ニサルガダッタ・マハラジに関するインタビュー邦訳

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※関連:「覚者たちの様ざまな教え、世界仮現原理『私は在る』(別ページ)」

マハラジに関するインタビューの邦訳

2ch のスレッド(過去ログ)『 ニサルガダッタ・マハラジ「私は在る」I AM THAT 』
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245349202/
から、マハラジに関するインタビュー「 Remembering Nisargadatta Maharaj 」の試訳部分だけの
抜粋です(2009年7月~2010年3月)。(※David Godman 氏のHPに原文あり)

何人かの有志の人たちが引き継ぎながら翻訳作業をつづけてくれ、私も毎にち新しい部分がアップされる
のを楽しみに覗いてたのが懐かしいです。 その後スレッドは落ちてしまいましたが、この貴重な内容を
このまま埋もれさせてしまうのは勿体ないということもあり、差しあたってここに掲載させて頂きます。

このサイトは営利目的ではなく、アフィリエイトなども一切ありません。(※Wiki3 側の広告はある)
もしこちらに置くことに問題がありましたら、ご連絡ください。 翻訳者たちに感謝!

●=翻訳部分

●=翻訳者や第三者による「注釈」など

Maharaj very rarely spoke about his life, and he didn’t encourage questions about it.
I think he saw himself as a kind of doctor who diagnosed and treated the perceived spiritual ailments of the people who came to him for advice.
His medicine was his presence and his powerful words. Anecdotes from his past were not part of the prescription. Nor did he seem interested in telling stories about anything or anyone else.

マハラジはほとんど稀にしか彼の人生について語りませんでしたし、それについて質問することも勧めませんでした。 私が思うには、マハラジは自分自身を、アドヴァイスを求めにきた人々のスピリチュアルな疾患を診断し、治療する一種の医者と考えていたようです。 彼の薬とは、彼の存在と力強いことばでした。
過去の逸話は処方薬の一部ではありませんでした。 また彼は他のことや他の人についての話をすることにも興味がないように見えました。

ニサルガダッタ・マハラジの唯一の自著の全文(英語)
「Self Knowledge and Self Realisation」(1963)
http://www.inner-quest.org/NisargadattaSR.htm

マラティ語「Atmagnyana and Paramatmayoga」から、
ボンベイの Elphinstone 大学 Vasudeo Madhav Kulkarni 教授が英訳して、Jean Dunn 女史が編集。
しかし彼女の関係者など、わずか数十部しか配られなかったそうなので、稀少かも?
読んでみると dhyana(meditation:瞑想)だけでなく bhakti(devotion:献身)の話題が多い。
ラマナ・マハルシの「あるがままに」の用語を借りるなら、Self-Enquiry だけでなく、
神への Unconditional Surrender(無条件降伏?)も重視してます。 このニサルガ自身の著書は、
後年の「I AM THAT」の対話内容と、かなり雰囲気が違う感じなので、少し戸惑いました。

David Mostly about his Guru, Siddharameshwar Maharaj, and the effect he had had on his life.
I think his love for his Guru and his gratitude to him were always present with him.
Nisargadatta Maharaj used to do five bhajans a day simply because his Guru had asked him to.
Siddharameshwar Maharaj had passed away in 1936, but Nisargadatta Maharaj was still continuing with these practices more than forty years later.

ほとんど師のシッダラメシュワール(?)・マハラジと彼がマハラジの人生に与えた影響についてです。
彼は、師への愛情と感謝の気持ちをいつも持っていたと思います。
ニサルガダッタ・マハラジは一日に5つのバージャン(奉仕の気持ちを表す歌みたい)を行っていました。
それは単純に師が彼にするように頼んだからです。 シッダラメシュワール(?)・マハラジは1936年に
亡くなりましたが、ニサルガダッタ・マハラジはその後40年以上もその習慣を続けました。

david godaman との対話から

I once heard him say, ‘My Guru asked me to do these five bhajans daily, and he never cancelled his instructions before he passed away. I don’t need to do them any more but I will carry on doing them until the day I die because this is the command of my Guru.
I continue to obey his instructions, even though I know these bhajans are pointless, because of the respect and gratitude I feel towards him.’

「わたしの師はこれら5つのバージャンを毎日するように言いました。 彼は亡くなる前に、かれの教示を
決して取り消しませんでした。 私はそれらをする必要はないのですが、私が死ぬまでし続けるでしょう。
これは師の命令だからです。 私は彼の教示に従い続けます。たとえ、それらのバージャンが無意味だと
知っていても。 それは、彼へ感じるわたしの尊敬と感謝ゆえです。」
と彼が言うのをかつて私は聞きました。

Did he ever talk about the time he was with Siddharameshwar, about what passed between them?

Not on any of the visits I made. Ranjit Maharaj once came to visit during one of his morning sessions. They chatted in Marathi for a few minutes and then Ranjit left.

彼はシッダラメシュワールと共にいた時について、彼らの間で交わされたことについて話をしましたか?

私が訪れた時は一度もありませんでした。 ランジット・マハラジが、かつて、朝のセッションのときに
訪問してきました。 彼らはマラティ(場所?)で、数分間、話をして、ランジットは出て行きました。

Maharaj simply said, ‘That man is a jnani. He is a disciple of my Guru, but he is not teaching.’
End of story. That visit could have been a springboard to any number of stories about his Guru or about Ranjit, but he wasn’t interested in talking about them.
He just got on with answering the questions of his visitors.

マハラジはあっさりと「あの人はジニャーニです。 彼は私の師の弟子ですが、彼は教えていません。」
と言いました。 話は終わりです。
この訪問は、彼の師とランジットについての多くの話の出発点になりえたのですが、彼はそれらについて
話すことに興味がありませんでした。 彼は、ただ訪問者の質問に答え続けました。

What else did you glean about his background and the spiritual tradition he came from?

He was part of a spiritual lineage that is known as the Navnath Sampradaya. This wasn’t a secret because he had photos or pictures of many of the teachers from his lineage on his walls.
He did a Guru puja every morning at the end of which he put kum kum on the foreheads of all the teachers in his lineage and on the photos of everyone else he thought was enlightened.

彼の経歴と彼の出身の宗教的な伝統について、他に何を学びましたか?

彼はナブナス・サンプラダヤ(?)として知られている宗教の系統に属しています。 これは、秘密では
ありません。というのも、彼は、彼の系統の多くの先生の写真や絵を、壁に掛けていました。
彼は、毎朝、師へのプージャ(お供え、みたいなもの?)をしており、その最後に彼の系統のすべての先生のおでこと彼が悟っていると思ったすべての人の写真にクムクム(儀式に使う粉みたい)をつけました。

結構、訳に苦労します。むずかしい。

I should mention that his walls were covered with portraits.
Ramana Maharshi was there, and so were many other famous saints who were not part of his lineage. Mixed in with them were other pictures, such as one of Sivaji, a famous Marathi warrior from a few hundred years ago.

彼の壁が肖像画で覆われていたことも言っておきましょう。
ラマナ・マハルシがそこにいました。 彼の系統に属していない数多くのその他の有名な聖者もいました。
それらと混ざって、数百年前の有名なマハラーティーの戦士である、シヴァジような他の絵もありました。

細かいところごまかして訳してます。 Remembering Nisargadatta Maharaj から

I once asked him why Sivaji had made it onto his walls, and he said,
‘My son wants me to keep it there.It’s the logo on our brand of beedis.
He thinks that if it is mixed in with all the other pictures that I do puja to, sales will increase.’

かつて私はなぜシヴァジが壁にかかっているのか尋ねました。 彼は、
「息子がそこに掛けておくように私に頼んだからです。 シヴァジは我々の扱うビーディ(インドのたばこ)に書かれたロゴです。 彼は、シヴァジが、私がプージャを行うすべての他の絵と混ざっていたら、
売上げがあがると考えています。」と言いました。

What did he say about all these photos of the people from his lineage?
Did he never explain who they were?

Never. I only found out what their names were a few years later when I came across a book by
R. D. Ranade, who was in a Karnataka branch of the sampradaya.
He, or rather his organization, brought out a souvenir that contained the same photos I had seen on Maharaj’s walls, along with a brief description of who they were.

彼は、彼の系統をひく人々のそれらすべての写真について何か言いましたか?
彼は、彼らが誰であるか一度も説明しなかったのですか?

一度もなかったです。 数年後、サンプラダヤのカルナータカー(インド西部の州)支部にいる
R.D.ラダナの本に偶然出会ったとき、彼らの名前を見つけただけです。
彼、というか彼の組織は、私がマハラジの壁にかかっているのを見た写真を含んだ、お土産をもってきました。 写真には、彼らが誰であるかの短い記述が添えられていました。

I do remember one interesting story that Maharaj told about the sampradaya.
He had been answering questions in his usual way when he paused to give us a piece of history:

私はマハラジがサンプラダヤについて語った興味深い話を覚えています。
歴史の一部を私たちに与えるために一息ついたとき、彼はいつものやり方で質問に答えていました。

‘I sit here every day answering your questions, but this is not the way that the teachers of my lineage used to do their work. A few hundred years ago there were no questions and answers at all. Ours is a householder lineage, which means everyone had to go out and earn his living.

「私はここにすわって、あなたたちの質問に毎日答えていますが、これは私の系統の先生が仕事を行っていた方法ではありません。 数百年前は、質問も答えもまったくありませんでした。
私たちは家に住む系統です。 つまり、みな家を出て、生計を立てなければいけない、ということです。

以下、マハラジの話。

Travel was difficult. There were no buses, trains and planes.
In the old days the Guru did the traveling on foot, while the disciples stayed at home and looked after their families. The Guru walked from village to village to meet the disciples.

旅行は困難でした。 バスも電車も飛行機もありませんでした。
古い時代は、師は徒歩で旅をして、その間、弟子は家にいて、家族の世話をしていました。
師は、村から村へ、弟子に会うために、歩きました。

If he met someone he thought was ready to be included in the sampradaya, he would initiate him with mantra of the lineage. That was the only teaching given out.
The disciple would repeat the mantra and periodically the Guru would come to the village to see what progress was being made.

もし、師がサンプラダヤに招かれる準備ができたと思う人に会うと、その系統のマントラで彼を手ほどき
しました。 それが与えられた唯一の教えです。
弟子はマントラを繰り返し唱え、時々、師はどれぐらい上達したかを確かめに村に来ました。

When the Guru knew that he was about to pass away, he would appoint one of the householder-devotees to be the new Guru, and that new Guru would then take on the teaching duties
: walking from village to village, initiating new devotees and supervising the progress of the old ones.’

I don’t know why this story suddenly came out.
Maybe he was just tired of answering the same questions again and again.

師は自分が亡くなろうとしていることを知ると、家に住む信者のひとりを新しい師に任命しました。
そして、新しい師はそれから教えるという責務を引き受けました。
つまり、村々をめぐり歩き、新しい信者を手ほどきし、古い信者の上達を監督するという責務です。」

私はなぜこの話が急に出てきたのか知りません。
たぶん、彼は、同じ質問に何度も何度も答えるのに飽きていたのでしょう。

以上、Remembering Nisargadatta Maharaj から

http://www.enlightened-spirituality.org/Nisargadatta_Maharaj.html

I have heard that Maharaj occasionally gave out a mantra to people who asked.
Was this the same mantra?

Yes, but he wasn’t a very good salesman for it. I once heard him say, ‘My Guru has authorised
me to give out this mantra to anyone who asks for it, but I don’t want you to feel that it is necessary or important. It is more important to find out the source of your beingness.’

わたしは、マハラジが時々、頼まれた人にマントラを与えていたということを聞きました。
これは同じマントラですか?

ええ、しかし彼はそれについては、とてもよいセールスマンではありませんでした。 私はかつて彼が、
「私の師は、私に、求める人誰にでもこのマントラを与える権限を与えましたが、私はそれが必要や重要であるとあなたに感じてほしくありません。 あなたの存在の源を捜すことのほうがより重要です。」

Nevertheless, some people would ask. He would take them downstairs and whisper it in his or her ear. It was Sanskrit and quite long, but you only got one chance to remember it.
He would not write it down for you. If you didn’t remember it from that one whisper, you never got another chance.

しかしながら、頼む人はいました。 彼は、そういう人々を階下へ連れて行き、耳元でそのマントラを囁きました。 それは、サンスクリット語で、とても長いものでしたが、一度しか覚える機会はありませんでした。
彼は、それを書き記しませんでした。 その一度のささやきで覚えられなかったら、別の機会を得ることは
ありませんでした。

What other teaching instructions did Siddharameshwar give him? Was he the one who encouraged him to teach by answering questions, rather than in the more traditional way?

I have no idea if he was asked to teach in a particular way.
Siddharameshwar told him that he could teach and give out the Guru mantra to anyone who asked for it, but he wasn’t allowed to appoint a successor. You have to remember that Nisargadatta wasn’t realised himself when Siddharameshwar passed away.

シッダラメシュワールは、ほかにどんな教えに関する指示を彼に与えましたか? シッダラメシュワールが、彼に、伝統的な方法より、質問に答えるという方法で教えることを勧めたのですか?

マハラジが特定の方法で教えるように頼まれたか、私は知りません。
シッダラメシュワールは、彼に、求める人だれにでも、グル・マントラを与えることができると伝えましたが、彼は後継者を任命することを許可されてませんでした。
あなたは、シッダラメシュワールが亡くなったとき、彼が悟っていなかったことを覚えているでしょう。

have to remember てどうやって訳せばいいんだろう?

What about personal details? Did Maharaj ever talk about his childhood or his family?
Ramana Maharshi often told stories about his early life, but I don’t recollect reading a single biographical incident in any of Maharaj’s books.

That’s true. He just didn’t seem interested in talking about his past.
The only story I remember him telling was more of a joke than a story.

個人的なストーリーについてはどうですか? マハラジは、子供や家族について今までに話したことは
ありますか? ラマナ・マハルシは人生の初期の話をよくしましたが、私はマハラジの本の中で、伝記的な出来事を一つも読んだ記憶がありません。

それは本当です。 彼は、単に、過去を語ることに関心がないようでした。
私が覚えている、かれが語った唯一の話は、話というより冗談みたいなものです。

だいぶ意味が通るように意訳してます。

Some man came in who seemed to have known him for many years. He talked to Maharaj in
Marathi in a very free and familiar way. No translations were offered but after about ten minutes all the Marathi-knowing people there simultaneously broke out into laughter.
After first taking Maharaj’s permission, one of the translators explained what it was all about.

マハラジと長年親交があるような人がきました。 彼は、気さくで親しげに、マハラーティー語でマハラジに話しかけました。 通訳は行われませんでした。約10分後、マハラーティー語を知っている人みんなが、
一斉に笑い始めました。 マハラジの許可を取ってから、通訳の一人が事の顛末を説明しました。

Marathi はマハラーティー語で、南西インドの地方の言葉みたいです。
9000万人ぐらいしゃべる人がいて、インドで四番目に多く話されているらしいです。

‘Maharaj says that when he was married, his wife used to give him a very hard time.
She was always bossing him around and telling him what to do.
“Maharaj do this, Maharaj go to the market and buy that.”‘
She didn’t call him Maharaj, of course, but I can’t remember what she did call him.

「マハラジが言うには、結婚していた時、妻はいつも彼にとてもつらく当っていました。
彼女はいつもマハラジをこき使い、仕事を言いつけていました。
『マハラジ、これをやりなさい。マハラジ、市場にいって、あれを買ってきなさい。』」
もちろん、彼女は彼をマハラジと呼びませんでしたが、私は彼女が何と呼んだのか覚えていません。

マハラジは、偉大な王、という意味みたいです。マハルシは、偉大な仙人・聖者、とかかな。

The translator continued:
‘His wife died a long time ago, when Maharaj was in his forties.
It is usual for men of this age who are widowed to marry again, so all Maharaj’s relatives wanted him to find another wife. He refused, saying, “The day she died I married freedom”.’
I find it hard to imagine anyone bossing Maharaj around, or even trying to.
He was a feisty character who stood no nonsense from anyone.

通訳の人がつづけて、
「かなり昔にマハラジの妻が亡くなりました。 マハラジが40代の時です。
妻を亡くした、この年齢の男性は再婚するのが一般的です。 マハラジの親せきは彼が別の妻を探すことを
望みました。 彼が断わって言うには、『彼女が亡くなったに日に、私は自由と結婚しました』。」
誰かが、マハラジをこき使ったり、それを試みることさえ、私には想像するのが難しいです。
彼は、怒りっぽい性格で、誰の愚かな行為も見逃しませんでした。

最後の訳はかなり意訳です。もっといい訳があると思います。

From what I have heard ‘feisty’ may be a bit of a euphemism.
I have heard that he could be quite bad-tempered and aggressive at times.

Yes, that’s true, but I just think that this was part of his teaching method.
Some people need to be shaken up a bit, and shouting at them is one way of doing it.

私が聞いたところによると、「怒りっぽい」という表現は少し婉曲的ではありませんか。
彼はときどき、非常に気難しく、攻撃的になったと聞いています。

それは本当ですが、それは単に、彼の教える方法の一部であったと思っています。
少し揺さぶられる必要のある人もいます。 そういう人に怒鳴ることは、揺さぶる方法の一つです。

I remember one woman asking him, rather innocently,
‘I thought enlightened people were supposed to be happy and blissful.
You seem to be grumpy most of the time.
Doesn’t your state give you perpetual happiness and peace?’
He replied, ‘The only time a jnani truly rejoices is when someone else becomes a jnani’.

私は、ある女性が、無邪気な様子で、彼に尋ねたことを覚えています。
「悟った人々というのは、幸福に充ち溢れているものとばかり思っていました。
あなたは、ほとんど、気難しいように見えます。
あなたがいる状態で、あなたは常に幸福と平和を感じていないのですか?」
彼は、「ジニャーニーが本当に喜ぶ唯一のときは、誰かがジニャーニーになった時です」と答えました。

How often did that happen?

I don’t know.  That was another area that he didn’t seem to want to talk about.
I once asked directly, ‘How many people have become realised through your teachings?’
He didn’t seem to welcome the question: ‘What business is that of yours?’ he answered.
‘How does knowing that information help you in any way?’

それ(誰かが悟りを開くこと)はどれぐらい起こったのですか?

わかりません。 それは、彼が話したくないように見えた、もうひとつのテーマでした。
かつて私は、直接尋ねたことがあります。「あなたの教えを通じて、どのぐらいの人が悟りましたか?」
彼はその質問を歓迎していないようでした。 「それは、あなたに何の関係があるのですか?」
と彼は答えました。「あなたにとって、その情報を知ることが、なんの役に立つのですか?」

‘Well,’ I said, ‘depending on your answer, it might increase or decrease my level of optimism.
If there is a lottery with only one winning ticket out of ten million, then I can’t be very optimistic about winning.
But if it’s a hundred winning tickets out of a thousand, I would feel a lot better about my chances.

私は言いました。「あなたの答えによって、私の楽観主義が強まるか、弱くなるでしょう。
もし、1000万に1つの当りくじしかないと、当りくじを引くことにそんなに楽観的になれません。
でも、1000に100の当りくじがあるなら、チャンスがかなりあると感じるでしょう。

If you could assure me that people are waking up here, I would feel good about my own chances.
And I think feeling good about my chances would be good for my level of earnestness.’

もし、あなたが人々がここで目覚めている(悟っている)ことを断言してくれるなら、自分のチャンスを
期待できます。 そして、自分のチャンスが期待できると、私はより熱心に取り組むことになるでしょう。」

‘Earnestness’ was one of the key words in his teachings.
He thought that it was good to have a strong desire for the Self and to have all one’s faculties turned towards it whenever possible.
This strong focus on the truth was what he termed earnestness.

「熱心さ」は彼の教えのキーワードの一つでした。
彼は、自己(真我)に対して強い欲求をもつことと、可能な時はいつでもそれへすべての能力を傾けることを良いことだと考えていました。 この真理へ強く焦点を置くことを、彼は「熱心さ」と呼んでいました。

I can’t remember exactly what Maharaj said in reply except that I know he didn’t divulge any numbers. He didn’t seem to think that it was any of mine or anyone else’s business to know such information.

マハラジが、(悟りを開いた)人数を明かさなかったこと以外は、答えとして正確に何を言ったか覚えていません。 彼は、そのような情報を知ることは、私やほかの誰かに関係あることと思っていないようでした。

Maybe there were so few, it would have been bad for your ‘earnestness’ to be told.

That’s a possibility because I don’t think there were many.

Did you ever find out, directly or indirectly?

おそらく、ほんのわずかしかいなかったから、(悟りを開いた人数を)話されたらあなたの「熱意」に悪い影響を与えたでしょう。

そうかもしれません。 私は(悟りを開いた人が)多くいたと思っていません。

直接的か、間接的に、今までに(悟りを開いた人を)見つけたことがありますか?

Not that day. However, I bided my time and waited for an opportunity to raise the question again.
One morning Maharaj seemed to be more-than-usually frustrated about our collective inability to grasp what he was talking about.

その日は見つかりませんでした。 しかし、私は再び質問をする機会を待ちました。
ある朝、マハラジは、我々がみんな彼の話すことを理解できないことに、いつもよりいらいらしているように見えました。

‘Why do I waste my time with you people?’ he exclaimed.
‘Why does no one ever understand what I am saying?’
I took my chance: ‘In all the years that you have been teaching how many people have truly understood and experienced your teachings?’

「なぜ私は、あなたたちとともに時間を無駄にしているか?」と彼は声をあげました。
「なぜ、誰も私の言っていることを理解しないのですか?」
私はチャンスを得ました。「あなたが教えてきたすべての期間で、どれぐらいの人があなたの教えを本当に理解し、体験しましたか?」

He was quiet for a moment, and then he said, ‘One. Maurice Frydman.’
He didn’t elaborate and I didn’t follow it up.

彼は少しの間だまっていました。 そして、「1人。モーリス・フリードマン」と言いました。
彼はそれ以上詳しく述べませんでしたし、私は、話を続けませんでした。

I mentioned earlier that at the conclusion of his morning puja he put kum kum on the forehead of all the pictures in his room of the people he knew were enlightened.
There were two big pictures of Maurice there, and both of them were daily given the kum kum treatment. Maharaj clearly had a great respect for Maurice.

先ほど言いましたが、朝のプージャの終わりに、彼は、部屋にある、彼が悟りを開いたと知っていた人々のすべての写真のおでこに、クムクムをつけていました。
そこにはモーリスの2つの大きな写真があって、その両方に毎日クムクムがつけられていました。
マハラジは、明らかに、モーリスに多大な敬意を払っていました。

I remember on one of my early visits querying Maharaj about some statement of his that had been recorded in I am That. I think it was about fulfilling desires.
Maharaj initially didn’t seem to agree with the remarks that had been attributed to him in the book, but then he added, ‘The words must be true because Maurice wrote them. Maurice was a jnani, and the jnani’s words are always the words of truth.’

私は、マハラジを訪れたときに、I am That に記録された彼の話のいくつかについて質問したことを
覚えています。 それは、欲望を満たすことについてだった思います。
マハラジは、初め、本の中で彼のものとされている発言に同意していないようでしたが、
彼は、「その言葉は真実に違いありません。 なぜなら、モーリスがそれらを書いたからです。
モーリスはジニャーニです。そして、ジニャーニの言葉はいつも真実の言葉です。」と付け加えました。

I have met several people who knew Maurice, and all of them have extraordinary stories to tell about him. He visited Swami Ramdas in the 1930s and Ramdas apparently told him that this
would be his final birth. That comment was recorded in Talks with Sri Ramana Maharshi in the late 1930s, decades before he had his meetings with Maharaj.

私はモーリスを知っている人々と会ったことがあります。会った人すべてから、彼に関する驚くような話を聞きました。 彼は1930年代にスワミ・ラムダスを訪れました。ラムダスは、彼に今世が最後の生まれ
になると告げたようです。 この話は、1930年後期の「Talks with Sri Ramana Maharsi」に記録されています。 彼がマハラジにあう数十年前のことです。

He was at various stages of his life a follower of Ramana Maharshi, Gandhi, and J. Krishnamurti.
While he was a Gandhian he went to work for the raja of a small principality and somehow
persuaded him to abdicate and hand over all his authority to people he had formerly ruled as an absolute monarch.

彼は、さまざまな立場を経験しました。ラマナ・マハルシ、カンジー、クリシュナムルティとともにいました。 ガンジーと行動を共にしていた時、彼は、小さい公国の王に仕えに行き、王をなんとかして説得し、
すべての権限を放棄させ、以前に専制君主として支配していた人々へ、それらの権限を譲らせました。

His whole life is full of astonishing incidents such as these that are virtually unknown.
I have been told by someone who used to be a senior Indian government official in the 1960s that it was Frydman who persuaded the then India Prime Minister Nehru to allow the Dalai Lama and
the other exiled Tibetans to stay in India.

彼の人生は、このような驚くべき出来事でいっぱいです。 それらは、事実上、知られていません。
これは、1960年代に、年配のインド人の役人をしていたひとから聞いた話です。それによると、当時のインドの首相であるネルーを説得して、ダライラマと追放されたチベット人のインドでの居住を許可させた
のは、フリードマンです。

Frydman apparently pestered him continuously for months until he finally gave his consent.
None of these activities were ever publicly acknowledged because Frydman disliked publicity of any kind and always tried to do his work anonymously.

フリードマンは、最終的に許可が出るまで、ネルーを数カ月にわたり苦しめた(説得した)みたいです。
これらの活動のどれも、公には知られていません。というのも、フリードマンはどのような評判も好まず、いつも匿名で仕事をしようと試みました。

What were Frydman’s relations with Ramana Maharshi like? Did he leave a record?

There are not many stories in the Ramanasramam books,
and in the few incidents that do have Maurice’s name attached to them, Ramana is telling him off,
usually for trying to give him special treatment. In an article that Maurice wrote very late in his life, he lamented the fact that he didn’t fully appreciate and make use of Bhagavan’s teachings
and presence while he was alive.

フリードマンとラマナ・マハルシの関係はどのようなものですか? 何か記録がありますか?

ラマナアシュラムにある本のなかには、多くの話はありません。
モーリスの名前がでてくる数少ない出来事の中で、ラマナはモーリスを叱っていました。 たいていは、
モーリスがラマナに特別な待遇をしようとしたことが原因です。 晩年に書いた文章の中で、モーリスは、
バガヴァンの存命中にその教えと存在を十分に理解し、役立てることをしなかったことを悔やんでいます。

バガヴァンはラマナ・マハルシのことを指してます。よくつかわれる敬称の一つです。

However, he did use his extraordinary intellect and editing skills to bring out Maharshi’s Gospel in 1939. This is one of the most important collections of dialogues between Bhagavan and his
devotees. The second half of the book contains Frydman’s questions and Bhagavan’s replies to them. The quality of the questioning and the editing is quite extraordinary.

しかしながら、彼は、素晴らしい知性と編集の技術を使い、1939年に Maharshi’s Gospel を出版しました。 この本は、バガヴァンと帰依者との間で交わされた対話を集めたものの中で、最も重要な一つです。
本の後ろ半分には、フリードマンの質問とそれに対するバガヴァンの答えが含まれています。
その質問と編集の質は、ほんとうに驚くべきものです。

Maharshi’s Gospel はPDFで無料で手に入ります。

A few hundred years ago a French mathematician set a difficult problem and challenged anyone to solve it. Isaac Newton solved it quickly and elegantly and sent off the solution anonymously.
The French mathematician immediately recognized that Newton was the author and apparently said, ‘A lion is recognized by his claws’.

数百年前に、あるフランスの数学者は、難しい問題を作り、誰か解いてみろ、と挑戦しました。
アイザック・ニュートンは、その問題を、すばやく華麗に解き、匿名で解答を送りました。
フランスの数学者は即座に、ニュートンが書いた人であるとわかり、「そのかぎ爪をみれば、ライオンであるとわかる」と言ったようです。

I would make the same comments about the second half of Maharshi’s Gospel.
Though Frydman’s name has never appeared on any of the editions of the book,
I am absolutely certain that he was the editor and the questioner.

私には、Maharshi’s Gospel の後ろ半分についても、同じことが言えます。
フリードマンの名前は、この本のどの版にも現れていませんが、
彼が編集し、質問をしたということについて絶対的な確信があります。

So far as you are aware Maharaj never publicly acknowledged anyone else’s enlightenment?

There may have been others but the only other one I know about,
since I witnessed it first-hand, was a Canadian – at least I think he was Canadian – called Rudi.

あなたが知る限りで、マハラジは、皆の前で、誰かほかに悟った人がいることを
一度も認めませんでしたか?

ほかにもいたでしょうが、じかに見て、私が知っている唯一の人は、
カナダ人の(少なくとも私は彼をカナダ人と思っているのですが)ルディという人です。

I had listened to some tapes before I first went to Maharaj and this man Rudi featured prominently on them. I have to say that he sounded utterly obnoxious.
He was pushy, argumentative and aggressive; apparently Maharaj threw him out on several occasions. I had never met Rudi; I only knew him from the tapes I had heard.

私はマハラジに初めて会う前に、テープをいくつか聞いていました。 テープでは、このルディという男が
とくに目立ってました。 彼は非常に嫌な印象であったと言わざるを得ません。
彼は、厚かましく、議論好きで、攻撃的でした。 マハラジは彼を何回か追い出したようでした。
私はルディにあったことがありませんでした。 テープから彼を知っていただけでした。

Then one day Maharaj announced, ‘We have a jnani coming to visit us this morning. His name is Rudi.’
I laughed because I assumed that Maharaj was making fun of his pretensions to enlightenment.
Maharaj could be quite scathing about people who claimed to be enlightened, but who weren’t.

それからある日、マハラジは「 今朝、我々をジニャーニが訪れに来ます。名前はルディです。」
と皆の前で言いました。

私は笑いました。 というのも、マハラジが彼の見せかけの悟りをからかっていると思ったからです。
マハラジは、悟ったと主張しているが、本当はそうでない人についてはまったく容赦がありませんでした。

Wolter Keers, a Dutch advaita teacher, was someone who fell into that category.
Every so often he would come to Bombay to see Maharaj,
and on every visit Maharaj would tell him off for claiming to be enlightened when he wasn’t.

