人類の運命 & このジョークが起こる理由、リーラについて

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「二元(物質)パラダイム」 ➡ 「非二元(霊性)パラダイム」―― 移行の時代 ――

近年は地球文明(物質文明)も隆盛をきわめ、ここ日本もストレス社会となって参りました。
そこで仮想システムを理解して、今生を縁に輪廻転生を卒業しませんか? 「一切衆生悉有仏性♪」

当サイトは作成者が「 行為者は存在しない 」ことを強制的に確信させられた、一連の不可思議な
体験(10数年前)を原点とし、関連書籍などをもとにして、多くの「 推測 」を交えて書いてます。

<見出し>
◎ 物事の流れは、波の動きをすることがある(★二元性の水準について)
◎ 人類の運命 & このジョークが起こる理由、リーラについて
◎ えとせとら(その他、霊性主義時代への移行)

物事の流れは、波の動きをすることがある(★二元性の水準について) (※次項とセット)

※水準変動、関連(具体的):「パラダイムシフト」≫「昨今の世相について(★集合意識システム)」

※当サイトでは、「二元性」=「非二元の対義、分離(物質世界)、関連する二元的(相対的)要素」、
「全体性」=「人類の集合意識」。 なお、下位集合意識(小規模)は上位(大規模)の影響下にある。


◆現象世界におけるさまざまな物事の流れは、波の動きをすることがある。
パターンやスケールは、多種多様ではあるが、現象としてたまに見受けられる程度にはあるかと思う。
物理的な波の動きには 相対する二つの力 が関係するが、、物事の流れに関しては ふつうに考えれば、
「❶二元性原理」が関係し、その程度(★というより不安定度)は深層意識に依存して変化するだろう。

※「波のうごき」は簡略的な表現で、「良し・悪し」だけでなく、さまざまな要素(質)が考えられる。
波というか、「特定方向の物事の流れ」が縁起的に発生することは、よくみられる。

この仮相・サハー世界では、「★全体性の二元性の水準」でバランスをとりながら(その水準下で)、
「★一切縁起システム」により 自動設定されたとおりに、すべての物事が起こってくる。

人の世のあらゆる物事すべての人生は、「そのパラダイム水準下での、脚本設定」どおりに進行するが、
錯誤的システムゆえに、基本的には正当なことも重要なことも何も起きていない、とも表現される。

※因縁生起は、総体的には真実に近いが、「変動性 ―― 縁起カルマシステム(全体性で縁起連繋)」。
※参考:「パラダイムシフト(別ページ)」≫「昨今の世相について(★集合意識システム)」

◆「●サットヴァ(純質)」優勢だと「★調和・安定 のちから」が強い、と考えられる。
サットヴァは、二元性の世界にあって「二元性のちから」を削ぐ、「●準非二元的な要素」である。
ニサルガダッタの説明だと、「意識 = サットヴァ」(※意識の構成要素)。

★三つのグナは盗賊だが、「●サットヴァのみ良心的・優良!」(by ラーマクリシュナ)


◆「二元性は表裏一体」という表現がある。 基本的には「後記Ⓐ」の意味でつかわれるようだけど、
Ⓑのニュアンスの場合もあり、少し考えてみたい。(※表裏一体:「2つがセット、密接なつながり」)
「二元性の表裏一体」を考えるときに、気になるのが、、「陰陽論」である。
陰陽論(※易経)によれば、万物の根源である「太極」から「陰・陽」の二気(二極性原理)が生ずる。
「陰・陽」はインド哲学での「タマス・ラジャス」にけっこう近似し、「太極」は「非二元(実相)」。
「陰・陽」は現象世界の運行を司る「原理的要素」であり、さまざまな現象のなかにその性質が現れる、
と考えられる(※インド哲学と実質的には同様とみなせる)。

★「 Wikipedia(陰陽)」(ちょうど右のこの マーク について… アハハ →)

大まかにいえば、、「陰・陽」は「静的・動的」なベクトルをもつ原理的な要素であり(まぁ表裏一体)、
それが「太極」のなかで働いている。 インド哲学だと(※3グナ)、
「サットヴァ」が、「ラジャス(動的)・タマス(静的)」を調和させる力。 調和が崩れると問題発生。
❶:3グナは、プラクリティの根本要素であり、心の性質を司る要素でもある。(※不均衡が マーヤの根因)

★三グナ(真理辞典)   ★3つのグナとは?   ★この世界はどのようにしてできた?(インド哲学)

原理(深層)レベル での、「タマス・ラジャス、または陰・陽(二極性)の調和のくずれ度合い」 が、
「二元性のちから(後記)」 に結びつくといえる。(★人類規模 ―― 個人規模、、縁起と密接関連する)

◆「二元性の表裏一体」につき、以下の2解釈を挙げときます(※は同意、は表現次第では同意)。
Ⓐ「本質的 & 哲学的ないみ(二元は非二元の仮現 & 二元性はあるいみで相互依存、相対的感覚)」
これは同意します。(※相互依存はあくまでも、二元的世界-相対的感覚 ゆえの ベース 的ないみに限定
Ⓑ「現象としての、全体性の中での二元性要素のバランス、的ないみ」

まず、「サットヴァがからむことで、『全体性の二元性の水準』が変動的になってる」、と考えられる。
「一切縁起 システム」では、全体性で バランス とる感じになるため、ベース 的ないみでそういえなくもないが、
「善・悪」などの実際の要素が「セット(表裏一体)」、ということではもちろんナイ。
例えば、遥かに高水準の未来人がこの時代をみれば、「悪性がつよい(=苦難が多い)」となるだろう。

つまり、「(サットヴァの)水準が命」「仮想世界は集合意識がつくり出す、単一の統一体」。

「善が増えれば、バランスとって悪も増える」とかはナンセンスで、
「一切縁起 システム」では、「善・悪(ほか二元性要素)」の増減は「全体性の水準」に依存する、という
観点が妥当、あるいみ当然である。(※映画が上映されてる様なものゆえ。★包括的視点でのハナシ
「全体性の水準」に影響を与えれる主な要素は、「人類全般の信念体系」&「高次根源プログラム群?」
であり、それ以外は基本的に微力と思われる(●信念は規模に比例)。
根源プログラム群は、直接または現象を通して人類に作用するので、「結局は信念の変化」になるかと。
そしてまた、根源プログラム群の力関係は基本的に「人類の信念体系に依存している」、がこの ジョーク。

※関連:「因縁生起(別ページ)」≫「★宇宙の法は人類の反映でもある(正当性について)」

★「宇宙はつねに運動し、それでいてつねにバランスがとれています。」 by ラメッシ(P172 意識は語る)


◆―― ということで、「人類の集合意識の状態(※構造ふくむ、サットヴァの水準)」 に依存して、
★二元性のちから(※分離衝突、あらゆる苦難困難 -の元)」 は、「●全体性の水準が変動する」。

