「御国のこの良いたより」

ページ名:「御国のこの良いたより」

今日の地上に良いたよりがありますか。あります。今日すべての人が地上に見る悲しみと混乱とに満ちた恐ろしい状態にもかかわらず、良いたよりがあります。しかも、この良いたよりは、最も信頼でき、権威ある源から出たものであって、いま起きている現実の事柄によって裏づけられているのです。この良いたよりを知ってよろこびと希望にあふれ、他の人をも幸福にすることができる時、悲しみと失望を感ずる必要はありません。この小冊子を読んでください。そうすれば、あなたは心をさわやかにするこの知識を、他の人にも伝えたいと望まれることでしょう。

ーーーーー発行者


「御国のこの良いたより」

1965年英文改訂1967年日本文改訂

(発行者)

WATCHTOWER BIBLE AND TRACT SOCIETY OF NEW YORK, INC.

International Bible Students Association

Brooklyn, New  York,  U.  S.  A.  

’’THIS GOOD NEWS OF THE KINGDOM’’

Japanese

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ものみの塔の事務所の所在地

日本、東京都港区芝三田豊岡町1 番地

沖縄、琉球諸島沖縄那覇市与儀100 番地

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アメリカ合衆国で発刊

以下[3]

「御国のこの良いたより」

1 あなたは将来にどんな希望がありますか。死んですべてが終わる前に、つかのまの楽しみと幸福を望み、わずかな年だけこの地上で生きることですか。それとも死後の生命に希望を持っていますか。地上の人間全体にとっては、どんな将来があるのですか。ある災害のためにこの地や地上の生物はついにみなほろびるのでしょうか。

2 世界の違った場所の人々は、これらの質問に対して、それぞれ違った答えをするでしょう。人間の将来がどうなるかについては、さまざまの宗教の教え、さまざまな考え方があります。ある人々は、将来がどうなるかについて自分勝手な結論に達しています。将来のたしかな希望を得たいと願うときに、道理にかなった賢い行ないとは、人間と人間のすみかであるこの地に対する最高全能の神のお目的は何かを知ることです。全能の神は人間の創造者ですから、神だけが私たちの将来を決めることのできるかたであり、また実際に神は決められています。創造者をよろこばす者には、幸福な将来があります。その幸福な将来は、創造者の特別な代表者イエス・キリストを通して地上

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1人間の将来の希望について、どんな質問がありますか。

2(イ)違った場所の人々は、これらの質問にどう答えますか。(ロ)将来の確かな希望を持つために、道理にかなった賢い行いとは何ですか。なぜそうですか。

[4] の人間に告げられました。イエス・キリストご自身、その音信を「御国のこの良いたより」と呼びました。---マタイ、ニ四ノ一四、新世訳。

3 「この良いたより」とはなんですか。それが何であって、またここで言われている「御国」が何であり、また「御国」はどのように人類に祝福をもたらすかを知るには、最高至上の神のお目的と人間に対する神のご処置を知らねばなりません。このことは、一冊の本つまり聖書から知ることができます。太陽、月、星、この地球、および地上のあらゆるすばらしいもの、魚、取り、動物、木や花や人間を創造することのできる神は、一冊の本もつくることもできました。世界中の人が自分で調べてこの知識を得られるようにするのが創造者のお目的ですから、それには書かれた記録がなければなりません。そうすれば、人はそれに証拠を求めることができます。人間や地についての創造者のお目的が書かれているただ一つの記録は聖書です。神は今日までの長い年月の間聖書を保存してこられ、聖書は幾百という原語に翻訳されています。この地上の私たちの生命や、私たちの将来の希望については重要な質問がありますが、それらすべての質問の答えはこの聖書の中から得ることができます。

4 神とはだれですか。神はなぜ、そしてどのように人間を作りましたか。地上には、なぜ悪や

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3「この良いたより」をことごとく理解するために必要な知識はどこから得られますか。なぜそこだけにしかないのですか。

4聖書はどんな重要な質問に答えていますか。それで、私たちはいま何をしなければなりませんか。

[5] 苦しみがあるのですか。それはいつ終わりますか。地と人間の将来は何ですか。人間は、神から永遠の生命をいただくために何をしなければなりませんか。これらの質問や、他の多くの質問は、ことごとく聖書の中でこたえられています。聖書は神のことばであって、神はみことばの中でご自身と、また私たちに対するお目的を示されています。(ヨハネ、一七ノ一七。テモテ第二、三ノ一五ー一七)聖書に目を通して、その目的をいくらか学びましょう。


真の神

5 真の神はただおひとりです。その神は全能最高で、「天と地と海と、その中のすべてのものとの造りぬし」であられます。(使行、四ノ二四)神の御子イエス・キリストをはじめ、生命を願うものはみな、真の神の最高権を認め、真の神に従わなければなりません。(コリント第一、一五ノ二八)神は人間の目には見えません。「神を見た者は、まだひとりもいない」。(ヨハネ第一、四ノ一二)それで、神の偶像をつくって、それに匹敵できるものは、何もありません。預言者イザヤはイザヤ書四十章十八節と二十五節で、神についてこう書きました。「それで、あなた方は神をだれと比べ、どんな像と比較しようとするのか」。神はすべての生命の源です。それで将来に永遠の生命をいただこうと希望して頼らなければならないのは、ただその神だけです。

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5生命を願うならば、神について何を認めなければなりませんか。偶像をつくって神を崇拝するのはなぜまちがいですか。

[6] 6 全能の神は、人々の崇拝する多くの偽りの神々とご自分を区別するために、ご自分の御名を持っておられます。その御名はエホバです。詩篇八十三篇十八節は、エホバについて次のように述べています。「人々はエホバと言う名をお持ちになるあなたのみが全地を治める最高至上者であることを知るであろう」。(新世訳[:英語の欽定訳もエホバと表記:LORDと大文字で表記は今日の英語訳みたいに、JHVHの所。伝統的にはJehovahと書くが、学者たちにはYahveh(仏文のエルサレムバイブル??!日本語で書くと、ヤハベ?!ヤハヴェ?!)と書くとか?!])それで、全能の神の真の崇拝者になるためには、エホバという御名をお持ちになる神を知らねばなりません。


