黒澤明

ページ名:黒澤明
くろさわ あきら
黒澤 明
ファイル:Akira Kurosawa.jpg
生年月日1910年3月23日
没年月日テンプレート:死亡年月日と没年齢
出生地日本の旗 東京府荏原郡大井町
職業映画監督
家族長男・黒澤久雄、長女・黒澤和子
 
受賞
アカデミー賞
名誉賞
1952年『羅生門
外国語映画賞
1976年『デルス・ウザーラ』
名誉賞
1990年 映画芸術への功績に対して


黒澤 明(くろさわ あきら、新字体:黒沢、1910年3月23日 - 1998年9月6日)は、日本の映画監督小津安二郎溝口健二成瀬巳喜男らと共に、世界的にその名前が知られた日本映画の巨匠の一人。日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。米国映画芸術科学アカデミー会員。文化勲章授章。文化功労者。名誉都民。

目次

経歴[]

監督になるまで[]

東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)の学校法人日本体育会(現:日本体育大学)敷地にて、4男4女の末っ子として生まれる。父親は秋田県大仙市(旧中仙町)出身の元軍人、体育教師、学校法人日本体育会理事。黒田小学校を経て、1928年、京華中学校卒業。画家を志して日本プロレタリア美術家同盟に参加、洋画家の岡本唐貴(白土三平の実父)に絵を教わる。1936年、画業に見切りをつけて26歳でP.C.L.映画製作所(現在の東宝)に入社。主として山本嘉次郎の助監督を務める。

1941年助監督として『馬』の制作に携わっていたとき、出演していたスター高峰秀子と婚約(当時、黒澤30歳、高峰17歳)とも伝えられる。

白黒映画監督時代[]

1943年、『姿三四郎』で監督デビュー。以後、終戦を挟んで『一番美しく』『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』『醉いどれ天使』『野良犬』などの社会派ヒューマンドラマの佳作を次々と発表し、東宝の看板監督の一人となる。

また山本が参加していたオーディションで、三船敏郎をたまたま目撃。本来は落選となっていた三船だが、一目ぼれした黒澤は山本に直訴までして採用。三船のデビュー作『銀嶺の果て』では既に脚本を務めた(共演者に志村喬もいた)。三船のデビュー3作目『醉いどれ天使』からは、黒澤監督作品の常連俳優となった。

1950年に大映で撮影した『羅生門』(原作は芥川龍之介の『藪の中』)は1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。その映像感覚が国際的に注目される。続けてドストエフスキー原作の『白痴』(1951年)やヒューマンドラマの傑作『生きる』(1952年)を発表し、後者でベルリン国際映画祭上院特別賞を受賞。

1954年に発表した大型時代劇『七人の侍』は大ヒットし、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞するなど国際的評価も受ける。シェイクスピアの『マクベス』を日本の戦国時代を舞台に翻案した『蜘蛛巣城』(1957年)や娯楽時代活劇『隠し砦の三悪人』(1958年)を作成後に、独立プロダクションである黒澤プロを設立。時代活劇の傑作『用心棒』(1961年)『椿三十郎』(1962年)、社会派サスペンスの傑作『天国と地獄』(1963年)を立て続けに発表し大監督の名声を確定させる。

黒澤プロの設立は、黒澤監督の意向によるものというより、『隠し砦の三悪人』の大幅な撮影予定期間オーバーによる予算超過に業をにやした東宝側が、黒澤にリスク負担させることにより枷をはめようとしたものであり(収益の分配も東宝側に非常に有利な契約になっていた)、「天国と地獄」までの作品はその皮肉な成果といえよう。枠をはめられる事を嫌っていた黒澤がその完全主義を徹底させ暴走した『赤ひげ』(1965年、 山本周五郎原作)は、撮影期間約1年を要して大幅な予算超過となり、東宝との関係を悪化させることとなった。

白黒映画および三船との決別後[]

ハリウッドからのオファーを受けるようになった黒澤は『赤ひげ』の撮影後、アメリカで『暴走機関車』の制作を準備、主演にピーター・フォークとヘンリー・フォンダ、撮影監督にオスカー受賞者ハスケル・ウィクスラーが決定していたが、制作方針を巡りアメリカ側プロデューサーのジュセフ・E・レヴィンと深刻な対立が生じたために頓挫(後にアンドレイ・コンチャロフスキーが黒澤の脚本を原案として映画化)。1968年に日米合作『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を務めることになったが、米国側の製作会社であった20世紀フォックスと、演出方針や撮影スケジュール、予算を巡って激しく衝突。監督を降板させられた。この事件は黒澤に精神的打撃を与えたとされており、2年後に自殺未遂事件を起こす。そして日本の映画産業の衰退の時期と重なったこともあり、この後は5年おきにしか新作が撮れなくなる。

