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ファイル:2008TaipeiGameShow Day2 DigitalContentForum Yoshiyuki Tomino.jpg富野由悠季(2008年台北ゲームショウ)
富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、日本のアニメーション監督、作詞家、小説家。
神奈川県小田原市出身。日本大学藝術学部映画学科卒。
日本で最初の連続テレビアニメ番組「鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメ界をその草創期から知る人物で、日本を代表するアニメーション監督の一人である。
代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。
本名(旧ペンネーム)は富野 喜幸。富野由悠季というペンネームは1982年以降、原作、監督、小説執筆の時に使われるようになった。そのほか作詞家としての井荻 麟(いおぎ りん)、井荻麟というペンネームの由来は、日本サンライズの事務所のあった上井草駅が西武新宿線の井荻駅の隣(となり)であることによる。絵コンテ、脚本、演出のために使われる斧谷 稔(よきたに みのる)等複数のペンネームを持つ。なお、血液型はAB型。本人執筆の小説の作者紹介欄によると、趣味は素描(ドローイング)とある。自身の小説の挿絵もしばしば描いている。家族構成は、妻の亜々子と2人の娘。長女は演劇集団 円文芸/演出の富野アカリ、次女は、ダンサーの富野幸緒、ファンからの呼び名は「ガンダムの親」「御大」など。
監督、絵コンテ(絵コンテの節を参照)、演出をしながらも、しばしばOP・ED曲や挿入歌の作詞をし、さらに並行して小説(主に自分の作品の小説化や自分の作品の派生作品)まで書いている。ただ、「小説で鬱憤を吐き出してしまうという悪い癖がある」と自認し、後書きなどで反省している。
独特の声優審美眼でも知られる。『巨人の星』の主人公星飛雄馬のイメージが強かった古谷徹を『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役に推したり、俳優の池田秀一、戸田恵子、舞台役者であった白鳥哲、朴璐美などを声優として発掘したり(基本的に人選のセンスは音響監督によるが、声優としての演技センスを育てるという点では正しい表現と言える。)、一見ミスマッチでも視聴後には他のキャストは考えられないような配役を行なう。アフレコ現場には必ず立ち会って声優と演技の詳細を詰めると言われ、富野作品で実力をつけた声優は少なくない(大のガンダムファンでもある子安武人も複数の作品で起用された結果、自身の演技の幅を更に広げた)。演技の指導は厳しく、要求に応えられない時はブースに駆け込んで罵声を飛ばす。阪口大助をはじめ新井里美、浅川悠らはその厳しさに泣き出したという(当時新人だった阪口に至っては鉄拳制裁まで加えた事もあったとの事)。また、『重戦機エルガイム』で主役を務めた平松広和は「キャラを殺して降ろす」とまで言われたという逸話もある。だが本人は「僕は演技の違いはわからない」などと語り、演技に対する意識は非常に高い。
自らメカをデザインする事もあり、特徴的な容貌やギミックを好む。また、ダクトで覆われたゲルググの胴体やエルメスのビットやザクレロに配された多方面スラスターなどの機能的なデザインもある。ビグザムやゾックなどは富野デザインがほぼそのまま残った例であり、実質的に『ガンダム』のドムより後のモビルスーツは、ほぼ富野がデザインしたといわれている。商品化の如何にかかわらず、模型化できるデザインを常に心掛けたという。彼はメカデザイン打ち合わせ時、ファミレス・喫茶店等の公の場であっても、自分の作品論に基づいてか、人目をはばからず卑猥な言葉を発し、スタッフが閉口する事もあるが自身の存在を覚えてもらうために敢えて狙ってそういう発言をしているフシがありテレビ関係の仕事の際は「禁止コード」だからとその発言を控えるなど自身の狙いを匂わせている。
かつて富野の下で修行し実力をつけ名作アニメを生み出した監督は数多い。後年の勇者シリーズやエルドランシリーズなど新たなジャンルのロボットアニメを切り開いた、谷田部勝義、今川泰宏、高松信司、川瀬敏文なども富野の下で修行したと言われる。今川泰宏を『機動武闘伝Gガンダム』の監督に推薦したのは富野で、富野が今川に「ガンダムをぶっ壊してもらいたかった」という理由からである。厳密には監督ではないが永野護も富野の元で修行した1人であり、富野自身がその才能を高く評価している1人でもある。アニメの監督になっていなかったら、自分は禁治産者とみなされるか、犯罪者になっていたかもしれないと語ったことがあるが、その厳しい指導の成果は後進へと継がれている。また、教え子たちが監督を務めた作品を視聴しては、意見や批判もレポートに書いて出している。
アニメ誌やテレビなどの媒体に露出度が高い上、歯に衣着せぬ物言いから、謙遜や謙譲を美徳とする人たちの反感を買う事もある。ただ、その先見の明と能力を評価する人もいる。また、色紙に座右の銘をと求められると「乾坤一擲」と書き込む様にチャレンジ精神を志向する人物なので、新作には必ず何か新しい試みを盛り込もうとしてアニメファンから抗議を受けるケースも珍しくない。ただひたすらに前を見て進もうとする姿勢を「潔い」と感じるか、逆に周囲の都合を顧みない「独善」と感じるかは受け手の側の資質によるところが大きい。だが、良くも悪くも熱烈なファンが多いことでも知られる。
