超速妙法蓮華経

ページ名:超速妙法蓮華経

法華経はね。長い。長いから私の独断と偏見と不注意によって、ざっと見どころとストーリーを書いていく。個人の感想も含まれる。
けど、法華経は成立背景を知ってると理解が捗ると思うので、ざっとここにまとめた。ざっと。


※最下部に「妙法蓮華経にはなくてサンスクリットの法華経にはある帰敬文」を掲載してます。もしかしたら、それが本当の超速法華経なのかもしれない。


超速法華経

前半14品(迹門)

サブタイトルざっくり内容と見どころ
1序品じょほん舞台はインド・霊鷲山。釈尊のもとに集まる衆生。声聞、菩薩、他の人々と神々も合わせて、その数なんと18万人以上(東京ドーム3個分)。
みんなの前で釈尊が瞑想に入ると、額からブッダビームを放つなど、前代未聞のスペシャルな現象の数々が生じる。「これはいったい何なのだ?」驚く衆生。
文殊菩薩は「こ、これは…釈尊が今から法華経を説くに違いない!」と解説する。そこで明らかにされる因縁話も興味深い。未来仏を約束されている弥勒の扱いが…。
2方便品ほうべんぽん瞑想を終えた釈尊が語る。「声聞も縁覚も菩薩も、仏の智慧は難しくて理解できない。だから分かろうとせず、信じなさい。良いですね?では言いますよ。貴方たちは『声聞や縁覚は成仏できない』と思っていますね?それが仏の教えであると。それはね、仏の巧みな誘導だったんです(方便)。真実を言いますよ。あのね、三乗--つまり声聞の道だとか縁覚の道だとか菩薩の道だとか、そういうものはないんです。本当にあるのは『仏に至る道(一乗)』、それだけなんです。どんな道も、この『仏に至る道』につながるんです。驚くでしょうが、疑いを捨てて『自分は仏になれる』と知りなさい。」
3譬喩品ひゆほん『自分も仏になれる』そのことを知った舎利弗は大喜び。そして釈尊は舎利弗に対し、未来における成仏を予言する(授記)。『貴方はこれから菩薩行を完成し、華光如来という仏になりますよ』と。これまた前代未聞のことで、周囲の人々がざわつく。そこで釈尊は三車火宅の譬えを話す。
方便品に言う「三乗は仮の教え、一仏乗が真実」を上手い比喩で表現している。
4信解品しんげほん舎利弗に対する授記を聞いて、須菩提らの四大声聞は大いに喜び、長者窮子の譬えを話す。「自分たちは成仏できないと勝手に決め込んでいた。しかし、実は最初から成仏する権利を持っていたのだ!」ということをドラマティックに譬えている。
5薬草喩品やくそうゆほん釈尊はよく理解できた声聞たちを褒め、薬草の譬えを話す。「個性ある衆生たちを、仏はどのように導くのか?」について、地球にやさしい内容で譬える。釈尊は語る、「一切が平等であると覚ることにより、涅槃があります。涅槃は一つ。他の涅槃なんてありませんよ」と。
6授記品じゅきほん四人の声聞(迦葉、須菩提、迦旃延、目犍連)に授記がなされる。以下、安楽行品までは色々なお話とともに、衆生に対する授記がなされていく。
釈尊の話を聞きながら「僕も授記されたいなぁ」なんて思っていると、それを察して釈尊が授記をする。空気を読む釈尊。それはしばらく続く。
