し、イエス・キリストに関する福音をしりぞけ、宗教上の迫害をつづける者が除かれて地が清められると、こんどはその直後にサタン悪魔と悪霊が地球の近くから除かれます。 彼らは天を追われた時に地の近くに落とされていました。しかし今や捕えられてつながれ、底知れぬ所に落とされて束縛されます。(黙示録 一二ノ七ー一三。一七ノ一から一八ノ二四。一九ノ一七から二〇ノ三) サタン悪魔はその時もはや「この世の神」ではありません。その下で諸国民の偽りの神々となっていた悪霊も、神々ではなくなります。サタン悪魔はもはや「空中の権を[388]もつ君、すなわち、不従順な子らの中に今も働いている霊」ではなくなるのです。(コリント第二、四ノ四 エペソ、二ノ二。 コリント第一、一〇ノ二〇、二一。 ヨハネ、 一二ノ三一、 一六ノ一一)そしてメシャによる神の国の母をもはや迫害せず、「女」の残りの子らと、献身した、彼らの地的な仲間に対して「戦いをいどむ」ことはもはやありません。ー黙示録一二ノ一三ー一七。
13地上にいるエホバの崇拝者はその時「悪魔の策略に対抗して立」つ必要がもはやなく、「血肉」のものではない悪霊、「もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊」に対してさえ戦う必要がなくなります。(エペソ、六ノ一一、 一二) 現在の世の事物の制度に属する「上に立つ権威」に相対的に「従う」ことも、その時にはもはや必要ありません。これら地上の政治権力は、今に至るまで神によってその存在を許されてきました。しかし同じく神のはからいによってそれは「全能の神の大なる日の戦闘」の時まで存続するにすぎません。(ローマ、一三ノ一、二。 テトス、三ノ一。ペテロ第一、二ノ一三、一四。 黙示録一六ノ一四、文語) またその時には、神の求められるものと、カイザルの要求とが衝突するようなことは起きません。(マタイ、ニニノ二一) 宗教的な大いなるバビロンすなわち偽りの宗教の世界帝国はもはやなく、それが地の政治支配者と宗教上の淫を行なって、そのさし出す杯に地の住民を酔わせ、政治権力と結んだ汚れた行ないの恐るべき結果に人々を酔わせることはもはやありません。ー黙示録一七ノ一ー五。
14霊的イスラエル人十四万四千人のわずかな残れる者と、献身した、彼らの地的な仲間の「大ぜいの群集」にとって、これはすばらしい解放を意味します! 全能の神は彼らをともに保護し、守り、ハルマゲドンの戦いに生き残らせます。それで神の正義の新秩序の初めから、そうです、キリストの千年統治の初めから彼らは実に大きな自由を享受します!
[389]15 キリストの「花嫁」、十四万四千人のうちの残りの人々は、神の許しにより地上にとどまってさらに奉仕をつづけるあいだ、みずからの内でうめき苦しむことはなくても、「子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれること」をやはり待ち望むにちがいありません。(ローマ、八ノ二三。コリント第二、五ノ一ー五) しかし、やがて天の花むことイエス・キリストは、御父の家のご自分のもとに彼らを迎えられます。 彼らはそこにおいてキリストとともに天の栄光のうちに現われるのです。 (ローマ、八ノ一八、一九) しかし「大ぜいの群衆」は地球上至るところが治められ、全地が耕されて楽園となるのを見るとともに、いつまでも地上に生きつづけることを期待しています。それはアダムが成し遂げることのできなかったことです。(創世記一ノ二八。二ノ七ー一五) その時、利己的な人間のために地が荒らされたり、大気、土壌、水が汚染されたりすることはなくなります。
16 「全能の神の大なる日の戦闘」が行なわれ、サタンと悪霊が底知れぬ所に閉じこめられても、現存する事物の制度の終わる時に生き残る「大ぜいの群衆」の肉体が一変するわけではありません。滅びにつながれ、 「罪と死の法」を内に宿した人間のからだは、やはり元のままです。しかし完全人間となって地上の楽園で永遠に生きることを望む以上、彼らは死をもたらす法から解放されね[390]ばなりません。イエス・キリストおよびキリストとともに王また祭司となる十四万四千人の御国の千年統治の下で地上の有様は新しくされ、この自由を得させるのを助けます。 使徒パウロはこの問題を次のように表現しました。
