朝8時30分、水面ソピアはいつもの様に朝食として姉の執事が用意したトーストをモサモサと頬張っていた。
「ソピア様、本日のご予定は?」
執事が聞いてくる。
…姉の執事とは言いながらも、ここ最近は過保護な姉が「心配だから」と私に付けてくる。
正直1人の方が気楽で良いのだけど。
「今日は創立記念で学校休みだし、ゲームでもしてるよ。おじさんも今日くらい休んだら?」
「お嬢様の命ですので」
「…ふーん、大変だね。それで?そのレミィはまだ寝てるの?」
チァイ•シトロン•アプレミディ、神を宿した私にとって唯一の理解者であり、今は姉だ。
つい最近まで呼びにくかったので「おばさん」と呼んでいたが「呼びにくいのは解ったからせめてレミィと呼んで欲しい」と言われて以来そう呼んでいる。
その割に、向こうは未だに"さん"を付けて呼んできてるのが気に食わないが。
「その様ですな。まぁ普段から学校の方には重役出勤ですが…そろそろ起こしてきましょうか。」
「…良いよ。私行ってくる。あんま年頃の女の子の部屋におじさんが入っちゃダメだよ」
半分ほど平らげたトーストを皿に置き、部屋に向かう。
全く、いつまで寝てるんだか。
「(ほんと、ねぼすけさんですよね。誰かさんと同じで)」
頭の中に声が響く。
シュブ=二グラス、私の中にいる神の名前だ。
今日みたいに晴れた日はよくこうして話しかけてくる。
「うるさいなー、飴食べよっかなー」
「(わーごめんなさいごめんなさい!無許可で眠らされるの結構怖いんですよ!?)」
「知ってる。だから余計なこと言わないで。」
「(はーい♪)」
コイツも前に比べて随分明るくなったものだ。
少し前までは自分が誰かわからないとか言ってレミィ達を振り回した癖に。
…と、部屋に着いたので扉を2回叩く。
それとほぼ同時に扉が思いっきり開いた。
「痛っ!!」
「はいドーーーー…えっ!?あっ!!あー!!ソピアさん!!?大丈夫ですの!?ごめんなさい!おはようございます!!」
「あー、はいはい…大丈夫、慣れてるから。もう朝ごはん出来てるよ。」
「あら、そうですの!とはいえひとまず手当しますわ。どうぞこちらへ」
アプレミディは私の手を引いて部屋に誘い、手早く手当てをする。
どこで習得したかはわからないが妙に手慣れているのは何故なんだ?
そんなことを思っている間に手当は終了し、彼女は化粧を始めた。
「そういえば、今日の朝食は何なんですの?」
慣れた手つきで目の上に線を引きながらアプレミディが私に問いかける。
「トマトスープといちごジャムのトーストだった。」
「…う"ぇ"〜、今いっちばん食べたくないですわ…」
頼まれれば泥でも喰らうことで有名な彼女がこれ見よがしに顔を顰める。
化粧は半分ほどしか完成しておらず、半壊した顔で戯ける姿は何というか、滑稽だ。
「嫌いだったっけ?」
「いえ、味は普通なんですけど、何というか、悪い夢を見た後なのでちょっと食欲が…」
「あぁ、だからか。」
そういえば今朝執事が「お嬢様が「スープが…スープが…と魘されていらっしゃったので今日の朝食はトマトスープです」と鼻歌混じりに持ってきたのを思い出した。
「相思相愛なんだね。」
ベッドの上で寝そべって頬杖を付き、フン、と鼻を鳴らす。
さっきのドア攻撃も起こしに来たのが私ではなく執事が来たと思って悪戯でも画策したのだろう。
「ん?ソピアさんのことも大好きですわよ?」
それを聞いてもう一度これ見よがしに鼻を鳴らす。
コイツはいつも「好きであること」を否定しない。
まるで相手に好意がバレることなど怖くないとでも言うように。
「さて、と。お化粧終わり!ソピアさん!お待たせしました!朝食を食べに行きましょう!」
「別に待ってたわけじゃないけど…ま、いいや」
アプレミディは私の手を取って立ち上がらせ、自らがエスコートする形で部屋を出た
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昨日は妙な夢を見た。
目が覚めたら扉が四方に付いている真っ白な部屋に居て、そこで奴隷の女の子と共に毒入りのスープを飲んでその空間から脱出する。
ぼんやりとしか覚えていないが、確かそんな夢だった。
あそこで一緒に毒入りのスープを飲んだ女の子は今どうしているのだろう?