しかしこの類い希な才能を埋もらしてはいけないと手を差し伸べたのは海外であった。1975年にソビエト連邦から招かれ、ごく少数の日本人スタッフを連れてソ連に渡り『デルス・ウザーラ』を製作。ソビエト連邦の官僚体制の中で思うように撮影が進まず、シベリアのタイガでのロケ撮影は困難を極めた。完成した作品は、それまでの作風と異なり極めて静的なものであったため、日本国内では酷評も出たが、モスクワ映画祭金賞、アカデミー外国語映画賞を受賞し、ソビエト連邦の期待に十二分に応え、日本国外では黒澤復活を印象付ける作品となる。

1976年11月、日本政府から文化功労者として顕彰される。

その後も、日本国外資本参加による映画制作が続き、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配した『影武者』(1980年)、フランスとの合作の『』(1985年)、米ワーナー・ブラザーズ製作でスティーブン・スピルバーグが外国版製作総指揮を務めた『』(1990年)等の作品を監督。

1985年11月、文化勲章授章。1990年米アカデミー特別名誉賞を受賞し、スティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスからトロフィーが授与された。なお、アカデミー特別名誉賞は、1972年にチャールズ・チャップリン、1990年に黒澤明、2000年にはアンジェイ・ワイダが受賞し、歴代3人しか受賞していない。『八月の狂詩曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)に続く次回作として予定されていた『雨あがる』の脚本執筆中に京都の旅館で転倒骨折。療養生活に入り1998年9月6日脳卒中により死去、テンプレート:没年齢。叙・従三位。同年10月1日、映画監督としては初の国民栄誉賞を受賞、翌1999年には米週刊誌タイム・アジア版で「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれた。

作品をめぐる評価とその演出[]

黒澤が日本映画史を代表する映画監督であることは疑問の余地がない。国際的にも20世紀の映画監督として十指に必ず入る大監督である。骨太のヒューマニズムやストーリーテリングの巧みさ、鋭い映像感覚は映画のお手本として多くの後進映画監督たちに影響を与えた(「世界的な影響」を参照)。ただし、『どですかでん』以後のカラー作品については評価が分かれ、娯楽性よりも芸術性を重視したそれらの作品に対しての否定的な見解も出されている。

妥協を許さない厳しい演出はことに有名で、何ヶ月にもわたる俳優たちの演技リハーサル、スタッフと役者を待機させながら演出意図に沿った天候を何日も待ち続ける、カメラに写らないところにまで大道具小道具を作り込む、撮影に使う馬はレンタルせず、何十頭を丸ごと買い取って長期間調教し直してから使う、等々逸話は多い。

『荒野の用心棒』の盗作問題で、セルジオ・レオーネ監督は「しかし、この映画だって元はといえば『血の収穫』のパクリじゃないか」という趣旨のことを述べているように、黒澤映画のすべてがオリジナルという訳ではない。そもそも黒澤自身が晩年に至るまで新しいスタイルを取り込むことに貪欲だった。『乱』ではそれまでのリアリズムを放棄して能装束を大胆に取り入れ(衣装デザイナーはワダ・エミ)、城内をカフェバーのような間接照明でデザインした。また城門の撮り方や前半のクライマックスの「三の城」炎上のシーンはフリッツ・ラング監督の『ニーベルンゲン』の宮殿炎上シーンと構図に多数の類似点がある。『夢』の川面を映すシーンの撮影方法はタルコフスキーに教えてもらったものである。また『八月の狂詩曲』ではスタッフに大林宣彦監督の『さびしんぼう』を何度も見せた上で制作に入っている。実際、出来上がった作品は、子供の使い方や語り口、特撮合成に至るまで、親子ほども年齢差のある年下の大林宣彦監督の影響を受けたものとなった。

新技術導入に意欲的だった黒澤だが、特撮映画については長らく及び腰ではあった。東宝の同僚である本多猪四郎とは無二の親友であったし、『ゴジラ』も評価していたにもかかわらず、東宝のお家芸であるミニチュアセット撮影を黒澤は好まなかったのである。「蜘蛛巣城」では霧の中で動く森が東宝特技によるミニチュア撮影であるが、その出来について黒澤は不満を漏らしている。『天国と地獄』前半の権藤邸から見える横浜の景色には、実景の他にミニチュアセットを組んで撮影しているが、殆ど使用されなかった。『赤ひげ』では山崎努の回想シーンで大地震が描かれるが、ミニチュア特撮のシーンが入りそうな所でも黒澤は実際の古い家屋を引き倒した映像を使うに留めている。また光学合成も殆ど使用した事が無い。

