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『われ、黄金を携え来りて赤銅にかえ、白銅を携え来りて鉄にかえ、赤銅を木にかえ、鉄を石にかえ、汝の施政者をおだやかにし、何時を役するものを義うせん』(イザヤ六十章十七節)。
エホバの組織制度は神権政治制度にして所謂民主政治的では絶対にない。この事を標準にして此の研究を進める。
神エホバは最高主権者に在す。『上にありて権を有てる者』とは即ちエホバとその大執行者キリスト・イエスである。万物は之に服従す。(ロマ十三の一)イエスは『大能の神』(イザヤ九の六)と呼ばる。之は即ち「エホバの大能の大執行官」を意味す。イエスは全能の神エホバ(創世十七の一)の代表者、代弁者である。イエス・キリストは「教会の首」である。(コロサイ一の十八)。エホバはキリストの首である。(コリント前十一の三)。此の故に「シオン」即ち神の組織制度は絶対の神経制度である。エホバの組織制度は王国である。人民はその政治に関与しない。エホバはキリスト・イエスを主とし王とし給うた。キリストはその政治の運用に対して如何なる人間の意見も求め給わない。之は昔イスラエル民族の政治運用によって予示されている。キリストの下にはその「体の成員」が祭司として、レビ人として、僕として奉仕する。此の故にキリストの下の組織制度の中には個人的に権力地位の差違は絶無である。皆「キリスト・イエスに在りて一」なるものである。神とキリスト・イエスは大教師に在す。今、宮に在すキリスト・イエスは見ゆると見えざるの神軍全部を直接指揮し給う。個人的権利は認められず、神の組織制度の全員は首なるキリスト・イエスに全く隷属す。斯くして全員は一致して活動するのである。
宮級の者は今完全なる一致の状態にまで成熟した。(エペソ四の十三-十六)。イザヤ六十章十七節には、主イエスの臨宮以前と以後に於ける神の民の幸福状態を金銀銅鉄石木に例えて比較対照している。即ち神の組織制度は今更により善き状態に入れられた。
イザヤ書六十章十七節の縮図的成就はイスラエルの遺残者が異邦人の王なるメデア人のダリヨスとペルシャ人のクロスの手によってバビロンより解放されて故郷のエルサレム(シオン)に帰還し、其処に神の宮と城壁の再建に着手したる時に実現した。(エズラ六の一-十五)。後クロス王の後継者なる王も反対する異邦人に命じてエルサレムの宮と城壁再建を援助せしめた。イザヤ書六十章十六節は即ち此の事を預言す。
イザヤ書六十章十七節の今一つの縮図的成就は使徒在世時代に於ける教会の建設によって実現した。その後神の民の上には再び拘禁と苦難が臨み、それが一九一七-一九一八年の大迫害によって頂上に達した。然る後に主の臨宮あり、試練と審判が行われ、レビの実態なる忠信者級出現した。(マラキ三の三)。
教会の間で「長老」を選挙する事は絶対に間違っている。斯かる権能は教会に与えられていない。使徒時代から主イエスの再臨までの期間聖霊が代って教会を指導した。然し今イエス・キリストは神の宮に在って、直接教会を指揮し給う。主イエスはパウロを通じてテモテやテトスに向って「末の日」に関する教示を与え給うた。今等はその「末の日」にある。そして「忠義にして智き僕」は主イエスの直接指揮下にあって、昔テモテやテトスの保ったたちばと同じ道を歩む。斯くして「僕」全体の上に完全なる一致がある。
今はエホバがその聖名を証明し給う時である。キリスト・イエスは大指導者、大命令者である(イザヤ五十五の四)。神の組織制度の全員は歓喜の絶対一致を保って勇敢に前身するのみ。彼等には個人的権利を認められず。神はその民の進軍のために充分の慰安と確信と勇気を与えたもう。