※「二元性の水準」は簡略的表現で、「良し・悪し」だけでなく、さまざまな要素(質)が考えられる。
(※現象レベルでは)  基本的に、「二元性のちから = 波の振幅の大きさ」 にもたとえれる。

個人に関しては、(※とくに現時点)表面的にみれば公平性はまったくないが、この仕組みでは、
非常に壮大なスケールでみるほど、傾向的には「確率性」のようなものが出てくるはず。
ほんとうは誰も人生の内容に介入できないなら、、いくつかのことを考慮した上でそれが基本的だろう。
「全体性の一部としての、人生」を、あらゆる「自己」がくり返し割りあてられる、いう感じの仕組み。
まさに「壮大な虚構システム(フィクション)」だが、、物質パラダイムは「二重の虚構」ともいえよう。
◆―― ということで、
人間のあらゆる体験(心体の動き含む)は、その「全体性の二元性の水準(≒ 深層の負の引力の水準)」
の影響下で起こっている。 つまり、あるいみ好ましくない縁起状態は悪影響を受けてるともいえるが、
好ましい縁起状態であっても影響下にあることになる。(※一切縁起ゆえに)

※一切縁起なら、「全体性の二元性の水準(的な深層のちから)」が存在している、と捉えるのが当然。

◆この仮想システムは、完全・根本的ジョーク。 あるいみで、仏教のいうように「一切皆苦」であり、
「私たちは実質は人間ではない」という点についていうならば、あるいみでは「★一切皆笑」であろう。
(★ここでは、「笑 = ジョーク・幻想」のニュアンス)

※「一切皆苦」の「苦(ドゥッカ)」は、原語では、「★無価値で空(カラ)、つまるところ価値がない」

のような意味もあるらしい。  ※「ドゥッカ」の意味について(by 日本テーラワーダ仏教協会)


◎「解脱は、プログラムされたコンピュータとの自己同一化からの自由を意味します。」 by ラメッシ

◎「世界とはそれが包含するものであり、それぞれがそのほかの全てに影響を与える。」 by マハラジ


人類の運命 & このジョークが起こる理由、リーラについて

◆よくいわれる 宇宙の根本的法則(原理)として、「創造・維持・破壊(再生)」のサイクルがある。
※3グナ の原理的性質による  ※当サイト定義:「準サイクル的な現象の傾向 = ★ループ性」。

これは、さまざまな物事の中にそのサイクルが含まれてるということで、たとえば我われ人間でいえば、
人生自体もそうだし皮膚の新陳代謝のサイクルもそうだし、と。 これは、原理的性質という点では、
「準・サイクル的な現象の傾向(※流動的・部分的、短期~超長期スパン)」とも、関連性アリといえよう。
人類の運命についても膨大な時間の中で、ある種のサイクル的要素が現れてくる(?)のかもしれない。

「歴史はそのまま繰り返しはしないが、しばしば韻を踏む。」 by マーク・トウェイン (← ループ性)

★フラワー・オブ・ライフ ‐ 古代神聖幾何学の秘密(第1巻)(※一説として載せておきます)

私たちは現在、上昇期の「ドゥワパラ・ユガ期」に位置しています。 カリ・ユガの約900年間(※上昇期)を通過してきたところで、まさに今こそ、驚異的な異変が起きると予言されていた時期なのです。
世界はいまやそれ自身を再発見しはじめ、地球には大いなる変化の時期が到来しています。(※中略)
多くのヒンズー教の学者たちは歳差運動を何千何百年間とし、あるものは1つのユガが約15万年にも及ぶ
と言っています。 それは誤りでしたが、彼らは単によく理解していなかったのです。


◆仮想娑婆世界は根本的に幻想であるため、条件や時節しだいでは想像を超えたことも起こりうる。

そしてこの宇宙の根本原理は、停滞をきらい、変化を好むようにみえる。 それは人の世を、その歴史を
みればあるいみ一目瞭然だが、基本的にドラマチック(物語調)に展開したいようにもみえる。
そして、この人類が仮想システム内でどのように起こったかは不明の感が拭えないが、

人類は膨大な時間のなかで霊的進化(意識レベルで進化)していく、といわれている。

◆現時点では、輪廻の原因である「自我の催眠」をかんたんには解除させない強いちからが働いていて、
それは深層意識システム(※集合意識ふくむ)、そして自然界のエネルギーバランスにおいて存在する。
しかし近年は、割合的にはごく稀であっても、おそらく解脱者が増えてきているように見うけられる。
そして現在、その部分の転換期にさしかかってる、といわれる。

◆人類のある程度に「仮想システムの理解」が起これば、人類の運命の「本格転換期」を迎えるだろう。
(※ジョークの世界。 すべては時節によるところもある。)


◆現象世界のすべては一切縁起システム(原理)によって運命づけられる、
という事実を以てみれば、「あらゆる物事は、個別の原因は存在しえない」となる(※単一の統一体)。
しかしながら、「解脱者(輪廻卒業者)」は人の世を導くちからを持っているのではなかろうか?

人の世のすべては、いわば集合意識の戯れであり、輪廻の卒業者のデータは集合意識に保存されるはず。
また、集合意識とハイリアリティとのあいだに、直接的なエネルギーの通路のようなものができていく
可能性もある。 その叡智をふくんだデータ、あるいはハイリアリティからの直接的ななにかが、

定められたときに「集合意識(=人類の運命)」に作用するのではないか、と。(※妄想)
少なくとも言えることは、解脱者の叡智をふくむデータは未来永劫、この人類の深層における財産になる
だろうということ。 すべては、集合意識のデータの問題でもあるから。

◆たとえば、人類が「霊的進化」した場合の例としては(※可能性のはなし)、、

心眼が発達して、この世は霊的(または仮想現実的)なもの、と感覚的(直感的)に分かるようになる。
よい意味での霊的能力(のたぐい)をつかえるようになる。 深層意識の構造変更により、
表層の「心」の性質が根本的に改善され、基本レベルの幸福感がつよく、「解脱」が起こりやすくなる。

これはいわば、「ハイヤーセルフに統合された状態(または神人合一状態)」であり、そうなれば、
人びとの価値観も社会システムも今とはずいぶん異なる、幸福度の高い「霊的地球文明」になるだろう。
しかしもちろん、現象世界においてほんとうの完全性はナイ。 そしてそこには、
「真我実現ゲーム」という面があるはずであり、人生とは 自然発生的に起こった神秘的なジョーク、
そして挑戦状でもあり、「私」の正体を見きわめる謎解きゲームであるから。
しかしそのようになれば、苦難をとおして法則的なことを学ばされるケースも少なくない現在とちがい、
「人生のポジティブな要素を楽しみながら、ゲームを楽しむ」というスタンスがふつうになるだろう。

