大島氏_(上野国)

ページ名:大島氏_(上野国)
曖昧さ回避この項目では、新田氏一門について記述しています。その他の氏族については「大島氏」をご覧ください。

大島氏の家紋(梅の折り枝)

大島氏(おおしまし)は、新田氏上野源氏)流源姓里見氏一門。上野大島氏とも呼ばれる。

上野国新田郡大島郷[1]を拠点として、庶家に大井田氏越後源氏)・上野篠原氏[2]上野糸井氏などがあった。

概要[]

里見義成の次男の大島義継を祖とする。

義継の玄孫の義政義昌)は、1333年に惣領家の新田義貞に従い、鎌倉を攻めて北条得宗家を滅ぼした。その戦功で、義政は後醍醐天皇から兵庫頭に任じられ、武者所に属した。

その後の義政は、義貞の命で同族の足利氏下野源氏)の棟梁の足利尊氏(高氏)に帰順して、周防国守護代となった。

1338年に越前国藤島の灯明寺畷で義貞が戦死を遂げると、義政はその訃報に悲嘆しつつ、そのまま尊氏に仕えて1344年に40歳で逝去した。

義政の子の義高が後を継いで、1360年に三河国守護代となり、足利義満(尊氏の孫)の命を受けて、足利氏一門の畠山国清を救援して、おなじ足利氏一門の吉良満貞を撃破して、これを降した。1373年ごろにも、義高はその職務にいたことが確認されているとみられる。

義高の従父の糸井政勝(大島周防守)は同族の世良田義周こと義同(右馬助)[3]とともに女婿でもある惣領家の新田義興(義貞の次子)に従い、1358年に武蔵国矢野口の多摩川付近で、足利方の江戸高重(遠江守忠重)[4]の甥で、義興の武将であった江戸高良と蒲田忠武の裏切りによって、ともに騙し討ちにされた。

義高の子の義世は足利義持(義満の子)に仕えたが、室町時代中期に義世の子の義量の代で嗣子がなく、義量は美濃国国人である大嶋光俊(光春)[5]を婿養子に迎え、その間に儲けたのが光泰であり、その子が光宗(光時)であり、さらにその子が戦国時代初期の著名な大嶋光義(光吉)という。

歴代当主[]

  1. 大島義継 : 義基の弟、鳥山時成[6]豊岡義行竹林(高林)義直の兄。
  2. 大島時継 : 大井田氏継(大井田氏の祖)の弟、篠原時氏[7]の兄。
  3. 大島盛義 : 糸井景継[8]の兄。
  4. 大島義貞(義員) : 糸井義世[9]の兄。
  5. 大島義政義昌) : 糸井義賢[10]・糸井経政[11]糸井義和[12]・良寛(僧侶)の兄。
  6. 大島義高
  7. 大島義世 : 守義・義之・守之の兄。
  8. 大島義量 : 断絶。

脚注[]

  1. 現在の群馬県太田市大島町
  2. 太田市文化財保護調査会長で新田義貞の研究家の篠原蔵人は上野篠原氏一門の篠原憲氏(安右衛門)の女系(娘の系統)の末裔という。
  3. 世良田義政の弟、義時の父。
  4. 秩父国造(知々夫国造)の系統である丹姓秩父氏一門の武蔵江戸氏の当主。
  5. この紀姓大嶋氏は美濃国安八郡大嶋郷(現在の岐阜県大垣市大島町)を拠点とし、家紋は揚羽蝶である。
  6. 鳥山氏の祖。
  7. 頼氏・胤氏・義氏の父、成氏・憲氏・秀氏・頼兼兄弟(頼氏の子)と盛胤(胤氏の子)と氏秀(義氏の子)の祖父。
  8. 継景の父。
  9. 政勝(大島周防守)の父。
  10. 義遠の父、義光の祖父、光春の曾祖父、時重の高祖父、盛時の6世の祖、義清の7世の祖、義数の8世の祖、義広の9世の祖、広時・義俊の10世の祖。
  11. 経継の父。
  12. 重兼(季兼)の父、兼重の祖父、義景の曾祖父、義行の高祖父、行兼(行崇)の6世の祖、景澄の7世の祖。


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