桜庭和志

ページ名:桜庭和志
桜庭 和志
本名櫻庭 和志
通称IQレスラー
生ける伝説
グレイシー・ハンター
性別男性
国籍日本
誕生日1969年7月14日(53歳)
出身地秋田県南秋田郡昭和町
身長180cm
体重85kg
リーチ
階級ミドル級(DREAM)
ライトヘビー級(HERO'S)
ミドル級(PRIDE)
スタイルレスリング
所属UWFインターナショナル
→キングダム
→高田道場
→フリー
→チーム桜畑
→Laughter7
テーマ曲「SPEED TK RE-MIX」
(小室哲哉)

桜庭 和志(さくらば かずし、1969年7月14日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家。秋田県南秋田郡昭和町(現・潟上市)出身。Laughter7主宰。株式会社39代表取締役。

レスリングをベースに持つ。1990年代末~2000年代初頭頃のPRIDEにおいて、強豪外国人に対し、互角以上の戦いを演じた数少ない日本人選手の一人。

総合格闘技の試合では滅多に見られないような変則技を繰り出して対戦相手を翻弄し、観客を沸かせることからIQレスラーと呼ばれ、人気を博した。グレイシー一族に対し何度も勝利したことからグレイシー・ハンターとの異名もとる。

目次

来歴[]

レスリング[]

小学生の頃に当時ブームを呼んだタイガーマスクに憧れ、秋田市立秋田商業高校ではレスリング部で活躍。中央大学レスリング部では主将を務め、卒業後にはスポーツクラブのインストラクターに内定していたが、4年間で卒業できず、内定を辞退。5年生のときにUWFインターナショナルの入団テストを受け、プロに転向。その際大学を中退。

UWFインターナショナル[]

1992年7月にUWFインターナショナルへ入団した。当初は藤原組の入団試験を受けるつもりだったという。UWFインターではレスリング技術に加えて、打撃と関節技を習得。1993年8月13日の日本武道館大会でプロデビューするが[1]、UWFインターは1996年12月に解散。在籍中はキモとの対戦もある[2]。またこの時期はサソリ固めを得意技にしており、さらに技を掛ける時は大声を出して気合を入れるなど、総合時代の冷静な試合運びとは対照的な戦い方をしていた。一夜限りのプロレス復帰を果たした2000年12月31日の「INOKI BOM-BA-YE 2000」でも技をかける際に大声を出している。

キングダム[]

UWFインター所属選手のほとんどが参加した新団体キングダムへ移籍。キングダムはオープン・フィンガー・グローブを着用した顔面殴打ありのルールを採用した団体で、桜庭にとってはUWFルールからPRIDEルールへの橋渡しとなった。1997年12月21日、怪我で欠場した先輩の金原弘光の代役として急遽UFC Japanヘビー級トーナメントに出場。マーカス・"コナン"・シウヴェイラに一本勝ちし、UFC-J王者となった。このとき「プロレスラーは本当は強いんです」と発言した。

PRIDE[]

グレイシー撃破[]

1998年に高田延彦主宰の高田道場へ移籍。「PRIDE.2」のヴァーノン・"タイガー"・ホワイト戦でPRIDEデビュー。

1999年4月29日の「PRIDE.5」では前年にヴァンダレイ・シウバをKOしたばかりのビクトー・ベウフォートに判定勝ちを収めている。PRIDE参戦後はアラン・ゴエス戦(PRIDE.4)での引き分けを挟んで、ヴァーノン・ホワイト(PRIDE.2)、カーロス・ニュートン(PRIDE.3)、ビクトー・ベウフォート(PRIDE.5)、エベンゼール・フォンテス・ブラガ(PRIDE.6)、アンソニー・マシアス(PRIDE.7)に5連勝を飾り、ミドル級のトップコンテンダーに登りつめた。

1999年11月21日の「PRIDE.8」ではメインイベントに登場し、当時不敗神話を誇っていたグレイシー一族の1人、ホイラー・グレイシーと対戦。1Rから15kgの体重差を生かしてホイラーのタックルを切り続けた桜庭は猪木アリ状態からのローキックでダメージを与えていく。2Rも優勢は変わらず、引き込んだホイラーにハーフガードからチキンウィングアームロックを極めた。ホイラーはタップせず、セコンドのヒクソン・グレイシーもタオルを投げなかったため、レフェリーが試合をストップした。ホイラーは抗議するものの裁定は覆らず、桜庭はマイクアピールで「あそこからどうやって逃げたのか知りたいです。次はお兄さん僕と勝負してください!」とヒクソンに対戦を要求した。