イエス・キリスト

7 神によってつくられ、神にしたがうもののうちで、その主要な方は、神の御子です。御子は地上に来られてイエスと言う名前をお取りになりましたが、聖書の示すところによると、このかたは地上に来る前に天で霊者として生存しておられました。天にいる時には、イエスは言(ことば)と呼ばれましたが、それはつくられた他のすべての創造物にたいして、エホバの代弁者であったということです。(ヨハネ、一ノ一。コロサイ、一ノ一六。黙示、一九ノ一三)イエスがバプテスマを受けられ、神のみたま[:漢字表記は、御霊:聖霊に同じ。]がその上に下ってのち、イエスはキリストすなわち油そそがれた者と呼ばれました。

8 イエスとエホバ神は同じかたではなく、またイエスは神とひとしくありません。エホバだけが

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6神はなぜ御名を持っておられますか。その御名とはなんですか。私たちは、なぜ神の御名を知らねばなりませんか。

7神のつくられたもののうちで、主要な者は誰ですか。なぜ、そのかたは言と呼ばれましたか。

8イエスとエホバ神は同じかたであって、同等ですか。このことについて、イエスは何と言われましたか。

[7] 最高至上者です。そのためにイエスはエホバについて、「父がわたしより大きいかたである」と言われました。(ヨハネ、一四ノ二八)イエスは天の父にいつも従順に従い神の正しいみわざをする時には、神といつも一致して、一体となっています。たがいに一致していたために、イエスは「わたしと父とは一つである」ということができたのです。(ヨハネ、一〇ノ三〇)しかし、父とイエスがひとりの者であるという意味で言ったのではありません。両者はひとりであると言うのは、愚かなことです。それはイエスがのちになって父に祈り、次のように言われたことからもわかります。「わが父よ、できることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせて下さい。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」ーーマタイ、二六ノ三九、ヨハネ、一七ノ二〇ー二二と比較して下さい。

9 イエスは神の御子であって、最も愛されたかたであり、神の御国の王になりました。正義と平和は、新しい秩序に於いてその神の御国を通してもたらされます。イエスは地上にいるときに、その御国を祈り求めることと、その祈りを天の父エホバにささげることをご自分の弟子たちに教えました。「だから、あなたがたはこう祈りなさい『天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように、御国がきますように、みこころが天に行なわれるとおりに、地にも行われますように』」。(マタイ、六ノ九、一〇)イエスが人間になってなぜ地上に来て死なれたのか、そして御国についてのその伝道が、なぜ非常に良いたよりであったのかを研究する前に、エデンの園で、神が人間を創造した時にもどりましょう。

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9イエスは何の支配者になりましたか。イエスは、何を祈るようにと弟子たちに教えましたか。[8]

罪、死、そして悪魔

10 神は初めに最初の男と女、アダムとエバを創造しました。二人は完全であって、神はエデンと呼ばれる地のパラダイスの園にその二人を置きました。神は彼らに対して、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地を従わせよ」と命ぜられ、彼らは地上のあらゆる生物を治めることになっていました。ーー創世、一ノ二七ー三一

11 創造者に忠実を保ち、従順に従ったならば、アダムとエバは平和のうちにこの地上で永遠に生きることができ、心の欲するものを何でもみな得ることができたでしょう。そのからだも心も完全ではありましたが、まだためされていなかったために、神は試験を与えて、二人がはたして神に従順かどうかを表わし示す機会を設けられました。神はアダムに次のようにお命じになりました。「あなたはそののどの木からでも心のままに取って食べてよい。しかし善悪を知る木の実は食べてはならない。それを食べる日にあなたは必ず死ぬ」。(創世、二ノ一六、一七、新世訳)二人はこの試験をうけて忠節を保ちましたか。聖書の記録によれば、忠節を保ちませんでした。創世記第三章に記されている説明によると、最初に女、次には男が神のいましめをやぶり、禁ぜられた木の実を食べました。エバを欺いて罪を犯させた者はいったいだれでしたか。記録にはへびのことが述べられていますが、へびの行ないの背後には、目に見えない、なにか超人間の力があったに違いありません。その目に見えない力がだれであったかは、すぐに知ることができます。

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10 最初の男と女は、どのようにして存在するようになりましたか。また何をするように命ぜられましたか。

11 二人の従順は、どのように試験されましたか。被造物の中のだれによって、そのような行ないをするように誘われましたか。

[9] 12 神は木の実について命令を与えられた時に、「それを食べる日にあなたは必ず死ぬ」とアダムに言われました。(創世、二ノ一七、新世訳)神はいまやこの宣告を実施されました。最初にアダムとエバを楽園から追放しましたが、彼らはその日から死の道をたどりはじめ、やがて死んで、元の塵にもどりました。神に対して不従順な行ないをし、神のいましめに反逆したために、彼らに死がもたらされました。また、アダムとエバが罪を犯してのちに、その子供たちが生まれたために、二人は罪と死を、子孫そして現在の私たちにまで伝えられたのです。「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである」。(ローマ、五ノ一二)へびの背後にいて、アダムとエバを導き、神の反逆させた目に見えないこそ、その死に対して責任を持つものです。その者は人殺しでした。イエスは、その悪い者に従う者たちにむかって、次のように言われた時に、その人殺しがだれであるかを示されました。「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行なおうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つものではない。彼のうちには真理がないからである。彼がいつわりを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり。偽りの父であるからだ」。(ヨハネ、八ノ四四)それで、エデンのへびの背後にいた目に見えない力は、悪魔サタンであって、悪魔は神とそのお目的に反対する大いなる反逆者です。

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12 アダムとエバは罪を犯したのちにどうなりましたか。エデンの園のへびの背後にいた目に見えない力はだれでしたか。