しかし後年になると、例えば『乱』で城の炎上シーンにミニチュア映像との光学合成が使用されるなど、作例が現れる(『乱』ではこの他に、一の城の天守閣の窓から見える外の光景、秀虎に矢で殺された男の地面に広がる血、三の城合戦での矢の一部、地平線から見える三の城炎上の煙、兜の鍬形の反射光等)。『夢』ではVFXが積極的に取り入れられ、「鴉」のエピソードではハイビジョンでのデジタル合成が行われ、空を飛ぶ鴉はCGIで数が増やされている(この「鴉」以外の合成シーン等はILMが担当した)。


三船敏郎との関係[]

黒澤は1948年の『醉いどれ天使』にはじまり、1965年の『赤ひげ』まで、主演には三船敏郎を頻繁に起用した。この時期の黒澤作品は「三船無くして黒澤は無く、黒澤無くして三船は無い」とでもいうべき、スター俳優とスター監督との幸福な関係に支えられているといってよい。

「赤ひげ」を最後に黒澤は三船を使わなくなり、その為2人の関係は様々に取り沙汰されることになる。

世界的な影響[]

日本国外の映画作家らへの影響は計り知れず、直接作品の中で模倣されたものだけでも枚挙に暇が無い。ジョージ・ルーカスは代表作『スター・ウォーズ』の登場キャラクターを『隠し砦の三悪人』から着想したと述べており(そもそも『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のストーリー自体が『隠し砦の三悪人』に酷似しており、ファーストシーン・ラストシーンともそっくりである)、スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』の砂嵐の中からジープが現れる場面は『蜘蛛巣城』、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で主人公が後ろ姿だけで顔を見せない冒頭は『用心棒』、『プライベート・ライアン』のオマハビーチの戦闘シーンは『乱』を模したと言われ、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』のファーストシーンの結婚式の場面は『悪い奴ほどよく眠る』の手法を模したといわれる。また、『七人の侍』が米映画『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督)、『用心棒』が米映画『ラストマン・スタンディング』(ウォルター・ヒル監督)などに翻案された。イタリア映画『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ監督)のように盗作問題に発展したケースもある。

技術的には、例えばサム・ペキンパー監督が得意として他のアクション映画でも多用される、アクションシーンのスローモーション撮影は、元はといえば黒澤明の手法であったし、アクションシーンを望遠レンズで撮る技法も同様である。また、雨や風、水といった自然描写の巧みさはアンドレイ・タルコフスキーのような芸術映画監督を感嘆させて影響を与えたし、『羅生門』の映像美とストーリーテリングの巧みさはフェデリコ・フェリーニが深く共感した。この映画では、どしゃぶりの雨の質感を出すために墨汁を混ぜた水を放水車で降らせ、当時の技術的タブーを破って太陽に向かってカメラを向けさせ、森の中を走るシーンを移動撮影ではなくてパニングで撮るために俳優達をカメラの周りを円を描くように走らせ、視覚効果を得るために様々な工夫を凝らしている。

さらに、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(ピーター・ジャクソン監督)の合戦シーンで、「七人の侍」の雨の中で弓を引く勘兵衛のショットがそのまま引用されていたり、『ラストサムライ』(エドワード・ズウィック監督)では雨や風、馬や屍の使い方など、黒澤映画から引用されたショットは多数に渡っている。黒澤明を尊敬しているとコメントした映画人は数知れないほどであり、主役格が『七人の侍』の影響からか七人である映画は非常に多い。

その他[]

熊井啓監督作品『海は見ていた』は、元々黒澤により撮影される予定で脚本まで書かれていたが、ラストの嵐のシーンに広大なセットを必要とされていたため、コストの面で折り合いがつかず、制作が実現しなかった作品である。全編をラブストーリーで構成するという内容は、それまで黒澤の作品には珍しく、人生最後の作品にはラブストーリーを撮りたかったという説もある。また没後映画化された脚本(時代劇)とは別に、仲代達矢は黒澤が生前『戦争と平和(トルストイ)』の映画化を考えていたと証言している。