2000年1月、桜庭は「PRIDE GP 2000」に出場する。ガイ・メッツァーの試合放棄という幕切れで1回戦を突破すると、5月の決勝大会ではホイス・グレイシーとの対戦が決定した。ホイラー戦での裁定に不満を持つホイスはルール変更を要求[3]、桜庭も受諾し、15分無制限ラウンド・レフェリーストップおよび判定無しで行なわれることになった。試合は1時間を超す長丁場となったが、桜庭はホイスの道衣を脱がせようとするなど観客を沸かせ続けた。桜庭がホイスの左足にローキックを蹴り続けたダメージで7R開始直前にホリオン・グレイシーがタオルを投入し、桜庭の勝利で実に90分に及ぶ死闘に終止符が打たれた。その後準決勝に進出するものの消耗が激しく、イゴール・ボブチャンチン戦では途中から押される展開になった。1R終了後の判定ではドローとなったものの、陣営がレフェリーにタオルを手渡し、TKO負けとなった。

2000年8月27日、「PRIDE.10」でヘンゾ・グレイシーと対戦。バックを捕られるもアームロックで切り返し、TKO勝ち。12月23日のハイアン・グレイシー戦ではハイアンが直前に怪我をして10分1Rに変更、試合は桜庭が終始優位に立って判定勝ちを収めた。

「グレイシー狩り」と呼ばれたグレイシー一族相手の4連勝を果たし、「グレイシー・ハンター」の異名を取った。ただ勝利するだけでなくファンを喜ばせるために戦うというファイトスタイルでファンを魅了し、高く評価された。桜庭の活躍と共にPRIDEは大きく成長を遂げ、2000年の桜庭はPRIDEのエースとして全盛期を迎えていたといえる。

シウバとの闘い[]

2001年3月25日、「PRIDE.13」でヴァンダレイ・シウバと初対戦し、この大会から解禁されたサッカーボールキックでTKO負け。続いて参戦した「PRIDE.15」では初参戦のクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと激突、下からの腕ひしぎ十字固めや三角絞めをことごとくパワーボムで返すというジャクソンのパワーに手こずるも、最後はチョークスリーパーで一本勝ちを収めた。

2001年11月3日、「PRIDE.17」で新設されたPRIDEミドル級王座が新設され、同時にPRIDEミドル級の設定が93kgとルールに追加された[4]。当時の桜庭の通常体重は83kgから84kgで、桜庭自身が希望していたミドル級は90kg以下だったが、以後のPRIDEで、桜庭はこの条件で戦っていくことになった[5]。PRIDE.17ではミドル級王座を賭けてヴァンダレイ・シウバと再戦するが、シウバの投げでマットに叩きつけられた際に左肩を脱臼しTKO負け。王座獲得には至らなかった。2002年8月28日には「Dynamite!」のメインイベントでミルコ・クロコップと対戦するも、下からの蹴り上げで眼窩を負傷しTKO負け。キャリアでは初の連敗となった。その後も膝に慢性的な故障を抱え、出場が不安定な時期もあった。

2003年8月10日、ミドル級GPに出場、シウバに3度目の挑戦をする。試合はスタンドで打ち合う展開が続くが、1R5分、ローキックに合わせシウバにワンツーを打ち込まれて失神KO負け、対シウバ3連敗となってしまった。

2003年12月31日、3年ぶり2度目の大晦日興行参戦となった「PRIDE 男祭り 2003」のメインイベントでアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦し、0-3の判定負けを喫した。開催前には、UWFインターナショナル時代の先輩田村潔司との対戦オファーがあるも、田村が準備期間の短さを理由に拒否したため実現しなかった。

2004年12月31日、「PRIDE 男祭り 2004」でヴァンダレイ・シウバと4度目の対戦を行なう予定であったが、第7肋骨および肋軟骨の骨折による欠場となった[6]

2005年2月20日の「PRIDE.29」で、アリエフ・マックモドから勝利を収めた田村潔司に対し、リングサイドから「こんな試合じゃつまらないでしょう。田村さん、僕と勝負してください」とマイクアピールをしたこともあったが、田村は無言でうつむいたままリングから去っていくなど、対戦を何度か申し込むもなかなか実現には至らず[7]