※参考:「覚者たち(別ページ)」≫「グノーシス」≫「反宇宙論的思想と、賛宇宙論的思想について」

仮想システムと人間の仕組みの点から端的にいえば(基本的には)、「真我実現の方向」においては、
「反宇宙論的な観点が、順理」となるが、とくに二元パラダイムではシビアになる。(※達成者は例外的)
パラダイムシフト進行、そして「社会システム(社会基盤)、さらに人間システム」の変化を踏まえれば、
「中間の道」は言うまでもなく、上のような「ハイレベル霊的地球文明」もありうると思う。 すなわち、
人間の通常の感覚に基づいた社会は、人間の存在理由に沿わず、仮想システム内での「逆理」でもあり、
ここが、このシステムが「人類に対する挑戦状」のような性質を、根本的に具えている点。

いずれにしても、「基本的な事実(仮想システムと人間の仕組み)」を人間社会の基礎に据えるのが最善。
「霊的進化」は可能性の話だが、、あるとしてもそれは「真我探求ゲーム、or その方向性をもつ霊性主義」
が当たり前に人類全般の人生の主題となるような状態(※社会基盤を土台とし)が、
結局のところ、前提となるだろう。(★人間の存在理由、ここを外すと仮想娑婆世界は低次ループになる
すべての人は、(凶悪犯罪者であっても)「じつは無意識レベルでは、真我をさがしている」という。
社会基盤 = 法律・教育・ほか様ざまな要素アリ

※「ハイヤーセルフとの統合」までに何段階かある(かなり時間差、まずは初段)、との説もみられる。
真相は不明であるが、この先「霊的進化?の方向」に進んでいくことになるのは、おそらく事実だろう。
「深層意識の構造変更」というのは、実際は時間かけてなめらかに移行していくらしい。
そこには、霊体(エーテル体・アストラル体・etc.)の変容も伴う、と考えるのが自然かもしれない。

―― とりあえず霊的進化はおいといても、、ニサルガダッタ が1981年に(書籍のなかで)、
「将来多くの人(外国人ふくめ)が、霊性に関心をもつ時代がくる」と明言(というか予言)している。
「仮想システムの理解が広がっていく」的なことも。(かれが発する予言予告の類は、当たってます)

※たとえば、「ハイヤーセルフ」と「通常の意識(低次的)」の 分離度が高い状態は(※集合意識)、
「幻想の神(★後記)」が悪ふざけしてる(※「我われ」が欺かれてる)ような状態、、ともいえよう。

これはそもそも、人間(の通常の感覚)を欺くシステムであり、、そういうゲーム的な脚本だろうけど。

実際的には、「誤作動(不調和)を起こしてる」といったほうが適切だろう(※あるいみで)。
実際は「我われ」は行為者としては実在せず、「幻想の神(=自然原理)」がすべてを動かしているが、
「分離、個人的行為者」 の物質主義パラダイム の時代(とくに近代)が進行していくことは、
「ある種の、誤作動(不調和)」が進行していく面もある(※近代特有の要素あり)。
ハイヤーセルフとは、高次の人格みたいなことだろうけど(※心の観念構造の問題)、、
★「ハイヤーセルフ」=「準非二元的な意識レベル」
★「ハイヤーセルフから遠ざかる」=「二元性のちから(≒❷自我のちから)が増大」、ともいえよう。
以上は、集合意識の水準についてのハナシ。
もちろん、現象レベルのすべての「縁起状態の良し悪し」は基本的に二元性のなか(領域)にある。
非二元パラダイムに移行して「全体性の二元性の水準」が改善すれば、「縁起状態が良い」ということが
非二元(解脱)の方向ともリンクしてくるが、、現時点(現行パラダイム)ではどうみてもこのリンクが
薄弱であり、「縁起状態が良い」ってことが逆方向ベクトルともリンクしていて(※二元性のちから)、
「大きな苦難」を乗り越えて解脱につながっているケースも少なくないことは確かであろう。
仕組みの点からいえば、いわば「二元(物質)パラダイム = 二重の虚構、矛盾・逆理のパラダイム」。
以上は、集合意識内での「力の作用の仕方の傾向(※まぁ限定的ないみ)」についてのハナシ。
現行パラダイムでは、解脱は例外的であり、割合としてはきわめて稀ではあるが。(※重要参考点)

パラダイムシフト進行により「全体性の二元性の水準」が改善、総体的に物事が調和・改善に向かうが、
(※いまは低活性の、非二元的プログラムが活性化していく。 本当はすべて自動的、が ポイント)

「ハイヤーセルフとの統合」というのは、その延長線上でそのような「霊的進化(意識レベルで進化)」
の方向に段階的に向かうのではなかろうか、と(※まぁ方向性として、通説的に、時節的に)。

「霊的進化」という感じでなくても、集合意識(プログラム群の力関係)がよいいみで大きく変動すれば、
「意識レベルで進化」という感じに人類が変化していく、と考えられる(★これは現実的)。

とりあえず現時点で、「真我実現」を妨げてる最大要因はおそらく、「二元性のちから(※集合意識)」
あるいは、仮想現実の理解度がひくい「人類全般の信念(※非二元系の因縁が生じにくい)」。

H.G.ウェルズの予言(※的中率 ⇒ 高め?ぽいけど、外れてるとこもけっこうある)

★《「 The Shape of Things to Come(世界はこうなる・下巻)」(明徳出版社)P357、P359 》

―― かくて全民族は今は一つにまとまり、われらをつなぐものは肉の紐帯ではなく、限りなく弾力のある、

目に見えぬ微妙なものではあるが、あたかも珊瑚やポリプのような、群生有機体となりつつあるのだ。

―― われわれは今この時代に、推移の山頂を目ざして登りつつあるのだ。 その頂上が極められた時に、

いかに壮大なる人生が、展開せられざらんや、である。 「目いまだ見えず、耳いまだ聞かず、人の心いまだ

思わざりしところなり」 なぜならば「今われら、鏡にうつすごとく、見るところおぼろなり」であるから。

《 最後部のいみ(聖書からの引用)》:「今われらが見ているもの、知っているものは、一部にすぎない」


◆《「意識の戯れ(リーラ)」を、深層意識の概念にて「比ゆ的」に表すと ▼▼▼ 》

※関連: 次項「えとせとら」≫「補足 一切縁起システム」 (※3グナ二元性原理が深層も包括)

人間やこの仮想宇宙のすべてを、ほんとうに動かしているものは「何」かといえば、、それは
「宇宙意識-集合意識」に存する「縁起 & 根源プログラム群(全自動・一切縁起システム)であり、
これはまぁ いわば、「★幻想の神、相対的ジョークの神(※現行パラダイムでは 統一感は薄弱)」。
これが、「多種プログラム群のあいだの、力関係(変動的)」の影響下で 一切万物を動かしているが、
「秩序、遊び心(ゲーム性)、混乱」などの要素あり。(★高度な 3グナ自然的-縁起アルゴリズム にて稼動