[10] 13 悪魔は初めに、神の霊の子であり完全でした。しかし、心の中で、彼は神のようになろうという誇りと権力欲を起こして、このために反逆するようになり、アダムとエバを誘って自分の反逆に加わらせたのです。悪魔は神のようになり、人間から崇拝され、奉仕されることを望みました。(コリント第二、四ノ四)アダムとエバを誘って自分に従わせた仕方は、エバに偽りを語ることでした。アダムが禁ぜられた身を食べるならば、彼は死ぬであろうと神が言われたことを覚えていられるでしょう。しかし悪魔はへびを通してエバにこう言いました。「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを神は知っておられるのです」。(創世、三ノ四、五)真実を語ったのはだれでしたか。神ですか。または悪魔ですか。アダムは本当に死にましたか。アダムは死んだと聖書の記録は述べています。「アダムの生きた年は合わせて九百三十才であった。そして彼は死んだ」。(創世、五ノ五)それでサタンは偽り者でした。しかし、サタンはそのことをおおいかくすため、人間が死ぬ時には死ぬように見えるだけであって死ぬのはからだだけであり、体の中のあるもの、たとえば魂や霊は生き続け、再び生まれ変わって他の人間になるか、または動物の中にはいるかあるいは霊界に行くのだという宗教教理を考えだしました。それはほんとうのことですか。人間は死ぬとどうなりますか。

14 従順を守らないならば、アダムは死ぬであろうと言われた時、神はそのからだだけが死んで、魂はどこか別のところで生き続けるなどとはひと言も言われなかったのです。「あなたは必ず死ぬ」

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13(イ)悪魔はどのようにして存在するようになりましたか。(ロ)禁ぜられた実を食べることの結果について、真実を語ったのはだれでしたか。悪魔はどのようにその結果をおおい隠すことに努めてきましたか。

14神はアダムに警告を与えて、からだだけが死ぬと言われましたか。死人の魂がどこかで生きているかどうかは、どんな聖句に示されていますか。

[11] と言われただけです。つぎの聖句は人間が死ぬ時に人間はほんとうに死んでいるのであって、どこか別のところで生きているのではないことをはっきり示しているのに注意してください。「もろもろの君に信頼してはならない、人の子に信頼してはならない。彼らに助けがない。その息が出て行けば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる」。(詩、一四六ノ三、四)生きている者は自分が死ぬべきことを知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついには忘れ去れらる。すべてあなたの手のなしうる事は力をつくしてなせ。あなたの行くよみには、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである」。(伝道の書九ノ五、十)「すべての魂はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである、罪を犯した魂は必ず死ぬ」---エゼキエル、一八ノ四。

15 それで人間は死ぬ時に、その魂は天に昇って行くこともなく、「地獄」と呼ばれる苦しみの場所にも行かず、また「霊」あるいは「幽霊」になってもどり、死人の縁者に現れるということもできません。そのような教えは、みな人間の魂は死なないというサタンの最初の偽りに基づいています。サタンは多くの人に働きかけて、そのような教えを信じさせていますが、それは人々を恐れに閉じこめ、神の目的を正しく理解させないためです。

16 病気になるのは、死人の「霊」の影響だと多くの人々は欺かれて信じています。その人々は、「霊」をしずめることができると主張する魔術の医者のところに行きます。死人と連絡して、そのことばを生きている者に伝えることができると主張する魔術者もいれば、また死人の「霊」の助け

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15それで、人間が死ぬとき、人の魂は霊界に行きますか。そのような教えは、何に基づいていますか。

16いわゆる死人の「霊」や、魔術者について、人々は欺かれてどう信じていますか。魔術を行なうことに対して、聖書は何と述べていますか。

[12] を得て超自然の力を持っていると主張する魔術者もいます。これらの信仰も同じくサタン悪魔の偽りに基づいているものであって、人間は死んでも死なないということを信じさせるために、悪魔は、これらの信仰をひろめました。聖書は、魔術のようなことをすることを禁じ、特別にこう警告しています。「あなたの中にむすこあるいは娘を火の中に通らせるもの、占いをする者、魔術を使う者、まじないをする者、あるいは魔法使い、あるいは呪文で他の人をしばる者、霊媒に聞くものあるいは易者あるいは死人に問う者があってはならない。すべてこれらの事を行う者は、エホバから憎まれる。これらの憎むべき事のために、あなたの神エホバは彼らをあなたの前から追い払われるのである」ーー-申命、一八ノ一〇ー一二、新世訳。

17 簡明な真実はこうです。人間が死ぬ時に、その者は死んでしまい、無意識となり、何も知らないということです。それでは、将来がないではないかと、尋ねられるかもしれません。人間が死ぬと墓に行って、そこが人間の終わりであるとすれば、私たちにはどんな希望があるのですか。この質問に答えて、聖書は人間に対するエホバの最もすばらしい、恵みのご準備を教えています。それは贖いです。


贖(あがな)い

18 贖いとは、とき放つもの、救助をもたらすもの、束縛から解放するために支払われる価値あるものです。贖いとは、聖書の中では、罪と罪による死とから人間を救う神のご準備を意味します。

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17それで、人間は死ぬ時にどうなりますか。このために、神は、死んでゆく人間に対してどんなご準備を設けられましたか

18贖いとは何ですか。神は人間のために、贖いをどのように備えられましたか。その贖いに信仰を働かす人は、どんな益を得ますか。

[13] それで、マタイによる福音書二十章二十八節には、次のように書かれています。「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして自分の命を与えるためである」。エホバ神は御子イエス・キリストを地につかわし、御子とその死を通して贖いの価を準備されました。このご準備に信仰を働かせ、神に忠実に奉仕する人々は、相続してきた罪や、また罪の結果である永遠の死から解放されて、生命の賜物を受けることができます。それでローマ人への手紙六章二十三節には、こう書かれているのです。「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」。

