宮崎駿

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宮﨑駿の似顔絵

宮﨑 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、東京都文京区出身(墨田区出身という説もある)のアニメーション作家・映画監督・漫画家。学習院大学政治経済学部卒。血液型O型。アニメーション制作会社スタジオジブリに映画監督として所属し、2005年4月より取締役。また、自身が企画開発した三鷹の森ジブリ美術館の館主である。個人の事務所は二馬力で、主に宮﨑の著作権関連の管理を行っており、自身は代表取締役社長である。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。映画などのクレジットタイトルでは宮崎 駿(みやざき はやお)と表記されることもある。

目次

来歴[]

初期[]

宮﨑駿は、一族が経営する「宮﨑航空興学」の役員を務める一家の四人兄弟の二男に生まれ、太平洋戦争中であっても何不自由なく幼年時代を過ごした[1]

子供の頃から絵が上手く、手塚治虫や杉浦茂の漫画、特に福島鉄次の絵物語『砂漠の魔王』のファンという漫画少年であったが、当時の進学校である東京都立豊多摩高等学校在学中の3年生の時に観た東映動画製作『白蛇伝』に感動し[2]アニメーションにも関心を持つようになる。学習院大学に進学したが、当時は大学に漫画サークルが無かったため、一番近そうな児童文学サークル(児童文化研究会)に所属する。幾つかの人形劇を企画しつつ、漫画家を志して漫画を描き続けていたが、漫画かアニメーションかを悩んだ末に、アニメーションの世界へ進む事を決断する[3]。学習院大学を卒業し、アニメーターとして東映動画に入社した。

その後しばらくは東映動画で制作されていた作品に魅力を感じることが出来ず、漫画家への未練を断ち切れずにいたが、入社1年後に観たソ連製作長編アニメーション映画『雪の女王』に強い感銘を受け[4]、アニメーションを一生の仕事にしようと決意した。たちまち才能を現してメインスタッフとなると共に、結成間も無い東映動画労働組合の書記長に就任する。激しい組合活動を行いながら高畑勲・森康二・大塚康生らと共に『太陽の王子ホルスの大冒険』を作り上げ、その後も、さまざまなスタジオで優れた作品を作り続けた。1971年にはTVアニメ、ルパン三世 (TV第1シリーズ)を途中から演出の仕事を担当した。視聴率は芳しくなかったものの、宮崎はその後のルパンの基礎となる部分を作り上げた。(詳しくはルパンの項を参照)1974年にはTVアニメ、アルプスの少女ハイジで全カットの場面設定・画面構成(レイアウト)を担当。主要スタッフとして一年半番組を引っ張った。この作品は最高平均視聴率が26.9%となるなど大ヒットとなり、宮崎としても初の大きな成功であった。

未来少年コナンからナウシカまで[]

1978年、『未来少年コナン』(NHK)で初演出を務める。演出という肩書きではあったが、脚本から、絵コンテ、レイアウト、原画に至るまで、あらゆる作業を自身でも行うという超人的な仕事量をこなした。持ち前の高度な作家性を発揮して、原作「残された人びと」の悲壮なイメージを大幅に改変し、オリジナルといってもよい作品を作り上げた。後に宮崎アニメと呼ばれる作品群の原点とも言える。視聴率は低調だったが、この作品に衝撃を受け、後にアニメーターとなった者も少なくない。(鳥山明もコナンのような漫画を描きたいと語っている)

その後テレコム・アニメーションフィルムに移籍し、映画『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)で監督としてデビューした。同作は業界関係者やコアなアニメファンからは熱狂的に支持されるも、SFアニメ全盛の時代という事もあり、受け入れられにくい作品であったために、興行的には前作に及ばなかった。むしろ興行的不振のために、しばらくの間映画に携われないなど不遇の時を過ごすことになった。(しかし後に、再放送されては高視聴率をあげるなど、アニメーションの金字塔的作品として高い評価を受けている。)この直後には、ルパン三世 (TV第2シリーズ)で最終回含め2話の制作に演出として携わっている。

アメリカに渡り、大塚康生や高畑勲らとともに日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に携わったが、企画への疑問から降板。この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』などの原型となる企画を構想しているが実現には至らなかった。

コナンの時より宮崎に注目していた徳間書店の『アニメージュ』誌編集長・尾形英夫が、自社イベントの為の特別短編アニメーション企画を彼にもちかける。これがのちに『風の谷のナウシカ』として開花する。企画は短編の筈だったが次第に拡大していった為、「原作付き企画」のハクをつけるべく『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。尾形の尽力によって、当時映画事業に意欲的だった徳間書店の徳間康快社長(当時)が劇場アニメーション化を決断し[5]、宮﨑の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプロジェクトが結成され、1984年にアニメーション映画として製作・公開された。映画『風の谷のナウシカ』は、『ルパン三世 カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟って大ヒットとなり、作家としての宮﨑駿が広く認知されることとなった。