プライベートでは基本的に無趣味だと語るが、夫婦で家庭用TVゲーム版『パズルボブル』などのパズルゲームをプレイして楽しんでいる様子をインタビューにおいて語っている。なお、ゲームに関しては自身の性格からして、のめり込んで身を滅ぼすであろうという想いから、触れないよう尋常ならざる努力をしてきたと語るだけに、このエピソードは貴重である。(A,C,E2の特典DVDでは、「ゲームは麻薬」「ゲームに携わる仕事をしている人間は嫌い」といった発言をしている。ただ、ゲーム技術の発展についてはある程度の理解も示しているようである)。ちなみにゲームの企画に関わった事があり、そのゲームが近年、ガンダムのゲーム作品を代表するガンダム vs.シリーズである。この時訪問したカプコンで出会ったのが『∀ガンダム』以降の盟友となる安田朗である。
実は大の甘党でショートケーキなどのスウィーツ類が大好物。2002年2月28日に放送された『トップランナー』に出演した際、女性司会者のはなが手作りのショートケーキを差し出した。そのとき富野は子供のように目を輝かせ、美味しそうに食べていた。しかし、「僕、これショートケーキに見えないんだけど」と発言し、周囲を凍りつかせた(富野にとってのショートケーキとは、20センチ程度のホールサイズを切り分けた三角形状のものという一方、はなが出したものは一人前の小型ホールケーキだった)。
近年は(新作・旧作を問わず)自身の作品のインタビューにおいて、「アカデミー賞を受賞するほか記録的なセールスを成し遂げ、二世まで活躍する宮崎駿らスタジオジブリ制作作品にライバル意識を持っている」というような発言をしばしばする。宮崎、高畑勲に対する評価は非常に高く『富野由悠季全仕事』のインタビューで「誤解を恐れず言えば、宮崎、高畑の演出論は黒澤明以上だ。」とまで評している。
富野は、将来のアニメ業界に就きたいと思っている若者たちに対して[1]、「アニメを見るな」「文芸、演劇、物語を見ないで映画、アニメが作れると思うな」「アニメ以外のことに奮闘しろ」「修身・道徳、格言を学べ」「大人から学ぶものなんてなにもない」「映画産業全般に就きたいのなら学生時代から広くものを見なさい」「45歳までは君たちも挽回できる。人間の基本は9歳までの、当時は解決方法が見えなかった欲求で、それからは逃れられない。それが何だったか思いだせ」とアドバイスをしている。
彼はまた、「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人(成人)になればアニメはさっさと忘れるべきだ」と主張している。彼の作品中でもそのようなテーマを打ち出しているものも多い。
フリーの若手だった頃、ジャンルを問わず多くの作品に参加し、コンテをかなりのスピードで上げていったことから「コンテ千本切りの富野」という異名をとるようになる。業界では「富野に頼めば3日でコンテが上がる」と言われていた。制作スケジュールの厳しいアニメ業界では、富野のように絵コンテを上げるのが早い人材が重宝された。一時期富野の片腕と言われたアニメーターの湖川友謙によると、一部に例外があるようだがと断りながら「おトミさんのコンテの画は、どうとでもとれるような描き方なんですよ。アニメーターがもっと面白い事をやってくれればいいかという感じにもとれるのね。」と語っている。(アニメスタイルで連載されていた湖川友謙へのインタビューより抜粋)。
『富野由悠季全仕事』の調査では、『∀ガンダム』開始時点での絵コンテ総数は少なくみて586本(名前が確認できるもののみ)で、恐らくアニメ史上最多記録であると考えられる。監督業に就いてからも自ら多くのコンテを切り、スタッフに任せたコンテに満足できない時は忙しい時間を割いて自身で手直しをする事もある。『ザブングル』の時に顕著であった事例であるが、ほとんど自分のコンテになってしまった時でもスタッフロールの記載を変えることはしない。これは「手直しされた人間にもプライドというものがあるだろう」という配慮からである。大塚康生が語るところによると、富野が絵コンテとして参加しクレジットもされた『未来少年コナン』においては、監督の宮崎駿がほとんど自分でコンテを書き替えたことも少なくなかったということから、そうした経験も影響していると考えられている。しかし著書『映像の原則』の後書きでは「ただ彼らを甘やかしただけだったかもしれない」と書いている(ちなみに「ほとんど」という点についてだが、コンテというものは1つのカットではなく、カットの連続に意味があるので、直す場合はどうしても全て直すという事になる)。
近年では、演出・絵コンテの圧倒的な経験量を背景とする高い編集能力には定評がある。最新の『劇場版 機動戦士Ζガンダム』では還暦を過ぎてなおコンピュータ編集を身に付け、20年近く前のテレビシリーズから3本の映画を作った。
監督を務めた作品には、ロボットアニメが主なジャンルである。本稿にもあるように、ロボットアニメ以外にも世界名作劇場シリーズを始め、広範に渡るジャンルにおいてコンテや脚本を手がけている。しかし本人曰く「オリジナルのストーリーをギャラをもらって作って練習できるのはロボットアニメしかないと気付いた」とのことである。また「ガンダム」「イデオン」では登場するロボット群の大半のデザイン原案を自ら描いており、ほぼそのまま登場した物も多い。
関わった作品の台詞回しは独特であり、度々含みを持たせた脈絡の無い言葉を発する、顔見知り同士なのに相手の名前をわざわざフルネームで呼ぶなどの特徴がある。この独特の台詞回しは「富野節」と呼ばれている。また、登場メカや人物の名称にも特徴があり、恐らくは富野自身が好んで使用する、ある一定のリズムに則った反復感や法則性が指摘されている。
テーマ曲を作詞する時(特にテレビ放送作品の前期オープニングテーマ曲)に、かつてのスーパーロボット作品のそれと同じく、たいていタイトルや主役機の名前またはその一部を入れている。これは製作現場および業界にそういった空気が充満していたためで、「主役ロボットの名前には濁点と『ン』が入っていないとダメだった」とも本人が語っている。
