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この堕落した世に生まれ出る子供たちを取りまく環境は、子供を悪くする不健全なものです。子供は悪に染まりやすいので、良い環境の中にはぐくまれ、高い道徳を重んずることを教えられないと、まわりの悪に染まってしまうでしょう。自分の子供が、昨今の新聞に報ぜられているような非行青少年や手に負えない不良になることを望む親はありません。近所の人の鼻つまみになるような子供を持ちたいと思う親はないでしょう、子供に神の言葉を教え、神の正しい原則を愛することを教えるならば、子供が悪くなる心配はありません。
2 子供が両親に従うのはもちろん大切ですが、世の悪い影響に負けないためには、エホバに従うことを忘れてはなりません。エホバの教えを守ることは、幸福と生命に導きます。エホバに従う子供の中に、不良のけんか、蛮行、不品行その他クリスチャンにふさわしくない行いをする子供はいません。それは神の言葉と神の制度の感化を受け、腐敗した世の影響に負けないからです。
3 本当のクリスチャンの両親を持つ子供は、名前だけのクリスチャンの両親を持つ子供よりも恵まれています。それはエホバ神とイエス・キリストを愛する母親と父親を持っているからです。このような子供は敬虔と神への奉仕のふんい気の中で育てられ、幼いときからエホバの是認と永遠の生命に至る道に導かれます。しかしこの正義の道に歩みつづけることは、成長するにつれて両親の感化よりも、次第に子供たち自身にかかってきます。このような恵まれた環境に感謝する子供は、世の悪い影響を受けず、両親に導かれて歩み始めた良い道に進むでしょう。
4 クリスチャンの親を持つ子供がエホバ神の是認を得る人性の道を選ぶかどうかは、自分の恵まれた立場に対してとる態度によってかなり左右されます。クリスチャン会衆から受ける良い感化と、自分の恵まれた環境に感謝することを知らないと、それを失うかも知れません。自分たちの恵まれた立場に感謝せず、神の恵みを失ったイスラエル民族はその例です。若かったときのサムエル、ダビデ、エレミヤ、イエスあるいはテモテのようにエホバを重んずるなら、神の目に正しいことを心から行なうでしょう。この世の歌手や映画スターではなくてイエスを手本にしなさい。イエスは十二歳のとき、「わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」と言われました。--ルカ、二ノ四九、新口。
5 青少年はいちばん大切な事柄を軽んずる傾向があります。見ること、なすこと、新奇なものにみちているため、新しい経験と快楽を追うのに急で、神に対する責任などは気にかけませ
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ん。いちばん大切な神に対する従順が忘れられています。キリスト・イエスに従う青少年は、聖書の知識と理解を増し加えることに努め、そのようにして世の青少年の傾向を避けなければなりません。そうすれば、若いエネルギーを神への奉仕に向けさせるため、親が子供を追い回す必要はないでしょう。
なぜ神に従うか
6 エホバに従うならば絶対に間違いありません。エホバが御言葉と制度を通して言われることに従うなら、最善の益を受け、生命を長くすることができます。少しばかり知識を得ると、自分の知恵に鼻を高くする若者になってはいけません。自分は神よりも賢く、神よりも生活の知恵があると愚かにも考えてはなりません。神は永遠にわたって生きておられ、単なる人間のとうてい及ばない知恵を持っています。世が愚かにも神の知恵を捨てたとしても、その愚かさにならう必要はありません。世の中の有様は、世の道が愚かであることを明白に示しています。自分はこの世に生を享けてわずかの年を経たに過ぎず、学ぶべきことは多いのを知るべきです。最善のしであるエホバ神の知恵に聞きなさい、「わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである」。--シンゲン、四ノ二〇-二二、新口。
7 エホバの教えを心に深くとめる人は、善悪に関して自分の判断に頼ることをせず、聖書に書かれた神の判断に従うでしょう。皆さんは自分が正しいと思ってした事でも、両親に叱られたという覚えがあると思います。それを考えても、自分の考えを頼りにできないことが分かります。大人でさえも、善悪を間違いなく決めるには神の律法に頼らなければなりません。次のさとしに従うのは賢明です。「汝こころをつくしてエホバにより頼め、おのれのさとりによることなかれ汝すべての途にてエホバをみとめよ、さらばなんぢの途を直くしたまふべし」。--箴言、三ノ五、六。