私生活の黒澤はグルメで知られ、この年代の日本人には珍しく肉料理が多かったと家族が著書に記している。旺盛な創作意欲の原動力に美食生活が欠かせなかったのか、妻や娘が腕によりを掛けた手料理を振舞ったが、一方で食費が余りに高くつくので税務署に疑われるという冗談のような出来事もあったという。[1]撮影がトラブル続きで機嫌が悪いときも好物のスッポン料理を口にすると機嫌が直るほどであった。また、酒も煙草も嗜んだ。1993年にイランのアッバス・キアロスタミ監督が来日・対談した折は「黒澤に飲みに行こうと誘われたけど、後ろにいたスタッフの方が『断って』と合図を出すので已む無く断った。後で理由を聞いてみると、黒澤には酒量を減らすようドクターストップが掛かっているとのことだったそうだ。是非行きたかったのでとても残念です」と後年述懐している。[2]また、大酒飲みであったので三船敏郎は打ち上げになると逃げてどこかへ行ってしまうのだという。代わりに宝田明が呼ばれ、幹事の如く仕切らせられるのだという。

芸能界に関係する家族[]

  • (妻)矢口陽子(女優、結婚後に引退)。
    • (長男)黒澤久雄(タレント、プロデューサー、黒澤プロダクション代表取締役社長)(前妻)林寛子(タレント、後に離婚)。
      • (孫・長男)
      • (孫・長女)黒澤優(元女優、夫は松岡充)
      • (孫・次女)黒澤萌(歌手)
    • (長女)黒澤和子(デザイナー)(前夫)加藤晴之(加東大介の息子、後に離婚。つまり長門裕之や津川雅彦などのマキノ一族とも縁戚関係にあった。)
      • (孫・長男)加藤隆之(俳優)


脚注[]

  1. 島敏光 『黒澤明のいる風景』 新潮社、1991年
  2. 2004年7月1日(木)産経新聞インタビューより

監督作品[]