そして、富野作品全てに共通するテーマの主題として本人曰く「人の自立と義務と主権の発見と、人が作ってしまう悪癖(これを"業"と称している)の発見」と語っているテンプレート:要出典。
かつては物語を盛り上げる必要に応じて重要なキャラクターが死ぬ展開もいとわず、終盤に近づくにつれ、主要登場人物の大半が死に至るような作品(『無敵超人ザンボット3』、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』、TV版『機動戦士Ζガンダム』、『機動戦士Vガンダム』など)を作ることが多く、視聴者に強い衝撃を与えたため、「皆殺しの富野」などの異名で呼ばれた事もあった(代表作『機動戦士ガンダム』では大半が生き残ったが、後の小説版では途中で主人公を戦死させるという展開が見られる)。しかし、富野は決して好き好んでキャラクターを死なせているわけではない。『イデオン』のストーリー後半の製作の際、スポンサーや上層部から声優の出演料の関係でキャラクターの殺害要求をされた時は、嫌だったという。またライトでコミカルな作品(『無敵鋼人ダイターン3』、『戦闘メカ ザブングル』など)も作っている。
近年では、『∀ガンダム』や『OVERMANキングゲイナー』など、昔と比べると人の死や悲惨な描写が少ない王道展開の作品が多い。自身も、「エンターテインメント作品は勧善懲悪の王道展開が面白いに決まっている」といったことを述べている。そのため一部のファンのあいだで、暗く重い悲劇的な作品については「黒富野」、王道の作品やコミカルな作品は「白富野」と俗称されている。
主人公の大半は「家庭環境が悪いので、理屈っぽい捻くれた性格をしている」場合のパターンが多い。また家庭環境の影響か、集団組織(チーム)活動を行えない。恐らくは自身の性格が影響されていると思われる。
作品中にも、主人公と両親の関係が決して良好なものではなく、殺したり存在を忘れさせたりなどその姿勢を、頑なに変えない富野の「許し難い両親が生きている」という態度が作品中に出ている。しかし、両親が死んでしまった時などは主人公が涙を流すなど、本当は家族を愛していた一面も描かれている。ただしそれでも尚、両親であるキャラクターはその「死の瞬間」、まさに肉体が消滅するその瞬間までも醜悪な人間であり続ける事が多い。富野自身も両親に対して憎悪のような感情を抱いていたと述懐している。母のことについてはあまり語っていないが、父はBSアニメ夜話では零戦の与圧服の開発スタッフだったと述べている。
当時のヒロインの多くは、若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記されており、ヒロインには芯の強さが目立つ。実年齢とは別に、主人公よりもやや大人びた感じや引っ張っていくような性格の強さが目立つことが多い。(著書『だから僕は…』にて)
また、ほとんどの作品に富野自身の特徴の一部と似た面(思想、境遇など)を持つ政治家、権力者や野心家が登場している。その例として、デギン・ソド・ザビ、ドバ・アジバ、ドレイク・ルフト、バスク・オム、パプテマス・シロッコ、シャア・アズナブル、カロッゾ・ロナ、フォンセ・カガチ、クラックス・ドゥガチなどがその一例である。本人曰く、一番自分に近いキャラクターとしてギレン・ザビを挙げている。
そして、作品の一部の男性キャラクターは母性愛(マザコン)に飢えているという共通点もある。
富野本人は「目の大きいキャラクターが大嫌い」で、作品を見ても少女漫画や、いわゆる「萌え系」のような大き過ぎる眼(=顔の半分を占める逆に鼻と口は存在しないに等しい大きさ)のキャラクターは全く登場しない。例外は『ダンバイン』のチャム・ファウと『エルガイム』のリリス・ファウぐらいである(彼女の場合は妖精なので意図的にそうしていると見られる)。そのため、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載当時、作画担当の長谷川裕一に「キャラクターの目をもう少し小さくしてくれ」と注文し、長谷川を仰天させた(クロスボーン・ガンダムは長谷川の作風のため、キャラクターの目は多少大きめに描かれていた)。『ブレンパワード』において目の大きいキャラクターを描くいのまたむつみをキャラクターデザインに起用した際も、本人を目の前にして「好きではない」と発言しており、アニメーションデザインを担当した重田敦司にも目を小さく書くように指示を出している。富野曰く、「萌え系のキャラクターの目が大きいのは、視聴者の大半であるオタクが視線に飢えているから」とのことである。反面、機動戦士ガンダムのキャラクターデザイナーに安彦良和を起用した一因に“目を大きく描くから”というのがある。これは、物語展開がそれまでのアニメよりも地味になりがちなりそうなのを見越し、キャラクター人気で作品を引っ張ろうとしていたという。また、ドラマ性を高くするため“目での演技をさせやすくする”ため、ともテンプレート:要出典。
近年は大学で講義を持ち、文化庁の依頼で海外で講演を行うなど、今なお方面を広げて精力的に活動している。雑誌ガンダムエースでは、各界のスペシャリストとの対談記事『教えてください。富野です』が毎月連載されている。
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手塚治虫が自身の同名人気漫画を原作に、自ら社長を勤める虫プロで制作した日本初のTVアニメーション(モノクロ)。富野は64年に虫プロに入社し、制作進行及び演出助手を担当。同年11月放送の第96話「ロボット・ヒューチャー」で、新田修介の名で演出家としてデビューした(同話では脚本と絵コンテも担当)。以後合計25本の演出と絵コンテを担当。自ら脚本を書いたエピソードも多い。この演出本数はアトム全体で最も多く、二話連続コンテなども何度かある。ある意味後半のアトムは富野が乗っ取った形になっているために、元々メインだったりんたろうとは後年まで軋轢があったそうである(現在では和解している)。