そんなことを思いながら、寝ている私を起こしに来たソピアさんとリビングへ急ぐ。
どうやら今日の朝食はトマトスープとトーストらしい。
…どうしていつもこう、微妙に食べたくないタイミングで微妙に食べたくなくなる物を持ってくるんだ。
「ハハっ、眉毛片方長さミスってやんの(笑)ウケる(笑)」
リビングへ出るや否や、セバスは私の顔を見て無表情で笑いながら持っているスマホで大量に写真を撮って来る。
「後で直しますわ。だから撮るのをやめなさい。」
「成長記録と言うものですよ。お嬢様。」
「誰に送る物でもないでしょう。」
「いえ、旦那様に。あと会社の代表者欄にも載せますよ。」
「尚更やめなさい。朝食は?」
「すでにご用意してあります。」
セバスが指すテーブルを見ると、確かにすでに温め直されたトマトスープとトーストが置かれている。
どうしてもあの夢で飲んだ赤黒い液体が脳裏を過ぎる。
…飲みたくないな。
「……飲まないなら、貰う。」
ソピアさんが私のスープに手を伸ばし自分の皿の横に置く。
「体調悪いなら無理しない。わかった?」
「…ええ、ありがとうございます。ソピアさん。」
席につき、グラスに注がれた紅茶を一口飲んでからまだ何も塗られていないトーストを見つめる。
「セバス、マーマレードを。」
「仰せの通りに」
セバスが置いたマーマレードの瓶を開けパンに薄く塗ってかぶり付く。
…にがすっぱくて美味しくない。けれど、今いちごジャムやブルーベリージャムを見るよりはマシだ。
「にしてもお嬢様、随分魘されておりましたな。何か悪い夢でも?」
「ええ、少し。でも大丈夫ですわ。ちゃんと帰って来られましたし。」
夢の詳細を話そうとセバスの方を向くと同時に玄関のベルが鳴り、セバスがそれを取る。
「どなたでしょうか。…はい。少々お待ちください。」
「…誰ですか?」
「お嬢様にお客だそうです。友達居ないのに。」
セバスに渡された受話器を取ると、聴き覚えのない女の子の声。
…だが、モニターに映る少女の姿には確かに覚えがあった。
「まぁ!すぐに上がってくださいな!セバス!来客ですわ!」
そそくさとトーストを平らげて食器を下げる。
「ごちそうさま!すぐに着替えてきますわ!セバスは学校にお休みの連絡を!」
「承知しました。…これで何度目でしょうか。」
「甘やかしすぎも良くないよ、おじさん。」
2人の小言は一旦無視し、客人を迎える準備をする為に部屋に戻った。
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リビングに戻ると白髪赤目(アルビノ)の少女がソファに座り不思議そうに辺りを見回していた。
夢で見た空間の中で囚われていた"奴隷の少女"。
言葉を話せず、不安そうで、まるで今にも雨の降りそうな空模様のようにどんよりとした面持ちをしていたので"白い空"を意味する"ブランシエル"と名付けたのだ。
「シエルさん!良かったですわ!貴女も帰って来られてたんですね!」
歓迎の意を込め精一杯の笑顔を作って彼女に話しかける。
「アプレミディさん。貴女のお陰ですよ!社長さんって本当なんですね…?」
「ええ!私、嘘は付きません…わ?」
視界の隅から突き刺すような視線を感じる。
「あーーー…え…っと、ソピア、さん?どうしましたの?随分と怖い顔をなさってますわよ…?」
「…話、聞いた。また変なことに巻き込まれてたんだって?」
「え、えぇ、ですがちゃんと戻って来られましたわ!」
「結果論だ」
必死に紡いだ言葉を遮るようにソピアさんは私の胸ぐらを掴む。