オランダ人でアドヴァイタを教えている、ウォルター・キーアスは、このカテゴリーに入るひとです。
とても頻繁に、マハラジに会いに彼はボンベイにきて、
そのすべての訪問の際に、マハラジは悟っていないのに悟ったと主張していることを叱っていました。

On one visit he started lecturing Wolter before he had even properly entered the room.
There was a wooden stairway that led directly into the room where Maharaj taught.
As Wolter’s head appeared above the top step, Maharaj suspended his other business and started laying into him. ‘You are not enlightened! How dare you teach in the West, claiming that you are enlightened?

ある訪問の際には、マハラジは、ウォルターがちゃんと部屋に入る前に、彼に説教し始めました。
マハラジが教えている部屋へと直接につながっている、木製の階段がありました。
ウォルターの頭が階段の一番上の段からあらわれたとき、マハラジは、ほかの仕事を中断し、彼へと注意を向け始めました。 「あなたは悟っていません! よくもまあ、西洋で、自分が悟っていると主張して
教えてられるもんですね。」

On one of my other visits Wolter was due to arrive and Maharaj kept asking when he was going to appear. ‘Where is he? I want to shout at him again. When is he going to arrive?’
On that particular visit I had to leave before Wolter came so I don’t know what form the lecture took, but I suspect that it was a typically hot one.

私のある訪問の際に、ウォルターが来る予定で、マハラジはいつ彼が現れるのかと尋ね続けました。
「彼はどこにいますか? 私は、もう一度、彼を怒鳴りつけてやりたい。 いつ彼は到着しますか?」
その訪問の際には、私はウォルターが来る前に出発しなければならなかったので、説教がどのような形を
とったかを知りませんが、とくに激しいものになったと思います。

Anyway, let’s get back to Rudi. When Maharaj announced that a ‘jnani’ was due, I assumed that
Rudi was going to get the Wolter treatment. However, much to my amazement, Maharaj treated him as the genuine article when he finally showed up.

それはともかく、ルディに話を戻しましょう。 マハラジが「ジニャーニ」が来る予定であると皆の前で
言った時、私はルディがウォルターと同じ扱いをされることになると思いました。 しかしながら、
非常に驚いたのですが、マハラジは、彼がとうとうあらわれたときに、彼を本物としてもてなしました。

After spending a good portion of the morning wondering when Rudi was going to appear,
Maharaj then asked him why he had bothered to come at all.

いつルディが現れるのかと思い、朝のかなりの時間を費やしたあとに、
マハラジはなぜ彼がわざわざ来たのか尋ねました。

‘To pay my respects to you and to thank you for what you have done for me.
I am leaving for Canada and I came to say goodbye.’
Maharaj didn’t accept this explanation: ‘If you have come to this room, you must have some doubt left in you. If you were doubt-free, you wouldn’t bother to come at all.

「あなたへの敬意を表すためと、私にしてくれたことに対する感謝をするためです。
私はカナダへ行くので、お別れを言いに来ました。」
マハラジはこの説明を受け取りませんでした。「あなたがこの部屋に来たのなら、あなたの中に疑問が
残っているはずです。 あなたに疑いがないのなら、わざわざここに来ることはありません。

以下、マハラジの言葉がつづきます。

I never visit any other teachers or Gurus because I no longer have any doubts about who I am.
I don’t need to go anywhere. Many people come to me and say,
“You must visit this or that teacher. They are wonderful,”
but I never go because there is nothing I need from anyone. You must want something you haven’t got or have a doubt to come here. Why have you come?’

私は、ほかの先生やグルをたずねたことは一度もありません。「私は誰か」ということについて何の疑問もないからです。 どこかほかへ行く必要もありません。多くの人は私のところへにきて、
「あれこれの先生をたずねるべきですよ。彼らはすばらしい。」と言います。
でも私は行きません。誰から何も必要としないからです。 ここに来たのだから、あなたはまだ得ていない何かを求めているか、疑問があるはずです。 なぜここに来ましたか?」

マハラジの言葉終わり。

Rudi repeated his original story and then kept quiet. I was looking at him and he seemed to me to be a man who was in some inner state of ecstasy or bliss that was so compelling,he found it
hard even to speak. I still wasn’t sure whether Maharaj was accepting his credentials, but then the woman he had arrived with asked Maharaj a question.

ルディは初めに言ったことを繰り返し、それから黙っていました。 私は彼を見ていました。
彼は、内的な恍惚か至福の状態にいるようで、彼はしゃべることさえできないようでした。
私は、まだ、マハラジが彼の証明書を受け取ったかどうか(彼をジニャーニと認めたかどうか)わかりませんでした。 その時、ルディと一緒に来た女性がマハラジに質問しました。

Maharaj replied, ‘Ask your friend later. He is a jnani.
He will give you correct answers. Keep quiet this morning. I want to talk to him.’

マハラジは答えて、「後であなたの友人に尋ねなさい。彼はジニャーニです。
彼があなたに正しい答えをするでしょう。 今朝は黙っていてください。私は彼と話がしたいのです。」

It was at this point that I realised that Maharaj really did accept that this man had realised the Self. Rudi then asked Maharaj for advice on what he should do when he returned to Canada.
I thought that it was a perfectly appropriate question for a disciple to ask a Guru on such an occasion, but Maharaj seemed to take great exception to it.

この時点において、私は、マハラジが本当にこの人が真我(自己)を悟っている事を認めていることが
わかりました。 ルディはマハラジに、カナダへ帰って何をすべきかとアドヴァイスを求めました。
それは弟子にとって、このような状況でグルに尋ねるには、最適の質問のように私には思えました。
しかし、マハラジはそれに対して非常に腹を立てているようでした。

‘How can you ask a question like that if you are in the state of the Self?
Don’t you know that you don’t have any choice about what you do or don’t do?’

「もしあなたが真我(自己)の状態であるなら、どうしてそのような質問ができるのですか?
あなたは、することとしないことについて何の選択権も持っていないことを知らないのですか?」

Rudi kept quiet. I got the feeling that Maharaj was trying to provoke him into a quarrel or an argument, and that Rudi was refusing to take the bait. At some point Maharaj asked him,
‘Have you witnessed your own death?’ and Rudi replied ‘No’.

ルディは黙っていました。 私は、マハラジがルディを挑発して、口論に持ち込もうとしているような感じを受けました。 ルディは誘いに乗る事を拒否していました。 そうこうするうちに、マハラジはルディに
「あなたは自分自身の死を目撃しましたか?」とたずねました。 ルディは「いいえ」と答えました。

Maharaj then launched into a mini-lecture on how it was necessary to witness one’s own death in order for there to be full realisation of the Self. He said that it had happened to him after
he thought that he had fully realised the Self, and it wasn’t until after this death experience that he understood that this process was necessary for final liberation.

するとマハラジは、真我(SELF)を完全に悟るために自分自身の死を目撃することがいかに必要かについての小講義を開始しました。 彼は、その体験は、彼が真我(SELF)を完全に悟ったと思った後に起こり、
そして、死の体験の後にはじめて、この過程が最終的な解放に必要であることを理解したと言いました。

I hope somebody recorded this dialogue on tape because I am depending on a
twenty-five-year-old memory for this.
It seems to be a crucial part of Maharaj’s experience and teachings but I never heard him mention it on any other occasion. I have also not come across it in any of his books.

だれかがこの会話をテープに録音していればよいのですが。 私は、25年前の記憶に頼っているので。
死の体験は、マハラジの経験と教えのきわめて重要な部分のように思えますが、私はそのことを彼が
別の機会に言うのを一度も聞いてません。 彼のどの本の中でも、そのことに出会っていません。

Maharaj continued to pester Rudi about the necessity of witnessing death,
but Rudi kept quiet and just smiled beatifically.
He refused to defend himself, and he refused to be provoked.

マハラジは、死を目撃することについて、ルディを困らせ続けましたが、
ルディは黙っていて、ただ幸せそうに微笑んでしました。
彼は、自分を擁護することを拒んでいました。そして、挑発されることを拒んでいました。

Anyway, I don’t think he was in any condition to start and sustain an argument.
Whatever state he was in seemed to be compelling all his attention.
I got the feeling that he found articulating even brief replies hard work.

ともかく、私は、彼が議論を始め、続けるような状態にないと思いました。
彼がどのような状態であれ、それは彼の注意をすべて奪っているようでした。
私は、彼には短い答えを言うことさえ大変な仕事になっている、という感じを受けました。

Finally, Rudi addressed the question and said,
‘Why are you getting so excited about something that doesn’t exist?’
I assumed he meant that death was unreal, and as such, was not worth quarrelling about.
Maharaj laughed, accepted the answer and gave up trying to harass him.

終に、ルディは質問に答えて言いました。
「なぜあなたは存在しないものについてそんなに躍起になっているのですか?」
彼の意図するところは、死とは非現実的であり、そのようなものは言い争う価値のないものである、
ということだと思います。
マハラジは笑い、その答えを受け入れました。そして、彼を悩まそうとすることをやめました。

‘Have you ever had a teacher like me?’ demanded Maharaj, with a grin.
‘No,’ replied Rudi, ‘and have you ever had a disciple like me?’
They both laughed and the dialogue came to an end. I have no idea what happened to Rudi.
He left and I never heard anything more about him.
As they say at the end of fairy stories, he probably lived happily ever after.

「いままでに私のような教師をもったことはありますか?」マハラジはにっこり笑いながら尋ねました。
「いいえ」と彼は答えました。「今までに私のような弟子を持ったことはありますか?」
彼らはともに笑い、対話は終わりました。 私はルディに何が起こったのかわかりません。
彼は去り、私は彼についてそれ以上何も聞いていません。
おとぎ話の最後によく言うように、おそらく彼は、いつまでも幸せに暮らしたのでしょう。

You say that Maharaj never visited other teachers because he no longer had any doubts.
Did he ever talk about other teachers and say what he thought of them?

He seemed to like J. Krishnamurti.
He had apparently seen him walking on the streets of Bombay many years before.
I don’t think that Krishnamurti noticed him.

マハラジは、もはやどんな疑いも持っていないから、ほかの教師を訪れなかった、とあなたは言いました。
彼は、ほかの教師について話したり、その人たちについてどのように考えているかしゃべったことが
ありますか?

彼はジッド・クリシュナムルティが好きなようでした。
何年も前に、彼はボンベイの街路をクリシュナムルティが歩いているのを見たようでした。
クリシュナムルティが彼に気付いたかどうか、私は知りません。

仲間がいるのですか?「マハラジを輪読する会」の仲間とかかな(笑)。
100人もいらっしゃるようなので、できるだけがんばります。
ここから、ほかのスピリチュアルの教師の話が出てきます。お楽しみに。

Afterwards, Maharaj always spoke well of Krishnamurti and he even encouraged people to go and see him. One day Maharaj took a holiday and told everyone to go and listen to Krishnamurti
instead. That, I think, shows a high level of approval.

その後、マハラジはいつもクリシュナムルティのことを褒め、人々に彼に会いに行くことを勧めさえしました。 ある日、マハラジは休暇を取り、かわりに皆にクリシュナムルティのところへ行き、話を聞くように
言いました。 このことは、彼がクリシュナムルティを十分に認めていることを示している 、と思います。

The most infamous teacher of the late 1970s was Osho, or Rajneesh as he was in those days.
I once heard Maharaj say that he respected the state that Rajneesh was in,
but he couldn’t understand all the instructions he was giving to all the thousands of foreigners who were then coming to India to see him.

1970年代で最も悪名高い教師はオショーです。 彼はその当時、ラジニーシという名でした。
私はかつて、マハラジが、ラジニーシのいる状態を尊敬していると言うのを聞きました。
しかしマハラジは、その当時、ラジニーシに会いにインドにきている数千の外国人に彼が与えているすべての指導をまったく理解できませんでした。

Although the subject only came up a couple of times while I was there, I got the feeling he liked the teacher but not the teachings.
When Rajneesh’s foreign ‘sannyasins’ showed up in their robes, he generally gave them a really
hard time. I watched him throw quite a few of them out, and I saw him shout at some of them before they had even managed to get into his room.

そのテーマは私がそこにいたときに、数回持ち上がっただけでしたが、マハラジは、教師に好意はあるが、教えにはないという印象を受けました。
ラジニーシを信奉する外国の修行者らが彼らのローブを付けて現れたとき、マハラジは彼らにたいてい
厳しく当りました。 私は、マハラジが、かなりの数の彼らを追い出すのを見ました。また、マハラジが、
彼らがマハラジの部屋に入ろうとする前にさえ、彼らに怒鳴るのを見たことがあります。

I heard a story that he also encountered U. G. Krishnamurti in Bombay.
I will tell you the version I heard and you can make up your own mind about it.
It was told to me by someone who spent a lot of time with U. G. in the 1970s.

私はマハラジがボンベイでクリシュナムルティに出会った話も聞きました。
私はあなたに、私がきいたバージョンを話します。あなたはそれについて自分で判断してください。
これは、私が1970年代にクリシュナムルティと共に長い時間を過ごした人から聞いた話です。

It seems that Maurice Frydman knew U. G. and also knew that he and Maharaj had never met,
and probably didn’t know about each other.
He wanted to test the theory that one jnani can spot another jnani by putting them both in the same room, with a few other people around as camouflage.
He organised a function and invited both of them to attend.

モーリス・フリードマンはクリシュナムルティと知り合いだったようで、また、クリシュナムルティと
マハラジは会ったことがなく、おそらくお互いのことを知らないということも知っていたようです。

彼は、幾人かのカモフラージュの人を周りに配置した部屋に、二人のジニャーニを入れることで、
ジニャーニがほかのジニャーニを見つけれるという理論を試したいと思いました。
彼は場をつくり、両方とも出席するよう招待しました。

U. G. spent quite some time there, but Maharaj only came for a few minutes and then left.
After Maharaj had left Maurice went up to U. G. and said,
‘Did you see that old man who came in for a few minutes. Did you notice anything special?
What did you see?’
U. G. replied, ‘I saw a man, Maurice, but the important thing is, what did you see?’

クリシュナムルティは結構な時間そこにいましたが、マハラジは数分間いただけで、帰りました。
マハラジが帰ったあと、モーリスはクリシュナムルティのところに行って、言いました。
「数分の間来ていた年寄りの男性を見ましたか? 何か特別なことに気付きましたか?
何をあなたは見ましたか?」 クリシュナムルティは
「モーリス、私は1人の男性を見ました。でも重要なことは、あなたが何を見たか、です」と答えました。

The next day Maurice went to see Maharaj and asked, ‘Did you see that man I invited yesterday?’
A brief description of what he looked like and where he was standing followed.
Then Maurice asked, ‘What did you see?’
Maharaj replied, ‘I saw a man Maurice, but the important thing is, what did you see?’

次の日、モーリスはマハラジに会いに行き、尋ねました。「あなたは昨日、私が招待した男性を見ましたか?」 彼がどのような風貌をしているかと、どこに立っていたかの短い描写が続いてありました。
それからモーリスは、「あなたは何を見ましたか?」とたずねました。 マハラジは
「モーリス、私は1人の男性を見ました。でも重要なことは、あなたが何を見たか、です」と答えました。

It’s an amusing story and I pass it on as I heard it,
but I should say that U. G.’s accounts of his meetings with famous teachers sometimes don’t ring true to me. I have heard and read his accounts of his meetings with both Ramana Maharshi and
Papaji, and in both accounts Bhagavan and Papaji are made to do and say things that to me are completely out of character.

これは面白い話なので、私が話を聞いた通りに伝えています。
でも、クリシュナムルティの有名な教師に会ったことに関する話は、ときおり、私には本当らしく思え
ない、といわざるをえません。 私は、彼がラマナ・マハルシとパパジの両方に出会ったことに関するの
話を聞いたり、読んだりしましたが、両方の話で、バガヴァンとパパジは、私からしてみれば、
まったく柄にあっていないな事をさせられたり、言わされたりしています。

When Maharaj told Rudi that he had no interest in visiting other teachers, it was a very true statement. He refused all invitations to go and check out other Gurus.
Mullarpattan, one of the translators, was a bit of a Guru-hopper in the 1970s, and he was always bringing reports of new teachers to Maharaj, but he could never persuade him to go and look at them. So, reports of meetings between Maharaj and other teachers are not common.

マハラジがルディに、ほかの教師を訪れることに興味がないと言った時、それは本当に真実の言葉です。
彼は、他のグルのところへ行き、調べようとする誘いをすべて断わっていました。
翻訳者の一人のムラルパッタンは、1970年代、グルを次々訪れていて、いつもマハラジに新しい教師の報告をもってきました。 しかし、彼はマハラジを説得して、グルたちを見に行かせることはできません
でした。ですから、マハラジと他の教師との会合の報告は、よくある事ではありませんでした。

Papaji ended up visiting Maharaj and had a very good meeting with him.
In his biography he gives the impression that he only went there once,
but I heard from people in Bombay that Papaji would often take his devotees there.

パパジは結局マハラジを訪れ、彼ととてもよい出会いをしました。
彼の自伝では、彼がそこへ一回しか行かなかったという印象を与えますが、
私はボンベイにいる人々から、パパジがよく彼の信奉者たちをそこへ連れて行っていたと聞きました。

He visited quite a few teachers in the 1970s, often when he was accompanying foreigners who had come to India for the first time. It was his version of showing them the sights.
They would never ask questions; they would just sit quietly and watch what was going on.

パパジは1970年代に、多くの教師を訪問しました。 そのとき、彼はよく、インドに初めて来た外国人をつれていました。 それが、彼の名所を案内するやり方でした。
彼らは決して質問をしませんでした。彼らは静かに座り、起こっている事を見ていただけでした。

What was Maharaj’s attitude to Ramana Maharshi and his teachings?
Did you ever discuss Bhagavan’s teachings with him?

He had enormous respect for both his attainment and his teachings.
He once told me that one of the few regrets of his life was that he never met him in person.
He did come to the ashram in the early 1960s with a group of his Marathi devotees.
They were all on a South Indian pilgrimage tour and Ramanasramam was one of the places he visited.

マハラジのラマナ・マハルシとその教えへの態度はどのようなものでしたか?
彼とバガヴァンの教えについて議論したことはありましたか?

マハラジは、その達成と教えの両方を非常に尊敬していました。 かつて彼は私に、
人生におけるわずかな後悔の一つは、マハルシ本人に会ったことがないことだと言いました。
彼は1960年代初期に、マハラティー地方の信奉者と一緒にラマナ・アシュラムにやってきました。
彼らはみな、南インドへの巡礼の旅の途中で、ラマナアシュラムは彼が訪れた場所の一つでした。

ちなみに、ラマナ・マハルシは1950年に亡くなっています。
彼はティルヴァナマライを一度も離れませんでした。

With regard to the teachings he once told me,
‘I agree with everything that Ramana Maharshi said, with the exception of this business of the heart-centre being on the right side of the chest. I have never had that experience myself.’

マハルシの教えに関しては、彼はかつて私にこういいました。
「私はラマナ・マハルシが言ったことに、1つを除いて、すべて賛成します。 それは、
右胸にあるハート・センターに関することです。 私は自分自身でそのような経験はしませんでした。」

ハートセンターのハートはSELF(真我)の別名で、体のどこに真我があるかと問う人を納得させるために、
一応、右胸にあるとマハルシが説明している。
マハルシはSELFは体の外・内にあるとは、本当は言えない、と述べている。たぶん。
いい加減な私の記憶から説明しました。

マハルシは「中心は胸にある、悟った多くの人間が同じことを言ってる」みたいに言ってた
気がする、記憶なんであいまいだけど
そこは自分もちょっとピンとこなかった、どうなんだろうか
中心だとかセンターだとかがあるのだろうか、ないのだろうか

I discussed various aspects of Bhagavan’s teachings with him and always found his answers to be very illuminating. He asked me once, ‘Have you understood Ramana Maharshi’s teachings?’
Since I knew he meant ‘Had I actually experienced the truth of them?’,
I replied, ‘The more I listen to Maharaj, the more I understand what Bhagavan is trying to tell me’.

私はマハラジとバガヴァンの教えの様々な側面を議論しました。 彼の答えはいつも新たな理解を導くもの
でした。 彼はかつて私に聞きました。「ラマナ・マハリシの教えを理解しましたか?」
私は彼の意味するところが、「教えの真理を実際に経験したか?」ということを知っていたので、
「あなたの話を聞くにつれ、バガヴァンが私に伝えようとしていることの理解がより深まります。」
と答えました。

I felt that this was true at both the theoretical and experiential levels.
His explanations broadened and deepened my intellectual understanding of Bhagavan’s teachings
and his presence also gave me experiential glimpses of the truth that they were all pointing towards.

私は、このことが理論と経験の両方のレベルで本当であると感じました。
彼の説明は、私のバガヴァンの教えの知的な理解を広げ、深めました。
そして、彼の存在により、私は、その教えが指し示している真理をわずかばかりですが経験しました。

I have to mention Ganesan’s visit here.
V. Ganesan is the grandnephew of Ramana Maharshi and in the 1970s he was the de facto manager of Ramanasramam. Nowadays, his elder brother Sundaram is in charge.

ここでガネサンの訪問について言うのがいいでしょう。
V.ガネサンはラマナ・マハルシの甥の息子で、1970年代にラマナアシュラムの事実上の管理者でした。
今は、彼の上の兄のスンダラムがその役についています。

Ganesan came to visit Maharaj for the first time in the late 1970s.
As soon as he arrived Maharaj stood up and began to collect cushions.
He made a big pile of them and made Ganesan sit on top of the heap. Then, much to everyone’s amazement, Maharaj cleared a space on the floor and did a full-length prostration to him.

ガネサンは、1970年代後半にマハラジを初めて訪れに来ました。
彼が到着するとすぐに、マハラジは立ち上がり、クッションを集め始めました。
マハラジはクッションを高く積み上げ、ガネサンをつみ重なったクッションの一番上に座らせました。
そして、皆が驚いたことに、マハラジは床にスペースをつくり、彼に全身での平伏をしました。

When he stood up, he told Ganesan,
‘I never had a chance to prostrate to your great-uncle Ramana Maharshi,
so I am prostrating to you instead. This is my prostration to him.’

彼は立ち上がり、ガネサンに言いました。
「私はあなたの偉大な伯父であるラマナ・マハルシに平伏する機会が一度もありませんでした。
ですから、代わりに、あなたに平伏します。 これは私のラマナ・マハルシへの平伏です。」

That’s an extraordinary story! Were you there that day?

Yes, I was sitting just a few feet away.
But the truly extraordinary thing for me was what happened next.
Maharaj and Ganesan chatted for a while, about what I can’t remember.

それは驚かされる話ですね。あなたはその日そこにいたのですか?

ええ、私はほんの数フィート離れて座っていました。
でも、わたしにとってほんとうに驚かされることは次に起こったことです。
マハラジとガネサンはしばらく話をしていました。 何についてかは思い出せません。

フィートは30センチぐらいだから、1メートルぐらい離れていたのかな。

Then Maharaj made an astonishing offer: ‘If you stay here with me for two weeks,
I guarantee you will leave in the same state as your great-uncle Ramana Maharshi.’
Ganesan left that day and didn’t come back.
I couldn’t believe he had turned down an offer like that.

マハラジは驚くべき申し出をしました。 「もしあなたがわたしと一緒にここに2週間いれば、
あなたの偉大な伯父であるラマナ・マハルシと同じ状態になることを保証します。」
ガネサンはその日に出発し、戻りませんでした。
私は、彼がそのような申し出を断わったのを、信じられませんでした。

leave in the…の leave の訳がよくわかりませんでした。

If someone of the stature of Maharaj had made an offer like that to me, I would have immediately nailed myself to the floor. Nothing would have induced me to go away before the time was up.
When I returned to Ramanasramam I asked Ganesan why he hadn’t stayed.
‘I didn’t think he was serious,’ he replied. ‘I just thought he was joking.’

もし私にマハラジという名声を持つ人がそのような申し出をしたなら、私は即座に自分自身を床にくぎつけにするでしょう。 その期間が過ぎるまで、私を離れる気にさせるものは何もないでしょう。
私がラマナ・アシュラムに戻った時、ガネサンになぜとどまらなかったのか尋ねました。
「私はかれが真剣だと思いませんでした。 彼は冗談を言っているとだけ思いました。」と答えました。

It was during this visit that Maharaj asked Ganesan to start giving talks in Ramanasramam.
‘I have been to Ramanasramam,’ he said, ‘and you have wonderful facilities there.
Many pilgrims come, but no one is giving them any teachings.

この訪問の際に、マハラジはガネサンにラマナ・アシュラムで講義を始めるように頼みました。
彼は言いました。「私はラマナ・アシュラムに行ったことがあります。そこは素晴らしい設備があります。
多くの巡礼者が訪れますが、彼らに教えを与えるものが誰もいません。

It is a sacred and holy place but people are leaving it and coming here because no one is teaching there. Why should they have to travel a thousand miles to sit in this crowded room when you have such a great place? You need to start giving talks there.
You need to start explaining what Ramana Maharshi’s teachings are.’

そこは尊く神聖な場所ですが、人々はそこを離れ、ここに来ます。そこで誰も教えていないからです。
それほど優れた場所があるのに、彼らはなぜ、千マイルも旅して、この狭い部屋で座らなければならないのですか? あなたはそこで講義を始めなければなりません。
あなたはそこで「ラマナ・マハルシの教えがなんであるか」を説明し始めなければなりません。

ちょっと筆不精でした。 ぼちぼちがんばります。
ちょっと風邪ひいてます。 寒暖の差が激しいので、皆さんも気をつけて。

Ganesan was unwilling to follow that advice either, or at least not at the time.
There is a strong tradition that no one is allowed to teach in Ramanasramam.
Ramana Maharshi is still the teacher there and no one is allowed to replace him.

ガネサンはその助言に従うのも好みませんでした。 少なくとも、その時は。
ラマナ・アシュラムでは誰も教えることを許可されていないという、確固とした伝統があります。
ラマナ・マハルシはそこでは依然として教師であり、彼にとり替わることはだれにも許されていません。

It is not just a question of having a new Guru there ; the ashram management does not even encourage anyone to publicly explain what Ramana Maharshi’s teachings mean.
Ganesan didn’t want to rock the boat and incur the ire of his family and the devotees who might object, so he kept quiet.

それはそこで新しいグルをもつという問題だけではありません。 アシュラムの管理者は、ラマナ・マハルシの教えの意味するところを、公の場で説明することを誰にも勧めることさえしません。 ガネサンは、問題を
起こし、反対するだろう彼の家族と信奉者の怒りを買うことを望んでいなかったので、黙っていました。

It is only in the last few years that he has started teaching, but he is doing it in his own house, rather than in the ashram itself. The ashram is still very much a teacher-free zone.

ほんの最後の数年の間に、彼は教え始めました。 しかし、彼はそれを、アシュラムでというより、
彼の家でしました。 アシュラムは依然として、まったく教師がいない領域のままです。

I talked to Ganesan recently about Maharaj and he told me a nice story about a Frenchwoman whom to he took there.
‘When I started to visit Maharaj some of Bhagavan’s devotees criticized me for abandoning Bhagavan and going to another Guru. Many of them seemed to think that going to see Maharaj indicated that I didn’t have sufficient faith in Bhagavan and his teachings.

私は最近ガネサンとマハラジについて話しました。彼は、彼がそこに連れて行ったフランス人の女性についてのいい話を私に語りました。
「私がマハラジを訪問し始めたとき、バガヴァンの信奉者の中には、私を、バガヴァンを見捨てて、
別のグルのところへ行こうとしていると非難する人もいました。 そういう人々の多くは、マハラジに会いに行くことは、バガヴァンとその教えに私が十分に信頼を持っていないということを示していると思ったようです。

I didn’t see it that way. I have visited many great saints, and I never felt that I was abandoning Bhagavan or being disrespectful to him by going on these trips.
A Frenchwoman, Edith Deri, was one of the women who complained in this way.

私はそのように思いませんでした。 私は多くの偉大な聖者を尋ねましたが、それらの旅行にいくことで、
私はバガヴァンを見捨てているとか、彼に対して敬意を欠いているとは決して感じませんでした。
フランス人の女性の、エディス・デリは、そのように文句を言う女性の一人でした。

We were in Bombay together and I somehow convinced her to accompany me on a visit to Maharaj. She came very reluctantly and seemed determined not to enjoy the visit.
‘When we arrived Maharaj asked her if she had any questions. She said that she hadn’t.

私たちはボンベイに一緒にいました。私は何とか説得して、彼女をマハラジの訪問の際に私と一緒に来るようにしました。 彼女はいやいやながらきて、この訪問を楽しむまいと決意していたようです。
私たちが到着すると、マハラジは彼女に質問はないかと尋ねました。 彼女はないと言いました。

‘”So why have you come to see me?” he asked.
‘”I have nothing to say,” she replied. “I don’t want to talk while I am here.”
‘”But you must say something,” said Maharaj. “Talk about anything you want to.
Just say something.”

「では、なぜ私に会いに来たのですか?」と彼は尋ねました。
「何も言うことはありません。ここにいる間、何も話したくありません。」と彼女は答えました。
「でも、あなたは何か言わなければいけません。 あなたが望むことについて何でもいいから話しなさい。
試しに何か言ってみなさい。」

‘”If I say something, you will then give some reply, and everyone will then applaud because you have given such a wonderful answer. I don’t want to give you the opportunity to show off.”
‘It was a very rude answer, but Maharaj didn’t show any sign of annoyance.

「もし私が何か言えば、あなたは何か返答するでしょう。 そして、皆が、あなたが素晴らしい返答をした
ことで、ほめたたえるでしょう。 あなたに見せびらかすための機会を与えたくありません。」
これはとても失礼なこたえですが、マハラジは苛立つ様子をまったく見せませんでした。

‘Instead, he replied, “Water doesn’t care whether it is ing thirst or not”.
‘And then he repeated the sentence, very slowly and with emphasis.
He often repeated himself like this when he had something important to say.

かわりに、彼は「水は、渇きをいやしているか、いやしていないかを、気にしません。」と答えました。
そして、彼はその言葉を繰り返しました。 とてもゆっくりと、そして強調して。
彼はよく、重要なことを言うとき、このように同じことを繰り返して言いました。

‘Edith told me later that this one sentence completely destroyed her skepticism and her negativity.
The words stopped her mind, blew away her determination to be a spoilsport,
and put her into a state of peace and silence that lasted for long after her visit.’

エディスは後で私に、この一文が完全に彼女の疑い深い態度と消極性を破壊した、と話しました。
その言葉は彼女の心を止め、他人の興をそぐ人でいようとする彼女の決意を吹き払い、
彼女をその訪問後も長くつづいた平和と静寂の状態にしました。」

ここまでが Ganesan がこのインタビューの語り手の David に話したストーリーです。

I have read on many occasions that Ramana Maharshi preferred to teach in silence.
I never get that impression with Nisargadatta Maharaj.
Did people ever get a chance to sit in silence with him?