「アニメだって映画、動かなくてはいけない。それを止めて見せることができるという発想は許し難かった。最初は仕事と割り切っていたが、半年もすると不満が沸いてきた。当時、虫プロで働いていたのは、映画的なセンスがない人たち。 僕は映画的な演出ができる確信があったので、アニメとは言えない電動紙芝居でも、作りようはあると思うようになった。そんな体質が分かるのか、僕が演出になると、先輩から徹底的に嫌われた。『アトム』での僕の演出本数が一番になった時、みんなの視線が冷たかった。『アトム』が終わると、虫プロを辞めた。」(『アニメ大国の肖像』中日新聞連載、2006年)
虫プロを退社し、「さすらいのコンテ・マン」だった時代に関わりを持ったアニメには次のようなものがある。
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上記以外にも多数あると思われる。当時、どこのスタジオに行っても見かける「さすらいのコンテマン」として有名だったという。
この時期の富野は、ある程度の作風は確立していたものの、演出家としてあまり評価が高いとは言えなかった。そこそこのコンテをとにかく早く上げられるため、業界の便利屋として使われている部分が多かった。ただ、これほど多岐にわたる作品に関わった演出家は他におらず、後の硬軟入り交じる複雑な作風の下地となった事は疑いの余地がない。一方苦手なコンテはギャグ方面のアニメで、『いなかっぺ大将』では何度もやり直しを受けたという。ただし『ど根性ガエル』のような作品は「またやってみたい」と発言し、一方で『いなかっぺ大将』については「下卑たギャグと舐めてかかったがゆえに惨敗した」と書き、また『巨人の星』についてアニメで畳部屋を描くことに抵抗を感じた、と吐露していることから、作者・川崎のぼるに代表される、洗練されていない日本人の感性に訴えかける「泥臭い魅力」を嫌悪しているのが富野の特性だ、ともとれる。
『未来少年コナン』ではコンテを宮崎駿に全て書き直され、畏敬の念もあり『機動戦士ガンダム』の製作時には「コナンを潰すのが目標」と語っていたが、番組終了時には「遂にコナンは一度も抜けなかった」と語った(ちなみに何でも反論するという宮崎駿は、コナンでは誰のコンテでも全て自分で書き直していたそうだ)。今ではその宮崎にも劣らぬ計算され尽くされたコンテは高い評価を受けている。
元々映画系志望だっただけにリミテッド・アニメとは指向が違っていたと言われ、安彦良和によれば「画を描く手間を考えない『真面目にやっているのか?』というコンテ」、湖川友謙は「動かす意欲を刺激する良いコンテ」と、当時はコンテの完成度がそれほど高いわけではなかったが、良くも悪くも平均点でないコンテを描いていたようだ(現在でも癖の強さは変わっていない)。安彦の回想では、画面の奥の方で関係のないキャラクターの芝居が入っているなど、処理に困るシーンがあると現場で適当にカットしていたそうである。それでも特に文句を言ってこないため「軽い演出家」との印象を持っていたが、ガンダム製作時に膨大な設定を持ち込むのをみて考えを改めたという。
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手塚治虫の漫画『青いトリトン』(後にアニメに合わせて『海のトリトン』に改題)を原作としているが、「トリトンやピピはトリトン族である」といったキャラクター設定以外に共通点を見出すことは難しい。実質的にオリジナル・ストーリーで、ハードなストーリー展開と理屈っぽい主人公という富野色はこの頃からすでに十分表れている。放送当時は視聴率が伸びず、わずか2クールで終了したが、原作ファンも合わせて富野版トリトンの設定は評価が高く、今日なお熱烈なファンを持つ作品となった。
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オリジナル・ストーリーをやれると思って引き受けた仕事だったが、原作(鈴木良武)が持っていたオカルト的要素が、諸事情により第1話の作画に入ってから決まった放送局の方針と合わず、急な方向転換を余儀無くされるという不運の中、前半2クールで降板することとなった。後任の監督となった長浜忠夫は、この富野に対するあまりにも横暴な人事に激怒しながらも引き受け、富野も鬱憤を感じながらも、後半でも長浜の下で何本か絵コンテを切るなどの形で番組自体には関わり続けた。そしてこの機会に長浜忠夫の下で技法を吸収する事に努め、監督の立場から作品全体をコントロールする術を学んだと自身で回想している。後に長浜ロマンロボシリーズにも演出、絵コンテとして参加している。
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著作『だから僕は…』によれば、第3話の絵コンテを西崎義展プロデューサーに強引に引き受けさせられたものである。そのストーリーが気に入らなかった富野は、ストーリーを改ざんして西崎に渡し、西崎を激怒させた。翌日か翌々日には本来のストーリーでの絵コンテを再納品したが、それきり二度と西崎からの依頼は来なかったと言う。
「ガンダムを作るきっかけですが、以前にも少し話したんですけど、本音はただ一つです。ごたいそうなものじゃなくてね、『ヤマトをつぶせ!』これです。他にありません。松崎君(松崎健一)も一話でヤマトを越えたと言ってくれましたんで安心してます(笑)」(『アニメック』第10号、1980年)
オスカー・ワイルド原作。全国の幼稚園や小学校で情操教育などを目的に上映された教育映画。一般公開はされていない。