「…いつもそうだ。そうやって自分の命を捨てるような真似をして、私の知らないところで死にかけて、私の知らないところで大切な物を作って…いつか私の知らないところで死ぬか、私の事なんてどうでも良くなるんだ。」
「…っ!?」
驚いて言葉が詰まる。
「そんなわけありませんわ!ソピアさんは私にとって…」
「"家族だから"?」
ソピアさんは鼻で笑い、掴んだ胸ぐらを離す。
「そんなの関係ない。お母さんと同じだ。サイガと同じだ。2人とも…私の"家族"だった。叔父さんも私の知らないところで死んだ。」
反論しようとしたが、声が出ない。
私が今、彼女に掛けられる言葉など何もないから。
「今のお前と何が違うんだ。チァイ・シトロン・アプレミディ。」
そこまで言うと、ソピアさんは声を出せない私を見てハッとした表情を浮かべる。
「…頭冷やしてくる。着いてこなくて良いから。」
「ソピアさん!!」
私の声は、彼女には届かなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「…セバス」
数十秒の沈黙を破り、執事の名を呼ぶ。
ただのそれだけで私の真意を理解したセバスは露骨に顔を顰めて見せる。
「お言葉ですがお嬢様、ソピア様がお怒りなのはそういうところでは?」
「……ソピアさんの居場所を把握しておきたいだけですわ。」
「そういう事でしたら、仰せの通りに」
とだけ言うと彼はクローゼットからいつもの白いジャケットを取り出し、颯爽と部屋から立ち去った。
「あ…あの、私、今日は帰った方が良いですか…?」
シエルさんが不安そうな面持ちで私に問う。
「あっ、すみません。せっかく来たのにお茶もお出しせず…すぐに準備しますわ。少々お待ちになって?」
「いえ、お茶はもう先ほど執事さんが…」
彼女が指す方を見ると、既にテーブルには茶菓子とグラスに入った紅茶が並んでいる。
「…失礼しました。私取り乱してしまってますわね。」
深呼吸をして自分の分の紅茶をグラスに注ぎ、彼女の正面に腰掛ける。
ついさっきまでソピアさんが座っていた場所だ。
「あの、私がこんなこと言うのもなんですけど、大丈夫…ですか?」
「正直…あまり。でもそれは客人をもてなさない理由にはなりませんわ。」
今自分にできる精一杯の笑顔を彼女に向ける。
きっと歪んでいるのだろう、引き攣っているのだろう。
でも、乱れる自分の心を取り繕うにはそうするしかなかった。
「……大切、なんですね。あの子の事。」
シエルさんが私の心を見透かしたように言い、立ち上がる。
「やっぱり、今日は帰ります。元々今日はご挨拶のつもりで来たので。」
「…申し訳ありません、また来てくださいまね、その時はもっとちゃんと歓迎しますわ。」
「もちろん、そのつもりですよ。まだちゃんとアプレミディさんにお礼出来てませんから!」
正直、1人になりたい気持ちが強かった。
その気持ちを察されてしまったのだろう。
彼女は自身の連絡先を書いた紙をテーブルに置き、そそくさと身支度をする。
「それじゃあ、今日は失礼します。」
ペコリと頭を下げ、彼女は出ていった。
…戸締りしとかなきゃ。
立ち上がり玄関へ向かう為に廊下へ出ると
侵入者と、目が合った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
神社の庭園にあるベンチに腰掛ける。
…なんてことを言ってしまったんだろう。
勢いとはいえ、レミィに…大切な姉に酷いことを言ってしまった。
『あの、その…アプレミディさんに謝りましょう?』
"神"が語り掛けてくる。
謝らなくちゃいけないなんて、そんなことはわかっている。
でも、なんのために謝るのかがわからない。
"見捨てられないため"?
"許してもらうため"?