規則 イエスは在世当時「僕」の選択に就ては何等の規則を示さず、唯自身と教会との間の関係を示し給うた。イエスは「礎石」であり、「建築士」である。『我が教会を此の磐(キリスト御自身)の上に建てん』(マタイ十六の十八)。イエスはその使徒たちに、或る種の権を委任し給うた(ヨハネ廿の廿一、廿二)。イエスは兄弟たちの扮装解決方法を示し給うた(マタイ十八の十二-十八)。然し「僕」の選択に就ては何も示し給わなかった。サウロ(後のパウロ)が主より光を受けて宗教を振落した時に主イエスより特殊の使命を受けた(使徒九の十五)。
此の特殊使命はパウロに与えられた(使徒廿二の十四、十五、廿三の十一)。
パウロは之に就て斯く証言し声明す(コリント前十一の廿三、ガラテヤ一の十二)。イエスはその使徒たち斯う約束された(ヨハネ十四の十六、十七、廿六)。故にパウロが教会の出来事に就てその仕事を始めたる時に彼は神の言を通じて聖霊に導かれ、主イエスより特別の指揮を受けたのである。
イエスの復活によって「シオン」の縮図的建設があった(ロマ一の四)。使徒たちはそう解したと聖書は記録している(使徒四の廿三-廿七、詩二の一-六)。パウロはシオン建設の完成的成就に就ての黙示を受けたと云う事に就ては聖書に記録されていないが、然しその当時未だ発表することを許されない異象を示された事は確かである。(コリント後十二の四)。故パウロがなしたる仕事は「シオン」に関する預言に一致してなされた。何故なればシオンと教会とは不離なるものであるからである。之を正確に言うと「教会」とはキリスト・イエスが宮に臨まれるまでの期間内に於けるイエスの忠実なる追随者に特に適用さるべきものであり、臨宮と共にシオンが築かれ、爾後髪の組織制度は「シオン」の名称で呼ばれる事となるのである。シオンが築かれたる後その全成員が神の聖意を行うべく一致の行進をなすは当然である。
「教会」の自治制が与えられてその長老執事等の「役員」を自選せよと示した聖句は絶無である。パウロはテモテとテトスの両人に各地の集会に秩序を立てることを命じた。両人はキリストの教会制度に関する秩序整備の特殊使命をイエスと使徒より受けたのである。
使徒たちの死と主イエスの臨宮までの間に長い期間が経過した。パウロは再臨以後に於ける教会の「僕」の選択に就ては何等言及するところなく、その全部を主の観手に委ねた。パウロは此の期間内に神の民の間に宗教家が出現して跋扈することの黙示を受けていた。教会内の秩序は主より「賜わる」ものである(エペソ四の十一-十三)。故に教会の自治は絶対に許されない。
此の世の民主主義政体は神の聖意に逆行す。羅馬法王教権の法王選挙やその他の宗教制度一切の方法も神の聖意に逆行するのであって、之等は皆、悪魔所産の手段である。祭司たちによってエルサレムが蹂躙されたのも即ち之と同様手段である。エホバの支配は昔のイスラエル民族に対しても「聖名のための民」に対しても絶対に神権的である。
羅馬法王教権の教権者たちの鉄蹄蹂躙下にあった人々は之の重圧下から離れて反動的に民主政治や民主的宗教制度に走った。「エリヤ」期間に於ける神の民も未だバビロンの臭味を脱しきれず、長老や執事を投票によって選挙したが之はまったく聖書と逆行していた(使徒十四の二十三)。此の聖句に見るもパウロとバルナバの『二人の者』が『教会毎に長老を選び』と示し、会員の投票選挙によってはいない事が明らかである。此の『選び』の字はギリシャ語のCheiro toneoである。
此の期間同じ方法によってパウロはエペソの長老に命じた。(使徒廿の卅二)以上のギリシャ語は「手を伸べる」を意味す。之は別に挙手投票を意味するに非ずして、その者の上に手を伸べてその者がある目的のために選び取った事を意味す(コリント後八の十八、十九)。