17 「わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則[法、文語]に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則 [法、文語]の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである」 ローマ、七ノ二三ー二五。
18 サタン悪魔と悪霊が千年のあいだ底知れぬ所に閉じ込められる結果、天と地に義が行きわたるでしょう。 ハルマゲドンを生き残った「大ぜいの群衆」は、目に見えると見えないとを問わずサタンの組織が使うあの手この手の誘惑にまどわされたり、悩まされたりすることがなくなります。 悪霊にあやつられた、この事物の制度の火のような滅びを描いたあと、使徒ペテロは、「わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる」と書きました。 (ペテロ第二、三ノ一三) 天にあるもの、地にあるもので、生き残った「大ぜいの群衆」が自分の中にある罪法を殺して克服し、神の律法に仕える心と思いに肉体を従わせて義をたておこすうえに役だたないものはありません。主イエス・キリストの統治の下にあって、人々は義のわざをしてすべての時を満たすでしょう。
19しかし肉体の人間として生まれてきた時から人を支配している「死の法」は、どうなるのですか。昔の王また祭司メルキゼデクのさまに似た王なる祭司イエス・キリストの働きによって、この法は取り除かれます。(詩篇一一〇ノ一、四。 使徒行伝二ノ三四ー三六。ヘブル、五ノ四ー六、一〇) 神の大祭司イエス・キリストは、モーセの兄でユダヤ人の大祭司アロンが昔イスラエル国民のため年に一度行なったと同様なことをされます。年一度のあがないの日に大祭司アロンは、犠牲にしたやぎ 「罪祭のやぎ」の血を携えて聖なる幕屋の至聖所にはいり、この血をあかしの箱の黄金の贖罪所の方向に七度ふりそそぎました。このようにしてアロンは、祭司ではないイスラエル十二部族の罪のためにあがないをしました。身代わりのやぎ、すなわちアザゼルのやぎの頭の上に国民のもろもろの罪を告白し、人々の罪を負わせてのち、二度と戻らないように道のない荒野にそれを放すととが行なわれました。 神の大祭司イエス・キリストはこれと似た、しかしもっと実質的なことをされます。
20 十九世紀前、イエスは人間の犠牲となってご自分をささげ、死からよみがえらされて昇天し、至上の神の御前に現われてご自分の生命の血の価値を神にささげられました。(ヘブル、九ノ一一―二六。 レビ、一六ノ一-二二)ついでイエスは、罪人である人間を救うために、どんな順序で事を運ばれましたか。イスラエルのあがないの日にユダヤの大祭司は、まず自分と自分の家族およびレビ族のために罪祭の雄牛の血を至聖所の聖なる箱のところでささげました。そのようにイエス・キリストも、ご自分とともに天で王また祭司となる十四万四千人の追随者の会衆のためにまず、ご[392]自分の人間の生命の血の価値をささげられました。そのことに基づいてエホバ神は、これら十四万四千人の追随者の過去の罪を消し、また肉体にあってなお犯す彼らの罪も、彼らが告白して神の許しを乞う時、それを許して、彼らを義とし、すなわち義と宣言されます。(ローマ、五ノ一、九。八ノ一、二) ついで彼らを霊的なイスラエル人とし、キリストの仲間の祭司にするため、神は聖霊によって彼らを生み出し、霊的な子たち、キリストとともに天のものを相続する者たちにならせます。ーローマ、八ノ一四一七。
21昔のあがないの日に、ユダヤの大祭司は雄牛の血をエホバ神にささげてのち、罪祭のやぎを犠牲にささげ、至聖所においてその血を、レビ族以外のイスラエル十二部族すなわちレビ族を除くイスラエル国民全部のためにささげました。それと同様にイエス・キリストは、メルキゼデクのさまに似た王なる大祭司としての千年統治開始後、ご自分の人間の生命の血をさらに適用されます。そして今度は、十四万四千人の従属の祭司の会衆がその中からあがなわれた人類の世のためです。(黙示録一四ノ一ー四。五ノ九、一〇。一ノ五、六) これによって全人類の過去の罪は消されます。これは、人類のうちすでに死んだ者が罪の価を払って罪よりのがれたという事実に加えてのことなのです。(ローマ、六ノ七)したがって、キリストのあがないの犠牲のゆえに死者が地上によみがえる時、その人々の過去の罪は問われません。この見地から見ると、イエス・キリストをさして「世の罪を取り除く神の小羊」と言ったバプテスマのヨハネのことばの真実が理解されます。(ヨハネ、一ノ二九) このことから地上において最初に益を受けるのは黙示録七章九節の「大ぜいの群衆」です。