…どれも、違う。
だって、それは自分の為に謝るってことだ。
きっともっと単純な理由なんだ。
それがわからない自分にも腹が立つ。
チリン
頭を抱える私の足元に三毛猫が擦り寄る。
聞こえた鈴の音もコイツの首輪に付いたものだろう。
「…お前も家出か?」
猫を抱き上げ、膝に乗せてやる。
もふもふのソイツは満足げに顔を上げて一言鳴いた。
「撫でろ」とせがむ様に私の手のひらに頭をぶつける姿を見て、少しイライラが収まった気がした。
「……そっか。」
『いや、猫ちゃんも可愛いですけど!今はそれじゃなくて…!』
神の言葉を遮る様に、ポケットに一つ残っていた飴玉を頬張る。
「少ししたら起こしてやるから、黙ってて。」
『あぅ…すやぁ…』
…うるさいのが寝たか。
もう少し、もう少しだけ、頭を冷やしてからレミィに謝りに行こう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「やっほーーー!!!雪花ちゃんだヨ!!お仕事しに来た!」
やたらハイテンションな"侵入者"は、私の顔を見るなり玄関の鍵を掛けて私をリビングに押していく。
姚雪花。中華マフィアであり私達と共に世界を救った人、言うなれば"仲間"の1人だ。
「雪花さん…何しに来ましたの?」
「だから〜、お仕事だって!」
そういうと雪花さんは、太腿に付いているホルスターから取り出した"黒い塊"を私に向ける。
「…ネ!」
あまりに雑な演技にため息を吐き、ゆっくり彼女の手から拳銃を奪い取ってスライドを引き、引き金を引く。
…見事に雪花さんの脳天に直撃した。
「あ"だ"っ!!何でニセモノってわかったノ???と言うかわかったとしてそんな迷いなく撃てるノ???」
案の定、ただのエアガンだ。
もう一度大きくため息を吐いてみせる。
「普段実銃を使っている貴女はエアガンの"軽さ"に慣れてませんわ。だから私に向けた時に少し銃身が浮いていました。演技するなら慣れたものを使うと良いですわよ。」
「誤射とか怖いじゃん??」
「弾を抜いておくと言う知能はありませんの??」
「いやー、さすがお嬢さんだネ!」と勝手に上機嫌になっている雪花さんに紅茶を出し、再び問いかける。
「それで?本当は何をしに来ましたの?」
「んー?お仕事っていうのはホントだヨ。今日はお嬢さんがひとりぼっちだから、見といてやってくれって執事さんが。報酬ハ明日の晩にタダメシ食べさせてくれるんだってサ!最高だよネ!」
「…そう、ですか。」
まったく、過保護はどっちなんだか。
…私も少し頭を冷やせた。
今なら落ち着いて仲直りの方法を考えられそうだ。
「あ、眼鏡クンだ。モシモシ?」
雪花さんが一切鳴っていない携帯の着信に出る。
仕事柄サイレントマナーなのは良いとして、何で着信に気付けるんだろう…。
「うん?今ハお嬢さんの家に居るヨ、うん?猫?見てないヨ。」
何の話をしているかは知らないが、きっと相手は探偵の木瀬さんだろう。
「ヤー、今はダメだヨ。お嬢さん見てなきゃダメだもん…え?ランチ!?奢り!?行く行く!すぐ行くヨ!お嬢さん悪いネ!執事さんにはちょっと前まで居たって言っといテ!」
グラスの紅茶を一気に飲み干し、彼女は駆け出していった。
「…何しに来ましたの、あの人。」
『…ええ、ほんとに。』
私のもう一つの人格"マタン"が話しかけてくる。
「…マタン。」
『ところで、どーするんですの?ソピアさんの事。』
「そう…ですわね…」
正直、何も思いつかない。
というか、なぜ怒らせてしまったのかがわからない。
『何で怒らせてしまったのかがわからない。と言ったところですわね。』
「…えぇ、まったくわかりませんわ。」
『理由は2つ、1つ目は前にも言われていましたわよね?自分の命をもっと大切になさい。もう貴女1人の命じゃありませんの。もちろん、私の事ですしそれ以外の方法が浮かばなかったのでしょうけど。』
そう言いながら、マタン私の脚を奪って自室に向かう。
「…えぇ、出来る限りのことはしますわ…マタン?あの、部屋に何かありますの?」
マタンは私の質問を無視し、今度は腕を奪って飴玉の入った瓶の蓋を開けながら話を続ける。
『2つ目は寝てる間に自分で考えなさい。…ヒントは、"家族なら家族らしく"ですわ。』