19 すでに学んだように、アダムが神に反逆した時に罪と死が世にはいりました。アダムも、またアダムのゆえにその子孫も、地上の楽園で生きる完全な人間の生命を失いました。キリスト・イエスは、贖いによって、この失われたもの、すなわちいろいろな権利と地的な希望を伴った完全な人間の生命を人間のために買いもどしました。申命記十九章二十一節にある神の律法は相当するものをもって償うことを定めています。それで、失われた完全な人間の生命のために、一つの完全な人間の生命が犠牲にされねばならなかったのです。地上にいる人間で罪人アダムの子孫には、この贖いを備えることはできません。なぜならば、アダムの子孫はみな、アダムから相続した罪と死に定められていて、提供することのできる完全な人間の生命を持っていなかったのです。それでただ神だけが贖いを備えることができるのであって、神は天で一緒にいたひとり子の生命をユダヤ人の処女マリヤの胎に移されることにより贖いを備えられたのでした。(マタイ、一ノ二三)イエスは、

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19贖いを払うには、何が必要でしたか。どのようにしてイエスは、この価値あるものを持つ人になりましたか。

[14] 地的な父の助けなしに奇跡的に生まれて完全な人間となりました。イエスは、このようにしてアダムからの処罰を相続しなかったのです。イエスは成長して完全な人となり、贖いとして用いることのできる完全な人間の生命という価値あるものを持つ人になりました。

20 バプテスマのヨハネは、このイエスが自分のところに来るのを見て、イエスを犠牲の小羊になぞらえ、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。(ヨハネ、一の二九)イエスが死んでお捨てになった完全な人間の生命は贖いとなる価値あるものです。イエスは死んで三日の後に復活をうけ、四十日後には天に上りました。イエスは復活の時に人間の生命を取りもどさず、霊者としてよみがえらされました。彼は天に上ったときに、罪を取り除くことのできるささげもの、つまり犠牲として完全な人間の生命の価値を神に捧げました。--ヘブル、九ノニ四、二六。

21 贖いの益を受けるのはだれですか。イエスはヨハネによる福音書三章十六節にこう答えています。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信ずるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。

22 このようにして、贖いのご準備は永遠の生命の希望を開きました。聖書によると、ある信者は贖いによって天の生命を与えられ、他の者は地上の生命を与えられます。今この生命の将来の希望について、聖書の言葉を研究してみましょう。

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20イエスはなぜ犠牲の死を遂げられましたか。イエスは、どのように贖いの価値をささげることができましたか。どこで、また誰に?

21だれが贖いから益を受けますか。

22贖いのご準備は、どんな希望を開きましたか。その希望は、どこで実現されますか。

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天の御国

23 「天」という言葉は、理知ある生ける者の住むところをさす時には、霊界をさしています。神は、聖なる天使とともにこの天に住まわれています。また「天」ということばは人間よりも高い霊者で、もっと力のある支配者、あるいは霊の力が地に対して行なう見えない支配のことをもさしています。はじめ、アダムとエバは天から正義の支配を受けていました。二人は神の子として神から語りかけられています。(創世、一ノ二六ー三〇。二ノ七ー二四)サタン悪魔の反逆によって、人類は天から悪の支配を受けるようになりました。そして神は地を支配する新しい天的な支配権を建てることを目的とされました。それは「天の御国」と呼ばれています。(マタイ、三ノ二、新世訳)この天の御国は、エルサレムのダビデ王がそこから治めた山シオンによって予表されていました。天の御国は、死に至るまで忠実にキリスト・イエスの足跡にしたがい、地上で忠実を守り、試みと試練を経た人々で構成されます。黙示録の七章と十四章では、これらの人々の数は地上の人口と比較してごく少数の十四万四千人に限られています。イエスは、彼らを羊にたとえて「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである」と言われました。(ルカ、一二ノ三二)イエスの時からいまにいたるまで天の御国の成員は選ばれてきました。そして十九世紀にわたる選択がなされてのち今日では、十四万四千人のうちのわずかな者が地上に残っています。

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23(イ)「天」という言葉は聖書の中でどのように用いられていますか。(ロ)神はなぜ、地を支配する新しい支配権を建てることを目的とされましたか。だれが、また幾人の人がその支配権を行使しますか。

[16] 24 この天の御国級に属するクリスチャンはエホバのみことば(聖書)とみたまによって「召されて」いるのです。つまり彼らはエホバのみことばを通し、天の御国で行なうこの奉仕の希望を知るようになり、また神は、彼らにみたまを働かせられて、ご自身の霊的な子にならせ、この希望を確信させます。これらのクリスチャンについて、ローマ人の手紙八章十六、十七節には、こう書かれています。「御霊みずから、わたしたちの霊とともに、わたしたちが神の子であることを証しして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難ををも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである」。(ヨハネ、三ノ三ー五をもご覧ください)御国級の最後の成員が死にいたるまで忠実を保ち、地上の生涯を終えて、死から天の生命に復活させられる時、王イエス・キリストに従う十四万四千人の天の御国は全く完成されます。御国は、天にいる他のすべてのものと、地上で生命を得る者をみな支配します。

25 御国級の者で今日でも人間として残っている者たち(残れる者)は、神より「御国のこの良いたより」(マタイ、二四ノ一四、新西訳)を伝道する使命を与えられています。御国のこのたよりは、なんと良いのでしょう!天の御国はあらゆる反逆をうち砕き、宇宙に平和と正義を回復します。御国はサタンとそのすべての代理者を滅ぼします。御国の正義の支配の下に、神の最初のお目的はなしとげられます。すなわち、愛の神に奉仕し、神に賛美と誉れをささげる人々でこの地を満たすということです。これはみな、エホバ神の御名、みことば、そしてお目的を立証します。エホ

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24これらの人々は、どのように天の御国に召されますか。御国はいつ完成しますか。

25「御国のこの良いたより」を伝道する使命は、だれに与えられていますか。これはなぜ「良い」たよりですか。

[17] バ神は至上の主権者であることが示されます。このことをなしとげるのは、天の御国であるために、御国ははあらゆるものにまして最も大切なものであり、御国についての教えは、聖書の中でもっとも大切な教理なのです。