スタジオジブリ発足[]

その後は徳間書店の出資を得て創設したスタジオジブリを舞台に、ほぼ2~3年おきに長編作品を製作している。1988年『となりのトトロ』で世代やジャンルの境界を越えて一般人から広く支持を受けた。興行的に一定の成果を果たし、また国民的映像作家としての地位を確立したのは1989年『魔女の宅急便』以降である。

1997年に公開された『もののけ姫』は、前年の徳間書店とディズニー社の業務提携によるジブリ作品の世界進出のニュースや、ジブリ史上最大の製作費、宮﨑の監督引退説などが話題になった事もあり、『E.T.』が持っていた日本の映画興行記録を塗り替える大ヒット作となった。

2001年に発表した『千と千尋の神隠し』は興行記録をさらに塗り替え、観客動員2350万人、興行収入304億円と、日本における映画史上第1位の新記録を作った。海外からの評価も非常に高く、翌年のベルリン国際映画祭では日本としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の金熊賞を受賞し、2003年にはアカデミー賞長編アニメーション部門作品賞を受賞した。

2004年公開の『ハウルの動く城』は、宣伝を極めて抑えた公開であったにもかかわらず公開2日目で観客動員数110万人、興行収入14億8,000万円と日本映画歴代最高のオープニングを飾り、映画史上第2位の大ヒットを記録。 さらにヴェネチア国際映画祭のオゼッラ賞、ニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメーション賞を受賞するなど前作同様海外においても高く評価された。

2005年には、ヴェネチア国際映画祭において優れた世界的映画人に贈られる栄誉金獅子賞を受賞した。

2006年には、アメリカ映画界最高の名誉とされるアカデミー賞の選考委員に選ばれ、招待状が送付された。宮﨑はこれ以前に2度選ばれているが、創作活動に専念したいなどの理由から就任を辞退した。

2008年夏に、新作『崖の上のポニョ』の公開を予定し、現在は、その制作に取り組んでいる。

略歴[]

  • 1941年 1月5日東京都文京区生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には、りんたろう芝山努富野由悠季鳥海永行がいる。杉並区立永福小学校、杉並区立大宮中学校、東京都立豊多摩高等学校卒。
  • 1963年 学習院大学政治経済学部卒業。東映動画入社。なお、同年の政治経済学部卒業生には、麻生太郎(現外務相)、高島肇久(現外務省参与、元NHK解説委員長)、三枝輝行(阪神百貨店相談役)、有薗憲一(ベスト電器社長)らがいる。
  • 1964年 東映動画労働組合の第2代書記長に就任。なお、初代書記長は大塚康生。
  • 1965年 同僚の太田朱美と結婚。なお、式の司会は大塚康生。
  • 1967年 長男(宮崎吾朗・(財)徳間記念アニメーション文化財団理事)誕生。
  • 1970年 次男(宮崎敬介・木口木版画家)誕生。
  • 1971年 高畑勲、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)に移籍。
  • 1973年 高畑勲、小田部羊一と共にズイヨー映像 (のちに日本アニメーションに改組)に移籍。
  • 1978年 『未来少年コナン』で演出家に転向。
  • 1979年 東京ムービーの子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。
  • 1980年 初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』が第18回大藤信郎賞を受賞。
  • 1982年 1月より『アニメージュ』誌上で『風の谷のナウシカ』連載開始。11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。
  • 1984年 4月、個人事務所二馬力を設立。
  • 1985年 『風の谷のナウシカ』が大藤信郎賞受賞。スタジオジブリを設立。
  • 1987年 『天空の城ラピュタ』が大藤信郎賞受賞。
  • 1989年 『となりのトトロ』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・大藤信郎賞、第39回芸術選奨・芸術作品賞・文部大臣賞、第12回山路ふみ子映画賞を受賞。キネマ旬報日本映画ベスト・テン第一位に選出。
  • 1990年 『魔女の宅急便』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞。東京都民文化栄誉章を受章。
  • 1993年 『紅の豚』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞、アヌシー国際アニメーションフェスティバル・長編部門賞を受賞。
  • 1994年風の谷のナウシカ』が第23回日本漫画家協会賞・大賞を受賞。
  • 1997年 『もののけ姫』が毎日映画コンクール日本映画大賞・大藤信郎賞、第2回アニメーション神戸・部門賞・演出部門を受賞。
  • 1998年 スタジオジブリを退社し、「豚屋」を設立。『もののけ姫』が日本アカデミー賞・最優秀作品賞、第1回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞を受賞。第26回アニー賞・生涯功労賞、山路ふみ子文化賞、淀川長治賞を受賞。
  • 1999年 スタジオジブリに所長として復帰。
  • 2000年 第3回司馬遼太郎賞を受賞。
  • 2001年 三鷹の森ジブリ美術館を創立し、初代館主に就任。第49回菊池寛賞を受賞。
  • 2002年 『千と千尋の神隠し』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・監督賞・アニメーション映画賞、第5回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞、第52回ベルリン国際映画祭・金熊賞、第68回ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞、ボストン映画批評家協会・特別賞を受賞。『くじらとり』が大藤信郎賞を受賞。朝日賞、フランス国家功労賞、パリ市勲章を受章。『Business Week』誌のStar of Asia・イノベーター部門に選出。
  • 2003年 『千と千尋の神隠し』が第30回アニー賞・長編アニメ映画賞・監督賞・脚本賞・音楽賞、第75回アカデミー賞・長編アニメーション映画賞を受賞。埼玉県民栄誉賞を受賞。『TIME』誌アジア電子版の「アジアの英雄20人」に選出。
  • 2004年 『ハウルの動く城』が、第61回ベネチア国際映画祭・金のオゼッラ賞、第37回シッチェス・カタロニア国際映画祭・観客賞、第16回ザグレブ国際アニメーションフェスティバル・功労賞を受賞。『ルパン三世 カリオストロの城』がキネマ旬報創刊85周年「オールタイムベスト・テン」アニメーション部門第一位に選出。12月、パリ造幣局美術館にて、初の個展となる「MIYAZAKI-MOEBIUS」展を開催。
  • 2005年 徳間書店より独立した、株式会社スタジオジブリの取締役に就任。『ハウルの動く城』が第9回ハリウッド映画祭・ベストアニメーション賞、ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞を受賞。第62回ベネチア国際映画祭・栄誉金獅子賞、国際交流基金賞を受賞。『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出。
  • 2006年 日本テレビ2階・マイスタ外壁に設置される巨大時計のデザインを手掛ける。『TIME』誌アジア版の「60年間のアジアの英雄」に選出。
  • 2007年『ハウルの動く城』がアメリカSFファンタジー作家協会 (SFWA) ・ネビュラ賞(脚本部門)を受賞。

