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愛馬を曳く山名義範(義節)像
山名 義範・義節[1](やまな よしのり/よしたか、1159年? - 1219年2月[2])は、平安時代末期~鎌倉時代初期の武将。別名は、足利義範/足利義節/矢田義範/矢田義節とも呼ばれ、通称は太郎三郎/太郎/三郎。官職は伊豆守、山名氏の祖である。
足利氏(下野源氏)一門の矢田義清(義康の庶長子)と新田氏(上野源氏)の祖である新田義重の娘との間の庶長子[3]。異母弟は広沢義実(仁木氏・細川氏・戸賀崎氏の祖)・矢田義房(頼長の父)・矢田義頼(義縁とも、頼実の父)ら。子は繁国・繁家ら。
父祖の地である下野国梁田郡(簗田郡)内にある梁田御厨[4](現在の栃木県足利市福富町)周辺ではなく、上野国多胡郡矢田郷[5](現在の群馬県高崎市八幡町)に生まれ育った[6]。
幼いころから父・義清に育てられず、外祖父の義重の養子となり[7]、特例として上野国新田荘内(現在の群馬県太田市周辺)の所領ではなく、北西部にある極端に少ない所領である多胡郡山名郷[5](同郡矢田郷と隣接する)を与えられ、山名氏を称した。1175年~1177年ごろに九州が豊前国の宇佐八幡宮を勧請し、山名八幡宮を建てたといわれる。
外祖父・義重は治承4年(1180年)8月に挙兵した陽成源氏(河内源氏)流鎌倉源氏(相模源氏)の棟梁・源頼朝に帰参せず、中立を保ったために、頼朝から不興を買って鎌倉幕府成立後に冷遇された。
その一方、義範は叔父の義兼(義康の次嫡子)・母方の従兄である源姓里見氏の当主の里見義成(従父・外伯父の義俊の子)とともに、すぐさま頼朝の元に馳せ参じたため、頼朝から「外祖父に似ず、まことに天っ晴れで殊勝である」と褒められ、源氏一門の御連枝衆として優遇された。
治承8年(1184年)2月に源範頼・義経兄弟(ともに頼朝の異母弟)率いる平家(六波羅氏)追討軍に従軍した。文治元年(1185年)8月に度重なる戦功で伊豆守に任じられる。
文治5年(1189年)7月に頼朝自らの奥州藤原氏を討伐する奥州遠征に従軍した(『奥州の戦い』)[8]。建久元年(1190年)、頼朝の上洛に供奉。建久6年(1195年)に頼朝の2度目の上洛では東大寺供養の際に頼朝に近侍し、その次嫡子・頼家の参内にも同伴している。
建保7年および、承久元年(1219年)2月に、栄華につつまれた義範は61歳で没したと伝わる[2]。
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