テンプレート:Main途中降板した出崎哲の後を受け、最終話までの1クールのみ監督。
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日本サンライズの第一回制作作品。先の「ライディーン」途中降板の経験を受け、企画段階からスポンサー・放送局に「まず要求を全部言って下さい」と談判し「戦闘シーンは何分要るのか」「武器は何種類出せばいいのか」等、全ての条件を受容れた上で「その中でどこまで劇を入れられるか実験を試みた」という。当作品は、本来ヒーローであるはずの主人公たちが周辺住民から嫌われ追われる、登場人物が次々と非業の最期を迎えるなど、「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的であった当時の業界や視聴者に強い衝撃を与えた。大人の間では「子どもに見せるものとしては不適格」とする声もあった。しかし、ガンダムの前作品として再評価する意見も出ている。
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前作『無敵超人ザンボット3』の暗さを吹き飛ばすかのように全体的にコミカルな作品となった。主人公破嵐万丈は今日でも多くのファンを持つ。衝撃的な『ザンボット3』の後番組だったため、初期の視聴率は伸び悩んだが、最終話は、高いレベルの作画でどこか哀しみを漂わせ、『ザンボット3』や『ガンダム』に引けを取らないシリアスなストーリーで締めくくった。破嵐万丈の人気は根強く、その後もノベライズやオーディオドラマによる後日談など関連作品が生み出されていった。
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富野の代表作として真っ先に挙げられるタイトル。それまでの巨大ロボットものとは一線を画し、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した(富野は、最初に支持してくれたのは、主に十代の若い女性であったと回想している)。続編が次々作られるようになったことで、便宜上「ファースト・ガンダム」と呼ばれることもある。今でこそ名作とされる場合が多いが、初回放送時は視聴率で苦戦し、スポンサーの意向によりテコ入れの路線変更と52話から39話への放送期間短縮が決定される(2クール目より冒頭にガンダム換装シーン、新商品Gメカと毎回敵メカが出てくるスーパーロボット路線への変更)。講談社刊、ガンプラジェネレーションでの当時の関係者に証言によると、この効果により新商品のDX合体セット(Gファイターとガンダムの合体セットだが、当時の定番としてGファイター、ガンダム共に数々の玩具的ギミック、デフォルメが施されている)がヒットし、スポンサーの要請により当初の52話完結へと話が戻された。スタッフ等の諸事情により1ヶ月分の4話を延長した全43話で折り合いが尽き完結するものの、熱心なファンの再放送嘆願により人気が本格的に過熱する。放送終了後にバンダイから300円のキャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)が発売され、企画時はただの単独ラインナップからシリーズ化、さらには劇中に登場しなかったオリジナルモビルスーツ(MSV)の機体も多数発売されることにより、独自の世界観を切り開いていった。これが契機となりガンダム人気はマーケットを主体とした、初回放送時とは比較にならない一大ブームを起こし、再放送、やがて映画化へと繋がる社会現象を引き起こしてゆく(ただし、富野本人はこれは社会現象ではなく、ただファンが盛り上がっただけと語っている[2])。
本作の企画案は当時金欠だった富野がサンライズへ30万円で売り渡したため、いくらガンダム関連商品が売れようとも富野自身に還元されることは無い。(出典:山田玲司『絶望に効くクスリ』、『週刊ヤングサンデー』2005年11号でのインタビューにて)
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『機動戦士ガンダム』終了のわずか数ヵ月後に放送開始されたロボットアニメ。前作である『機動戦士ガンダム』同様に途中打ち切りとなるが、折からのアニメブームの中、「本当の結末が見たい」というファンの声援に後押しされて、後にテレビ版総集編と完結編が二本同時に劇場公開された。
劇場版三部作の第1作。TVシリーズでホワイトベースがサイド7から地球に辿り着き、敵・ジオン公国の脅威を認識する場面(ランバ・ラルとの遭遇と、その後のギレン・ザビの演説)までのエピソード。それまでもテレビアニメで評判の高かったものが再編集されて劇場公開されるケースはあったが、それらの多くは劇場版となった途端に実写畑の監督や監修者を立てていた。そのことに違和感を持っていた富野は、本作で「他人を監督に立てるのであれば上映権は認めません」と会社側と談判して監督権を勝ち取った。
本作が不入りであれば以降は作られなかった可能性も高かったため。タイトルにローマ数字の「I」とサブタイトルがついていない。
劇場版三部作の第2作。TVシリーズで地球に降下してから連邦軍の本拠であるジャブローに辿り着き、ジオン軍との決戦の為に再び宇宙へ旅立とうとするところまでのエピソード。
劇場版三部作の第3作。再び宇宙に舞台を移してから最終決戦を経て終戦に至る最終話までのエピソード。宇宙と書いて「そら」と読ませる。TVシリーズ制作時に病気で現場を離れていた作画監督の安彦良和によるリターンマッチという事もあり、ほとんど新作に近い量の新規作画が起こされている。