作風[]

子供の視点一貫してファンタジーを作り続けている。これについて、「厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ」という趣旨の発言をしている[6]。児童文学を愛読し、「アニメーションは基本的に子供の物」と公言し、その作品はほぼ一貫して子供の視点に立ち、悪役を大人にすることが多い。ただし、多くの作品は単純明快な勧善懲悪ものではなく、「悪役」もまた、重層的で複雑なキャラクターであることが多い。また、主人公が少女であることが多く、この理由は同性であると対象化しきれず、元気な女の子の方がやる気が出るからと話す。脚本なしでの制作制作の準備段階でイメージボードを大量に描いて作品の構想を練り、脚本なしで絵コンテと同時進行で作品を制作していくという手法で知られる。これは、周囲から「アニメーション界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」「制作要らずの宮さん」と呼ばれる程の超人的制作管理能力を持つ宮﨑にして初めて可能な手法である。ただし、まったくの白紙の状態から絵コンテを描くわけではなく、ノートにストーリーの構成やアイディアを書いている。本人によれば、「一日中文字を書いていることもある」ということである。また、作品では空を舞うシーンが描かれることが多く、監督本人も意識している。戦史・軍事マニア戦史・軍事マニアとして知られ、第二次世界大戦から前の甲冑・鎧兜や兵器・AFVに造詣が深い。作中で登場する兵器や乗り物にはその知識が十全に活かされている。この方面の趣味が発揮されている作品としては『月刊モデルグラフィックス』誌の『宮崎駿の雑想ノート』という虚実織り交ぜた架空戦記物の超不定期連載マンガがある(途中からタイトルは『妄想ノート』に変更され、現在は中断)。声優の起用『紅の豚』以降は本業としての声優をほとんど起用せず[7]、俳優、女優を起用する事が多い。この点に関して一部の非声優の演技力等について否定的な意見がある。もっとも、近年の俳優、タレント起用に関しては、宮﨑以外のジブリ作品も同様であり、製作の鈴木敏夫の意向が強いとされている。ただ宮崎本人も、海外メディアとのインタビューの中で「我々が欲しいのはコケティッシュな声ではない」という旨を述べている。[1][2]作品名の共通点監督を担当した長編アニメーション映画の作品名には、どれも平仮名の「の」が含まれているのが特徴。手塚治虫の評価1988年手塚治虫が亡くなった時、漫画では自分も影響を受けた、と全面的に肯定した上で、アニメーションに携わる人間の立場から、アニメーション作家としての手塚が日本のアニメーション史に果たした役割に痛烈な批判を加えた[8]。特にテレビアニメーション草創期に、手塚が市場優位性を確立させるため、鉄腕アトムなどの自社(虫プロダクション)制作番組を原価を割り込むほどの低価格で売り込んだことが、現在に至るまで日本のアニメーション製作費が極めて低く抑えられる要因となったとして舌鋒鋭く批判した。東映入社以来、映画アニメに携わっていた宮崎も低賃金、非人間的労働が当然のTVアニメの方に回され、そこから映画アニメ専門の世界に移るまでには長い期間を要した。また、「しずく」などの手塚アニメーション作品そのものに対しても辛口の批判をしたことがある。日本のアニメーション界への危機感2002年のベルリン映画祭金熊賞受賞の際の記者会見のインタビューで「今の日本のアニメーションはどん詰まり」などと語った。1985年2月号のアニメ雑誌「アニメージュ」の押井守河森正治との対談で「どんづまり」、1986年『天空の城ラピュタ』製作中に行ったアニメーション雑誌記者との会見[9]でも「崖っぷち」と表現するなど、以前から、短時間・低予算で量産される日本のアニメーションに対して、危機感を抱き続けており、スタジオジブリのスタジオ運営では月給制を取っていたこともあった。イギリスのBBCなど日本国内外の様々なメディアで伝えられ、日本国内のみならず海外のアニメーションファンを含めて様々な反響があった[10]。なお、西島克彦が「アニメージュ」に載せた『プロジェクトA子』のコメントを取り上げて、「セーラー服が機関銃撃って走り回っているアニメーションを作っていちゃダメなんです」と発言したのは、上記のうち1986年の会見でのことである。

