高畑勲

ページ名:高畑勲

高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - )は、三重県伊勢市出身の映画監督、プロデューサー、翻訳家。東京大学文学部仏文科卒業。紫綬褒章受賞。

日本のアニメーションを黎明期から支えてきた演出家で、「アルプスの少女ハイジ」「火垂るの墓」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「じゃりン子チエ」などの演出で知られる。別名義にテレビ版「じゃりン子チエ」の演出時に使った武元哲(たけもとてつ)がある。

目次

人物・概要[]

岡山県の教育制度発展に尽力し、第4代経団連会長・土光敏夫らと共に岡山県で初めての名誉県民に選ばれた元岡山県教育長・高畑浅次郎を父に持ち[1]、7人兄弟の末っ子。血液型O型。愛称は「パクさん」。趣味は音楽鑑賞と勉強。

アニメーション以外にも、水の都福岡県柳川市の風情を撮影した「柳川堀割物語」といった実写のドキュメンタリー作品や人形劇の演出も手がけている。

学生時代からフランスの詩人・脚本家であるジャック・プレヴェールの作品を愛好し影響を受けており、彼の名詩集《Paroles》(邦訳題名『ことばたち』)の日本初完訳(2004年)という仕事も行っている。

また、フランスの長編アニメーション映画「キリクと魔女」日本語版の字幕翻訳・演出、さらに原作本の翻訳も手がけている。同じくフランスの長編アニメーション映画「王と鳥」の字幕翻訳も手がけた。「紅の豚」の劇場用パンフレットではさくらんぼの実る頃(原題: Le Temps des cerises)の訳詞を載せている。

アニメ業界に入るきっかけは、海外の長編アニメ「やぶにらみの暴君」に感銘したからで、大学卒業後に東映動画に入社。「わんぱく王子の大蛇退治」で演出助手になり、テレビアニメ「狼少年ケン」で演出デビュー。その仕事ぶりを認められ、長編アニメ「太陽の王子 ホルスの大冒険」の演出(≒監督)に抜擢される。ホルスは興行的には惨敗するが高い評価を得る。その後、宮崎駿らと共にAプロダクション、ズイヨー映像(のちに日本アニメーションに改組)、テレコム・アニメーションフィルムへの移籍を経て、1985年、徳間書店が宮崎駿の映画製作の為に設立したスタジオジブリに宮崎に請われて参加する。現在もスタジオジブリに所属し、個人事務所の畑事務所を持つ。

宮崎駿やプロデューサーの鈴木敏夫、元同僚の人々から「パクさん」と呼ばれることが多いが、これは東映動画時代に高畑がよく遅刻して食パンをパクパク食べていたことからついたニックネーム。ロシアのアニメ作家ユーリ・ノルシュテインとも交流がある。

鈴木敏夫によると現在スタジオジブリで新作を準備しているらしい。

略歴[]

