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『となりのトトロ』は、1988年に公開されたスタジオジブリと徳間書店のアニメ映画作品および同作品のエンディング主題歌(作詞:宮崎駿、作曲:久石譲)の曲名である。
高度経済成長によって失われる前に存在した日本の自然の美しさと子供にしか見えない世界の不思議さと怖さとを想像力豊かに描き、観客のノスタルジアを呼び起こして幅広い人気を得た。今まで知る人ぞ知る存在だった宮崎が、国民的映画作家として飛躍するきっかけとなったのが、この『となりのトトロ』ということになる。
1988年4月16日に東宝系で日本公開された。観客動員数は約80万人。英語版でのタイトルはMy Neighbor Totoro。封切り時の併映は高畑勲監督作品『火垂るの墓』だった。劇場公開時は、世間でもさほど注目されていたわけではなかった。オタク的な外連味が皆無で地味すぎる作風は、当時のアニメファンには当惑を持って受け止められていた。一部のコアなマニアが支持していた程度である。公開日は春休みが終わってからという中途半端な時期で、配給収入は『風の谷のナウシカ』を大きく下回った。
だが、宮崎の独創的かつ情緒溢れる世界観は、これまでアニメを軽視していた一般映画の評論家たちからも絶賛を受ける。キネマ旬報の「日本映画ベストテン」第1位など、各種日本映画関係の作品賞を獲得する。さらに1989年4月以降、テレビ放映が繰り返し行われたことで幅広い世代に知られるようになる。後に発売されたビデオ、さらに2001年発売のDVDは旧作にもかかわらず記録的な売上を達成する。宮崎アニメの中では、とりわけファミリー層に支持されている作品である。
また、2002年には、番外編的な作品である『めいとこねこバス』が三鷹の森ジブリ美術館で公開された。
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1958年(昭和33年)の(設定上は昭和30年代)日本を舞台にしたファンタジー。田舎へ引っ越してきた草壁一家のサツキ・メイ姉妹と、“もののけ”とよばれる不思議な生き物「トトロ」との交流を描く。
本作の原型となる構想は、宮崎駿が1970年代に日本アニメーション、そしてテレコム・アニメーションフィルムに在籍していたころに書き連ねていたイメージボードで確認することができる。この時点では主人公の女の子は1人の状態で、サツキとメイのデザインと性格を一つにしたような感じになっていた。テレビスペシャルにでも採用してもらおうかと模索していたようだが企画書を通すことはできなかった。また、宮崎がAプロダクションに在籍したときに設定や演出に参加した『パンダコパンダ』からもイメージされている。
宮崎は天空の城ラピュタの公開を終えた後、1986年11月に「トトロ」の企画書を徳間書店に提出する。ただ、舞台が昭和30年代となっている他、あまりにも地味すぎる題材であるため制作企画会議において承認を得るまでには至らなかった。当初、60分程度の中編映画として企画されており、単独での全国公開は難しかったからだ。そこで、高畑勲が検討していた『火垂るの墓』を同時上映する案が浮上。徳間書店社長・徳間康快の要請で、『火垂るの墓』の原作小説を刊行している新潮社が『火垂るの墓』の出資・製作に参加することになり、中編2本体制が確立する。
制作母体は前回同様、スタジオジブリが選ばれた。高畑班が従来のスタジオに入り、宮崎班は新設した第二スタジオに準備室を設営する。高畑・宮崎の信頼に耐える主要スタッフ(アニメーター)は限られており、人員のやりくりに制作側は苦慮することになる。高畑が旧知のベテランを集めた一方、宮崎は、作画監督に佐藤好春、美術監督に男鹿和雄、それに金田伊功、近藤勝也など若手や中堅の実力派を頼りに作画を指示していく。当初、共に60分の中編になるはずだったのが、宮崎、高畑共に絵コンテを作成する段階で所定の時間に収まりきれなくなり、結果的に両作とも上映時間は90分、長編2本体制での公開と規模は膨らんでいく。
公開は1988年4月。観客は、アニメ映画界の二大巨頭の代表作、しかも作風も物語も印象も全く相反する内容の作品を一緒に観ることができた。両作品ともあまりにも地味すぎた上に、監督の知名度もなく、公開時期が中途半端で東宝も宣伝に力を入れていたとは思えず、配給収入は5.9億円と伸び悩んだ。
しかし、公開後、「となりのトトロ」は映画評論家や一部のアニメマニアに再評価されるようになり、やがてスタジオジブリを代表する国民誰もが知っている作品へと成長していく。1989年以降、「金曜ロードショー」(日テレ)では数年に1度(ジブリ最新作公開年の夏が多い)、放映されており、視聴率は毎回23%前後を記録する。1997年6月27日にはブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメントよりビデオが発売され、発売後約1ヶ月で100万本を出荷するヒットになった[1]。そして、2001年9月28日にはブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメントよりDVDが発売された。これも、2005年10月31日付オリコンDVDチャートで200週チャートインという記録を達成。さらに記録更新中である[2]。
時代設定は昭和30年代初頭、すなわち1957年、1958年ころともされているが、宮崎は「テレビのなかった時代」と言及しており、ある特定の時代を念頭に置いて演出したわけではない[3]。ある特定の時代を郷愁する手がかりとなるアイテムを意図的に外したため、普遍的な人気を集めることに成功した。
宮崎は、トトロと主人公たちが住んでいる緑豊かな集落のイメージについて、かつて在籍した日本アニメーションのある聖蹟桜ヶ丘、親族が女将を務めており、子供の頃よく遊んだ鶴巻温泉の元湯・陣屋、子供のころに見て育った神田川、宮崎の自宅のある所沢、美術監督の男鹿和雄のふるさと秋田など様々な地名を挙げている。そうした風景が入り混じっており、具体的に場所を決めたというわけではないと公開時に語っていた。その後、宮崎が1990年代から狭山丘陵の「トトロの森」保全運動に携わったこともあり、現在では所沢市がその舞台として紹介されることが多い。