政治的・思想的スタンス[]

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反戦一貫して反戦を、『風の谷のナウシカ』以降は環境保全を主題とした作品を作り続け、湾岸戦争に対しては米国政府の方針に反対の立場を表明していた。思想的転向大学時代から社会主義思想に傾倒するようになり、東映動画入社後は激しい組合活動を行った。その後も長らく左翼的思想を保ちつづけていたが、1989年の天安門事件および東欧革命に大きな衝撃を受け、テンプレート:要出典範囲思想的転向はないという見方宮崎の社会主義思想は未来少年コナンにみられるように国家的組織による強権的な社会主義には批判的であり(作中に登場するインダストリアのイメージは大理石の男のレーニン造船所を彷彿とさせる)、汗を流した労働を尊ぶという描写は初期の頃から現在まで一貫している。明るい陽気な共同体生活の描写はユートピア社会主義、強権的社会主義体制への批判は南欧発祥のユーロコミュニズムに近い。また近年アメリカでの公演に於いて毛沢東語録から言葉を引用したりもしている。宮﨑の強権的「国家」に対する批判的姿勢は、作家の堀田善衛や司馬遼太郎らとの交流から、人間の実相を「もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る」ように凝視する(宮﨑が"澄んだニヒリズム"と呼ぶところの)姿勢に転換していく。例えば漫画版『風の谷のナウシカ』のラストなどに、その人間観・世界観の変化の影響が見受けられる。中尾佐助の思想宮﨑に深く影響を与えた思想に、植物学者中尾佐助による「照葉樹林文化論」がある。ヒマラヤ山脈南麓から中国南部・日本本州南半分までを含む地域が、茶・酒・柑橘類などの特色をもつ共通の農耕文化圏に含まれるとするこの学説に、国家の枠を乗り越える視点を与えられ、「呪縛からの解放」感を味わったという。この影響は特に「もののけ姫」に強く表れており、その後も宮﨑はインタビュー・対談など事ある毎に中尾佐助を引き合いに出している。政治的リアリスト最近では、問題になった新しい歴史教科書をつくる会の教科書を、「民族の『誇り』は、歴史を歪曲することで得られるものではない」と語ったことがある。一方で宮﨑は、司馬遼太郎や堀田善衛との鼎談で、日本の被害国にもナショナリズムの行き過ぎが見られると批判しており、コスモポリタン的な立場で各国の偏狭なナショナリズムを批判しているという主張もある。また、宮﨑は憲法改定に関して9条の支持を表明しているが、同時に、もし国民が9条改定を選択したならそれを尊重するといった趣旨の発言もしており、政治的リアリストとしての一面も持っている。もののけ姫における歴史観もののけ姫には、従来の日本の中世史ではあまり語られてこなかった、たたら(鑪・鈩)製鉄技術者集団、馬子運送業者、らい病患者が登場し、女性が産業を担い発言権を持っている描写や、「天朝さまとはなんぞや。」とうそぶく女性を登場させるなど、網野善彦の中世史観の影響が強く窺える。もっとも、いわゆる「網野史観」に全面的に依拠しているわけではなく、大規模な定着化した踏鞴場の描写など、技術者集団等の非定着性に注目した網野と対立する観点も散見される。