飴玉を頬張った。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「…さて、と。」
軽く身支度をしてからセバスに電話をかける。
「セバス、ソピアさんは今何処に?」
『…あぁ、マタン様ですか。ソピア様は以前皆様で祭りに行かれた神社の庭園に居られますよ。こちらに御出でになられますか?』
……いや、なんで電話越しなのに"私同士"が入れ替わっているのがわかるんだ。
これに甘えていた私が言えたことではないが、昔からこの察しの良さには恐怖すら感じる時がある。
「……えぇ、そうします。貴方はオフィスの方で昼食の準備でもなさってて下さいな。」
『承知致しました。このセバス、腕によりをかけて準備しましょう。」
「ええ、期待してますわ。それじゃ。」
セバスが切ったのを確認してからスマホを仕舞う。
…あそこの神社か……昼までに着けたら早い方かな。
ーーーーーーーーーーーーーーー
…猫が膝の上で眠ってからどのくらいたっただろう。
ぼんやりと真上の太陽を眺め、大体の時刻を計算する。
昼の11時半から12時くらいだろうか。
「…喉、乾いたな。」
朝食で2人分のスープを飲んだので腹は空いていないが、この時期に何も持たず出て来てしまったのは不味かったか。
ふと隣を見ると、冷えて結露が滴るカルピスのペットボトルが置いてあった。
キャップが開いた形跡は無いようだ。
「着いてこないでって言ったはずだけど?」
……返事はない。
深くため息を吐き、カルピスのキャップを開ける。
一口飲むと、カルピスの甘さと清涼感が全身に染み渡った。
「…ふぅ……あのさ、そろそろ暑いんだけど、退いてくれない?」
完全に寝入ってしまった猫の腰のあたりを軽く叩く。
…無反応だ。呼吸はしているから生きていると思うが…完全に舐められているな、これ。
「ブラザー!こっちこっちォアアア!!ソピアと一緒に居た!」
「わ…!わかった!ゼェ…ゼェ…階段が…!!キツいッ!!」
「そんなこと言ってる場合じゃないヨ!!もうそろそろ昼メシの時間なのニ!!」
…声がする方に目を向けると、アホそうな3人と目が合った。
「ゼェ…ハァ…ソ、ソピア、そこ動かないでね。これ以上逃げられると私死ぬやつだから…」
眼鏡のアホ、木瀬がジリジリと歩み寄ってくる。
それに追随してあとの2人が3方から私を取り囲む。
「え……っと、何?」
「後で話すから!今は動かないで!」
その声に驚いたのか、猫が膝から立ち上がり颯爽と3人の間を抜けていく。
「「「確保ォ!!!!!」」」
3人は同時に猫に飛び掛かる…が、ノロマな3人が猫の俊敏性に勝てる筈がなかった。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「うわぁぁぁぁ!!!」
「昼メシィィィィ!!!」
え、この人猫とか食べるの……?
…と、少々人間関係を考え直したのも束の間、逃げた猫を抱えながら1人の少女が階段を登ってきた。
「あの…依頼だかなんだか知りませんけれど、あまり妹を怖がらせないでいただけます?」
そう言いながら彼女は木瀬に猫を手渡す。
「それと、この後ご予定が空いていれば私のオフィスへ来てくださいませ。昼食を用意させてますわ。」
「え…あ、うん…ありが、とう…?」
「えっ!!私モ!?私モ!?」
「…構いませんわ。どうぞいらっしゃってくださいな。」
何やら取り込み中のようだ。
今のうちに抜け出すか…
と立ち上がり様子を伺う。
「ソピアさん、ステイですわ。」
「う…っ」
しまった、動いたのがバレてた。
相変わらず洞察力は凄まじいな…。
「…ん?ソピア、アプレミディちゃんと喧嘩中?僕仲介役しよっか!!間に1人居た方がいいでしょ!」
話しかけてきた叔父の脇腹に蹴りを入れる。
「必要ありませんわ。紅差さん……でしたっけ?貴方はセバスの手伝いでもなさってて下さいな。」
「い"……い"え"す"、マ"ム"…」
そういうと脇腹の痛みに悶えながら叔父は消え去った。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「……着いてくるなっていったはずだけど。」
騒がしいのが居なくなったところで、アプレミディを睨みながら再度問う。
