「ねえ……ちゃ……」
「あ、あぁ───尚人、のこちゃん……!」
叫び声が虚しく響く。
涙で霞んだ視界の先には、守れなかった2人の家族の姿があった。
『これで終わりです。あとは貴女だけ、ですね』
弟とのこちゃんを痛めつけた人型の何かがゆっくりと近づいてくる。黒い靄で覆われたその姿は、近づいてきてもその正体を見せない。
だが、それが何をしようとしているのかは明らかだった。
「や、めて……や、やめろ、来るな、来るなぁ……!!」
迫ってくるそれにありったけの黒いオーラを叩きつける。だが、間合いが近すぎて狙いが定められない。
そのことが分かっているのか、黒い靄は何の反応も見せずに歩みを進めてくる。
「なんで!なんで、当たらないの……!!」
「うぅ……来ないで、来ないでよぉ……!あ、あぁぁぁぁぁ!!!!」
パニックになった私は、持っていた傘にオーラを纏わせて突き刺した。
『……』
「はぁ、はぁ……はぁ……!」
黒い靄の動きが止まる。
運が良かったのか、傘の先から伸びたオーラは靄の中心を貫いており、確かにその手応えがあった。
「止ま……った……?」
靄は微動だにしない。さっきまでの戦いで消耗していて、実はもうぼろぼろだったのだろうか?
本当に仕留めたのか確認するために、手を伸ばす。
「!?」
その瞬間、靄から一本の手のような形のようなものが飛び出して、私の首を掴んだ。
「ぐぇ……ぐ、あ゛ぁ……!」
『随分と私を虚仮にしてくれましたね。そんなに苦しんで死にたいのですか?』
ただでさえくぐもっていた声がさらに低くなる。口調こそ丁寧だが、そこには確実に怒りが混じっていた。
「……た」
『た?』
「たす……け、て……」
『……』
『呆れましたね。この期に及んで命乞いですか』
「あ、あ゛ぁ……!」
首を掴む力が強くなる。
息ができない。視界が霞んで、意識が遠のいていく。痛い。苦しい。怖い。力が入らなくて、身体も満足に動かない。
……死ぬ。
『まだ分からないんですか?貴女一人では何もできない。なのに、貴女を守る人間は、誰もいなかった』
『貴女は、初めから詰んでいたんですよ』
「ぅ……ぁ……」
薄れゆく意識の中、その言葉が聞こえてきて───
首にものすごい力がかかったのが、私が最後に感じた感触だった。
ーーーーーーーーーー
「うわぁぁぁぁ!?!?!?」
暗闇の中で目を覚ます。
何も見えないが、布団と毛布の感触で、ここが自分の家の寝室であることを理解する。
「はぁ、はぁ……」
「ゆ、夢……?」
そう言ったあたりで暗闇に目が慣れてくる。手元を見ると、そこには"人形"ではなく”寒橋直"の手があった。
おそるおそる隣を見ると、穏やかな顔で眠っているのこちゃんと、思いっきり毛布を蹴飛ばして寝ている弟がいた。
もちろん、傷もついていなければ、血の海に沈んでもいない。
「はぁぁぁ……よ、よかったぁ……」
ひとまず安心したが、身体に力が入らない。震えが止まらない。
怖かった。本当に怖かった。
未だにさっきの光景が頭から離れない。夢にしてはあまりにも鮮明で、リアルだった。
「うぅ……」
顔に手を当てると、指先がびちょびちょに濡れていた。
ただでさえ全身寝汗でひどいことになっているのに、顔はさらに涙でぐちゃぐちゃになっている。
「……」
「これは……お風呂入らないとダメね……」
そう言いつつも一つ気になることがあった。真っ暗だから、少なくとも今が真夜中なのは分かるけど。
力が入らないながらも床を這って進んで、タンスの上のデジタル時計を見る。
「いま、なん……じ……」
[a.m.4:20]
「……最悪」
ーーーーー1.「寒橋直の憂鬱」ーーーーー
「はぁ……」
溜息を吐きながら風呂を出る。朝風呂は本来気持ちいいものなのに、頭が痛くてそれどころじゃない。
さて、どうしよう。そのまま起きるには早すぎるけど、二度寝するには遅すぎる。この体調で今から寝てしまうと、弟とのこちゃんの朝ごはんの準備が間に合わない。そして学校にも間に合わない。今日は定期試験前日で学校も午前中で終わるから、せめて少しの間だけでも頭痛がなんとかなれば……。
……いや、もしかして?
