ギロチン

ページ名:ギロチン

残酷な刑具である断頭台ことギロチン

ギロチン/ギロティン(Guillotine)とは、フランスの処刑用の断頭台のことである。本来のフランス語では「ギョティーヌ」と発音される(後述)。英語では、「ゲィルティーン」([ɡɪlətìːn])と呼ばれる。

ドイツ語では、断頭台のことをリヒトブロック(Richtblock)と呼ばれている。

概要[]

少なくとも13世紀ごろから存在していた。語源はフランスの医師であるジョセフ・ギョタン(Joseph Guillotin)の名を因んで名づけられたものであるが、彼はギロチンの発明者ではなく、同時にギロチンの開発者でも製造者でもなかった。

実際のギョタンは1789年10月10日にフランスの処刑用に機械的な装置を使用することを議会に提案した提案者だったことが大きな要因であった。後に彼の姓がエポニム(人名にちなんで二次的に命名される単語のこと)扱いとなり、ギロチンとは「ギョタンの息子」を意味するものであった。これを聞いたギョタンの一族は、このことに困惑してしまい、この断頭台に「ギョタン」として使用することを廃止するようにフランス政府に依頼したが、かえってギョタンの「単語」が全ヨーロッパで広く認知されてしまったために、ギョタンの一族はやむなくギョタン姓を変更するになったのである。

ギロチンとは2つの柱とそれを支える分厚い板で出来上がっており、その板の上に横たわった死刑因の段上から、厚みのある綱で結びつけられた三角形の鋭い刃物を下に落として、自動的に死刑囚の首を刎ねる残酷な刑具として有名であった。

『フランス革命』前後から盛んに使用され、「太陽王」と呼ばれたフランス王のルイ14世(ブルボン家)も自分の意に沿わない者をギロチンで処刑したという。

ルイ14世の6世の孫であるルイ16世も『フランス革命』のために、革命家で弁護士でもあるマクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien de Robéspierre)率いる『ジャコバン党』(Jacobins)によって、ギロチンで処刑され、彼の妻であるオーストリアのハプスブルク=ロートリンゲン朝ロートリンゲン家)出身のマリー・アントワネット(マリー・アントーニア)も夫同様にギロチンで、処刑された。しかし、フランス王のルイ16夫婦を葬ったロベスピエール自身も「恐怖政治」による独裁者ぶりが限度を超えたために『ジャコバン党』の内紛を起こす原因となり、彼自身も「小ロベスピエール」(Robéspierre le Jeune)こと弟のオーギュタン(Augustin de Robéspierre)とともに裁判の結果により、ギロチンで処刑されたのである。

なお、ドイツ中西部のライン川付近でも、フランス文化の影響を濃厚に受けていたために、ギロチンによる処刑が盛んに実施されていた。

特にドイツの連続殺人犯で、『ドュッセルドルフの吸血鬼』(Der Vampir von Düsseldorf)という異名を持つペーター・クュルテン(Peter Kürten)が度重なる殺人行為をめぐる裁判の結果として、ドイツ中西部のケルンでギロチンによって処刑されたことは有名である。

様々な表記[]

  • ギョティーヌ : フランス語
  • ギリョティーヌ : フランスの東端部にあるアルザス=ロレーヌ(エルザス=ロートリンゲン)地方~ドイツ中西部のライン川近郊地方で使用されるフランス語の影響を濃厚に受けたドイツ語表記。
  • ゲィルティーン : 英語
  • ギュロティーネ : 低地ドイツ語(オランダ語とルクセンブルクも含む)


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