人類の運命 & このジョークが起こる理由、リーラについて

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「二元(物質)パラダイム」 ➡ 「非二元(霊性)パラダイム」―― 移行の時代 ――

近年は地球文明(物質文明)も隆盛をきわめ、ここ日本もストレス社会となって参りました。
そこで仮想システムを理解して、今生を縁に輪廻転生を卒業しませんか? 「一切衆生悉有仏性♪」

当サイトは作成者が「 行為者は存在しない 」ことを強制的に確信させられた、一連の不可思議な
体験(10数年前)を原点にして、関連書籍などを参考にし、多くの「 推測 」を交えて書いてます。

<見出し>
◎ 物事の流れは、波の動きをすることがある(★二元性の水準について)
◎ 人類の運命 & このジョークが起こる理由、リーラについて
◎ えとせとら(その他、霊性主義時代への移行)

物事の流れは、波の動きをすることがある(★二元性の水準について)

※水準変動、関連(具体例):「パラダイムシフト」≫「昨今の世相について(★集合意識システム)」

※当サイトでは、「二元性」=「非二元の対義、分離(物質世界)、関連する二元的(相対的)要素」、
「全体性」=「人類の集合意識」。 なお、下位集合意識(小規模)は上位(大規模)の影響下にある。


◆現象世界におけるさまざまな物事の流れは、波の動きをすることがある。
パターンやスケールは、多種多様ではあるが、現象としてたまに見受けられる程度にはあるかと思う。
物理的な波の動きには 相対する二つの力 が関係するが、、物事の流れに関しては ふつうに考えれば、
「二元性の原理」が関係し、その程度(★というより不安定度)は深層意識に依存して変化するだろう。

※「波のうごき」は簡略的な表現で、「良し・悪し」だけでなく、さまざまな要素(質)が考えられる。
波というか、「特定方向の物事の流れ」が縁起的に発生することは、よくみられる。

この仮相・サハー世界では、「★全体性の二元性の水準」でバランスをとりながら(その水準下で)、
「★一切縁起システム」により 定められたとおりに、すべての物事が起こってくる。

ある限定的ないみでは、その全体性の水準下で つねに必要なことが起こってる、ともいえるが、
仮想システムが錯誤的であるため、基本的には正当なことも重要なことも何も起きてない、ともいえる。

※因縁生起は、大まかには真実に近いが、「変動性 ―― 縁起・カルマシステム(全体性の水準下)」。
※参考:「パラダイムシフト(別ページ)」≫「昨今の世相について(★集合意識システム)」

◆「●サットヴァ(純質)」優勢だと「★調和・安定 のちから」が強い、と考えられる。
サットヴァは、二元性の世界にあって「二元性のちから」を削ぐ、「●準非二元的な要素」である。
ニサルガダッタの説明だと、「意識 = サットヴァ」(※意識の構成要素)。

★三つのグナは盗賊だが、「●サットヴァのみ良心的」(by ラーマクリシュナ)


◆「二元性は表裏一体」という表現がある。 基本的には「後記Ⓐ」の意味でつかわれるようだけど、
Ⓑのニュアンスの場合もあり、少し考えてみたい。(※表裏一体:「2つがセット、密接なつながり」)
「二元性の表裏一体」を考えるときに、気になるのが、、「陰陽論」である。
陰陽論(※易経)によれば、万物の根源である「太極」から「陰・陽」の二気(二極性原理)が生ずる。
「陰・陽」はインド哲学での「タマス・ラジャス」にけっこう近似し、「太極」は「非二元(実相)」。
「陰・陽」は現象世界の運行を司る「原理的要素」だが、さまざまな現象のなかにその性質が現れる、
と考えられる(※インド哲学と基本部分は似てる)。

★「 Wikipedia(陰陽)」(ちょうど右のこの マーク について… アハハ →)

大まかに言えば、「陰・陽」は「静的・動的」なベクトルをもつ原理的な要素で、「表裏一体」であり、
それが「太極」のなかで働いている。 インド哲学だと(※3グナ)、
「サットヴァ」が、「ラジャス(動的)・タマス(静的)」を調和させる力。 調和が崩れると問題発生。
3グナ、または陰陽は、仮想システム(※伝統的なインド哲学だとプラクリティ)を構成する要素であり、
特定のいみ(観点)では「深層意識」に近い概念、ともいえよう。

★3つのグナとは?   ★この世界はどのようにしてできた?(インド哲学)   ★三グナ(真理辞典)

原理(深層)レベルでの 「二極性(タマス・ラジャス、or 陰・陽) の調和のくずれ」 が、
「二元性のちから(後記)」 に結びつく、と考えられる。(※人類規模 ―― 個人規模)

◆「二元性の表裏一体」につき、以下の2解釈を挙げときます(※は同意、は表現次第では同意)。
Ⓐ「本質的 & 哲学的ないみ(二元は非二元の仮現 & 二元性はあるいみ相互依存、相対的感覚)」
これは同意します。(※相互依存はあくまでも、二元的世界-相対的感覚 ゆえの ベース 的ないみ限定)
Ⓑ「現象としての、全体性の中での二元性要素のバランス、的ないみ」

まず、「サットヴァがからむことで、『全体性の二元性の水準』が変動的になってる」、と考えられる。
「一切縁起 システム」では、全体性で バランス とる感じになるため、ベース 的に表裏一体といえなくもないが、
「善・悪」などの実際の要素が「絶対的に、表裏一体(セット)」、ということではもちろんナイ。
例えば、遥かに高水準の未来人がこの時代をみれば、「悪性がつよい(=苦難が多い)」となるだろう。

つまり、「水準が命」「仮想世界は集合意識がつくり出す、単一の統一体」。

「善が増えれば、バランスとって悪も増える」とかはナンセンスで、
「一切縁起 システム」では、「善・悪(ほか二元性要素)」の増減は、「全体性の水準」につよく依存する、
と考えるのが妥当である。(※まさに、映画が上映されてるようなものゆえ。 包括的視点でのハナシ
「全体性の水準」に影響を与えれる主な要素は、「人類全般の信念体系」&「高次根源プログラム群?」
であり、それ以外は基本的に微力と思われ(●信念は規模に比例)。
根源プログラム群は、直接または現象を通して人類に作用するので、「結局は信念の変化」になるかと。
そして、根源プログラム群の力関係は「人類の信念体系」にも依存している、というのがこのジョーク。