8 人生の経験のない子供でも、生命あってこそ楽しみがあることを知っています。生命は何よりも大切なものです。次の言葉の通り、エホバに従順であってはじめて生命を保つことができます、「これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである」。(ヨハネ第一、二ノ二五、新口)しかしこの約束は神を愛して神に従う者に与えられているので、不従順な者はこれに与りません。言うことを聞かない子供には、親でも子供の欲しいものを買って与えないのと同じく、神は不従順な者に生命の賜物を与えません。また親は不従順な子供を罰するでしょう。エホバも同じことをされます。「神はおのおのに、そのわざにしたがって報いられる。すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる」。--ロマ、二ノ六-九、新口。
従うのを妨げるもの
10 クリスチャン組織の中の子供たちは、自分たちに禁ぜられていることでも、他の子どもたちが自由にしているのを見て、自分たちは聖書に束縛されていると考えるかもしれません。また聖書のいましめを破っている人々に神罰がたちどころに下らないのを見て、聖書などは無視してもよいと考えるかもしれません。しかし悪いことをしても自分の身に害を受けないと考える
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のは、大きな間違いです。悪を行なっている者がすぐに罰を受けなくても、それは罰がないという意味ではありません。神の言葉はこう述べています、「悪しきわざに対する判決がすみやかに行なわれないために、人の子らの心はもっぱら悪を行なうことに傾いている。しかし悪人には幸福がない。またその命は影のようであって長くは続かない」。(伝道之書、八ノ一一、一三、新口)「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起こすな。彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである」(詩、三七ノ一、二、新口)神は聖書の中でわたしたちに制限を課しています。これは一種の境界線であってそれを超えると、自分の身に害を受けます。このような境界線内には大きな自由があるのですから、束縛されていると考えるのは間違いです。このような考え方は、従順の妨げとなります。
11 今は悪しき世に生活している以上、神の律法を破って、人間の超えてはならない限度を超える子供や大人と接することは避けられません。この悪い影響も、またエホバへの従順を妨げます。それは聖書から見て正しいことをしたいという気持ちをひるがえそうとする力になります。子供が大きくなるにつれて、悪い影響を受ける機会も多くなります。両親もそれを妨げることはできませんから、誘惑に負けない強い子供に育てるため、神の言葉と高い道徳、正しい律法を教え、また集会に伴ってエホバの証者の新世社会内に仲間を求めるようにすすめなさい。
12 「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」と聖書に書かれているのも、いわれのないことではありません。(コリント前、一五ノ三三、新口)神を愛さず、聖書の教える正しい事を顧みない子供たちの仲間になるのは、わざわざ問題を起こすようなものです。その悪い感化は、生命の守りとなる聖書的な限界内に留まる助けにはなりません。仲間にすべきなのはエホバに不従順な子供ではなく、従順な子供です。
13 まず神に従うために、世の大人や学校の友だちから悪くあしらわれて、感情や誇りを傷つけられることがあるかも知れません。しかし正しいことをして不敬虔な人から悪い仕打ちを受けるのは、悪を行なって神の怒りを受けるのにまさり、神に是認されることは、ハルマゲドンで神に滅ぼされる人々によく言われるよりもまさったことです。イエスはこう言われました、「人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ」。--ルカ、六ノ二六、新口。
14 謙遜で無いために、従順を示すのが難しいこともあります。学校でよい成績をとったり、頭のよいことをほめられたからと言ってうぬぼれてはなりません。「思うべき限度を超えて思いあがる」のは危険なことです。(ロマ、一二ノ三、新口)神よりも賢いとうぬぼれて、思いあがったあげく、神をそしる者、神に敵対する者となった天使がいました。サタン悪魔になったこの天使のようになってはいけません。「もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである」。--ガラテヤ、六ノ三。