2005年、ミドル級GPに出場し、1回戦ではユン・ドンシクを破り、2回戦ではヒカルド・アローナと対戦。タックルをパワー差で切られるとガブりの体勢からアローナに膝蹴りを貰い続け、2R終了時には顔面は血で染まり変形していた。自力で起き上がることもできず、タオルが投入された[8]。この試合を契機に主戦場としていた「ミドル級(-93kg)」は桜庭の適正体重に比べて重すぎるので「ウェルター級(-83kg)」に転向すればいいのではないのか、というファンや関係者からの声があがった[9]。だが本人は「ミドル級より軽い階級には興味はない」と語っていた。

2005年8月、シュートボクセ・アカデミーに出稽古のためブラジルに渡航している[10]。PRIDE.30においてケン・シャムロックをシュートボクセ仕込みの打撃でKOした際は、アカデミー会長のフジマール・フェデリコと抱きあって共に勝利を喜んでいる。

2006年3月31日、8年2か月所属した高田道場を退団。フリーとなり、高田道場時代の後輩の豊永稔、高橋渉、佐藤豪則と行動を共にする。

HERO'S[]

2006年5月3日のHERO'Sにおいて、タイガーマスクを被りリングに登場。翌日に会見し、正式にHERO'Sへの参戦を表明した。なお、HERO'Sへの移籍表明の後、高田延彦から「彼とはもう酒も食事もすることは無い」と事実上の絶縁状を叩きつけられた。高田は絶縁の理由として、移籍そのものが原因ではなく、前もってではなく、移籍表明の後に挨拶に現れた桜庭について「筋が通っていない」とし[11]、同時にPRIDEとK-1が敵対していた関係上、PRIDE統括本部長の役職を務めていた自らがHERO'Sの選手と親しくすることは立場上出来ないこと[12]を説明した。

HERO'Sではそれまで各ラウンドを5分で行っていたが、桜庭の要求に伴い、桜庭の階級である85kg級のライトヘビー級だけがPRIDEと同じく1R目を10分という変則的な形のルール変更が行なわれた[13]

2006年8月5日に行なわれたケスタティス・スミルノヴァス戦において顎を打ち抜かれ半失神状態にまで追い込まれたが、ガス欠を起こしたケスタティスに執念の打撃を浴びせた後、腕ひしぎ十字固めで勝利した。試合中に桜庭は殴り倒されて意識が朦朧となるが、レフェリーはこの状態をダウンと取らず、ドントムーブから試合再開。この判断が物議を醸した。10月9日の準決勝で秋山成勲との対戦が決定するも、9月25日の練習中に嘔吐し、検査の結果、脳には異常が無かったが、椎骨脳底動脈血流不全と診断され、欠場となった[14]

2006年12月31日、3年ぶり3度目の大晦日興行参戦となった「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」のメインイベントで改めて秋山成勲と対戦。秋山の打撃のラッシュを浴び、上からパウンドをもらい続け、1R5分37秒TKO負けとなった。しかし、桜庭は試合序盤タックルに行った際に秋山の足が滑ると感じ、レフェリーにタイムを要求したが受け入れられず、その後は秋山の打撃を一方的に浴び続けた。パウンドを浴び続けている間も桜庭はレフェリーに「滑る!」「反則だよ!」とアピールしたが受け入れられなかった。結局秋山のパウンドを受け続けている状態が危険と判断され、ゴングが鳴らされTKO負け(レフェリーのストップが先ではなく審判長によるストップ)となるも、桜庭は試合が止められた後も秋山を指さし、「すごい滑るよ!」などと怒りを露にした。数日後、秋山が試合前に全身にスキンクリーム(アメリカ製)を塗っていた事実が明らかにされ、この試合は秋山の反則行為によりノーコンテストとなった。

2007年3月12日、HERO'S開幕戦でユーリー・キセリオから一本勝ちをとった試合後のMCで大晦日の試合内容には一切触れず、ファンに対しての謝罪にとどまった。

2007年4月8日、「PRIDE.34」のリング上にタイガーマスクの覆面姿で登場し、同時に田村潔司もスーツ姿で登場した。この日がDSE代表として最後の興行となった榊原信行の夢のカードであったという田村との対戦を示唆した。