※関連:「因縁生起(別ページ)」≫「★宇宙の法は人類の反映でもある(正当性について)」

★「宇宙はつねに運動し、それでいてつねにバランスがとれています。」 by ラメッシ(P172、意識は語る)


◆―― ということで、「★人類の集合意識の状態(※構造ふくむ、主にサットヴァ度)」 に依存して、
★二元性のちから(※分離衝突、あらゆる困難、の元)」 は、「●全体性の水準が変動する」。

※「二元性の水準」は簡略的表現で、「良し・悪し」だけでなく、さまざまな要素(質)が考えられる。
(※現象レベルでは)

個人に関しては、表面的には公平性はまったくないが(※とくに現時点)、この仕組みでは、
壮大なスケールで、または 超長期スパン でみるほど、概して「確率性(公平性)が高まる」はずである。
ほんとうは誰も人生の内容に介入できないなら、、それが実際的ということになるだろう。
「全体性の一部としての、人生」を、あらゆる「自己」がくり返し割りあてられる、いう感じの仕組み。
まさに「壮大な虚構システム(フィクション)」だが、、物質パラダイムは「二重の虚構」といえよう。
◆―― 結局のところ、、
人間のあらゆる体験(心体の動き含む)は、その「全体性の二元性の水準(≒ 深層の負の引力の水準)」
の影響下で起こっている。 つまり、あるいみ好ましくない縁起状態は悪影響を受けてるともいえるが、
もちろん好ましい縁起状態であっても影響下にあることになる。(※一切縁起ゆえに)

※一切縁起なら、「全体性の二元性の水準(―― 的な深層のちから)」 が存在してる、と捉えるのが
実際的(というか当然)。

◆この仮想システムは、完全に根本的ジョーク。 あるいみで、仏教のいうように「一切皆苦」であり、
「私たちはじつは人間ではない」という点についていうならば、あるいみで「★一切皆笑」でもある。
(★ここでは、「笑 = ジョーク・幻想」のニュアンス)

※「一切皆苦」の「苦(ドゥッカ)」は、原語では、「★無価値で空(カラ)、気にするものではない」

のような意味もあるらしい。  ※「ドゥッカ」の意味について(by 日本テーラワーダ仏教協会)


◎「解脱は、プログラムされたコンピュータとの自己同一化からの自由を意味します。」 by ラメッシ

◎「世界とはそれが包含するものであり、それぞれがそのほかの全てに影響を与える。」 by マハラジ


人類の運命 & このジョークが起こる理由、リーラについて

◆よく言われる 宇宙の根本的法則(原理)として、「創造・維持・破壊(再生)」のサイクルがある。
(※3グナ の原理的性質をもとにした考え方)

これは、さまざまな物事の中にそのサイクルが含まれてるということで、たとえば我われ人間でいえば、
人生自体もそうだし皮膚の新陳代謝のサイクルもそうだし、といったかんじ。 これは現象レベルでは、
流動的・部分的なサイクル的要素(の傾向)、のような意味ではあるていど当て嵌まるようにみえる。
人類の運命についても膨大な時間の中で、ある種のサイクル的要素が現れてくる(?)のかもしれない。

超大局的にみれば、今の人類が誕生するよりはるか前に地球上に似たような文明があったかもしれず、
太陽や地球が誕生するはるか前にも似たようなものがあったかも。 宇宙規模の真相は、数百億年とかの
単位でみなければ分からない。 ヒンドゥー教の古文献では、人類の運命は24000神年のサイクルで進行(※4つのユガ期を往復循環、神年の解釈に数説あり)することになっており、現在は暗黒時代の
「カリ・ユガ」ともいわれるが、それがまもなく終わるのではないか?との ウワサ も一部で囁かれている。

★フラワー・オブ・ライフ ‐ 古代神聖幾何学の秘密(第1巻)(※一つの説として、載せておきます)

私たちは現在、上昇期の「ドゥワパラ・ユガ期」に位置しています。 カリ・ユガの約900年間(※上昇期)を通過してきたところで、まさに今こそ、驚異的な異変が起きると予言されていた時期なのです。
世界はいまやそれ自身を再発見しはじめ、地球には大いなる変化の時期が到来しています。(※中略)
多くのヒンズー教の学者たちは歳差運動を何千何百年間とし、あるものは1つのユガが約15万年にも及ぶ
と言っています。 それは誤りでしたが、彼らは単によく理解していなかったのです。


◆仮想娑婆世界は根本的に幻想であるため、条件や時節しだいでは想像を超えたことも起こりえる。

そしてこの宇宙の根本原理は、停滞をきらい、変化を好むようにみえる。 それは人の世を、その歴史を
みればあるいみ一目瞭然だが、基本的にドラマチック(物語調)に展開したいようにもみえる。

そして、この人類が仮想システム内でどのように起こったのかはまったく分からないが、
人類は膨大な時間のなかで霊的進化(意識レベルで進化)していく、といわれている。

◆現時点では、輪廻の原因である「自我の催眠」をかんたんには解除させない強いちからが働いていて、
それは深層意識システム(※集合意識ふくむ)、そして自然界のエネルギーバランスにおいて存在する。
しかし近年は、割合的には稀であっても、(おそらく)解脱者が増えてきてるように見うけられる。
そして現在、その部分の転換期にさしかかってる、といわれる。

◆人類のある程度に、「仮想システムの理解」が起これば、人類の運命の本格的な「転換期」をむかえる
だろうと思われる。(※ジョークの世界。 すべては時節しだい、という面もある。)


◆現象世界のすべては一切縁起システム(原理)によって運命づけられる、
という事実を以てみれば、「あらゆる物事は、個別の原因は存在しえない」となる(※単一の統一体)。
しかしある意味においては、、
「解脱者(輪廻卒業者)」こそが、人の世を導くちからを持っているのではないか?