私は多くの場合、ラマナ・マハルシが沈黙において教えるのを好んだということを読みました。
ニサルガダッタ・マハラジにはそのような印象を受けたことはありません。
マハラジとともに沈黙して座るという機会を得た人々はいるのですか?

During the years that I visited it was possible to meditate in his room in the early morning.
I forget the exact timings, but I think that it was for an hour and a half.
Maharaj would be there, but he would be going about his normal morning activities.

私が訪問した期間では、朝の早い時間に彼の部屋で座ることはできました。
正確な時間を忘れましたが、一時間半だったと思います。
マハラジはそこにいましたが、朝の普段の活動に精をだしていました。

He would potter around doing odd jobs
; he would appear with just a towel around his waist if he was about to have a bath
; sometimes he would sit and read a newspaper.

彼は奇妙な仕事をしながらうろうろしていました。 もし、風呂に入ろうとしているなら、
腰にタオルだけ巻いて現れました。 ときどき、座って新聞を読みました。

I never got the feeling that he was making a conscious effort to teach in silence in the way that Ramana Maharshi did by looking at people and transmitting some form of grace.
However, he did seem to be aware of the mental states of all the people who were sitting there,
and he not infrequently complained about them.

私は、相手をじっと見て、何らかの形の恩寵(グレイス)を伝えることによる、ラマナ・マハルシが行った方法で、彼が沈黙において教えようと意識的な努力をしているという感じを全然受けませんでした。
しかし、彼はそこで座っている人々すべての心の状態に気付いていたようでした。
そして、その状態に文句を言うのも、そうまれではありませんでした。

‘I know who is meditating here and who is not,’ he suddenly announced one morning,
‘and I know who is making contact with his beingness.
Only one person is doing that at the moment. The rest of you are all wasting your time.’
Then he carried on with whatever he was doing.

「私はだれがここで瞑想していて、誰がしていないか知っています。」彼はある朝、突然、宣言しました。
「だれが彼の存在(ビーイングネス)と接触しているかも知っています。
この瞬間にたった一人しかしていません。 残りの人々は時間を無駄にしているだけです。」
そして、彼はしていることを続けました。

It was true that many people didn’t go there to meditate. They just saw it as an opportunity to be with him in his house. They might be sitting cross-legged on his floor,
but most of the time they would be peeping to see what he was doing instead of meditating.

たしかに、人々の多くはそこへ瞑想しに行っているわけではありませんでした。 そこに行くことを、
マハラジの家で一緒にいる機会と考えていました。 彼らは床に足を組んで座っていたかもしれませんが、
ほとんどの間、瞑想する代わりに、マハラジがしていることを覗き見していました。

One morning he got tired of being spied on this way and exploded:
‘Why are you people cluttering up my floor like this? You are not meditating; you are just getting in the way! If you want to go and sit somewhere, go and sit on the toilet for an hour!
At least you will be doing something useful there.’

ある朝、彼はそのようにひそかに見られることに飽き飽きして、爆発しました。
「なぜあなたたちは床にそんなふうに群がってるのですか? あなたたちは瞑想していません。
ただ邪魔になっているだけです。 もしどこかに行って座っていたいなら、トイレにいって一時間座りなさい。 少なくともそこではなにか有意義なことをしているでしょう。」

What about the other times of the day, when he was available for questioning?
Did he ever sit in silence during those periods?

There were two periods when it was possible to question him: one in the late morning and one in the evening.

一日のそのほかの時間はどうですか? 彼に質問することができた時間など。
彼はその間、沈黙して座っていたことはありますか?

彼に質問できる時間は二回ありました。 一つは午前中遅くと、夕方です。

Translators would be available at both sessions.
He encouraged people to talk during these sessions, or at least he did when I first started going to see him. Later on, he would use these sessions to give long talks on the nature of consciousness.
He never sat quietly if no one had anything to say. He would actively solicit questions,
but if no one wanted to talk to him, he would start talking himself.

両方のセッションでは、通訳してもらえました。
彼はセッションの間、人々に会話することを勧めました。少なくとも、私が彼に会いに行き始めた時はそうでした。 後に、彼はセッションで、意識の性質について長い話をするようになりました。
誰も言うことがないとき、彼は決して静かに座っていませんでした。 彼は積極的に質問を求めました。
しかし、だれも彼と話したくないなら、自分で話し始めました。

I only ever had one opportunity to sit with him in complete silence and that was at the beginning of the summer monsoon. When the monsoon breaks in Bombay, usually around the end of the
first week of June, there are very heavy rains that bring the city to a standstill.

私は一度だけ彼とともに完全な沈黙の状態で座る機会がありました。 それは、夏のモンスーン期の初めの
ことです。 たいてい6月の最初の週あたりですが、ボンベイでモンスーン期がはじまったとき、
雨が大量に降り、都市はマヒしてしまいます。

The storm drains are generally clogged, and for a day or so people are walking round in knee-deep water. And not just water. The sewers overflow and the animals that live in them drown.
Anyone brave enough to go for a paddle would be wading through sewage, waterlogged garbage and the corpses of whatever animals had recently drowned.
Public transport comes to a halt since in many places the water level is too high to drive through.

排水管はたいてい詰まってしまい、一日かそこらは、膝まである水の中を歩き回るはめになります。
しかも、ただの水じゃありません。 下水管があふれて、そこに住む動物がおぼれます。
水をかきわけて進む勇気のある人は、水浸しのごみと、いましがたおぼれた動物の死体が浮いた汚水の中を通ることになります。 公共交通機関は休止します。水位が高すぎて、運行できないからです。

One afternoon two of us waded through the floodwaters to Maharaj’s door.
We were both staying in a cheap lodge about 200 yards away, so it wasn’t that much of a trek.
We scrubbed off the filth with water from a tap on the ground floor
and made our way up to Maharaj’s room.

午後に私たち二人は、洪水をかきわけ、マハラジの家のドアに辿り着きました。
二人とも200ヤードばかり離れた安宿に泊まっていたので、大した道のりでもありませんでした。
水につかっていないフロアーにある蛇口から出る水で、ゴミをこすり落として、
マハラジの部屋に進みました。

He seemed very surprised to see us. I think he thought that the floods would keep everyone away. He said in Marathi that there would be no session that afternoon because none of the translators would be able to make it. I assume he wanted us to leave and go home, but we both pretended that we didn’t understand what he was trying to tell us.

彼は私たちを見てとても驚いたようでした。 彼は洪水で誰も来れないだろうと考えていたと思います。
彼はマハラティー語で、通訳が誰もこれないだろうから、午後のセッションはないと言いました。
彼は私たちが出て行き、家に帰ることを望んでいたようですが、二人とも伝えようとしている内容がわからないふりをしました。

After one or two more unsuccessful attempts to persuade us to go,
he gave up and sat in a corner of the room with a newspaper in front of his face so that we couldn’t even look at him. I didn’t care. I was just happy to be sitting in the same room as him.
I sat there in absolute silence with him for over an hour and it was one of the most wonderful experiences I ever had with him.

もう一、二回、私たちを説得して出て行かせようと成功する見込みのない試みの後、
彼はあきらめ、新聞を持って部屋の隅っこで座りました。 新聞は、彼の顔さえ見ることができないように、顔の前に広げられていていました。 私は気にしませんでした。 私は彼と同じ部屋で座っていることで、
ただ幸せでした。 私はそこで彼と、完全な沈黙の状態で、一時間以上、座っていました。
それは、私が今までに彼とともにいた時にした経験の中で、最も素晴らしいものの一つでした。

I felt an intense rock-solid silence descend on me that became deeper and deeper
as the minutes passed.
There was just a glow of awareness that filled me so completely, thoughts were utterly impossible.
You don’t realise what a monstrous imposition the mind is until you have lived without it,
completely happily, completely silently, and completely effortlessly for a short period of time.

私は、強烈な岩のようにしっかりした沈黙が私に向かってくるのを感じました。
それは、一分ごとにどんどん深くなって行きました。
ただ気づき(意識)が増していき、私を完全に満たしました。 考えることは全く不可能なことでした。
心がいかに途方もない負担になっているかは、心なしで生きてみて初めてわかります。
少しの間、完全に幸せで、完全に静かで、完全にリラックスして。

For most of this time I was looking in the direction of Maharaj. Sometimes he would turn a page and glance in our direction, and when he did he still seemed to be irritated that we hadn’t left.
I was smiling inwardly at his annoyance because it wasn’t touching me in any way.
I had no self-consciousness, no embarrassment, no feeling of being an imposition.
I was just resting contentedly in my own being.

ほとんどの時間、私はマハラジの方を見ていました。 ときどき彼はページをめくり、私たちのほうを見まし
た。 そうしているとき、彼は私たちが出ていかないことに、依然としてイライラしているようでした。
私は心の中で彼が苛立っていることに微笑んでいました。 彼の苛立ちは全く私に影響しませんでした。
私には自意識がありませんでした。 きまりの悪さもありませんでした。迷惑になっているとも感じませんでした。 私はただ満足して、自分の存在に根をおろしていました。

After just over an hour of this he got up and shooed us both out. I prostrated and left.
Later on, I wondered why he didn’t sit in silence more often since there was clearly a very powerful quietening energy coming off him when he was silent.
Ramana Maharshi said that speaking actually interrupted the flow of the silent energy he was giving out. I have often wondered if the same thing happened with Maharaj.

ちょうど一時間以上そうしたあと、彼は立ち上がり、私たちをシッシと追い出しました。 私は平伏して、出て行きました。 のちに、なぜ彼があんまり沈黙のうちに座らないのかと不思議に思いました。
彼が沈黙しているとき、彼からとても強力な落ち着かせるエネルギーが出されていることは明らかだから
です。 ラマナ・マハルシは、話すことは彼が出している沈黙のエネルギーの流れを邪魔する事になると言いました。 私はマハラジにも同じことが起こったのではないかとよく不思議に思いました。

And what was your conclusion?

I realised that it was not his nature to keep quiet. His teaching method was geared to arguing and talking. That’s what he felt most comfortable doing.

それであなたの結論としては?

黙っていることは、彼の性質ではないと理解しました。 彼の教え方は、議論したり、話したりする方に
重点が置かれています。 彼はそのやり方を一番心地よく感じていました。

Can you elaborate on that a little more?

I should qualify what I am about to say by stating that most of it is just my own opinion,
based on observing him deal with the people who came to him.
It doesn’t come from anything I heard him say himself.

そのことについてもう少し詳しく説明できますか?

初めに言っておきますが、今から私が話そうとしていることは、ほとんどが私の意見にすぎません。
私の意見は、彼がやって来た人を扱うのを観察したことに基づいてます。
彼が自分自身で言ったことに基づいてはいません。

When people first came to see him, he would encourage them to talk about their background.
He would try to find out what spiritual path you were on, and what had brought you to him.
In the face of Maharaj’s probing questions visitors would end up having to justify their world-view and their spiritual practices. This would be one level of the interaction.

彼にはじめて会いに来た時、彼は相手の背景を話すよう勧めました。
彼は相手がどのような精神的な道のりにいるか、また、何が彼のもとにその人を連れてきたかを知ろうと
します。 マハラジが探るような質問に直面して、訪問者は自分の世界観と精神の修行を正当化しなければならなくなります。 これが相互作用のひとつのレベルです。

At a deeper and more subtle level Maharaj would be radiating an energy,
a sakti, that quietened your mind and made you aware of what lay underneath the mind and all its ideas and concepts. Now imagine these two processes going on simultaneously.

より深くて微妙なレベルでは、マハラジはあるエネルギーを放出しています。
それはシャクティで、心を静め、心とそのなかにあるすべての概念の下にあるものに気付かせます。
今、この二つのプロセスが同時に進行していると想像してください。

With his mind the questioner has just constructed and articulated a version of his world-view.
Underneath, though, he will be feeling the pull of his beingness,
the knowledge of what is truly real,as opposed to the ideas that he merely thinks to be real.
Maharaj’s energy will be enhancing awareness of that substratum all the time.

心によって、質問者は自分の世界観を作り上げ、言葉で表現しています。
下では、しかし、自分の存在の引力を感じているでしょう。
それは、本当に現実的なものを知ることであり、現実的であると考えただけの概念とはまったく違います。
マハラジのエネルギーは、基盤にあるものへの気づきを常に高めているでしょう。

At some point the questioner will become acutely aware of what seem to be two competing realities
: the conceptual structure he has just outlined, and the actual experience that underlies it.
There was a certain look that appeared on some people’s faces when this happened
: a kind of indecisive ‘which way should I go?’

ある時点で、質問者は2つの矛盾するように見える現実に強く気づくでしょう。
ひとつは、たった今自分で説明した概念的な構造で、もうひとつはその下にある実際の経験です。
これが起こった時、その人の顔にはある表情があらわれました。
それは、一種の優柔不断な「どちらの方向に行けばいいのか」という表情です。

Sometimes the questioner would realise immediately that all his ideas and beliefs were just concepts. He would drop them and rest in the beingness instead.
This, for me, was the essence of Maharaj’s teaching technique.

ときどき、質問者は自分のすべての考えや信念は概念に過ぎなかったと即座に理解しました。
それらを捨ててしまい、かわりに存在(ビーイングネス)に安らいました。
これが、私にとっては、マハラジの教授法の真髄でした。

He wouldn’t try to convince you by argument. He would instead make you argue yourself into a position that you felt to be true, and then he would undercut that position by giving you a taste of
the substratum that underlay all concepts. If you were ready for it, you would drop your attachment to your concepts and rest in what lay underneath them.

彼は議論で相手を確信させようとしませんでした。 かわりに、自分自身によって自分が真実だと感じる
立場に立つことになり、それから、自分が持つすべての概念の下にある基盤(基にあるもの)の味わいを
相手に与えることで、その立場の下を切り取りました。
もし相手の準備が整っているならば、自分の概念に対する愛着を捨て、その下にあるものに安らいました。

If not, you would blunder ahead, going deeper and deeper into the minefield of the mind.
Some people got it quickly. Others, who were desperate for a structure to cling to, would come back again and again with questions that were designed merely to refine their understanding of his teachings.

そうでなければ、相手は戸惑って、心という地雷原にどんどん深入りしていきました。
すばやく理解した人もいました。 そうじゃない人は、しがみつくための構造を強く欲していて、彼の教えに対する理解を深めるためだけに用意された質問を何度もすることになりました。

Talking to visitors and arguing with them was an essential part of this technique.
For it to work effectively Maharaj required that visitors talk about themselves and their world-view
because he needed them to see that all these ideas were just concepts having no ultimate reality.
He needed people to look at their concepts, understand their uselessness and then reject them in favour of direct experience.

訪問者とはなしたり、議論するのは彼のテクニックのなかで不可欠な部分でした。
テクニックが効果を発揮するためには、マハラジは訪問者が自分自身と自分の持つ世界観について語る事を必要としました。 なぜなら、彼は彼らにそれらの考えすべてが究極的な現実性をもたない概念にすぎない
ということ理解して欲しかったのです。 彼は、彼らに概念を調べ、それらの無益さを理解し、
直接経験のほうを選んで概念を拒絶してほしかったのです。

I should mention here the limitations he put on the types of question that he was willing to answer.
He would sometimes tell new people, ‘I am not interested in what you have heard or read.
I am not interested in second-hand information that you have acquired from somewhere else.
I am only interested in your own experience of yourself.
If you have any questions about that, you can ask me.’

ここで、マハラジが進んで答えようとする質問が限られていたことに触れておくのがいいでしょう。
彼はときおり新しく来たひとに、「私はあなたが聞いたり読んだりしたことに興味がありません。
私はあなたがどこからか仕入れてきた受け売りの情報に興味がありません。
私はあなた自身の経験だけに興味があります。そのことに関して質問があるなら、私に尋ねることが
できます。」と言いました。

Later, after you had had your initial dialogues with him, he would introduce an even more stringent test for questions: ‘I am not interested in answering questions that assume the existence of an individual person who inhabits a body. I don’t accept the existence of such an entity,
so for me such questions are entirely hypothetical.’

後に、彼と最初の対話をした後、彼はよりいっそう厳しい試練を質問者に与えました。

「私は肉体の内にいる個人が存在しているという仮定にもとづく質問に答えることに興味がありません。
私はそのような実体の存在を認めてません。

だから私にとってはそのような質問はまったく仮定のものです。」

This second constraint was a real conversation killer.
You couldn’t say, ‘How do I get enlightened?’ or ‘What do I do?’
because all such questions presuppose the existence of an ‘I’,
an assumption that Maharaj always used to reject.

この第二の制約は、本当に会話の殺し屋でした。
あなたは、「どうやって私は悟ればいいのか?」や「私は何をすればいいのか?」と言えません。
なぜなら、そのような質問のすべては「私」の存在を仮定しているからです。
その仮定は、マハラジがいつも拒否していたものでした。

I still have vivid memories of him listening as translators explained in Marathi what some questioner had said. As he understood the gist of what the question was Maharaj’s face would sometimes turn to a scowl. He would clench his fist, bang it on the floor and shout ‘Kalpana! Kalpana!’ which means ‘Concept! Concept!’ That would sometimes be the only answer the questioners would get. Maharaj was definitely not interested in massaging visitor’s concepts.
He wanted people to drop them, not discuss them.

私は、通訳がマハラティー語で質問の内容を説明していてるのを、マハラジが聞いている様子を鮮明に
記憶してます。 質問の要点がわかると、マハラジの顔はときどきしかめっ面に変わりました。
彼はこぶしを握り締め、床をたたいて、「カルパナ!カルパナ!」と声をあげました。 カルパナは概念と
いう意味です。 質問者が得られる解答はそれだけの時もありました。

マハラジは訪問者の概念を扱うことにまったく興味がありませんでした。
彼は概念を捨ててほしかったのであり、概念について議論してほしくなかったのです。

When this second restriction effectively cut off most of the questions that people like to ask Gurus,
Maharaj would fill the vacuum by giving talks about the nature of consciousness.
Day after day he would continue with the same topic, often using the same analogies.

この第二の制限が効果的に人々が師に聞きたがる質問のほとんどを切って落としたとき、
マハラジは空いた時間で意識の性質について語りました。
来る日も来る日も、彼は同じ話題をつづけました。 たいてい同じ喩えを使いました。

He would explain how it arises, how it manifests and how it subsides.
In retrospect I think he was doing what the ancient rishis of India did when they told their disciples ‘You are Brahman’. When a jnani who is established in Brahman as Brahman says to a disciple,
‘You are Brahman,’ he is not merely conveying a piece of information.

彼は意識がどのように起こるか、どのように現れるか、どのように止むか、を説明しました。
今から考えると、彼は古代のインドの聖者が弟子に「あなたはブラフマンです」と言った時にしたことを
していたのだと思います。

ブラフマンにブラフマンとして確立したジニャーニが、弟子に「あなたはブラフマンです」と言った時、
それは単に一つの情報を伝えているのではありません。

There is a power and an authority in the words that, in certain cases, makes the listener become and experience Brahman as he hears the words. This is a power and an authority that only jnanis have. Other people can say ‘You are consciousness,’ ‘You are Brahman,’ endlessly,
but these will just be pieces of information that you can store in your mind.

その言葉には力と権威があります。 その言葉を聞いて、相手がブラフマンになり、ブラフマンを経験した場合もありました。 これがジニャーニのみが持っている力と権威です。

他の人も 「あなたは意識です」「あなたはブラフマンです」 といくらでも言うことはできますが、
その言葉は心にため込むことができる情報に過ぎないでしょう。

When a jnani tells you this, the full authority of his state and the full force that lies behind it are conveyed in the statement. If you take delivery of that information in the heart, in consciousness, then you experience that state for yourself. If you take delivery in your mind, you just store it there as an interesting piece of information.

ジニャーニがあなたにその言葉を伝えたとき、彼の言葉のもつ最高の権威とその裏にある最高の力が、
その言葉を通じて運ばれます。 もし相手がその情報をハートで、つまり意識で、受け取ったなら、
自分自身でその状態を経験します。 もし相手が心でその情報を受け取ったなら、あなたはその情報を
一つの興味深い情報として心にしまうだけです。

When Maharaj told you endlessly ‘You are consciousness,’ if you received that information in utter inner silence, it activated an awareness of consciousness to such an extent that you felt,
‘He isn’t just telling me something; he is actually describing what I am, right now in this moment’.

マハラジがあなたに「あなたは意識です」と際限なく言うとき、もしあなたがその情報を
完全な内なる静寂において受け取ったなら、その言葉により、あなたは意識に気づき始めます。
その程度は、あなたがどのくらい
「彼はただ私に何かを伝えているのではありません。彼はまさに今、この瞬間、私がなんであるかを実際に描き出しています。」 と感じるかによります。

Did this ever happen to you?

Yes, and I think that this is what he was referring to when he talked about ‘getting the knowledge’.
It wasn’t an intellectual knowledge he was talking about, and it wasn’t Self-realisation either.

あなたにもそれは起こりましたか?

ええ。 私はこのことが彼が「知識を得ること」について話しているときに言わんとしていることだと
思います。 彼が話しているのは頭の知識ではなく、真実の自分の実現でもありません。

※ SELF をここでは「真実の自分」と訳しました。 英英辞典では SELF はそのような含意があったので。

It was a state in which concepts temporarily dissolved leaving a simple awareness of the being that underlay them. While they lasted the states were very useful;
they gave you the conviction and the direct experience that there was something real and enduring that exists whether the mind is there or not.

それは、概念が一時的になくなり、概念の下にある存在への単純な気づきが残っている状態です。
その状態が続く間、それはとても役に立ちます。 その状態を体験することで、心があろうがなかろうが
存在している現実的な不朽の何かがあるということを確信し、直接に経験するからです。

All this is very interesting, but as you have said, a lot of it is your own personal conjecture.
Did Maharaj ever confirm himself that this is what he was doing, or trying to do, with the people who came to him?

Not directly. He never explained or analysed his teaching methods, or not while I was there.

とても興味深い話ばかりですが、あなたが言われたように、多くはあなたの個人的な推測です。
マハラジ本人が、これが自分に所に来た人に自分がしていることだとか、しようとしていることだ、
とはっきり言ったことはありますか?

直接そのように言ったことはありません。
彼は自分の教え方を説明したり、分析したりしたことは決してありません。私がそこにいた時は、ですが。

Most of what I have just said comes from my own experience and my own interpretation of what I saw going on there. Other people may have other theories to explain what was going on.
However, the facts of the matter are indisputable. People came to Maharaj, had talks or arguments with him, and at some point dropped their accumulation of ideas because they had been convinced that a direct experience invalidated all the long-held cherished notions they had accumulated.

私が今話した事のほとんどは、私自身の経験とそこで起っていることの私の解釈に基くものです。
他の人には、起こっていたことを説明するための他の理論があるでしょう。 しかしながら、
物事の事実は争えません。 人々はマハラジのところに来ました。彼と会話し、議論しました。ある時点で、彼らは積り積もった概念を落としました。 彼らは、直接の経験が、積もり積もった長い間もっていて
大事にしていた概念すべての説得力を無くしてしまったと確信したからです。

Let me tell you about one conversation I had with because it gives some good circumstantial evidence for what I have just been trying to explain. Firstly, I should mention that I sometimes used to argue with Maharaj simply because I knew that he liked people to argue with him.
He seemed to like the cut and thrust of debate, and if no one had anything to say or ask, I would pick up the ball and start a discussion with him.

私が彼としたある会話について話しましょう。 その会話は、私が今説明しようと試みていることのための
良い間接的な証拠となるからです。 初めに言っておきますが、マハラジが人々に議論してほしいと思っている事を私が知っていたという単純な理由で、私はマハラジとときどき議論したものでした。
彼は活発に議論をすることを好んでいるようだったので、もしだれも言うことや尋ねることがなかったら、私が問いかけに応じて議論を始めました。

I can’t remember any more exactly what we talked about on this particular day,
but I do remember that we spoke for about five minutes, during which time I was ostensibly pointing out what I claimed were contradictions in his teachings.
He, meanwhile, was doing his best to convince me that no contradictions were involved.

その日に私たちが何について話したかはっきりと覚えていません。 でも、私は5分間しゃべったことを
覚えています。 その間に、私ははっきりと私が主張しているのは彼の教えにおける矛盾だと指摘しました。
彼は、その間、矛盾していないことを私に納得させようとできる限りのことをしました。

It was all very good-humoured and I think he knew that I was only disputing with him because,
firstly, we both liked talking and arguing about spiritual topics and, secondly, no one else had any urgent questions to ask.
After about five minutes, though, he decided to bring the discussion to a close.

マハラジはとても上機嫌でした。 彼は私が彼と議論している理由を知っていたと思います。
単に、一つ目は、私たちは共にスピリチュアルな事柄について議論するのを好んでいたということで、
二つ目は他に誰も切羽詰まった質問がなかったという理由です。
しかしながら、5分後には、彼は議論を終わりにすることを決めました。

‘I don’t think you really understand the purpose of my dialogues here. I don’t say things simply to convince people that they are true. I am not speaking about these matters so that people can build up a philosophy that can be rationally defended, and which is free of all contradictions.

「あなたはここでの私との対話の目的を本当に理解していないように思えます。 私は人に真実であるということを納得させるためだけに話をしません。 私は、人々が理性的に正当性を主張でき、全く矛盾のない
哲学を構築するために、話をしているのではありません。

When I speak my words, I am not speaking to your mind at all.
I am directing my words directly at consciousness. I am planting my words in your consciousness. If you disturb the planting process by arguing about the meaning of the words,
they won’t take root there. Once my words have been planted in consciousness, they will sprout, they will grow, and at the appropriate moment they will bear fruit.

私が言葉を話すとき、あなたの心に向かって話しているのではありません。
私は言葉を直接に意識へと向けています。 私は言葉をあなたの意識に植えているのです。 もしあなたが
言葉の意味ついて議論することで、この植える過程を妨げるなら、言葉はそこに根を下ろさないでしょう。
いったん私の言葉が意識に植えられたら、言葉は芽吹き、育ち、適切な時期に実を付けるでしょう。

It’s nothing to do with you. All this will happen by itself. However, if you think about the words too much or dispute their meaning, you will postpone the moment of their fruition.’

それはあなたと無関係なことです。 すべてはひとりでに起こるでしょう。 しかし、あなたが言葉について
考えすぎたり、その意味を議論したりすると、実がなる時期を遅らせることになるでしょう。」

All this was said in a very genial tone.
However, at this point, he got very, very serious. Glowering at me he said very sternly,
‘Enough talking. Be quiet and let the words do their work!’

これらすべてはとても優しい口調で言われました。 しかし、
ここに至って、かれは非常に真剣になりました。 私を睨みつけ、とても厳しい調子でこう言いました。
「話は十分です。 静かにしなさい。 言葉に自分の仕事をさせましょう!」

End of conversation. I always recollect this exchange with happiness and optimism.
I feel I have been graced by his presence and further graced by the words of truth he has planted within me. I think those words will always be with me and I know that at the appropriate
moment they will bloom.

会話は終わりました。 私はこのやり取りを思い出すたびに、幸福で、楽観的になります。
私は彼の存在によって祝福されていて、さらに彼が私の中に植えた真実の言葉で祝福されていると感じて
います。 その言葉は常に私と共にあると思います。そして、適切な時期に花開くとわかっています。

“Remembering Nisargadatta Maharaj” Page3

Have you obeyed his instructions? Have you stopped thinking about the teachings?

Until you showed up today I hadn’t really thought about the teachings for years.
I haven’t even read many of the new books of dialogues that have come out about him.

あなたは彼の指示に従ったのですか? それともその教えについて考えることを止めたのですか?

今日あなたが現れるまで、実は何年もその教えのことを忘れていました。
彼のことが書かれている新刊の対話集を読むことさえほとんどありませんでした。

That answer I gave a few minutes ago, ‘The more I listen to Maharaj, the more I understand what Bhagavan is trying to tell me,’ is in one of the books but I didn’t find out until a few years ago.
My former wife Vasanta was reading the book and she said,
‘There is someone here from Ramanasramam. Do you know who it is?’
She read a few lines and I realised that it was me.

数分前に私が言った「マハラジの話を聞くほどに、バガヴァンが私に言わんとしていたことへの理解が
深まる」という返答もそれらの本の一冊に載っていたのですが、私は数年前までそれを知りませんでした。
私の先妻 Vasanta がその本を読んでいて言ったのです。
「ラマナアシュラムから来たという人のことが書かれているのですが、誰のことだか分かりますか?」
彼女が何行か読み上げて、それが私であるということが分かったのです。

I used to read I am That cover to cover about once a year, but I don’t even do that any more.
Sometimes, if I am in the Ramanasramam library, I pick up I am That and read the opening sequence of chapter twenty-three. It is a beautiful description of the jnani’s state that I never tire
of reading. Other than that, I rarely read or think about the teachings any more.

私はかつてほぼ年に一度は「I AM THAT」を始めから終わりまで読んだものでしたが、もうすっかり読まなくなってしまいました。 時々、ラマナアシュラムの図書館にいる時には、「I AM THAT」を手にとって
第二十三章の始めの部分を読むこともあります。 それはジニャーニ(賢者、真我を実現した人)の状態に
関する素晴らしい記述で、決して読み飽きることがない個所なのです。
それに比べて他の部分は、もはや読むこともその教えについて考えることもほとんどありません。

Having said that, I think it would be correct to say that I have more than enough other concepts in my head which are all acting as a herbicide on the words of truth that Maharaj planted within me.
However, I have great faith in the irresistible power of Maharaj’s words.
Sooner or later they will bear fruit.

と言うよりも、こう言ったほうが正しいのでしょう。 私の頭の中にはありあまるほどの観念があって、
それらがすべて、私の内にマハラジが植え付けた真理の言葉に対する除草剤として働いてしまうのだと。
しかしながら、私はマハラジの言葉の圧倒的な力に大きな信頼を置いているのです。
遅かれ早かれそれらは実を結ぶことになるでしょう。

Ramesh Balsekar used to say,
‘The only effective effort is the immediate apperception of reality’.
Some people would take that to mean that if you don’t get the direct experience as the Guru, in this case Maharaj, is talking to you, you are not going to get it at all.
Are you sure you are not just suffering from a case of wishful thinking?

