ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ

ページ名:ジョアン ゴンサルヴェス ザルコ


ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコはポルトガルの航海者・探検家。アルバロ・フェルナンデスの叔父かつエンリケ航海王子に仕える貴族であり、船団を率いて探検行を行った。マデイラ諸島を「発見」した人物の一人である。


1390年 ポルトガル王国に父ゴンサロ・エステベス・ザルコと母ブライト・ド・サンタレンの間に生まれる。
1414年[28歳] セウタ攻略戦の際には、キャラベル船を率いてムーア人の侵略からアルガルヴェ海岸(ポルトガル南部)を防衛した。なお、探検を行う以前はセウタに住んでいたことが判明している。
1418年[32歳] 12月にアフリカ沿岸ギニア方面への探検航海を命じられる。
1419年[33歳] 南進するも暴風雨によってコースから外れ、西部に流れる。その際、トリスタン・ヴァス・テイシェイラとともにポルト・サント島*1を発見。
1420年[34歳] トリスタン・ヴァス・テイシェイラバルトロメウ・ペレストレロとともにマデイラ島を発見*2。カマラ・デ・ロボス*3付近に上陸した。

彼らは、南西に吊り下げられた黒い曇を視認したが後の調査でマデイラ島だと判明。上陸して海に伸びる岩石質の半島と船を退避させた港付近の半島をそれぞれ観察した。この時、湾の近くでアザラシのコロニーも発見した。
From Wikipedia-Câmara de Lobos-

「ポルトガル王・エンリケ航海王子・キリスト」の名で正式に領有を宣言して帰国した。帰国したザルコ達はその新しい島々の発見で盛大に歓迎された。この報酬として、カピタニアという制度の下、マデイラ島の半分を相続可能な領地として与えられた。 また、これ以後テイシェイラ、ペレストレロとともにマデイラ諸島の植民地化を行うこととなる。


1421年[35歳] マデイラ島の入植計画を始動。6月にエンリケ王子の援助の下で一族を引き連れて出帆した。到着後、マデイラ島南部に入植地フンシャル(Funchal)*4を建設。周辺の肥沃な土壌を活かして、マデイラ諸島発展の中核を担った。しかし、上陸した一行の焚き火の不始末でルイボ・デ・サンタナ山を焼き尽くす程の山火事が発生した*5
1433年[47歳] マデイラ諸島は正式にポルトガル領となり、エンリケ航海王子に譲渡された。
1437年[51歳] エンリケ航海王子に仕える騎士としてタンジールの包囲に参加。
1471年[81歳] 11月21日に亡くなる。


マデイラ島ではシチリアからサトウキビが移植され、15世紀末までに基幹産業となりヨーロッパの砂糖市場を支配した。また、エンリケ王子の提案でクレタ島から移植されたブドウを使ったマデイラ・ワインが作られヨーロッパ全土に輸出された。マデイラ諸島は1869年のスエズ運河開通までは、ケープタウンへの航路の重要な寄港地となった。


*1 ポルト=港、サント=聖を意味し神に救出されたという解釈がある
*2 山が多く深い森林に覆われていることから発見した島を「イリャ・デ・マデイラ{森の島}」と命名した
*3 ポルトガル語:カマラ=市町村 ロボス=アザラシ
*4 現在のマデイラ諸島の首都で、像もここにある
*5 この火災で草木灰ができ、結果的に植民は成功したという説がある

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