地上の生命

26 詩篇を書いたダビデは、むかし預言的に、こう書きました。「しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。正しい者は国[地]を継ぎ、とこしえにその中に住むことができる」。(詩、三七ノ一一、二九)のちにイエスは、マタイによる福音書五章五節で、この詩篇を引用し、地上で永遠の生命を得るこの希望がまことであることを確認されました。ある宗教組織によると、生命の前途は天のものか、または地獄の火にもだえる永遠の苦しみのものであると考えられています。すでに学んだように、聖書は人間の魂の永遠の苦しみという考え方を支持してはおらず、また平和と幸福をたのしむ将来の生命の希望を天だけに限ってはいません。天の御国(このためには、わずかな限られた数が召されている)支配の下に、無制限の数の人々は、完全な人間の生命という祝福をこの地上でうけるでしょう。この理由から、「御国がきますように。みこころが天に行なわれるとおり、地にも行われますように」神に祈りなさいと、イエスは弟子たちに教えたのです。ー--マタイ、六ノ九、一〇。

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26詩篇三十七篇十一、二十九節は、永遠の生命をどこで楽しむ希望を与えていますか。イエスが弟子たちに教えた祈りは、この事とどのように一致していますか。

[18] 27 天の相続に対する召しは、いま終わって閉じられていますが、聖書の明白に示すところによると、エホバは、羊のような性質を持つ大いなる群衆を恵みの側に分けられています。それらの人はエホバに奉仕しようと欲しており、また天の御国の支配の下に楽園の地で生命をうける希望をいだいています。イエスはご自身を羊飼いになぞらえ、この他の羊についてはヨハネによる福音書十章十六節で次のように語りました。「わたしはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、私の声に聞き従うだろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いになるであろう」。

28 しかし、そのような祝福が人類にもたらされる前に、大きな変化がぜひとも必要ではないでしょうか。平和と正義が地上で栄えるには、悪や破壊や病気や死が地からなくならねばなりません。そのことはいつ、そしてどのように、起きますか。聖書の示すところによると、それはキリスト・イエスが再臨して、その御国が天で設立されてから起きます。今日の良いたよりは、キリスト・イエスがすでに再臨され、彼の治める御国が建てられていまや天で支配しており、まもなく、サタンや、その悪い天使たちや、地上の目に見えるサタンのしもべたちが滅ぼされてしまうということです。そのことはどうしてわかりますか。

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27どんな種類の人々が、地的生命の希望を持つ人としていま分けられていますか。イエスは、ご自身を羊飼いになぞらえ、これらの人々について、どのように語られましたか。

28(イ)そのような祝福が人類にもたらされるには、どんな変化がなければなりませんか。(ロ)それで、今日の「良いたより」は何ですか。

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御国の力を持つイエスの臨在

29 イエスは再臨すると言われましたが、地上の人間の目に見える人間の姿で再臨するという意味で言われたのではありません。イエスは、贖いとしてこの地的な生命を断念されたために、その地的な生命をとりもどすことはできません。人間の形をとって、最初、地上に来られた時、イエスは低くされていました。(ヘブル、二ノ九)しかし、再臨の時には「御使いよりも低い」人間としては来ないで、すべての栄光を持つ霊者になって来られます。(マタイ、二五ノ三一)霊者ゆえに御国の力をもって再臨されても、それは人間の目に見えません。地を去る前に、イエスは、「もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう」と弟子たちに言われました。(ヨハネ、いちよんのいちきゅう)イエスはいまや御父の「本質の真の姿」になられ、「人のまだ見ず人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできない」近づくことのできない光と栄光の中に御父とともに住まわれています。(ヘブル、一ノ三。テモテ第一、六ノ一六)ですから、イエスの再臨は実際の目では見えません。ただ理解の目で見ることのできるものです。

30 イエスは、御国の力をもって臨在される証明として、大きな「しるし」となる多くの顕著な証拠を預言されました。地上の人々は「しるし」となるこれらの見える証拠を見ることにより、またその意味するものを理解して、イエスが天で御国の力を取られ、長いあいだ約束されていた御国の王になって、臨在されていることを知ります。この「しるし」はどんな出来事から成り立っていますか。

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29イエスの再臨は、人間の目で見ることができますか。どんな事実および聖句によってその答えは決定されますか。

30地上の人々はどんな手段によって、イエスが再臨されて王であるということを理解しますか。

[20] 31 イエスの使徒の心にもその疑問が起きて、彼らはこう尋ねました。「わたしたちに告げてください。これらの事はいつあるのですか。またあなたの臨在と事物の制度の終結の時にはどんなしるしがありますか」。(マタイ、二四ノ三、新世訳)イエスは、こう答えられました。「民は民に。国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちにききんが起こり、また地震があるであろう。しかしこれらは産みの苦しみの初めである」ー--マタイ、二四ノ七、八。ルカ、二一ノ一〇、一一。

32 このことばによると、大きなしるしは、世界戦争とともに始まります。一九一四年から一九一八年までに、世界の国々が戦争に加わったために、その戦争は第一次世界大戦と呼ばれました。戦争に引き続いて飢饉や疫病が多くの場所で起こり、第一次世界大戦が終わったあとでも、なお災いや悩みを地にもたらしました。実際に戦争中の四年間で殺されたものよりも多くの者が疫病で死にました、また一九一四年以来、歴史上いままでにないほど多くの地震が報告されており、資産と生命の両方に大きな被害を与えています。しかし、イエスは「すべてのこれらは産みの苦しみの初めである」と言われました。それで第一次世界大戦以来、苦難の時は続き、最初のものよりも恐ろしい別の世界大戦さえ起きました。人々は今日、もっと恐ろしい破壊の武器が用いられる戦争が起こりはしまいかと恐れています。飢饉や地震もいまだに人類に苦しみを与えています。人はみな将来はどうなるのだろうかと疑問に思い、不安の気持ちで満たされています。イエスは、その預言され

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31イエスの使徒たちは、このことについてどのように尋ねましたか。イエスは、何が苦難のはじめになると言われましたか。

32「苦しみの初め」についての預言は、どのように成就しましたか。イエスは、それ以来の苦難の時をどのように預言されましたか。

[21] たしるしの一部であるこれらの状態をよく説明しました。イエスのことばによると、「地上では諸国民が悩み、海と大波のとどろきにおじ惑い、人々は世界に起ころうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう」ー--ルカ、二一ノ二五、二四。