公開年作品名制作(配給)脚本主な出演者上映時間ほか
1943年姿三四郎東宝黒澤明大河内傳次郎、藤田進、月形龍之介、志村喬79分/白黒/スタンダード
1944年一番美しく東宝黒澤明志村喬、清川荘司、入江たか子、矢口陽子85分/白黒/スタンダード
1945年續姿三四郎東宝黒澤明大河内伝次郎、藤田進、月形龍之介、河野秋武、轟夕起子、清川荘司、宮口精二、森雅之82分/白黒/スタンダード
1945年虎の尾を踏む男達東宝黒澤明大河内伝次郎、藤田進、榎本健一、仁科周芳(岩井半四郎)58分/白黒/スタンダード
1946年明日を創る人々東宝山形雄策、山本嘉次郎藤田進、高峰秀子、薄田研二、森雅之、竹久千恵子、志村喬、鳥羽陽之助82分/白黒/スタンダード
1946年わが青春に悔なし東宝久板栄二郎原節子、藤田進、杉村春子、大河内伝次郎、河野秋武、三好栄子、志村喬110分/白黒/スタンダード
1948年素晴らしき日曜日東宝植草圭之助沼崎勲、中北千枝子、渡辺篤、菅井一郎108分/白黒/スタンダード
1948年醉いどれ天使東宝植草圭之助、黒澤明志村喬、三船敏郎、山本礼三郎、千石規子、中北千枝子、笠置シズ子、久我美子98分/白黒/スタンダード
1949年静かなる決闘大映黒澤明、谷口千吉三船敏郎、志村喬、千石規子、三条美紀、中北千枝子95分/白黒/スタンダード
1949年野良犬新東宝=映画芸術協会黒澤明、菊島隆三三船敏郎、志村喬、木村功、山本礼三郎、淡路恵子、千石規子、三好栄子、千秋実122分/白黒/スタンダード
1950年醜聞松竹=映画芸術協会黒澤明、菊島隆三三船敏郎、山口淑子、志村喬、桂木洋子、北林谷栄、日守新一、左卜全、三井弘次104分/白黒/スタンダード
1950年羅生門大映黒澤明、橋本忍三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之、千秋実、上田吉二郎、加東大介、本間文子88分/白黒/スタンダード
1951年白痴松竹久板栄二郎、黒澤明原節子、森雅之、三船敏郎、久我美子、志村喬、千秋実、東山千栄子、千石規子、左ト全166分/白黒/スタンダード
1952年生きる東宝黒澤明、橋本忍、小国英雄志村喬、日守新一、千秋実、小田切みき、田中春男、中村伸郎、金子信雄、浦辺粂子、藤原釜足、左卜全、宮口精二、渡辺篤、伊藤雄之助143分/白黒/スタンダード
1954年七人の侍東宝黒澤明、橋本忍、小国英雄志村喬、三船敏郎、木村功、稲葉義男、加東大介、千秋実、宮口精二、藤原釜足、津島恵子、土屋嘉男、左卜全、高堂国典、東野英治郎207分/白黒/スタンダード
1955年生きものの記録東宝橋本忍、小国英雄、黒澤明三船敏郎、志村喬、千秋実、東野英治郎、千石規子、清水将夫、根岸明美、三好栄子、左卜全、佐田豊113分/白黒/スタンダード
1957年蜘蛛巣城東宝小国英雄、橋本忍、菊島隆三、黒澤明三船敏郎、山田五十鈴、志村喬、久保明、千秋実、太刀川洋一、浪花千栄子、佐々木孝丸、高堂国典、稲葉義男110分/白黒/スタンダード
1957年どん底東宝小国英雄、黒澤明三船敏郎、山田五十鈴、香川京子、千秋実、上田吉二郎、藤原釜足、三井弘次、東野英治郎、渡辺篤、左卜全、清川虹子125分/白黒/スタンダード
1958年隠し砦の三悪人東宝菊島隆三、小国英雄、橋本忍、黒澤明三船敏郎、千秋実、藤田進、藤原釜足、志村喬、上原美佐、三好栄子、藤木悠、土屋嘉男、三井弘次、上田吉二郎139分/白黒/シネマスコープ
1960年悪い奴ほどよく眠る東宝=黒澤プロ小国英雄、久板栄二郎、黒澤明、菊島隆三、橋本忍三船敏郎、香川京子、三橋達也、森雅之、志村喬、西村晃、藤原釜足、加藤武、笠智衆、宮口精二、山茶花究、藤田進、中村伸郎151分/白黒/シネマスコープ
1961年用心棒東宝=黒澤プロ菊島隆三、黒澤明三船敏郎、仲代達矢、加東大介、山茶花究、河津清三郎、山田五十鈴、司葉子、東野英治郎、沢村いき雄、志村喬、藤原釜足、夏木陽介110分/白黒/シネマスコープ
1962年椿三十郎東宝=黒澤プロ菊島隆三、小国英雄、黒澤明三船敏郎、仲代達矢、小林桂樹、加山雄三、団令子、志村喬、藤原釜足、清水将夫、伊藤雄之助、入江たか子、平田昭彦、田中邦衛96分/白黒/シネマスコープ
1963年天国と地獄東宝=黒澤プロ小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明三船敏郎、仲代達矢、香川京子、三橋達也、石山健二郎、木村功、加藤武、志村喬、山崎努、佐田豊、伊藤雄之助、中村伸郎、田崎潤143分/白黒・パートカラー/シネマスコープ
1965年赤ひげ東宝=黒澤プロ井手雅人、小国英雄、菊島隆三、黒澤明三船敏郎、加山雄三、山崎努、団令子、香川京子、桑野みゆき、二木てるみ、頭師佳孝、土屋嘉男、志村喬、笠智衆、田中絹代、内藤洋子、杉村春子185分/白黒/シネマスコープ
1970年どですかでん四騎の会=東宝黒澤明、小國英雄、橋本忍頭師佳孝、菅井きん、三波伸介、伴淳三郎、芥川比呂志、奈良岡朋子、加藤和夫、渡辺篤、藤原釜足、井川比佐志、田中邦衛、楠侑子、松村達雄、三谷昇、二瓶正也、江幡高志、小島三児140分/カラー/スタンダード
1975年デルス・ウザーラモスフィルム黒澤明、ユーリー・ナギービンユーリー・サローミン、マキシム・ムンズーク、シュメイクル・チョクモロフ、ウラジミール・クレメナ、スベトラーナ・ダニエルチェンコ141分/カラー/70ミリ・ワイド
1980年影武者東宝=黒澤プロ黒澤明、井手雅人仲代達矢、山崎努、隆大介、萩原健一、根津甚八、大滝秀治、油井昌由樹、桃井かおり、倍賞美津子、室田日出男、志村喬179分/カラー/ビスタビジョン
1985年グリニッチ・フィルム=ヘラルド・エース黒澤明、井手雅人仲代達矢、寺尾聰、隆大介、根津甚八、原田美枝子、宮崎美子、野村武司、井川比佐志、ピーター、油井昌由樹、田崎潤、加藤武、植木等162分/カラー/ビスタビジョン
1990年黒澤プロ黒澤明寺尾聰、倍賞美津子、原田美枝子、井川比佐志、いかりや長介、伊崎充則、笠智衆、頭師佳孝、根岸季衣、マーティン・スコセッシ120分/カラー/ビスタビジョン
1991年八月の狂詩曲黒澤プロ=フィーチャーフィルムエンタープライズII黒澤明村瀬幸子、吉岡秀隆、大寶智子、鈴木美恵、伊崎充則、井川比佐志、根岸季衣、リチャード・ギア97分/カラー/ビスタビジョン
1993年まあだだよ大映=電通=黒澤プロ黒澤明松村達雄、香川京子、井川比佐志、所ジョージ、油井昌由樹、寺尾聰、小林亜星、板東英二134分/カラー/ビスタビジョン