作品[]

監督作品[]

長編アニメーション映画[]短編アニメーション映画[]テレビアニメーション[]
  • 1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ)(第4話以降のAプロ演出グループ名義のモノ)
  • 1978年 未来少年コナン
  • 1980年 ルパン三世 (TV第2シリーズ)
    • 第145話「死の翼アルバトロス」(照樹務名義)
    • 第155話「さらば愛しきルパンよ」(照樹務名義)
  • 1985年 名探偵ホームズ
    • 第3話「小さなマーサの大事件!?」
    • 第4話「ミセス・ハドソン人質事件」
    • 第5話「青い紅玉」
    • 第9話「海底の財宝」
    • 第10話「ドーバー海峡の大空中戦!」
    • 第11話「ねらわれた巨大貯金箱」

参加作品[]

劇場用アニメーション映画[]
  • 1965年 ガリバーの宇宙旅行(動画・原画)
  • 1968年 太陽の王子ホルスの大冒険 (場面設計・原画)
  • 1969年 長靴をはいた猫(原画)
  • 1969年 空飛ぶゆうれい船(原画)
  • 1971年 どうぶつ宝島(アイデア構成・原画)
  • 1972年 パンダコパンダ(原案・脚本・場面設定・原画)
  • 1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美術設定・画面構成・原画)
  • 1977年 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)
  • 1991年 おもひでぽろぽろ(製作プロデューサー)
  • 1994年 平成狸合戦ぽんぽこ(企画)
  • 1995年 耳をすませば(脚本・絵コンテ・制作プロデューサー。一部演出も)
  • 2002年 猫の恩返し(企画)
  • 2006年 ゲド戦記(原案)
テレビアニメーション[]
  • 1969年 ひみつのアッコちゃん(原画)
  • 1972年 赤胴鈴之助(26、27、41話の絵コンテ)
  • 1973年 侍ジャイアンツ(原画)
  • 1974年 アルプスの少女ハイジ(場面設定・画面構成)
  • 1976年 母を訪ねて三千里(場面設定・画面構成)
  • 1977年 あらいぐまラスカル(原画)
  • 1979年 赤毛のアン(場面設定・画面構成)(1~15話まで)

その他の作品[]

漫画・絵物語など[]

  • 長靴をはいた猫
  • 砂漠の民(秋津三朗名義)
  • どうぶつ宝島
  • 妹へ(「宮﨑駿・大塚康生の世界」に収録)
  • 風の谷のナウシカ(全七巻)
  • 宮﨑駿イメージボード集
  • シュナの旅
  • 「風の谷のナウシカ」-宮﨑駿水彩画集
  • 宮﨑駿の雑想ノート
  • 飛行艇時代
  • 泥まみれの虎 宮﨑駿の妄想ノート
  • ハンスの帰還
  • (ロバート・ウェストール・作、宮﨑駿・編、金原瑞人・訳)『ブラッカムの爆撃機』 (児童書) 岩波書店 2006年10月 ISBN 4-00-024632-1
    • 「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編を収録に加えて、宮﨑の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・後編」(コマ漫画、カラー24頁分)を併録。

デザインワーク[]

  • TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』の「ワンダーシップ号」
  • TVCM『日立パソコンH2』の「ポシェット竜」
  • 実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船
  • 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」
  • 神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」
  • 三鷹の森ジブリ美術館
  • 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」
  • 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる」
  • 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ」
  • 中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター「ガブリ」
    • 1991年、映画宣伝用に自主的に作ったキャラクターを、球団創設70年にあたる2006年、ファンクラブ設立にあたり起用したもの。熱心な中日ファンとして知られるスタジオジブリ社長・鈴木敏夫の橋渡しによって採用されることとなった。
  • 日本テレビ社屋外壁の大からくり時計「日テレ大時計」
  • 広島県福山市鞆町の「竜馬の宿」

作詞[]