教会の自選投票は「上にある権」を否認する行為である(ロマ十三の一)。使徒パウロは此の権を代表した。故にある人々を選んで特別使命につかしめた(使徒六の六)即ち教会は「上にある権」を承認したのである。更に又斯く記さる。(使徒八の十七、十八、十九の五、六。テモテ前四の十四)。
パウロはテモテに教えて云う(テモテ前五の廿二)。又云う(テモテ後一の六)。
此の「手を置く」事による任命は毎年又数年毎に「改選」されるのではなくして、之はその者がその任務に忠実なる限り永久にその任にあるのである(ヘブル六の一、二)。
イスラエル人の間に於ける「手を置く」方法は別に賛否を決する投票行為でなかった(レビ四の十四、十五)。神はレビ人を自ら選び取り給うた(民数三の四十、四十五)。レビ人はエホバの代表者とし牛の頭に手を置いた(民数八の九-十二)。
モーセに次でヨシュアが立てられた時神ご自身が之を選び取り給うた。(民数廿七の十八-廿三)。
イスカリオテのユダの代りの者が選ばれる時にも、使徒たちは投票によらず、二人の候補者の上に籤を引いて決定した(使徒一の廿二)。此の時ペテロは詩篇を引照した(使徒一の廿)。然る後に籤によって選択されてマッテアが当った(使徒一の廿四-廿六)。
以上の諸聖句は何れも皆「手を伸ばしておく」事は神の権威を代表して行われることを示している(使徒十五の卅七-四十をも参照せよ、廿の十七-卅二)。集会は候補を挙げる事は出来るが、最後の選択はパウロによって行われた(コリント前十六の二、コリント後八の十九、廿二)。
使徒行伝廿章二十八節の「監督」の字は Episkopous で宗教では「大司教」とか「監督」とかに使用している。之も神権を代表する使徒によって選任されている。
権威 パウロは各地の集会に役員を任命するの権威を主より授けられた。而して彼は此の同じ権威を同一の目的のためにテモテとテトスに委ねた(テモテ前一の三、五の廿二)。之に就てパウロはテトスに斯う告げた(テトス一の五)。
羅馬法王教権の宗教家は此の権威を悪用して、信徒の中から己等に都合よき仲間を役員に任命して不当の暴威を揮う。
「手を伸べて置く」権威は別にその者を特別高級のクリスチャンとした訳でなく唯その仕事に於て其の部署を受け持っているに過ぎない。クリスチャンには高下なし。彼等は皆一様に兄弟であり、同等同格である(マタイ廿三の八、ガラテヤ三の二十八)。故に長老及び執事として任命されたる者はその者が神と主キリストの聖前に忠実である限り終身的のものである。然し此の事は奉仕部隊の奉仕その他事務を一時的に受け持つ者には適用されない。
使徒時代に於て各地の集会は中央部の監督を受けていた。其の中央部とはキリスト・イエスが忠信なる使徒たちの中に建て給いし処のそれである(使徒十五の二-卅)。そして集会の長老、執事達の役員の任命は中央部即ち使徒たち又は使徒たちよりの権威を委任されたる者の承認を得て始めて行われた。之は即ち主の定め給う所である(コリント前書七の十七)。
斯く「上に在る権威」(ロマ十三の一)は各人によって承認さるべきであった。今最高権威者エホバはイエス・キリストを代表として神の宮に在す。此の故に地上にある何人と雖も、使徒時代の如く、「上にある権威」の直接個人的に代表する者はないのである。
