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テンプレート:Portal『火垂るの墓』(ほたるのはか)は、野坂昭如による日本の小説である。
1945年(昭和20年)の兵庫県神戸市近郊を舞台とし、親を亡くした幼い兄妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わず悲劇的な死を迎えていく姿を描いた。野坂独特の饒舌かつ粘っこくて緻密な文体に加え、戦時下での妹との死別という実体験や情念も盛り込まれ、独特の世界観と感慨を読者に与えてくれる。
文藝春秋『オール讀物』昭和42年10月号に掲載され、「アメリカひじき」と共に、第58回直木賞(昭和42年下半期)を受賞する。1968年(昭和43年)に『アメリカひじき・火垂るの墓』として文藝春秋より単行本化。現在も新潮社より文庫本が出ている。他、滝田ゆうにより漫画化されており、宙出版「怨歌劇場」に収録されている。2010年には新実徳英が混声合唱組曲にしている[1]。
本項では、上記の小説を原作とした同名の映像作品についても扱う。
テンプレート:ネタバレ
1945年(昭和20年)9月21日、清太は省線三ノ宮駅構内で衰弱死した。清太の所持品は錆びたドロップ缶。その中には節子の小さな骨片が入っていた。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。
太平洋戦争末期、兵庫県武庫郡御影町[2](現在の神戸市東灘区)に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、父の従兄弟の未亡人である西宮市の親戚の家に身を寄せることになる。
当初は共同生活はうまくいっていたが、戦争が進むにつれて諍いが絶えなくなる。そのため2人の兄妹は家を出ることを決心し、近くの池[3]のほとりにある防空壕[4]の中で暮らし始めるが、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていく。清太は、畑から野菜を盗んだり、空襲で無人の人家から物を盗んだりしながら生き延びる。やがて日本が降伏し戦争は終わった。敗戦を知った清太は、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受ける。
節子の状態はさらに悪化し、清太は銀行から貯金を下ろして食料の調達に走るが、既に手遅れで、幼い妹は終戦の7日後に短い生涯を閉じた。節子を荼毘に付した後、清太は防空壕を後にして去っていくが、彼もまた栄養失調に冒されており、身寄りもなく駅に寝起きする戦災孤児の一人として野垂れ死ぬこととなる。
神戸大空襲後の神戸市街
野坂昭如の実体験が色濃く反映された半ば自伝的な要素を含む小説である。6月5日の神戸大空襲により自宅や家族を失ったことや、焼け跡から食料を掘り出して西宮まで運んだこと、美しい蛍の思い出などはすべて作者の経験に基づくものである。また野坂は戦中から戦後にかけて2人の妹(野坂自身も妹も養子であったため、血の繋がりはない)を相次いで亡くしており、死んだ妹を自ら荼毘に付したことがあるのも事実である。しかしながら西宮の親戚の家に滞在していた当時の野坂はその家の美しい娘に夢中であり、幼い妹(物語とは異なりまだ1歳で、後に疎開先の福井県で亡くなった)のことなどあまり気にかけることなく、中学生らしい淡い初恋に心をときめかせていたという。また食糧事情は悪かったものの、小説のようなひどい扱いは実際には受けておらず、家を出て防空壕で生活したという事実もない[5]。
野坂は、まだ生活に余裕があった時期に病気で亡くなった上の妹には兄としてそれなりの愛情を注いでいたものの、家や家族を失い、自分が面倒を見なくてはならなくなった下の妹のことはどちらかといえば疎ましく感じていたと認めており、泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあったという。西宮から福井に移り、さらに食糧事情が厳しくなってからはろくに食べ物も与えず、その結果として、やせ衰えて骨と皮だけになった妹は誰にも看取られることなく餓死している[6]。
こうした事情から、かつては自分もそうであった妹思いのよき兄を主人公に設定し、平和だった時代の上の妹との思い出を交えながら、下の妹へのせめてもの贖罪と鎮魂の思いを込めてこの作品を著したのである。
火垂るの墓の碑
石屋川にて
同名のアニメ映画『火垂るの墓』(英題:Grave of the Fireflies)が、新潮社の製作で1988年(昭和63年)4月16日から東宝系で公開された。制作はスタジオジブリ、監督・脚本は高畑勲。現在進行形のストーリーではなく、幽霊になった清太によるナレーションで過去の事を思い出しているものである。原作をほぼ忠実になぞっているが、後半部分の演出、特に節子の死のシーンの描写などはアニメオリジナルである[7]。挿入歌としてアメリータ・ガリ=クルチの「埴生の宿(原題:Home, Sweet Home)」が使われた。