人の世のすべては、いわば集合意識の戯れであり、輪廻の卒業者のデータは集合意識に保存されるはず。
また、集合意識とハイリアリティとのあいだに、直接のエネルギーの通路のようなものが出来ていく
可能性もある。 その叡智をふくんだデータ、あるいはハイリアリティからの直接的ななにかが、

定められたときに「集合意識(=人類の運命)」に作用するのではないか、と。(※妄想)
少なくとも言えることは、解脱者の叡智をふくむデータは未来永劫、この人類の深層における財産になる
だろうということ。 すべては、集合意識のデータの問題でもあるから。(※これは真実)


◆人類が「深層意識レベルで進化」した場合の 一例としては、、

心眼が発達して、この世は霊的(または仮想現実的)なもの、と感覚的(直感的)に分かるようになる。
よい意味での霊的能力(のたぐい)をつかえるようになる。 深層意識の構造変更により、
表層の「心」の性質が根本的に改善され、基本レベルの幸福感がつよく、「解脱」が起こりやすくなる。

これはいわば、「ハイヤーセルフに統合された状態(または神人合一状態)」であり、そうなれば、
人びとの価値観も社会システムも今とはずいぶん異なる、幸福度の高い「霊的地球文明」になるだろう。
しかしもちろん、現象世界においてほんとうの完全性はナイだろう。 そこには、
「真我実現ゲーム」という面があるはずであり、人生とは 自然発生的に起こった神秘的なジョーク、
そして挑戦状でもあり、「私」の正体を見きわめる謎解きゲームであるから。
しかしそのような状態になれば、大きな苦難から本質的なことを学ばされることが多い現在とはちがい、
「人生のポジティブな要素を楽しみながら、ゲームを楽しむ」というスタンスがふつうになるだろう。

※「ハイヤーセルフとの統合」までに何段階かある(かなり時間差、まずは初段)、との説もみられる。
真相は分からないが、、この先「霊的進化の方向」に進んでいくことになるのは、おそらく事実だろう。
「深層意識の構造変更」というのは、実際は時間かけてなめらかに移行していくらしい。
そこには、霊体(エーテル体・アストラル体・etc.)の変容も伴う、と考えるのが自然かもしれない。

―― とりあえず霊的進化はおいといても、、ニサルガダッタ が1981年に(書籍のなかで)、
「将来多くの人(外国人ふくめ)が、霊性に関心をもつようになる」と明言(というか予言)している。
「仮想システムの理解が広がっていく」的なことも言ってる。(かれの予言予告の類は、当たります)

※たとえば、「ハイヤーセルフ」と「通常の意識(低次的)」の 分離度が高い状態は(※集合意識)、
「幻想の神(★後記)」が悪ふざけしてる(※「我われ」が欺かれてる)ような状態、、ともいえよう。
これはそもそも、人間(の通常の感覚)を欺くシステムであり、、そういうゲーム的な脚本だろうけど。
あるいは、誤作動(不調和)を起こしてる、といったほうが適切かも(※あるいみで)。
じっさいは「我われ」は行為者としては実在せず、「幻想の神(=原理)」がすべてを動かしているが、
「分離、個人的行為者」 の物質主義パラダイム の時代(とくに近代)が進行していくことには、
「ある種の? 誤作動(不調和)」 が進行していく面もある(★近代特有の要素あり)。
ハイヤーセルフとは、高次の人格みたいなことだろうけど(※心の観念構造の問題)、、
☆「ハイヤーセルフ」=「準非二元的な意識レベル」
☆「ハイヤーセルフから遠ざかる」=「二元性のちから(≒❶自我のちから)が増大」、ともいえよう。
以上は、集合意識の水準についてのハナシ(※その水準下で、個人の縁起状態は大きく?差がでる)。
※もちろん、現象レベルのすべての「縁起状態の良し悪し」は基本的に二元性のなか(領域)にある。
非二元パラダイムに移行して「全体性の二元性の水準」が改善すれば、「縁起状態が良い」ということが
非二元(解脱)の方向ともリンクしてくるが、、現時点(現行パラダイム)ではどうみてもこのリンクが
薄弱であり、「縁起状態が良い」ってことが逆方向ベクトルともリンクしていて(※二元性のちから)、
「大きな苦難」を乗り越えて解脱につながっているケースも少なくないことは確かであろう。
まぁいわば、「二元(物質)パラダイム = 二重の虚構、矛盾・背理のパラダイム」。
以上は、集合意識内での「力の作用の仕方の傾向(※もちろん概略的)」についてのハナシ。
現行パラダイムでは、解脱は例外的であり割合としてはごく稀だが、そのなかで分析するとそういえる。

パラダイムシフト進行により「全体性の二元性の水準」が改善、あらゆる物事が調和・改善に向かうが、
(※いまは不活性・低活性の、非二元的プログラムが活性化していく

「ハイヤーセルフとの統合」というのは、その延長線上でそのような「霊的進化(意識レベルで進化)」
に段階的に向かうのではなかろうか、と(※まぁこれは通説的に、時節的に)。
いずれにしても、、現在の「人類の集合意識」は最低ランク(欺き度MAX)、とおそらくいえるだろう。
とりあえず現時点で、「真我実現」を妨げてる最大要因はおそらく、「二元性のちから(※集合意識)」
あるいは、仮想現実の理解度がひくい「人類全般の信念(※非二元系の現象・因縁が生じにくい)」。

H.G.ウェルズの予言(※的中率 ⇒ 高めとはいえるが、外れてるとこもけっこうある)

★《「 The Shape of Things to Come(世界はこうなる・下巻)」(明徳出版社)P357、P359 》

―― かくて全民族は今は一つにまとまり、われらをつなぐものは肉の紐帯ではなく、限りなく弾力のある、
目に見えぬ微妙なものではあるが、あたかも珊瑚やポリプのような、群生有機体となりつつあるのだ。

―― われわれは今この時代に、推移の山頂を目ざして登りつつあるのだ。 その頂上が極められた時に、
いかに壮大なる人生が、展開せられざらんや、である。 「目いまだ見えず、耳いまだ聞かず、人の心いまだ