15 すでに学んだ事も、まだ知らないことにくらべれば、無に等しいことを忘れてはなりません。化学あるいは他の分野の知識の探求に一生涯をかけた人の知識も、比較的にわずかです。万巻の書を集めた図書館があっても、人間の知ることは限られています。一九五九年十一月十五日付、ロサンゼルス、タイムス紙によれば、カリフォルニア工科大学の学長ドゥブリッジ博士はこう述べています、「人間の知らないことは余りにも多く、また広範囲の分野にわたっているので、それはとうてい言い表すことができない。………我々がここかしこに小さな知識の泉を掘りあて、広大な暗やみの中に小さな灯をともしたのは誇ってよい事かも知れない。しかし人間の得たすべての知識を一人の人の頭につめ込むことができたとしても、その人はなお無知な人である。事実、その人は、はるかに無知な我々よりも、自分の無知を痛感しているかも知れ
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ない」。大人でも誇ることができないとすれば、大人の知識の一片を学んだに過ぎない子供はなおのこと誇るべきではありません。すべてをご存知のエホバ神の言葉に耳を傾け、それに従いなさい。
持ち物の欲
16 現代の若い人々の間には、持ち物と快楽とを際限なく求める傾向が見られます。これはそれ自体で悪いものではありません。往々にして悪いのは、これらのものに対する態度です。物質主義について使徒パウロの述べた言葉に注目して下さい、「金銭を愛することはすべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした」。--テモテ前、六ノ一〇、新口。
17 持ち物と快楽を求める自然の欲望を制するのは、非常に大切です。エホバ神に対する従順よりも、それらのものを重要な事柄にしてはなりません。それは物や快楽のために生命を犠牲にすることです。古くなって使えなくなる物質のものよりも、生命のほうが貴重ではありませんか。持ち物をふやしたり、肉の欲をみたして一時的な満足を得たとしても、生命はそれにまさるではありませんか。賢い道は、それらのものに支配されてしまわずに、節制することです。
18 目先のことのみに没頭し、将来を少しも考えずに今日を生きるといった若い人々の傾向を避けなさい。これはエホバに従うことを妨げます。従順、不従順の報いは将来にくるからです。神の是認を望むならば、将来を無視することはできません。今日生き、明日も生きることを望むならば、今日、創造主のことを考え、その求め給うことを顧みなければなりません。ゆえに次のさとしに聞いて賢くふるまいなさい、「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」。』--伝道之書、一二ノ一、新口。
喜んで従う
19 心から喜んで仕えない人、神の御心を行なうにも何時も他の人の手にひっぱられてする人は神から喜ばれません。創造主を本当に愛する人は、創造主に従うことを喜ぶでしょう。そして詩篇四十篇八節に言い表されている態度をとります。「わが神よ、わたしはみこころを行なうことを喜びます」。個人的に聖書を学び、その教えを心にとめ、エホバの大いなるみわざに思いをめぐらして、このような認識をつちかわなければなりません。このような認識を持つ人は、喜んで従います。次のさとしを心に留めて下さい、「わが子よ、わたしの教えを忘れず、わたしの戒めに心をとめよ。そうすれば、これはあなたの日を長くし、命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ」。--箴言、三ノ一-三、新口。
20 喜んで従うことは、聖書の教えに従って生活するだけでなく、神の言葉から学んだ生命を与える知識を活用することによっても示されます。エホバをあがめるため、そして他の人々がエホバとその御目的を知るため、この知識を用いるのは、神の御心を行ないたいと願いの表われです。それは聖書の次の命令に従っていることになります、「エホバに感謝してその御名を呼び、そのなし給へる事をもろもろの民らのなかにしらしめよエホバに向ひて歌へエホバを讃めうたへ、そのもろもろの妙(たえ)なるみわざをかたれ」。詩、一〇五ノ一、二。