  • 1935年10月29日、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれる。
  • 1938年、三重県津市に転居。
  • 1942年、三重県立師範学校男子部付属国民学校に入学。
  • 1943年、父の転勤に伴い岡山県立師範学校男子部付属国民学校に転入。卒業後、岡山大学付属中学校に進学し卒業。
  • 1954年、岡山県立朝日高校を卒業、東京大学教養学部に入学。
  • 1956年4月、東京大学文学部仏文科に進級。
  • 1959年3月、東京大学卒業。4月、東映動画に演出助手として入社。「安寿と厨子王丸」「鉄ものがたり」「わんぱく王子の大蛇退治」「狼少年ケン」「太陽の王子ホルスの大冒険」「ひみつのアッコちゃん」「ゲゲゲの鬼太郎」「もーれつア太郎」「新・ゲゲゲの鬼太郎」「アパッチ野球軍」などに参加。東映動画労働組合での組合運動を通じ宮崎駿と親交を深める。
  • 1971年6月10日、宮崎駿、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)へ移籍。「ルパン三世」「パンダコパンダ」「パンダコパンダ雨ふりサーカスの巻」「荒野の少年イサム」に参加。
  • 1973年、宮崎駿、小田部羊一と共にズイヨー映像(現日本アニメーション)へ移籍。「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「ペリーヌ物語」などに参加。
  • 1978年、宮崎駿の「未来少年コナン」に(絵コンテ)参加。
  • 1979年、 赤毛のアン演出。
  • 1981年、 テレコム・アニメーションフィルムへ移籍。「じゃりン子チエ」(脚本・監督)公開。
  • 1982年、「セロ弾きのゴーシュ」(脚本・監督)公開。
  • 1983年、「リトル・ニモ」の準備作業をするが米国側と意見が合わず演出を降板。
  • 1984年、「風の谷のナウシカ」(プロデューサー)公開。
  • 1985年、 スタジオジブリ設立に参画。
  • 1986年、「天空の城ラピュタ」(プロデューサー)公開。
  • 1987年、「柳川堀割物語」(脚本・監督)公開。
  • 1988年、「火垂るの墓」(脚本・監督)公開。
  • 1989年、「魔女の宅急便」(音楽演出)公開。
  • 1991年、「おもひでぽろぽろ」(脚本・監督)公開。
  • 1994年、「平成狸合戦ぽんぽこ」(原作・脚本・監督)公開。
  • 1998年、1998年秋の紫綬褒章を授章。
  • 1999年、「ホーホケキョとなりの山田くん」(脚本・監督)公開。

宮崎駿との関係[]

アニメーション作家・映画監督の宮崎駿は東映動画(現・東映アニメーション)時代の後輩である。また、「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「おもひでぽろぽろ」に至るまで、永年共に作品を作ってきた盟友でもある。東映動画時代、組合活動を通じて(まだ一アニメーターに過ぎなかった)宮崎に与えた思想的影響は大きいと言われている。東映動画を離れて以降も共に作品を作り続け、演出面でも宮崎に影響を与えたと言われている。但し、現在は二人の作風や思想に埋めがたい溝があり、二人三脚で作品を作ることはなくなっている。(作風の違いについては宮崎駿の項参照)高畑は現在の二人の立場の違いを「ジブリは宮崎駿のスタジオ。彼は役員だが僕は違うし…」と語っている。(こどもの城(渋谷)での講演より)とはいっても、今でも互いの才能は認めている。例えば、高畑は「となりのトトロ」を、「子供たちは森にトトロがいる可能性を感じられるようになった」と評価している。また、宮崎が基本設計した「三鷹の森ジブリ美術館」を激賞し、その建築的意義を称えている。

他方宮崎は、その三鷹の森ジブリ美術館で開催された「アルプスの少女ハイジ展」で、高畑の演出を評価しながら詳細な解説を行ったり、千と千尋の神隠しの制作の際には、視点がずっと千尋を追うことに対し「パクさん(高畑)に怒られるな」とぼやいていたという。これは演出に際し、そういうことだけは絶対にやるなと高畑に教わった為である。鈴木敏夫によると、宮崎は高畑を未だに演出の先生だと思っているそうである。

仕事[]

緻密な構成力を有し、アニメーションでありながら、リアルで自然な説得力のある世界観を追求している。演出家であるものの、絵は描けず、制作の際は口述や筆記によって自身の演出プランを展開させ、それを作画技術を持つスタッフが絵コンテにまとめるという形式をとっている[1]

しかしながら制作のスピードに関しては、宮崎が「パクさんはナマケモノの子孫です」と譬えるほど遅筆である。「太陽の王子 ホルスの大冒険」では、製作の遅れの責任を取って、プロデューサーが何度も交代するほどであった。
スタジオジブリの鈴木敏夫は2007年6月のTV番組において、なるべく早く高畑勲に映画を撮らせたいと語った。ただ高畑の場合自分で絵を描くことが出来ないので、彼のイメージを具現化できるアニメーターが必要になるのでその点が難しいが、何とかすると語った。鈴木によると、実際に脚本段階まで進んでいる企画が複数あるとの事。