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原作・脚本を担当した鈴木良武(=五武冬史)によれば、当初彼と知り合いであったことで吉川惣司が監督として参加していた。しかし、ロボット物でギャグという企画が吉川自身のロボット物に対する思い入れと合わなかったらしく、話し合いを重ねたが企画はなかなかまとまらなかった。そうこうするうちに富野が加わり、それまで何本も書いていた企画書を整理。そこに富野監督としての意見が付加されて本作の形がまとまって行ったのだと言う(吉川は監督こそ降りたものの脚本として本作に最後まで参加している)。初めの1クール半は『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』の劇場版の仕事で手一杯でわりに人任せにしていたが、自分の求めた動きになって来ないと見て取るや、時間を捻出して他人の切ったコンテを全面的に切り直したりコンテに動画の中割りまで指定するなどかなりの力技を振った。そのため一時はスタッフとの間にかなり険悪なムードが立ちこめたが、終了後スタッフから「転機になった」「つらかったけど楽しかった」等、新境地を見出したらしい言葉が多く聞かれるところを見れば必要な対立だったとも言えよう。停滞や馴れ合いを嫌う富野はしばしばスタッフとの間に軋轢を生み出すが、その性格があったればこそ長年アニメ監督として一線で活躍して来られたのだろうし、その姿勢に刺激を受けたスタッフも少なくはない。今作では途中で主役機が交代しているが、これはロボットアニメ史上初。
『接触篇』がテレビ版の総集編(といっても物語の中盤程度まで。ここで描かれなかった総集編部は次の『発動篇』冒頭にかかっている)、『発動篇』が打ち切りにならなければ描かれたはずの完結部分となっている(但し、最終決戦のきっかけとなる39話は『発動篇』に含まれる)。2本同時公開。
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放映がファミリーコンピューターの発売と同時期であり、王侯・騎士と神話・妖精が織りなす中世ヨーロッパ的ファンタジーは、まだ一般にさほど認知されていなかった。したがって、リアルロボットものが隆盛をきわめつつあった当時、ファンタジーの舞台にテクノロジーを据えた同作は異色だったといえる。しかし、後半で現代の地球へと舞台を移したことには賛否がある。富野自身が放送終了前に失敗作宣言をしたり、放映中にスポンサー企業が倒産するなどのトラブルが発生したことでも知られる。舞台となる異世界「バイストン・ウェル」は、富野がしばしば同じ世界観で小説を書くライフワークとして続くこととなった。
テレビ版『ザブングル』の再編集版。『太陽の牙ダグラム』の総集編である『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』と併映。当初から、2本立ての企画物として制作され(実際は、さらに短編『チョロQダグラム』が加えられ3本立て)、上映時間が90分以内という制約があったため、まともな総集編を作るのは無理と判断、割り切って楽屋落ちにして、本編の勢いを悪乗りさせた作品となった。だが、その割には新しく描き下ろされたカットも多く、実は結構力が入っている。
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『十五少年漂流記』のように子供達だけで宇宙をサバイバルする物語を、と企画された時に出された企画原案の一つ。その際採用された企画原案が『機動戦士ガンダム』になった。
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キャラクターデザインとメカニックデザインに永野護を起用。そのビジュアル的な斬新さには多くのファンがついた。物語としては、前半は自分で自作のパロディをやるのかと言われるほど明るい色調でファンの受けも良かったが、後半、物語がシリアスな展開を見せるにつれ話について行けなくなり、離れて行ったファンも少なくない。富野監督作品内で唯一、「ン」が付かない作品である(理由はスポンサーであったバンダイが「この題名でやれ」と言ったため)。ちなみにTVアニメでの富野監督の単一の作品としては総話数が全54話と最も多い。富野自身は「この作品は永野のもの」と語っている(世界観などの殆どが永野の考案である事からの発言だと推測される)
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それまでの続き物にありがちだった続編(判りやすい例えとしては『宇宙戦艦ヤマト』)とは違う続編の作り方を意図的に試みた作品。前作の登場人物が年齢を重ねて再登場したり、時代の変化によってかれらの立場や考え方が変わっているなど当時としては斬新な作品となった。初放送時は批判的な意見が多く見られたが、今日では『ガンダム』シリーズ中、最も好きな作品に挙げるファンも少なくない。ともあれガンダムシリーズが四半世紀を越えた現在、なお新作を求められたり実際に作り続けられている理由の一つは、本作によって確立された年代史的な続編の作り方にあると言っても過言ではないだろう。2005年に20年の歳月を経て富野自身の手により劇場版3部作に「新訳」されて公開された。
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スポンサー側からの提案で前作『機動戦士Ζガンダム』放送中に急遽製作が決まった続編(ただし、本人は予測の内であったと語っている)。時代的には前作から連続し、前作の主要キャラクターは脇に退き、ミドルティーンの少年少女を主役グループに置いて「暗い」「カタルシスがない」と評された前作とは正反対に「明るいガンダム」を目指した。しかし、この前作の事実上の続編でありながらも全く方向性が異なる路線が災いしてファンからは苦情が寄せられ、シリーズ半ばからやや方向転換している。