思わざりしところなり」 なぜならば「今われら、鏡にうつすごとく、見るところおぼろなり」であるから。

《 最後部のいみ(聖書からの引用)》:「今われらが見ているもの、知っているものは、一部にすぎない」



◆《「意識の戯れ(リーラ)」を、深層意識の概念にて「比ゆ的」に表すと ▼▼▼ 》

※関連: 次項「えとせとら」≫「補足 一切縁起システム」

私たち人間やこの仮想宇宙のすべてを、ほんとうに動かしているものは「何」かと言えば、、それは
集合意識(宇宙意識)に存する、「縁起 & 根源プログラム群(全自動・一切縁起システム)であり、
これはまぁ いわば、「★幻想の神、壮絶・ジョークの神(※現行パラダイムでは統一感は薄弱)」。
これが、「多種プログラム群のあいだの、力関係(変動的)」の影響下で 一切万物を動かしているが、
「秩序」「遊び心(ゲーム性)」「混乱」 などの要素も垣間みえる。(★超複雑な縁起法則にて稼動
「多種プログラム群」に、良くも悪くも神的なポテンシャルあり。★知性・自由意志はナイ
「多種プログラム群の力関係(≒全体性の水準)」は、もちろん「人類の信念体系」の反映でもある。

※「プログラム」=「★意識の機能的原理のことで、全自動(自由意志をもつ高次存在は認めない)」。
高次の存在がいても、それもプログラムによってのみ活動。 つまり、
「諸法一切縁起(現象界、★すべては自然的に縁起してる)、一切皆空(すべては幻想)」ということ。
これは初期仏教からも受けつがれ、近代の覚者らも当然のごとく主張する、基本的な考えかたです。

※あるいみでは、現れた世界自体「幻想の神」。(❶「我われ」は自我としては実在せず、諸法無我!
これは、「神秘的で壮絶なる、ボケとツッコミの幻想ショー」&「❶(高度な)謎かけゲーム」である。
我われは宇宙の原理的には、個人規模でも人類規模でも、「行為者として扱われてる」てとこが ポイント。
とくに物質パラでは、「我われは仮想行為者として、錯誤システムから挑戦されてる」という面もある。
「❶ 我われが幻想の神を育てていく、という姿勢(パラダイムシフト)」が、人類に求められる時代だろう。
全体性の水準下で、例えば何かの困難を助ける力や、必要な力は「適時」作用するが、その水準の ハナシ。
いまこそ、ツッコミを入れていくときではないか?(我われ人類の幸福のために・・)

★「もしあなたが実際の立場を見さえすれば、何という冗談かがわかることだろう!」 by ニサルガダッタ
(P207、指し示したもの)

◆人類とは、膨大な時間の中で「霊的進化(意識レベルで進化)」していく壮大なプロセス、なのだろう。

◆個人規模では、「サーンキヤ哲学(トップページ)」にあるように、幻想の神(≒❷プラクリティ)は、

「世界というショーを 真我にみてもらいたい! そして、真我を解脱させたい!」 というプログラム設定

になってて、真我はその幻想ショーを見定めるために至高の実在から分岐して人間に同化してる、と。

※物質主義が進行すると基本的に、「真実に向かわせようとする潜在力」が原理的に高まると思われる。
それは、ある時点から現象化してくる可能性がある(※個人規模でも、同種の現象がみられる)。

◆リーラ(意識の戯れ)が起こる「厳密な理由(詳細な原因)」、あるいは
「究極の目的(意味)のようなものがあるのか、ないのか」は厳密には誰にも分からない、といえよう。

諸説(諸表現)あるけど、これに関してはすべて「仮説」ってことになるだろう。
それはあるいみ、「自然発生」というしかないだろうし、あるいは人知で計り知ることはできない何かが
あるのかもしれない。 自然発生としても、神的インテリジェンスを具えたものすごい自然だが。。

人間の本質は「至高の実在(=絶対)」の一部とされるが、、その「非顕現の領域」にこの仮想システム
(❷世界仮現原理、各アートマン)が発生する機能がある、ということ。 そうなる理由、
そこに「神の意志?」のような何かがあるかどうかは不明(※その意志を想定した説明はある、後記)。

人生とは最終的には、「世界仮現原理(仮想システム)を解除せよ、とのゲーム」であることはたしか。
これは人間としてはふつうには理解しがたく※永遠の謎 っぽい)、「訳アリ」臭さもなくはないが、
「行為者不在、単一の統一体」を踏まえて、現時点で率直にいうと、
「クソガキの性質の神が、悪戯でつくったかのような、綿密なシステム」というか、あきらかに
「★根本的無知・錯誤」などの言葉があて嵌まってしまう感じである(★しかし確実にゲーム性あり)。
一番はじめに大元の ズレ が生じ、そこから仮想宇宙(システム)が自然展開したかのような感じもうける。

※関連:「覚者たち(別ページ)」≫「★ニサルガダッタ(最下部『人生はドタバタ喜劇、茶番』)」
「★阿頼耶識縁起(根本的錯誤、2種類のゲーム、至高の理法)」「★ポイマンドレース(流出説)」

しかし、定められた「☆時節(タイミング)」で、そのシステムを人類がうまく受け入れていくことで、
人類自体が意識レベルで進化に向かうシステムでもあるだろう(●集合意識しだいで、優良化しうる)。
つまり 根本部分は人知は及ばないが、「●時節がきたら、本来の? ゲーム価値観に移行していけ」 と。
今世紀が「節目(重要ポイント)」。 おそらく、すでに時節はきてるといえよう(※今世紀前半)。
このさきは、どんな 人類レベル の困難なども、「二元(物質)パラダイム」に主原因を求めるべき!!