Ramesh Balsekar はいつも言っていました。
「努力する価値があることはただ一つ、真実を直接知覚することだ」と。
それを次のような意味にとる人たちもいるでしょう。 もしグルと、この場合はマハラジですが、
話をしている時に相手が直接体験をすることがないならば、真実を得ることは決してないだろう、と。
あなたは自分が希望的観測という病を患っているだけではないと言い切れるのですか?

There is something in what you say. If you could keep your intellect out of the way when Maharaj was speaking, his words, and the authority behind them, would do their work.
When he spoke he wasn’t asking you to join in the process at all.
How could he be asking you to do anything when he knew that you didn’t exist?

あなたの言うことには一理あります。 マハラジが話をしている時にもし相手が自分の知性を脇に置いて
いられるなら、彼の言葉とその背後にある威光が働きかけたことでしょう。
彼が話をしていた時、彼はその過程に加わるようにとは決して言っていませんでした。
相手が存在しないことを知っていて、どうして何かをするように言うことができたでしょう。

He wasn’t asking you to understand, and he wasn’t saying, ‘Do this and you will be enlightened’.
He wasn’t addressing you at all. He was directing his words at the consciousness within you in an attempt to make you aware of who you really were.

彼は理解を求めてはいませんでしたし、「こうすれば悟りを得ることができるだろう」ということも言ってはいませんでした。 彼は決して相手に話し掛けているのではありませんでした。 彼は相手に、
自分は本当は誰なのかということを気付かせようとして、言葉を相手の意識に注いでいたのです。

However, if his words didn’t immediately produce results, he knew that they might deliver the goods later on. Remember what happened in his own case.
Siddharameshwar told him that he was Brahman. Nisargadatta struggled with this for three years until he finally dropped his doubts and realised it to be the truth.

しかしながら、もし彼の言葉がただちに結果を生むことがなくても、のちのちそれらが効いてくるだろうということを彼は知っていました。 彼自身に何が起こったかを思い出してください。

Siddharameshwar は彼に、彼はブラフマンであると言いました。
ついに疑いを捨ててそれが真理であると悟るまで、ニサルガダッタは三年間そのことと格闘したのです。

There is a power in a jnani’s words and that power does not dissipate two seconds after the jnani has uttered them. It lingers and it carries on being effective; it carries on doing its work.

ジニャーニの言葉には力があり、その力はジニャーニから発せられた二秒後に消え去るようなものではないのです。 それはいつまでもとどまって、効果を及ぼし続けるのです。働きかけ続けるのです。

Did Maharaj himself corroborate this?

マハラジ自身がそれを裏付けたのですか?

Yes. I can’t remember how the subject came up, but I heard him say, ‘The words of enlightened beings have a power that makes them endure. The great saints of the past gave out their teachings, and those teachings have survived because there is an inherent power and authority in them.

はい。どのようにしてその話題になったかは思い出せませんが、私は彼が次のように言うのを聞きました。「悟りを得た人の言葉はそれらを持続させる力を持つ。 過去の偉大な聖者たちは彼らの教えを公表し、
その教えは生き残ってきた。 その中に固有の力と威光があったからだ。

Other people may have been saying the same thing at the same time, but the words of those people have disappeared because there was no power in them. The words of jnanis have endured because they have the power and authority of the Self behind them.’

I mentioned this answer to Papaji when I was interviewing him a few years ago.
He gave it his whole-hearted endorsement.

同じ時に同じことを他の人たちも言ったかもしれないが、彼らの言葉は消え去っていった。 その中に力が
無かったからだ。 ジニャーニの言葉はそれらの背後にある真我の力と威光ゆえに生き残ったのだ。」と。

私は数年前パパジにインタビューした時、このことを話してみました。
彼は心から同意してくれました。

When you say that the words ‘have endured’ does that mean that they have simply endured in books, as remembered quotations, or do they still have the power to awaken people, even centuries after they were spoken?
Is not the immediate presence of the Guru necessary for that?

あなたが「生き残った」という時、それは単純に本の中に引用文として残ったという意味なのですか?
それともそれが話された何世紀か後でさえもなお人々を目覚めさせる力を持っているという意味なの
ですか? それにはグルが目の前に居る必要があるのではないですか?

I think I would have to say that a living human Guru is necessary for all but the most mature to realise the Self. However, once you have seen a real Guru and been with him, his presence is
always with you. You can tune into his presence, his grace, and his power in any number of ways: through his photo, through thinking about him, and through reading his words.

ほとんどの場合、真我を実現するためには生きているグルの存在が不可欠だと言わざるを得ないでしょう。
しかしながら、一度実在するグルに会って彼と共に居たことがあるなら、彼の存在は常にあなたと共に
あります。 いくつもの方法で彼の存在と恩寵、力に触れることが出来ます。
彼の写真を通して、彼を思うことによって、あるいは彼の言葉を読むことによって。

Again, I feel compelled to ask, ‘Is this your own opinion or do you have some support from Maharaj to back it up?

あらためて訊ねたいのですが、それはあなた個人の意見なのですか? それともマハラジがそれを裏付けるようなことを言ったのですか?

I remember a conversation I had with Maharaj on my first visit.
I can’t remember how we got round to the subject, but we ended up talking about the power of the Guru and the various channels it manifested through.
I had been deeply impressed and deeply moved by I am That, and I told him so.

私が初めてマハラジを訪ねた時に交わした会話を思い出します。
どのようにしてその話題に到ったかは思い出せませんが、最終的にはグルの力とその力のさまざまな
伝達手段についての話になりました。
私は「I AM THAT」に深い感銘を受け、深く心を動かされていたので、彼にそう話しました。

For several months I have been reading I am That.
Through those words I felt a very strong connection with you and the teachings.
Can one have a connection with a Guru simply by reading his words, or is it necessary to come in person to see him?

ここ数ヶ月の間私は「I AM THAT」を読み続けていました。
その言葉を通して私はあなたとあなたの教えに対して非常に強いつながりを感じています。
ただグルの言葉を読むだけでグルとのつながりを得ることはできるのでしょうか?
それとも彼に直接会いに行く必要があるのでしょうか?

Maharaj:
The words will do their work wherever you hear or read them.
You can come here and listen to them in person, or you can read them in a book.
If the teacher is enlightened, there will be a power in them.

マハラジ:
どこにいようとあなたが聞いた言葉あるいは読んだ言葉は働きかけるだろう。
ここへ来て直接聞いてもいいし、本で読んでもいい。
もし師が悟りを開いているならば、その言葉には力があるだろう。

In my particular case I read the words of a Guru who was still alive, and those words compelled me to come here and see you. Perhaps your words had such a strong effect because you are still
alive and teaching. I made contact with a living teacher, a living presence. What about a hypothetical case of someone picking up I am That in fifty years’ time, and in a country several
thousand miles away. That person will never have a chance to see you. Will those words still have the power to transform and awaken?

私個人の場合ですが、私はまだ生きているグルの言葉を読んで、その言葉が私をここへ来させあなたに会うように駆り立てたのです。 あなたの言葉がそのように強い影響力を持つのはおそらくあなたがまだ生きて
教えを説いているからでしょう。私は生きている師、生きている存在に触れました。仮に「I AM THAT」を五十年後、何千マイルも離れた国で手にした人がいた場合はどうでしょうか。その人があなたに会う機会は決してないでしょう。それらの言葉は変容させたり目覚めさせたりする力をまだ持っているのでしょうか?

Maharaj:
Time and space exist in your mind, not in the Self. There is no limit to the power of the Self.
The power of the Self is always present, always working, always the same.
What varies is the readiness and willingness of people to turn their attention to it.
If someone picks up this book ten thousand miles away in a thousand years’ time, those words will do their work if the reader is in the right state to listen to and assimilate the words.

マハラジ:
時間と空間はあなたのマインドの中にあるのであって、真我の中にはない。 真我の力は限りない。
真我の力は常に存在し、常に働き、常に同じだ。 変化するのは人々が注意を真我に向けるための覚悟と
意欲だ。 もし誰かがこの本を一万マイル離れた場所で千年の後に手にしたとしても、読み手が
その言葉を聞き、吸収するためにふさわしい状態にあるならば、その言葉は働きかけることだろう。

He didn’t actually say that one could get enlightened by reading the words of a dead Guru, but he was quite clear that the words of an enlightened being, even in book form, were charged with a
power that future generations could tune into. I think I asked this particular question because of my relationship with Ramana Maharshi. I was the ‘hypothetical’ person in the question who had
discovered the words of great but deceased Guru. I suppose I really wanted to know whether Ramana Maharshi could be the Guru for someone like me who had been born years after he
passed away. Maharaj didn’t really answer that question for me, but he did convince me that a considerable part of the power and the authority of Guru could be found in his recorded teachings.

死んだグルの言葉を読むことによって悟りを得ることができると実際に彼が言うことはありませんでした
が、悟りを得た存在の言葉が、それが本の形であっても、未来の世代が共鳴できるだけの力を蓄えていると彼は強く確信していました。 私はラマナ・マハルシと私の関係ゆえにこのような質問をしたのだと
思います。 私がその質問における「仮の」人物、つまり偉大な、しかしもう亡くなってしまったグルの言葉に出会った人物でした。 ラマナ・マハルシの死後何年も経ってから生まれた私のような者にとって彼が
グルになりうるのかどうかを私は本当に知りたかったのだと思います。
マハラジが実際に私のためにこの問いに答えることはありませんでしたが、グルの力と威光の相当量をその記録された教えの中に見出すことが出来るのだと、私に確信させてくれたのです。

Over time, I came to the conclusion that a living human Guru really is necessary for the vast majority of people, but at the same time I have a great respect for the power that resides in the recorded words of such people.

長い年月の間に私は、実際には大多数の人々にとって生きているグルの存在は不可欠だという結論に
達しましたが、同時に私はそのような人々の記録された言葉の中に存在する力に対して、たいへんな敬意を抱いているのです。

Was this particular dialogue recorded? I think it would be quite an important one for the many people such as myself who have only discovered Maharaj in the years since he passed away.

その対話は記録されたのですか? それは私のようにマハラジの死後何年も経ってから彼を見出した多くの人々にとって非常に重要なことだと思うのですが。

I doubt it. It was a very quiet afternoon session, and only a few of us were there.
There were never any organised recordings. People who had a tape recorder would bring it along and make a recording from wherever they were sitting in the room. In the last couple of years
several people were doing this, but when I first went, hardly anyone was doing it.

記録されていないでしょう。 それはとても静かな午後のセッションで、参加者はごく少人数しか居ません
でした。 まとまった記録はまったくありません。テープレコーダーを持っている人はそれを持ち込んで、
部屋の中で座っている位置から録音していました。 最後の二年間はそうした人が何人か居ましたが、
私が初めて行った時はほとんど居ませんでした。

You spoke about ‘readiness’ and ‘willingness to listen’ as being key factors.
Did Maharaj ever speak about how or why some people got the direct experience, while most people didn’t?

あなたは「覚悟」と「聞く意欲」が鍵となる要因だと話をされました。
多くの人々が直接体験を得られないのにどのようにして、あるいはなぜ少数の人々は直接体験を得られたのか、マハラジが語ったことはあるのですか?

I did talk to him once about this. It was on one of my later visits. I had gone there with a friend of mine, Cary McGraw, and I discovered that it was Cary’s birthday that day.

そのことについては一度彼と話したことがあります。 ずっと後に訪問した時のことです。 私は友人の
Cary McGraw と一緒に行ったのですが、ふとその日が Cary の誕生日であることに気付きました。

When he told me, we were sitting in a cafe on Grant Road in the interval between the end of the bhajans and the start of the morning question-and-answer session.
While Maharaj’s room was being swept and cleaned, we all had to disappear for half an hour or so.
Most of us would go for a tea or coffee break on Grant Road.

バジャン(ヒンドゥー教の神様を讃える曲/訳注)が終わって朝の質疑応答のセッションが始まるまでの間、私と彼は Grant Road の喫茶店に座って話をしていました。
マハラジの部屋が掃き清められている間、皆は三十分ぐらいどこかへ行っていなければならなかったの
です。 ほとんどの人はお茶やコーヒーを飲みに Grant Road へ行っていました。

I asked Cary what he would like for a birthday present and he replied,
‘Go back in there and have a good argument with Maharaj. I used to love to listen to you when you used to harass him about his teachings, but nowadays you hardly open your mouth at all.
Go back in there and get him fired up about something. That will be my birthday treat.’

Cary に誕生日プレゼントは何がいいかと尋ねると、彼はこう返事をしました。
「あそこへ戻ったらマハラジと何か面白い議論をして欲しい。 あなたがしばしば彼の教えに難癖をつけて
彼を困らせていた時、あなたの話を聞くのは実に楽しかったのだけど、近頃あなたはちっとも口を開かなくなった。 あそこへ戻ってどうにか彼を焚きつけて欲しい。 それを誕生祝いにしよう」

I didn’t feel much like asking anything, and I definitely didn’t feel like embarking on a full-blown debate. I think by that time Maharaj had finally subdued my argumentative tendencies;
I was quite content just to sit at the back and listen to what everyone else had to say.

私は何かを質問する気にはあまりなりませんでしたし、本格的な議論を始める気にはぜんぜんなりません
でした。 その時までに私の議論好きな性癖はマハラジによって抑えこまれてしまったのだと思います。
私はただ後ろの方に座ってほかの皆が話すことを聞いているだけで完全に満足だったのです。

We went back in, but I had no idea what to talk about.
When everyone had settled down, Cary gave me a nudge and I suddenly found myself talking about why some people get enlightened and others not.

私たちは戻って行ったのですが、私は何を話していいのか分かりませんでした。
皆が静まった時にCaryがそっと肘で突いてきたので、私は思わず、なぜ悟りを開ける人とそうでない人
がいるのかについて話をし始めてしまいました。

‘Ramana Maharshi,’ I said, ‘got enlightened in a few minutes.
It took you three years from the moment you met you Guru until you realised the Self.
Other people try for fifty years and don’t succeed. Why is it like this?
Are the people who try all their lives and fail doing something wrong?’

私は言ったのです。「ラマナ・マハルシは数分で悟りを開くことができました。
あなたが真我を実現するまでにはグルと出会った時から三年かかりました。
五十年努力してもうまくいかない人たちもいます。 どうしてそうなのでしょう?
一生努力してもうまくいかない人たちは、何か見当違いのことしているのでしょうか?」

Most other Hindu teachers would answer a question like this by saying that some people had more or less finished their work in previous lives and were therefore able to realise the Self very quickly
in this life. This wasn’t an option for Maharaj because he steadfastly refused to accept that reincarnation took place at all. This itself was a little strange to me because in the period that I
used to visit him the dust jacket of I am That reproduced a dialogue with him in which he explained in quite some detail how reincarnation took place.

他のインド人教師ならたいていこのような質問にこう答えたことでしょう。
前世においてほとんど修行を完結していた少数の者だけが今生において非常に早く真我を実現できるのだと。 マハラジは輪廻が起こるということを一貫して否認していたので、そうは答えませんでした。
そのこと自体は少し奇妙に思ったのです。 というのは、私が彼を訪ねていた頃には「I AM THAT」のカバーに、輪廻がいかにして起こるか彼がかなり詳細に説明した対話が載っていたからです。

However, in the era that I visited him I never once heard him accept the validity of reincarnation, and he frequently said it didn’t happen.
My question was really, ‘If one discounts the theory of reincarnation, which you seem to do,
how can someone like Ramana Maharshi get enlightened with no desire for it, no effort and no practice, while everyone else struggles unsuccessfully for decades and fails?’

しかしながら、私が彼を訪れている時代に、彼が輪廻の妥当性を認めるのを私は一度も聞いたことがあり
ませんでしたし、彼はしばしば輪廻は起こらないと言っていました。 私の質問は実際にはこうでした。
「あなたもそうであるようですが、もし輪廻説を信じていないというなら、他の皆が何十年努力しても
うまくいかずに失敗してしまうのに、ラマナ・マハルシのような人はいかにして悟りへの願望や努力、
修行なしに悟りを開くことができるのでしょうか?」

‘It’s the chemical,’ announced Maharaj.
‘Some people are born with a pure chemical and some are not.
Those with a pure chemical get enlightened, and those with an impure chemical don’t.’

「それは化学物質だ」とマハラジは皆に言いました。
「純粋な化学物質を持って生まれてくる人もいればそうでない人もいるのだ。
純粋な化学物質を持っている人は悟りを開けるし、不純な化学物質だとそうはいかないのだ」

‘The chemical’ was one of Maharaj’s idiosyncratic analogies or metaphors.
I think it was derived from the chemical on a roll of film. We are all issued with a ‘chemical’ at the moment of conception, said Maharaj, and that is our destiny for this life.
In one sense it is like a roll of film, a script that has been given to us for this life.
Traditional Hinduism teaches that we have prarabdha karma, an unchangeable destiny for this life that is an inevitable result of actions that have been performed in previous lives.
Maharaj couldn’t incorporate past-life activities into his ‘chemical’ theory, but he did have an alternative selection of factors to offer.

「化学物質」というのはマハラジ独特の言い回し、あるいは比喩の一つでした。
それは一本のフィルムにおける化学物質に由来していたのだと思います。 私たちは皆受胎の瞬間に
「化学物質」を授けられるだとマハラジは言うのです。 そしてそれがこの世での私たちの運命であると。
ある意味でそれは一本のフィルム、この世で私たちに与えられた脚本のようなものです。
伝統的なヒンズー教では、私たちはプララブダ・カルマを持っており、それは変えることの出来ない
この世での運命であって、前世での行いの必然の結果であると教えています。
マハラジは彼の「化学物質」理論に過去世の行為のことを組み込むことは出来ませんでしたが、
彼は別の要因を提示してきたのです。

I can’t remember whether it was during this particular conversation or on some other day, but I remember asking him about the components of ‘the chemical’.
He replied that it was a combination of a wide variety of factors: parents’ genes, astrological
configurations at the time of conception, the future environment that one was going to be brought up in – these were just a few that he mentioned. These all coalesced at a particular moment and
issued a body, or rather an embryo, with its appointed destiny.

この会話でだったか他の日のことだったかは思い出せませんが、「化学物質」の成分について彼に訊ねた
ことを覚えています。 それは多様な要因の組み合わせであると彼は答えました。
彼が挙げたもののうちごく一部ですが、その要因とは、両親の遺伝子、受胎時の占星術的な配置、その人が直面しようとしている将来の環境などです。 これらすべてがある特定の時期に融合して、身体、もっと
正確に言えば胚に、定められた運命を授けるというのです。

‘This is all very deterministic,’ I said.
‘If the purity of the chemical determines whether or not we get enlightened, why should we even care about it or not? What is the point of trying or not trying, wanting or not wanting, if the
purity of the chemical has already decided the matter for us in advance?
We may as well all go home.’

「それはずいぶん決定論的ですね」と私は言いました。
「もし化学物質の純度が悟りを開けるかどうかを決めるのならば、なぜ私たちはそれを心配したり
しなかったりしなければならないのでしょう? もし化学物質の純度によって私たちの状況が前もって
決められているなら、試みたり試みなかったり、望んだり望まなかったりすることに何の意味があるので
しょう? 私たちは皆家へ帰った方がいいのです」

Maharaj replied, ‘No, it is not completely determined in advance.
The vast majority of people in the world are born with a dirty chemical. Nothing they do or don’t do will make any difference. Enlightenment is not for them, and most of them won’t even care about such matters.
At the other end of the spectrum there will be an extremely small number of very pure beings who will become aware of their true nature without any striving or inclination.’
He didn’t say so, but I assume he would have put Ramana Maharshi in this category.

マハラジは答えました。「いや。すべてが前もって決まっているわけではない。
この世界の大多数の人々は汚れた化学物質を持って生まれてくる。 彼らが何をしようとしまいと違いは
ない。 悟りは彼らのためのものではなく、彼らのほとんどはそんなことは気にかけようともしないのだ。
その正反対に、ごくわずかの非常に純粋な人間がいて、彼らは努力や願望無しに彼らの真の性質に目覚めてゆくのだ」 彼がそう言ったわけではありませんが、私は当然彼がラマナ・マハルシをその範疇に入れて
いただろうと思っています。

‘Between these two extremes,’ continued Maharaj, ‘there are a small number of people whose chemical is only slightly impure. These people have a chance to get enlightened.
If they can meet with a Guru who can show them the truth and if their earnestness and seriousness are high enough, they can purify their slightly dirty chemical and find out who they
really are. That is why we are all here today. People who come to a teacher with a strong thirst for freedom are the ones who have only a few impurities. They are the ones for whom liberation
is possible.’

「この両極端の間には」とマハラジは続けました。
「ほとんど汚れていない化学物質を持つ人々が少数いる。 そういう人たちは悟りを開く見込みがある。
もし彼らが真理を示すことのできるグルに出会えて、しかも彼らの誠実さと真剣さが充分であれば、
彼らはわずかに汚れた化学物質を浄化して、自分は本当は誰であるのかを見いだすことができるのだ。
それが私たち皆が今日ここにいる理由でもある。 自由への強い渇望をもって師の元にやってくる人々は、
ごくわずかしか不純物を持っていない人たちなのだ。 彼らは解放が可能な人たちなのだ」

So did he think that the people who came to him were ‘advanced’? There must have been a mixture of all kinds of people. They couldn’t all have been candidates for liberation.

そうすると彼は彼の元を訪れる人々のことを「進んでいる」と考えていたのですか?
あらゆる種類の人々が混ざっていたはずです。 彼ら全員が解放に値したはずはありません。

Yes, there was a very eclectic mix of people there, from curiosity seekers to people who had travelled half way round the world because they were desperate for liberation and thought that Maharaj could help them.
I sometimes used to sit next to a homoeopathic doctor who lived a few streets away.
He had no interest in liberation and just saw Maharaj as a good source of entertainment.

そうです。 そこには珍しもの好きから、解放を強く望み、マハラジなら手助けをしてくれるだろうと
考えて世界を半周旅してきた人まで、非常に多彩な人々がいました。
私は時々ほんの数通り先に住んでいる同毒療法の医師の隣に座ったものでした。
彼は解放には興味が無く、マハラジをただ娯楽の元として見ていました。

‘This is the best show in the neighbourhood,’ he told me once.
‘I just come here because I like watching how Maharaj deals with all the people who come.
I don’t believe a word he says, but he puts on a good show.’

「これはこのあたりでは一番の見世物さ」と、彼はかつて私に言いました。
「私はマハラジが来訪した人々にどう対処するかを見物するのが好きだからここに来てるだけさ。
彼が言うことを信じてはいないけれど、彼は楽しい見世物を見せてくれる」

This man, incidentally, told me that Maharaj’s language in the original Marathi was occasionally very crude and vulgar. He told me that the translators, who were all respectable, middle-class
Hindus, were probably too embarrassed to pass on the full force of his vulgarity.
At the end of the sessions he would take me aside on the street outside and take great delight in telling me about all the various sexual jokes and innuendos that the translators had omitted tell us.
I think the doctor’s entertainment included watching his neighbours squirm as they listened to Maharaj’s more outrageous remarks.

ついでに言うとこの男は、マハラジがマラティー語で喋っている言葉そのものは時々非常に粗野で下品に
なるのだと私に言いました。 通訳はまともな、中流階級のインド人だけれども、おそらく彼が邪魔しすぎてしまうのでマハラジの下品さが充分に伝わらないのだと彼は言いました。
そのセッションが終わった時に彼は道の脇に私を連れてゆき、通訳が私たちに話すのを控えたさまざまな
下ネタの冗談や当てつけのすべてを、私に話しておおいに楽しんでいました。 私が思うに、
隣席の人がマハラジのひどい言葉を聞いて動揺するさまを見るのも、この医師の娯楽の一部だったのです。

Maharaj to some extent determined the sort of people who were likely to come and stay by setting the agenda on what he was willing to talk about and what he wasn’t.
He wasn’t interested in what he called ‘kindergarten lessons’.
That meant he generally refused to talk about many of the tenets of traditional Hinduism: ritual worship, karma and reincarnation, common practices such as japa, things like that.

マハラジは何を話して何を話さないか予定を組むことによって、滞在しに来ようとする人々をある程度
選り分けていました。 彼は彼が「幼稚園の学習」と呼んでいたものに興味はありませんでした。
つまり彼は、儀式的な礼拝、カルマと輪廻、念誦のような慣習や、それに類することなど、
伝統的なヒンズー教の教義について語ることをたいてい拒んでいたのです。

A large proportion of the foreigners who were there had come because they had read I am That.
They wanted to talk about liberation, not traditional Hindu practices and traditions, and Maharaj was happy to oblige them.  The people who wanted to talk about other things soon left to find
somewhere more suitable for their inclinations and interests. Some, though, came with traditional ideas and beliefs and fell under the spell of Maharaj and his radical teachings, but I think these
people were in the minority.

外国人の大多数は、「I AM THAT」を読んでそこへ来ていました。
彼らは伝統的なヒンズー教の儀式や伝承についてではなく、解放について話して欲しがっていて、マハラジも喜んで彼らの期待に応えていました。 他のことを話したがる人々は彼らの好みや興味に適したより良い
場所を見つけるためにすぐに去ってゆきました。 伝統的な考えや信念を持っていてもマハラジと彼の革新的な教えに魅せられる人もいましたが、そのような人は少数であったと思います。

I remember Mullarpattan telling us one day, ‘I was a traditional Ram bhakta when I first arrived
here. I thought that if I could have a vision of Ram, I would be sure to join him in Vaikunta [Ram’s heavenly realm] when I died. The first day I came, Maharaj told me that Vaikunta didn’t exist. I was very shocked to hear a Guru speak like this, but I felt attracted to him and I stayed
on. Within a short period of time I dropped all my ideas about the gods and their heavens.’

ある日 Mullarpattan が言ったのを覚えています。「初めてここに来たとき私は伝統的なラーマの帰依者でした。もしラーマの幻影を見ることができたなら、私は死んだ時にヴァイクンタ(ラーマの住む天国のような場所)でラーマといっしょになれるに違いないと考えていました。
私が初めて来た日に、マハラジは私に言ったのです。 ヴァイクンタは存在しないと。
グルがそのように話すのを聞いて私は大きな衝撃を受けましたが、それでも彼に魅力を感じてそこに居続けたのです。 短期間のうちに私は神や神の国についてのあらゆる観念を捨て去りました」

Some of the other local people were very much interested in Maharaj’s uncompromising teachings on liberation, but during the time that I was there, the foreigners generally outnumbered the locals
by about three to one in the morning question-and-answer session. This could have been because many of the Bombay devotees had to go out to work, but even on weekends and
holidays, the foreigners always outnumbered the Indians.

他の地元の人の中にはマハラジの徹底した解放の教えに対して非常に深い興味を持っている人もいましたが、私がそこにいる間、たいてい朝の質疑応答セッションには三対一ぐらいの割合で地元の人よりも多くの
外国人がいました。 それはボンベイの信者の多くは仕事に行かなければならなかったからですが、
週末や休日でさえ常にインド人よりも多くの外国人がいました。

There was a separate session in the evening that was conducted in Marathi.
We were never invited to that because there wasn’t enough room for everyone, so I have no idea what went on in those sessions.

夕方にはマラティー語で行われる別のセッションがありました。
皆を入れるだけの十分な部屋が無かったので私たちは決してそのセッションには招かれませんでした。
したがってそのセッションで何が行われていたのかは分かりません。

Did you get the feeling that the foreigners were treated a little differently from the local people?

外国人は地元の人とは少し違った扱いを受けたという印象だったのですか?

I would just say that we had different attitudes, different backgrounds and, for the most part, different aspirations. When we spoke to Maharaj, his answers reflected these differences.

私たちの方が違った姿勢、違った背景、そしてたいていは違った願望を持っていたのでしょう。
私たちがマハラジと話しているとき、彼の返答はその違いを反映していました。

One morning a new Indian couple arrived and asked Maharaj in English a series of questions about how to live a detached spiritual life while they were in the middle of all their family and work
responsibilities. This is a standard question in India and everyone in the guru business must have a standard answer to it. Maharaj dealt with them very politely and respectfully and talked to
them for about fifteen minutes.

ある朝新顔のインド人夫婦が来て、家庭と仕事に責任がある中でどのようにして超然としたスピリチュアルな人生を送ればいいのかということについて、マハラジに英語で質問しました。
これはインドでは標準的な質問で、グルの務めをする人は皆標準的な答えを持っていたはずです。
マハラジは彼らをとても丁寧にうやうやしく扱い、一五分ぐらいかけて彼らに話をしました。

At the end of that period he asked them to leave. This was a little bit unusual.
Usually, when a questioner had finished talking to Maharaj he would go back to his seat and listen to what everyone else had to say.

その時間の終わりに彼は、彼らに出て行って欲しいと言いました。 これは少し珍しいことでした。ふつうは、質問者がマハラジとの対話を終えるときまって自分の席に戻って皆が話すことを聞いていたのです。

On this occasion Maharaj watched them disappear down his staircase.
He waited about ten seconds more before bursting into a delighted laughter.

この時マハラジは彼らが階段を降りて姿を消すのを見守っていました。
彼は十秒ほど待ってから突然嬉しそうに笑い出しました。

Slapping his thigh, he said, ‘That is the sort of boring conversation I used to have every day before all you foreigners came along!’

ももを打って彼は言いました。「あれはあなたたち外国人が来る以前にも毎日のように交わしていた退屈な会話だ!」

I think he enjoyed talking to people who didn’t come along to talk about all their family or work problems. He also knew he could be more irreverent and risque with the foreigners, which was
something he enjoyed.

彼は家族や仕事の問題でないことを話すために出席した人々となら対話することを楽しんでいたと思います。 彼はまた外国人相手なら多少は非礼できわどくなっても構わないと思っていて、何かそれを楽しんでいるようでした。

Can you give me an example?

何か例を挙げてもらえますか?

One morning he looked around and noticed that there were no local people there at all except for the one translator. A mischievous look appeared on his face and he said,
‘Three things are absolutely necessary for human life: food, oxygen and sex.’

ある朝彼はあたりを見回して、通訳一人を除いては地元の人が一人もいないことに気付きました。
彼はいたずらっぽい表情を顔に浮かべて言いました。
「人間が生きるのに絶対必要なものは三つ、食料と酸素そしてセックスだ」

We all perked up. This was something different from the usual lecture on consciousness.
We waited for him to continue, to develop his theme and explain in more detail, but he refused to elaborate. Instead he said, ‘Come on! Somebody dispute that statement.
It’s very controversial. Somebody disagree with me.’