7化城喩品けじょうゆほんここまでの通り、仏は方便を用いて衆生を一乗に至らせる。衆生は努力を重ねてその階梯を上っていく--このことを隊商と城(目的地)を用いた幻想的な譬えで説明する。スポ根系とも言えると言えば言える。
8五百弟子受記品ごひゃくでしじゅきほん声聞の富楼那に授記がなされ、続いて500人の声聞に授記がなされる。
有名な衣裏珠の譬えはその500人よるもの。
9授学無学人記品じゅがくむがくにんきほん阿難と羅睺羅、また有学無学の2000人の声聞に授記がなされる。
10法師品ほっしほん釈尊在世時における四衆(男女の出家・在家)に授記がなされる。そして、釈尊滅後の衆生にも授記がなされる。条件はざっくりと「この法門を聞き、この法門を受け入れる」こと。「この法門のたった一つの詩であっても、受持する人は如来であると知るべきです」と。凄いことを言ってるけど、これは私じゃなくて釈尊がそう言っている。「読誦、理解、解説など、さらに供養する人はなおさらです」と。衣座室についてもこの章に書かれている。
説法に居合わせた人々が授記された。我々を含む、釈尊滅後の人々にさえも授記がなされた。それでめでたしめでたし。ではない。ここから本番である。確認だけど、ここまでの舞台はインドの山ね。霊鷲山。
11見宝塔品けんほうとうほん突如、惑星級の巨大な宝塔が地面から出現し、空中(虚空)で静止する。宝塔の中から聞こえる謎の声。「釈迦牟尼世尊よ、貴方が説いたのはまさに法華経です」
声の主は分からぬまま、釈尊は額からブッダビームを炸裂させる。今度は四方八方、いや十方である。そして十方諸仏・菩薩が娑婆世界の宝塔の周りに集う。数が多すぎて世界全体が満たされる。
世界は我々の住む娑婆世界だけではない。諸々の世界にブッダがおり、ブッダビームはその通信にも使えるのだ。
宝塔の扉を開ける釈尊。中にいたのは、シワッシワでミイラ状の仏。その名は多宝如来。釈尊と多宝如来は座を分け合う。そして釈尊が語る、滅後弘教の難しさ。滅後の弘教はとにかく難しい。超難しいのに、釈尊は「誰かやれる人は?」と皆に呼びかける。
予告なしに示される、異次元的な世界観。この章から、舞台は虚空に移る(虚空会)。
12提婆達多品だいばだったほんここでちょっとブレイクタイム。釈尊は過去の話を始める。そこで明かされる提婆達多との因縁。それは意外なものだった。提婆達多、意外だった。意外なのは動物も、女性も。
この章は、鳩摩羅什が漢訳してから約100年後に追加されたとのこと。
13勧持品かんじほん11章で釈尊は呼びかけた。「私の滅後の弘教は大変だけど、やってくれる人は?」と。こんなとき、頼りになるのは菩薩だね!数多くの菩薩が名乗りを上げる。
「我ら、もちろん滅後で頑張りますよ。任せてください!でも、娑婆世界だけは勘弁して下さい」と。娑婆世界は、どうしようもなく汚らわしくて酷い世界だから。
確認だけど、娑婆世界って、この地球を含む私たちの世界ね。
14安楽行品あんらくぎょうほん文殊菩薩が釈尊に質問をする。「滅後の弘教、難しすぎますよ。どうしたら良いんですか?」と。釈尊は「①善行と交際 ②他者を非難せず、他者への慈悲をもつこと ③他者を不安にさせないこと ④悟りを目指していない衆生に、熱望を生じさせること」を詳しく説く。また、髻中明珠の譬えを話す。