[393]22 「全能の神の大なる日の戦闘」に生き残る「大ぜいの群衆」は、完全な義と、人間としての完全さを得る道をそのとき歩みます。彼らは永遠の父イエス・キリストをとおして神の子となり、完全な人間になることを望みます。(イザヤ、九ノ五、六)この理由で彼らは、十四万四千人の天的な共同相続者が、 なお人間であるうちに義とされるのとは異なり、今も、あるいはその時も義とされる、すなわち義と認められることを必要としません。 「大ぜいの群衆」は人間が霊者になるような質的な変化を経験しないので、 十四万四千人の「選民」の場合とは異なり、信仰によって義とされる、すなわち義を帰せられることを必要としないのです。キリストの血に対する信仰によって人間の完全さを帰せられるのではなく、向上させ清める神のメシヤの国によって実際に完全な人間になることこれこそ「大ぜいの群衆」が必要とし、またキリストの千年の国によって達成することなのです。
23 キリストの国の下にあって、地上のすべての事柄は正義をもって、また正義を支持して取りはからわれ、規正され、遂行されるでしょう。サタンと悪霊は底知れぬ所に入れられているからです。このような事情が助けとなって「大ぜいの群衆」は、真実の、内面的な正義という点で成長することでしょう。 ハルマゲドンの戦いを生き残って新しい秩序に携え入れられた彼らの肢体の中に働く「罪の法」は、こうしてますます圧倒されます。アダムから受け継いだ肉の弱さのゆえに彼らが心ならずも犯罪は、彼らがそれを告白して悔い改め、キリストをとおして神の許しを求める時に許されます。 自分を義に忠実に従わせることによって、遂に彼らは自分の肉にある「罪の法」 を無効にしてもらい、エデンの園のアダムと同じく完全な被造物である完全な人間となります。
[394]24 正義の新秩序に生き残った人々がなお肢体のうちに持っている「死 の法」について言えば、新秩序の下におかれた地上のものは万事が人間の生きるためにあり、死をもたらすためのものは存在しません。食べもの、飲みもの、空気、仕事、環境、安全そして何よりも神の命のことばなど、人々のからだをいやして完全にするためにすべてのものが備えられます。何にも妨げられることなく平和が行きわたり、すべての人が兄弟愛を示すことでしょう。部族、国家、人種の間の戦争はありません。(詩篇七二ノ八。 イザヤ、ニノニー四)地上においてイエス・キリストは、ある人の罪が許されたと宣言されると、その証拠に、罪を許された人をいやすことをされました。(マタイ、九ノ一ー七。 ルカ、七ノ四七ー五〇) イエスは、人間となって地上にいられた時に行なわれたと同じく、千年統治の間にも天から奇跡的ないやしを行ない、盲人、聾唖(ろうあ)者、手足の不自由な人、不具者、精神薄弱者、医学的に不治の病気にかかった人をいやされます。* エデンにおけるアダムの罪がもたらした致命的な影響は、取り除かれねばなりません。 「罪と死との法」の廃止されることが必要です。それで「大ぜいの群衆」に属する人々は、永続する実際の義を自分の内にますます培うにつれ、肉体的ないやしを授けられて向上して行きます。
25 いやしを行なうキリストの千年統治の間に、従順で敬虔な「大ぜいの群衆」は向上をつづけ、遂
---------------------
---------------------
[395]には完全な人間にまでひき上げられます。そのとき彼らは自分自身の義に基づいて、聖なる神のみまえに立つことができるでしょう。 「罪と死との法」につながれていた人間にとって、それはなんすばらしい自由ではありませんか! アダムから出た全人類がもって生まれた人間の不完全さ、神より受けた罪の宣告からの、すばらしい解放です!(ローマ五ノ一六、一八。八ノ一、三四)そのとき、全地をめぐる地上の楽園にあって、いまひとたび人間は「神のかたち」と神のさまに創造された、完全な者として現われるでしょう。神のメシヤの国の祝福によって楽園は地に復興され、 はじめに神がもくろまれたとおり、全地は人間の治めるところとなります。