清太の声を担当した辰巳努は当時16歳、節子の声を担当した白石綾乃は当時6歳で、共に舞台と同じ関西地区の出身者だった。また清太、節子の母の声を担当した志乃原良子も大阪出身である。他にも、同じ関西が舞台である高畑の作品『じゃりン子チエ』に出演経験のある山口や表淳夫も含めた関西出身の俳優が多数出演しており、本職のアニメ声優はほとんど起用されていない。
清太:辰巳努本作の主人公で14歳。神戸市立中に通っていたが中学は空襲で全焼したと清太が明言している。空襲で家を焼け出され、妹と共に西宮の親戚の家に行くが、叔母と折り合いが悪く妹と共にその家を出る。空襲時に他人の家や畑の野菜を泥棒して生活するが、やがて栄養失調で妹を失い、自身も三宮駅構内で衰弱死する。母の死去後は節子の親代わりとなり後半は節子に食べ物を与えるため必死になり冒頭の死の直前まで節子の事を考えていた[8]。盗みを始めた理由についてテレビ絵本では節子が病気になりかかっているので「なんとかしなければならないと思ったため」という記述がある。モデルは野坂自身とされ、すべてではないもの彼が劇中で行ったことは戦争中に野坂が実際に行った実話の部分も多少ある。清太の死は冒頭で描かれ、ラストで山を降りた後が冒頭のシーンに繋がるといういわゆるループである。節子:白石綾乃清太の妹で、4歳。モデルは野坂の義理の下の妹とされ、清太と10歳年が離れているのもこれを意識している。なお、節子とは野坂の亡くなった養母の実名である。清太と比べて家族と過ごした期間は少ないが、母の言葉や着物の事は覚えていた。清太から母が亡くなった事は聞かされず、「病院に入院しているからもう少し良くなったら見舞いに行こうな」と誤魔化された。しかし中盤で実は叔母から母が既に亡くなった事を聞き、知っていた事が判明。栄養失養のため体に汗疹ができたり、髪には虱がついていた。中盤からはその影響で目も虚ろになり焦点もあっておらず、死の直前は清太の言葉もほとんど通じていなかった。この際、おはじきをドロップと思って舐めたり、石を御飯だと勘違いするほど思考力が落ちていた。スイカを食べた後、目を覚ます事はなく遺体は清太によって荼毘にふされ、遺骨はドロップの缶に納めされた。冒頭で缶は駅員に投げられ遺骨が出てきている。死は清太のナレーションで語られただけである。清太・節子の母:志乃原良子2人の母親で、清太によると心臓が悪い[9]。モデルは野坂の養母とされる。2人より先に防空壕に行こうとしていた際に空襲に被災、全身火傷で絶体安静の重傷を負い、ズボンを除き冒頭とはかけはなれた変わり果てた姿となり清太が駆けつけた時は町内会長の話によれば「今、ようやく眠りについていた」状態で翌日に亡くなった[10]。中盤の二人の言及から既に墓に納骨されている事が示唆されている[11]。清太は真実を話す事ができず、おばさんや節子には「西宮の回生病院に入院している」ことにしている。登場シーンは事実、冒頭のみで後は登場人物の言及や回想シーンなどで登場する。清太が持っていた7000円の貯金は「母がもしもの時のために銀行に預けてくれていたものである」と劇中で明言されている。清太が泥棒で捕まり、殴られた際に節子が清太にかけた言葉は、テレビアニメ絵本で記述によると「母が昔、節子が泣く度に言った台詞」とされている。清太が回想した母と節子と海に行った場面は本編では特に説明がないが、テレビアニメ絵本の記述によると1年前の出来事とされている。叔母の言動から母も叔母の家に疎開する予定だった模様。親戚の叔母さん:山口朱美西宮に住んでいて、清太と節子を引き取ることになり、当初はうまくいっていたが、次第に諍いが絶えなくなる[12]。一部では「未亡人」とも表記。夫について劇中では説明はないが原作では叔母が少しだけ言及している。清太と節子を預かる事は清太の言及によると約束になっていたようである[13]。勝手に出て行ったのは清太達で叔母は直接的に追い出す言動は取っていない。清太・節子の父2人の父親で、最初から戦争に出征しているため、劇中では写真と回想シーンでのみ登場する。モデルは野坂の実父とされる。本作での地位は大佐とされ、清太は昔、父の観艦式を見たと言及しており節子が生まれる前からこの職業であった事が示唆されている。父が乗り込んだとされる高雄型重巡洋艦「摩耶」は1944年10月のレイテ沖海戦でフィリピンのパラワン水道において米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没していることから、清太達が父の帰りを待ち望んでいた1945年には既に死亡しているものと推測される。