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『これは永遠の生命を意味する』
『唯一の真の神であるあなたと、あなたのお遣わしたもうたイエス・キリストの知識を得ること、これは永遠の生命を意味する。』
ーーーヨハネ伝、十七章三節
『これは永遠の生命を意味する』
1,950年英文発行
1,958年日本文発行
WATCHITOWER BIBLE AND TRACT SOCIETY
OF NEW YORK, INC.
International Bible Students Association
Brooklyn, N.Y., U.S.A.
『THIS MEANS EVERLASTING LIFE』
Japanese
Made in the United States of America
アメリカ合衆国にて製本
……………
11 罪を犯した人類の世には、火と硫黄の燃える苦しみの地獄における永遠の生命が、入らず、死が入ってきました。『ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。』(ロマ、五ノ十二、新口)このわけで、罪は全人類に共通なのです。生命の敵であるサタンは、このことについての一番重い責任者です。罪とは、単に自分自身を害するとか、他の人を害する、ということではありません。罪とは、大創造主なる律法授与者(じゅよしゃ)の律法を破ることです。罪は、神が御自分の被造物に対して定められる完全の目標に欠ける、つまりその目的の達成に失敗することです。罪の払う価(:あたい)は、罪人の死です。死の力を持つサタン悪魔は、ある宗教家たちに影響を及ぼして、死は祝福であると考えこませています。じっさいのところ、全き絶滅こそ、不完全な状態下における生活の苦しみ、重荷そして痛みをなくす故に、人間の経験の最高潮であり、幸福の理想的な状態であると、ある人々に信じこませてしまっている程です。これらの宗教家たちは、魂が無意識の普遍的(ふへんてき)な状態に合一(ごういつ)して
_______
⓫なぜ、罪は全部の人に共通ですか。罪とは何ですか。それは、何を払いますか。
[46]
いることを『涅槃(ねはん)』と呼びます。しかし、存在をすっかり絶滅する滅亡は、呪(のろい)であって祝福ではありません。ヱホバは、無意識で無活動な神ではありません。ヱホバは、『生ける神』です。そして、神は現在のこの悪しき世の好まらしからしからぬ状態から逃れたいと欲している人間に贈物をあたえます。その賜物は、正義の新しい世における完全な永遠の生命です。
12 神の『女』の裔(すゑ)によって蛇(へび)の頭が砕かれることは、生命の大敵の支配から人類が救われることを意味します。それは、彼らにとって新しい世における永遠の生命という機会を意味します。それは、約束の裔を通して与えられる神からの永続の祝福を意味します。エデンで述べられた裔についての神の約束はそれから二千年以上も後にこの地上にいた友、ヘブル人のアブラハムと結ばれた約束に連結しています。人間に祝福をもたらすその裔は、この信仰の人の子孫から来る、とヱホバは示して次のように言われました、『我なんじを大いなる国民(たみ)となし、なんじを祝(めぐ)み汝の名を大ならしめん。なんじは祉福(さいわい)の基(もと)となるべし。我は汝を祝する者を祝し、なんじを呪う者を呪わん。天下のもろもろの宗族(やから)なんじによりて福祉(さいわい)を得んと。』(創世、十二ノ二、三)この約束の両方とも、取消(:とりけ)すことのないヱホバの言葉であって、あらゆる悪とその悪しき結果を亡し、そして地上の全家族を祝福する、というヱホバの目的を告げていました。
________
⓬エデンで述べられた神の約束は、後になされたどんな約束と連結していますか。
2 人間家族の最初の両親は死を避けることができたが、しかしその子孫である私たちはみな死を避けることはできない、と論ずる宗教指導者たちは、ヘブル書九章廿七、廿八節を引用します。『一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現われて、救を与えられるのである。』(新口)この聖句から次のように考えるのは、聖書的ではありません。すなわち、エデンにいた完全なアダムとエバは、罪を犯す前から死に定められていて、その地上生活はごくしばらくの期間
_______
②アダムにとって、死を避けることができませんでしたか。彼は何について試練されましたか。
[90]
