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12星座占いの古文書
12星座占い(じゅうにせいざうらない)とは、星座占いの一種。サイン(sign)、またはアストロロジカル・サイン(astrological sign)とも呼ばれる。同時に古来からは宮と呼ばれて、12のサインを合わせて十二宮や黄道十二宮とも呼称されていた。
12星座占いは、西洋占星術などのホロスコープを用いる占星術において、獣帯(zodiac)を黄経で12等分したそれぞれの領域にあり、獣帯は、天球上の黄道を中心とした、惑星(太陽・月などを含む)が運行する帯状の領域である。
なお、12サインの基点である白羊宮の0°をどこに定めるかは、占星術の流派などによってさまざまであるが、大きく分けてトロピカル方式とサイデリアル方式のふたつに分類できる。西洋占星術ではトロピカル方式・インド占星術ではサイデリアル方式が主流である。
西洋占星術でサインと同様に獣帯を12分する概念に「占星術ハウス」があるが、占星術ハウスがより具体的な事柄を扱うのに対して、サインはより基本的な性格・性質を司る。
サインは、古代バビロニア時代に設定されたと考えられている。ただし、順や名前は、現代のものとは若干異なる。バビロニアから西に伝わったものは『ギリシア神話』の体系に組み込まれ、インドにはギリシアから紀元前後に伝えられた。古代中国にも十二次というサインと類似したものがあるが、伝播によって成立したものかは定かではない。後に仏教・経典を通じてインドから中国にサインが伝えられ、さらに日本にも伝わった。
漢字の宮名は西洋から伝来した当初に意訳された占星術用語と思われる。天文学が制定した星座・星座名とは異なるが、混用されることが多い。中国から日本に伝来した十二支ともよく似ているが、相互の関係については詳しく分かっていない。
実際の黄道十二星座は大小さまざまであるが、サインは実際の星座とは別に黄道を12等分したものである。初期には実際の星座とサインは、漠然的に一致していたが、歳差によってずれていった。歳差を発見したのは古代ギリシャのヒッパルコスである。
歳差により、春分点は星座に対し72年で1°の割合で移動しており、その角度はヒッパルコスの時代から見ればおおよそサイン1つ分に近い20°以上に達している(正確な度数はサイデリアルを採用する各流派ごとに異なる)。これへの対処は、流派により異なる。
同時に異説の13星座占いは、黄道上に新たにへびつかい座が移動してきたとして、12ではなく13星座を使うものである。歳差の処理はサイデリアル方式に近いが、実際の星座の大きさをそのまま黄道にあわせて使うので、13サインは大小さまざまな不均等なものとなる。これは古代にもまったく例のないことで、現代人の発想になる新しい占いである。
期間は、暦年の長さが一定でなく回帰年と一致していないためと、時差があることで、年とタイムゾーンにより数時間から1日程度変化する。また100年以上の時間スケールでは、トロピカル方式では歳差により大きくずれる。そのため、表の日付はおおよそである。各年の正確な期間は、西洋占星術用の天文暦など用いる。
なお、占いによっては期間が1日ほどずれる場合がある。
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