教職階級と平信徒の両者の区別は「キリスト国」の中に公行され、又神の民の間にも「エリヤの期間」に行われていた。然し今主イエス・キリストは宮に来りて忠信者を御許に集め給うた此の時、全員は同格とされ、キリストに在りて一となったのである。テトス及びテモテに与えられたる両書簡は「末の日」に地上に立つ「エホバの証者」を特に教うるものである。主イエスは使徒パウロを通じてテモテとテトスに或る種の任務を委託された。その時パウロは主より受けたる所に基いて主の聖意と規律を知らしむる立場にあった。故にパウロは此の場合、今エホバの代表者として神の宮に立ち給うイエス・キリストを代表する立場にあったのである。今、宮に在すイエス・キリストはエホバの偉大なる特別代表者である。イエスは地上に在った時にも任命権を有し給うた。而して今はさらに大なる任命権を有し給う(ヨハネ十五の十六。マタイ廿八の十八)。
見ゆる組織制度 エホバを愛してエホバに奉仕する者の全部は神の聖言の真理に教えられて、エホバがイエスを首位とするシオンの組織制度を有し給う事、そしてその見ゆる部分が地上にある事、此の見ゆる組織制度は主イエス・キリストの直接指揮下に活動しつつある事を知っている。然らざれば主の御仕事を秩序正しく行う事が出来ない。然らば昔テモテとテトスによって占められたる立場を今日地上に在りて執行しえる者、即ち此の或る種の神権を執行し得る者は抑々誰か。之は聖書に基いて答えらるべきである。イエスは臨宮の時にその「所有物即ち神の国の地的利害の全部を『忠義にして智き僕』に一任すると声明された。此の「僕」は地上に在る受膏者によって形成され、主イエスの直接指揮下に完全なる一致を保って活動する者である(マタイ廿四の四十五-四十七)。
パウロはキリスト・イエスの代表者としてテモテとテトスに教会内の「僕」を任命する権を委託した。之に見るも今、宮に在してその組織性どの全部を監督し給う主イエスは地上の代表者に対して主の組織制度の中の仕事に関する或る種の権威を委託し給うことが確実である。此の権威の中には「僕」選択の権威も含まれている。今、神の宮に在る地上の遺残者は便宜上「本会」の名称で呼ばる。 Watch-Tower Bible & Tract Society は法律に基いて組織されたる「法人」団体である。「本会」[1]とは完全に一致して「主イエス・キリストの証言」を委ねられて、神エホバの聖名の証言のために仕事を進めるべく秩序正しく組織されたる神の民を意味す。之等の者こそシオンの組織制度から生れたる神の子葉である。(黙示十二の十七、イザヤ五十四の十三)。テモテとテトスに宛てたるパウロの書簡は「末の日」に適用さるべきものであり、今、「本会」[1]の上に適用さるべきものである。而してテトスとテモテに対して特に痛くされたる任務は、即ち今神の宮に在す主イエス・キリストの直接指揮下に活動する「本会」[1]によって執行されるのである。
テモテは神の聖意に就て教うる事を委任された(テモテ前一の三、四、十八、二の十二、三の十一、テモテ後二の十四)。テモテは「上にある権」を認めて之に忠実なれと命ぜられた(テモテ前二の一-三)。「上に在る権」は今活動を開始し給う。今は戦いの時である(テモテ後二の三)テモテはその受けたる任命権に関連して教会または部隊の「僕」たる者の資格に就ても示された(テモテ前三の一-十三)。
「長老」又は「祭司」の職に就ては何事も示されていない。 Episkopos 即ち「監督」たる者は先づ一個の長老でなければならぬ。(使徒廿の十七、二十八)即ちその者はキリストの中に成熟せる者たるを要す。監督はその集会又は部隊の利害を護るのであって、一の「教区」の長たるものを意味しているのではない。テモテは神の組織制度即ち「家」の中に於ける正当な行為に就て教えられた(テモテ前三の十四、十五)。その如く「本会」も聖書に基いて之を教えらる。
テモテは兄弟たちの注意を喚起するよう繰り返して命ぜられた。その若かった事を問題とする事を許されなかった(テモテ前四の十二)。その如く「本会」も主の臨宮後に生れたる「若い」組織制度であるが、何人も之を軽ずる事を許されぬ。