「私には関係ありませんわ。いいからお座りになって?」
珍しく太々しい態度をとりながら彼女はベンチに腰掛けた。
「これは…要らないんでしたっけ?」
鞄から取り出したハンカチを仕舞おうとする彼女の手からそれをひったくり、ベンチに敷いて上にどかっと腰掛ける。
「……文句は聞かないから。」
「ええ、構いませんわ。」
つい強がってしまったものの、本当はもっと言うべきことがある筈だった。
…なのに、また意地を張って言うタイミングを逃してしまった。
本当に嫌になる。こんな私に、彼女の妹なんて名乗る資格はないのだろう。
「あーーー……なんか自己嫌悪を起こされているところ悪いのですが、別に私に謝られても困るのでやめて下さいね?と言うか今回貴女何も悪くありませんし。」
「……は?」
……何かがおかしい。
さっきから彼女は、まるで「他人事」のような、そんな口振りで自分の行動を振り返っている。
「……なんなんだ、さっきから。他人事みたいに言って。」
「いや、だって他人事ではありますし…」
きょとんとした顔で話す彼女の目を見て、全てを察する。
…マタン。アプレミディと"銀の鍵"を用いて繋がった別人格。
おそらく今は人格を入れ替えているんだろう。
……その彼女が私に一体何の用なんだ。
「……レミィは?」
「今はぐっすりですわ。まぁ、帰ったら起こすつもりですけれど。」
「……あっそ、それで?マタンさんは何しに来たの。」
「単に様子を見に来ただけ…って言ったら信じます?」
「信じない。」
「…ま、そうでしょうね。」
マタンが立ち上がり「休憩終わり!」と伸びをする。
「…え、マジで何も言わずに帰るの?」
「だから言ったじゃありませんの。様子見に来ただけって。……あ、でも"強いていえば"ですが」
軽く深呼吸をして続ける。
「"私"も相当ですけど、貴女もちゃんと思ってることの全部を吐き出してさしあげなさい。不甲斐ない姉ですが、それを受け止められないほど残念な人間でもありませんわ。」
「……そっか、わかった。今日帰るのはオフィスの方で良いんだよね?」
「えぇ、ゆっくり帰ってきてくださいね。
……すぐ帰られると追い抜かれる気しかしませんので。」
そう言い残すと、彼女は階段を下っていった。
「…はは、確かに。」
…それなら、帰ったらアイツになんて言ってやるかゆっくり考えてから行こう。
大丈夫、彼女の足の遅さを考えれば時間はいくらでもあるんだから。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
気がつくと、さっきまで家にいた筈なのに仕事場に居た。
「セバスさん!これ僕が味付けしとこうか!!!」
「いや、あの呪物を喜んで飲まれる方に味付けとか任せられるわけありませんからな。私がやりますので紅差様はテーブルの片付けと配膳をお願い出来ますかな。」
キッチンから2人の声が聞こえる。
パーティでもするのだろうか?
随分と慌ただしいものだ。
「……あの、私も何か手伝いましょうか?」
キッチンに顔を出し、セバスに問いかける。
何もしないと言うのも落ち着かないし、何より目覚めたばかりで状況がわからない。
「お目覚めですか。お嬢様はソピア様が帰られた後何と出迎えるか考えておいた方が良いのでは?その方が面白…失礼、スムーズに和解できるかと。」
「そうそう!仲直りは早い方が良いよ!!」
「……まぁ、そうしますわ。何かやることがあれば呼びなさい。」
「ええ、準備が終わればお呼びしますよ。」
「こっちは任せてよブラザー!!」
冷蔵庫から午後ティーを1本取り出し、オフィスに戻る。
「家族なら、家族らしく…」
マタンに言われたことを繰り返す。
…寝ているか、無視しているのか。
どうやら意味を教えてはくれないらしい。
……少なくとも、私の言動がソピアさんを傷付けたことは確かだ。
「謝らなきゃ。」
意を決して椅子から立ち上がる。
座る。
「…え?…あの、マタン?」
『……』
返事はない。ただの屍の様だ。
再び立ち上がる。
座る。
……なるほど。
「……"黙って待ってろ"と言ったところですわね。」
午後ティーを一口飲み、呼吸を整える。
「…ですが!それに屈する私ではありませんわ!!!」
(その後、様子を見に来た水面紅差は語る。)