★by 釈迦 《 中部経典63(毒矢のたとえ)》(※原始仏典)

あるとき、人が毒矢に射られたとする。 ところがもしもその人が、かけつけてくれた医者に対して、
「この矢を射たのは一体だれか、弓はどのようなものか、弦は何でできているのか、
矢羽はどんな鳥の羽か、それが分からないうちは矢を抜くな。」 と言ったなら、その人はそれが
分かる前に死んでしまうであろう。 必要なのは、まず毒矢を抜き、『応急の手当て』をすることである。

[ 参考 ] ルパート・スパイラ(解脱者)

https://www.youtube.com/watch?v=IoJc9TCBbTI

物質というもので作られた肉体と呼ばれる独立・分離した物体は存在しないのです。――
それは決して物質と呼ばれるもので出来ていません。 それは意識の中に現れるイメージにすぎない。

もし人類が500年後に続いていなければ、それは物質主義の勝利を意味します。
人類は物質主義パラダイムでは生き残れません。 自らを破壊してしまいます。それが定めなのです。
そう、今まさにそれを目の当たりにしていますね。

[ 参考 ] ニサルガダッタ・マハラジ(解脱者、最強クラスの賢者

https://www.youtube.com/watch?v=A8mMYTZGFuw(※「字幕日本語」クリック、16:20~)

―― 厳密な意味での巨大な知性を持った創造者は存在しない。
この意識の戯れすべては 「自発的、自然」 に続いていく。 その背後には知性は存在しない。

幻想の源を探求することによって、この幻想とは何であるか見つけようとしなさい。

★なぜパラブラフマンは、この顕現世界のこれほどの贅沢や苦しみをもつ余裕があるのだろうか?
それはパラブラフマン(※至高の実在)にとって、これが存在していないからだ。(P130)

[問い]絶対から起こってくるこの一時的状態には何かの原因があるはずです。
五大元素の軋轢というか相互作用のせいで、この一時的局面が起こったのだ。 たとえれば、二人の親しい

友人がいたとして、彼らの友情は非常に長く続いていたが、何かの軋轢か不和があって、突然ケンカをしたようなものだ。(P96)

★私の真実で全体である均質的な状態に、ほんの小さいさざ波が現れ、「❷私は在る」というニュースが

やってきた。 そのニュースのせいですべてが変わってしまい、私はこれを知り始めた。(P26)

★意識は世界や宇宙と離れてあることはできず、それは同じものだ。 これは私のマーヤ(※幻想)であり、
私から出て来た。そして、私は自分がそのマーヤでないことを知っている。

私はこれの観照者であり、それはただ私の戯れにすぎない。しかし、私はその戯れではない。

このすべてのサーダナ(※修練)の最終的な意味はあなただ。 あなたが何であれ、あなたは存在している。

今までこういったことを誰も本に書かなかったが、これからは出て来ることだろう。(P97)
《以上、「意識に先立って」より》

★一つの影が「なぜ?」を知りたがっているのだ。 一人芝居の中で一人の役者が演じる様々な登場人物の

一人が、「なぜ?」を知りたがっている。 その答えとは、「なぜそうであってはいけないのか」となる
ことだろう。 実際はどんな質問もありえないのだ、「なぜ」も「なぜそうであってはいけないのか」も。

なぜなら、実際はどんな質問者もいず、ただ観念しかないからだ。 顕現は夢のようなものである。
なぜ夢は起こるのだろうか? 《「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」P73 》 ※あるいみで、一人一宇宙

★「人生はあらかじめ書かれた脚本に従って厳密に展開するはずである。」(P166、指し示したもの)

★「本来のあなたとしてのアイデンティティがあり、その上に個人が重ねられているのだ。」
(P460、I AM THAT)
★「意識とは、愉快で魅惑的な マハーマーヤー(偉大な幻想)、あらゆるものの中で最も壮大な詐欺である。」
「―― またマハラジはそれを、行き渡っている間は興奮を生む『一時的な病気』と呼んでいます。」
(P341、ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの)

[ 参考 ] ラメッシ・バルセカール(解脱者、★インド銀行・元CEO最高経営責任者

※「神の意志、源泉の意志」というのは、捉えかた(表現・仮定的)です。(★上のマハラジと比較)

ここは、表現が分かれるところ。
社会の中での「個人の行為責任」については、別ページ参照。

▼質問者
私たちは、神の意志を理解しようとすることができないのですか?
▼ラメッシ

―― 私たちの知能は非常に限定されていて、知性も非常に限定されています。
それに対して、神の知性は永遠です。 ですから、非常に限定的にしか理解できない私たちが、どうやって
神の意志を理解できるというのでしょうか? 私たちにはできないのです。

▼質問者
誰もできないのですか?
▼ラメッシ
誰もできません。なぜなら、あらゆる人は、単に源泉の反映である現象全体のわずかな部分にしかすぎない
からです。あなたにできることはただ、あなたが少し前に言ったように、ものごとをあるがままに受け入れることだけです。まさにそういうことです! 《「誰がかまうもんか」第三章 ≫ 運命 P78 》

★人間の根本的問題は、限られた自分たちの知力で 現象世界と非現象世界の両方の全体図を見たい と思う
ことです。 それはちょうど、一本の小さいネジが機械全体を知りたいと思うようなものです。

《「意識は語る」P29 》

◆リーラについて(源泉・神 の意志を認める場合)  ※関連:「阿頼耶識縁起(別ページ)」

★あらゆることはただ起こるのです。ロバートは行為者ではありません。それが唯一、意味のあるポイント
です。もしロバートが行為者でなければ、そのときにはロバートは存在しません。では、何が存在するので
しょうか? 源泉の意志にもとづいて、ただプログラムされた肉体精神機構だけが存在します。
源泉は肉体精神機構を創造します。 源泉は行為を創造します。 そして、現象全体を通じた行為の全体が、
「今、あるがまま」であり、これが「リーラ」、聖なる芝居である見かけの創造なのです。
《「誰がかまうもんか」P251 》

★それはかくれんぼのゲームにすぎませんし、観察者と観察される者というゲームにすぎません。
その中でお互いがそれぞれそれ自身を主体だと思うので、そのため人間関係と、人間関係の問題がありま
す。 基本的にそれが意味することは、単にそれは 進行中のゲーム だということです。 そして、
あなたは「なぜ?」と尋ねるのです。 これには本当は答えがありません。 もしあなたが海辺でバケツと
スコップをもっている子供たちを眺めていたら、そのことを理解するでしょう。(※中略)

「どうして君たちはお城を作って、それから壊してしまうの?」と尋ねたら、子供はあなたの質問を理解
しないことでしょう! もしあなたがしつこく尋ねたら、

僕が作りたかったから。 僕がお城を作ったのは、僕がそうしたかったからだし、
僕がそれを壊したのは、僕がそうしたかったからさ」 とでも答えるでしょう。 《「意識は語る」P106 》

