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「人よ彼さきに善き事の何なるを汝に告げたり。エホバに汝に要(もと)め給ふことはただ正義(ただしき)を行ないひあはれみを愛し謙遜(へりくだ)りて汝の神と共に歩むことならずや」--ミカ、6:8。
サーカスの行列で、象とありが並んで行進しているところを想像できますか。あるいはカンガルーとノミが、オーストラリアの奥地を一緒に飛びながら横断しているところを想像できますか。愚問ですか。もちろんです!しかし、取るに足りない、弱い、極微小で、不完全なわれわれ人間が、全能者であられる最高の神であられ、かつまた全宇宙の主権者であられるエホバとともに歩むことができまた歩まねばならぬ、という考えは、もしそれがエホバご自身から出た考えではなかったなら、それよりもはるかにばかげているでしょう。
2 そういえば神の御言葉は、「エノク……神と共に歩み」「ノア神とともに歩めり」、またレビ族の祭司団も神と共に歩んだ、と私たちに告げています。事実、神とともに歩むことは、神がそのすべてのしもべに期待されていることであって、「エホバの汝に要めたまふ事は……謙遜(へりくだ)りて汝の神とともに歩む事ならずや」と書かれているとおりです。--創世、五ノ二二、六ノ九、マラキ。二ノ四、六、ミカ、六ノ八。
3 私たちがエホバとともに歩むには、エホバをごく身近に、同胞である人間よりももっと身近に感じなければなりません。モーセについては、「彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした」と書かれています。わたしたちは詩篇記者ダビデと同じように、「わが目はつねにエホバにむかふ」「われ常にエホバをわが前におけり」ということができなければなりません。--ヘブル、一一ノ二七、詩、二五ノ一五、一六ノ八。
4 神はなぜ神とともに歩むことを命ぜられるのでしょうか。それは神の主権と私たちの幸福のためです。神とともに歩むのはわたしたちの義務です。神は創造主であられ、最高主権者であられるゆえに、私たちがいかに歩むべきかを命令する権利をお持ちです。また、すべての者が神とともに歩むときにはじめて、神の支配下に平和と一致が生まれます。もし自由道徳行為者であるからといって神とともに歩むことを拒否するなら、エホバは私たちを反逆者として滅ぼすことを余儀なくされるでしょう。
5 神とともに歩むことを命令されるエホバは、私たちの最高かつ最善の益を深くみ心にかけておられます。というのは神は全知で、すべてのことを知っておられ、間違われることが決してないからです。そのうえ、神の影のもとには完全な保護があるために、神とともに歩むことは最も安全な道です。--箴言、二ノ六-九、詩、九一ノ一。
6 神とともに歩むことは、正しい賢明なことであるばかりでなく、愛すべきこと、私たちをこのうえなく幸福にする事がらです。人が神とともに歩むという賢明なコースを取るのを見るのは、神にとってもうれしいことです。たしか
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にわたしたちは、神が私たちのためにして下さったすべてのことを心を留めて、神を喜ばすように努め、それによって愛と感謝を示すべきです。また私たちは、自分の愛する者とともに歩き、その人と一緒にいるのを楽しむのと同様に、もし天の御父であるエホバ神を愛するなら、神のみまえにいて、常に神とともに歩むことを願うでしょう。--箴言、二七ノ一一。
反対にぶつかる
7 神とともに歩むことは、最も抵抗の少ない道を歩むことではありません。抵抗が少ないどころか、神とともに歩めばむしろ三方からの反対にあいます。まず悪魔とその悪霊どもの反対があります。しかしあなたは、『わたしは悪魔の存在を信じない』と言うかも知れません。ペテロとパウロはその存在を信じていました。そしてペテロはこう書いています。「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている」。またパウロは、「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである」。聖書は、これらのものが、実在するもの、目に見えない者、力が強く悪らつで忠実を保てる人間はひとりもいないとのサタンの豪語を証明するために、私たちが神とともに歩むのを妨害しようと決意していることについては、少しも疑問を残していません。--ペテロ前、五ノ八、エペソ、六ノ一一、一二。
8 神とともに歩めばまた、エノク、ノア、イエスと同じく、この世の反対にぶつかります。世は私たちが神とともに歩むのに憤慨します。なぜかというと、なににもまして、私たちの行いそのものが世を非難するからです。「過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、醉酒、宴楽、暴飲……などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。……今はあなたがたが、そうした度を過ごした乱行に加わらないので、彼らはあやしみ、かつ、ののしっている」。--ペテロ前、四ノ三、四。新口。