26しかし束縛をもたらす、現在の事物すべてからの解放を必要としているのは、「大なる患難」生き残る「大ぜいの群衆」だけではありません。今でさえ、シェオール(陰府)すなわちヘーデ(黄泉)の関門の内には、無数の人が閉じ込められています。紀元前十七世紀の人である忠実なヨブは、ひどい病気のため、死んで葬られる時の近いことを感じて次のように述べました。そのことばは、陰府に閉じ込められた無数の人のことを述べています。 「わたしがもし陰府をわたしの家として望み、暗やみに寝床をのべ、穴に向かって『あなたはわたしの父である』と言い、うじに向かって「あなたはわたしの母、わたしの姉妹である』と言うならば、わたしの望みはどこにあるか、だれがわたしの望みを見ることができようか。これは下って陰府の関門にいたり、われわれは共にちりに下るであろうか」。(ヨブ、一七ノ一三ー一六)だれがこの関門を破り、人々を解放できますか。
27全能の神はイエス・キリストによってそのことをされます。西暦三三年、神は死者の家の関門の中からイエスを解放されました。死者の中からの、この奇跡的な復活について、使徒ペテロはこのすばらしい解放の五十日後に次のように語りました。
28 「神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずはなかったからである。 ダビデはイエスについてこう言っている、「わたしは常に目の前に[エホバ〕を見た。 主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたし喜びで満たして下さるであろう』 ・彼は・・・・・・キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである」ー使徒行伝二ノ二四ー三二。 29イエスはご自分の復活に際してエホバ神から「死と黄泉とのかぎ」を授けられました。(黙示録一ノ一七、一八) ご自分とともに祭司となり王となる十四万四千人と治める千年の間、イエスは死のかぎのみならず黄泉のかぎを使用されます。イエスはそのことを約束されました。三十八年間[397]寝たきりの病人を、ベテスダの池のほとりで奇跡的に、しかも安息日にいやされたのち、イエスはこう言われました、 「父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう・・・・・・父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。このことを驚くには及ばない。 墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう」。(ヨハネ、五ノ一ー一三、二一ー二九) イエスが千年統治の間に死人をよみがえらせる力を持たれることは、死後四日もたっていた、愛する友ラザロをよみがえらせたのをはじめ、多くの人を死から復活させた事実に示されています。―ヨハネ、一一ノ一ー四五。
30その知らせはまたたく間に全地に伝えられ、「大なる患難」を生き残った「大ぜいの群衆」の耳に達することでしょう! 死者の中からだれかが最初によみがえったのです!「大ぜいの群衆」は言いしれない喜びに満たされます! そのとき天の王は黄泉(すなわち陰府)のかぎを手にとり、「黄泉(ヘーデース)の門」を開いて、黄泉また陰府に閉じこめられていた人々を連れ出します。(マタイ、一六ノ一八。 イザヤ、三八ノ一〇、一八、一九)「大なる患難」を生き残った「大ぜいの群衆」は、復活した者の中でも特に次のような人に会うことを切望するでしょう。すなわち殉教者アベルから殉教者バプテスマのヨハネに至るまでの、エホバ神の忠実な証人たち、およびこの二十世紀の人で、一九三一年一一九三五年以後、りっぱな羊飼いの「他の羊」であることをみずか[398]ら示しながらも、「大なる患難」がその最高潮に達して悪の事物の制度を終わらせるのを待たずに死んだ人々です。ーヘブル、一一ノ四から一二ノ一。
