平維基

ページ名:平維基

平 維基(たいら の これもと)とは、桓武平氏流の人物。約2名ほど存在する。

  1. 平維幹 : 別名は「維基」「大掾維幹」。実質的な大掾氏(常陸平氏)の祖である平繁盛の子、兼忠[1]の弟、維茂[2]・安忠[3]の兄、為幹(為基)・伊佐為賢(為方)[4]・那珂国幹(国基)の父。弟の維茂とともに伯父の貞盛の養子となった。常陸国で左衛門大夫をつとめたが、長和5年(1016年)以前から所領をめぐって抗争した外族弟の平忠常[5]が、安房国の国司であった維幹(維基)の従子の維忠[6]父子を焼き殺す事変を起こしたために、激怒した維幹(維基)は朝廷に直訴した。後に常陸大掾となった。
  2. 平維基 (平貞基の子) : 平維盛(駿河守)の曾孫、盛基[7]の孫、貞基の子、正基の父、度光・基度・盛高の祖父。孫の度光・基度・盛高兄弟は建仁3年(1203年)12月に、後鳥羽上皇の後ろ盾を得て、伊賀国で『三日平氏の乱』を起こした。これに危惧した北条得宗家は、伊勢国の守護である首藤(山内)経俊に命じて、鎮圧させた。度光・基度・盛高兄弟は捕虜となり、処刑された。阿波国三好郡郡領の盛隆[8]はその後裔という。

脚注[]

  1. 大掾兼忠とも呼ばれる。繁盛流伊勢関氏の祖となる。庶家に伊豆山木氏(伊豆国田方郡山木郷(現在の静岡県伊豆の国市山木大字)を本拠とした)などがある。
  2. 大掾維茂とも呼ばれる。別称は「維良」(『中世東国武士団の研究』(野口実/高科書店/1994年)「平維茂と平維良」が引用する『今昔物語集』巻第25第4「平維茂が郎党、殺され話」・第5「平維茂、藤原諸任を罰ちたる語」にて、維茂が維良と同人物であるとの見解を示している)。「余五将軍」とも呼ばれた。越後奥山氏越後城氏越後平氏)・梁田氏(簗田氏)(『与吾(与五)将軍系図』(東昌寺所蔵)・『古河市史資料中世編』・『簗田家文書』より)の祖となる。
  3. 大掾安忠とも呼ばれる。子に安貞がいる。数代で断絶した(陸奥国の岩城氏(磐城氏)をはじめ楢葉氏・標葉氏・岩崎氏・陸奥山名氏などの氏族は安忠の末裔と自称(仮冒)したが、実際は「平姓」を冠とした石城国造の系統である)。
  4. 伊佐氏鎮西平氏)の祖。
  5. 維幹(維基)の祖父の良望(国香王)の妹が忠常の祖母(同時に外曾祖母にもあたる)にあたる親族関係による。
  6. 貞盛の孫、維将の子、維時の弟。
  7. 盛忠宗盛・貞度の弟。
  8. 文永4年(1267年)に、北条得宗家の命で、阿波小笠原氏(信濃源氏)の初代当主である阿波国守護の小笠原長房によって、討ち取られた。

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