「無言で延々と立ったり座ったりを繰り返しててめちゃくちゃ怖かったです…。」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
アプレミディのオフィスに着くと、既にセバスが準備していたであろう食事のいい匂いが漂っていた。
「おかえりなさいませ、ソピア様。」
「ただいま、セバスさん。」
「おかえりソピア!!」
手を振る叔父を無視し、テーブルの端で縮こまっている姉を睨み付ける。
「ソ、ソピアさん…!あの…!!」
少しよろけながら立ちあがろうとした彼女が何か言う前に、手に持っていた空のペットボトルを全力で投げつける。
「あ"だぁ!!?」
何も喋らせてやらない。
少なくとも、今は。
私の気持ちを突き付けて…それを受け入れてもらうんだ。
自分の小さな肺に、入れられるだけの空気を含み
「妹に"さん"なんて付けんな!!!!!」
「…!!!?」
叫んだ。
叫びながら、狼狽える姉に向けてずんずんと歩み寄る。
「セバスさんを私にばっかり付けるのも止めろ!!この人はお前が命懸けで守ったお前の執事だろーが!!!」
「で、ですがそれは…」
「うるさい!!!私はお前と違って1人でも大丈夫なんだよ!!帰ったらお前が居るんだから!!」
反論しようとする彼女を黙らせるのと同時に、視界がぼやけ始める。息が詰まる。
自分の小さな身体の何処にこの量の水が入っていたのかと思ってしまうほどの大粒の涙がポタポタと零れ落ちる。
「仕事や私だけじゃ無くて自分の事も大事にしろ!!お前が最近仕事ばっかりで寝られてなかったの知ってるんだよ!!昨日も漸く寝たと思ってた!!……なのに!!!」
「なのに!なんでその夢の中でまで死にかけてるんだよぉ……!!バカぁ!!!」
そこまで言い終わると、アプレミディは私を抱き寄せた。
「……ごめんなさい。ご心配をおかけしましたわ。」
抱き締めながら私の嗚咽を抑える為に背中を優しく叩く。
「…そうですわね、私も過保護はほどほどにしますわ。なにせ、妹が出来たのは私にとっても初めてだったので心配でしたの。」
「……ん、あと…朝、酷いこと言った…ごめん。」
「…気にしてませんわ。悪いのは私でしたもの。……それはそれとして。」
彼女は腕を解いて私の肩を掴み、クソ真面目な顔で続ける。
「食事の後、一緒にお風呂に入りましょう。」
…は?
「はぁぁぁぁぁぁ!!?」
「ホンマ唐突でウケる(笑)猿山の温泉猿と知的レベルがトントンですな。」
「セバス、うるさい。早く準備してらっしゃい。」
「仰せの通りに。」
執事がひとこと嫌味を残して浴室へ向かう。
「アプレミディちゃん、ありがとうね。ソピアの事、信じてくれて。」
叔父が姉の頭を優しく撫でると、彼女は急に顔を真っ赤にしてさっき投げつけたペットボトルを拾い、思いっきりキャップの方で叔父をぶっ叩いた。
「いったぁ!!?」
「……スケベですわ!!!!」
「う、腕とかしか見てないから大丈夫だって!!!不可抗力!!不可抗力!!!」
「何が大丈夫なものですか!!次やったら通報しますわ!!」
…なんの話をしているかはわからないが、とりあえずコイツは後で締めておこう。
「さ!バカ変態さんは置いといて!今日は特別にソピアさ…ソピアが入浴剤も選んで良いですわよ!」
アプレミディに背中を押され、浴室に向かう。
…いつか、セバスが言っていたことを思い出した。
「猪突猛進と猫可愛がり…か、」
「…?なんですの?」
多分、それが彼女の本質なんだろう。
「…いや、なんでもない。私、キンモクセイの奴が良いな。ある?」
「ええ!勿論!早速見に行きましょう!皆様が来られるまでまだ時間はありますわ!」
…そう、まだ時間はある。
今は距離を感じていても、きっといつかは"家族"になれるんだ。
『その距離も、今日縮まりましたしね!』
午前11時40分
大好きな姉の腕に抱かれながら、水面ソピアは少しだけ成長出来た気がした。
END
(ちなみにお風呂でアプレミディのガッツリ肩から胸元にかけて切り裂かれた時のエグい傷跡を見てソピアの罪悪感ポイントが蓄積したのはまた別のお話)
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