私たちは皆色めきました。それはいつもの意識についての講義とは何か違ったものでした。
私たちは彼が話を続けてその話題を発展させ、もっと詳しく説明するのを待ちましたが、彼は詳しく話すのを拒みました。 かわりに彼は言いました。「さあどうだ! 誰かこれに異議を唱えてみなさい。
異論はたくさんあるはずだ。誰か反論してみなさい」

It looked like he wanted to start an argument, but about what wasn’t clear. When no one else seemed interested in disputing his statement, I stepped into the breach to be the fall guy.

彼は議論を始めたいようでしたが、何についてなのかよく分かりませんでした。 彼の言ったことに
誰も反論しようとしないように思えたとき、私が身代わりとなって援助の手を差し伸べました。

‘If you don’t breathe for a few minutes, you die,’ I began.
‘If you don’t eat for a few weeks, you die.
But I have never heard of anyone dying because they didn’t have sex.
How can you say that it is essential for human existence?’

「もし数分間息をしなかったら死んでしまいます」と私は言い出しました。
「もし数週間何も食べなかったら死んでしまいます。
しかしセックスをしなかったために死んだ人がいるなど私は聞いたことがありません。
よくもセックスが人間の存在に不可欠であるなどと言えますね」

Maharaj refused to explain himself. Instead he just repeated himself.
‘Three things are absolutely necessary for human life: food, oxygen and sex.’

マハラジははっきりと説明することを拒みました。 かわりに彼はただ繰り返して言ったのです。
「人間が生きるのに絶対必要なのは三つ、食料と酸素、そしてセックスだ」

I couldn’t see where he was going with the conversation, or where he wanted me to go with it.
‘Are you saying that we should all have sex because if we don’t we will all die?’
I was trying to provoke him into revealing why he had suddenly brought this topic up.

私は彼がこの対話でどこに向かおうとしているのか、あるいは私をどこへ連れてゆきたいのか分かりませんでした。「もしセックスをしなければ死んでしまうので、私たちは皆セックスをしなければならないと
あなたはおっしゃるのですか?」
私は彼を挑発してなぜ彼が突然このような話題を持ち出したのかを明らかにしようとしていました。

‘No, I’m not saying that at all. I’m simply saying, ‘Three things are absolutely necessary for human life: food, oxygen and sex.’
I tried a couple of other approaches but didn’t get anywhere, and no one else in the room seemed willing to pitch in and help out. He just kept on repeating his original statement.

「いいや、私は決してそうは言っていない。 私はただ『人間が生きるのに絶対必要なのは三つ、
食料と酸素、そしてセックスだ。』と言っただけだ」
私は他にもいくつかの方法で迫ってみましたがうまくいきませんでたし、協力したり手助けしてくれそうな人はその部屋に一人もいないように思えました。 彼は最初に言ったことを何度も繰り返すだけでした。

After a few minutes he heard footsteps on the stairs.
He immediately started talking about consciousness, and as the new visitors, a group of local people, came into the room, he was well into one of his standard explanations.
He obviously didn’t feel comfortable discussing sex in front of his Marathi devotees.
I never did find out what the point of his statement was because he never brought it up again.

数分後彼は階段で足音がするのを聞きました。
彼はすぐに意識についての話をし始め、地元の人の集団が新たな訪問者として部屋に入ってくると、
彼はいつものような解説にすっかり没頭したのでした。 彼はマラティー語が分かる信者の前でセックスを
話題にすることを明らかに快く思っていませんでした。 彼は二度とこの話題を持ち出さなかったので、
私は彼が何を言わんとしていたのかついに知ることができませんでした。

“Remembering Nisargadatta Maharaj”
http://www.davidgodman.org/interviews/nis1.shtml
Page4

From what you are saying, I get the feeling that Maharaj had a great respect for the foreigners who came because they came looking for the truth about themselves, not for some palliative,
a practice or belief that would keep them happy for a while.

あなたのおっしゃることからすると、マハラジは自分自身についての真実を探しにやって来た外国人に対しては大きな敬意を払っていたけれども、しばらくの間だけ幸せにしてくれるようなその場しのぎの手段や
修練、教義を求めてやってくる外国人にはそうではなかったという印象を受けます。

In one sense, yes. I did hear him say a couple of times that he respected the fact that we had all abandoned our lives in the West in order to come to India in search of liberation, but that didn’t
mean that in practice he treated us respectfully. We all got shouted at on various occasions,
and we all got told off from time to time because of things we did or said.

ある意味では、そうです。 解放を求めてインドへやって来るために、私たちが皆西洋での生活を捨てて
来たという事実は尊敬に値すると、彼が言うのを確かに何度か聞きましたが、だからといって彼が実際に
私たちをうやうやしく扱ったわけではありません。 私たちは皆さまざまな折に怒鳴りつけられましたし、私たちの言動のために時々説教もされました。

We were all a little fearful of him because we never knew when the next eruption would come.
We had all come to have the dirt beaten out of us, in the same way that the dhobis clean clothes by smashing them on rocks. Maharaj smashed our egos, our minds and our concepts on the
immovable rock of the Self because he knew that in most cases that was the only way to help us.

次の怒りの爆発がいつ起こるのか分からないので、私たちは皆彼のことを少し恐れていました。
私たちは皆、洗濯人が布を岩に激しく打ち付けて洗うようなやり方で、自分たちから汚れを取り除いてもら
うためにやって来ていました。 マハラジは真我の不動の岩に私たちの自我やマインド、観念を打ち付けたのです。 ほとんどの場合それが私たちを助ける唯一の方法であると彼は知っていたからです。

I told you a few minutes ago that Maharaj discounted all theories of reincarnation, but he did tell one story that possibly indicated that we had all been searching for God in India before.
‘At the end of the Ramayana,’ he said, ‘all the animals who had helped Ram to win the war were given rewards. The monkeys were all told that they could go to a monkey heaven.
Now, what is heaven to a monkey? Vast quantities of food, lots of fighting, and limitless sex.
So, all the monkeys were reborn as human beings in the West in the twentieth century to experience their idea of “heaven”. After some time, though, they all began to get bored of all this
excess. One by one, they all started coming back to India because they wanted to find Ram and be with him again.’

マハラジは輪廻についてのあらゆる説を信用していなかったと数分前に私は言いましたが、私たちが皆、
以前インドで神を探していたということをうかがわせる一つの物語を、彼が話したことがあります。
彼は言いました。「ラーマヤナ(古代インドの大叙事詩/訳注)の終わりで、戦に勝利するためにラーマを助けたすべての動物たちに褒美が与えられた。 猿たちは皆猿の天国へ行くことができたと語られている。
さて、猿のための天国とは何か? 膨大の量の食べ物、数多くの戦い、そして際限の無いセックス。
それゆえすべての猿たちは彼らの考えた『天国』を経験するために、二十世紀の西洋で人間として生まれ
変わったのだ。 だが、いくらか時が経つと彼らは皆この乱行に倦み始めた。 彼らは再びラーマを見つけて彼と共にいることを望んで、相次いでインドに帰り始めたのだ」

What did he shout at you for?

I remember one time trying to talk to him about effort. I think I was talking about the various efforts I had made to realise the Self. This was soon after I started going to see him. I didn’t
realise at the time that the word ‘effort’ was a no-no in that room.
He really didn’t like anyone using it. The idea that there was a person who did something to achieve some spiritual state was a complete anathema to him. He seemed to feel that it showed
a complete lack of understanding of his teachings.

彼はどんなことであなたに怒鳴ったのですか?

彼に努力について話そうとしていた時のことを覚えています。 確か真我を実現するために私がした
さまざまな努力について話していたのだと思います。それは彼に会いに行き始めてから間もない頃でした。
私は「努力」という言葉がその部屋では禁句であることに気付いていませんでした。
彼はその言葉を使う人を本当に嫌っていました。 あるスピリチュアルな状態に到達するために何かをする
個人が存在するという考えは完全に彼の嫌うところでした。それは彼の教えをまったく理解していないことの現れだと彼は感じているようでした。

When he started to get annoyed with me for using the word, I just ploughed ahead, thinking innocently that he probably hadn’t understood what I was trying to say. The more I attempted to
describe my ‘efforts’ and justify them, the more annoyed he got with me. I ended up getting an earful about my wrong understanding and wrong attitude. I was quite taken aback at the time.
I had never come across a teacher before who disparaged hard work and effort on the spiritual path. On the contrary, all the others I had encountered had heartily endorsed such activities.
That’s why I initially thought that there must have been some kind of misunderstanding.

私がその言葉を使ったことで彼がいらいらし始めた時、無邪気にも私は、おそらく彼は私の言わんとして
いることを理解しなかったのだと思いながら、ただ話を先に進めたのです。 私の「努力」を描写してそれを正当化しようとすればするほど、彼はいっそういらいらをつのらせました。 結局私は自分の間違った
理解と間違った態度に対して大目玉をくらうことになりました。 その時は非常に驚きました。
スピリチュアルな道において、熱心な勉強や努力を軽んじるような教師にはそれまで出会ったことがあり
ませんでした。 それどころか私が出会った他の教師たちはそのような行為をさかんに推奨していました。
それゆえそこにはある種の誤解があったに違いないと私は初めに考えたわけです。

I realised later that when Maharaj spoke, he wasn’t giving instructions that he wanted you to act on. He was simply telling you who and what you were.
You were supposed to understand and experience what he was talking about, not turn it into a practice. Making a practice out of it simply confirmed for him that you hadn’t really understood
what he was saying. One question that always rubbed him up the wrong way was, ‘Yes, Maharaj, I understand intellectually what you are saying, but what do I do to actually experience it?’
If you said that, you didn’t understand him, or what he was trying to do, at all.

のちに私は、マハラジが話をしている時、彼は行動の指針となるような指示を相手に与えているのではないということに気付きました。 彼は純粋に相手自身が誰であるのか、何であるのかを話していたのです。
彼が話していることを理解し、体験しなければならないのであって、実践に変えてはならなかったのです。誤って実践しようとすることは、彼が何を話しているのか相手がまったく理解しなかったということを
立証しただけでした。 いつも彼の神経を逆なでした質問は、「はい、マハラジ、あなたのおっしゃることを頭では理解しましたが、実際にそれを体験するには何をすればいいのでしょう?」というものでした。
そう質問するということは、彼を、あるいは彼が何をしようとしているのかを、まったく理解していないということだったのです。

I have an embarrassing memory of another time he got angry with me. One afternoon my attention was wandering and my mind was embroiled in some larger-than-life ego fantasy. 
I was off in my own little world, not really listening to what was going on. Maharaj stopped the answer he was giving to someone else, apparently in mid-sentence, turned to me and started
shouting at me, demanding to know whether I was listening and understanding what he was saying.

それとは別の、彼が私に対して怒った時の恥ずかしい記憶があります。 ある午後、私は気が散っていて、
私の心はある誇張された自我の幻想に巻き込まれていました。 私は自分の小さな世界の中にいて、
実のところ何が話されているのか聞いていませんでした。 マハラジは誰か他の人への回答を不意にやめて、私の方を向いて怒鳴り始めました。 私が彼の言っていることを聞いているのか、理解しているのかどうか
をただすためにです。

I did a little prostration as an apology and put my attention back on what he was talking about. Afterwards, a few people wanted to know why he had suddenly launched such a ferocious attack
on me. So far as they were concerned I was just sitting there minding my own business.
I definitely deserved that one, though. In retrospect I can say that it increased both my attentiveness and my faith in him. When you know that the teacher in front of you is
continuously monitoring all your thoughts and feelings, it makes you clean up your mental act quite a bit.

私は詫びるために少し平伏して、彼が話していることに注意を戻しました。 あとで何人かの人が、
なぜ彼は突然私にあのような猛烈な攻撃をしかけてきたのかを知りたがりました。彼らにしてみれば、私はただ自分のことに専念してじっと座っていただけなのです。 しかし私は確かに怒鳴られるに値しました。
あとから思えば、それは彼に対する注意力と信頼を共に強めてくれたと言えるでしょう。 面前にいる師が
絶え間なく相手の考えや感情を監視していると知れば、精神の悪癖はずいぶんと正されるのです。

On another occasion Maharaj got angry with me simply because one of the translators didn’t understand what I had asked. I said that the previous day he had said one thing, whereas this
morning he was saying what appeared to be the exact opposite. The translator somehow assumed I was criticising the quality of the translation on the previous day and passed on my
critique to Maharaj. He really got angry with me over that, but that one just bounced off me because I realised immediately that it was all due to a misunderstanding.
Someone eventually told the translator what I had actually said, and he apologized for all the trouble his comments had caused.

別の折には、単に通訳の一人が私の尋ねたことを理解しなかったのが原因で、マハラジの怒りを買いました。前日彼はあることを言ったのですが、今朝はそれとはまったく正反対に思えるようなことを言っている
と、私は言ったのです。 通訳はどういうわけか、私が前日の翻訳の出来を非難していると決めてかかって、その批判をマハラジに伝えました。 はたして彼は私に対して怒り出しましたが、それはまったくの誤解に
よるものだと私にはすぐに分かったので、私も怒り返したのです。 最終的には誰かが、本当は私がどう
言ったのかを通訳に話したので、彼は自分の言ったことが元で起きたすべてのごたごたに対して謝罪をすることになりました。

Were the translators all good? I have been told that some were better than others.

通訳は皆優秀だったのですか? 皆が優れていたわけではないと聞いたことがありますが。

Yes, there were good ones and not-so-good ones. I think everyone knew who was good and who was not, but that didn’t result in the good ones being called on to do the work if they happened to
be there. There seemed to be some process of seniority at work. The translators who had been there the longest were called on first, irrespective of ability, and those who might have done a
better job would have to wait until these more senior devotees were absent.

そうです、優れた通訳とそれほどでもない通訳がいました。 誰が優れていて誰がそうでないのか、
皆分かっていたとは思いますが、だからと言って、もし優秀な通訳がたまたまそこに居ればその人が仕事を頼まれるというわけではありませんでした。 その仕事には年功制のようなものがあるようでした。
能力には関係なく、最も長くそこに居た通訳が最初に仕事を頼まれ、より良い仕事のできる人がいても、
古参の人たちが欠席するまで待たなければなりませんでした。

When I first went a man called Sapre did most of the morning translations. He was very fluent and seemed to have a good grasp of Maharaj’s teachings, but he interpolated a lot of his own stuff
in his English answers. Two sentences from Maharaj might turn into a two-minute speech from Sapre. Even though most of us didn’t know any Marathi, we knew that he must be making up
a lot of his stuff simply because he was talking for so long. Several people complained to Maharaj about this, but he always supported Sapre and generally got angry with the people who
complained about him. That was the cause of the outburst I just mentioned. Maharaj thought I was yet another person complaining about Sapre’s translations.

私が初めて訪れた時、Sapre と呼ばれる男性が朝のほとんどの時間を通訳しました。 彼はとても流暢で、
しかもマハラジの教えをよく把握しているようでしたが、彼は英語で答える際に、彼自身の考えをたくさん織り交ぜていました。 マハラジの二言に対して Sapre は二分間もしゃべるような具合でした。
私たちのほとんどがマラティー語をまったく理解できなかったにもかかわらず、彼があまりにも長く喋る
ということだけで、彼は間違いなく独自の考えをでっちあげているのだということが分かりました。
このことでマハラジに抗議する人も何人かいましたが、彼はいつも Sapre を支持して、たいていは彼に不満を持つ人たちに対して腹を立てるのでした。 私が怒鳴られたのはこのためです。マハラジは私が Sapre の
通訳にまだ不満を持っていると思ったのです。

Mullarpattan was next down the pecking order. I liked him because he was very literal.
Possibly not quite as fluent as some of the others, but he scored points with me because he stuck to the script both ways. I once asked Maharaj a question through him, and when the answer
came back, it made absolutely no sense at all. Mullarpattan, though, was beaming at me as if he had just delivered some great pearl of wisdom.

Mullarpattan は次に低い序列の位置にいました。 彼はとても忠実に訳をするので私は彼が好きでした。
他の通訳に比べればあまり流暢ではなかったかもしれませんが、彼は与えられた仕事のみに専念したという点でも、私の評価は高かったのです。 私はある時彼を通してマハラジに質問したのですが、返って来た
答えはまったくもって的外れなものでした。しかし Mullarpattan は、まるで偉大な叡智の真珠でも配ったかのように、私に微笑みかけていました。

※ 英文三行目の意味がよく分かりませんでした。 訳がかなり怪しいです。
英語が分かる方のご意見を伺いたいです。

I thought about it again and it still made no sense, so I said, somewhat apologetically,
‘I don’t understand any of that answer. It doesn’t make any sense to me at all.’
‘I know,’ replied Mullarpattan, ‘it didn’t make any sense to me either.
But that’s what Maharaj said and that’s what I translated.’

私はあらためてその返答について考えてみたのですが、依然として意味が分からなかったので、いくぶん詫びるように言ったのです。「その返答はどうも理解できません。私にはまったく意味が分からないのです」
「分かっています」と Mullarpattan は答えました。
「私も意味が分からないのです。しかしそれはマハラジが言ったことで、私はそのとおりを訳したのです」

Somewhat relieved, I asked him to tell Maharaj that neither of us had understood what he had said and requested him to explain the topic a little differently. Then we got on with the
conversation. I really respected Mullarpattan for this. He didn’t try to put some sense into the answer, and he didn’t tell Maharaj that his answer didn’t make any sense.
He just translated the words for me in a literal way because those were the words that Maharaj had intended me to hear.

いくぶん安心した私は、私たち二人が彼の言ったことを理解できなかったとマハラジに伝えて、この話題についてもう少し他の説明をしてもらうよう彼に頼みました。 そのあと私たちは二人で会話を続けました。
私はこのときのことで Mullarpattan を本当に尊敬しました。 彼はその回答に意味を持たせようとはしませんでしたし、マハラジの回答が意味を成していないことを彼に伝えもしなかったのです。
それらはマハラジが私に聞かせようとした言葉なので、彼は私のためにただ忠実に翻訳したのです。

Right at the bottom, in terms of seniority anyway, was Ramesh Balsekar. He didn’t come to see Maharaj until some point in 1978. I thought this was unfortunate because in my opinion, and in
the opinion of many of the other foreigners there, he was by far the most skilful of all the translators. He had a good understanding of the way foreign minds worked and expressed
themselves, and a good enough intellect and memory to remember and translate a five-minute rambling monologue from a visitor. He was so obviously the best, many of us would wait until it
was his turn to translate. That meant there were occasionally some long, embarrassing silences when the other translators were on duty. Everyone was waiting for them to be absent so that Balsekar could translate for them.

年功の点でまさに最下層にいたのは Ramesh Balsekar でした。一九七八年のある時期まで、彼はマハラジに会いに来ていませんでした。 これは不幸なことだと思いました。というのも私の考えでは、あるいは
そこにいた外国人の多くの意見でもあるのですが、彼は他の誰よりも、抜きん出て腕の立つ通訳だったからです。 彼は外国人の心がどのように働き、またそれをどう表現するのかについてよく理解していた上に、
訪問者たちの五分にもおよぶまとまりのない長話を、記憶して翻訳するに充分な知性と記憶力を持っていました。 彼はまぎれもなく最高の通訳だったので、私たちの多くは彼が通訳する番になるまで待っていた
ものです。 その結果、他の通訳たちが任に当たっているときは、時々長くばつの悪い沈黙がありました。
Balsekar に通訳してもらうために、彼らが欠席するのを皆待っていたのです。

All the translators had their own distinctive style and their own distinctive phrases. When I read Jean Dunne’s books in the 1980s I was transported back into Maharaj’s room because I would be
hearing the words, not just reading them. I would look at a couple of lines, recognise Mullarpattan’s style, or whoever else it happened to be, and from then on I would hear the words in my mind as if they were coming out of the translator’s mouths.

通訳は皆、独自のスタイルと独自の言い回しを持っていました。一九八〇年代に Jean Dunne の本を読んだ時、私はマハラジの部屋に思いを馳せました。 言葉をただ読んでいるだけではなく、その言葉が聞こえて
くるかのようだったからです。 私は数行を見て、これは Mullarpattan のスタイルだ、これはあの人の
スタイルだと見分けがつき、そしてその言葉がまるで通訳の口から出てきたかのように、心の中で聞いていたのでしょう。

So all these books are simply a transcription of what the interpreter said on the day of the talk.
They are not translations of the original Marathi?

ということはそれらすべての本は、その話の日に通訳が言ったことを純粋に書き取っただけということに
なります。 それらはマラティー語の原文を翻訳したものではないのですか?

I don’t know about the other books, but I know that’s what Jean did. For a couple of weeks I spent the afternoon in her flat, which was near Chowpatthy Beach. On that particular visit, my
own place was too far away, so I just slept there at night. Jean was doing transcriptions for
Seeds of Consciousness at the time and she would occasionally ask for my help in understanding difficult words on the tape, or she would ask for an opinion on whether a particular dialogue was
worth including. I know from watching her work and from reading her books later that she was working with the interpreter’s words only.

他の本については知りませんが、Jean はそうしたのだと知っています。二、三週間ほど私は Chowpatthy 海岸の近くにある彼女のアパートで午後を過ごしました。その訪問の際、私の住居は遠すぎたので夜はそこ
で寝ていたのです。 その時 Jean は「Seeds of Consciousness」の翻訳をしていて、時々私に、テープの中の難しい言葉を理解する手助けを求めたり、この対話は含める価値があるかどうかと意見を聞いたりしま
した。 私は彼女の仕事を見ていましたし、のちに彼女の本も読んだので、彼女が通訳の言葉のみを扱って
いたと、私には分かるのです。

Did she ask Maharaj if she could do this work?
How did she get this job?

彼女はその仕事をしていいかどうかマハラジに尋ねたのですか? 
彼女はどのようにしてその仕事を得たのですか?

From what I remember, it was the other way round. He asked her to start doing the work.
This created a bit of resentment amongst some of the Marathi devotees, some of whom thought they had the rights to Maharaj’s words. There was an organisation, a Kendra that had been set up in his name to promote him and his teachings, and certain members seemed a bit miffed that they had been left out of this decision. One of them came to the morning session and actually said to Maharaj that he (i.e. the visitor) alone had the right to publish Maharaj’s words because he was the person in the Kendra who was responsible for such things.

私の覚えていることからすると、それは逆です。 彼がその仕事を始めるよう彼女に言ったのです。
このことはマラティー語を話す信者数人の間にちょっとした恨みを生みました。彼らの中には、マハラジの言葉に対する権利を持っているのは自分だと考えている人たちがいたのです。 Kendra という組織が
あって、その組織は彼と彼の教えを広めるために彼の名義で設立されたのですが、ある会員たちはこの
決定から除外されたことに少し腹を立てているようでした。 その中の一人が朝のセッションに来て、
実際にマハラジに言ったのです。 彼(すなわち訪問者)は Kendra の中でそのようなことを担当している
人物なので、彼一人がマハラジの言葉を出版する権利を持っているのだと。

I thought that this was an absurd position to take: if you set up an organization to promote the teachings of your Guru, and your Guru then appoints someone to bring out a book of his
teachings, the organization should try to help not hinder the publication.
Maharaj saw things the same way.

これはらちもない言い分だと思いました。 もし自分のグルの教えを広めるために組織を設立したのなら、
グルが彼の教えの本を出すことを誰かに命じたときは、その組織は出版を妨げないよう手助けしようとするべきなのです。 マハラジも同じように考えていました。

In his usual blunt way he said, ‘I decide who publishes my teachings, not you. It’s nothing to do with you. I have appointed this woman to do the job and you have no authority to veto that
decision.’ The man left and I never saw him again.

いつものそっけない調子で彼は言ったのです。
「誰が私の教えを出版するかを決めるのは私であって、あなたではない。あなたの出る幕ではない。
私はこの女性に仕事を命じたのだ。この決定を拒否する権利はあなたには無い。」
その男は出て行きましたが、彼の姿を見ることは二度とありませんでした。

Did you never feel tempted to write about Maharaj yourself?
You seem to have written about all the other teachers you have been with.

あなた自身がマハラジについて書きたいと思ったことはないのですか? 
あなたが会ったことのある他のすべての教師については書いているようですが。

On one of my early visits Maharaj asked me what work I did at Ramanasramam. I told him that I looked after the ashram’s library and that I also did some book reviewing for the ashram’s
magazine. He gave me a strong look and said, ‘Why don’t you write about the teachings?’

まだ訪問しはじめて間もない頃、マハラジは私にラマナアシュラムで何をしていたのかと尋ねました。私はアシュラムの図書館を管理して、アシュラムの雑誌でいくつかの本の論評したりもしたのだと話しました。
彼はじっと私を見つめて言いました。「なぜあなたはその教えについて書かなかったのですか?」

I remember being a little surprised at the time because at that point of my life I hadn’t written a single word about Ramana Maharshi or any other teacher. And what is more, I had never felt any
interest or inclination in doing so. Maharaj was the first person to tell me that this was what I should be doing with my life.

その時は少し驚いたのを覚えています。 というのも、私の人生のその時点では、ラマナ・マハルシや他の
教師については一言も書いたことがなかったからです。 そのうえ、私はそれまでそうすることに興味を
持ったことも、やってみたいと思ったこともなかったのです。
マハラジは、それこそが私の人生においてなすべきことだと教えてくれた最初の人物でした。

As for writing about Maharaj, the opportunity never really arose.
In the years that I was visiting him, I wasn’t doing any writing at all, and in the 80s and 90s I had lots of other projects and topics to occupy myself with.

マハラジについて書くことに関しては、実際に好機が訪れることはありませんでした。
彼を訪れている期間に私は一切執筆をしていませんでしたし、八〇年代や九十年代には他の企画やテーマがたくさんあって忙しかったのです。

You have some good stories to tell, and some interesting interpretations of what you think Maharaj
was trying to do with people. I am finding all this interesting, and I am sure other people would if you took the trouble to write it down.

あなたには語るべきよい話がありますし、マハラジが人々と共にしようとしていたことについての、
あなたなりの興味深い解釈もあります。 私はこれらすべてが面白いと思いましたし、もしそれを記録して
くださるならば、きっと他の人たちも興味を持つことでしょう。

Yes, as I have been talking about all these things today, a part of me has been saying, ‘You should write this down’. The feeling has been growing as I have talking to you.
After you leave, maybe I will start and try to see how much I can remember.

そうですね。 今日話をしている間中、私の中で「これは記録するべきだ」と声がしていたのです。
あなたと話をするにつれてその気持ちは高まってきました。
あなたが帰ったあと、書き始めてみて、どれだけ多く思い出せるか確かめてみましょうか。

I suppose we should have talked about this much earlier, but how did you first come to hear of Maharaj, and what initially attracted you to him?

このことについてはもっと早く話すべきだったと思いますが、どういういきさつで最初にマハラジのことを聞くようになったのですか? また、初めに彼のどこに魅了されたのですか?

Sometime in 1977 I gave a book, Cutting Through Spiritual Materialism, by Chogyam Trunga, to a friend of mine, Murray Feldman, and said that he would probably enjoy reading it.
I knew he had had a background in Buddhism and had done some Tibetan practices, so I assumed he would like it. He responded by giving me a copy of I am That, saying that he was sure that I
would enjoy it. Murray had known about Maharaj for years and had even been to see him when Maurice Frydman was a regular visitor.

一九七七年のある時、私は Chogyam Trunga の「Cutting Through Spiritual Materialism
(精神の物質主義を断ち切って)」という本を、おそらく楽しく読めるだろうからと言って、友人の Murray Feldman にあげたのです。 彼には仏教の予備知識があり、チベットの修行もいくらかしてきたと
いうことを知っていたので、当然それを気に入るだろうと思ったのです。 彼は返事として、きっと楽しめるからと言って、「I AM THAT」を一冊くれました。 Murray はマハラジのことを以前から知っていて、
Maurice Frydman が常連だった頃にマハラジに会いに行ったこともあったのです。

I remember Murray’s vivid description of the two of them together: two old men having intensely animated discussions during which they would both get so heated and excited, they would be
having nose-to-nose arguments, with lots of raised voices and arm waving. He had no idea what they were talking about, but he could feel the passion from both sides. In those days, if you
visited Maharaj, you were likely to be the only person there. You would get a cup of tea and a very serious one-on-one discussion, with no one else present.

Murray が彼ら二人を生き生きと描写したのを覚えています。 二人の老人が激しく活発な議論をしていた
様子をです。 二人ともとても興奮して、さかんに声を荒げて腕を振りながら、鼻を付き合わせて議論して
いたそうです。 彼は彼らが何を話しているのか分かりませんでしたが、両者の激情を感じることは
出来ました。 そのころマハラジを訪れたなら、おそらくそこにいるのはその人一人だけだったでしょう。
お茶の一杯でも出されて、他に誰もいない中で、とても真剣な一対一の議論が出来たことでしょう。

A few years later I heard Maharaj say, ‘I used to have a quiet life,
but I am That has turned my house into a railway station platform’.

数年後、私はマハラジがこう言うのを聞きました。「わたしは静かな人生を送っていたのだが、
『I AM THAT』が私の家を鉄道の駅のプラットホームに変えてしまった。」

Anyway, back to the story. I am digressing before I have even started. I went through the book and I have to admit that I had some resistance to many of the things Maharaj said.
I was living at Ramanasramam at the time and practicing Bhagavan’s teachings. There were clear similarities between what Maharaj was saying and what Bhagavan had taught, but I kept tripping
over the dissimilarities: statements that the ‘I am’ was not ultimately real, for example.
However, the book slowly grew on me, and by the end I was hooked. In retrospect I think I would say that the power that was inherent in the words somehow overcame my intellectual resistance
to some of the ideas.

それはともかく、話を戻しましょう。 始める前に脱線してしまいました。 私はその本をよく読んでみたのですが、マハラジの言ったことの多くにいくらか抵抗があったことを認めなければなりません。
私はその時ラマナアシュラムに住んでいて、バガヴァンの教えを実践していました。 マハラジが言ったこととバガヴァンの教えの間には明らかな類似点がありましたが、私は相違点につまづいたままでした。
例えば、「私は在る」は究極的には実在ではないという主張などにです。しかしながら、その本は次第に気
に入るようになって、終わりまでには夢中になりました。振り返ってみると、こう言えるだろうと思うのです。その言葉に固有の力が、いくつかの考えに対する私の知的な抵抗をどういうわけか抑え込んだのだと。

I went back to the book again and again. It seemed to draw me to itself, but whenever I picked it up, I found I couldn’t read more than a few pages at a time. It was not that I found it boring, or
that I disagreed with what it was saying. Rather, there was a feeling of satisfied satiation whenever I went through a few paragraphs. I would put the book down and let the words roll
around inside me for a while. I wasn’t thinking about them or trying to understand them or wondering if I agreed with them. The words were just there, at the forefront of my
consciousness, demanding an intense attention.