脳内に一つの可能性が現れる。それを試すために、自分の部屋に入る。一応誰も来ないと思うけど、念のために鍵を閉めておいて……。
「えいっ!」
「……きゃはは!やっぱり!」
思った通りだった。この姿に頭痛は引き継がれない。これで朝ごはんを作ってさえおけば、あとは通学して4時間目まで耐えるだけで───。
「……えっ?」
ドスッ!
「い゛っ……!」
浮いていたはずの身体が地面に叩きつけられる。身体が少し後ろに傾いていたせいで、お尻と背中を強打してしまう。
「あ゛っ……あ゛ぁぁぁ……!」
身体の後ろ側に鈍い痛みが走る。あまりの痛みに、呻きながら地面をごろごろ転がり回ることしかできない。
「(な、なんで……急に変身が切れたのよ……!)」
『そりゃそうなるでしょ。こっちの世界でそんな姿、保てるわけないじゃない』
『火事の時に会ったダイバー。あの人に聞いたんじゃないの?』
……痛みで苦しんでるときに癇に障る声が聞こえてくる。
"妖精"。あの指輪を嵌めたことで、私に話しかけてくるようになった存在。少なくとも、今は関わってきてほしくなかった。
「確かに色々聞いたけど……!その話は聞かなかったわよ!こんなことになるなんて思わないじゃない!」
『なら仕方ないわね。あの姿は、こっちの世界では長くは持たないわ。あなたの場合は現実との乖離が激しい姿だから、余計にね』
『まぁいい勉強になったんじゃない?』
「他人事だからって……!」
『それより』
『あなた、変な夢を見たんですって?』
「…………えぇ、見たわよ」
『どんな夢だったのかしら?』
「……尚人とのこちゃんが殺される夢。私も戦ったけど……ダメだった」
『なるほどね』
夢の中で殺された感覚が蘇る。時間が経っても記憶は全然薄れてなくて、しばらく忘れられなさそうで嫌になる。
……だけど、それよりももっと、危惧していることがあった。
「……」
『あなたが考えていることは分かるわ。"予知夢"じゃないかって疑ってるんでしょう?』
「……ええ、そうよ」
"予知夢"。火事の日の後に熟内さんから聞いた、ダイバーがたまに遭遇する現象。近いうちに起きるかもしれないことが、夢として現れるというもの。
つまり、あれが"予知夢"だとしたら───私たちは、近いうちに殺される。
「……どうにかする方法はないの?」
『あるんじゃない?予知夢はあくまで不確定な未来だし。行動次第で回避できることもあるわ』
『まぁでも?ダイバーなんてろくでもない死に方するのが相場だし』
『そこまで気にしないで、ある程度受け入れた方が楽になると思うわよ?どうせ誰もいない状況でそいつと鉢合ったら終わるわけだしね』
「それは……そうだけど……」
『って言っても気にするわよね、あなた。だったら指輪を渡してきたあいつにでも相談したらいいんじゃない?』
「……」
『学校をまとめる立場の人間だったら、生徒のことを邪険にはしないでしょ』
「……」
『……はぁ。重症ね』
『これはちょうどいい機会なんじゃない?』
「ちょうどいいって……何がなのよ」
『"頼れる人がいないこと"。ずっと気にしてたんでしょう?』
「う……」
『そもそもおかしいでしょう。一番頼れるのがあの花の子のお母さんってどうなのよ』
『何が"お母さま……!"よ。あなたの母親ですらないじゃない』
吐き気がしてきた。煽りがきついのもそうだけど、言い返せないのがもっと辛い。
『あなたはもう自分だけじゃどうにもならない状況なんだから、周りの人に頼らないと駄目じゃないの』
「そうだけど……」
『夢の件だけじゃないわ。頼れる人がいないことだって、待ってても解決なんてしないのは分かってるでしょう?』
「……分かったわよ。聞けばいいんでしょ」
『……随分素直なのね。言い方が可愛くないけど。いつもならもっと食って掛かってくるわよね』
「言い返す気力もないだけよ。頭痛いの」
『だったら今日は学校休んだら?頭痛いときに勉強なんてしても身に付かないでしょ』
「それは嫌。皆勤かかってるし」
『……あっそ。それ、体調より大事なこととは思えないけどね』
それを最後に妖精の声は聞こえなくなった。
「……はぁ」
時計の表示は5時40分になっていた。気が付いたら時間が経ってくれてたのはいいけど、なんだか余計に体調が悪化した気がする。
……頭痛薬飲も。
(続く)
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