なお、この作品の「新訳」は『誰がやるか!』と吐き捨てるように語っている。自身のコメントの中でも特にけなす作品のひとつであり、「あれは論外」「なかったことにして欲しい」「あの時の自分が一番ダメ」等、ファンの心象等お構いなしの暴言が飛び出す。ガンダムシリーズで唯一、ノベライズも書いていない。F91を中心に各作品のメインテーマを交響曲として発表し、富野もゲストとしてタクトを振るった『ガンダムコンサートライブ』においてもZZのみが関連曲が一つも流れなかった。
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初の劇場版オリジナル作品。「シャアとアムロの物語に決着をつける」ために作った作品と本人は述べている。小説版も富野自身が手がけているが、徳間書店版(『ハイストリーマー』(前・中・後))と角川書店版(『ベルトーチカ・チルドレン』)の二種類がある。角川書店版は同作の初期案をベースとしている。大筋のストーリーは共通しているが、アムロとベルトーチカの関係が続いており、ベルトーチカがアムロの子供を身篭っているという設定がある。この設定は上層部から「ヒーローに子供ができるのはどうか」と指摘を受け、映画版では取り下げた。徳間書店版のほうは、前半にかなりの物語が追加されている。
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背景となる時代は一気に下り、『逆襲のシャア』までのキャラクターが引き継がれることはなかった。キャラクターやメカニカルデザインに『機動戦士ガンダム』当時のスタッフを起用しており、懐かしい気分に浸ったファンも少なくない。本来はTVシリーズの予定で企画されたが、劇場公開用として再編集されたと言われている。本作公開時にスタッフは、テレビシリーズかビデオシリーズかで本作の続編を作るつもりでいたが、興行的に今ひとつ振るわなかったためか、立ち消えとなった。後に直接的な続編である漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』の原作を担当している。
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監督作品以外では、その他『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』の初期OPも担当している。
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第1話に主役機のガンダムが出てこないため、スポンサーの意向により第4話が第1話と置き換えられた。暗いストーリーや、凄惨な描写の多い作品だったが、高度なドラマ性は一部で高い評価を得ている。音楽が作品の重要な要素である点は、第一作などと同様である。本作以降、「ガンダム」は富野の手を離れ、複数の監督が製作を続けた結果、「『ガンダム』はすでにジャンルである」と言われるほどに多様化した。そのことは今日なお「ガンダム」新シリーズが作り続けられる理由の一つとなっている。富野はこの後1~2年間にわたり現場から離れる。その間彼はひどい「欝」状態にあり、立っていられないほどの目まいがしたり、ほとんど気絶するような感じで眠りについていたと、著作『∀の癒し』で告白している。本作DVD-BOX発売時には、同梱リーフレットに「この作品は見られたものではないので買ってはいけません!」との見出しをつけ、ファンを驚愕させた。
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「機動戦士Vガンダム」の放送終了後、富野は次回作ガンダムの監督を拒否。監督に今川泰宏を指名し、彼に絶対にプロレスをやるようにと指示した。
第2話「正体を見る」を担当。
初のOVA作品。『ダンバイン』と同じくバイストン・ウェルの世界を舞台にしているが、ロボット(オーラバトラー)の出てこない、純粋なファンタジー作品となっている。なお、本編ビデオ各巻末には本人出演による、バイストン・ウェルの世界観、演出、作画に関する解説が収録されている。
富野が前述の鬱状態の中製作した作品である。後年作品を見直した富野は「糸が伸び切っているという印象」との感想を残している。
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WOWOW初のオリジナルアニメ。スクランブル放送だったため、視聴者数はある程度限られた。富野は「自分たちは子供たちを"親なし子"にしてしまったのではないか?」という危機感から「人と人とが絆を結ぶとはどういうことか」を示そうとした、とDVDの説明書きで語っている。また、当時企画が進行中であったガンダム作品(『∀ガンダム』)の制作に向けた、鬱症状からアニメ制作現場へ戻るためのリハビリと位置づけている。作品としては『エルガイム』以来14年ぶりのオリジナル・ロボットアニメ。初期の数話でスタッフからガンダム作品と同じ演出になっているとたしなめられるエピソードや、ロボットデザインに旧知の永野護を起用する一方、キャラクターデザインにいのまたむつみを起用した。
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『機動戦士ガンダム』誕生20周年記念作品として作られた。「∀」は、数学や論理学などで「すべての~」という意味で用いられる全称記号である。これを解釈し、全てを包括して原点に返るという意味を込めて、本作品のタイトルである「ターンエー」として用いられた。過去に作られた「ガンダム」と名の付くすべての作品を、全否定かつ全肯定する作品を目指したものである。キャラクターデザインには『ストリートファイターII』シリーズで知られるカプコンの安田朗を、メカニックデザインはアメリカの工業デザイナー・シド・ミードを起用した。ミードがデザインした革新的なガンダムのデザイン(見た目と劇中の俗称から「ヒゲ」と呼称されることが多い)は放送前から意見が分かれた。もっとも、放送が始まると徐々に評価が高まり、2002年には劇場版2部作として公開された。(富野道(劇場公開時のコラム))なお、この作品のノベライズを福井晴敏と佐藤茂が個別に引き受けており、両小説ともに富野監督による初期構想案メモを元に沿っている。なお福井小説版においては、構成案メモから先の物語は福井晴敏独自の展開にする事を富野由悠季自身が了解している。