縁起プログラムの動作は 時間(幻想)の中で起こっていて、縁起的でありつつ 偶然的な要素も大きい。

「多種プログラム群」に、良くも悪くも神的なポテンシャルあり。★知性・自由意志はナイ
「多種プログラム群の力関係(≒全体性の水準)」は、もちろん「人類の信念体系」の反映でもある。

※「プログラム」=「★意識の機能的原理のことで、全自動(自由意志をもつ高次存在は認めない)」。
高次存在、or 幻想の神に相当する存在(?)がいても、縁起プログラムによってのみ活動。

実際には、「幻想の神(根源・多種プログラム群)」も、縁起プログラムにより動かされているだけだが、

上ではそれを表現上、縁起と同列にしてまとめただけ。 縁起は、あくまで自然原理。 すなわち、、

「諸法一切縁起(現象界、★すべては自然的に縁起している)、一切皆空(すべて幻想)」ということ。

これは初期仏教からも受けつがれ、近代の覚者らも当然のごとく主張する、基本的な考えかたです。

※あるいみでは、現れた世界自体「幻想の神」。(❷「我われ」は自我としては実在せず、諸法無我!
これは、「神秘的で壮大なる、相対的ツッコミの幻想ショー」&「❷(高度な)謎かけ挑戦状」である。
我われは宇宙の原理的には(基本的に)、個人規模でも人類規模でも「行為者として扱われている」。
とくに二元パラでは、「我われは仮想行為者として、錯誤システムから挑戦されてる」という面もある。

「幻想の神 ―― 我われ」は共に行為主体ではなく「★相互依存的、あるいは模倣連動的(ホルス)」だが、
我われに主導権アリ、と基本みるべき。(★このさきの変動期は、そうでないと追い込まれやすい雰囲気)

「❷ 我われが幻想の神を育てていく、という姿勢(パラダイムシフト)」が、人類に求められる時代だろう。
全体性の水準下で、例えば何かの困難を助ける力や、必要な力は「適時」作用するが、その水準の ハナシ。
今世紀が、ツッコミを入れていくときではないか?(我われ人類の幸福のために・・)

★「もしあなたが実際の立場を見さえすれば、何という冗談かがわかることだろう!」 by ニサルガダッタ
(P207、指し示したもの)

●「幻想の神は、人類の行為の中に実在す(相互影響・一心同体)」――「受容により神性に向かう」

◆人類とはおそらく、膨大な時間の中で「意識レベルで進化」していく、壮大なプロセスなのだろう。

◆個人規模では、「サーンキヤ哲学(トップページ)」にあるように、プラクリティ(一切縁起システム)は、

「世界というショーを 真我にみてもらいたい! そして、真我を解脱させたい!」 というプログラム設定

になってて、真我はその幻想ショーを見定めるために至高の実在から分岐して人間に同化してる、と。

◆リーラ(意識の戯れ)が起こる「厳密な理由(詳細な原因)」、あるいは
「究極の目的(意味)のようなものがあるのか、ないのか」は厳密には誰にも分からない、といえよう。

これは諸説(諸表現)あるが、厳密にはすべて「仮説」になるだろう。  ★流出説は基本(コトバンク)

それはあるいみ、「自然発生」というしかないだろうし、あるいは人知で計り知ることはできない何かが
あるのかもしれない。 自然発生でも、「超絶・潜在的インテリジェンス(?)」があることになる。
人間の本質は「至高の実在(=絶対)」の一部とされるが、、その「非顕現領域」にこの仮想システムが
発生する機能(原因)がある、ということ。 解明不可能なを「神の意志」と捉えることもできるが、
そこに「神の意志」のような何かがあるかどうかは不明(※その意志を想定した説明はある、後記)。
人生とは最終的には、「仮想システム(世界仮現原理)を解除せよ、とのゲーム」であることはたしか。
これは二元パラ育ちの人間には納得しにくく(※永遠の謎?ぽい)、「訳アリ」臭さがないこともないが、
二元パラ現時点で率直にいうと、、
クソガキの性質の神が、悪戯でつくったかのような、緻密なシステム」というか、たしかに
「根本的錯誤・無知」などが嵌まる感じである(しかし確実にゲーム性あり、逆手に取れ みたいな)。
このシステムに真摯に向き合った社会基盤をつくれば、幸福度も高く 面白い神性ゲームではあるだろう。
初めに大元の ズレ が生じて、仮想宇宙システム(原理)が自然展開したような感じではある。(← 定説的)

※関連:「覚者たち(別ページ)」≫「★ニサルガダッタ(最下部『人生はドタバタ喜劇、茶番』)」
「★阿頼耶識縁起(根本的錯誤、2種類のゲーム、至高の理法)」「★ポイマンドレース(流出説)」

しかし、その様な「☆時節(タイミング)」にて、そのシステムにツッコミを入れ受容していくことで、
人類自体が意識レベルで進化に向かうシステムでもあるだろう(集合意識しだいで、優良化しうる)。
つまり根本部分は人知は及ばないが、「●時節がきたら、本来の?ゲーム価値観に移行していけ」、と。

とりあえず、今世紀が「節目(重要ポイント)」だろうと思う。


★by 釈迦 《 中部経典63(毒矢のたとえ)》(※原始仏典)

あるとき、人が毒矢に射られたとする。 ところがもしもその人が、かけつけてくれた医者に対して、
「この矢を射たのは一体だれか、弓はどのようなものか、弦は何でできているのか、
矢羽はどんな鳥の羽か、それが分からないうちは矢を抜くな。」 と言ったなら、その人はそれが
分かる前に死んでしまうであろう。 必要なのは、まず毒矢を抜き、『応急の手当て』をすることである。

[ 参考 ] ルパート・スパイラ(解脱者)

https://www.youtube.com/watch?v=IoJc9TCBbTI

物質というもので作られた肉体と呼ばれる独立・分離した物体は存在しないのです。――
それは決して物質と呼ばれるもので出来ていません。 それは意識の中に現れるイメージにすぎない。

もし人類が500年後に続いていなければ、それは物質主義の勝利を意味します。
人類は物質主義パラダイムでは生き残れません。 自らを破壊してしまいます。それが定めなのです。
そう、今まさにそれを目の当たりにしていますね。

[ 参考 ] ニサルガダッタ・マハラジ(解脱者、最強クラスの賢者

https://www.youtube.com/watch?v=A8mMYTZGFuw(※「字幕日本語」クリック、16:20~)

