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曖昧さ回避 | この項目では、漫画家のかわすみひろし(川隅広志)について記述しています。東京大学地震研究所の所長については「川角広」をご覧ください。 |
かわすみひろしの自画像(笑い)
かわすみ ひろし(1968年5月21日 - )は、日本の漫画家。本名は川隅 広志[1]、デビュー時は「川隅ひろし」名義[2]。血液型はA型、双子座[3]。
おみやげに喜ぶ少女たち
趣味はビールを飲むこと、“出雲そば”を食べること、城巡りなど。喫煙者で愛煙タバコは「マールボロ」[4]。亡父の影響で『太陽にほえろ!』や『あぶない刑事』を観て、刑事ものドラマのファンになった。
少年時代からかわいい女の子を描く少女漫画を好み、80年代のアニメ的なものと漫画的なものの融合したポップ的なものを確立したまつもと泉と同郷のかがみあきら[5][6]の影響を受けた[7]。同時に、山上たつひこの『がきデカ』と吾妻ひでお[8]の『ふたりと五人』[9]と魔夜峰央の『パタリロ』&『ラシャーヌ』と美内すずえの『ガラスの仮面』の熱烈な愛読者でもあった[10][11]。
彼は、美少女・ロリコン・エロ漫画をジャンルとして、「萌え」的なヒロインを中心としたラブコメの作品を得意とすることから「モーニングのまつもと泉」[12]とも呼ばれて、ここ近年はまつもと泉の模倣画を描くことから、ある意味「まつもと泉の路線」を引き継いでいるともいえる。
かわすみ自身は「僕は名古屋人!」と称しており[13]、同時におなじ『週刊モーニング』の同業者である秋月りす同様に自ら「怠け者」と称している[14]。
さらに、上記のまつもと泉と異なり、割と人見知りでもある。現在は「コミックスタジオ」という漫画専用のPCソフトで漫画を描いている[15]。
さらに、かわすみ自身の好きなミュージシャンは、イギリスのテクノロックを歌う[16]のハウァード・ジョゥンズ[6]とまつもと泉同様にアメリカのTOTOなどである[17]。なお、ジャズよりもクラシックを好んで鑑賞している[18]。
本人のブログの『かわすみ本舗』によると、『ウィキペディア』の情報を参考にするコメントが多い。
新連載の『睦月ライドの初体験』の一コマ
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愛知県名古屋市千種区出身。大衆食堂の『出雲食堂』を営む[19]家庭の長男であり、3歳年下の弟(既婚)と、もうひとりの末弟がいる。父親の川隅高志[20]は島根県出雲市出身で農家の4男坊(末っ子)で、1985年のかわすみが高校2年生のときの9月半ばごろに、脳溢血あるいは脳卒中が原因で48歳あるいは、49歳くらいで亡くなった[21]。母親は三重県熊野市出身で[22]、旧姓は奥氏である[23]。現在は東京都板橋区向原一丁目および二丁目在住で、最寄駅は西武鉄道線の小竹向原駅[24]。
地元の公立高校を出て、上京して江戸川付近に在住しながら都内の私立の某大学を卒業し、在学中から続けた錦糸町にあるラーメン屋の『紅龍』で出前のアルバイトをしながら、中央区晴海にある某漫画家のアシスタントを経て[25]、1994年に『週刊モーニング』に投稿して『祭りが笑う』で第25回「ちばてつや賞」の準入選をとり、デビューした[26]。
そのときのかわすみは『週刊モーニング』の常連読者[27]で、入選の知らせの電話を受けたときに、オーブントースターをしたときにうっかり焦がしてしまったエピソードがある。そのときに編集担当者となったのがY氏であり、後にかわすみがネームを見せたときに「おいおい、しっかりしてよ~…かわすみ君!このままじゃあ、僕キレちゃうぞ~?!」と、Y氏が剣幕になったため、かわすみ自身がビビったエピソードもあり、当時のかわすみの絵柄は素朴で、これと言った特徴もなかった[28]。
1995年9月~10月にかけて『はまりんこ』を掲載したが、まだ絵柄がいわゆる「エロ」系ではなく、内容も読者の心をつかめず陳腐だったため打ち切り終了した。
3年後の1998年に元公邸料理人の西村ミツルを原作者に迎えて、6月に特別読切の『前菜』を経て、その後身作品である料理漫画の『大使閣下の料理人』が連載スタートした。当時のかわすみの絵柄はともかく世界規模のスケールが大きい漫画だったため、読者の心を捉えて大ヒットした。2002年には第6回「文化庁メディア芸術祭マンガ部門」の優秀賞を受けた。