手がけた主要作品[]

  • 1962年鉄ものがたり(演助進行(演出助手と制作進行を兼任することを指す)
  • 1963年わんぱく王子の大蛇退治(演出助手)
  • 1963年暗黒街最大の決闘(助監督)
  • 1964年狼少年ケンおばけ嫌いジャングル最大の作戦(演出)
  • 1965年狼少年ケン誇りたかきゴリラ(演出)
  • 1968年太陽の王子 ホルスの大冒険(演出)
  • 1971年長くつ下のピッピ※アニメ化権取得に失敗
  • 1971年ルパン三世(演出)(大隅正秋降板後、宮崎と共に「Aプロダクション演出グループ」名義で参加)
  • 1972年パンダコパンダ (監督)
  • 1973年パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 (監督)
  • 1974年、1975年、1979年アルプスの少女ハイジ (演出)
  • 1976年、1980年母をたずねて三千里 (演出)
  • 1979年赤毛のアン(演出・脚本)
  • 1981年じゃりン子チエ(監督・脚本)※劇場版
  • 1981年、1982年、1983年じゃリン子チエ (チーフディレクター、絵コンテ、演出)※テレビ版
  • 1982年セロ弾きのゴーシュ(監督・脚本)
  • 1982年ニモ/NEMO (日本側演出)※1983年3月12日に降板
  • 1984年 風の谷のナウシカ (プロデューサー)
  • 1986年 天空の城ラピュタ (プロデューサー)
  • 1987年 柳川堀割物語 (監督・脚本)
  • 1988年火垂るの墓(監督・脚本)
  • 1991年おもひでぽろぽろ(監督・脚本)
  • 1994年 総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ (原作・監督・脚本)
  • 1999年ホーホケキョ となりの山田くん(監督・脚本)

賞歴[]

  • 1998年紫綬褒章を受章。
  • 2007年第12回アニメーション神戸賞・特別賞を受賞。

著書[]

単著[]

  • 『ホルスの映像表現』(ISBN 4196695140)
  • 『映画を作りながら考えたこと』(ISBN 4195546397)
  • 『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』(ISBN 4198609713)
  • 『木を植えた男を読む』(ISBN 4193642798)
  • 『話の話―映像詩の世界』(ISBN 4196695248)
  • 『漫画映画の志―「やぶにらみの暴君」と「王と鳥」』(岩波書店,2007年 ISBN 4000220373)

共著[]

  • (宮崎駿・鈴木伸一・おかだえみこ)『アニメの世界 とんぼの本』(新潮社,1988年,ISBN 4106019566)

訳書[]

  • ミッシェル・オスロ『キリクと魔女』(ISBN 4198616906) 翻訳
  • ジャック・プレヴェール『ことばたち』(ぴあ,2004年 ISBN 4835609603)翻訳
  • ジャック・プレヴェール『鳥への挨拶』(ぴあ,2006年,奈良美智絵,ISBN 4835616359) 編・訳

関連書籍[]

  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(ISBN 4198613613)
  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(ISBN 4198618909)

脚注[]

  1. ただし宮崎と組んだ時などには、どんな物語にするか? プロットは? 一つ一つの情景は? という事を綿密に打ち合わせて、共通のイメージが出来上がった時点で絵にしていくという繰り返しで、物語を作る際に宮崎は膨大な量のイメージボードを描いている。それがスタッフ共通のイメージとなって進行していく事が多く、『母をたずねて三千里』 の脚本の深沢一夫は、宮崎のイメージボードで出てきた着想も多かったと語っている。

関連項目[]

外部リンク[]

  • スタジオジブリ
  • GhibliWorld.com(英語)
  • 高畑勲・宮崎駿作品研究所

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