―― 厳密な意味での巨大な知性を持った創造者は存在しない。
この意識の戯れすべては 「自発的、自然」 に続いていく。 その背後には知性は存在しない。

幻想の源を探求することによって、この幻想とは何であるか見つけようとしなさい。

★なぜパラブラフマンは、この顕現世界のこれほどの贅沢や苦しみをもつ余裕があるのだろうか?
それはパラブラフマン(※至高の実在)にとって、これが存在していないからだ。(P130)

[問い]絶対から起こってくるこの一時的状態には何かの原因があるはずです。
五大元素の軋轢というか相互作用のせいで、この一時的局面が起こったのだ。 たとえれば、二人の親しい

友人がいたとして、彼らの友情は非常に長く続いていたが、何かの軋轢か不和があって、突然ケンカをした
ようなものだ。(P96)

★私の真実で全体である均質的な状態に、ほんの小さいさざ波が現れ、「私は在る」というニュースが

やってきた。 そのニュースのせいですべてが変わってしまい、私はこれを知り始めた。(P26)

★意識は世界や宇宙と離れてあることはできず、それは同じものだ。 これは私のマーヤ(※幻想)であり、
私から出て来た。 そして、私は自分がそのマーヤではないことを知っている。

私はこれの観照者であり、それはただ私の戯れにすぎない。しかし、私はその戯れではない。

このすべてのサーダナ(※修練)の最終的な意味はあなただ。 あなたが何であれ、あなたは存在している。

今までこういったことを誰も本に書かなかったが、これからは出て来ることだろう。(P97)
《以上、「意識に先立って」より》

★「人生はあらかじめ書かれた脚本に従って厳密に展開するはずである。」(P166、指し示したもの)

★「本来のあなたとしてのアイデンティティがあり、その上に個人が重ねられているのだ。」
(P460、I AM THAT)
★「意識とは、愉快で魅惑的な マハーマーヤー(偉大な幻想)、あらゆるものの中で最も壮大な詐欺である。」
「―― またマハラジはそれを、行き渡っている間は興奮を生む『一時的な病気』と呼んでいます。」
(P341、ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの)

[ 参考 ] ラメッシ・バルセカール(解脱者、★インド銀行・元CEO最高経営責任者

※「神の意志、源泉の意志」というのは、捉えかた(表現・仮定的)です。(★上のマハラジと比較)

ここは、表現が分かれるところ。 社会の中での「個人の行為責任」については、別ページ参照。

▼質問者
私たちは、神の意志を理解しようとすることができないのですか?
▼ラメッシ

―― 私たちの知能は非常に限定されていて、知性も非常に限定されています。
それに対して、神の知性は永遠です。 ですから、非常に限定的にしか理解できない私たちが、どうやって
神の意志を理解できるというのでしょうか? 私たちにはできないのです。

▼質問者
誰もできないのですか?
▼ラメッシ
誰もできません。なぜなら、あらゆる人は、単に源泉の反映である現象全体のわずかな部分にしかすぎない
からです。あなたにできることはただ、あなたが少し前に言ったように、ものごとをあるがままに受け入れ
ることだけです。 まさにそういうことです! 《「誰がかまうもんか」第三章 ≫ 運命 P78 》

★人間の根本的問題は、限られた自分たちの知力で 現象世界と非現象世界の両方の全体図を見たい と思う
ことです。 それはちょうど、一本の小さいネジが機械全体を知りたいと思うようなものです。

《「意識は語る」P29 》

◆リーラについて(源泉・神 の意志を認める場合)  ※関連:「阿頼耶識縁起(別ページ)」

★あらゆることはただ起こるのです。ロバートは行為者ではありません。それが唯一、意味のあるポイント
です。もしロバートが行為者でなければ、そのときにはロバートは存在しません。では、何が存在するので
しょうか? 源泉の意志にもとづいて、ただプログラムされた肉体精神機構だけが存在します。
源泉は肉体精神機構を創造します。 源泉は行為を創造します。 そして、現象全体を通じた行為の全体が、
「今、あるがまま」であり、これが「リーラ」、聖なる芝居である見かけの創造なのです。
《「誰がかまうもんか」P251 》

★それはかくれんぼのゲームにすぎませんし、観察者と観察される者というゲームにすぎません。
その中でお互いがそれぞれそれ自身を主体だと思うので、そのため人間関係と、人間関係の問題がありま
す。 基本的にそれが意味することは、単にそれは 進行中のゲーム だということです。 そして、
あなたは「なぜ?」と尋ねるのです。 これには本当は答えがありません。 もしあなたが海辺でバケツと
スコップをもっている子供たちを眺めていたら、そのことを理解するでしょう。(※中略)

「どうして君たちはお城を作って、それから壊してしまうの?」と尋ねたら、子供はあなたの質問を理解
しないことでしょう! もしあなたがしつこく尋ねたら、

僕が作りたかったから。 僕がお城を作ったのは、僕がそうしたかったからだし、
僕がそれを壊したのは、僕がそうしたかったからさ」 とでも答えるでしょう。 《「意識は語る」P106 》

※基本的には、「自然発生(自然原理)」を比喩的ないみで「源泉・神 の意志」と言ってるような感じ。

★―― ですから、神の映画においても、彼は英雄と悪漢を創造し、恋愛物語、悲劇、喜劇を創造します。
《「誰がかまうもんか」第三章 ≫ 映画 P98 》

▼ラメッシ
第二次世界大戦は起こらざるをえなかったのです。何百万人もの命が失われなければならなかったのです。
それゆえ、こういった特徴をもったヒットラーという名前の肉体精神機構が生まれなければならなかった
のです。 ヒットラーが戦争を生み出したのではありませんでした。 戦争がヒットラーを生んだのです。
▼質問者
そして意識がそのすべてを創造したのですね?
▼ラメッシ
はい。意識がそれ自身の中ですべての夢を創造したのです。 意識が夢見られた人物を通じて、すべての
役割を演じているのです。 意識それ自身がこのドラマを演じ、認識しているのです。
▼質問者
それは巨大な信用詐欺です!
▼ラメッシ
実にそれは信用詐欺です。 それが信用詐欺であり、そのバカバカしさをあなたが理解するとき、
それが悟りです。 この理解が完全に実現するとき、それが悟りです。 《「意識は語る」P68 》

「エメラルド・タブレット」(アイザック・ニュートン 訳[1680年])

これは真実にして嘘偽りなく、確実にして真正である。
下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとくであり、
それは唯一なるものの奇跡を果たすためである。

万象は一者の観照によって、一者に由って起こり来たれるのであるから、
万象は唯一なるものから適応によって生じたのである。
太陽はその父、月はその母、風はそれを胎内に運び入れ、地はその乳母である。

全世界のあらゆる完全性の父(源)は、ここにある。 その作用と力は完全である。
それが地に転ずれば、甘美にも偉大なる手腕によって、地より火を、粗雑より精妙を分かつ。
それは地から天に昇り、ふたたび地へと降って、上位のものと下位のものの力を受けとる。