33 それですべての証拠は、イエスが一九一四年に御国の力を取り、天から支配しはじめられたことを示しています。それにしても、このすばらしい出来事になぜ地上の災いや悲しみが伴うのですか。ヨハネ黙示録十二章は、それに答えています。

34 エホバ神の大きな敵であるサタンは、この時まで天にいる神の天使の中に交わることを許されていました。黙示録十二章の象徴的なことばが説明しているように、サタンは、御国が『生まれる』、すなわち支配しはじめるのを望まなかったのです。サタンは地の支配権を自分のものにしておきたかったために、時が来て、エホバが御子イエス・キリストに支配せよとお命じになった時、新しく生まれた御国とサタンのあいだに戦争があったのは必至のことでした。黙示録十二章七ー十節を読んでみましょう。「さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使いたちとが、龍と戦ったのである。龍もその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とかサタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落とされ、その使いたちも、もろともに投げ落とされた。その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた。『今や、われらの神の救いと力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟を訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落とされた』」。

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3334それで、イエスは何年に統治しはじめましたか。御国のこの誕生に引き続いて、天ではどんな出来事が起きましたか。

[22] 35 サタンを打ち負かしたこの勝利に天はよろこびましたが、地上に及ぶサタンの影響はなくならずに残りました。サタンはいまや地に制限されていて、その終わりが近いのを知っているため、あらゆることをして、地上の人間をエホバから引き離そうとしています。黙示録十二章十二節には、こう書かれています。「それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもっておまえたちのところに下ってきたからである」。このように恐ろしい状態を見ても、私たちは希望を失うべきではありません。なぜならば、それは、長い間約束されていた御国が、天で建てられたしるしだからです。その意味するものは、サタンの時は短く、まもなくサタンとその代理者はことごとく滅ぼされるということなのです。それで、イエスはこう言われました。「これらの事が起こりはじめたら、身を起こし頭をもたげなさい。あなた方の救いが近づいているのだから」--ルカ、二一ノ二八。

36 いままでに述べられていない別のしるしがありますが、それはマタイによる福音書二十九章十四節に書かれています。「御国のこの良いたよりは、すべての国民に対してあかしをするために、人の住む全地で宣べ伝えられるであろう。それから終わりが来るのである」。(新世訳)この預言によれば、世界が災いや苦しみ、将来を恐れているとき、すべての国々で伝道する人々がいな

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35なぜ災いや苦難が地上に続きますか。これらの状態を見ても希望を失うべきでないと、イエスはなぜ言われましたか。

36マタイによる福音書二十四章十四節では、「しるし」の他のどんな部分が預言されていますか。あなた御自身、その成就をどのように見ましたか。

[23] ければなりません。その人々は、「御国のこの良いたより」を伝道します。彼等は建てられた御国を人々に語ります。しるしのこの部分も成就しており、あなたご自身その成就を見ました。だれかがあなたの所へ来て御国の事をお話になりませんでしたか。エホバの証人は、いまや全世界にわたり、一九〇以上土地や島々で一六〇以上の言語を用いて建てられた御国の良いたよりを伝道しています。

37 エホバの証人は、御国を伝道するこの仕事を忠実に行なっているために、あらゆる国で激しく迫害されています。イエスは、このことをも預言しておられました。「あなたがたは,わたしの名の故にすべての民に憎まれるであろう」ー--マタイ、ニ四ノ九。

38 この伝道のわざをするのは、正義を愛し、サタンの秩序に臨む滅びをのがれて、正義の新しい秩序の下で永遠に生きるために、エホバを崇拝しようと願う人々が、警告を聞いて正しい道を取るためです。イエスは、音信を聞いて、それに信仰を持つ者を羊にたとえ、音信を拒絶し、それに敵対する者を山羊にたとえました。御国を伝道する時、一方には羊、他方には山羊というふうにこの世に分離が生ずることになります。「人の子が栄光の中にすべての御使いを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼いが羊とやぎとを分けるように、彼等をより分け、羊を右にやぎを左におくであろう」ー--マタイ、ニ五ノ三一ー三三。

_______

37この伝道の結果、「しるし」の他のどんな部分が成就していますか。

38この伝道の目的は何ですか。素直に聞く者は何にたとえられており、聞かないものは何にたとえられていますか。

[24]

この事物の制度の終わり

39 このように、キリスト・イエスの語られたしるしのいろいろな部分は、ことごとく成就していることがわかります。すなわち、世界戦争、飢饉、疫病、世界的な混乱、地上の災い、「御国のこの良いたより」の伝道、その良いたよりの伝道者が迫害を受けていること、人々が二つの級に分けられていることです。このしるしの成就は、キリスト・イエスが天から統治しているということだけでなく、この「事物の制度」の終わりが近いことを証明するものです。(マタイ、ニ四ノ三、新世訳)といっても「地は永遠に変らない」と聖書に述べられているように、文字通りの地球の終わりが来るということではありません。(伝道の書一ノ四)終わるのは、サタンが神として支配するこの世の悪の事物の制度であって、サタンと悪鬼は束縛され、地上でサタンに従う者はすべて滅ぼされてしまいます。(コリント第二、四ノ四)このようにして、地のすべての悪がなくなります。

40 サタンは、今でも「この事物の制度の神」の地位を保ち続けようと決意しています。それで、サタンの見える組織とエホバのあいだにはなお戦争がなければなりません。その戦争は、ハルマゲドンの戦いです。地上にいる神のしもべたちがその戦いに参加する必要はありません。キリスト・イエスはエホバの天使の大軍をひきいて、サタンの見える組織に最後の攻撃を加え、それを全く滅ぼしてしまいます。そして従順な人類を正義の新しい秩序の下に救いいれます。(黙示、一六ノ一四ー一六。一九ノ一一ー二一)このようにして、この事物の制度を終らせることは、地か

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39(イ)この「しるし」のそれぞれの部分が成就したことは、何を証明していますか。(ロ)この「事物の制度」の終わりは、何を意味しますか。