  • 『君をのせて』(『天空の城ラピュタ』挿入歌)
  • 『風のとおり道』(『となりのトトロ』挿入歌)
  • 『となりのトトロ』(『となりのトトロ』エンディング)
  • 『カントリー・ロード』(日本語訳詞の補作)(『耳をすませば』エンディング)
  • 『バロンのうた』(『耳をすませば』イメージアルバムより)
  • 『もののけ姫』(『もののけ姫』主題歌)
  • 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム
    • 『神々さま』
    • 『油屋』
    • 『さみしい さみしい』
    • 『白い竜』
  • 『お母さんの写真』(CMソング)
  • 『崖の上のポニョ』イメージアルバム
    • 『崖の上のポニョ』(補作詞)(『崖の上のポニョ』主題歌)
    • 『いもうと達』
    • 『ポニョの子守唄』
    • 『ひまわりの家の輪舞曲』

著書(対談・インタビューなど)[]

  • 『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒澤明との対談集)
  • 『時代の風音』(司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談集)
  • 『トトロの住む家』(画文集)
  • 『出発点 1979~1996』(エッセイ・発言集)
  • 『虫眼とアニ眼』(養老孟司との対談集)
  • 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(渋谷陽一によるインタビュー集)
  • 『時には昔の話を』(加藤登紀子との共著、絵本、対談)
  • 『教育について』(共著、インタビュー集)

表紙イラストなど[]

  • 『惑星カレスの魔女』(ジェイムズ・ヘンリー・シュミッツ著、新潮社、東京創元社)
  • 『夜間飛行』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著、新潮社)
  • 『人間の土地』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著、新潮社)
  • 『チェスタトンの1984年/新ナポレオン奇譚』(ギルバート・ケイス・チェスタートン著、春秋社)

絵コンテ集[]

劇場用アニメーション映画[]

  • パンダコパンダ/パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
  • ルパン三世カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
  • 風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集1(徳間書店)
  • 天空の城ラピュタ スタジオジブリ絵コンテ全集2(徳間書店)
  • となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集3 (徳間書店)
  • 魔女の宅急便 スタジオジブリ絵コンテ全集5(徳間書店)
  • 紅の豚 スタジオジブリ絵コンテ全集7(徳間書店)
  • 耳をすませば スタジオジブリ絵コンテ全集10(徳間書店)
  • もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11(徳間書店)
  • 千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集13(徳間書店)
  • ハウルの動く城 スタジオジブリ絵コンテ全集14(徳間書店)

テレビアニメーション[]

  • ルパン三世 死の翼アルバトロス/さらば愛しきルパンよ スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
  • 名探偵ホームズ 小さなマーサの大事件!?/ミセス・ハドソン人質事件/青い紅玉 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
  • 名探偵ホームズ 海底の財宝/ドーバー海峡の大空中戦!/ねらわれた巨大貯金箱 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

幻の作品一覧[]

宮﨑駿が関与・企画・構想するも諸般の事情で幻に終わった、もしくは実現していない作品のリスト。なお、いくつかのタイトルは便宜上付けられた仮題である。

  • 長くつ下のピッピ(1971年ころ、アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品、宮崎らAプロダクションのスタッフたちはスウェーデンまでロケハンに行ったが原作者から映画化の承諾を得られなかった。そのイメージは後に『パンダコパンダ』や『魔女の宅急便」で活かされている。)
  • ユキの太陽(ちばてつやの漫画。パイロットフィルムのみ製作された。)
  • もののけ姫(1980年ころ、『美女と野獣』&戦国時代をモチーフとしているが、1997年に映画化された『もののけ姫』とは題名が共通なだけで、物語もデザインも全く異なる作品である。イメージボードは1993年にスタジオジブリ(後に徳間書店)から大型絵本として出版されている。)
  • ロルフ(1981年ころ、リチャード・コーベン原作のアングラコミック。イメージボードが作成されている。舞台設定やデザインは『風の谷のナウシカ』の原型とも言える作品。)
  • 戦国魔城(1981年ころ。日本の戦国時代を舞台にしたSFオリジナル作品。イメージボードが作成されている。ここでナウシカやラピュタへ繋がる設定が多く生み出された。)
  • NEMO(1981-1982年、ウィンザー・マッケイ原作の『リトル・ニモ』の企画にテレコム・アニメーションフィルムのスタッフとして当初からかかわって大量のイメージボードを作成していたが、制作発表前に降板して退社。フリーになっている。映画自体は1989年に公開されている。)
  • 風の谷の一日(1983年ころ、ナウシカの幼年時代を、風の谷の日常を通して描くというもの。徳間書店の「アニメグランプリ」イベント用に宮崎が提案したが、最終的に映画化されることになる)
  • アンカー(1980年代半ば、夢枕獏との対談で宮崎が提案した。『ラピュタ』完成後、原作夢枕、脚本宮崎、監督押井守、プロデューサー高畑勲で検討されるが、企画段階で中止される。宮崎の構想は、お姫様のような不思議な女の子が何者かに追われて、偶然に出会った男の子がその子を逃がすためにある場所まで送り届けると、また違う人間が別の場所まで送り届けるという恋愛要素を含んだ冒険もの。舞台は当時の東京。しかし、宮崎と押井の意見が対立し、全く話にならず企画は消滅した。「押井守の世界 2008年2月16日」より。)
  • 突撃!アイアンポーク(1985年ころ、「宮崎駿の雑想ノート」から派生したOVA作品の企画で、これも監督に押井守が予定されていた。)
  • 大東京物語(ふくやまけいこの漫画。後に現代には合わないと判断している。)
  • 墨攻(古代中国が舞台の酒見賢一原作の歴史小説。構想では、包囲された都市をある指導者が守っていくというもの。押井守の監督で検討されたが宮崎と話が食い違い、消滅する。)
  • 東京汚穢合戦(宮﨑が1997年、NHK番組『トップランナー』に出演した時に語ったもの。)
  • ゴチャガチャ通りのリナ(柏葉幸子原作の児童文学『霧のむこうのふしぎな町』)
  • 煙突描きのリン(震災後の東京を舞台に、大阪からやってきたリンが風呂屋に住み込み、煙突に絵を描くという話。三鷹の森ジブリ美術館でそのプロットが見られる。この物語のために作られた木村弓の『いつも何度でも』が、後に『千と千尋の神隠し』の主題歌となった。)
  • 毛虫のボロ(長年宮崎が温めてきた「虫の視点から世界はどう見えるか」という企画。「もののけ姫」の前にボツになったが、後に『水グモもんもん』として実現した。)
  • 旅のラゴス(筒井康隆原作のSFファンタジー小説)
  • ジョナサンと宇宙クジラ(ロバート・F・ヤングのSF小説)