であり、また試験の期間中にエデンで忠実なことを証明した後には、彼らは死んで復活をうけるにふさわしい者と裁かれ、そして天に上(のぼ)って御使のようになるであろう、という考えです。エデンにいた最初の男と女は、天に行くべき者であるか、又は火の燃える苦しみの場所に行くべき者であるかを試(ため)されたのではなく、地上で永遠の生命を受けるにふさわしい者であるか、又は二人がつくられた地の塵になって永遠の死をうけるべきかを験(ため)されたのです。忠実を守るにしても、両人は、天に行くように運命づけられていなかったのです。それから四千年後のイエスの時代までに、天に上(のぼ)った人はひとりもいません。天から降(くだ)った神の子は、次のように語られていたからです、『天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。』ーヨハネ、三ノ十三、新口。
[91]
4 私たちの最初の両親には、地上における永遠の生命を持ち得る機会が置かれました。しかし、体と魂を天に取り上げるという約束(やくそく)は決して与えられなかったのです。禁ぜられていた実を食べないなら、両人は宇宙主権者ヱホバ神の支配の下に、地的な者の完全さを保ちつつ人間の魂として生きつづける、と約束されたに過ぎません。神は全く明白な言葉で次のように語りました。『善悪を知るの木は、なんじその果(み)を食(くら)うべからず。なんじこれを食(くら)う日には、必らず死(しぬ)べければなり。』(創世、二ノ十六、十七)こういうことになります、神より禁ぜられている期間中に、アダムがその実を食べないなら、彼は自分がその生ける部分になっている地から決して死なないでしょう。アダムにとって、その試験は生命か死、或は存在か無、という結果になるものです。
5 アダムとエバの子孫たちは、エデンの楽園(パラダイス)の外で生まれました。……………
______
④忠実に対する報として、アダムの前に置かれた機会とは何でしたか。
[92]
生まれる両人の子供たちは、みな罪人として生まれるため、死に定められました。『罪の払う価(あたい)は死なり』(ロマ、六ノ廿三)彼らは、エデンの試験を直接受けて神の御前に責任を取ったわけではありません。それで、神の恵み深い取極(とりきめ)によって、彼らには将来の裁きがなされるでしょう。神はエデンにいた悪魔にむかって、神の『女』の裔は蛇の頭を打ち砕く、と告げられました。このことは、神がその取極(とりきめ)を立てられたことを証(あかし)するものです。その悪しき者の頭を打砕くことによって、アダムの子孫は死の墓から復活を受け、そして自分自身で責任を取る裁きの日の機会と恩恵が与えられるようになるでしょう。ーエゼキエル、十八ノ廿ー廿三。
6 ……アダムの不従順な行の故に、死ぬのは、『一度だけです。アダムの子孫として生まれる彼らは、否応(いやおう)なしに死を待たねばなりません………彼らが、裁きの期間に入って後は、死は必至(ひっし)のものでなく、また彼らは死は定められてはいません。永遠の救は、彼らに可能です。そして多くの人はこの賜物を得るでしょう。なぜなら、神の御準備によって生命と朽ちない事が明らかにされたからです。
7 アダムの子孫が、神の御前において持つ違反者としての立場はアダムの有していた………
[93]
…。彼等の各人はエデンの試験を受けなかったからです。しかし、そうではあっても、また、罪とは何であるかを指し示すモーセの律法を持たなかったにせよ、彼らは罪人でした。それでその律法に違反した、という罪に課せられます。生まれながらに罪人であるために、彼らはみな死の支配を受けました。
1. キリスト前六〇七年、ヱルサレムが初めて滅ぼされた時よりも四十年前に、神は予言者ヱレミヤを起しました。神はヱレミヤに霊感して、古いモーセの契約下にいた生来(せいらい)のユダヤ人たちに次の言葉を述べさせました、『ヱホバ言いたもう、視(み)よ、我がイスラエルの家とユダの家とに新しき契約を立(たつ)る日きたらん、この契約は我が彼らの先祖の手をとりてエジプトの地よりこれを導き出せし日に立(たて)しところの如(ごと)きにあらず、我かれらを娶(めと)りたれども、彼らはその我(わが)契約を破れり、とヱホバ言いたもう。されど、かの日の後に我がイスラエルの家に立(たて)んところの契約はこれなり、すなわち我わが律法を彼らの中におきて心の上に録させ、我は彼らの神となり、彼らは我民となるべしとヱホバ言いたもう。人おのおのその隣とその兄弟に教えてなんじヱホバを知れ、とまた言わじ、そは少より多いにいたるまでことごとく我を知るべければなり、とヱホバ言いたもう。我彼らの不義を赦し、その罪をまた思わざるべし。』ーーヱレミヤ、卅一の卅一ー卅四。
2 西暦七十年、ヱルサレムが二度目に亡ぼされた時よりも卅七年前の過ぎ越しの夜に、イエス・キリストは十一人の忠実な使徒たちと共に記念の夕食を始めました。イエスは葡萄酒の杯を渡した時に、こう言いました、『あなた方は
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