この方法によって、そなたは全世界の栄光を手に入れ、
それによって一切の無明はそなたから去るであろう。 その力は他のすべての力を凌駕する。
それはいかなる精妙なものをも征服し、いかなる堅固なものをも貫くからである。
かくして世界は創造された。
これによって来たるところの驚くべき適応、その方法(過程)はここにある通りである。
われは全世界の哲学の三部を具するをもって、ヘルメス・トリスメギストスと称される。
われがかたりし太陽の作用とは、かようなものである。


えとせとら(その他、霊性主義時代への移行) (2023年)

※姉妹ページ:「★パラダイムシフト(別ページ)」


◎「人生とは探求なのだ。 探求するほかないのだ。」 by ニサルガダッタ・マハラジ

★《「魂(カバラ)の学校」([著]ゼヴ・ベン・シモン・ハレヴィ、[出]出帆新社)》

今日の状況はルネサンス前の時期と非常によく似ている。 ただ霊性に反論するのがスコラ哲学の論理では
なく、科学技術であるところが違うだけである。(P11)

「存在」とは、聖なる名前「I am that I am」が展開していくことなのである。
―― 私たちはこの神性イメージであるアダム・カダモンの細胞の閃光なのである。 私たちの使命は、
それぞれの人生の中で、私たちの根元にあり宇宙全体に遍満する神の意識を現実化することである。 P464

◎「霊性は開かれていると同時に、謎でもある」 by ニサルガダッタ


◆[根本的な問い]人生とは、そもそも何か? (―― 人生の本質は真我探求、それが人間)

それは、人知が及び切らない神秘的な、途方もない、「ジョーク(リーラ)」&「謎かけ挑戦状」であり、

究極的にいえば、、
ハイリアリティ(真我、真の現実)の実現に向かう、「真我実現ゲーム」ということになるが、
とりあえず「真我実現ゲーム」とはいわなくとも、

そちらの「要素(方向)」を理解・意識しつつ、「②の要素」をあわせ持つ、「霊性主義的なもの」。

そういうことに興味ない場合は、、
「ほかの何らかの幸福を求める、(冒険と挑戦の?)神性劇ということになる。

※「神性 = 神秘的な」のニュアンス(当サイトでは)。 設定の違いであり、上下はない。
輪廻卒業(解脱+肉体死)してはじめて、本当の意味がわかる可能性もあるのではないか、と思います。

多くの人は、表題のような問いが心に生じたことが多かれ少なかれある?と思うけど、こういったことが、
「常識的」に理解され、「生き方や社会システム」にも反映される時代がくるだろう。 どんな形であれ、
「根本的な人間の仕組み(の理解)」 が個人と社会の 「根本的(基礎的)な要素」 になることはたしか。
理解してる人は けっこういるが、常識的(★社会基盤的)にはなっていない。 それはつまり、
そう定められた一過性の、そういうゲーム的な時代ということであり(※まぁこれは二重虚構ゲーム)、
いまが変化の時代、それを常識的にしていくゲーム的な時代であろう(※今世紀)。
「Ⓢ 世界とは実在の錯誤した光景であり ――」 とニサルガダッタは言う。 まぁふつうに考えれば、
仮想システムは根本がオカシイ、変なわけだが(※ゲーム性あり)、、「オカシイ」「あるがまま受容」、
「あくまで自然発生、非顕現(至高の何か)の意志ではナイ」「神が仕掛けた、途方もないゲーム」、
根本無知的なタネの自然発生、あるいは訳あり故意的発生(グノーシスでのソフィア脱落・偽の神)」、
解釈や表現はむかしから数種あるが、「基本的な事実(こうなってる)」は広く理解されゆく時代がきた。
なお、「科学(科学的証明)」が「表題のような問い」にいまだ答えを出してないことは、あきらかです。
表題 & サイトタイトル のような事は、古くから受けつがれる「事実」として公認していく必要あり。
まずツッコミを入れる必要が状況的にあるが、、最終的に求められるのは「人類規模で、事実を受容」。

仮想システムを考えたときには、それが
「人間の、(最終的な)存在理由」に沿った 幸福度の高い道です。 それは物質時代から「霊性主義時代」
への移行ということでもあるけど、現在、集合意識が人類の変容を促すよう急速に変化してきている、
実際に、仮想システムに気づかされるような経験が起こりやすくなってきている、ともいわれる。
私たち人類はこれを、●智慧を以て、受け入れていくべきだろうと思います。
「人生の本質は真我探求、それが人間」、ゆくゆくは小学校で基本事項は教えたほうがいい、小時間でも。
地球規模で因縁生起パターン も変化し、幸福の道であることが理解され、実現者もどんどん出てくるだろう。

「仮想意識(=リーラ、概念のセカイ)」、その中に行為者はいないが、そこに現れる人生に自己同一化
して、私たちは人生という夢をくり返しみていることになる。 夢は、好ましいもの(要素)ばかりでは
ないだろう。 じっさいこの世界には、あらゆる苦難・困難、惨状が少なからず存在し、またふつうに
人生において多くの苦は不可避である。 そして、このセカイでは誰もが「幸福を」さがしている。
そして、二元パラダイムでは仮想システムの長期的特性は、システム自らその本質を明かすことにある。
二元パラではほぼ、長期スパンでこれをくり返していることになるだろう。(※解脱は例外的)
そして二元パラダイムでは、物事の流れは、短期~超長期スパン にて「ループ(低次)」的な傾向をもつ。

◆個人は集合意識の影響下にある(★補足 一切縁起システム)

※セット:「パラダイムシフト(別ページ)」≫「昨今の世相について(集合意識システム、補足)」

「私たちが個別・自由意志で行動してる」はもちろん偽りの信念。 すべての思考・感性・判断・行動は、
集合意識から個人に自然的に、あるいみ分配される(※個人の過去のデータと表出パターンは当然ある)。

※集合意識の「Ⓐ 多種プログラム群の力関係」の影響下において、全現象が投影されるが、
「人類全般の信念体系、(個人行動)」が、その力関係に反映される。(★地球上・全人類相互影響機能)
Ⓐは、「人類レベル ―― 個人レベル」で別べつに成立。 個人規模では多様なタイムラグあり、運命次第。
「人類レベル ≒ 全体性の二元性の水準」。 占星術もこれの関連。 因縁生起は、あくまでベース的なもの。
これにより、縁起の流れ・現象化・心の性質 など様々な影響をうける。 全体性の水準が、根本・土台的。