脚注[]

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  1. 会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。宮﨑が回想した戦争体験としては、疎開先の宇都宮が空襲を受け、親類の運転するトラックで宮﨑一家(駿は4歳)が避難した際、子供を抱えた近所の男性が「助けてください」と駆け寄ってきた。しかし、小さいトラックは既に宮崎の家族でいっぱい。車はそのまま走りだした。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている。(『時代を翔るアニメ監督 宮崎駿』北海道新聞夕刊、2001年)
  2. 「『白蛇伝』との出会いは強烈な衝撃を残していった。マンガ家を志望して、流行の不条理劇でも描こうとしていた自分の愚かさを思い知らされたのだった。口をつく不信の言葉と裏腹に、本心は、あの三文メロドラマの安っぽくても、ひたむきで純粋な世界に憧れている自分に気づかされてしまった。世界を肯定したくてたまらない自分がいるのをもう否定できなくなっていた。 それ以来、ぼくは真面目に何をつくるべきか考えるようになったらしい。少なくとも本心で作らなければダメだと、思うようになっていた。」(『日本映画の現在』岩波書店、1988年)
  3. 在学中に幾つかの雑誌編集部に革命をテーマにした自作漫画の持ち込みをしたが、時代物は扱っていないと門前払いされ、採用され無かったので将来に不安を感じた事もあるが、「劇画の世界と、アニメーションの世界と、どちらが表現方法として優れているかというので、ずいぶん自分でも悩み続けて、結局、アニメーションの方が優れているという結論を、自分なりに出してしまったんです」(『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)
  4. 「これほどのことがアニメーションでできるなら、いつか自分もやってみたい、アニメーターになっていてよかったと思って、はっきりと腰が座った」(『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)
  5. 尾形英夫「あの旗を撃て!―『アニメージュ』血風録」(オークラ出版、2004年)
  6. 「僕らは抜き差しならない現実社会に、抜き差しならない自分をかかえて生きているでしょう。だけどね、いろんなコンプレックスとかガンジガラメの関係から抜け出て、もっと自由な、おおらかな世界にあればね、自分は強くも雄々しくもなれる。もっと美しく、やさしくなれるのに、という思いを持ってるんじゃないか。少年も老人も、女も男も…」(富沢洋子編「また、会えたね!」アニメージュ文庫 徳間書店、1983年)
  7. 『紅の豚』以前の『天空の城ラピュタ』でも主人公の少年パズー役に実際の少年を起用しようとしたといい、非声優の採用は早くから検討されていた。『天空の城ラピュタ』でプロの成人の女性声優を起用した(最終的にパズーを演じたのは田中真弓)のは演技力の問題であったという(『アニメージュ』徳間書店、1986年8月号)。なお主役級以外に関しては、それ以前の作品から俳優や文化人などの出演はある。
  8. 「コミックボックス」ふゅーじょん・ぷろだくと、1989年5月号。
  9. 「コミックボックス」に全録、「月刊OUT」みのり書房、1986年8月号に抄録で掲載。
  10. 「アニメージュ」2002年5月号において、宮﨑の発言に対する5人のアニメ業界人のコメントを掲載。久美薫『宮﨑駿の仕事 1979~2004』(鳥影社、2004年)では宮﨑発言が「反響が大きかった」とし、久美自身も8ページをかけて宮﨑発言を論じる。