しかし、(原作者の西村の)ネタが尽きたのか、かわすみの絵柄が徐々にエロ系に変貌した[29]半面、2006年4月に連載は終了し、同時に西村とのタッグコンビも終わったのである。
同年夏に結婚式のウェディング・プランナーを主人公とした『プラチナ・チャペル』で読切を掲載し、読者アンケートで評判がよかったので、晩秋に『プラチナ』にタイトルを変えて、連載開始した[30]。最初は順調で、かわすみの萌え系キャラクターにも磨きがかかった。しかし、翌2007年の2月ころに突然休載され、しばらくして「第1部終了」の形で、打ち切り終了したのである[31]。
同年10月に今度は28歳の若き営業マンを主人公とした『営業の牧田です。』を連載開始した。この時になって急遽に絵柄がガラッと変貌した。以前からかわすみが描く女性キャラは定評があったため、尊敬するまつもと泉とかがみあきらの影響を受けたセクシーでエロっぽいキャラクターになったのである。その反面、内容は読者の心をつかめず、12月~翌2008年1月の間に休載し、6月には全30話でまたもや連載を終了したのである。前途多難なかわすみの漫画家人生である[32]。
その後『週刊モーニング』を離れ、『週刊漫画サンデー』に場を移し、裁判員をテーマーとした『裁判員の女神』(原作:毛利甚八、監修:井垣康弘)を2009年1月に連載開始した。かわすみの「まつもと泉」的な艶っぽい萌え系キャラに磨きがかかった。ただしテーマーが「凶悪犯罪者を裁く」なので、これも読者の心をつかむに至らず、翌2010年5月で連載を終了したのである。
その後、同年9月に特別読切の『刀将』(『週刊漫画サンデー』)が掲載され、同年12月に、古巣の講談社復帰として、『月刊ヤングマガジン』2011年1号に、『風より疾(はや)く』[33]を連載開始した[34]が、2012年3月で連載が終了した。
さらに2011年7月にフランスの小説家のオノレ・ド・バルザックに捧ぐリーガル・ロマンである『江戸バルザック』(『週刊漫画サンデー』)の連載を開始した。かわすみの新分野に期待する所以だったが、後半は休載が多くなり同年10月で連載は終了した。
同年4月に『漫画サンデー』のグルメ特集号である『極上! 美味コミ 春グルメ編』(実業之日本社刊)にて、読切の『お江戸幕末美味処』[35]を、同6月に『週刊漫画サンデー』で同じく読切の『スカイツリーものがたり』、同9月に同誌[36]で読切の『ひょっこり!? 温泉島』などを、同年11月に引き続き同誌で中島敦の『名人伝』をコミカライズ[37]した読切作品などを掲載した。
なお、ブログの『かわすみひろし本舗』の2012年11月8日付で「『漫画サンデー』って、漫画誌としては老舗なんですけど、このまま漫画のある限りいつまでも続いていって欲しいと、僕は心から思いますよ。本当に」とコメントしており、デビュー雑誌の『週刊モーニング』とは完全に訣別するようなニュアンスで、新たな気概を持っているようである[38]。
最近では、尊敬するまつもと泉とともに、近年のJ-POPのうすらさむさや退廃的に嘆いている[39]。
2014年2月に『月刊ヤングマガジン』3号で、女子アナウンサーの鉄道のレポーターを取り扱った『鉄子の育て方』の連載開始をしたが、翌2015年7号で終了した。同時に同月28日にビジネスコンサルタントの小宮一慶の著作で、管理職OLを主人公とした『マンガでわかる 小宮一慶の見えないものが見えてくるビジネス発想力』(じっぴコンパクト新書/実業之日本社)が刊行された。
2016年3月に『漫画 昭和人情食堂』(ぶんか社)で、読切の『亡き父が食べさせてくれた出雲そば』、同年6月におなじく『東京下町恋どんぶり』、同年の8月におなじく『浅草のしゅうまい』、同年の10月に『カレーライス』、同年の12月に『大学イモ』、2017年3月に『バジリコスパゲティ』、同年5月に『ナポリうどん』が掲載された。
同年5月に『パチスロマガジン』(双葉社)に『旅打ち人・睦月ライドの初体験』の連載を開始した。
%E7%BE%8E%E5%B0%91%E5%A5%B3.jpgかわすみひろしが「コミックスタジオ」で描いた美少女(笑い)
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