作品の固有名詞などは埼玉県所沢市から東京都東村山市にかけて広がる狭山丘陵の地名をもじったものが多い。
『さんぽ』は現在では童謡曲の定番として、広く歌われている。
作曲:久石譲、指揮:金洪才、演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団、ナレーション:糸井重里
トトロのストーリーを糸井重里によるナレーションと、オーケストラによる音楽で再現。
2003年に久石譲のコンサートにて初演された。物語に入る前に、「さんぽ」のメロディーに合わせてオーケストラの楽器紹介が行われるなどブリテンの「青少年のための管弦楽入門」を思わせるような側面もある。
CDは徳間ジャパンより、オーケストラスコアは全音楽譜出版社より発売されている。
この作品の最初のレーザーディスクでは、薄暗いシーンでの「ススワタリ」の動きなど、薄暗い部分が黒すぎる画像となって見えにくくなっていた。後年、米国で発売のレーザーディスクではテレビサイズトリミング版であったが、この問題については改善されていた。現在のDVDでは、このような問題はない。
初期の設定では、主人公はメイに似た外見をした5歳の女の子だった。当初、宮崎駿は女の子がトトロに出会う場面について、雨のバス停の時と昼間の時との二つの場面を思いついてしまい、悩んでいたのだが、映画化決定の1年前に入って、主人公を二人の姉妹にすることを思いつき、サツキとメイの二人が生まれたということである(ロマンアルバム特別編集『となりのトトロ絵コンテ集』(1988年)附録の宮崎駿インタビューより)。また、サツキ(皐月)、メイ(May)ともに「5月」を表す名前である。ちなみにオープニングが終わってすぐの、本編の最初のBGMのタイトルも「五月の村」であり、作品中前半の季節も五月となっている。
「トトロ」の名前は「所沢のとなりのお化け」に由来している[6]。宮崎監督の知り合いの女の子が「ところざわ」がうまく発音できず、「ととろざわ」と言っていたことから「トトロ」という名前が生まれたと監督自身が語っているテンプレート:要出典。また、劇中で、メイが「トトロに会った」ことを話した際、サツキが、「トトロって、絵本に出ていたトロルのこと?」と尋ねているが、エンドロール中、サツキとメイがお母さんに布団の中で読んでもらっている絵本の表紙には「三匹のやぎ」と題名が書いてあり、橋を渡る白いヤギと真っ黒な怪物が描かれていることから、さつきの言っていた「絵本」とは「三匹の山羊のがらがらどん」であると想像できる。初期の設定では、大トトロは「ミミンズク」で1302歳、中トトロは「ズク」で679歳 、小トトロは「ミン」で109歳(『THE ART OF となりのトトロ』に掲載される初期イメージボードの設定より)。
登場キャラクターの「ススワタリ」は『千と千尋の神隠し』にも同じ役で出演しているが、『千と千尋の神隠し』に出ているススワタリには足がある。なお『THE ART OF となりのトトロ』(徳間書店)に掲載される初期イメージボードの中には、足のあるススワタリが描かれているものがある。
作中の冒頭、オート三輪が登場する。また、バスに車掌が乗車しているのも1950年代ならではの風景である。オート三輪は、形状やバーハンドル、ドアがない点などから極初期のダイハツ・ミゼット(DK型)であると思われる。ただDK型の乗車定員は一名なのでお父さんがどこに座っているのかは不明である。1957年式のミゼットには二人乗りのものがあり、これに乗っていた可能性もある。サツキとメイが引越し荷物を載せたトラックの荷台に乗っている時、近くを走っていた自転車に乗った男性をお巡りさんだと思って隠れるという描写がある。しかし、道路交通法の施行は1960年で今作品設定の2年後であり、また第55条では貨物を積載している車の場合、その荷物を守るため最小限度の人数ならば荷台に乗っても良い事になっている。
メイが迷子になって皆が捜索を行っている際に、急を告げるカンタが自転車に乗っていた乗り方が通称「三角乗り」。この当時田舎には子供用自転車というのはほとんど無く、子供達は大人が使うガッシリした自転車のサドルの前の三角フレームの間に片足(右利きは右足)を突っ込んで、自転車を斜めに傾けてペダルを漕いで走らせていた。またこの時代の自転車はほぼ実用車であり、ダイヤモンドフレーム、ロッドブレーキ、砲弾型の前照灯などが特徴である。因みに女の子は婦人用自転車のサドルの前の部分が空間となっていたため、サドルに腰掛けない状態でべダルを漕いで走らせていた。
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ar:جاري توتوروbn:মাই নেইবর তোতোরোcs:Můj soused Totoroda:Min Nabo Totorode:Mein Nachbar Totoroeo:Mia najbaro Totoro (filmo)es:Mi vecino Totorofi:Naapurini Totorofr:Mon voisin Totorohe:חברי השדון טוטורוhr:Moj susjed Totoroit:Il mio vicino Totoronl:My Neighbor Totorono:Min nabo Totoropl:Mój sąsiad Totoropt:Tonari no Totororu:Мой сосед Тотороsv:Min granne Totoroth:โทนาริ โน โต๊ะโตะโระuk:Мій сусід Тоторо
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