関連項目[]

  • 徳間書店
  • 徳間康快
  • 原徹
  • 大塚康生
  • ジョン・ラセター
  • 押井守
  • 豚屋
  • マンマユート団

参考文献[]

関連書籍[]

  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)(ISBN 4-19-554639-7)
  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと2』(徳間書店、1999年)(ISBN 4-19-861047-9)
  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(徳間書店、2001年)(ISBN 4-19-861361-3)
  • 大泉実成『宮﨑駿の原点 母と子の物語』(潮出版社、2002年)(ISBN 4-267-01653-4)
  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店、2004年)(ISBN 4-19-861890-9)
  • 尾形英夫『あの旗を撃て!「アニメージュ」血風録』(オークラ出版、2004年)(ISBN 4-7755-0480-0)
  • 鈴木敏夫『映画道楽』(ぴあ、2005年)(ISBN 4-8356-1540-9)
  • 叶精二『宮﨑駿全書』(フィルムアート社、2006年)(ISBN 4845906872)

関連DVD[]

  • 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2001年)
  • 柳川堀割物語』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)
  • 『ラセターさんありがとう』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)
  • 『世界・わが心の旅 (2巻セット)』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)
  • 『宮﨑駿プロデュースの1枚のCDは、こうして生まれた。』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)
  • 『宮﨑駿とジブリ美術館』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2005年)

外部リンク[]

  • スタジオジブリ
  • GhibliWorld.com(英語)
  • 高畑勲・宮崎駿作品研究所
  • くろねこ亭ミラーサイト
  • The Internet Movie Database: Hayao Miyazaki (英語)
  • Nausicaa.net (英語)
  • Online Ghibli (英語)
  • 吉卜力之宮﨑作品倶楽部 (中国語)
・話・編・歴
宮崎駿
監督作品
テレビアニメーション
ルパン三世 第1期(各話、1971年)テンプレート:!wrap未来少年コナン(1978年)テンプレート:!wrap死の翼アルバトロス(1980年)テンプレート:!wrapさらば愛しきルパンよ(1980年)テンプレート:!wrap名探偵ホームズ(各話、1984年)
長編アニメーション映画
ルパン三世 カリオストロの城(1979年)テンプレート:!wrap風の谷のナウシカ(1984年)テンプレート:!wrap天空の城ラピュタ(1986年)テンプレート:!wrapとなりのトトロ(1988年)テンプレート:!wrap魔女の宅急便(1989年)テンプレート:!wrap紅の豚(1992年)テンプレート:!wrapもののけ姫(1997年)テンプレート:!wrap千と千尋の神隠し(2001年)テンプレート:!wrapハウルの動く城(2004年)テンプレート:!wrap崖の上のポニョ(2008年)
短編アニメーション
On Your Mark(1995年)テンプレート:!wrapフィルムぐるぐる(2001年)テンプレート:!wrapくじらとり(2001年)テンプレート:!wrapコロの大さんぽ(2002年)テンプレート:!wrapめいとこねこバス(2002年)テンプレート:!wrap空想の空飛ぶ機械達(2002年)テンプレート:!wrap水グモもんもん(2006年)テンプレート:!wrap星をかった日(2006年)テンプレート:!wrapやどさがし(2006年)テンプレート:!wrapパン種とタマゴ姫(2010年)
主要参加作品
長編アニメーション映画
太陽の王子 ホルスの大冒険(1968年)テンプレート:!wrap長靴をはいた猫(1969年)テンプレート:!wrap空飛ぶゆうれい船(1969年)テンプレート:!wrapどうぶつ宝島(1971年)テンプレート:!wrapパンダコパンダ(1972年)テンプレート:!wrapパンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(1973年)テンプレート:!wrap耳をすませば(1995年)テンプレート:!wrap借りぐらしのアリエッティ(2010年)
テレビアニメーション
アルプスの少女ハイジ(1974年)テンプレート:!wrap母をたずねて三千里(1976年)テンプレート:!wrap赤毛のアン(1979年)
アニメーション以外の作品
漫画
砂漠の民(1969年-1970年)テンプレート:!wrap風の谷のナウシカ(1982年-1995年)テンプレート:!wrap宮崎駿の雑想ノート(1984年-)
その他
シュナの旅(1983年)

テンプレート:スタジオジブリ


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