私はその本に繰り返し立ち戻りました。 それはそれ自身に私を引きつけるような感じがしましたが、
いつそれを手にしても、私は一度に数ページしか読めないことに気付きました。 退屈だったわけでも、
書かれていることに異議があったわけでもありません。 それどころか、数段落読むたびに満腹になる感じ
がありました。 私は本を読むのをやめて、しばらくの間自分の内にその言葉を転がせました。
それについて考えたり、理解しようとしたり、疑ってみたりしていたわけではありません。
言葉は意識の最前面にただ在って、極度の注意を要求していました。

I think that it was the words and the teachings that initially fascinated me rather than the man himself because in the first few weeks after I read the book I don’t recollect that I had a very
strong urge to go to see him. However, all that changed when some of my friends and acquaintances started going to Bombay to sit with him. All of them, without exception, came
back with glowing reports. And it wasn’t just their reports that impressed me. Some of them came back looking absolutely transfigured. I remember an American woman called Pat who
reappeared radiant, glowing with some inner light, after just a two-week visit.

私を初めに魅了したのは、彼自身よりもむしろその言葉やその教えだったと思います。思い出してみても、その本を読んでからの数週間に、彼に会いに行こうというとても強い衝動があったようには思えないから
です。しかしながら、私の友人や知人たちが彼とともに座るためにボンベイに行き始めてから、すべてが
変わりました。 彼らは皆、例外なく、熱烈な報告を持って帰ってきました。そして私に感銘を与えたのは
彼らの報告だけではありませんでした。 彼らのうちの何人かは、すっかり変貌を遂げて帰ってきたのです。
Pat というアメリカ人女性は、たった二週間の訪問の後に、内面の光で輝く、まばゆいばかりの姿で戻ってきたのを覚えています。

Papaji used to tell a story about a German girl who went back to Germany and was met by her boyfriend at the airport. The boyfriend, who had never met Papaji and who had never been to
India, prostrated full length on the airport floor at her feet.
He told her afterwards, ‘I couldn’t help myself. You had undergone such an obvious illuminating transformation, I felt compelled to do it.’

パパジはよく、ある若いドイツ人女性の逸話を話していました。 彼女はドイツに帰国して、空港で恋人に
会いました。 パパジに会ったことがなく、インドにも行ったことがない彼は、空港の床で彼女の足元に
全身でひれ伏したのです。 のちに彼は彼女に言いました。「僕にはどうしようもなかった。君があんなにも明らかな変容を遂げて輝いていたものだから、僕はそうせずにはいられなかったんだ」

I know how he felt. I never prostrated to any of the people who had come back from Bombay, but I could recognise the radical transformations that many of them had undergone. Even so, I think it was several months before I decided to go and see for myself what was going on in Bombay.

私には彼がどう感じたのか分かります。私はボンベイから帰ってきた人たちにひれ伏したことなどありませんが、彼らの多くが完全な変容を遂げたのを認めることができました。それでも、ボンベイで何が起こって
いるのか自分で見に行こうと決意するにはそれから何ヶ月もかかったと思います。

※ he stuck to the script both ways の both ways は、マハラジの質問者への言葉とマハラジ質問者への言葉の両方を表していて、全文の意味は、その両方を自己流の解釈なしに正確に伝えていた、ということだと思います。

What took so long? What made you wait?

なぜそんなに長くかかったのですか? 何があなたを待たせたのですか?

Something has just surfaced in my memory, something I haven’t thought about for years.
After reading I am That a few times, I developed a great faith in Maharaj’s state and power.
I knew he was the real thing. I knew that if I went to see him I would accept any advice that he gave me. Around that time I heard reports that a couple of foreigners I knew had been to see
him, and that he had advised them both to go back to their respective countries.
This alarmed me a bit. I was very attached to being in Tiruvannamalai, and I definitely didn’t
want to go back to the West. Something inside me knew that if Maharaj told me to go back to England, I would go. I didn’t want to leave India, so I held off going to see him for a few months.

私の記憶の中に何かが、長年考えることのなかった何かが、ちょうど浮んできたところです。
「I AM THAT」を数回読んだあと、私はマハラジの境地と力に大きな信頼を持つようになりました。
彼は本物であると分かりました。 もし彼に会いに行ったら、彼が与えてくれるどんな助言をも受け入れる
だろうと思いました。その頃、私の知っている二人の外国人が彼に会いに行ったという報告を聞きました。
彼は二人に各自の国へ帰るよう助言したというのです。 これは私を少し不安にさせました。
私は Tiruvannamalai に居ることにとても執着していましたし、西洋には絶対に帰りたくありませんでした。 私の中の何かが、もしマハラジが私にイギリスへ帰るように言ったら私はそうするだろう、と言って
いました。 私はインドを離れたくありませんでしたから、彼に会いに行くのを何ヶ月も避けたのです。

There was another unresolved issue. I wasn’t sure at that point whether or not I needed a human Guru. The Ramanasramam party line has always been that Bhagavan can be the Guru for
everyone, even people who never met him while he was alive. I seem to remember having a knowledge of all the places in the Ramanasramam books and in I am That where the subject of
Gurus came up. I would read them quite often, without ever coming to a final conclusion about whether I needed a human Guru or not.

他にも解決していないことがありました。 私はその時点で、人間のグルが自分に必要であるのかどうか、
確信がなかったのです。 ラマナアシュラムの路線は常に、バガヴァンが皆にとって、彼が生きている間に
会ったことがない人にとっても、グルになりうるというものでした。 そういえば私は、ラマナアシュラム
の本や「I AM THAT」の中で、グルの話題がどこに出てきたのかをすべて覚えています。自分に人間のグルが必要なのかどうか、いつまでも最終的な結論が出なくて、相当頻繁にその箇所を読んでいたのでしょう。

So what made you finally overcome your resistance to going to Bombay?

それではボンベイへ行くことに対する抵抗を、最終的に抑え込ませたのは何だったのですか?

An Australian woman, who had been before, suggested we go, and I agreed.
I always knew I would go sooner or later. I just needed a push to get me going, and this invitation was it. I am trying to remember when it was. I think it was the middle of 1978,
but I can’t be more accurate than that.

以前に会ったことがある、あるオーストラリア人女性が一緒に行こうと提案してくれて、
私は承知したのです。 遅かれ早かれ行くことになるだろうとは、いつも思っていました。ただ行くための
きっかけが必要だっただけで、その誘いがきっかけとなりました。 それはいつのことだったでしょうか。
一九七八年の半ばだったと思いますが、それより正確なことは思い出せません。

What were your first impressions? What happened when you arrived?

第一印象はどうでしたか? 到着した時、どんなことが起こりましたか?

I remember sitting in his room, waiting for him to come upstairs. I was very nervous and apprehensive, but I can’t remember why. I recollect trying to start a conversation with the man
sitting next to me, but he asked me to be quiet so that he could meditate.

彼の部屋に座って、彼が階段を上がってくるのを待っていたことを思い出します。 私はとても神経質に
なって不安を感じていましたが、それがなぜだったは思い出せません。 隣に座っている男性と話をしようとしましたが、彼は瞑想するために静かにしてほしいと言ったのを思い出します。

Maharaj came in and a few minutes later I found myself sitting in front of him, telling him who I was and why I had come. It was an afternoon session and not many people were there. Since
I was the only new person present, he called me up to find out who I was and what I wanted.

数分後にマハラジがやって来て、気付くと私は彼の前に座って、自分が誰で、なぜここに来たのかを話していました。それはある午後のセッションで、人はあまり多くいませんでした。新参の出席者は私だけだった
ので、私が誰で何を望んでいるのかを知るために、彼は私を呼び寄せたのです。

I explained that I had come from Ramanasramam, that I had spent two years there, and that I had been practising Bhagavan’s teachings on self-enquiry fairly intensively. At this period of my
life I often used to meditate eight hours a day, although by the time I met Maharaj this was beginning to tail off a bit.

私はラマナアシュラムから来たこと、そこで二年間過ごしたこと、バガヴァンの自己探求の教えをかなり
徹底して実践してきたことを説明しました。人生のこの期間に、私はしばしば一日八時間の瞑想をしていたものですが、マハラジに会う時までにこれは少し少なくなってきていました。

Maharaj eventually asked me if I had any questions and I replied, ‘Not now.
I just want to sit and listen to you for a while.’ He accepted this and allowed me to disappear to the back of the room. I should say at this point that I had already felt the power and the peace of
his presence in the room. It was something very tangible.

やがてマハラジは何か質問があるかと私に尋ねたので、私は
「今はありません。私はしばらくの間座ってあなたの話を聞いていたいのです」と答えました。
彼はこれを受け入れ、部屋の後ろに下がることを許可しました。 私はすでにその部屋の中に彼の存在の力と静けさを感じていたのだと、ここでは言えるでしょう。 それは何かとても明らかに感じられるものでした。

Did you go there with questions that you wanted to ask him? Was there anything that you wanted to talk to him about?

彼に尋ねたいと思って質問を用意して行ったのではないですか? 何か彼と話したいことがあったのでは?

I really can’t remember. I knew I would end up talking to him, but I didn’t have any particular burning question.

よく覚えていないのです。 最終的に彼と話すことになるだろうとは思っていましたが、特別重大な質問があったわけではないのです。

How long did it take for you to summon up the courage to start a dialogue with him?

彼と対話し始める勇気を奮い立たせるのにどれくらい時間がかかったのですか?

I think it was the next day, in the afternoon session. That means I must have sat through two full sessions, just listening to what other people had to say, and to what Maharaj had to say to them.

それは翌日の午後のセッションだったと思います。 つまりそれは私が、丸々二回のセッションの間、
他の人が話していることやマハラジが彼らに言うことを、ただ聞きながら座っていたということを意味しています。

Eventually, when there was a lull in the conversation I asked, ‘I have been doing self-enquiry, trying to keep attention on the inner feeling of “I”, for several years, but no matter how intensively
I try to do it, I don’t find that my attention stays on the “I” for more than a few seconds.
There doesn’t seem to be an improvement in my ability to keep my attention on this inner feeling of “I”. Do the periods of being aware of the “I” have to get longer and longer until they become
more or less continuous?’

会話が途絶えた時に、やっと私は尋ねたのです。
「私は何年も、『私』という内なる感覚への注意を保ち続けようとする方法で自己探求をしてきましたが、たとえ集中的にそうしようとしても、数分以上『私』に注意を向けておけるようになりません。 この
『私』という内なる感覚に注意を保つ能力が、向上する気配はありません。『私』へ気付いている時間は、それがほぼ連続するようになるまで、だんだんと長くしてゆかなければならないのでしょうか?」

‘No,’ he replied, ‘just having the strong urge to seek this “I” and investigate it is enough.
Don’t worry about how well or how long you are holding onto it. The strong desire to know the “I” will keep taking you back to it when your attention strays. If something is important to you, it
keeps coming up in your mind. If knowing the “I” is important to you, you will find yourself going back to it again and again.’

「いいや」と彼は答えました。「この『私』を探し求め、それを詳細に調べようとする強い衝動がありさえすれば十分だ。 いかによく、あるいはいかに長くそれを掴み続けられるかを心配することはない。
『私』を知ろうとする強い願望は、あなたの注意がそれた時、あなたにそれを思い出させ続けるだろう。
もし何かがあなたにとって重要ならば、それはあなたの心に浮かんで来続ける。 もし『私』を知ることが
あなたにとって重要であるなら、あなたは何度でもひとりでにそれに戻ってゆくだろう」

After that I think I talked to him almost every day, mostly about various aspects of his teachings on consciousness. He seemed to encourage questions from me, and I always enjoyed quizzing
him. However, the exact details of the questions and answers seem to have slipped through the cracks of my memory.

それからのちは、主に意識についての彼の教えに対するさまざまな見方について、毎日のように彼と話したと思います。 彼は私からの質問を奨励しているようで、私はあれこれ質問するのをいつも楽しんでいまし
た。 しかしながら、その質問と答えについての正確な詳細は、どうやら記憶の隙間に消え去ってしまった
ようです。

※ I don’t find that my attention stays on the “I” for more than a few seconds.

数秒以上は、注意が「私」にとどまらないことに気がつきます。 second は「秒」の間違いでしょう。

All this talk about Ramana Maharshi has reminded me of something else that I wanted to ask.
We started off this afternoon with a question about why Maharaj isn’t the topic of memoirs, at
least book length ones. A few people have written short accounts, but I have never come across a full-length book about living with him.
Many of the Ramana Maharshi books are filled with stories of miraculous events that seemed to be taking place around him. Many of his devotees tell stories of how faith in Bhagavan changed their
lives or somehow, in an improbable way, transformed their destiny. I know that Bhagavan himself disowned all personal responsibility for these events, but that didn’t stop people writing them
down and attributing them to Bhagavan’s grace.

ラマナ・マハルシについての話を聞いていて、尋ねたいと思っていた別のことを思い出しました。
私たちは今日の午後、マハラジについての回想録が、少なくともちゃんとした本の形で出ていないのは
なぜなのか、という質問から始めました。 短い記事を書いた人なら少しはいましたが、彼と共に過ごした
時の事を書いた、本らしい本には出会ったことがありません。
ラマナ・マハルシの本の多くは、彼の周りで起こったと言われる奇跡的な出来事の話で満ちています。
彼の信者の多くが、バガヴァンへの信仰がどのように彼らの人生を変えたのか、あるいはどのように、
思いもしなかったような方法で、彼らの運命を変えたのかを語っています。 これらの出来事に対する個人的な責任を、バガヴァン自身が否定したことは知っていますが、それでも人々はそれを書くことや、
それをバガヴァンの恩寵によるものだと考えるのを止めませんでした。

I suppose my question is, did similar things happen around Maharaj,
and if they did, why did no one ever bother to write them down?

私の質問はつまりこういうことです。 マハラジの周りでも似たようなことが起こったのでしょうか? 
もし起こったのなら、なぜ誰もそのことを書こうとしなかったのでしょうか?

I don’t know how common such events were, but I know that they did happen.
And if similar things did happen to other people, I really don’t know why those who know about these events don’t want to write them down. Let me redress the balance by telling one very long
and very lovely story.

そのような出来事がどのくらいよくあったことなのかは分かりませんが、それが起こったことは知って
います。そしてもし同じような事が他の人々にも起こったのなら、なぜその出来事を知る人たちがそのことを書こうとしないのか、私にはほんとうに分かりません。 あるとても長く、とても素敵な物語を語ること
で、そのバランスを正させてください。

At some point in the late 1970s I was asked to take a South American woman called Anna-Marie
to Bombay and look after her because she hardly spoke a word of English. Her native language was Spanish and I think she lived in Venezuela, but I have a vague memory that this wasn’t her
nationality. I was planning to go to Bombay anyway to see Maharaj, so I agreed to take her and
look after her. Very early on in our journey – we were still in Madras –
I realised that I had been given a bit of a basket case to look after. Anna-Marie was completely incapable of looking after herself, and was incredibly forgetful. Before we had even managed to
get on the train to Bombay, she managed to lose all her money and her passport. By retracing our steps, we eventually tracked them down to a bookstore near the station. Miraculously, the
manager had found the purse and had kept it with him in case we came back looking for it.

一九七〇年代の終わりのある時期に、私はアンナ・マリーという南米の女性を、ボンベイに連れて行って
面倒をみるよう頼まれました。 というのも彼女はほとんど英語を話せなかったからです。彼女の母国語は
スペイン語で、彼女はベネズエラに住んでいたと思うのですが、確か国籍は違ったような記憶があります。
私はいずれにしてもマハラジに会いにボンベイへ行く計画を立てていたので、彼女を連れて行って面倒を
見ることに同意しました。 旅のかなり早い時期に ―― 私たちはまだマドラスにいました ――
私はちょっとどうしようもない人の面倒をみる羽目になったと気付きました。 アンナ・マリーはまったく
自分のことを自分で出来ず、信じられないほど忘れっぽかったのです。 ボンベイ行きの列車に乗るまでに、もう彼女はお金とパスポートをなくしてしまいました。 来た道を後戻りして、私たちは結局、駅の近くの
本屋でそれを見つけ出しました。 奇跡的にも、店長が財布を見つけて、私たちが探しに戻ってくると思って持っていてくれたのです。

A few hours into our train journey from Madras to Bombay Anna-Marie went to the bathroom.
On Indian trains that means a squat toilet which is just a hole in the floor with footrests on either side of it. Anna-Marie was sitting there, doing her business, when the train jolted on the tracks.
Her glasses fell off and disappeared down the hole in the floor. It turned out to be her only pair, and without them she was more or less blind. I realised this later in the day when we stopped at
a station further down the line. Anna-Marie was standing on the platform when the train started to pull out of the station. She made no move to get on.
When I realised what was happening, I jumped off and pushed her onto the moving train.
I had already realised that she was having trouble seeing things, but I didn’t realise how bad things really were until I discovered that she couldn’t see a moving train, with about twenty-five
carriages, that was about ten feet in front of her.

マドラスからボンベイまでの列車の旅を始めてから数時間経った時、アンナ・マリーはお手洗いに行き
ました。インドの列車のトイレというのは、床に穴が空いていて両脇に足台があるだけの、しゃがんでする
タイプのものなのです。アンナ・マリーがそこに座って用を足していたとき、列車が軌道の上で急激に揺れました。 彼女の眼鏡が落ちて床の穴の中に消えてしまいました。それは彼女の唯一の眼鏡であることが
分かったのですが、それ無しでは彼女はほとんど何も見えなかったのです。
私がそのことに気付いたのはその日の遅くになってからで、遥かに路線を下って、私たちが駅に止まって
いた時のことです。 列車が駅を発車し始めた時に、アンナ・マリーはプラットホームに立っていました。
彼女は乗ろうという動きを見せませんでした。 何が起こっているのかに気付いて、私は飛び降りて、動いている列車に彼女を押し込みました。

I had already realised that she was having trouble seeing things, but I didn’t realise how bad things really were until I discovered that she couldn’t see a moving train, with about twenty-five
carriages, that was about ten feet in front of her. I knew that my first priority, once we got to Bombay, would be to get her a new pair of glasses. I remembered that there was an optician
quite near to Maharaj’s house. I had noticed it on previous trips while I was waiting to catch a bus to go downtown.

彼女が物を見るのに難儀していることにはすでに気付いていましたが、十フィートもある二五両ほどの列車が、目の前で動いているのが見えないということを知るまで、私は事の重大さに気付いていませんでした。
ボンベイに着いたら真っ先にしなければならないことは、彼女の新しい眼鏡を買いに行くことだと思いました。 私はマハラジの家のすぐ近くに眼鏡屋があるのを思い出しました。 前回の旅で、繁華街へ行くために
バスを待っていた時にそれに気付いたのです。

Early the next morning, as soon as the shop opened, I took her in to get her eyes tested and to get her some glasses. The test took a long time, partly because of Anna-Marie’s deficiency in
English, and partly because the optician couldn’t work out what her prescription was.

次の日の早朝、店が開くとすぐに、彼女に目の検査を受けさせて眼鏡を手に入れさせるために、私は彼女を店へ連れてゆきました。 検査には長い時間がかかりました。 アンナ・マリーの英語力が足りなかったのも
ありますが、眼鏡屋が彼女にどう処方していいのか分からなかったからなのです。

After about half an hour he came out and said, ‘She needs to go to a specialist eye hospital.
I can’t find out with my instruments here what her prescription might be.
There is something seriously wrong with her eyes, but I don’t know what it is.
Take her to “Such and Such” Eye Hospital.’

三十分ほど後に彼は出てきて言いました。
「彼女は眼科の専門医のところへ行く必要があります。 ここにある私の器機では、彼女に何を処方すれば
いいのか導き出せないのです。 彼女の目には何か深刻な不具合があるのですが、私にはそれが何か分かり
ません。『Such and Such』眼科へ彼女を連れて行きなさい」

Whatever the name was, I had never heard of it. He started to give me directions, but since I didn’t know Bombay, I wasn’t able to follow them. This was when the first ‘miracle’ of the day
happened. It was to be the first of many.

名前がどうであれ、私はそれを聞いたことがありませんでした。 彼は道順を説明し始めましたが、
私はボンベイのことには疎かったので、理解できませんでした。これがその日の最初の「奇跡」が起こった時です。 それが多くの奇跡の始めのものになりました。

‘Don’t worry,’ said the optician, ‘I’ll take you there myself.’

「心配しなくていいですよ」と眼鏡屋は言いました。「私が連れて行ってあげましょう」

He closed his store – there were no assistants to man the counter while we were away – and we set off on a walk across Bombay. We must have walked over a mile before we finally arrived at
the hospital. He took us to the office of an eye surgeon he knew there and explained that his instruments were not sophisticated enough to work out what was wrong with Anna-Marie’s eyes.
He then left us and went back to his store. I have encountered many acts of kindness in all the years I have been in India, but I still marvel at this shop owner who closed down his store for a
couple of hours and then went on a two-mile round-trip walk just to help us out.

彼は店を閉めて ―― 私たちが離れている間、店番をする店員はいなかったのです ―― 私たちはボンベイ
横断の歩き旅に出発しました。 その病院についに到着するまでに、私たちは一マイル以上歩かなければなりませんでした。 彼は彼の知っている眼科医の診療室に私たちを連れて行って、自分の器機はあまり精密で
ないので、アンナ・マリーの目にどんな異常があるのか見い出せないのだということを説明しました。
そして彼は私たちと別れて自分の店へ帰りました。 インドにいた年月の間に数多くの親切な行為に出会い
ましたが、私たちを助けるためだけに自分の店を何時間も閉めて、二マイルを歩いて往復してくれた
この店主には、いまだに私は驚嘆させられるのです。

※ such and such は「これこれの」とか漠然と物を表す言い方だと思います。
「なんとかという眼科」などの訳になるのではないでしょうか。

The eye surgeon set to work on Anna-Marie’s eyes. Even he was impressed by how complicated her eyes were. He tried her out on several machines and gadgets, but like the optician before
him, he failed to come up with a prescription. ‘What is wrong with this woman?’ he asked.
‘How did she end up with eyes like these?’ I shrugged my shoulders. ‘I have no idea.
I barely know her and she hardly speaks any English.’

その眼科医はアンナ・マリーの目の診察に取り掛かりました。 彼でさえも、彼女の目の悪化ぶりには驚いていました。 彼はいくつかの機械や器具を試してみましたが、前の眼鏡屋と同じように、彼も処方を出すこと
はできませんでした。「この女性はどうしたのです?」と彼は尋ねました。「どうしてこのような目に
なってしまったのですか?」 私は肩をすくめました。「分かりません。 私は彼女のことをほとんど
知りませんし、彼女は英語をほとんど喋れないのです」

We went off to a different part of the hospital that, to my untrained eye, seemed to have bigger and fancier machines. This new combination of equipment finally came up with a reading for
Anna-Marie.

私たちはその病院の別の場所へ行きました。 そこには、素人目には、より大きくてより高級な機械がある
ように思えたのです。 それらの装置を新たに組み合わせて使うことで、ついにアンナ・マリーの診断が
下されました。

Our curiosity had been piqued by this long complicated process so we tried through sign language and the few English words she knew to discover how Anna-Marie’s eyes had come to be so
peculiar. After a few false starts she realised what we were asking. It turned out that she had fallen out of a building in South America and had landed on her face. Having watched her
behaviour and activities in the previous two days, I found this to be an entirely believable scenario. I don’t think I have ever come across someone who was so accident-prone.

この長く複雑な過程で好奇心が刺激されていたので、私たちはどうしてアンナ・マリーの目がそんなにも
異常な状態になったのかを、身振り手振りと彼女の知っている数少ない英単語を頼りに探り出そうと
しました。 何度かつまずきながらも、彼女は私たちが尋ねていることを理解しました。 彼女は南米にいる
時にビルから落ちて顔を打ち付けたのだと判明しました。 前の二日間の彼女の振る舞いや行動を見ていた
ので、これは完全に信用できる話だと分かりました。 私はこれまでにこんなにも事故に遭いやすい人には
出会ったことが無いと思います。

Her eyes had been damaged in the fall and had been stitched in various places. As a result of this surgery there were places on the eyeball that had a very eccentric curvature. This accounted for
the first optician’s inability to work out what she needed. Even the big eye hospital took almost an hour to figure out what she needed.

彼女の両目は落下したときに傷つけられ、さまざまな箇所で縫われていました。 この手術の結果として、
眼球にかなり異常な湾曲をもつ箇所がありました。 最初の眼鏡屋が彼女の必要としていることを導き出せ
なかった理由はこれでした。 大きな眼科でさえ彼女が必要としていることを理解するのに一時間近く
かかったのです。

I got to talking to the eye surgeon and discovered that we had a mutual acquaintance in Tiruvannamalai. In fact, he knew quite a few of Bhagavan’s devotees. Like the optician before
him, he decided to take us under his wing.

私はその眼科医と話し始めたのですが、私たちにはティルヴァンナーマライに共通の知人がいるということが分かりました。 実は、彼は多くのバガヴァンの信者を知っていたのです。 前の眼鏡屋のように、
彼は私たちの世話をすると決めました。

‘Where will you go to get this prescription fulfilled?’ he asked.
‘Well, the first man we went to, the one who brought us here, was very helpful to us.
I would like to go back to him to give him the business since he was so kind to us.’

「あなたたちはこの処方箋を持ってどこへ行くのですか?」と彼は尋ねました。
「そうですね、私たちが最初に訪れた人、私たちをここに連れてきた人ですが、彼はとても私たちの力に
なってくれました。 彼は非常に親切にしてくれたので、彼の所へ戻って仕事を頼もうと思っています」

‘No, no,’ said the surgeon, ‘he only has a little shop. He won’t be able to fulfill an order like this.
It is too complicated. I will take you to the biggest optician in Bombay.’

「いやいや」と医者は言いました。「彼は小さな店しか持っていません。
彼にはこのような注文をかなえることは出来ないでしょう。 これは非常に難しいのです。
私がボンベイでいちばん大きな眼鏡屋に連れて行ってあげましょう」

He too closed down his office and took us on another trip across Bombay.
As we walked through the front door of the store he was taking us to, everyone jumped to attention. He was clearly a very respected figure in the eye world.

彼も診療室を閉めて、私たちをボンベイ横断のもうひとつの旅へ連れてゆきました。
彼に連れて行ってもらった店の正面玄関を私たちが歩いて通り抜けた時、皆がさっと気を付けの姿勢になりました。 彼は眼科の世界ではとても尊敬される人物だったのです。

‘These are my friends,’ he announced, waving at us.
‘They have a difficult prescription to fulfill. Please do it as quickly as possible because this woman can’t see anything without glasses. She is virtually blind.’

「私の友人がいるのですが」と、彼は私たちに手を振りながら告げました。
「彼らは難しい処方箋を持っています 。彼女は眼鏡無しでは何も見えないので、出来る限り早く対処して
やってください。彼女は事実上の盲人なのです」

He left us in the hands of the manager of the store and went back to the hospital. The manager’s big, beaming smile lasted as long as it took him to read the prescription. He put it down on the counter and started to talk to us very apologetically.

彼は店長に私たちを任せて病院へ帰りました。 店長の大きな明るい微笑みは、処方箋を読んでいる限りは
続きました。 彼はそれをカウンターに置くと、とても申し訳なさそうに話し始めました。

‘Normally, we keep lenses for every possible prescription here in the store. We have a huge turnover, so we can afford to make and keep lenses that we have no customers for.
Sooner or later somebody will come and buy them, and everyone appreciates the fact that they can get what they want on the spot, without having to wait for anything to be made.
But this prescription is such a ridiculous combination, no one would ever think of making it or keeping it. Until I saw it myself I would have guessed that nobody in the world had eyes that
corresponded with these numbers. We will have to make a special order and that will take a long time because the glass grinders are out on strike at the moment. Even if they go back to work,
it will probably be weeks before we can get them to make an order like this because they already have a lot of pending orders.

「通常なら、あらゆる処方箋に対応するレンズを店に置いているのです。 大きな売上高があるので、
お客様がお求めにならないようなレンズを作って置いておく余裕もあります。 いずれは誰かがそれらを買いに来るでしょう。 そしてどんなものでも、作られるのを待つことなく、その場で欲しいものを手に入れる
ことができるという事を、皆様が高く評価して下さるのです。 しかしこの処方はこのように途方も無い
組み合わせですから、誰も作っておこうとか置いておこうとは思わなかったのでしょう。 私自身もそれを見るまでは、このような数字に一致する目の持ち主は世界中に一人もいないと推測したと思います。
特注で作らなければなりませんが、それには長い時間がかかるでしょう。というのもガラスの研磨職人たちがちょうどストライキ中で居ないのです。 彼らが仕事に戻ったとしても、すでにたくさんの注文を抱えて
いるので、このような注文の品を作らせるにはおそらく何週間もかかるでしょう。

I’m sorry, I can’t help you, and nobody else in the city will be able to help you either because this prescription is just too unusual for anyone to stock.’

申し訳ありませんが、あなたたちのお役には立てません。 この街の誰もあなたたちの力にはなれない
でしょう。 この処方は特殊すぎて誰も在庫を置いていないでしょうから。」

This apology took about five minutes to deliver. While it was going on one of the boys from the store, who obviously didn’t know any English, picked up the paper and went to the storeroom to
look for the lenses. That was his job: to pick up the prescriptions from the front office and find the corresponding lenses in the storeroom. Just as the manager was coming to his conclusion,
the boy reappeared with two lenses that exactly corresponded to the numbers on the prescription. The manager was absolutely flabbergasted.

この弁明は五分ぐらいかかりました。 それが続いている間に、
店の男の子の一人が、彼は明らかに英語をまったく知らない子でしたが、紙を手に取って保管庫へレンズを探しに行きました。 売り場から処方箋を持って行って保管庫で一致するレンズを見つけて来るのが彼の仕事
だったのです。 ちょうど店長が結論に達しようとしていた時、その男の子が二つのレンズを持って戻って
来ました。 それは処方の数値とぴったり一致するものだったのです。 店長は完全に面食らいました。

‘This is not possible,’ he kept saying. ‘No one would make and keep lenses like these.’