「一切縁起システム(多種プログラム群)」は、基本的なところは、「宇宙意識」に具わる機能的原理だが、
それが「人類の集合意識(→ 個人)」レベルで独自的に適用される、と考えられる。
エジプト神話等 も参考にして普通に考えると、人類の集合意識に専属で関わるプログラムも存在する。
以上、根拠はニサルガ説明+Ⓑなどで、大まか表現※力の作用の仕方 としては、概ね正しいかと思う)。
★因縁生起ページで書いたが、一切縁起は あきらかに、根本部分は論理的なふつうの考えが通用しない系。
「(論理的に説明しきれない)神秘的なゲーム性」が、個人・人類の両観点において存在するだろう。

※縁起システム上、人類種は「人類の集合意識(ある種の統一性・相互影響機能アリ)」に属している。
当仮想システムは、物質レベル では個別的にみえても、縁起という点でも あらゆるものが連繋していて、

宇宙の原理の作用という点でも、人類規模で、一まとめにされていて(★集合的カルマ ―― 個人分配)、

★個人規模でも、分離幻想にもとづく行為は負カルマとなり、逆もしかり」。
因縁生起は、(集合的カルマは別の話としても)集合意識において縁起連繋してるなかでの個別性」。
あらゆる物事は、個別の原因は存在しえない(=集合意識内で、原因がどこまでも縁起連繋する)」。

※集合的カルマ、参考:「因縁生起(別ページ)」 結論:「人類 = 一まとめ(一つ)の データ(概念)」

同種属はあらゆる要素において、集合意識レベル での「★相互影響機能(≒非個別性)」があきらかに強い。

この全人類相互影響機能ゆえに、物質時代の成熟期には人類規模に向かうパラダイムシフトが必要になる。
「下位集合意識(小規模)」というのは形式的な概念であり、「人類の集合意識」は明らかに別種である。
複雑多岐な縁起性(システム)の根底に存在するであろう要素は、「★バランス性・確率性・ループ性」。
(※―― ここでいうバランス性は、「全体性 & 水準」という意味と、個人については
時間方向に部分的にはあれども、公平性に直結するようなバランス性ではなく、キホン不規則・偏向的。
物凄く壮大な時間的スケールでみたならば、総体的には偏向性が薄まっていく、といったところだろう
全体性の水準下で、すべての人が諸行無常にさらされるが、「二元性のちから = 苦 & 無常 のちから」。

あきらかに、集合意識レベル で「人類」が一まとめにされ、さらには 分離幻想を指摘(示唆)するような、

ある種の、準非二元的作用」がある。(―― 二元パラは逆理なので、作用がネガティブ的になる)

なお、「人類が根本的に二極化して、一方が霊的進化する」or その類の説は昔からあるが(数千年?)、
その類の線はないとおもう(※そういう雰囲気ではない)。
「集合意識の機能」という点でみても、特殊な動向がないかぎり種属としての根本二分化は考えにくい。

私たちは本当に分離しているのだろうか? この広大な生命の大洋のなかで、
私たちは他者の罪(※カルマ)によって苦しみ、また私たちの罪によって他者を苦しめる。」 by ニサルガ

「世界とはそれが包含するものであり、それぞれがそのほかの全てに影響を与える。」 by ニサルガ

※これら↑は主に、人類の集合意識についてのこと(集合的カルマ、ほか)。「単一の統一体」てこと。

❶ 表面的にみると(※幻想視点)、、あらゆるものが個別的であり、人間は個別意志で動いている。

❷ 深層的にいうと、、縁起しつつ、個別性を保持しつつ、集合意識レベルで「非個別性の要素」も作用。

究極的にいうと、、ハイリアリティ(or真我)が、世界として仮現。(★非二元・真我がみてる夢

このシステムは、ある部分では、「分離は幻想! すべて非二元!」と主張しているような感じである。

そうでありながら他方では(とくに二元パラでは)、「二元性ギャップ」を支持するようにもできている。
ここが、このシステムが「錯誤的かつゲーム的」といわれる所以であり、
あるいは高度な知性によって そのように仕組まれている(?)、ようにも感じられるところではある。

―― しかし一方で、ニサルガダッタが「それは意図的な普通の映画ではない。」と言っているように、
その原理(★縁起性)は、現象として個別的にみれば 複雑多岐ではあるが、総体的または長期的にみれば
傾向としてある種の法則性も現われ、脚本内容などからも、自然展開的で意図性ナシっぽい感はある。
つまり仮想システム自体が、、非顕現領域における「不調和 ―― 次元の ズレ のようなもの」が元になり、
根本的に自然展開しているようにも、感じられるところである。(※定説的、当サイト では一応これを支持)
このシステム内(高次-低次)の全動作は、時間のなかでの「全自動リアクション(プログラム設定)」、
すべての人生は、幸福や改善を求める全自動リアクションといえる。(世界観・根本的価値観・感性

そうならば、神的な意志というよりも、超絶・潜在的ポテンシャル のような「至高の何か(究極完全性)」が、
背景(実相)にあるということ(※まぁそれ ナシ にはこの仮相原理は アリエナイ、❷❸、前Ⓢ)。 すなわち、

「非二元(実相)」を基礎とし、あくまでそれとの関係性において作動する「二元性の原理(仮相)」。

いずれにしても、「原初領域(非二元・実相次元)に帰還せよ」のようなゲーム性が、基本的に存在する。
一切縁起システムにおいて、「空間-時間」の2要素(2観点)に依存して、
「非二元・実相」を基礎に「二元性・仮相」が現れている。(★二元性のちからは、この2観点にて表出)
この構造が根底にあるゲームであり、そのゲーム性の理解が人類規模で求められる時代である。
二元パラダイムでは、我われは無常で危険な境地におかれている!!

※この世界では、科学的に認められるような物理法則は、
マクロ次元の特定観点(物理的)に限定されるが、仮相が「一切縁起の観念のセカイ(二元性)」ならば、
大きなスケールでみたときに、ある種の部分的な法則性が現われる傾向、があるのは自然な感じといえる。

人類規模の視点での「諸行無常」&「確率性」は、(法則性以前に)人の世の ベース要素といえるだろう。

(※当サイトでは、「人類の集合意識」という限定的観点、そこを外れるのはほとんど一時的とみなす)

Ⓢ:「世界は実在の錯誤した光景ゆえ、縁起性にはある種の準非二元的作用(※錯誤的かつゲーム的)」

2種類のゲーム:「二元的ゲーム(逆理)」――「非二元ゲーム(順理・人間の最終存在理由に沿う)」

◆「霊性主義時代(非二元パラダイム)」への移行

以上を踏まえた上で、解脱者が増加していく方向を考えるなら、「個人のレベルでの努力」というほかに
「集合意識のデータとその表出パターン」という観点からもみれます。 周知のとおり インドという国は
古くから解脱系の宗教的伝統が受けつがれてきたので(★これは宗教的な形態、、現代では薄れた感も)、
古くから現代に至るまで、多くの解脱者を輩出しています(※世に出ない人も多い)。
それは究極的には、「そういった下地のある国に、その運命の人が生まれてくるから」となるだろうけど、

