預言

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預言
原題:prophecy


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‎過去数千年間にわたって全地上に悪の跳梁(ちょうりょう)跋扈(ばっこ)を見た。サタンは悪の権化であって,悪の実行に努力する者である。……神は早速サタンと悪しき者をただちに撃ち滅ぼさず,また悪の公行(こうこう)に何ら干渉せずしてその跳梁を放任しておかれた。しからばこの理由はそもそも何であろうか。

この問題に対して従来はかく答えられていた,「経験により人間をして罪の甚だしき結果を学ばしめ,‎またそれを見るにより天使に教訓を与うるためである」と。これは悪の放任に対しての答としては適当でない。『戒めによりて罪の甚だしきことは現るるなり』(ロマ書七章十三節)の声明は聖書中にただ一回のみしか現れていない。


……人間は己を死と苦悩に導く悪しき事を経験することによって教えられることは事実であるにして‎もしかし一方善き事をなさんとして専心努力したる人もまた苦しんで死んで行く事をも忘れてはならぬ。また死者の多数は是非の分別をわきまえざる幼児,小児であって,彼らは罪の結果を悟り知ることができなかったのである。また人類の多数はたとえ成人しても精神的には赤子の状態で死んだのであるが,これらも経験によっては何も学ばなかった。これらの幼児や精神的の幼児の多数は死より目覚めさせられる時に神を学び知る。しかしてその時に不従順であるならば彼らもやはり滅亡に帰せしめられる。このゆえに彼らの経験は彼らに対して何の利益ともならないのである。また天使にしても彼らの多数は罪の経験を有しているが,しかし天使がおのが経験や人間の行く道を注視する事によって利益を得ているという事を立証する聖句は絶無である。


神に全く服従することによって永久の生命を授けられる被造物が,悪事は死に導くという事実を悟り知るは確かであるにしても,これのみではいまだ,サタンが過去数千年間の長きにわたって悪を跳梁(ちょうりょう)するを神が放任しておかれし事に対する十分な理由とはならぬ。いまだ何かそこにはさらに重大なる理由がなければならぬはずである。 悪の放任に対するある一理由は……すなわち,エホバはそのご予定の時いたるにおよびて理智ある全被造物の前にご自身を至上の力,絶対の義,完全なる智,全‎き無私の愛の所有者なることを充分に発揮され,それによって道が開かれて,神を愛し,神に対する貞節を保ち,絶対の信頼をなす者が神より永遠の生命ともろもろの祝福を受ける事となるのである。


‎……ルシファーの反逆はたちまち「エホバとルシファーのいずれが神か」という問題を起こした。


‎……無論神には即座にアダムとルシファーを殺して,他に完全なる人間を創造し,また他の霊者を遣‎わして人間の監督者たらしめ,かくして地上の人間を新たに開始する事はきわめて容易であった。し‎かしてもし神がこれをなされたならばそれは単に神の最高至上の力と義をあらわし示さるるに過ぎない事となる。その場合天界の他の被造物はこれを見て,創造者たる神の知恵は不完全なりしによって人間の創造に失敗したのであるとなし,彼らの神に対する全き信頼が甚だしく動揺する事となる。すなわち神は人間に対して義(ただ)しき者にいまし,また人間を義となしたもう方であることを立証するの機会がないわけである。それと同時にエホバが絶対無私にいますことを表示し被造物をして『神は愛なり』という事実を知らしむるの機会もない事となる。


‎……もし神が罪の甚だしき結果を経験によって人間に学ばしめん為に悪を黙許しておかれたと言うな‎らば,それはエホバがこの世の悪の跳梁(ちょうりょう)跋扈(ばっこ)を承認された事となる。しかしてもしエホバが承認されたとなるとこの世における悪の行為に対する責任を神に帰さなければならぬ事となる。かくのごときは神において決してあるべきではない,何ゆえなれば神は悪を喜びたまわず,悪しき者は神と共に住む事はできないからである。(詩篇五篇四節)神は悪を嫌忌したもう,しかしてその嫌忌する悪を神が承認したもうごときは絶対にないのである。


‎……聖書の示す事実はこれである,すなわち,アダムは完全なる人であって彼は神のおきてを犯す事‎は彼自身の死を意味する事を告げられていた。しかるにルシファーは神の言葉に挑戦してこう言った,‎‎「汝(なんじ)は神のおきてを犯すとも必ず死する事なし」と。おのが創造者たる神に対するアダムの愛の不足は彼をしてサタンの勧告に追随せしめた,そしてそれを意識的になしたのである。そこでサタンは考えた,「もし神がアダムを殺したならばそれは神の知恵の不完全なることを証明するものであって,‎神には人間を造ってそれを己(おのれ)に服従さしておく能力がないという事を立証するもの。またもし神がアダムを殺さなかったならばそれはすなわち神が虚言者である事を示している」と。かくして神の言葉は係争の中心となった。神のみ言葉とそのみ名とそれの擁護は被造物が経験によって教訓を得るごとき事のすべてにもまして重要なるものである。