40どんな決定的な戦争が、なお必要ですか。神のしもべは、なぜその戦争に参加しませんか。

[25] ら悪をなくし、平和と正義が栄えるようにする唯一の道です。全能の神エホバだけがこのことをできます。


41 人間は地から悪をなくすのに、成功したことがありますか。言語、人種、宗教のためにこんなにも分裂してしまった諸国民に一致や調和をもたらすことに成功しましたか。いいえ、成功してはいません。それで唯一の確かな解決策を述べているのは「御国のこの良いたより」だけです。「この良いたより」は、またこの事物の制度の終わりとも関係があります。それでこの理由からエホバの証人が誠実に語るのは、エホバを愛しエホバに仕える人々に与えられるエホバの祝福だけでなく、エホバに敵対する悪い者たちに対する滅びのさばきです。エホバ神から命ぜられた任務は、「エホバの善意の年とわたしたちの神の報復の日とを告げ……すべて悲しむ者を慰め」ることです。--ーイザヤ、六一ノ一、二、新世訳。

42 悪、不道徳、争い、戦争、病気またそれに伴う悲しみなどすべてがまもなく永遠になくなるという知らせは、ほんとうに良いたよりです。この事物の制度の終わりの時に、エホバ神に頼る人々の中に見られる状態について、聖書には次のように書かれています。「こうして彼らはその剣をすきに打ちかえ、そのやりを刈り込みばさみに打ちかえ、国は国にむかって剣をあげず、戦いのことをふたたび学ばない。彼等はおのおのそのぶどうの木またそのいちじくの木の下にすわる。彼らを恐れさせるものはいない。万軍のエホバの口がこれを言われたからである」。(ミカ、四ノ三、四、新

_________

41エホバの証人は、神を愛する人々に与えられる祝福のほかに、何を伝道しますか。なぜそうですか。

42どんなものが、まもなく永遠になくなってしまいますか。いま神に頼る人々のあいだに見られるどんな状態が預言されていますか。



[26] 世訳)人間のあいだにだけ平和があるのではなく、人間と動物の間も平和となります。「おおかみは雄のこひつじとともに、しばし宿り、ひょうもこやぎとともに伏し、こうしと、たてがみの若じしは肥えた動物とともにいて小さなわらべに導かれ、雌うしとくまとは食いものをともにし、くまの子とうしの子とともに伏し、ししはうしのようにわらを食らい、乳のみ子はコブラの穴にたわむれ、乳ばなれの子は手を毒蛇のほらに入れるであろう。わたしの聖なる山のどこにおいても、彼らは傷つけることなく、そこなうことがない。水が海をおおうように、エホバを知る知識が地にみちるからである」ー--イザヤ、一一ノ六、-九、新世訳。

43 永遠の王エホバ神の御子である正義の王イエス・キリストは全地を治め、そのとき地上に住む人々は公正と正義の支配の祝福を感ずるでしょう。それで霊感をうけた詩篇作者は、次のように祈りました。「神よ、あなたの公平を王に与え、あなたの義を王の子に与えてください。彼は義をもってあなたの民をさばき、公平をもってあなたの貧しい者をさばくように。もろもろの山と丘とは義によって民に平和を与えるように。彼は民の貧しい者を弁護し、乏しい者に救いを与え、しえたげる者を打ち砕くように。彼は日と月のあらんかぎり、世々生き長らえるように」ー--詩、七二ノ一ー五。

44 なんとすばらしい前途を待ち望むことができるのでしょう!あなたはそのように完全な事物の新しい制度の下で生活したいですか。羊のような柔和な性質と、よい羊飼いイエス・キリストによろこんで従おうとする気持ちを示し、また実際にいま従い、そして「御国のこの良いたより」を

_______

43王の子についての詩篇作者の祈りは、前述のこととどのように一致しますか。

44どうすれば、そのような完全な事物の制度の下で生きることができますか。「しるし」を見る時に、そのような前途を考えてあなたは何をしなければならないとイエスは言われましたか。

[27] 信じてエホバの側に立つならば、あなたはそうすることができます。羊のような人々は、前途の新しい状態を考えて、イエス・キリストの次の言葉に注意を払います。イエスは、ご自分の臨在のしるしについていろいろと話されてから、その言葉を言われました。「これらのことが起り始めたら、身を起こし頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから。よく聞いておきなさい。これらのことが、ことごとく起こるまでは、この時代は滅びることがない」。(ルカ、二一ノ二八、三二)たしかに、この時代に生きていてハルマゲドンの戦いの時に救われ、その後の清められた地にはいることのできる「羊」のひとりにあなたはなることができます。主イエスの「他の羊」のひとりになり、その祝福をうけるために、何をしなければなりませんか。(ヨハネ、一〇ノ一六)聖書に示されている私たちが取らねばならない道をしらべてみましょう。

献身

45 神が私たちに命じていることをする前に、私たちは神を知らねばならず、また神の目的について知識を得て、神と御子イエス・キリストに信仰を働かさねばなりません。信仰は知識を基礎にして得られるもので、正しい知識は聖書の中に見いだされます。エホバは今日、地上にいる柔和な人々がみことばを聞くように取り計らわれています。エホバはその証人を人々の中に行かせて、「御国のこの良いたより」を伝道させ、彼らは、聞いて信仰を持つ人が神のことばを学んで、生命に導く知識を得るのを助けているからです。「従って信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである」---ローマ、一〇ノ一七。

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45神が私たちに命ずることをする前に、まず何が必要ですか。

[28] 46 信仰とは、その得たところの聖書の知識から、神は存在しているということ、また神は神を求める者に報いを与え、そして聖書はまことであって、人間の確かな導きであるという確信を持つことです。また信仰を持つということは、イエスを人間の救い主、贖い主と認めることです。そのような信仰を持つときに、その人の生活の仕方に変化が起こります。その人は、この世の悪にならわず、また自分自身の利己的な欲望に仕えるのをやめて、神のみこころを行ないます。その人は、持っているすべてのものが神の恵みによることを認め、神に奉仕するのが神をよろこばせる唯一の道であることを悟って、神のみこころを行なうために献身します。献身とは、神のことばの命ずることならば、どんなことでも行なうと決意することです。イエスはこう言われました。「だれでも私に従って来ることを望むならば、自分を捨て、自分の刑柱を負って常にわたしに従いなさい」---マタイ、一六ノ二四、新世訳。