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再びWOWOWにてスクランブル放送枠で放送される。富野と田中公平による元気なオープニングアニメと主題歌が作品世界を象徴し、インターネットコミュニティでも多く取り上げられた。当時、富野自身が多く発言していた芸能・祭といった要素が作品の内容や演出に取り入れられている。前作の『∀ガンダム』同様、スタッフの意見を取りまとめる立場を強く意識して制作に携わった。本作ではキャラクターデザインにグループワークという概念を取り入れ、中村嘉宏、西村キヌ、吉田健一の3名の共同作業により、高いレベルのデザインを実現。富野の案、登場メカは人工素材「マッスルエンジン」で柔軟な動きが可能で、オプション装備の「オーバーコート」を着用する事によりそれぞれが特殊な能力を発揮するロボットという設定から出発した。メカニックデザインには『∀ガンダム』での縁もある安田朗を起用した。若手のスタッフが「いかに凄惨に描くか」を話していた時に、「もう悲惨な話はいいよ」と諭したこと、「100歳まで現役でやれる」と周囲を驚かせたエピソードがDVDブックレットで描かれていたことなどから、心理的に立ち直った事も窺える。有料放送なので視聴者は限られていたが、そのパワーある作風に心躍らせた視聴者も少なくは無い。
『∀ガンダム』を再編集したもの。声は新録で、新カットも多少追加されている。BGMもオリジナルのものが少々ある。サイマル・ロードショー方式という日替わりで1部・2部を上映する公開方法がとられた。43話の初代ガンダムでさえ映画は3部作だったが、50話の『∀ガンダム』を2部構成にまとめている上、∀には編集する上で省略しやすい戦闘シーンが少なく、ストーリーも複雑なので、非常に展開が速い(監督自身も、1stガンダムに比べて編集が困難と語る)。それでも何とかまとめた監督の手腕は大したものだが、残念ながら本作の評価はTV版に比べて低めである。
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富野由悠季が初めてネット配信という形式で作ったアニメ。1話25分前後で全6話。自身の小説『リーンの翼』を多少アレンジし、その数十年後の物語である。ダンバインで出てきた「オーラバトラー」が登場する。オーラバトラーなどにCGが使用されている。独特のセリフ回しと非常に速い展開が特徴。ガンダムエース誌上で大森倖三によって漫画版が連載され、コミック全3巻が発売されている。
テンプレート:Mainガンダムシリーズ中での紀年法、宇宙世紀において、現在のところ原作者である富野によって描かれている作品では最も遠い未来が舞台。著作権等の問題から「正史」とは認められていないため、シリーズのパラレルワールドとして扱われる外伝的作品。
機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ[]テンプレート:Main角川書店版の小説『ベルトーチカ・チルドレン』の続編に当たるため、一部の設定が宇宙世紀の正史とは異なっているが、ガイア・ギアとは異なりゲーム作品等への露出はある。現在では、本作もほぼ「正史」として見られているようである。
機動戦士クロスボーン・ガンダム[]テンプレート:Main『機動戦士ガンダムF91』の続編に当たり、初めてガンダムシリーズの漫画原作者として、原作及び企画に関わった作品(作画は長谷川裕一が担当)。サンライズの年表では「正史」とは認められていないが、富野が漫画原作者として関わった事や、スーパーロボット大戦等のゲームに登場した事により、本作もほぼ「正史」として見られているようである。
1981年から1982年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1981年から1982年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。
1987年から1992年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。
薔薇戦争憂鬱ミュージアムヒット・カップル愛はシベリアから1988年から1989年に徳間書店(アニメージュ文庫)から刊行。
1995年から1996年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。全3巻。
1995年から1996年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。全3巻。
死者の書天女生誕の書再臨飛翔の書富野由悠季以外のスタッフの手によって製作されたガンダム作品にもテロップでは「原作者」とされている。
その他、SDガンダムや漫画・小説のガンダム作品などにも必ず名前が入っている。
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fi:Yoshiyuki Tominoit:Yoshiyuki Tominoko:도미노 요시유키
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