31これらの人の多くは「全地に君」とされ、見えない天にあるイエス・キリストの政府を地上で代表する者となるでしょう。(詩篇四五ノ一六) これら復活した忠実なエホバの証人は、君として治める地位にあるなしを問わず、正義と真の崇拝を大いに促進する力となるに違いありません。彼らは、復活した人のすべてにとって良い手本となります。それで彼らが早目に復活を受けることは、全く適切ではありませんか。
32聖書の預言を信じたゆえに、また復活後のイエス・キリストとの出会いを経験したゆえに、使徒パウロは将来に死者の復活があることを確信し、カイザリヤの法廷において、「正しい者も正しくない者も、やがてよみがえる」と述べました。(使徒行伝 二四ノ一五) キリストの千年統治の間によみがえる「正しくない者」の中には、西暦三三年ニサン十四日金曜日、昔のエルサレムの城壁の外にあったカルバリ(「されこうべ」)で死んだひとりの人がいます。杭につけられたイエス・キリストのかたわらで、やはり杭にかけられていたこの犯罪者はイエスに悪口を言うことを遂にやめ、考え直してイエスにこう語りかけました、「イエスよ、御国に入り給うとき、我をおぼえ給え」イエスは答えて言われました、「われ誠に今日なんちに告ぐ、なんぢは我とともにパラダイスにあるべし」(ルカ、二三ノ三二一四三、ロザハム訳。新世訳。古代シリア語訳、英国学士院会員ウイリアム・キュレトン、一八五八年。ラムサ、一九四〇年版) 死を前にしたイエスは、この犯罪者が[399]イエスとともに天国にはいるとは言わず、イエスとともにパラダイスにいるであろうと言われました。この犯罪者が復活するころには、地は楽園になっていることでしょう。
33 シェオールまたヘーデースの死者は、眠っているかのように無意識、無活動であり、したがって復活を待つ間に肉体あるいは精神の面で成長がみられたり、品性や人格に変化が生じたりすることはありません。(伝道の書一一ノ三。九ノ五、一〇。 イザヤ、三八ノ一八。 エゼキエル、一八ノ四、二〇) 復活した人は人格が元のままであり、したがって同じ人です。ゆえに正しい者も正しくない者も、死んだ時に持っていたのと同じ人格を持っていることでしょう。罪のための偉大なささげもの、主イエス・キリストの血を適用されることによって、死ぬ前に犯した以前の罪はもはや間われませんが、しかし「罪と死との法」はその時にも彼らから除かれていません。 「大なる恵難」を生き残って新しい秩序にはいった「大ぜいの群衆」と同じく、復活した人すべては、神の大祭司イエス・キリストに助けられて清められ、向上させられることが必要です。イエス・キリストは彼を思いやり、弱さと悪への傾向から彼らを救い出してくださるでしょう。(ヘブル、三ノ一七、一八。四ノ一四から五ノ三) イエス・キリストは不滅であられるゆえに、千年統治の全期間にわたって人々のために祭司の勤めをされ、それによって人は、もし進んで従うならば逆に人間としての完全さに到達します。
34天において大祭司イエス・キリストとともになる不滅の共同相続者十四万四千人の得る特権は大きいと言わなければなりません。彼らについて次のことが書かれています。 「この第一の復活に[400]あずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。(黙示録二〇ノ六) 自分自身も地上においては不完全な、罪を負う人間であったゆえに、彼らは地上の人々の努力、すなわち肢体にある 「罪と死との法」を捨て去り、人間の完全さ、罪のない潔白さに到達しようとする努力に思いやりを示すことができます。
35 キリストの臣民として心から従順な地上の人間は、キリストが治め、サタンが底知れぬ所に束縛される千年期の終わりまでにはひとり残らず遂に完全な人間となるまでにひきあげられます。罪人アダムから生まれ出たゆえに人類が受け継いだ罪と死は跡かたなくぬぐい去られ、「罪と死との法」は生きとし生ける地の住民から除かれてもはや存在しません。 使徒ヨハネの幻はそのとき成就します。 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉[陰府」もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。それから、死も黄 泉[陰府]も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である」。そうです、地上の人類を治める神のメシヤの国が行なう支配と祭司の勤めとによって、次のことばが成就します。 「もはや、死もなく、悲しみも、叫びる。痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。(黙示録二〇ノ一三、一四。二一ノ四)そのとき地上の栄光の楽園には、なんという自由が響き渡ることでしょう!