その他の作品[]

その他の映像作品[]

  • 藤十郎の恋(1938年5月1日公開、山本嘉次郎演出) 製作主任
  • 綴方教室(1938年8月21日公開、山本嘉次郎演出、東宝) 製作主任
  • (1941年3月11日公開、山本嘉次郎演出、東宝映画 製作主任
  • 翼の凱歌(1942年10月15日公開、山本薩夫監督) 脚本
  • 土俵祭(1944年3月30日公開、丸根賛太郎監督、大映) 脚本
  • 四つの恋の物語 第一話「初恋」(1947年3月11日公開、豊田四郎演出) 脚本
  • 銀嶺の果て(1947年8月5日公開、谷口千吉監督) 脚本
  • 肖像(1948年7月27日公開、木下惠介監督) 脚本
  • ジャコ万と鉄(1949年7月11日公開、谷口千吉監督) 脚本
  • 暁の脱走(1950年1月8日公開、谷口千吉監督、東宝) 脚本
  • 殺陣師段平(1950年8月26日公開、マキノ雅弘監督、東京映画配給) 脚色
  • 獣の宿(1951年6月8日公開、大曾根辰夫監督) 脚本
  • 荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻(1952年1月3日公開、森一生監督) 脚本
  • 戦国無頼(1952年5月22日公開、稲垣浩監督) 脚本
  • ソ満国境2号作戦 消えた中隊(1955年1月14日公開、三村明監督、日活) 脚本
  • あすなろ物語(1955年10月5日公開、堀川弘通監督) 脚本
  • 日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里(1957年12月28日公開、森一生監督) 脚本
  • 戦国群盗伝(1959年8月9日公開、杉江敏男監督) 潤色
  • 荒野の七人(1960年製作、ジョン・スタージェス監督、アメリカ映画) 原作
  • 殺陣師段平(1962年9月30日公開、瑞穂春海監督、大映) 脚本
  • 暴行(1963年製作、マーティン・リット監督、アメリカ映画) 原作
  • 荒野の用心棒(1964年製作、ボブ・ロバートソン監督、イタリア映画) 原作
  • ジャコ萬と鉄(1964年2月8日公開、深作欣二監督) 脚本
  • 姿三四郎(1965年5月29日公開、内川清一郎監督、東宝) 製作/脚本
  • 野良犬(1973年9月29日公開、森崎東監督) 原作
  • 暴走機関車(1985年製作、アンドレイ・コンチャロフスキー監督、アメリカ映画) 原案
  • ドキュメント黒澤明 A・K(1985年製作、クリス・マルケル監督、フランス/日本映画) 出演
  • 雨あがる(2000年1月22日公開、小泉堯史監督、東宝/アスミック・エース) 脚本
  • どら平太(2000年5月13日公開、市川崑監督) 脚本
  • 海は見ていた(2002年7月27日公開、熊井啓監督、ソニー・ピクチャーズ・エンタテイメント/日活 脚本
  • 赤ひげ(2002年12月28日放送、フジテレビ) 脚本
  • 旋風の用心棒(2003年1月25日公開、川原圭敬監督、エムロックス) 原案
  • SAMURAI 7(2004年6月12日~12月25日放送、パーフェクト・チョイス) 原作
  • 椿三十郎(2007年12月1日公開予定、森田芳光監督、東宝) 脚本
  • 隠し砦の三悪人(2008年5月10日公開予定、樋口真嗣監督、東宝) 脚本

作詞[]

  • ジャングルブギ(服部良一作曲、笠置シズ子唄)
  • 七人の侍(早坂文雄作曲、山口淑子唄)

受賞歴[]