「ありえないことです」と彼はまだ言っていました。「誰もこのようなレンズを作って置いておきはしないでしょう」

He finally adjusted the impossibility by saying that someone must have ordered these lenses long ago and had forgotten to collect them.

最終的に彼は、ずっと以前に誰かがこのレンズを注文したのに、取りに来るのを忘れたに違いないと言って前言を訂正しました。

Because we had been declared friends of the great and famous eye surgeon – we had only known him for about two hours – we were given a massive discount and about half an hour later
Anna-Marie walked out of the store wearing what I was absolutely convinced was the only pair of spectacles on planet earth that she could actually see the world through.
Now, was there a miracle in there, or were we just the fortunate recipients of an amazingly serendipitous sequence of events?

私たちは偉大で有名な眼科医の友人だと言われていたので ―― 知り合ってたった二時間ほどだったのですが ―― 大幅に割引をしてもらいました。 そして三十分ほど後にアンナ・マリーは、彼女が実際に世界を
見ることが出来る地球上で唯一の眼鏡を身に付けて、店の外を歩いたのです。さて、ここで奇跡は起きたのでしょうか? それとも驚くべき幸運な出来事がたまたま連続しただけなのでしょうか?

‘I’ decided to pick the initial optician who agrees to close down his store and take us to the one eye surgeon in town who happens to be interested in Ramana, who then takes us, against my wishes,
to the only store in Bombay where lenses can be found for Anna-Marie. I am a bit of a sceptic, and in my jaundiced opinion there are too many good things in that sequence to be attributed to
chance alone.

最初の眼鏡屋を選んだのは私です。 彼は自分の店を閉めて私たちを街のある眼科医に連れて行ってくれました。 その眼科医はたまたまラマナに興味を持っていて、私たちを、私の希望に反して、アンナ・マリーの
ためのレンズを見つけることができるボンベイで唯一の店に連れて行ってくれたのです。
私はどちらかというと懐疑論者ですし、偏った意見かもしれませんが、
ただの偶然と考えるには一連の出来事には良い事が重なりすぎていると思うのです。

My own belief is that when you go to the Guru, the power of that Guru takes care of any physical problems that may arise. He doesn’t do it knowingly; there is just an aura around him that takes
care of all these problems. We never even told Maharaj about Anna-Marie’s glasses.
When we set off that morning, I just assumed that she had fairly normal eyes and that within half an hour or so we would be able to buy some glasses that would bring the world into focus.

私独自の意見なのですが、グルのところへ行く時は、どんな肉体的な問題が生じてもグルの力が対処して
くれるのです。 彼は意図的にそうするわけではありません。彼の周りにこのような問題すべてに対処して
くれるという雰囲気があるだけです。 私はマハラジにアンナ・マリーの眼鏡のことを一言も話しません
でした。 その朝出発した時は、彼女はまったく普通の目を持っていて、三十分かそこらの内に世界に焦点を合わすことのできる眼鏡を買えるだろうと、私は決め付けていたのです。

※ ‘Where will you go to get this prescription fulfilled

細かいところで意訳したのかもしれませんが、get・・・fulfilledが訳出されていなかったので、、、
直訳は、「この処方箋をみたすために、どこへ行かれるんですか?」
分かりやすくすると 「この処方を出してもらいに、どこへ行かれるんですか?」 かなあ。

This was not the end of the story. I told you it was a long one. Anna-Marie was sitting with Maharaj every day for about a week, but of course, she couldn’t understand a word of what was
going on. There was no one there who spoke Spanish. Then, one morning, she appeared very red-eyed and I asked her what was the matter.

これで話が終わったわけではありません。本当にこれは長い話なのです。 アンナ・マリーは一週間ほど
毎日、マハラジと共に座っていましたが、当然彼女は何が話されているのか理解することが出来ませんでした。そこにはスペイン語を話せる人は一人もいなかったのです。そしてある朝、彼女は目をとても赤くして
現れました。 私はどうしたのかと尋ねました。

‘I was up all night,’ she said, in very broken English, ‘praying for a Spanish translator to come today. There is something I have to tell Maharaj, and I need a translator to do it.’

「一晩中起きていたのです」と、彼女は非常につたない英語で言いました。
「今日こそスペイン語の通訳が来ますようにと祈り続けていたのです。私にはマハラジに話さなければならないことがあるのです。そのためには通訳が必要なのです」

Later that morning, as we were all sitting in a cafe on Grant Road in the interval between the end of the bhajans and the beginning of the question-and-answer session, we noticed a new foreign
face at an adjoining table – a woman who was reading a copy of I am That.

その朝遅く、バジャンが終わってから質疑応答セッションが始まるまでの合間に、皆でグラントロードの
カフェに座っていた時、私たちは隣のテーブルに初めて見る外国人がいるのに気付きました。
それは女性で、「I AM THAT」を読んでいました。

We introduced ourselves and discovered that, surprise, surprise, she was a professional Spanish-English translator who worked in Bombay and who had recently come across Maharaj’s
teachings. She had decided in a general sort of way to come and visit Maharaj, but only that morning did her general urge translate into positive action. Anna-Marie, of course, was over the
moon. The translator she had spent all night praying for had miraculously manifested on the next table to her about fifteen minutes before the question-and-answer session started.

自己紹介をし合って分かったのですが、なんと、なんと、彼女はボンベイで働いているプロのスペイン語
通訳で、最近マハラジの教えに出会ったというのです。 彼女はマハラジを訪ねに行こうと漠然と決めては
いたのですが、その日に限って彼女の衝動が実際的な行動に変わったのです。アンナ・マリーはもちろん
大喜びでした。来て欲しいと思って一晩中祈っていたその通訳が、質疑応答セッションが始まる十五分ほど前に、奇跡的に隣のテーブルに現れたのですから。

We all went back to Maharaj’s room, curious to find out what Anna-Marie wanted to say to him.
This is more or less what she had to say via the translator.

私たちは皆マハラジの部屋に戻りました。アンナ・マリーが彼に何を言いたいのか興味津々でした。これはほとんど彼女が通訳を通して言わなければならなかったことです。

‘I was living in Venezuela when I had a dream of a mountain and two men. I found out soon afterwards that one of the two men was Ramakrishna, but for a long time I didn’t know who the
other man was or what the mountain might be. Then, last year, I saw a photo of Ramana Maharshi and realised that this was the second man in the dream. When I did some research to
find out more about him, I soon realised that the mountain in the dream was Arunachala.
In the dream Ramana Maharshi looked at me in a very special way and transmitted a knowledge of his teachings to me. He didn’t do it verbally. He just looked at me, and as he was looking,
I just felt that he was filling me up with an understanding of his teachings, a knowledge that I could articulate quite clearly, even though no words had passed between us.

「ベネズエラに住んでいた時に、私はある山と二人の男性の夢を見ました。後ですぐに、二人の男性のうちの一人はラーマクリシュナであると分かりましたが、長い間、もう一人が誰なのか、その山がどこなのかが
分かりませんでした。そして昨年、私はラマナ・マハルシの写真を見て、この人が夢の中の二人目の男性だと気付いたのです。 彼のことをもっと知ろうと調べ物をしていたとき、夢の中の山はアルナーチャラ山で
あることがすぐに分かりました。夢の中のラマナ・マハルシは非常に特別な見方で私を見つめて、彼の教えに関する知識を私に伝えました。言葉で伝えたのではありません。彼はただ私を見つめただけです。
そして彼が見ている時、私はただ彼が彼の教えの理解で私を満たしてゆくのを感じたのです。私たちの間に言葉は交わされなかったにもかかわらず、私はその知識をとてもはっきりと言い表すことができるのです。

I knew that I had to come to India to find out more about him. I persuaded a friend of mine to bring me here, even though I knew that Ramana Maharshi was no longer alive. I knew I had
some business here and something was compelling me to come. While I was in Tiruvannamalai I heard about you, and I knew that I had to come and see you as well. That same compulsion that
made me come to India to find out about Ramana Maharshi has made me come here as well.
I don’t know what it is, but I knew that I had to come.’

私は彼のことをもっと多く知るためにインドに来なければならないと思いました。ラマナ・マハルシはもう生きていないと知っていましたが、私は友人を説得してここに連れてきてもらいました。何か私のするべき
事がここにあるのだと分かりましたし、何かが私をここに来るよう駆り立ててやまなかったのです。
ティルヴァンナーマライにいる間にあなたのことを聞いて、同じように私はあなたに会いに来なければならないと思ったのです。ラマナ・マハルシを知るために私をインドに来させた同じ衝動が、同じように私を
ここに来させたのです。それが何なのか分かりませんが、私は来なければならないと分かっていたのです」

Maharaj interceded at this point: ‘What were the teachings that were transmitted to you in the dream? What did Ramana Maharshi tell you as he was revealing his teachings in silence?’

マハラジはここで訊ねました。「夢の中で伝えられたのはどんな教えだったのかね? 沈黙の中で教えを
示した時、ラマナ・マハルシは何をあなたに語ったのかね?」

Anna-Marie talked in Spanish for about five minutes without any translation being given by the interpreter. At the end of that period the translator begin to explain what she had said.
We all sat there, absolutely dumbfounded. She gave a perfect and fluent five-minute summary of Maharaj’s teachings. They were quite clearly not Ramana’s teachings but Maharaj’s, and this
woman was giving a wonderful presentation of them. I think it was one of the best five-minute summaries of the teachings I had ever heard. And remember, this was from a woman who was
on her first visit, someone who had had very little acquaintance with Maharaj’s teachings before coming there that day.

アンナ・マリーは通訳なしでスペイン語で五分間ほど話しました。それが終わると通訳が彼女の言ったことを説明し始めました。 そこに座っていた私たち全員が、すっかり言葉を失ってしまいました。
彼女は完璧かつ流暢にマハラジの教えを五分間に要約してみせたのです。それは間違いなくラマナの教えではなくマハラジの教えでした。この女性はそれを見事に説明していたのです。その教えを五分間にまとめた
ものとしては、それは私が聞いた中でも最高のものだったと思います。 そして思い出してください、
これは初めて訪れた女性が言ったことなのです。 その日そこに来るまで彼女はマハラジの教えをほとんど
知らなかったのです。

Maharaj seemed to be as impressed as everyone else there. He stood up, took Anna-Marie downstairs and initiated her into the mantra of his lineage by writing it on her tongue with his
finger. I mentioned earlier that he would volunteer to give out the mantra if anybody wanted it.
If someone asked for it, he would ordinarily whisper it in his or her ear. This is the only case I know in which he gave out the mantra without being first asked, and it is the only instance I know
of in which he wrote it with his finger on a devotee’s tongue. What does all this mean?
I have absolutely no idea. I have long since given up trying to guess or rationalise why Gurus do the things they do.

マハラジもそこにいる皆と同じように感銘を受けたようでした。彼は立ち上がり、アンナ・マリーを階下に連れて行って、彼の一門のマントラを、指で彼女の舌に書くことによって、伝授しました。私は始めのころ
に、もし誰かがマントラを望むなら彼は進んでそれを与えただろうと言いました。もし誰かがそれを頼んだら、彼は通常依頼者の耳に囁いて教えたでしょう。これは私の知る限り、彼が頼まれもしないのにマントラ
を与えた唯一の事例で、またそれは私の知る限り、彼がマントラを指で信者の舌に書いた唯一の実例です。このことは一体何を意味しているのでしょうか? 私にはまったく分かりません。 グルたちのすることに
ついて、その理由を推測したり合理的に説明しようとするのを、私はとうの昔にやめたのです。

That’s a great story! So you would say that Maharaj was looking after the welfare of devotees, in the same way that other great Gurus were?

素晴らしい話ですね! それゆえあなたは、他の偉大なグルたちと同じように、マハラジが信者たちの
幸福に尽力していたとおっしゃるのですね?

I would answer a conditional ‘yes’ to that question. ‘Yes’ because it is the nature of enlightened beings to be like this – they don’t have any choice in the matter because these things go on
around them automatically. However, on a more superficial level the answer might be ‘no’.
If people took their personal problems to him, he might get angry and say that it was none of his business. He didn’t perceive himself as someone who dealt with individual people who had
problems. I saw several people go to him to tell him that they had had all their money or their passport stolen, and his standard response was to tell them off for being careless.

その質問には条件付きで「はい」と答えましょう。そのようにすることは悟りを開いた存在のあるべき姿ですから「はい」と言えます。―― それらのことは彼らの周囲で自動的に起こることなので、彼らに選択の
余地はありません。 しかしながら、もっと表面的なレベルでは答えは「いいえ」になるでしょう。
もし彼のところに個人的な問題を持ち込む人がいたら、彼は怒って、それは自分とは何の関係もないと
言ったでしょう。 彼は問題を抱える個々の人々に対処しようとは思っていませんでした。
彼のところに行って、パスポートや所持金すべてを盗まれてしまったと話す人を何人か見ましたが、
彼の反応はたいてい、不注意であったことを叱るというものでした。

I told him once that I was worried about how much I was sleeping. At the time, though, I did think this was a legitimate spiritual question because I had read many teachers who had said that
it was bad to sleep a lot.

私はかつて、自分は眠り過ぎではないかと心配しているのだと彼に話したことがあります。
しかしその時は、これは正当なスピリチュアルな質問だと思ったのです。 なぜなら私は、多くの教師たちが眠りすぎるのは良くないと言うのを本で読んでいたからです。

His answer, though, was ‘Why are you bringing your medical problems to me?
If you think it is a problem, go and see a doctor.’

しかし彼の回答は、「なぜあなたは医学上の問題を持ち込むのかね? それが問題だと思うなら、
医者のところへ行きなさい」というものでした。

In that particular case his advice turned out to be perfectly correct. I discovered later that I was suffering from a major infestation of hookworm, almost certainly as a result of walking around
India for years with no footwear. Hookworms eat red blood cells and if they get out of control, they eat more than the body can produce.

この場合に限れば、結果的に彼の助言は完全に正しかったのです。私は十二指腸虫の大量発生に苦しめられていたのだと、後で分かったのです。 それはほぼ確実に、履物を履かずに何年もインド中を歩いていた
結果でした。 十二指腸虫は赤血球を食べるのですが、もし増殖を食い止めることができなくなれば、
体が作り出せる以上に食べてしまうのです。最終的には重い貧血となって、いつでも倦怠感や眠気を感じることになるのです。

Eventually, you get very anaemic, which means feeling tired and sleepy all the time. So, in this particular case, what appeared to be a cranky, dismissive answer was the most useful thing he
could say. I would say that the Self put the right words into his mouth at the right moment, but at the time neither of us knew just how right they were.

ですからこの場合は、一見意地が悪く、はねつけるように見えた回答は、彼が言うことのできる最も有用なものだったのです。 真我が正しい言葉を正しい時に彼の口に置いたのでしょうが、その時点では私たちは
二人ともそれがいかに正しいのか分かっていませんでした。

Despite his generally irritable response when people went to him for personal help, I think he was fully aware that he was looking after all his devotees’ well being, even though it may not have
looked that way a lot of the time.

人々が個人的な助けを求めてやって来た時、彼はいつもいらいらした反応をしましたが、彼は自分が
信者すべての幸福に尽力していることを完全に承知していたと私は思います。 多くの場合、そのようには
見えなかったかもしれませんが。

Again, can you give me an example of this, or is this just guesswork?

またもやですが、何か例を挙げてもらえますか? それともそれはただの当て推量なのですか?

I remember a large fat man from Madras who came to see Maharaj with what he said was a problem: ‘I have been doing japa for many years and I have acquired siddhis as a result.
If I am very pleased with someone, very good things happen to him or her automatically.
I don’t think about it or do anything. It just happens by itself. But if I get angry with someone, the opposite happens. Very bad things happen, and sometimes the person even dies.
How can I stop these things from happening?’

マドラスからマハラジに会いに来た大柄の太った男のことを思い出します。 彼の言うことが問題でした。
「私はジャパ(念誦、マントラや神の名を繰り返し唱えること/訳注)を長年にわたって行ってきたのですが、その結果としてシッディ(超能力、神通力、奇跡を起こす神聖な力/訳注)を得ました。
もし私が誰かをとても喜ばせたら、とても良いことがひとりでに彼らに起こるのです。私はそれについて
何も考えませんし、何もしないのです。それはただ自然に起こるのです。しかし、もし私が誰かに腹を立てたなら、その反対のことが起こるのです。 とても悪いことが起こって、時にはその人が死ぬことさえある
のです。 このようなことが起こらないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?」

Maharaj told him, ‘All these siddhis have come on account of your japa. If you stop dong the japa, the siddhis will also stop.’

マハラジは彼に言いました。「それらすべてのシッディはあなたのジャパから来たのだ。ジャパをやめればシッディも止まるだろう」

‘I don’t think I can do that,’ replied the man. ‘The japa has taken me over so completely, it is no longer voluntary. It just happens by itself whether I want it to or not.’

「そうできるとは思えません」とその男は答えました。「ジャパはもう完全に私を支配して、もはや意志は働かないのです。 私が望もうと望むまいとそれは勝手に起こるのです」

Maharaj repeated his advice, but the man wasn’t interested in carrying it out. He looked very pleased with himself and I got the feeling that he had just come there to show off his
accomplishments. My opinion was confirmed when he announced that he was now willing to answer questions from anyone in the room. He hadn’t come there to receive advice, he had come
to give it out.

マハラジは同じ助言を繰り返しましたが、その男はそれを実行することに興味を示しませんでした。 彼は
とても自分自身に満足しているように見えましたし、私は彼がただ自分の力を見せびらかすためだけにここへ来たのだと感じました。 この部屋に質問がある人が居るならこの場で答えてもいいと彼が言ったので、
私の見解は立証されました。 彼は助言をもらうために来たのではなく、それを発表するために来たのです。

Maharaj asked him to leave and said that if he was really interested in his teachings he could go in the evening to the house of one of his women devotees, a Sanskrit professor who sometimes did
translations for him, and she would explain them to him. He was told not to come back to the room. I suspect that Maharaj wanted to keep him away from us because there was something
strange and threatening about him. I am not a very psychic kind of person but I could definitely feel an unpleasant energy coming off this man. It was something that made me feel physically
queasy. He really did have an aura of bad energy around him. I checked with some of the other people afterwards, and some of them had felt the same way.

マハラジは彼に出て行くように言い、もし本当に自分の教えに興味があるなら、信者の一人に
サンスクリット語教授の女性がいて、時々彼の翻訳もしているので、彼女がそれを説明してくれるだろう
から、夕方に彼女の家に行けばいいと言いました。 彼はその部屋には戻って来ないようにと言われました。
マハラジは彼を私たちから遠ざけておきたかったのではないかと私は思っています。 というのも彼には
何か異様な、脅迫するような感じがあったからです。 私は霊感が強い人間ではないのですが、その男から
出る嫌なエネルギーを確かに感じることができました。それは何か吐き気を催させるような感じのするものでした。 あとで他の人にも尋ねてみたのですが、同じように感じた人も何人かいました。

All this took place in a morning session. That evening the Sanskrit professor showed up an hour late, looking very flustered. Maharaj immediately wanted to know what was going on.

このことは朝のセッションで起こりました。 その日の夕方、サンスクリット語の教授が一時間遅れて、
ひどくいらいらした様子で姿を現しました。 マハラジはすぐに、何があったのかを知りたがりました。

‘This man from Madras came to my house and I couldn’t get him to leave. I told him that it was
time for me to come here, but he wouldn’t get up and go. I didn’t really want to force him to go. He might have got angry with me, and then I might have died.’

「マドラスから来た男が私の家へ来たのですが、帰らせることができなかったのです。私はここに来る時間だからと言ったのですが、彼は席を立とうとはしなかったのです。私はほんとうは彼を無理矢理帰らせたく
なかったのです。 彼を怒らせたら私は死んでいたかもしれないのです」

Maharaj appeared to be outraged. He puffed out his chest like a fighting cock going into battle and announced, very angrily, ‘No one can harm my devotees. You are under my protection.
This man cannot do you any harm. If he comes to talk to you again, throw him out when it is time for you to come here. Nothing will happen to you.’

マハラジは激怒したようでした。彼は戦いに向かう闘鶏のように胸を膨らませて、とても怒って皆に言ったのです。「誰も私の信者に危害を加えることはできない。あなたたちは私に守られている。あの男はあなた
たちにどんな危害も加えることはできない。もし彼が再びあなたと話しに来たときは、ここに来る時間に
なったら彼を追い出しなさい。あなたには何も起りはしないだろう」

This was the only occasion when I heard Maharaj make a strong public declaration that he was protecting and looking after his devotees.

マハラジが彼の信者を守っていることや面倒を見ていることを、強く公に告知するのを私が聞いたのは
この時だけです。

Maharaj himself had no fear of people like this. He told us once about a yogi who had come to his beedi shop to test his powers. This yogi apparently had many siddhis and he came to see if
Maharaj, of whom he had heard great things, could match him. Maharaj just went about his business in the shop and refused all challenges to show off what he could do. Eventually, in an
attempt to provoke him into doing something, the yogi said that he would curse him and make something very bad happen to him.

マハラジ自身はそのような人々を恐れていませんでした。彼はかつて、あるヨギ(ヨガの行者)が彼の力を試しに彼の煙草屋へやって来たときのことを話しました。 このヨギはどうやら多くのシッディを得たよう
で、偉大であると聞いていたマハラジが、自分に敵うかどうかを見に来たのです。マハラジは店の商売に
精を出すばかりで、ヨギが自分の力を見せびらかすための挑戦をすべてはねつけました。最終的にそのヨギは、彼を挑発して何かをさせようと企て、彼を呪って何かとても悪いことを起こさせると言ったのです。

Maharaj apparently looked at him with complete unconcern and said, ‘You may be able to pull down a thousand suns from the sky, but you can’t harm me and you don’t impress me.
Now go away.’

マハラジは完全に無関心な様子で彼を見ながら言ったそうです。
「あなたは空から千の太陽を引き降ろすことができるかもしれないが、私に危害を加えることはできないし、あなたが私を感動させることもない。 さあ、立ち去るがいい」

What about you? Were there any instances when you felt that he was looking after you, taking care of your physical well being as well as your spiritual health?

あなたについてはどうですか? 彼があなたの面倒を見て、あなたの霊的な健康と同様に肉体面での健康にも留意していると、あなたが感じた時はあるのですか?

There is nothing remotely as spectacular as Anna-Marie’s visit, but I can tell you the story of one trip I made to see him. There are a few incidents on the way that are nothing to do with what
you are asking, but by the time I get to the end, you will realise what it is all about.

アンナ・マリーが訪れた時のような劇的な話は無いのですが、ある旅で彼に会いに行こうとした時のことを話しましょう。 あなたが尋ねていることとは関係の無い出来事が途中で二、三出てきますが、話が終わる
までにはそれがどういうことか分かるでしょう。

In 1980 I wanted to see Maharaj but I had no money at all. I couldn’t afford the train ticket, and I definitely couldn’t afford to stay in Bombay for more than a day or two. I accepted an invitation
to give a talk about Bhagavan at a seminar in Delhi on condition that I could come back via Bombay. My train ticket was paid for by the organisers, so that took care of the transport
arrangements. My meagre funds would allow me two days in Bombay, so I booked the tickets according. In India you have to book your train tickets at least seven to ten days in advance in
order to get the train you want.

一九八〇年のことです。 私はマハラジに会いたかったのですがお金がまったくありませんでした。
列車の切符を買う余裕もなく、ボンベイに一日か二日以上滞在する余裕はまったくありませんでした。
私はデリーのセミナーでバガヴァンについての講演をするよう招待されたのですが、ボンベイ経由で帰れることを条件に応じました。列車の切符は主催者が支払ってくれたので、移動の手はずを整えることができ
ました。私の乏しい所持金ではボンベイに二日間滞在するのが限度だったので、そのように切符を予約しました。 インドでは、望みの列車に乗ろうと思ったら少なくとも七日から十日前には切符を予約して
おかなければならないのです。

I made my speech in Delhi and then took the train to Bombay. On the suburban train that ran from the main Bombay station to Grant Road I had all my money, my passport
(actually a temporary travel document that was given to me while I waited for a new passport)
and my onward train ticket stolen. It was a classic piece of work. There is always a crush as everyone piles into the carriage at the same time. In the general scrummaging someone
managed to slit the bottom of my bag and remove my wallet. My first reaction was actually admiration. It had been such a slick, professional job. The slit was only about half an inch bigger
than the size of the wallet, and the whole operation had been in carried out in a couple of seconds while I was trying to ensure that I got onto the train.

私はデリーで講演してから、ボンベイ行きの列車に乗りました。ボンベイの中心駅からグラントロードへ
走る郊外列車で、私はすべてのお金とパスポート(実際には、新しいパスポートを待っている間に与えられ
た仮の旅券)と帰りの列車の切符を盗まれてしまいました。それは典型的な手口でした。皆が同時に客車にどっと乗り込む時に、いつも押し合いへし合いがあるのですが、そのどさくさに紛れて誰かがまんまと鞄の
底に切れ込みを入れ、財布を抜き取ったのです。私の最初の反応は、実は賛嘆でした。それはたいへんに
巧妙な、プロの仕事でした。その切れ込みは財布の大きさより半インチほど大きいだけでしたし、すべての犯行は、私が列車に乗り込もうとしていた数秒の間に実行されたのです。

Fortunately, my local train ticket was in my shirt pocket. In those days there was a Rs 10 fine (about 20 cents US at today’s rate) for ticketless travel, and I wouldn’t have been able to pay it if I
had been unable to produce a ticket at my destination. When I arrived at Grant Road, I didn’t even have that much money to my name. I think I had just over a rupee in loose change in one
of my trouser pockets. That constituted my entire worldly wealth. I walked to 10th Lane, Khetwadi, the alley where Maharaj lived and invested all my change in a cup of tea and a morning
newspaper. It was very early in the morning and I knew that it would be a couple of hours before anyone I knew showed up. I didn’t want to go in and tell Maharaj that I had been robbed
because I had seen how he had reacted to other people in that situation. I was hoping to float a loan from someone I knew and then find a floor to sleep on, because without a passport,
I wouldn’t be able to check into a hotel.

幸運なことに、郊外列車の切符はシャツのポケットの中にありました。そのころは無賃乗車をすると
十ルピー(今日のレートで約二十セント)の罰金でしたが、到着駅で切符を出すことが出来なかったら、
私はそれを払えなかったでしょう。グラントロードに到着した時には、それほどのお金すら持っていな
かったのです。ズボンのポケットに小銭で一ルピー余りしか持っていなかったと思います。 それが私の
全財産となりました。私はマハラジの住んでいたケートワーディの十番通りを歩いて、一杯のお茶と朝刊に小銭のすべてを使いました。それはまだ朝のとても早い時間で、知り合いが現れるまで二、三時間はかかる
だろうと思われました。 私はマハラジの所へ行って盗難に遭ったことを話したくはありませんでした。
なぜなら、このような状況で彼がどう人々に反応したかを知っていたからです。私は誰か知り合いにお金を借りてから、どこか眠るための場所を見つけようと思っていました。 パスポート無しではホテルに
チェックインできなかったからです。

Jean Dunne showed up around the time I expected and I told her what had happened.
I knew her well because she had lived in Ramanasramam for a couple of years before she started to visit Maharaj in Bombay. She lent me a few hundred rupees, which I assumed would be
enough to have a couple of days in Bombay and get back to Tiruvannamalai. I planned to go to the train station later that morning and get a new copy of my onward ticket issued. Maharaj,
though, had other plans for me.

予想どおりの時間にジーン・ダンが来たので、私は何が起こったのかを話しました。 彼女はボンベイに
マハラジを訪れ始める前に、二、三年ほどラマナアシュラムに住んでいたので、私は彼女のことをよく
知っていました。 彼女は何百ルピーかを貸してくれました。それだけあればボンベイで二、三日過ごして
ティルヴァンナーマライに帰るのに充分だと思われました。私はその朝遅くに駅へ行って、帰りの切符を
新たに発行してもらうという計画を立てました。 しかしながらマハラジは私のために別の計画を用意して
いたのです。

Someone told him that I had been robbed on the suburban train and I braced myself for the expected lecture. Instead, he was astonishingly sympathetic. He spoke to one of his attendants,
a bank officer, and asked him to put me up for the duration of my visit. I ended up in a very nice house in quite a good area of Bombay. Quite a change from the bug-ridden lodges that I usually
had to frequent.

誰かが彼に私が郊外列車で盗難に遭ったことを話したので、私はきっと説教されるだろうと心構えをしました。しかし彼はそうはせず、驚いたことに同情したのです。 彼は出席者の一人のある銀行員に話して、
私が訪れる間は私を泊めるようにと彼に頼みました。 私はボンベイの一等地のとても素敵な家へ行くことになりました。 いつも出入りしなければならなかった虫だらけの宿屋とは大違いでした。

Later that morning I went to V. T. Station to get a new ticket. Much to my amazement, there was no record of my name on any of the trains that were leaving for Madras. In those days there
were no computers; all bookings were made by hand in big ledgers. A very civilised and sympathetic railway official (you don’t meet many of them when you are not on Guru business in
India!) took a couple of hours off to pore over all the ledgers to find out the details of my ticket.
There are about 750 people on each train and I think there were three or four trains leaving for Madras on the day that I planned to leave.

その朝の遅くに、私はVT駅へ切符を再発行してもらいに行きました。たいへん驚いたことに、マドラス
行きのどの列車にも私の名前の記録はありませんでした。当時はコンピュータは無かったので、予約は
すべて大きな台帳に手書きで記録していました。とても上品な思いやりのある鉄道職員が(インドではグルの関わりがなければそういう人に会うことはほとんどないのです!)私の切符の項目を見つけ出すために
二時間以上かけて台帳すべてを詳しく調べてくれました。列車ごとに約七百五十人がいましたし、
私が発とうと計画していた日にマドラスへ向かう列車は三、四本はあったと思います。

After scanning over 2,000 names for me, he regretfully announced that I didn’t have a reservation on any of the trains that were leaving that day. I began to suspect that some power wanted me
to stay in Bombay because mistakes like this are very rare in the railway booking system.
In the twenty-seven years I have been using the trains here, I have never ever arrived at a station and discovered that my booked ticket simply didn’t exist. I had no alternative except to go and
buy a new ticket, which I did with the funds I had borrowed from Jean. The next train with a vacant berth wasn’t leaving for over two weeks, which meant that I had that much time to spend
with Maharaj.