9 私たちはまた、神とともに歩むのを妨げる堕落した性向を、先祖から受け継いでもっています。それは、ダニエル、ダビデ、ペテロなどの、エホバの忠実な僕たちを、どんなに悩ましたことでしょう。パウロもまた私たちのために真実を吐露してこう言っています。「善をしようと欲している私に、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」しかし彼は同時にこう言うことができたのです。「わたしは……自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、他の人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない」。この点でパウロの模範に従わなければなりません。またハルマゲドンまで、これらの三つの力が、神とともに歩むのをじゃますることを予期しなければなりません」--ロマ、七ノ二一、二四。コリント前、九ノ二七。ダニエル、九ノ四-一三。
三つの助け
10 神とともに歩むことを妨げるこの三つの反対に対抗するさいの助けとして、エホバは三つの強力な道具を準備して下さっています。まず第一に神の御言葉があります。これはまたなんという貴重な助けでしょう!神の御言葉は、私たちを導き、力づけ、神とともに歩むように刺激します、エホバが直接私たちに話しかけて
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おられるのはその中だけです。これに代わるものはなにもありません。ですから私たちは、イスラエルの王たちに要求されていたと同じく、世に生きながらえる日の間「常にそれを……読む」習慣をつけなければなりません。--申命、一七ノ一九、新口。
11 神の御言葉を読むさいには、読んでいるところの意味を確かにつかむようにしましょう。各語とまではいかなくても、少なくとも大意だけはつかむようにし、同時に、それを自分自身に、自分の行いに、宣教に適用するつもりで読みましょう。そして神とともに歩んだ人々と同じ種類の人間となり、つまり彼らの中に自分の姿を見て、その模範に従うことを固く心に誓わなければなりません。箴言はことに、悪のはびこっているこの時代において貴重なもので、私たちが、正しく歩むのを助けてくれます。詩篇を読む時も、エホバを賛美する美しい詩を楽しみ味わうことだけで満足しないで、それらの詩が、直接間接にいかに多くの教えを含んでいるかに注意しましょう。それで、その冒頭から詩篇はすでに、忠実を保つもののさいわいを述べて、そういう人に見倣うことをすすめています。
12 詩篇の直接的戒めの部類にはいるのはむろん、エホバを賛美せよ、という訴えです。しかしそれだけではありません。詩篇二篇十-十二節で世界の支配者たちに与えられている命令、また詩篇四篇の四節で神の民に与えられている命令に注意してください。「あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい」。そのような聖書の読み方は、神とともに歩みつづけるうえにおいて、わたしたちを真に啓発し、力づけ、刺激します。
13 神はまた、私たちが神とともに歩むのを助けるために、目に見える地的制度、すなわち「忠実にしてさといどれい」あるいは「残れる者」を準備されました。そしてイエス・キリストは、預言されていたとおり、ご自身の全財産の管理を彼にゆだねられました。この「どれい」は、任命されたしもべたちや、さまざまな集会、印刷物をとおして指導を行ない、霊的食物を与えます。監督として奉仕している人々は言うにおよばず、会衆内のしもべたちも、助言や模範的な行いによって援助を与えられています。「神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起こしなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい」。--マタイ、ニ四ノ四五-四七。ヘブル、一三ノ七、新口。
14 ですから彼らがあなたに与え得る援助を利用して下さい。彼らを尊敬し、彼らに協力して下さい。そうするにはむろん「集会をやめることをしない」ことが要求されます。私たちは何回このことを注意されたことでしょう!にもかかわらず、天気が急に悪くなる時など、集会の出席者数はどうなりますか。しかもそれは交通の便のよい大都市においてすら見られるのです。鉄のカーテンの背後の兄弟たちのことを考えてみましょう。彼らは、集まるたびに、自由をなくし家族を扶養できなくなるという危険をおかさなければならないのです。それなのにある人々は、雨や雪が降れば欠席します。兄弟たち、そういうことはほんとうにあってはならないことです!--ヘブル、一〇ノ二五。
15 神とともに歩むには、組織的に読書をする習慣をつけることが要求されます。神のみえる伝達の経路は、実に多くの読み物を供給してくれます。それらは全部、クリスチャンたちにとって「絶対必要なもの」です。ある人は、「ものみの塔」の各号を読み切るひまがないと考えますが、ものみの塔協会の会長も副会長もそれ
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を初めから終わりまで読むのです。あなたは会長や副会長よりも忙しく、彼らよりも重要な仕事をしていますか。それともよりごのみの問題ですか。「ものみの塔」を読んで時を生かすことができる時に、ほかのものを読んだりテレビを見たりして時間を浪費しますか。「ものみの塔」のいわゆる「二次的」な記事にもクリスチャンが、正しい道を歩み、「あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者となる」のに役立つ、多くの貴重な知識や教訓が含まれています。--テモテ後、三ノ一七、新口。
16 「目ざめよ!」誌についても同じことが言えます。各号を読破するなら、地的限界が広くなるばかりでなく、すべてのことを神の立場から見るようになります。また「年鑑」はどうでしょうか。あなたは毎日時間をさいて、日々の聖句を勉強しますか。年鑑の励ましと力づけに満ちた報告を読みますか。そうすることは、神とともに歩む助けになります。