後半14品(本門)

15従地湧出品じゅうじゆじゅつほんそこで、十方世界からやってきた菩薩が言う「良かったら、私たちが釈尊滅後の娑婆世界で弘教致しますよ」と。ようやく応募があって良かった…。
しかし、釈尊の答えはまさかのまさか「やめておきなさい。貴方たちでは力不足なんですよ。この娑婆世界には力ある菩薩が無数にいるのです」そう語り終えるかどうか、(もしかしたら食い気味に、)娑婆世界の大地から無数の菩薩が出現する。身体は金色。いうなればゴールデン菩薩。仏と違わぬ立派な姿をしている。リーダーは上行らの四菩薩。釈尊と四菩薩が何やら親しげに挨拶を交わす。
釈尊は、この無数のゴールデン菩薩は自分が教育したと言う。
それを見た弥勒菩薩は問います。「こんなに数え切れないほどの立派な菩薩を、今日までの40年間、いつ教育したと言うのですか?」と。
16如来寿量品にょらいじゅうりょうほん釈尊は菩薩たちに告げる「(いまから凄いこと言うから)私を信じなさい。私は真実の言葉を話します。信じなさい。」と。
3度の確認を経て、釈尊は解き明かす。「あなた達は『釈尊は80歳で入滅する』と理解しているのでしょう。80歳で涅槃に至ると。でもそれは、私の巧みな誘導、つまり方便なんですよ。方便として、仮に涅槃を演出してるだけなのです。悟りだって、遥か昔に開いたんです。全ては貴方たちを導くためです。私の滅後、貴方たちは私が見えないというのでしょう。でも、私は常そこにいるのです。いつだって、貴方たちをどう導くのか考えているのですよ。」
17分別功徳品ふんべつくどくほん釈尊は常に衆生を教化し続けている--それを聞いた皆が歓喜する。釈尊は、信じることがいかに重要であるかを語る。宇宙的な超長期間の修行よりも、信じることが勝れている。
18随喜功徳品ずいきくどくほん引き続き、法華経を人に伝えていくことの功徳が説かれる。
19法師功徳品ほっしくどくほん六根清浄についての功徳が説かれる。意根(こころ)の記述は全宗教・全思想の肯定とも受け取れる(俗間経書の箇所)。サラッと書いてあるけど、個人的には注目しちゃう。
20常不軽菩薩品じょうふきょうぼさつほん釈尊が語る、宇宙的な超過去の話。
不思議な菩薩がいた。名を「常不軽菩薩」という。彼は常に、出会う人すべてに対して礼拝した。「私はあなたを決して軽んじません。なぜなら、あなたは道を行じてブッダとなるからです。」と。人々は彼をいじめるのだが、彼は決して怒りの気持ちを持たなかった。
彼はひたすらに他者を礼拝し続けた。経典を読むような修行せず、とにかく礼拝し続ける…。
彼は一体どうなるのか?そして明かされるその正体とは…?
21如来神力品にょらいじんりきほん釈尊は上行菩薩をはじめとした地涌の菩薩たちに対し、釈尊滅後の娑婆世界における弘教を託す。こうして、娑婆世界においても、法華経が広まることになった。良かった良かった。で、ここで確認すると、娑婆世界というのは私たちの生きるこの世界のことだよ。つまり、この世界で法華経を受けてたもち、人に説き示したりするならば、それは…ということだね。
22嘱累品ぞくるいほん全ての菩薩に対し、滅後の弘教が付属される。そして迎える感動のエンディング。
そう、この章でエンディングなら良いのだけど、実際にはあと6章残っている。最後の6章については後世に付加されたらしい。諸説ありだけど、付加されてること自体が法華経っぽいって思う。
23薬王菩薩本事品やくおうぼさつほんじほん薬王菩薩の過去話。
24妙音菩薩品みょうおんぼさつほん浄光荘厳という世界からある菩薩がやって来きた話。その名は妙音菩薩。めっちゃ背が高い。たぶん、あなたが想像してるよりも背が高い。
25観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんぼん=観音経観世音菩薩を呼ぶことの利益が語られる。そういう教えが法華経に編入されたのだとしたら、それ自体が法華経っぽい。
26陀羅尼品だらにほん薬王菩薩や鬼子母神たちによって、法華経の説法者や受持者を守護する呪文(ダラニ)が説かれる。初期仏典では呪文の類は禁止扱い。でも、それが法華経に組み入れられてること自体が法華経っぽい。
27妙荘厳王本事品みょうしょうごんのうほんじほん妙荘厳王のお話。ブッダと出会うことの困難さを譬えた「盲亀浮木の譬え」はここで出てくる。漢訳でいう一眼の亀。
28普賢菩薩勧発品ふげんぼさつかんぼつほん東方からやってきた普賢菩薩のお話。あたかもお釈迦様より威力ありそうな扱い。そんな教えも組み込むのが法華経っぽい。

羅什訳にない冒頭句(帰敬文)

サンスクリット版では、「如是我聞」相当句の直前に、以下が記されている(植木雅俊先生の訳)。
法華経のエッセンスとして非常に分かりやすいので掲載した。

サンスクリット原典

oṃ namaḥ sarva-buddha-bodhisattvebhyaḥ / namaḥ sarvatathāgata-pratyekabuddh'ārya-śrāvakebhyo 'tītânāgata-pratyutpannebhyaś ca bodhisattvebhyaḥ //
vaipulya-sūtra-rājaṃ paramârtha-nayâvatāra-nirdeśam / Saddharmapuṇḍarīkaṃ sattvāya mahā-pathaṃ vakṣye //

現代日本語訳

オーム。一切のブッダと菩薩たちに敬礼(帰命)します。一切の如来、独覚、聖なる声聞たち、そして過去、未来、現在の菩薩たちに敬礼します。
広大なる経の王であり、最高の真理へ導き入れる教説であり、大いなる道である "白蓮華のように最も勝れた正しい教え"(妙法蓮華)を私は衆生に語ろう。

この直後が「evaṃ mayā śrutam / このように私は聞いた。ある時、世尊は…」となっている。

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