私のために二千の名前を調べたあとで、彼は残念そうに、その日に出発するどの列車にも私は予約を入れていないと告げました。私は何かの力が私をボンベイにとどまらせたがっているのではないかと思い始めまし
た。なぜならこのような手違いは鉄道の予約システムではとても稀だからです。二十七年の間、私はここで列車を使ってきましたが、駅に到着して自分の予約した切符がまったく存在しなかったことなど決してあり
ませんでした。私は新しい切符を買いに行くよりほかなかったので、ジーンから借りた資金でそうしました。空席の寝台のある次の列車は二週間以上出発していなかったので、マハラジとそれだけ多くの時間を
過ごせることになりました。

I had come with very little money, expecting a two-day flying visit. Instead, courtesy of Maharaj and a mysterious event in the railway booking office, I had a luxurious two-week stay in a
devotee’s house.

私はほとんどお金を持たずに来たので、二日間のあわただしい滞在になると思っていました。しかしそれどころか、マハラジと切符売場での不可思議な出来事のおかげで、私は信者の家で快適に二週間滞在すること
ができたのです。

I made my way back to Maharaj’s house and found that someone had told him about the talk on Ramana Maharshi’s teachings I had given in Delhi a few days earlier. That was something else
that I wanted to keep quiet about. Maharaj had strong views on unenlightened people giving public speeches about enlightenment. I had only agreed to do it so that I would have a chance of
coming to see him, but I suspected that this wouldn’t be a good enough excuse for him.

私はマハラジの家へ戻って行ったのですが、私が数日前にデリーで行ったラマナ・マハルシの教えについての講演のことを、誰かが彼に話したということを知りました。それについてはなるべく黙っていたかったの
です。マハラジは悟っていない人々が悟りについて公に話すことに対して厳しい意見を持っていました。
私はただ彼に会いに来る機会を得られそうだからそれを引き受けたのですが、彼にとってはそれは言い訳にもならないだろうと私はうすうす感じていました。

I discovered that he had found out about the talk because when I walked into his room he called me and asked me to come to the front of the room. I went up and sat facing him in the place
where the questioners would usually sit. ‘No, no,’ he said, ‘sit next to me, facing all the other people.’ My spirits sank. I knew that I wouldn’t enjoy whatever he had in mind.

その講演のことを彼が聞いたのだと分かったのは、彼の部屋に入っていった時、彼が私を呼んで部屋の前へ来るように言ったからです。私は進み出て、質問者がいつも座る位置に彼と向き合って座りました。
「違う違う」と彼は言いました。「私の隣に座りなさい。他の人たちの方を向いて」 私はげんなりしました。 彼のしようとしていることが何であれ、私には楽しめそうにないと思われました。

‘Look at my little room,’ he began. ‘Only about thirty people come to listen to hear me speak. But David here has just been giving spiritual talks in Delhi. Hundreds of people apparently came
to listen to him, so he must be much better at it than me. So today David will give a talk for us.’

「私の小さな部屋を見てみなさい」と彼は言い始めました。「私の話を聞きに来たのはたった三十人かそこらだ。しかしここにいるデーヴィッドはデリーで霊的なことについての講演をしてきたばかりだ。なんでも
何百人もの人々が聞きに来たそうだから、彼は私よりも優れているに違いない。だから今日はデーヴィッドから私たちに話をしてもらおう」

This was worse than anything I could have imagined when he called me up. I tried unsuccessfully to wriggle out of his invitation, but when I realised that he wasn’t going to back down, I gave a
five-minute summary of the paper I had read out in Delhi. It was about the unity between the practices of surrender and self-enquiry in Bhagavan’s teachings. One of the translators asked me
to go slowly so that he could give a running translation for Maharaj. Through the duration of the talk Maharaj was glaring at me very intently. I think that he was waiting to pounce on me if I
made some comment that he didn’t agree with. I made it to the end of my summary without being interrupted by any scathing comments from Maharaj. I thought that this in itself was quite
a major accomplishment.

これは私が彼に呼ばれた時に想像していたよりも遥かに悪いことでした。彼の提案をなんとか誤魔化そうとしましたがうまくいきませんでした。彼は引き下がるつもりはないと分かったので、私はデリーで読んだ
原稿を五分に要約して話しました。それはバガヴァンの教えの中の、放棄の修練と自己探求の統一に関する話でした。通訳の一人が、マハラジのために同時通訳するのでもっとゆっくり喋って欲しいと私に言いまし
た。話の続いている間、マハラジはじっと私を睨みつけていました。何か彼の気に入らないことを私が
言ったら、激しく非難しようと待ち構えているのだと思いました。マハラジの容赦ない批評に遮られることなく、私は話を終えました。それ自体はとてもうまくいったと思いました。

After my conclusion he looked at me and said in a fairly mild tone, ‘I can’t quarrel with anything you said. Everything you said was correct.’

私が話し終えると彼は私をじっと見つめてまったく穏やかな口調で言いました。
「あなたの言ったことにまったく異議はない。 あなたの言ったことはすべて正しい」

Then he fired himself up and said very strongly and forcefully, ‘But don’t go around giving talks about how to get enlightened unless you are in that state yourself. Otherwise, you will end up like
that Wolter Keers.’

そのすぐあとに彼は憤激して、とても強く激しい調子で言ったのです。
「しかしあなた自身が悟っていないのに、悟りを得る方法を話したりしてはならない。さもないと、
あなたもウォルター・キアーズのようになってしまうだろう」

I have already told you what he thought of Wolter Keers and his teaching activities. That was a fate I was determined to avoid. All this took place twenty-three years ago. I haven’t given a
public talk since then.

彼がウォルター・キアーズとその教育活動についてどう考えていたかはすでにお話したとおりです。
私はその運命を避けるよう決心させられました。 これは二十三年前の出来事ですが、それから私は公開の
講演をしていません。

I need to fast forward a bit here and get to the end of the story. I arrived back in Tiruvannamalai more than two weeks later. I had no income, no prospect of receiving any money from anyone,
and I had a debt of several hundred rupees that I owed to Jean. I went to work the next morning in the ashram library and found an orange envelope on my desk with my name on it. I opened it
and found a bundle of rupee notes inside. I counted them and discovered that it was exactly the same amount that had been stolen from me in Bombay: not a rupee more, not a rupee less.
There was no mention of who had put the money there, and no one ever came forward to say that he or she was the person responsible. So far as I was aware, no one in Tiruvannamalai even
knew about the theft. I hadn’t told anyone, and I had been back in Tiruvannamalai less than twenty-four hours when the envelope appeared.

話の結末に行くのに、ここで少し話を飛ばす必要があります。 私は二週間あまり後に
ティルヴァンナーマライに戻って来ました。私は収入が無く、誰かからお金を受け取る見込みも無く、
そしてジーンから借りた数百ルピーの借金がありました。次の日の朝、私はアシュラムの図書館に仕事をしに行ったのですが、私の机の上に私宛てのオレンジ色の封筒があるのを見つけました。開けてみると中には
ルピー紙幣の束が入っていました。数えてみるとボンベイで盗まれたのとまったく同じ額だったのです。
一ルピーの多寡もありませんでした。誰がそこにお金を置いたのか何の手がかりもありませんでしたし、
その後も自分が置いたのだと名乗り出る人はいませんでした。私が知る限りでは、ティルヴァンナーマライにはその盗難のことを知っている人は一人もいませんでした。 私は誰にも話しませんでしたし、
ティルヴァンナーマライに戻ってから二十四時間経たないうちにその封筒は現れたのです。

I think this whole episode was orchestrated by the power that looks after the affairs of devotees who have a strong urge to be with a Guru. This power took me to Bombay, stole my money and
ticket, removed all traces of my booking from the railway ledgers, arranged excellent accommodation for me for more than two weeks, brought me back to Tiruvannamalai, where it
then returned all my money to me via an anonymous donor.

この出来事全体は、グルとともに居たいと強く願う信者たちを導いている力によってお膳立てされたのだと私は思います。この力が私をボンベイへ連れてゆき、お金と切符を盗ませ、鉄道の台帳から私の予約の形跡
をすべて消し去って、私のために二週間以上もすばらしい宿を手配し、ティルヴァンナーマライまで連れて帰ってから、匿名の寄贈者を通じて私のお金をすべて返してくれたのです。

Where did you normally stay when you went to Bombay? What did other visiting devotees do for accommodation? Where did you all eat and sleep? I ask this because there was no ashram or
centre where all of Maharaj’s devotees could stay.

ボンベイに行った時、いつもはどこに泊まっていたのですか? よそから来た他の信者たちは宿はどうしていたのですか? あなたたちは皆どこで飲食したり寝泊りしたのですか? 私がこう尋ねるのは、マハラジ
の信者たちが全員泊まれるようなアシュラムや施設は無かったからです。

It depended on how well off you were. Bombay has always been an expensive place to live in.
If you didn’t have much money, your choice was very restricted. Some of my friends used to stay at a Buddhist ashram, but that involved participating in a lot of their rituals, which was something
many of us didn’t want to do because some of the timings clashed with Maharaj’s sessions.

それはどれだけ裕福であるかによりました。 ボンベイは昔から住むのには高くつく土地だったのです。
お金を多く持っていないなら、選択肢は非常に限られました。 私の友人の何人かは仏教徒の寺院にいつも
泊まっていましたが、それには仏教徒たちの多くの儀式に参加せねばならず、そうするとマハラジの
セッションと時間的に重なってしまうこともあるので、私たちの多くは敬遠していました。

There were some other cheap options that were either a long way away or which also involved participating in some activity you didn’t want to, or submitting to strange rules that were not
convenient. I avoided all these places and always stayed at a cheap lodge that was about 200 yards from Maharaj’s house, on the same alley. It was called the Poornima, and many of us who
were short of money ended up there. I seem to remember that it was Rs 22 for a double room, an amazing price for Bombay even in those days. A couple of streets away there was a place that
served cheap lunches to local people who were working in the area. It was made of mud and there were no chairs or tables. However, you could get a great lunch there – chapattis, dhal, and
vegetables – for Rs 1.40. I can’t remember the exchange rate in those days. I think it may have been about twelve rupees to the dollar. That should give you some idea of the prices.

他にもいくつか安上がりの選択肢がありました。それはどこか遠い所まで行くか、何かやりたくない活動に参加しなければならないか、不便な慣れない規則に従うかのどれかでした。私はそんな場所はすべて避け
て、マハラジの家から二百ヤードほど離れた、同じ路地にある安宿にいつも泊まりました。
そこはプールニマという名で、お金の不足している人の多くはそこに泊まることになりました。確かダブルの部屋で二十二ルピーという、当時のボンベイでも驚くべき値段だったと思います。何通りか先に、
その地域で働いている地元の人々に安価な昼食を提供している場所がありました。そこは泥で作られていて椅子もテーブルもありませんでした。しかしそこでは、チャパティ(インドのパン/訳注)やダール
(レンズ豆のカレー/訳注)、野菜などの素晴らしい昼食を、一・四ルピーで食べることができるのです。
当時の為替レートは覚えていませんが、おそらく一ドル二十ルピーぐらいだったと思います。
これでおおよそどのくらいの値段かが分かるでしょう。

Maharaj would always ask where you were staying when you first went to see him. If you said ‘Poornima’ he knew you were either short of funds or being very careful about spending them.
He clearly approved of people who didn’t waste money, and who got good bargains when they went out shopping. He had spent his whole life being a businessman who knew the value of a
rupee, and it irked him considerably to see foreigners wasting money or getting cheated.

マハラジに初めて会いに行った人には、どこに泊まっているのかと彼はいつも尋ねていました。
もし「プールニマ」ですと言ったら、お金があまりないか、お金を使うことにとても慎重になっているかのどちらかだと彼には分かったのです。彼はお金を浪費しない人たちや、買い物に行ったときに安く品を手に
入れる人たちを明らかによしとしていました。彼は人生のすべてを商売人として過ごしたのでルピーの価値を知っていましたし、外国人たちがお金を浪費したり、ごまかされたりするのを見て相当うんざりしていたのです。

One morning when I was there visitors were offering flowers and sweets to him. People would bring flowers to decorate the portraits for the Guru puja that took place every morning, and some
people brought sweets that would be distributed as prasad at the end of it. That day, three foreign women were standing in front of him with flowers that had stems, which meant that they
were hoping he would put them in the vases that were kept near him. He asked the first one how much she had paid, and when she told him he was shocked. He got angry with her, said that she
had been cheated, and refused to accept the flowers. The second woman suffered the same fate. The third woman’s flowers were accepted because she had done a little bargaining and had
got the price down to a reasonable amount. Devotion didn’t seem to be a factor when it came to getting your flowers accepted. The best way to get your flowers in his vase was to bargain
ferociously for them and get a price that would satisfy him.

ある朝私がそこにいた時、訪問者たちが彼に花と菓子を捧げていました。毎日行われているグルのプージャ(礼拝、儀式/訳注)のために、肖像を飾ろうと花を持ってきたり、その終わりにプラサード(神や聖者に
捧げた食べ物のお下がり/訳注)として配られる菓子を持って来る人がいたのです。 その日、三人の
外国人女性が茎のある花を持って彼の前に立ちました。それは彼女たちが彼の傍にいつも置いてある花瓶に花を挿して欲しがっていることを意味していました。 彼は一人の女性にいくら払ったのかと聞いたのです
が、彼女の答えに彼は衝撃を受けました。彼は怒って、彼女は騙されたのだと言って花を受け取るのを拒みました。二人目の女性も同じ目に遭いました。三番目の女性の花は受け入れられました。彼女は少し交渉し
てほどよい額に値段を下げてもらっていたからです。 花を受け入れてもらえるかどうかに信心は関係ないようでした。 彼の花瓶に花を挿してもらおうと思ったら、猛烈に交渉して彼を満足させる値段にするのが
一番の方法でした。

Now the subject of flowers has come up, I have to digress a little mention the bhajan and the Guru puja that took place between the meditation and the question-and-answer session. It was the
only occasion when Maharaj would allow people to garland him. After he had been garlanded, he would stand in the middle of the room, banging cymbals to the tune of the bhajan that was being
sung. Mostly, his eyes would be closed. At the beginning he would start off with small finger cymbals one or two inches in diameter. As the bhajan hotted up he would move on to bigger and
bigger cymbals which would be passed on to him by an attendant. The biggest pair were almost the size of garbage can lids. They were huge and the noise they made was ear-splitting.
You could hear them several streets away.

今、花の話題になったので、少し脇道にそれて、瞑想と質疑応答セッションの間に行われたバジャンと
グルのプージャについて少し触れておかなければなりません。それは人々がマハラジに花輪をかけることを許された唯一の機会でした。花輪をかけられた後に彼は部屋の中央に立って、歌われているバジャンの曲に
合わせてシンバルを打ち鳴らしていました。たいてい彼の目は閉じられていました。最初に彼は直径一、二インチ(約二・五~五センチ/訳注)ほどの指シンバルから始めました。バジャンが熱を帯びるにつれて、
従者に手渡されながら、彼はだんだんと大きなシンバルへと移ってゆきました。 一番大きなものは
ごみバケツの蓋ぐらいの大きさでした。 それは巨大なもので、耳をつんざくような音がしました。
それは何通りか先でも聞こえました。

When Maharaj moved on to this biggest set of cymbals, he would already be wearing so many garlands, they would be sticking out in front of him, sometimes to a distance of about two feet.
It wasn’t possible to bang the biggest cymbals without utterly destroying the garlands. Maharaj would bang away with his eyes closed, and every time the cymbals came together petals would fly
off in all directions. By the time it was all over, the floor would be covered with fragments of the flowers he had shattered and sprayed all over the room. It was a beautiful sight and I never got
tired of watching him smash his cymbals together and spray flowers in all directions.

マハラジがこの一番大きな一対のシンバルに移った時には、彼はすでにとてもたくさんの花輪を身に帯びていて、それは彼の前に突き出ていて、時には二フィート(約六十センチ/訳注)ほどにもなりました。
花輪をまったく壊さずに一番大きなシンバルを叩くのは不可能でした。マハラジは目を閉じてやかましく
音を立て、シンバルが打ち鳴らされる度に花びらが四方八方に飛び散りました。それがすべて終わる時までには、彼が部屋中に撒き散らした花の断片で床は覆われていました。それは美しい光景で、私は彼が
シンバルを叩いて四方に花を撒き散らすのを見飽きることはありませんでした。

Let’s get back to his parsimonious habits. I stayed at the Poornima on a visit I made in 1979.
I was spending two weeks with Maharaj before flying back to England to visit my family for the first time since I had come to India in 1976. My mother had sent me a ticket, feeling, possibly
with some reason, that if she didn’t pay for my trip, I might never come home again.
I had accumulated orders for copies of I am That from friends in England. The British price was about ten times the price of the Bombay price, so all the Maharaj devotees I knew in England had
put in orders for cheap copies. I appeared in Maharaj’s room with this huge pile of books and asked him to sign them all for the people who were waiting for them in England.

彼のけちな習癖の話に戻りましょう。 一九七九年の訪問の際、私はプールニマに泊まりました。
二週間マハラジと共に過ごしていたのですが、それは一九七六年にインドに来て以来初めて、家族に会いに英国へ帰る前のことでした。私の母が切符を送って来たのです。おそらくなんらかの理由で、彼女が旅費を
払わなければ、私は二度と家へ帰って来ないと感じたのでしょう。 私はイギリスの友人たちから
「I AM THAT」 を何冊も注文されていました。 英国での価格はボンベイの約十倍だったので、英国にいる
私の知人のマハラジ信者たちは皆、安い版を求めて注文してきたのです。 私は本の山を持って
マハラジの部屋に行き、英国で待っている人たち全員のためにサインをして欲しいと彼に頼みました。

He looked at me very suspiciously and said, ‘I thought you had no money. How could you afford to buy all these books?’ I explained: ‘They are not for me. They are for people in England who don’t want to pay the British price. They have sent me money to bring them Indian copies.’ When I told him the retail price in London he was truly horrified. ‘Take as many as you can! No one should pay that price for a book!’ He pulled out his pen and happily autographed all the books.

彼はとても怪訝そうに私を見て言いました。「あなたはお金が無いと思っていた。どうやってこれだけの本を買うことが出来たのかね?」私は説明したのです。「これは私のためのものではありません。英国にいる
人たちのためのもので、彼らは英国での値段では買いたくないのです。インド版を手に入れるために彼らがお金を送ってきたのです」 ロンドンでの小売価格を教えると、マハラジはほんとうにぞっとしました。
「出来る限り多く引き受けなさい! 本のためにそんな額を払うべきではない!」彼はペンを取り出して、喜んですべての本にサインをしてくれました。

Did you carry on going to see him until he passed away? Were you there in the final days?

あなたは彼が亡くなるまで会いに行き続けたのですか? 最期の日々には居合わせたのですか?

No, and I didn’t want to be. I didn’t want sit there watching him slowly die. I wanted to keep my memory of a man who was a perpetual dynamo, an amazingly vital centre of force and
energy. I knew that he didn’t regard himself as the body, but I didn’t want to be there, watching the cancer slowly reduce him to an invalid. I can’t remember the date of my last visit, but I do
remember that he was still talking without much trouble.

いいえ。それに私はそこに居たくはありませんでした。彼がゆっくりと死んでゆくのを見ながらそこに
座っていたくはありませんでした。果てしない精力家で、驚くほど活気のある、力とエネルギーの根源で
ある人の記憶を、私は持ち続けていたかったのです。 彼が自分を身体とみなしていないことを私は知っていましたが、癌がゆっくりと彼を病弱者に変えてゆくのを見ていたくはなかったのです。私が最後に訪れた
日付は思い出せませんが、彼がまだそれほど困難もなく話していたことは確かに覚えています。

I haven’t explained how Maharaj kept the traffic flowing through his room. You need to know about this to understand what comes after. Because of the restricted space available, Maharaj
would generally only allow people to spend about two weeks with him. New people were coming every day and there simply wasn’t enough room for everyone to sit on the floor.

マハラジが彼の部屋の人の流れをどうさばいていたかを説明していませんでした。話の続きを理解するにはこのことを知っておく必要があります。使える空間は限られていたので、マハラジはたいてい、二週間ほど
しか彼と共に過ごすことを許しませんでした。新しい人々が毎日やって来るので、皆が床に座るには十分な場所が無かったのです。

When Maharaj saw that it was getting congested, he would pick out a few of the people who had been there the longest and ask them to leave, saying, ‘You can leave now. New people have
come and there is no room.’

マハラジは混雑してきたと思うと、一番長くそこにいる人たちを数人選んで、「あなたたちはもう
去りなさい。新しい人たちが来て場所が無いのだ」と言って、彼らに去るように言いました。

The selected people would then have to leave, but if they were still interested, they could come back after another couple of months and put in another two weeks there. That was the system
that many of us followed: two weeks there followed by two or more months somewhere else.
Usually, when I arrived, I would tell him that I had a return ticket to Madras in two weeks’ time.
He trusted me to leave on the appointed day.

選ばれた人々はそれからすぐに去らなければなりませんでしたが、もし彼らがまだ興味があるなら、二ヶ月ほどすれば、戻って来てまた二週間そこにいることができました。二週間そこにいたら二ヶ月以上どこか
他の場所に、というのが私たちの多くが従った方式でした。いつも私は到着した時に、二週間目にマドラスへ帰る切符を持っていると彼に伝えていました。彼は約束の日に発つのを私に任せました。

On my final visit, though, I have a memory that I was trying to stay few days longer than I had originally intended. I do remember that for a couple of days I would sit in a back corner, hoping
he wouldn’t notice me, because he knew that my time was up.

しかし最後の訪問の際、私は最初に意図していたよりも数日長く滞在しようとしていた記憶があります。
私が時間切れであることを彼は知っていたので、私は二、三日の間、彼に気付かれないようにと願いながら後ろの隅の方に座っていたのを覚えています。

One morning I couldn’t get to my corner seat in time because something delayed me.
I found myself sitting quite close to him, effectively blocking his view of some of the people who were immediately behind me. I should mention that I am 6’2” and that my back is
disproportionately long for my size. I have short legs and a long back, which means that when I sit on the floor with a straight back the top of my head is the same distance from the floor as
someone who is about 6’4”. Of course, on that particular morning Maharaj wanted to have a conversation with the person who was sitting immediately behind me, someone who was a lot
shorter than I was. I tried unsuccessfully to squirm out of the way, and Maharaj tried to peer round me but it was no use because there wasn’t any extra floor space for me to manoeuvre in.
We were packed in like sardines in a can.

ある朝、私は何かで遅れて隅の席を取り損ねてしまいました。気付くと私は彼にとても近い場所に座って
いて、彼の視界を遮って私のすぐ後ろにいる何人かを見えなくしていました。私は六フィート二インチ
(約百八十八センチ/訳注)で、私の背中は身長に不釣合いな長さであることに触れておくべきでしょう。
私は胴長短足なので、私が背筋を伸ばして床に座ると、床から頭までの高さは身長六フィート四インチ
(約百九十三センチ/訳注)の人と同じになってしまうのです。もうお分かりでしょうが、その朝マハラジは私のすぐ後ろに座っている人と話をしたがったのです。 その人は私よりずっと背の低い人でした。
私はなんとか邪魔にならないようにと試みましたがうまくいきませんでし、マハラジは私の周りを窺って
いましたが無駄でした。私を移動させられそうな場所はどこにもなかったからです。私たちはすし詰め状態だったのです。

Eventually Maharaj looked at me and said, with some irritation, ‘Why are you still sitting here taking up floor space? I can’t see the people behind you. You are full of the knowledge.
You are so full of the knowledge it is coming out of your ears and making a mess on my carpet.
You can go now and make space for other people.’

最終的にマハラジは私を見て、少しいら立ちながら言いました。「なぜあなたはいまだここに座って場所を占めているのかね? あなたの後ろの人たちが見えないではないか。あなたの知識は十分だ。あまりに知識
が多すぎて、耳から出てきて私の絨毯の上に散らかっている。あなたはもう行きなさい。そして他の人たちのために場所を空けなさい」

That was the last time he spoke to me. I took his irascible remarks to be a blessing and a benediction, a sort of graduation certificate. I left that day and never went back.

それが彼が私に話した最後の言葉でした。 私は彼の怒りっぽい一言を、祝福と恵み、そしてある種の
卒業証書として受け取りました。 私はその日に発って二度と戻ることはありませんでした。

Over the next few months I kept receiving reports about his failing health but I never felt tempted to go back one more time. That is, until he suddenly appeared in one of my dreams telling me to
come and see him. It was such a forceful dream, it woke me up. I lay there in my bed, wondering if it really was him telling me to come, or whether it was just my subconscious
manifesting a secret wish to go and see him one more time. I fell asleep without resolving the issue one way or the other.

それから数ヶ月にわたって、彼の健康悪化の報告を受け続けましたが、もう一度戻ろうという誘惑を感じることはありませんでした。彼が突然夢の中に現れて、会いに来るようにと言うまでは。それはとても強烈な
夢だったので私は目を覚まさせられました。私はベッドに横たわったまま、それは彼が本当に来るように
言っているのか、あるいはもう一度彼に会いに行きたいという秘められた願望を、潜在意識が明らかにしただけなのかと考えていました。どちらにしても、問題を解決しないまま私は寝入ってしまいました。

A few minutes later he reappeared in my next dream, glaring at me:
‘I just told you to come. Why didn’t you believe me?’

数分後、次の夢にも彼が現れて私を睨みつけました。
「来なさいと言っているのだ。 なぜ私を信じないのか?」

I woke up and knew that he wanted me to come. Maybe he wanted one last chance to assault my stubborn ego. I didn’t go and I can’t give any satisfactory excuses for my refusal to respond
to this dream. This was just before he passed away in 1981. I could give any number of reasons, but none of them rings true to me or satisfies me. When I study my memory of this
event, I can’t find any excuses that will pass muster in my conscience. I didn’t go, and to this day I can’t remember what stopped me.

私は目が覚めて、彼が私に来て欲しがっているのだと知りました。もしかすると彼は私のしぶとい自我を
猛烈に攻撃するための最後の機会が欲しかったのかもしれません。私は行きませんでしたが、この夢に応じなかったことに満足のゆく説明を与えることはできませんでした。これは一九八一年に彼が亡くなる直前の
ことでした。私はいろいろな理由を挙げることができましたが、どれも私にはもっともらしく聞こえず、
私を納得させませんでした。この出来事の記憶を検討してみても、私はどう考えても筋の通った説明ができないのです。私は行きませんでしたが、今でも何が私を止めたのかを思い出すことができません。

Did the dreams continue? Did he ask you to come again?

その夢は続いたのですか? 彼はまた来るようにと言ったのですか?

No, it was only on that one night. However, after he did die I started to have vivid and regular dreams in which I was visiting him in his room. I would go up the steps and find him there,
sitting in his usual seat, and giving out teachings in his usual way. My dream logic would try to work out why he was still there, still teaching. In the dream one part of me knew that he had
died, but another part was witnessing him still alive, still teaching in his usual corner.
In these dreams I would sometimes come to the conclusion that he hadn’t really died at all, that he had faked his death, waited until all the crowds had left, and then gone back to teaching with a
small group of people who were somehow in on the game. My dream brain invented all kinds of stories such as these, but even in the dreams they never really convinced me.
I knew something was wrong, but I couldn’t quite figure out what it was.

いいえ。それは一晩限りでした。 しかし彼の死後、私が彼の部屋を訪れる鮮明な夢を定期的に見るように
なりました。 私が階段を昇ってゆくと彼がいて、いつもの席に座って、いつものように教えを授けて
いました。私の夢の論理はなぜ彼がまだそこにいて、まだ教えているのかを解き明かそうとしていました。
夢の中で私は彼が死んだことを知りつつも、まだ生きていて、まだいつもの場所で教えている彼を目撃しているのでした。 これらの夢の中で私は時々、彼は本当は死んでなどなく、死んだのだと見せかけて、
群集が皆去るまで待ってから、その計画に参加している少人数の集団と一緒に教えに戻ったのだという
結論に達しました。私の夢見る頭はこのような類のありとあらゆる話をでっち上げましたが、夢の中でさえそれらが実際に私を納得させることはありませんでした。 私は何かがおかしいと分かってはいましたが、
それが何であるのかまったく見当がつかないのでした。

These dreams went on all through the 1980s and well into the 1990s. The last dream in this sequence was different. I found Maharaj teaching a small group of people inside the main room
of the Ramanasramam dispensary. This was unusual because I had never before dreamed of him anywhere outside his room. Also, the people were different. They were not the Indian faces
who populated his room in the earlier dreams. They were all foreigners, all people I knew well.
This time there was no doubt, no confusion about why or whether he was still alive.

これらの夢は一九八〇年代の間中続き、一九九〇年代になっても続きました。この一連の夢の最後は違っていました。私はマハラジがラマナアシュラムの診療所の中で、少人数の集団に教えているのを見出したの
です。これは珍しいことでした。なぜなら彼の部屋以外の場所の夢を、それ以前はまったく見なかったからです。そしてまた、人々も違っていました。彼らは初めのころの夢の中で彼の部屋に住んでいたインド人の
面々ではなかったのです。彼らは皆外国人で、私の良く知っている人たちばかりでした。この時はなぜ彼が生きているのか、あるいは本当にまだ生きているのかと、疑うことも、混乱することもありませんでした。

I looked at Maharaj, turned to my friends who were sitting on the floor with him and said, with a great feeling of exaltation, ‘See! I told you! He’s alive! He didn’t die at all! He’s still alive!’
The dream ended and I have never dreamt of him again.

私はマハラジを見て、彼と共に床に座っている友人たちの方を向き、激しく高揚した気分で言ったのです。
「見て! 言ったでしょう! 彼は生きてる! 死んでなんかいない! まだ生きてるんだ!」
夢は終わって、再び彼の夢を見ることはありませんでした。

What did you make of all this? What did it all mean for you?

あなたはそのことをどう解釈したのですか? あなたにとって何を意味していたのですか?

I don’t need Freud on this one. He didn’t die because he was never born. He is alive as the Self within me. He can’t die. He is inside, biding his time, waiting for the words he planted there to
destroy me and my little, circumscribed world. I know that he hasn’t given up on me, and I also know that one day he will prevail.

このことについてはフロイトの出番はありません。マハラジは死んではいないのです。なぜなら彼は決して生まれてこなかったからです。彼は私の中で真我として生きています。彼は内側に居て、好機を待っている
のです。 彼がそこに植え付けた言葉が、私と私の小さく限定された世界を破壊する時を。 私には分かる
のです。 彼は私を見限らなかったということ、そして、いつか彼は成功するだろうということを。