インド人の集合意識にそのための原因データが豊富にあるのです(※古くからつながっている)。

ここ日本でも昔のほうが、人生かけて修行して悟りを開いた仏教僧なども多かったように見受けられます。

つまり、物質主義的・科学文明 の進行とともに、人類全般の「霊性」は後退した?ようにもみえます。
しかしすべては定められたとおり進行するのだから、それでよいのです。 それは遠くない未来に、
★より一般化形態? で現れてくる、と予言されています。 あるいみでは 特定の宗教や形式に限定されず、

様ざまな形で現れてきてるともいえるが、黎明期の段階。 そして、霊性主義が進行していくためには、

「仮想システムの理解」が一般的に広がっていくことが、不可欠と思います。 すなわち、
「これは『●仮想現実』で、すべては『●リーラ』であり、分離はしてない」 (← 非二元パラダイム)

「究極的には行為者は幻想。社会の中には行為者がいる(システム設定上)」 というようなこと。
実際にどのように進行するかは分からないが、その理解が霊性主義の根本になるはずです。

※「宗教」という形態ではムリなことは、歴史が証明(※妄信社会ゆえ、社会通念化・基盤化の必要アリ)。
非二元・パラダイム移行に関する活動は、探求者の観点、あるいは探求者に対するアドバイスなどとも
区別して考える必要あり。 真我探求に関係する事柄だが、根本的に異なる。

仮想現実説は科学的に証明されかけてるけど、それも時節 といえよう。 ※参考:「★おかると物理学」

常識的に考えると アレ だけど、実際に「人類の歴史や科学の歴史」を考えてみると、人類社会が時代ごとに
保持していた「常識」というものが、いかに移ろいやすいものだったか、という事実を再認識させられる。

「物質主義時代」というのは、それが成熟したあとで「霊性主義時代」に向かうための ステップ だった、
ということになります(※完全に成熟してる感)。 そしてこの ☆手のうごき は、
このマーヤ(幻想)において時おりみられるうごきであり、傾向的(原理的)性質ともいえると思います。

※当サイトでは、「仕組みの点では~」のように書いてるところも多くあるが、
もちろん実際には、時節(※集合意識の複雑な事情・構造?)も関係してくる。(リーラ に if はない)
世界は進行する様に進行し、物事は適時に起こるともいえるが、運命はほとんど偶然の産物ともいわれる。

※上は、「究極的観点 ―― 仮想行為者観点」 のような趣旨の表現だが、変動期においては後者が基本。
まぁ仮想システム内ではこの種の観点は、「中道」が通常の基本といえるだろう。

私たち人間の「自己存在」は、つねに非二元領域にあり、その領域に目覚めることが人間の存在目的なら、
「二元性の物質時代が成熟する」➡「非二元の霊性時代に移行する」 は、あるいみ当然の流れです。

実際のところは、すべてプラクリティ(★自然原理・矛盾が特徴)による「壮大なおふざけ」なわけだが、

そうならば、移行期における仮想行為者のうごきは重要な要素である。(★注意 ≫ おふざけの被害)
我われは我われ自身のために、このゲームに参加することができるだけ。 それが、人類の運命。

☆「非二元(仮想システム)を広める多くの人びとも、現れるようになる」 とニサルガはいう(1981年)。


★《「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」P261 より》

―― あなたの個人的な夢のあらゆる対象物はあなたに他ならない。
人生-夢 においてもまた、たとえ彼らが夢の中ではお互いに対立していても、
すべての対象物(すべての個人)は、あなたそのものでしかありえない。

それゆえ、人生のすべての機能、すべての行為は自然発生的行為でしかありえない。
なぜなら、どんな行為をおこなうどんな実体もいないからだ。

あなた(私)はその機能であり、夢であり、シヴァの宇宙的ダンスなのだ!

ある観点では、、「非顕現(非二元絶対性)」の表現の場が、「顕現世界(二元相対性)」であり、
二元性(分離・多様性)があるために、「愛と苦痛の劇(リーラ)」が生みだされます。
そして、愛が、あるいは神聖さが、表現の機会をあたえられ、または機会がつくり出されます。

集合意識的ないみで、、私たちの心の奥底には「愛と苦痛の劇」への執着があるといわれます。
行為者はいないけど、、基本的に、人間存在の根底・土台 には(※究極のいみで全行為ふくむ)、
「(あるいみ相対的な)愛」があります。
そして私たち(※解脱者を除く)の心の構造の根本には、「存在性への執着(愛)」があります。
それらがさらに、「心のシステム & 縁起のシステム」により 歪められると、苦をつくり出します。
体験されるすべての現象は、意識の中の見かけであり、、
「錯誤的(ゲーム的)システム」 により自動設定されたとおりに、すべての物事が起こります。

集合意識がつくり出す「縁起の観念のセカイ」は、人類の「心の観念構造」の反映でもあります。
人類の「心の観念構造(の土台)」が、「二元性 ➡ 非二元性」 の質を総体的にふくんでいくことで、

顕現世界に神聖さが、さまざまな形で現れてくると思われます。

※ニサルガ説明によれば、本質的ないみでは「愛 = 存在の状態」。

あるいは、、幸福を求めることは人間の本性です。
すべての人は無意識レベルでは真我をさがしている、ともいわれるが、

縁起の幻想世界においては、興味の対象が、良くも悪くも強調されてきます(※特定のいみで)。
人類全般の「さまざまな幸福探求の行為」が、

「リアリティ(二元相対性) ➡ ハイリアリティ(非二元絶対性)」 の質を総体的に帯びていくことで、

顕現世界に神聖さが、さまざまな形でリアル化してくると思われます。(★人知を超えている)

※究極のいみでは、、リアリティはつねにハイリアリティの表現・仮現(上記ニサルガダッタ)。

顕現世界はいわば、「二元性のちから ―― 非二元のちから」 がせめぎ合う、謎かけ挑戦ショー。

「ほんとうは、誰も人生の内容に介入できない」ってことを輪廻をまたいだ 包括的視点 で考えたなら、、

「全体性(集合意識の水準)の中で、あらゆる体験(要素)が巡っている世界」とみれるだろう。
生が幻想であるなら、死も幻想であり、神業的トリック下の神秘体験である。
「二元性のちから」は欺く力であり、「空間-時間」それぞれの観点での「二元性ギャップ(+苦)」
を集合意識レベルで増大させる。 ゆえに、包括的 or 人類全体的にみたなら、「全体性の水準が命」。


◎「生きることが生命の唯一の目的だ。」 by ニサルガダッタ(※観点)

◎「人間において偉大な点は、かれがひとつの橋であって、目的ではないことだ。」 by ニーチェ



★Symbolism: Electro-light(☆神性ダンス)
★EZ DO DANCE: TRF

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