★―― ですから、神の映画においても、彼は英雄と悪漢を創造し、恋愛物語、悲劇、喜劇を創造します。
《「誰がかまうもんか」第三章 ≫ 映画 P98 》

▼ラメッシ
第二次世界大戦は起こらざるをえなかったのです。何百万人もの命が失われなければならなかったのです。
それゆえ、こういった特徴をもったヒットラーという名前の肉体精神機構が生まれなければならなかった
のです。 ヒットラーが戦争を生み出したのではありませんでした。 戦争がヒットラーを生んだのです。
▼質問者
そして意識がそのすべてを創造したのですね?
▼ラメッシ
はい。意識がそれ自身の中ですべての夢を創造したのです。 意識が夢見られた人物を通じて、すべての
役割を演じているのです。 意識それ自身がこのドラマを演じ、認識しているのです。
▼質問者
それは巨大な信用詐欺です!
▼ラメッシ
実にそれは信用詐欺です。 それが信用詐欺であり、そのバカバカしさをあなたが理解するとき、
それが悟りです。 この理解が完全に実現するとき、それが悟りです。 《「意識は語る」P68 》

「エメラルド・タブレット」(アイザック・ニュートン 訳[1680年])

これは真実にして嘘偽りなく、確実にして真正である。
下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとくであり、
それは唯一なるものの奇跡を果たすためである。

万象は一者の観照によって、一者に由って起こり来たれるのであるから、
万象は唯一なるものから適応によって生じたのである。
太陽はその父、月はその母、風はそれを胎内に運び入れ、地はその乳母である。

全世界のあらゆる完全性の父(源)は、ここにある。 その作用と力は完全である。
それが地に転ずれば、甘美にも偉大なる手腕によって、地より火を、粗雑より精妙を分かつ。
それは地から天に昇り、ふたたび地へと降って、上位のものと下位のものの力を受けとる。

この方法によって、そなたは全世界の栄光を手に入れ、
それによって一切の無明はそなたから去るであろう。 その力は他のすべての力を凌駕する。
それはいかなる精妙なものをも征服し、いかなる堅固なものをも貫くからである。

かくして世界は創造された。
これによって来たるところの驚くべき適応、その方法(過程)はここにある通りである。
われは全世界の哲学の三部を具するをもって、ヘルメス・トリスメギストスと称される。
われがかたりし太陽の作用とは、かようなものである。


えとせとら(その他、霊性主義時代への移行) (2022年)

※姉妹ページ:「★パラダイムシフト(別ページ)」


◎「人生とは探求なのだ。 探求するほかないのだ。」 by ニサルガダッタ

★《「魂(カバラ)の学校」([著]ゼヴ・ベン・シモン・ハレヴィ、[出]出帆新社)》

今日の状況はルネサンス前の時期と非常によく似ている。 ただ霊性に反論するのがスコラ哲学の論理では
なく、科学技術 であるところが違うだけである。(P11)

「存在」とは、聖なる名前「I am that I am」が展開していくことなのである。
―― 私たちはこの神性イメージであるアダム・カダモンの細胞の閃光なのである。 私たちの使命は、
それぞれの人生の中で、私たちの根元にあり宇宙全体に遍満する神の意識を現実化することである。 P464

◎「霊性は開かれていると同時に、謎でもある」 by ニサルガダッタ


◆[根本的な問い]人生とは、そもそも何か?

それは、人知が及び切らない神秘的な、途方もない、「ジョーク(リーラ)」&「謎かけゲーム」であり、

究極的にいえば、、
ハイリアリティ(真我、真の現実)の自覚・実現に向かう、「真我実現ゲーム」であります。
あるいは「真我実現ゲーム」とは言わなくも、

そちらの「方向」を理解しつつ「❷」の要素をあわせ持つ、「霊性主義的なもの」。

そういうことに興味ない場合は(※もし仕組みを理解してなくても)、、
「ほかの何らかの幸福を求める、(冒険と挑戦の?)神性劇ということになります。

※「神性 = 神秘的な」のニュアンス(当サイトでは)。 設定の違いであり、上下はない。
輪廻卒業(解脱+肉体死)してはじめて、本当の意味がわかる可能性もあるのではないか、と思います。

多くの人は、表題のような問いが心に生じたことが多かれ少なかれある?と思うけど、こういったことが、
「常識的」に理解され、「生き方や社会システム」にも反映される時代がくるだろう。 どんな形であれ、
「根本的な人間の仕組み(の理解)」 が個人と社会の 「根本的(基礎的)な要素」 になることはたしか。
理解してる人は けっこういるけど、、常識的(★社会基盤的)にはなってない。
つまりそれは、そのように定められた一過性の時代ということであり、、
いまが変化のとき、それを常識的に広げていく時代です。(※物事の根本をみることは、重要)
「世界とは実在の錯誤した光景であり ―― 」 と、ニサルガダッタは言う。 まぁふつうに考えれば、
この仮想システムは根本がオカシイわけだが(※ゲーム性あり)、、「オカシイ」「あるがまま・受容」、
「あくまで自然発生、非顕現(至高の何か)の意志ではナイ」「神が仕掛けた、途方もないゲーム」、
根本無知的なタネの自然発生(世界仮現原理)、または訳あり故意的発生(グノーシスでの偽の神)」、
解釈や表現は昔から数種あるが、「基本的な事実(こうなってる)」は広く理解されゆく時代がきた。
なお、「科学(科学的証明)」が「表題のような問い」にいまだ答えを出してないことは、あきらかです。

仮想システムを考えたときには、それが
「人間の、(最終的な)存在理由」に沿った 幸福度の高い道です。 それは物質時代から「霊性主義時代」
への移行ということでもあるけど、いま現在、集合意識が人類の変容を促すよう急速に変化してきている、
実際に、仮想システムに気づかされるような経験が起こりやすくなってきている、といわれる。
私たち人類はこれを、●智慧を以て、受け入れていくべきだろうと思います。