役名表記無し端田宏三、酒井雅代、野崎佳積、松岡与志雄、金竹雅浩、柳川清、真木一、表淳夫、はりた照久、田中弘史、伝法三千雄、玉生司朗、中村正、関田美香、宮本毬子、松本淳、松田春子、上田恵子、竹岡和彦、鰺坂貴代美、上野真紀夫、平松豊和、森脇京子、嶋谷隆司、真田隆次、邦保、加治春雄、安満敏子、小林誠、沢田憲一、隈本晃俊、国分郁男、横山祐介、房本佳長、谷本幸士郎、守屋真人、中山鉄朗、藤田尚樹、城野正富美、伴鉄、木下真喜子、行原千酷、黒川裕子、川口真由美映画『火垂るの墓』は、1988年(昭和63年)の公開時、宮崎駿監督作品『となりのトトロ』と同時上映されている。先に企画された『となりのトトロ』は、当初、60分程度の中編映画として企画されており、単独での全国公開は難しかった[14]。そこで同時上映作品として高畑勲監督作品『火垂るの墓』の企画が決定したという経緯が伝えられている。最終的に、両作とも上映時間は90分近くなり、長編2本体制で公開された。アニメ映画界の二大巨頭の代表作、しかも作風も物語も印象も全く相反する内容の作品を一緒に観ることができたが、当時としてみれば地味な素材であった上、東宝宣伝部が消極的だったことや[15]、高畑・宮崎両監督の一般的な知名度も現在ほどではなく、公開日が春休み後の中途半端な時期でもあったため、配給収入は5.9億円と伸び悩んだ。評論家からは好評で『キネマ旬報』誌の日本映画ベストテンでは6位に食い込んでいる。
両映画の制作はスタジオジブリで同時に進行した。東映動画でも長編作品を2本同時進行したことはなかったといい、高畑・宮崎の信頼に耐える主要スタッフ(アニメーター)は限られており、人員のやりくりに制作側は苦慮することになった[16]。特に揉めたのが作画監督の近藤喜文の処遇であった。結果として宮崎側が新しく参入したスタッフを中心に制作したのに対し、高畑側は近藤や美術監督の山本二三など旧知のベテランを集めた。
徳間書店社長・徳間康快の要請を受け、野坂の原作小説を文庫として販売している新潮社が『火垂るの墓』の出資・製作となっている。新潮社がメディアミックスで映像製作に携わる初めてのケースとなった。こうした経緯もあって、ビデオやLDは徳間系列ではないパイオニアから発売され、その後リリースされたDVDも、ジブリ作品としては例外的にワーナーの扱いとなっていた(新潮社との契約が満了した2008年8月以降はブエナビスタから再発されている)。
当初は両作とも60分であったが、高畑の『火垂るの墓』の時間が長くなると、対抗するように宮崎の『となりのトトロ』の時間も延び[17]、結果的に長編2本の同時進行となった。質を落としたくない高畑勲は公開の延期を申し出たが、1988年(昭和63年)4月の公開時点で清太が野菜泥棒をして捕まる場面など未完成のシーンが残ったままとなり、その部分は色の付かない白味・線撮りの状態で上映された。(ただし、悲惨なシーンであるために事情を知らない観客には演出効果に感じられ、ほとんど話題にならなかった)公開後も制作を続け、後に差し替えられている。
わずかながらも未完成のままでの劇場公開という不祥事に、高畑勲はいったんアニメ演出家廃業を決意したが、後に宮崎駿の後押しを受けて1991年(平成3年)に『おもひでぽろぽろ』で監督に復帰することになる(おもひでぽろぽろも本作と同じように現在進行形のストーリーではなく過去の思い出しである)[18]。
高畑勲は、本作品について「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と繰り返し述べたが、反戦アニメと受け取られたことについてはやむを得ないだろうとしている。高畑は、兄妹が2人だけの閉じた家庭生活を築くことには成功するものの、周囲の人々との共生を拒絶して社会生活に失敗していく姿は現代を生きる人々にも通じるものであると解説し、特に高校生から20代の若い世代に共感してもらいたいと語っている[19][20]。
日本テレビ系で放送されている『金曜ロードショー』では1989年 - 1991年は3年連続、以降は2年に一度、8月の終戦の日前後にこの作品を放映するのが恒例となっている。その中で1990年と2007年は清太の命日である9月21日、1997年と2003年は節子の命日である8月22日に放映されている。しかし2011年は放送がなかった。
作中に登場する御影公会堂(現存)
終戦60年スペシャルドラマ『火垂るの墓-ほたるのはか-』として2005年(平成17年)11月1日21:00 - 23:54に日本テレビ系列で放送された。『ドラマ・コンプレックス』第一弾番組でもある。撮影は当時の風景を可能な限り再現するために、神戸周辺のみならず日本各地をロケして行われた。視聴率は21.2%を記録した。アニメでは描写されなかった部分(清太達の名字、父親がいかにして戦争に出掛けたか、叔母が清太達を引き取ることになった経緯、清太が通う学校描写)が描かれた。本篇のDVDは2006年2月22日発売。