36そのとき全人類はエデンの園におかれた完全な人間アダムと同じく倫理的に自由な行為者で、[401]しかも一定の行ないに彼らを束縛する生まれながらの罪や弱さ、悪への傾向のない者です。無能力の状態から解放され、より深い理解と経験を得た人間は、変わることのない、自分たちの選択、動くことのない、自分たちの決定を、神に対して直接に表わし示すことができます。それは唯一の生ける真の神に、楽園の地で永遠に崇拝と奉仕をささげることです。そこでイエス・キリストをとおし、自由の子たちとして彼らを受け入れる前に、エホバ神は完全な人間となったこれらすべての人を決定的に試みつくすことをされます。イエス・キリストが、天の父なる神へ御国を渡されるのはそのためです。(コリント第一、一五ノ二四ー二八) キリストの千年統治が首尾よくその目的を達成したいま、サタン悪魔とその悪霊は、千年のあいだ閉ぢ込められていた底知れぬ所から解放されるでしょう。完全にされた人類の目には見えない、これら改俊不能の悪霊どもが、たとえ全部ではなくても、できるだけ大ぜいの人間を惑わすためにどんな手管を弄するか、それは黙示録二十章七節から十節に説明されていません。しかし彼らはやっきになって努めることでしょう。
37神のメシヤの国の誕生につづいて天に起きた戦争が悪魔と悪霊を地に追い落として以来、「もはや天には彼らのおる所がなくなった」のです。(黙示録一二ノ七、八) したがって試みられるのは天の聖なる御使いではなく、完全にされた、地上の人類だけです。知識のある完全なアダムがエデンにおいて罪に陥ったように、倫理的に自由な行為者である、完全な人間も、不特定の数の者は利己心のために惑わされるでしょう。 (ヤコブ、一ノ一三ー一五)聖書はそのことを示しています。これらの意識的な反逆者は直ちに処刑され、火のような、生き永遠の滅びに陥ります。彼らは偉大[402]さばき主エホバ神によって義とされるにふさわしいことを証明しなかったからです。それで「いのちの書」に永遠に名をしるしてはもらえません。「このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた」と、黙示録二十章十五節は警告していました。 彼らは永久に「第二の死」にあいます。彼らは、御子イエス・キリストとメシヤの国によって人類に救いを施されるホバ神の愛の目的を立証しそこないました。サタン悪魔とその悪霊に惑わされるのをいとわなかった彼らは、悪魔と悪霊のために備えられている永遠の刑罰を同じく受けます。ー黙示録 二〇ノ九。 38回復した人類をひとり残らず滅びに陥れようとする、悪意にみちたサタンの企ては阻止され、サタンとその悪霊は永久の死を象徴する「火の池」に投げ込まれるでしょう。神の偉大な創造の第七日が祝福され、きよめられるのをそこなおうとしたサタンは失敗しました。(創世記二ノ一ー三)大いなるへびサタンとその邪悪な一味は完全に敗れ、神の女の裔イエス・キリストとその天の兄弟たちの足の下にかしらを砕かれて倒れるでしょう。神は、へびとその裔を滅ぼすために、この女の裔を用いられます。ーヘブル、二ノ一四。 ローマ、一六ノ二〇。創世記三ノ一五。
39 これに続いてもたらされるものは、人を歓喜させます。はてしのない、見えない天と楽園の地の両方において、生けるものの全領域から悪の働き、悪い天使と人間、その行なう悪が永久になくなるのです。エホバ神は、完全にされた人類を決定的にためす最後の試みに耐えた人間を、彼ら自身の功績に基づいて義とし、正しい者と宣言されます。そしてイエス・キリストをとおし、彼らをご自分の子として受け入れ、 また子として認められます。(ローマ、八ノ三三)彼らは神の子たちの栄光の自由に導き入れられるでしょう。すべてが完全となった地は、神の子とされた人間の自由の楽園となります。