  • 羅生門(1951年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・イタリア批評家賞、1951年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1953年アメリカ監督組合賞ノミネート、1952年米アカデミー賞名誉賞(現在の外国語映画賞))
  • 生きる(1954年ベルリン国際映画祭ベルリン上院特別賞)
  • 七人の侍(1954年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞)
  • 隠し砦の三悪人(1958年ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞・国際批評家連盟賞)
  • 赤ひげ(1965年ヴェネチア国際映画祭国際カトリック映画事務局賞(OCIC Award)、モスクワ映画祭ソ連映画人同盟賞、フィリピン・マグサイサイ賞ジャーナリズム部門賞)
  • どですかでん(モスクワ映画祭映画労働組合賞)[1]
  • デルス・ウザーラ(1975年モスクワ映画祭金賞・国際連盟批評家賞、1976年米アカデミー賞外国語映画賞、1977年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1977年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、パリ国際映画祭賞テンプレート:要出典)
  • 影武者(1980年カンヌ国際映画祭パルム・ドール、1981年英国アカデミー賞監督賞、1981年セザール賞外国語映画賞、1981年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、1981年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1981年ベルギー映画批評家協会監督賞)
  • 乱(1985年米アカデミー賞監督賞ノミネート、1985年全米批評家協会賞作品賞、1985年ニューヨーク批評家協会賞外国映画賞、1985年ロサンゼルス批評家協会賞外国映画賞、1985年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1985年ボストン批評家協会賞作品賞、1986年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1987年英国アカデミー賞外国語映画賞、1987年ロンドン映画批評家賞監督賞)
  • 1979年モスクワ映画祭名誉賞
  • 1980年カンヌ国際映画祭35周年記念特別表彰[2]
  • 1982年ヴェネチア国際映画祭栄誉金獅子賞(Career Golden Lion)
  • 1986年アメリカ監督組合賞特別賞
  • 1990年米アカデミー賞特別名誉賞
  • 1990年日本国福岡市福岡アジア文化賞創設特別賞
  • 1992年アメリカ監督組合賞生涯功労賞

著作権問題[]

上記の作品の内、1952年までの作品は著作権の保護期間が終了(公開後50年)したと考えられたことから、幾つかの作品が激安DVDで発売された。これに対し、製作者(版権継承者)の東宝と角川映画は2036年(監督没後38年)まで著作権が存続するとして発売業者を相手取り、発売差し止めと在庫の廃棄を求める訴えを東京地裁に起こした。2007年9月14日に東京地裁で原告勝訴の判決が下った。松竹作品についても2008年1月28日に東京地裁で原告勝訴の判決が下った。発売業者は控訴の方針。

出典[]

  1. 黒沢明・絵コンテの世界
  2. 黒沢明・絵コンテの世界

関連項目[]

テンプレート:Wikiquote

外部リンク[]

  • 日本映画データベース
  • 世界の黒澤と梅干しの 味
  • Akira Kurosawa News and Information (英語)
  • The Internet Movie Database (英語)
  • 黒澤明のお墓
  • 黒澤明生誕100年プロジェクト AK100project


テンプレート:国民栄誉賞

テンプレート:Movie-stub


ar:أكيرا كوروساواbg:Акира Куросаваbn:আকিরা কুরোসাওয়াbr:Akira Kurosawabs:Akira Kurosawaca:Akira Kurosawacs:Akira Kurosawacv:Акира Куросаваda:Akira Kurosawade:Akira Kurosawael:Ακίρα Κουροσάβαeo:Kurosawa Akiraes:Akira Kurosawaet:Akira Kurosawaeu:Akira Kurosawafa:آکیرا کوروساواfi:Akira Kurosawafr:Akira Kurosawagl:Akira Kurosawahe:אקירה קורוסאווהhi:अकिरा कुरोसावाhr:Akira Kurosavahu:Kuroszava Akiraid:Akira Kurosawaio:Akira Kurosawais:Akíra Kúrósavait:Akira Kurosawaka:აკირა კუროსავაkn:ಅಕಿರಾ ಕುರೋಸಾವಾko:구로사와 아키라lb:Akira Kurosawalt:Akira Kurosawaml:അകിര കുറൊസാവnds:Akira Kurosawanew:अकिरा कुरोसावाnl:Akira Kurosawann:Akira Kurosawano:Akira Kurosawaoc:Akira Kurosawapl:Akira Kurosawapt:Akira Kurosawaqu:Akira Kurosawaro:Akira Kurosawaru:Куросава, Акираsa:अकिरा कुरोसावाsh:Akira Kurosawasimple:Akira Kurosawask:Akira Kurosawasl:Akira Kurosawasq:Akira Kurosawasr:Акира Куросаваsv:Akira Kurosawasw:Akira Kurosawata:அகிரா குரோசாவாtg:Акира Куросаваth:อากิระ คุโรซาวาtr:Akira Kurosavauk:Куросава Акіраvi:Kurosawa Akiravo:Akira Kurosawa

このページには、クリエイティブ・コモンズでライセンスされたウィキペディアの記事が使用され、それをもとに編集がなされています。使用された記事は黒澤明にあり、その著作権者のリストはページの履歴に記録されています。

テンプレート:Link FA



特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

左メニュー

左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...

龍村仁

龍村 仁(たつむら・じん、1940年-)はドキュメンタリー監督、元NHKディレクター。有限会社龍村仁事務所代表。目次1 経歴2 作品2.1 ドキュメンタリー2.2 CM2.3 その他3 参考文献4 外...

