劉泌

ページ名:劉泌

劉封の実父とする劉泌(寇泌)像

劉泌(りゅうひつ、生没年不詳)とは、後漢)の宗族。長沙定王の劉発の直系である劉舜と臨湘亭侯の劉興父子および、後漢の敬宗順帝(劉保)の司空である劉寿(劉壽)の後裔で、霊帝(劉宏)の治世に太僕・司空・司隸校尉を歴任した劉囂寇氏[1]との間の子で、劉封の実父とする[2][3]

概要[]

長沙郡臨湘県[4]の人。164年に生母が桓帝劉志)から勅命を受けた幽州刺史の張敬によって外祖父の寇栄一族が族誅を受けた際に、連座として、生母も処刑されて幼くして生母と死別した[2]。そのために、劉泌は母方の姓である寇姓による「寇泌」を一時的に名乗った[2]

成長して、父から臨湘亭侯の爵位を継ぐと劉姓に復した[2]。初平年間(190年~193年)に父の功績を認めた董卓の上奏で、愍帝(劉協)から、羅侯に昇格して、樊城県の令となった[2]

その間に、沛郡の人である甘夫人を娶り、その間に劉封を儲けた[2]。しかし、興平年間(194年~195年)に早世したため、子の劉封は幼く羅侯は廃され、長沙郡に編入され、朝廷の直轄領となった[2]

未亡人になった甘夫人は、郷里に戻り旧知である劉琰の手引きで、亡き劉泌と同族筋にあたる豫州牧となった劉備の側室となり、建安初年に劉公仲を産んだ[2]。劉封はその素質を認められて、劉備の養子となったという[2]

三国志演義』では、長沙郡羅県[5]の人で、上記同様に樊城県の令であり、荊州牧の劉表に仕えて、甥(姉妹の子)である羅侯の寇氏の子の劉封を養っており、劉備と初対面した際に劉備が一目で、気に入ってこれを養子にした。その後関羽が劉表の息子たち家督争いを例に不快感を示した設定となっている。

脚注[]

  1. 侍中の寇栄(寇榮)の娘。
  2. 2.02.12.22.32.42.52.62.72.8元本』(『元大徳九路本十七史』、元の大徳10年に池州路儒学によって刊行された『三国志』関連文献書)より。
  3. 同時に劉封は寇氏(寇栄の孫娘)の子とする説もある(『元本』)。
  4. 現在の湖南省長沙市/岳陽市臨湘県
  5. 現在の湖南省岳陽市汨羅県平江地区および、湘陰地区に属する。

関連項目[]



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