40神の創造の第七日目のいま、天に「神の子たちの出現」する、神の定めの時がすみやかに到来しますように! 六千年ほど前に地上の楽園が失われて以来、被造物の人間が長い間待ち望みつついだいてきた「切なる思い」が、今はまちかに満たされますように! ローマ、八ノ一八、一九。[終わり]
シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。
左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...
| English | 日本語(Japanese) |預言原題:prophecy[390][391][392][393][394][395][396][397][398][399][401][402]...
親密一致の伝道 原題:Preaching together in unity 日本語PREACHING TOGETHERIN UNITYJapaneseISSUED JANUARY 1, 1955, ...
すべての国の人の誠実な人々が求める真理のために1969年英文発行1969年日本文発行WATCHTOWER BIBLE AND TRACT SOCIETYOF NEW YORK, INC.Interna...
神の自由の子となってうける永遠の生命1966年英文発行1967年日本文発行出版者WATCHTOWER BIBLE AND TRACT SOCIETYOF NEW YORK, INC.Internati...
| The Harp of God(English) | 神の立琴(Japanese) |神の立琴原題:The Harp of God目次1 序文2 第一章2.1 神とは誰か2.2 神の啓示2.3 全...
| English | 日本語(Japanese) | 神の救ひ (神の救い)原題:Deliverance 目次1 序言2 第一章創造者と作られし万物2.1 創造者2.2 ロゴス2.3 ルシファー2....
神の国-全地の希望 原題:The Kingdom, the Hope of the World 目次1 新しき名称[30]新しき名称[]一九三一年七月廿四日より卅日までの一週間に渉って米国オハヨー州コ...
目ざめよ!、なぐさめ、黄金時代号名の表記[]日本語版公式『目ざめよ!』、『なぐさめ』および『黄金時代』から転載の場合の表記例:目1956 12/8、目1940 1、目1930 1英語版からの私的翻訳文...
公式訳[]灯台1930_7 「我はエホバなり」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_1 「ハルマゲドン」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_12 「凡てを神に捧げて」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_9 「飼い主に引かれて」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_12 「進めつわもの」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_12 「慎み守れ」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_12 「生ける限り聖名を頌えん」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_9 「エホバに感謝せよ」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_5 「主の統治」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_11 「十字架を負いて」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
公式訳[]灯台1930_8 「エホバ備えたまわん」特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...