龍の牙-DRAGON_FANG-

テンプレート:統合文字『龍の牙-DRAGON FANG-』とは、2007年11月22日にDVDが発売される日本の映画。監督は久保田誠二。製作は株式会社クリエイティブ・ホールディングス。目次1 概要2 ...

龍が如く_劇場版

『龍が如く 劇場版』(りゅうがごとく げきじょうばん)は、PS2のゲームソフト「龍が如く」を、『着信アリ』『妖怪大戦争』などを手掛けた映画監督の三池崇史が実写映像化した作品。2007年3月3日から東映...

龍が如く_〜序章〜

『龍が如く 〜序章〜』(りゅうがごとく じょしょう)は、PS2のゲームソフト「龍が如く」を、「着信アリ」「妖怪大戦争」などを手掛けた映画監督の三池崇史が実写映像化した作品。2006年3月24日にDVD...

齋藤武市

齋藤 武市(さいとう ぶいち、1925年1月27日 - )は日本の映画監督。埼玉県秩父市出身。早稲田大学文学部卒。1948年、松竹大船撮影所に助監督として入社。小津安二郎に師事する。1954年、先輩の...

黛りんたろう

テンプレート:Otheruses黛 りんたろう(まゆずみ りんたろう、1953年 -)は、NHKのドラマ番組ディレクター、演出家、映画監督。目次1 来歴・人物2 手掛けたドラマ3 劇場公開作品4 著書...

黒部の太陽

テンプレート:予定黒部の太陽(くろべのたいよう)は、木本正次による小説作品、ならびにこれを原作とする日本の映画作品。1968年公開。当時、世紀の難工事と言われた黒部ダム建設の苦闘を描いている。目次1 ...

黒蜥蜴

テンプレート:文学『黒蜥蜴』(くろとかげ)は小説。江戸川乱歩の代表作の一つである。宝石等の財宝を盗む女賊と名探偵明智小五郎が対決する推理小説である。初出は連載小説として雑誌『日の出』に1934年1月号...

黒田義之

黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年3月4日 - )は、映画監督。目次1 経歴・人物2 主な監督作品(特技監督・助監督含む)3 主なテレビ監督4 主な脚本作品経歴・人物[]1928年、愛媛県松山市...

黒田秀樹

黒田 秀樹(くろだ ひでき、1958年4月30日 - )は、日本のCMディレクター、映画監督。大阪府出身。黒田秀樹事務所代表。目次1 プロフィール2 主な作品2.1 CM2.2 映画2.3 PV3 関...

黒田昌郎

黒田 昌郎(くろだ よしお、1936年 - )は日本のアニメーション演出家。東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東映動画で「狼少年ケン」、「おばけ嫌い」、「ジャングル最大の作戦」、「タイガーマスク...

黒澤明

くろさわ あきら黒澤 明ファイル:Akira Kurosawa.jpg生年月日1910年3月23日没年月日テンプレート:死亡年月日と没年齢出生地日本の旗 東京府荏原郡大井町職業映画監督家族長男・黒澤久...

黒沢清

テンプレート:Otheruses黒沢 清(くろさわ きよし、1955年7月19日 - )は、日本の映画監督、脚本家。東京藝術大学大学院映像研究科教授。兵庫県神戸市出身。六甲中学校・高等学校を経て、立教...

黒木瞳

ののっぺらぼう鏡あべこべの世界絶対ムリ行きたない怖顔合わせおうちで暗い一番怖がりとしてもお願い申し上げください一緒よろしくね↓未来おうちで暗い見たい行きたです特に記載のない限り、コミュニティのコンテン...

黒木和雄

黒木 和雄(くろき かずお, 1930年11月10日 - 2006年4月12日 )は、映画監督。宮崎県えびの市生まれ。宮崎県立小林中学校(旧制)、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、同志社大学法学部卒業。少年...

黒土三男

黒土三男(くろつち みつお、1947年(昭和22年)3月3日 - )は、日本の脚本家・映画監督。熊本県熊本市出身。目次1 経歴2 作品2.1 TVドラマ脚本2.2 映画監督・脚本3 関連項目4 外部リ...

黒い雨_(映画)

黒い雨監督今村昌平脚本今村昌平石堂淑朗原作井伏鱒二製作飯野久出演者田中好子北村和夫市原悦子三木のり平音楽武満徹撮影川又昂編集岡安肇配給東映公開日本の旗1989年5月13日1989年9月17日上映時間1...

黒い雨

テンプレート:Otheruses黒い雨(くろいあめ)とは、原子爆弾炸裂時の泥やほこり、すすなどを含んだ重油のような粘り気のある大粒の雨で、放射性降下物(フォールアウト)の一種である。主に広島市北西部を...