47 イエスは父のみこころを行なうために献身し、その献身をおおやけに表わしました。どのように?水のバプテスマをうけることによってです。イエスは、「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施」すようにと弟子たちに教えました。(マタイ、二八ノ一九)ゆえに神のみこころを行なおうと決意する人はみなバプテスマをうけねばなりません。---詩、四〇ノ八。マルコ、一ノ九ー一一。ヘブル、一〇ノ七。

_______

46信仰を持つということは、何を意味しますか。献身することは、何を意味しますか。

47イエスの模範どおりに、またその教えたことに従って、献身をどのようにおおやけに示しますか。

[29] 48 バプテスマはどのように施されるべきであり、またバプテスマによって何がなしとげられますか。イエスは、ヨルダン川の水に全く没してバプテスマをうけました。それで、今日のバプテスマもそれと同じく水の中に没することでなければなりません。その浸礼は、バプテスマを受けた者の罪を清めるものではありません。それは、クリスチャンのバプテスマの目的ではないのです。水の下に没するということは、バプテスマを受けた者が今までの生き方について言えば、死んだということを象徴します。その人は、神のみこころを行なうために自分をささげることを自発的に決意しました。水からひきあげられたことは、神のみこころを行なうために表われ出たことを示します。

49 献身をしてバプテスマをうけた人は、それからは忠実に積極的にエホバ神に奉仕すべきです。引き続き、神のことばを研究して、神のみこころが何であるかを知り、みこころを忠実に行なう力を得るためにエホバのみたまに頼らねばなりません。その希望ハ、今やエホバの新しい秩序だけにかかっています。その人は、同じ信仰を持つ他の人と交わり、神の民の会衆と定期的に交わることを望みます。しかし、引き続きエホバに是認されるためには、ハルマゲドンにいたるまで、そしてまた新しい秩序の下においてもエホバに忠実を保たねばなりません。このような人のひとりになりたいと願われるならば、新しい秩序において、エホバの求められるような人であることを証明しなければなりません。

_______

48バプテスマはどのように施されるべきであり、バプテスマによって何がなしとげられますか。

49エホバの新しい秩序の下でエホバの求められるような人になるために、献身してバプテスマをうけた人は、何をしなければなりませんか。

[30] 使徒パウロは、ローマ人の手紙十二章二節で次の助言を与えています。「また、この事物の制度にならうのをやめなさい。善にして喜ぶべき、かつ全き神のみこころをわきまえ知るために、心をかえて新たにしなさい」。(新世訳)不正と盗み、うそと殺人が行なわれ、不潔で不道徳なこの事物の制度の下にいて、争い、しっと、憎しみにみたされている人々にならうことはもはやできません。このような事柄のために、「神の怒りが下るのである。あなたがたも。以前これらのうちに日を過ごしていた時には、これらのことをして歩いていた。しかし今は、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。互いにうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである」---コロサイ、三ノ六ー一〇。

51 クリスチャンは、不信者の世とは違った仕方であらゆることをおこないます。この世で雇われている人の中には、雇い主をだまそうとして、真心をこめて働こうとしない人がいます。しかし、聖書の助言は次のようです。「あなたがた奴隷たちよ、肉の意味での主人に何事も従いなさい。人を喜ばせるために目先のつとめをするのではなく、エホバを恐れ、誠実な心で従いなさい。何事をするにも、人にではなくエホバに対するように、心をこめてそれにつとめなさい」。(コロサイ、三ノ二二、二三、新世訳)聖書の原則を家庭で適用するならば、そこにも変化が起きます。平和と調和に欠け、夫は妻を押さえつけ、妻はまた夫のことばを聞かず、夫に尊敬を示さないような家庭は

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50何にならうのをやめなければなりませんか。どんな人格を身につけるべきですか。どのように?

51(イ)クリスチャンであるしもべにどんな教えが与えられていますか。(ロ)家庭内で聖書の原則を適用するとき、夫、妻、子供はどのように変わりますか。

[31] 決して少なくありません。「妻たる者よ、夫に仕えなさい。それが主にある者にふさわしいことである。夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。子たる者よ、何事についても両親に従いなさい。これが主に喜ばれることである」。(コロサイ、三ノ一八ー二〇)ほんとうに子供たちもいま、神の新しい秩序に調和した生活をすることを学ぶべきです。そのためには、神に奉仕することを子供に教える、献身したクリスチャンの両親に従わなければなりません。

結論

52 短い研究ではありますが、私たちはこの冊子の最初に出ている質問の答えを、神のことばから学びました。神はだれかということ、その神は創造者であって、お名前はエホバであるということ、神は人間をつくって地上で平和のうちに永遠に生活させようとされたこと、しかしサタンの反逆と最初の男と女がサタンに加わって不忠実になったために、罪と死がこの世に入り、その結果、多くの悲しみや悪が生じたということを知りました。罪と死からの救いは、キリスト・イエスの贖いの犠牲と、キリストによる神の御国に拠って来るということ、そして神はキリスト・イエスを通して、サタンとすべての悪を滅ぼすということも知りました。そのときに、神の天の御国は、地上の人類に永遠の祝福をもたらします。それで、私たちが学んだことは、良いたよりではありませんか。それは、最も高い神エホバの御国に関するものですから、ただ一つしかない良いたよりです。その祝福の御国は決して終わることはありません。(詩、一四五ノ一三)いま「御国のこの良いたより」を他の人に分かつことは、神に対してもまた友なる人間に対しても、あなたの義務であります。

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52(イ)結論として言えば、私たちは、神、この世の罪と死の理由、人類を救う方法について、何を学びましたか。(ロ)これはなぜ良いたよりですか。今あなたは、このたよりをどうすべきですか。




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