一九一八年主イエスは臨宮と共に、個人を選ばずして、忠信者たちの一団を一つの組織制度に組織し、之を「忠義にして智き僕」となして、之に地上に於ける神の国の全利害を一任し給うた。此の「忠義にして智き僕」は主の首都制度の一部としたシオンの中に建てられたのである(詩百卅二の十二、十三、七十八の六十八-七十)・此の故に使徒は人間の推薦状を必要としなかったのである(コリント後三の一-三、一の一)。その如く神の組織制度なる「本会」[1]即ちワッチタワー社は如何なる人間からの推薦状を必要とせず、之はその仕事の結果と神の預言に見て主イエスご自身よりの「推薦状」それ自身であるのである。
テモテは「預言の賜」を有していた(テモテ前四の十四)。此の故はパウロがテモテの上に手を置いた如く、「本会」[1]も又「大長老」なる主イエス・キリストにより手を置かれて預言することを許さる(テモテ後一の六)。「本会」[1]は神がその聖意のままにキリストの「体」の成員を置き給うた事に絶対信頼して閣員の部署を忠実に守って活動す(コリント前十二の十八)。神の組織制度はイエス・キリストを通じて神により指導さる。
キリスト・イエスはエホバの代表者として神の宮に在し、聖なる天使の軍に奉仕され給う。御許には既に復活せる忠信なる弟子たちあり、地上の遺残者あり、之等は皆今宮に集めらる。之の最上にエホバ任じ給う。主イエスが地上にある神の組織制度を指導し給うに万全の方法を有し給うは当然である。此の故に「本会」[1]は此の組織制度内における「長老」即ち、キリストの中に成熟せる者を認めて彼等に『善く治むる事』を委任し得るのである(テモテ前十一の十七、十八)。此の故に「本会」[1]は種々の部隊に於ける「僕」を任命するに用いらる正当なる器である。而して此の責務は個人や集会に与えられず、又民主的に運用されるものでない。此の責務は主に祈り、その聖意に一致して遂行されるのである(箴言三の五、六)「本会」[1]は王なる大支配者がキリスト・イエスによって此の責務を執行す。
神の遣わし給うキリスト・イエスは、「本会」[1]を以て「忠義にして智き僕」となし、「見ゆる代表者」として、之の上に「手を置き」給う(テモテ後一の六)。「本会」は「福音の為の苦難」に与るものであり、主のために投獄される事を厭わず、神とキリスト・イエスの上に臨む敵よりの誹謗に喜んで参加す(テモテ後一の八、ロマ十五の三)。「本会」[1]は主の「僕」として今地上にある主の忠信なる証者に証言の仕事を委託す(テモテ後二の二)。彼等は神の聖言を正しく行うために正しく学ばねばならぬ(テモテ後二の十六、廿三)。「本会」の使命はテモテのそれの如く此の使命を忠実に遂行す(テモテ後四の二-五)。
「本会」はテトスに命ぜられたる任務と同じく「僕」を任命す(テトス一の五)。「僕」の資格に就ては斯く指定さる(テトス一の六-九)。その権威はエホバの神命によって正しく行使さる(テトス二の十五)。
献身者は皆エホバの立て給う「上にある権」に服従すべし(ロマ十三の一-四)。此の故に「本会」はエホバに正しく奉仕するに必要なる神命を伝達すべし(テトス三の一)。「本会」はテトスに与えられし此の神命を忠実に守るべし(テトス三の九、十)。神は異端者を自ら処分し給う。
以上の理由によって各部隊の「僕」は「本会」によって正当に任命されたる者なり。使徒時代に於て「監督」は忠実なる奉仕のために終身的に就任した。此の故に各地部隊は少数者の「我利私欲」のために神の任命し給える「僕」を勝手に廃する事能わず。
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