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大岡氏の家紋(丸に陰蔦)
大岡氏(おおおかし)は、上野大島氏一門の大井田氏(越後源氏)の庶家で、越後大岡氏とも呼ばれる。
越後国魚沼郡大岡郷[1]を拠点とした。同族に越後羽田氏があった。
大井田氏経の次男の大岡経重を祖とする。経重は父と兄の経景とともに、惣領家の新田義貞に従って、転戦した。
義貞が、越前国藤島の灯明寺畷で戦死を遂げると、同族の足利尊氏(高氏)の軍勢の圧迫されて、惣領家の大井田氏とともに落ちぶれて、小豪族として存続し、後に三河国に移住した。
戦国時代に経重の9世の孫の清勝は遠縁筋の徳川家康に仕えて、元亀3年(1573年)の『三方ヶ原の戦い』で本多忠勝の与力として参戦した。翌元亀4年(1574年)に、同姓であるが血縁関係が皆無な大岡忠賀(大賀弥四郎)の謀反の鎮圧の際に大久保忠世に従って、米河内城攻めで忠賀の同志である倉地平左衛門を討ち取る戦功を立てた。慶長5年(1600年)の『関ヶ原の戦い』と慶長19年(1614年)の『大坂の陣』にも参戦して功績を立てた。そのために子の清政は徳川秀忠によって、直参旗本に採り立てられた。
清勝の孫の清重は、江戸時代に徒歩組頭となり、延宝8年(1680年)の3月25日に勘定奉行となる。清重は幕命により、天和3年(1683年)に、稲葉正休・彦坂重紹らとともに畿内治水の再点検を行なった。貞享4年(1687年)9月10日に清重は勘定奉行を辞任した。
清重の甥の清相も元禄7年(1694年)に亡き父の清純から家督を継いで、小普請・御書院番・御使番・御目付などを歴任した。宝永6年(1709年)の10月15日に江戸城西ノ丸御留守居となり、同年に備前守に任命された。 正徳元年(1711年)4月に、長崎奉行に任じられた。
着任した清相は長崎貿易の実情を把握した上で幕府に対する上書を作成し、現地から離れた江戸で遠縁筋の新井白石(君義)らの『強硬論』を抑えた上で、輸出銅や来航船数の制限をはじめ、値組制度・信牌制度導入などを進言した。現実を踏まえた上での清相の進言は後に海舶互市新例の骨子として採用された。
正徳5年(1715年)の2月23日に、江戸からの上使を迎え入れた清相は唐船の出航を引き止めて、外国船がほぼ揃った時点で海舶互市新例を通達した。
享保元年(1716年)に清相は『崎陽群談』を編纂したが、翌享保2年(1717年)の4月11日に40歳で没し、子の清祥が後を継いだ。
江戸時代後期の清繁[2]の代で嗣子がなく、ついに越後大岡氏は断絶した。
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