17 エホバ神は、そのみ言葉および見える制度に加えて、ご自分の聖霊すなわち活動力をも与えてくださいました。今日ではその働きは、古代のイスラエルや使徒の時代におけるほどの肉眼に明らかではありませんが、信仰の目でその働きをはっきり見ることができます。事実、聖霊が人々の性質を大きく変化させ、また今日の世界で聖霊の力によりなしとげられている偉大なわざは、よしその原因である聖霊を認めなくとも、だれでも見ることができます。しかしながら、神の御言葉、神の制度との交わりと祈りとをさしおいては、また「聞いて信じ」ないならこの聖霊を受けることはできません。--ガラテヤ、三ノ二、新口。
18 全ての献身した、クリスチャンというクリスチャンが、また円熟したクリスチャンですらみな、同じ程度に聖霊をもっていないことは明白です。利己的でないこと、献身の深さ、自制心、けんそんさ、柔和な心、神の御言葉を熱心に勉強する態度、神への奉仕に対する熱意などは、私たちがどのくらい聖霊を持っているかに関係があることはたしかです。また、遺伝的な性質も、私たちが生活の中で、聖霊の自由な流れをどの程度まで許すか、あるいはその働きを妨げるかに、少なからぬ関係があるようです。したがって、性格がはでであればあるほど、聖霊が十分に浸透するのは難しくなります。はでな性格はより強い自制心を必要とし、ことに人間崇拝というわなに陥らないように警戒しなければなりません。ぜいたくな性格は、霊的な事柄に関心を持つのに妨げとなるようです。はでな人が自分に頼る傾向があるのと同じく、財産のたくさんある人は、エホバ神の代わりに自分により頼む傾向があります。--詩、五二ノ七。
19 神とともに歩み始める以前でも、信仰はいります。私たちは、神が存在されること、神とともに歩む者に神が報いてくださることを信じなければなりません。神のみこころを行なうために、またイエス・キリストの足跡に従うために献身する時は、たしかに信仰をもっていることを証明し、それによって神とともに歩む第一歩を踏み出します。聖書に「ふたりの者がもし約束しなかったなた一緒に歩くだろうか」と書かれているとおりです。神とともに歩くには、まず約束によって神と会わねばなりません。それはすなわち献身をし、バプテスマを受けてエホバへの献身を公に告白することです。本誌でくりかえし強調されてきたように、私たちの献身は、一つの非人格的な主義への献身でもなければ、人々の社会への献身ですらなく、ひとりのかた、宇宙の最高者エホバ神への献身です。--アモス、三ノ三。
20 今からのち私たちは、神の導きに従い、神と同じ方向に進み、神の目標を自分の目標としなければなりません。では神はどんな目標を持っておられるでしょうか。それはいうまでもなく、御国をとおして、ご自身とご自身の御名および御言葉の立証なさることです。「エホバはご自分の御名に専心しておられる。エホバは[他の者のそれと同じ]専心の献身を求める神である」。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主[エホバ=新世]なるあなたの神を愛せよ」。だからこそイエスは弟子たちに「まず神の国と神の義とを求めなさい」と言われたのです。--出エジプト、三四ノ一四、(一九五三年版の新世訳)。マルコ、一二ノ三〇。マタイ、六ノ三三、新口。
21 イエスはその生涯中、神の御名と御国を第一に置くことによって神とともに歩まれました。私たちもそうしなければなりません。そして、イザヤ書四十三章十節から十二節、マタイ伝二十四章十四節に記録されている預言的命令に従わなければなりません。機会が許すなら、戸別訪問をし、街頭に立って、エホバの御名と御国を宣明し、再訪問をしたり、霊的必要物を意識している人々と一緒に聖書の研究をしなければなりません。専心の献身をしているのですから、どこにいようと、機敏に機会をつかんで証言しなければなりません。
………………
「正義を行う」
25 神とともに歩むということはさらに、神の義の原則によって導かれることを意味しています。「エホバの汝に要めたまふ事は唯正義を行ない……」。「わたしが聖なるものであるから、あなたがたも聖なるものであるものであるべきである。あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」。ちょうど微小な原子が、宇宙の巨大な銀河を支配するのと同じ神の法則に従うように、私たちも、神とくらべていかに取るに足りなく有限のものであっても、神の義の原則に導かれることができ、また導かれなければならず、「正義を行」なわなければならないのです。--ミカ、六ノ八。ペテロ前、一ノ一六。マタイ、五ノ四八。
26 正義を行うには、公平なこと、正しいことを愛するだけでなく、悪いことを憎み、嫌悪(けんお)しなければなりません。エホバはそうです。「われエホバは公平をこのみ邪曲……を憎み」。またイエスについてはこう書かれています。
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「なんぢは義をいつくしみ悪をにくむ」。ですから私たちは次のように命令されています。「エホバを愛しむものよ悪をにくめ」「悪を憎み退け、善には親しみ結び……」。イザヤ、六一ノ八。詩、四五ノ七。九ノ一〇、ロマ、一二ノ九。
[:個人想、「約束して合うことと一緒に歩くことが約束され無ければどうして二人の者が一緒に歩くであろうか」アモス、3:3!!の下りについて考えると!!あの子は悔い改めなかったと霊示で示された!?王国会館の集会をキリスト教世界の教会の集会と同等に扱うことからしても、そういう思いがあったが?!そう結論されるのか!?それに従いますが!?]
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