「仮想意識(=リーラ、概念のセカイ)」、その中に行為者はいないが、そこに現れる人生に自己同一化
して、私たちは人生という夢をくり返しみていることになる。 夢は、好ましいもの(要素)ばかりでは
ないだろう。 じっさいこの世界には、あらゆる苦難・困難、惨状が少なからず存在し、また普通に
人生において多くの苦は不可避である。 そして、このセカイでは誰もが「幸福を」さがしている。
―― そして、物質パラでは仮想システムの長期的特性は、システム自らその本質を明かすことにある。
物質パラダイムではほとんど、長期スパンでこれをくり返してることになるだろう・・
あらゆる物事の流れが、短期~超長期スパン で「ループ(低次)」的になる、それが「物質パラ(二元)」。

◆―― 個人は集合意識の影響下にある(★補足 一切縁起システム)

※セット:「パラダイムシフト(別ページ)」≫「昨今の世相について(集合意識システム、補足)」

「私たちが個人の意志で行動してる」は実際的にはもちろんウソで、すべての思考・感性・判断・行動は、
集合意識から個人に自然的に、あるいみ分配される(※個人の過去のデータと表出パターンは当然ある)。

※究極的にいえば、集合意識の「Ⓐ多種プログラム群の力関係」の影響下において全現象が投影されるが、
「人類全般の信念体系、(個人の行動)」が、その力関係に反映される。
Ⓐは、「人類レベル ―― 個人レベル」で別べつに成立。 個人規模では多様なタイムラグあり、運命次第。
「人類レベル ≒ 全体性の二元性の水準」。 占星術もこれの関連。 因縁生起は、あくまでベース的なもの。
これにより、縁起の流れ・方向性・現象化など さまざまな影響うける。 全体性の水準が、根本・土台的。

「一切縁起システム(多種プログラム群)」は、基本的なところは、「宇宙意識」に具わる機能的原理だが、
それが「人類の集合意識(→ 個人)」レベルで独自的に適用される、と考えられる。
エジプト神話等も参考にして普通に考えると、人類の集合意識に 専属 or メイン で関わるプログラムもある。
以上、根拠はニサルガ説明などで、大まかな表現※力の作用の仕方 としては、概ね正しいかと思う)。

※地球上の人類種は、「人類の集合意識(※ある種の統一性・相互影響機能 アリ)」に属している。
この仮想システムは、物質レベル では個別的にみえても、縁起という点でも あらゆるものが連繋していて、

宇宙の原理の作用 という点でも、人類規模で、一まとめにされていて(★集合的カルマ ―― 正・負)、

★個人規模でも、分離幻想にもとづく行為は負カルマとなり、未来に苦を生じる」。
あらゆる物事は、個別の原因は存在しえない(=集合意識内で、原因がどこまでも縁起連繋する)」。

※集合的業と自然災害(アレクサンダー・ベルゼン博士-仏教学者)

同種属はあらゆる要素において、集合意識レベル での「★相互影響機能(≒非個別性)」があきらかに強い。

―― この相互影響機能ゆえに、物質時代の成熟期には人類規模に向かうパラダイムシフトが必要になる。
「下位集合意識(小規模)」というのはあくまで形式的な概念であり、「人類の集合意識」は別種である。
一切縁起システム(※複雑多岐な縁起性)の根底に存在するであろう要素は、「バランス性・確率性」。
全体性の水準下で、すべての人が諸行無常にさらされるが、「二元性のちから = 苦 & 無常 のちから」。

あきらかに、集合意識レベル で「人類」が一まとめにされ、さらには 分離幻想を指摘(示唆)するような、
「ある種の、準非二元的作用」がある。(※―― 物質パラは逆理なので、作用がネガティブ的になる)

「私たちは本当に分離しているのだろうか? この広大な生命の大洋のなかで、
私たちは他者の罪(※カルマ)によって苦しみ、また私たちの罪によって他者を苦しめる。」 by ニサルガ

「世界とはそれが包含するものであり、それぞれがそのほかの全てに影響を与える。」 by ニサルガ

※これら↑は主に、人類の集合意識についてのこと(集合的カルマ、ほか)。「単一の統一体」てこと。

❶ 表面的にみると(※幻想視点)、、あらゆるものが個別的であり、人間は個別意志で動いている。

❷ 深層的にいうと、、縁起しつつ、個別性も保持しつつ、集合意識レベルで「★非個別性の要素」も作用。

❸ 究極的にいうと、、ハイリアリティ(or真我)が、世界として仮現。(★非二元・真我がみてる夢)

このシステムは、ある部分では、「分離は幻想! すべて非二元!」と叫んでいるかのようでもある。

そうでありながら他方では(とくに物質パラでは)、「二元性ギャップ」を支持するようにもできている。
ここが、このシステムが「錯誤的かつゲーム的」といわれる所以であり、
あるいは高度な知性によって そのように仕組まれてる(?)、ようにも感じられるところではある。

―― しかし一方で、ニサルガダッタが「それは意図的な普通の映画ではない。」と言ってるように、
その原理(★縁起性)は、現象として個別的にみれば 複雑多岐ではあるが、総体的または長期的にみれば
物理法則のような法則性が根底にあり、、原理の内容として、自然展開的で意図性ナシのようにもみえる。
つまり仮想システム自体が、、非顕現領域における「何らかの不調和・ズレ のようなもの」が大元になり、
「根本的に自然発生」しているようにも、感じられるところである。(※当サイト では一応これを支持)
このシステム内(高次-低次)の全動作は、時間の中での「全自動リアクション(プログラム設定)」
であり、すべての人生は、幸福や改善を求める全自動リアクションといえる。(世界観・根本的価値観

そうならば、神的な意志というよりも、超絶・潜在的ポテンシャル のような「神性の何か(究極完全性)」が、
背景(実相)にあるはずである(※というかそれ ナシ には、この原理・法則性は アリエナイ だろう)。 つまり、

「非二元(実相)」を基礎とし、あくまでそれとの関係性において作動する「二元性の原理(仮相)」。

いずれにしても、「原初領域(非二元)に帰還せよ!」のようなゲーム性が構造的に存在してるといえる。
一切縁起システム(根底に バランス性)において、「空間-時間」の2要素(2観点)に依存して、
「非二元・実相」を基礎に「二元性・仮相」が現れている。(★二元性のちからは、この2観点にて表出)
―― この構造が 根底 にあるゲームであり、そのゲーム性の理解が人類規模で求められる時代である。
あるいみ我われ人間は誰もが、、現在の状態に関係なく、無常で危険な立場(境地)におかれている!!