21 クリスチャン宣教の活動は大人だけに限られていません。聖書から見て、それは子供も参加すべき奉仕の特権です。エホバに従うことを望むならば、神権制度のとりきめた宣教活動に何時も参加することでしょう。週毎の宣教奉仕のほか、学校の休みには休暇開拓者となって野外で証言のわざをし、創造主に奉仕するよい機会があります。休みの大部分を過ごすのに、これにまさる方法はありません。エホバの御目的と真理を宣べ伝えてエホバの御命令を行ない、何時も熱心に宣教に参加していますか。
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22 家から家に行って伝道するほか、会衆内で神権的な割り当てや責任を与えられたならば、それも喜んでエホバに従うという気持ちを示すときです。はじめ与えられる割り当ては小さなものでも、成長するにつれて次第に大きな責任と割当てを与えられるでしょう。割当てを辞退して責任を引き受けようとしないのは、神の御国のために自分の力と能力を出し惜しむ悪い態度です。それは喜んで仕えることでもなく、専心の献身でもありません。神権的な割当てを辞退せずに大きな奉仕の特権を与えられたことに感謝しなさい。
23 学校の友だちや世の大人の前で、非難の余地のない立派な行いをすることは大切です。野外の宣教の時だけでなく、何時でも自分は最高の神の僕であることを忘れてはなりません。御名を負う証者が悪い行ないをすれば、御名に非難を招きます。また神権制度がそしられるでしょう。世の人や学校の仲間から悪く言われるとすれば、悪い行ないのためではなく、エホバに対する献身のためでなければなりません。「あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、あるいは、他人に干渉するものとして苦しみに会うことのないようにしなさい。しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい」。--ペテロ前、四ノ一五、一六、新口。
24 神の御心に反することをさせようと世の人が仕向けるとき、クリスチャンの忠実はためされます。両親がそばについていないとき、神に従うかどうかの決定を自分一人で下すことを迫られるかも知れません。神への従順を第一にしたために学校友だちや世の大人から悪く思われても、世の人々の間で人気を得るのと、神を喜ばせるのとどちらが大切かを考えなさい。人の思わくを気にするよりも、創造主エホバの是認を得ようとするべきです。心から神を愛し、また神から愛されたいと思うならば、確固とした態度をとることができます。
25 人々から何と言われ、何をされても、エホバに従順と忠実をささげたイエスはわたしたちの手本です、世の人はイエスを快よく思いませんでしたが、イエスは世の人を喜ばせようとしたのではなく、エホバ神を喜ばせようとしました。イエスと同じ願いを持ちまたイエスのように忠実を守ることができますか。そのためには、聖書の勉強を怠らず、宣教に励み、常に祈って霊的な力をつけることが必要です。
26 人間の造り出したものから見ての話ではなく、エホバの御目的という見地から見て今は人類史上でも重大な時です。昔から預言されていた悪しき世の終わりの時が来たからです。エホバは間もなくハルマゲドンの戦いで今の世を滅ぼし、正義の新しい世をもたらすでしょう。大人にとってはもちろん、子供にとっても今は重大な時です。エホバに従わない子供はその戦いに生き残りません。子供だからというだけの理由で神の保護されて新しい世にはいることはできません。ノアの時代にも大勢の子供がいましたが、神から保護されませんでした。子供というだけの理由で神から保護されない事は、エゼキエル書にも示されています、「老若男女をことごとく殺せ。しかし身にしるしのある者には触れるな」。(エゼキエル、九ノ六、新口)エホバの命ずるままに崇拝と奉仕をささげ、保護のしるしをおびること---これが救いと生命を意味するのです。
27 エホバに従いますか---これは大切な質問です。永遠の生命と幸福を得るかどうかは、その答えにかかっています。もし、はいと答えることができなければ、そう答えられるように早速つぎのことを始めて下さい。エホバの御言葉と御目的を学んで十分な知識を得、定期的に宣教に携わってその知識を広めなさい。エホバの証者の新世社会の会衆の集まりに出席することを怠ってはなりません。ハルマゲドン前に賢く歩み、エホバに従順な道を歩みなさい。そうすればハルマゲドンの後にまで生命を保つことができます。
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