この場合エホバが執られた行動について聖書の示すところに見るとすなわちこうである。サタンは反逆して悪を行使し始め,神のみ言葉とみ名に挑戦してきた。神は言われた,「サタンは我が言葉と名に挑戦してきた。彼をして思う限りの悪をなさしめよ。我が子のロゴスは我を愛し,喜んで我が旨(むね)を行わんとす。我はロゴスによって人間に対する贖いの道を備うべし。ゆえにロゴスは一個の人間となりて犠牲的死を遂げる事によって人間に対する贖価を備えん」と。これは必ず成就すべきであった。すなわち神がその行動を開始されたのはその愛の発露によるものであって,神の智は神の目的を成就するために贖価の供え物を備えたのである。エホバはイエスを死より復活せしむるおのが能力をご存知であった,そしてそのごとくに実行されたのである。 全人類はアダムの罪のゆえに死を遺伝した,(ロマ書五章十二節)。神はその愛に基づいて愛する独り子を死にわたし,彼を信ずる者に永久の生命を得せしめらる,(ヨハネ伝三章十六節)。神のご予定の時至るにおよびて,エホバの執られしこの方法は全人類に知らされ,彼らは皆キリストによって神に服従し,恵みを受けて命を受くるの機会を有する事となるのである,(ロマ書五章十八節。六章二十三節)。


イエスの来たる数千年以前において神はそのみ言葉をもってイエスの来たるを示し,そしてその通りに実行された。神はその言葉を守りてこれをあらわし示された。これぞすなわちエホバが,イエスをこの地上に遣わし,イエスはいかなる境遇と場合にあっても常にその貞節をエホバのみ前に保たれる事を最初より知悉(ちしつ)していられた事を明白に立証している。これによってエホバはそのみ言葉の絶対確実にして義(ただ)しきものなる事を立証し,サタンが起こした係争問題に対する勝利がエホバに全く帰した事を決定された。


サタンはイエスを試みて,あたかもアダムの上になしたごとくイエスをも落第せしむる事に極力努むる事をエホバから許された。アダムはいかなる点より見るも完全なる人であった,そのごとくイエスもいかなる点より見るも完全なる人であった。この両者は全く相(あい)等(ひと)しき完全なる人間であった。……‎アダムは神に対する貞節を保つ事に落第した,そしてこれには許さるべき口実が絶無である。しかしイエスはかたくその貞節を保ち守られた,しかして神はイエスをもって人類の救い主となし,宇宙においてご自身に次ぐの最高位に彼を引き挙げられたのである。


これによってエホバはそのみ言葉の確実なるを立証し,そのみ力の最高至上なると,エホバは義なる神にいましてその救いのお目的を信ずる者を義としたもう神なる事と,その智の完全なる事と,最上の愛を実行されし事とを立証されたのである。神エホバを信ずるものは,そのみ言葉の確実なるを立証されし事と,神の言葉に関してサタンの起こした係争問題は神の大勝とそのとこしえの栄光に帰した事とを知るのである。


‎……神のみ言葉とみ名の擁護が何ゆえに悪の放任されあるかを解決する最も重要なる理由である事と,‎人々がこの悪の状態から救い出(いだ)さるる事について神の預言者は言う,『この故に汝イスラエルの家に言うべし,主エホバかく言いたもう,イスラエルの家よ,我汝のためにこれをなすにあらず,汝らがその至れる国々にて汚(けが)せし我が聖(きよ)き名の為になすなり。我国々の民の中に汚(けが)されたる我が大いなる名すなわち汝らが彼らの中にありて汚(けが)したる所のものを聖(きよ)くせん。国々の民は我が汝らによりて我の聖(きよ)き事をその目の前にあらわさん時我がエホバなるを知らん』(エゼキエル書三十六章二十二,二十三節)。


イスラエル人(びと)をして神に不忠信ならしめたのはサタンである,そして地上全人類の中に悪をみなぎらしたのもやはりこの悪逆者なるサタンである,イスラエルは神の選民として神に愛されていた。もし神がイスラエル人(びと)の為のみに彼らを救い出(いだ)さるるにあらずしてその理由がみ名の擁護にありとするならば,この理由はさらに拡大されて,この世に悪が放任されあるは単に人類をして罪の甚だしきを経験せしむるのみにあらずして,神がその聖(きよ)きみ名を全被造物の上に確立さるるが為なるを示していることを明示する。



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