なお、ドラマ版の製作に当たって、野坂昭如は「ドラマは、原作を離れて自由である。ぼくの小説が戦後60年経った現在、違う形となり、今を生きる人たちに、戦争の惨たらしさを少しでも伝えられれば、原作者として有難いこと」とのメッセージを寄せている。
2008年(平成20年)7月5日公開。黒木和雄監督により企画が進行していたが、黒木の死去により、黒木を師と仰ぐ日向寺太郎が監督となった。叔母役の松坂は事実上の悪役という事から一度はオファーを断ったと告白している。
ファイル:Akitani Pond Grave of the Fireflies 秋谷池(兵庫県西脇市黒田庄町喜多字秋谷口) 火垂るの墓 DSCF3656.jpgロケ地に選ばれた秋谷池(西脇市黒田庄町)
全ての撮影が舞台となる兵庫県内で行われた。池の土手を歩くシーンや池辺で飛び交う蛍をとる印象的なシーンは、西脇市黒田庄町喜多字秋谷口の秋谷池[2]で撮られた。メイキングのDVDは2008年8月8日、本篇のDVDは2009年3月27日発売。
テンプレート:Gallery
高畑勲のリアリズム志向により、1945年当時の風景が忠実に再現された[33]。作画に参加した庵野秀明が、神戸港での観艦式(清太の回想)の場面の軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を出来るだけ史実に則って描写する事を求められ、舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いたという逸話が残されている。もっとも完成した映画ではすべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わった[34]。
また、登場人物の会話は関西出身の俳優や声優を起用したネイティヴな関西弁である。「キイキ悪い[35]」、「(二本松の)ねき[36]」などといった現在ではほとんど使われることがなくなった古い表現も、原作小説のままに使用されている。ただ、いわゆる神戸弁を話すキャラクターは一人も登場せず、大阪弁に近い言い回しに統一されている点が異なる。
テンプレート:独自研究ドラマ版では、優しかった叔母が徐々に冷たくなっていく過程を描くことで、戦時中は誰もがぎりぎりの生活を強いられていたことが強調された。ただし、ドラマ版の叔母は、神奈川県出身の松嶋菜々子に合わせて東京の人間に改変されていたり、2人を追い出す行為をより正当化するために病気の子を養っている設定が追加されたこと、さらには清太の家と叔母の家を、服装や門構えなどにおいて経済的格差があるかのように描き分けるなどの相違点もある。
叔母の行動はアニメ版とは異なり、食糧盗難のかどで補導された清太を、一度保護しておきながら家での引取りを拒むなど、より徹底して残酷になっている。その反面、終戦後は娘とともに2人を探しに向かうなど一貫性が無く、やや奇異な印象を受け、戦争が終われば再び引き取ってもよかったとも言える。いずれにせよ、戦争という極限状態では、兵士のみならず誰もが加害者になりうるという例を示すことによって、反戦色を強く打ち出した作品であり、その製作意図はエンドロールの背景に映し出されたイラクの子供たちの姿にも表現されている。
また、一人残された清太が三ノ宮駅で餓死するシーンには、「戦災孤児の保護が法律で定められた翌日のことでした」とのナレーションが重ねられた。現代の基準では、清太が警察に補導された時点で児童相談所等に通告され、弱った節子とともに保護されるべきものだが、劇中では警官が引取りを求めるだけで公的機関は何もすることはなかった。
劇中で警察官が言及しているように「戦争中に子供2人だけで生きていく事は無理」(ましてや節子は小学校入学前の幼児なのでなおさら)である。清太と節子がいかに戦時中の不可抗力とはいえ無謀な決断をしたのかが分かる。また叔母に「もう一度家においてもらえないだろうか」、清太に「あやまっでもいいからもう一度叔母の家においてもらえ」と忠告しておりアニメ版と同じようにこの時点では助かるチャンスがあった訳でここが死ぬか生き残るかの分岐点であったと言える。
清太の学校が神戸一中とされたのは、海軍兵学校を目指す秀才という設定に加えて、アニメ版でも描かれているように市立中学は戦災で全焼しているため、空襲による被害を免れ、当時の資料を多く残す神戸高校に協力を依頼したという事情もあるとされる。このため父親の出征シーンでの清太は、戦前の神戸一中独特の特徴ある色の学生服を着用している。
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