2007年6月3日、「Dynamite!! USA」でホイス・グレイシーと再戦。0-3の判定負けを喫した。リベンジを許してしまった。

2007年8月28日のHERO'S記者会見において、7月16日の大会で現役復帰を表明していた船木誠勝に「桜庭選手と試合をしてみたい」と対戦要求を受けた。

2007年9月頃に高橋渉、佐藤豪則らと自らのチーム「チーム桜畑」を結成。9月17日のHERO'Sで、「チーム桜畑」vs田村潔司のジム「U-FILE CAMP」の対抗戦も行なわれた。自らは柴田勝頼と対戦。テイクダウンを奪うとパウンドを連打し、最後は腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。試合後、リング上で「次、船木さん試合お願いします」と船木の対戦要求に応え、更にリングサイドで観戦していたヒクソン・グレイシーに「お兄さん、そろそろ僕らも年なんで試合お願いします」と対戦を呼びかけた。

2007年12月31日、2年連続4度目の大晦日興行参戦となった「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」のメインイベントで船木誠勝と対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ちを収めた。

2008年4月1日、東京都品川区に自身の総合格闘技ジム「Laughter7」をオープン[15](「桜畑道場」としての仮オープンは2007年12月3日)。

DREAM[]

2008年4月29日、「DREAM.2」のミドル級トーナメント1回戦でアンドリュース・ナカハラと対戦し、フェイスロックで一本勝ち。6月15日、「DREAM.4」の2回戦でメルヴィン・マヌーフと対戦し、TKO負け。序盤のマヌーフのハイキックを受けた際に左腕尺骨を骨折した。

2008年12月31日、3年連続5度目の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~」のメインイベントで田村潔司と12年半ぶりに対戦し、判定負けを喫した。ちなみに、この時の入場では、仮面ライダーをモチーフとした入場がされた。

2009年10月6日、「DREAM.11」で現役プロボクサールビン"Mr.ハリウッド"ウィリアムズと対戦し、アームロックで一本勝ち。大会3日前の10月3日に出場が発表されるという緊急出場となった[16]

2009年10月25日、DREAM初のケージ開催となったDREAM.12に連続参戦。ゼルグ・"弁慶"・ガレシックと対戦し、膝十字固めで一本勝ちを収めた。

2009年12月31日、4年連続6度目の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~」の開会式にエヴァンゲリオン初号機仕様のマスクを被って登場し、開会宣言を行なった[17]。この日に向けて三崎和雄戦も検討されていたが「試合ができるコンディションではない」として欠場[18]。2008年まで4年連続で大晦日興行のメインイベンターを務めていたが、試合への出場はなかった。

2010年5月29日、ケージ開催となった「DREAM.14」でハレック・グレイシーと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2010年9月25日、「DREAM.16」でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、パウンドから肩固めを極められ、2分9秒でタップして一本負け。生涯初の一本負けとなった[19]

2010年12月31日、5年連続7度目の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2010~」でDREAMウェルター級王者マリウス・ザロムスキーに挑戦し、右耳の裂傷によりドクターストップ負けとなり王座獲得ならず。試合後、応急処置を受けたのちにリング上で「すいません、耳がとれちゃいました」と挨拶した[20]。なお、階級をウェルター級に落としたため、プロ初の大幅減量となった[21]

2011年9月24日、8か月ぶりの試合となった「DREAM.17」でヤン・カブラルと対戦し、肩固めによる一本負けを喫した[22]

2011年12月31日、6年連続8度目の大晦日興行参戦となった「元気ですか!! 大晦日!! 2011」で柴田勝頼とタッグを組んで澤田敦士&鈴川真一組とIGFルールで対戦し、桜庭が澤田からフェイスロックでギブアップを奪った[23]

人物・エピソード[]

  • イメージカラーはオレンジ。UWFインターナショナルとキングダムで先輩だった垣原賢人からたまたま借りたオレンジ色のコスチュームが似合っていたため、以後、スパッツなどでオレンジ色を愛用している[24]。自身のジムのLaughter7のリングもオレンジ色のマットを使用している[15]
  • 阪神タイガースの下柳剛投手とは親友で、プロ野球のオフシーズンには自主トレーニングに桜庭が同行するなど多方面で交流がある[25]。彼がセコンドに付くこともある[26]

戦績[]