◆「霊性主義時代(非二元パラダイム)」への移行

以上を踏まえた上で、解脱者が増加していく方向を考えるなら、「個人のレベルでの努力」というほかに
「集合意識のデータとその表出パターン」という観点からもみれます。 周知のとおり インドという国は
古くから解脱系の宗教的土壌がよく育ってきたので(※近代ではだいぶ薄れてきたが)、
古来から近代にいたるまで、知られてるだけでも多くの解脱者を輩出してます(※世に出ない人も多い)。
それは究極的には、「そういった下地のある国に、その運命の人が生まれてくるから」となるだろうけど、

インド人の集合意識にそのための原因データが豊富にあるのです(※古来からつながってる)。

ここ日本でも昔のほうが、人生かけて修行して悟りを開いた 仏教僧 も多かったように見受けられます。

つまり、物質主義的・科学文明 の進歩とともに、人類全般の「霊性」は後退したようにもみえます。
しかしすべては定められたとおり進行するのだから、それでよいのです。 それは遠くない未来に、
より高度な形で再興してくることでしょう。 というより、特定の宗教や形式に限定されずさまざまな形で、

すでに現れてきているのは明らかです(しかしまだ小規模)。 そして、霊性主義が進行していくためには、

「仮想システムの理解」が一般的に広がっていくことが、不可欠だろうと思います。 すなわち、

「これは『●仮想現実』で、すべては『●縁起』していて、リーラ劇である」 (← 非二元パラダイム)
「究極的には行為者は幻想。社会の中には行為者がいる(システム設定上)」 というようなこと。
実際にどのように進行するかは分からないが、その理解が霊性主義の「根本」になるはずです。

仮想現実説は科学的に証明されかけてるけど、それも時節 なわけです。 ≫ ※参考:「★おかると物理学」

常識的に考えると アレ だけど、実際に「人類の歴史や科学の歴史」を考えてみると、人類社会が時代ごとに
保持していた「常識」というものが、いかに移ろいやすいものだったか、という事実を再認識させられる。

「物質主義時代」というのは、それが成熟したあとで「霊性主義時代」に向かうための ステップ だった、
ということになります(※完全に成熟してる感)。 そしてこの ☆手のうごき は、
このマーヤ(幻想)において時おりみられるうごきであり、傾向的(原理的)性質ともいえると思います。

※当サイトでは、「仕組みの点では~」のように書いてるところもあるが、、
もちろん実際には、時節(集合意識の複雑な事情・構造)も関係してくる。(★リーラ に if はない

私たち人間の「自己存在」は、つねに非二元領域にあり、その領域に目覚めることが人間の存在目的なら、
「二元性の物質主義が成熟する」➡「非二元の霊性主義に移行する」 は、あるいみ当然の流れです。

★《「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」P261 より》

―― あなたの個人的な夢のあらゆる対象物はあなたに他ならない。
人生-夢 においてもまた、たとえ彼らが夢の中ではお互いに対立していても、
すべての対象物(すべての個人)は、あなたそのものでしかありえない。

それゆえ、人生のすべての機能、すべての行為は自然発生的行為でしかありえない。
なぜなら、どんな行為をおこなうどんな実体もいないからだ。

あなた(私)はその機能であり、夢であり、シヴァの宇宙的ダンスなのだ!

ある観点では、、「非顕現(非二元絶対性)」の表現の場が「顕現世界(二元相対性)」であり、
二元性(分離・多様性)があるために、「愛と苦痛の劇(リーラ)」が生みだされます。
そして、愛が、あるいは神聖さが、表現の機会を与えられ、、あるいは機会がつくり出されます。

集合意識的ないみで、、私たちの心の奥底には「愛と苦痛の劇」への執着があるといわれます。
行為者はいないけど、、基本的に人間のあらゆる行為の根底(※深層的な意味ふくめて)には、
「Ⓐ(何かに対する)愛」があります。(※犯罪や戦争も例外でなく、というか戦争の根因)
そして、私たち(※解脱者を除く)の心の構造の根本には、「存在性への執着(愛)」があります。
それがさらに、「心のシステム & 縁起のシステム」によって 歪められると、苦をつくり出します。
体験されるすべての現象は、意識の中の見かけであり、、
「錯誤的(☆ゲーム的)システム」 により自動設定されたとおりに、すべての物事が起こります。

集合意識がつくり出すこの「縁起の幻想世界」は、人類の「★心の観念構造」の反映でもあります。
人類全般の「Ⓐ(の質)」が、「二元的 ➡ 非二元的」 の方向に進んでいくことで、

顕現世界に神聖さが、さまざまな形で現れてくると思われます。

あるいは、、幸福を求めることは人間の本性です。
すべての人が無意識レベルでは真我をさがしている、ともいわれるが、

縁起の幻想世界では、「★興味の対象が、良くも悪くも強調されてきます(※特定のいみで)」。
人類全般の幸福探求の対象が、
「リアリティ(二元相対性) ➡ ハイリアリティ(非二元絶対性)」 の方向性を帯びていくことで、

顕現世界に神聖さが、さまざまな形でリアル化してくると思われます。(人知を超えている)

※究極のいみでは、、リアリティはつねにハイリアリティの表現・仮現(上記ニサルガダッタ)。

顕現世界はいわば、「二元性のちから ―― 非二元のちから」 がせめぎ合う、謎かけ挑戦ショー。

「ほんとうは、誰も人生の内容に介入できない」ってことを輪廻をまたいだ 包括的視点 で考えたなら、、

「全体性(集合意識の水準)の中で、あらゆる体験(要素)が循環してる世界」とみれるだろう。
生が幻想であるなら、死も幻想であり、神業的トリック下の神秘体験である。
「二元性のちから」は欺く力であり、「空間-時間」それぞれの観点での「二元性ギャップ(+苦)」
を集合意識レベルで増大させる。 ゆえに、包括的 or 人類全体的にみたなら、「全体性の水準が命」。


◎「人間において偉大な点は、かれがひとつの橋であって、目的ではないことだ。」 by ニーチェ



★Symbolism: Electro-light(☆神性ダンス)
★EZ DO DANCE: TRF