総合格闘技 戦績
45 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合
26 勝3193112
16 敗9340
勝敗対戦相手試合結果イベント名開催年月日
×ヤン・カブラル2R 2:42 肩固めDREAM.172011年9月24日
×マリウス・ザロムスキー1R 2:16 TKO(ドクターストップ:右耳の裂傷)Dynamite!! ~勇気のチカラ2010~
【DREAMウェルター級タイトルマッチ】
2010年12月31日
×ジェイソン・"メイヘム"・ミラー1R 2:09 肩固めDREAM.162010年9月25日
×ハレック・グレイシー5分3R終了 判定0-3DREAM.142010年5月29日
ゼルグ・"弁慶"・ガレシック1R 1:40 膝十字固めDREAM.122009年10月25日
ルビン"Mr.ハリウッド"ウィリアムズ1R 2:53 アームロックDREAM.11 フェザー級グランプリ2009 決勝戦2009年10月6日
×田村潔司2R(10分/5分)終了 判定0-3Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~2008年12月31日
×メルヴィン・マヌーフ1R 1:30 TKO(レフェリーストップ:パウンド)DREAM.4 ミドル級グランプリ2008 2nd Round
【ミドル級GP 2回戦】
2008年6月15日
アンドリュース・ナカハラ1R 8:29 フェイスロックDREAM.2 ミドル級グランプリ2008 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2008年4月29日
船木誠勝1R 6:25 チキンウィングアームロックK-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!2007年12月31日
柴田勝頼1R 6:20 腕ひしぎ十字固めHERO'S 2007 ~ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦~2007年9月17日
×ホイス・グレイシー5分3R終了 判定0-3Dynamite!! USA2007年6月3日
ユーリー・キセリオ1R 1:26 腕ひしぎ十字固めHERO'S 2007 開幕戦2007年3月12日
秋山成勲ノーコンテスト(秋山の反則行為)K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!2006年12月31日
ケスタティス・スミルノヴァス1R 6:41 腕ひしぎ十字固めHERO'S 2006
ミドル&ライトヘビー級 世界最強王決定トーナメント準々決勝
【ライトヘビー級 準々決勝】
2006年8月5日
美濃輪育久1R 9:39 アームロックPRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-2005年12月31日
ケン・シャムロック1R 2:27 KO(右ストレート)PRIDE.30 STARTING OVER2005年10月23日
×ヒカルド・アローナ2R終了 TKO(タオル投入)PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND
【ミドル級GP 準々決勝】
2005年6月26日
ユン・ドンシク1R 0:38 KO(パンチ)PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2005年4月23日
ニーノ・"エルヴィス"・シェンブリ3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND
【ワンマッチ】
2004年6月20日
×アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3PRIDE 男祭り 20032003年12月31日
ケビン・ランデルマン3R 2:36 腕ひしぎ十字固めPRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦
【ワンマッチ】
2003年11月9日
×ヴァンダレイ・シウバ1R 5:01 KO(右フック)PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2003年8月10日
×ニーノ・"エルヴィス"・シェンブリ1R 6:07 TKO(レフェリーストップ:サッカーボールキック)PRIDE.252003年3月16日
ジル・アーセン3R 2:08 腕ひしぎ十字固めPRIDE.232002年11月24日
×ミルコ・クロコップ2R終了 TKO(ドクターストップ:負傷)Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立2002年8月28日
×ヴァンダレイ・シウバ1R終了 TKO(ドクターストップ:左肩脱臼)PRIDE.17
【PRIDEミドル級王座決定戦】
2001年11月3日
クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン1R 5:41 スリーパーホールドPRIDE.152001年7月29日
×ヴァンダレイ・シウバ1R 1:38 TKO(レフェリーストップ:サッカーボールキック)PRIDE.132001年3月25日
ハイアン・グレイシー10分1R終了 判定3-0PRIDE.122000年12月23日
シャノン・"ザ・キャノン"・リッチ1R 1:08 アキレス腱固めPRIDE.112000年10月31日
ヘンゾ・グレイシー2R 9:43 チキンウィングアームロックPRIDE.102000年8月27日
×イゴール・ボブチャンチン15分1R終了 TKO(タオル投入)PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準決勝】
2000年5月1日
ホイス・グレイシー15分6R終了 TKO(タオル投入)PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準々決勝】
2000年5月1日
ガイ・メッツァー1R終了時 試合放棄PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】
2000年1月30日
ホイラー・グレイシー2R 13:16 チキンウィングアームロックPRIDE.81999年11月21日
アンソニー・マシアス2R 2:30 腕ひしぎ十字固めPRIDE.71999年9月12日
エベンゼール・フォンテス・ブラガ1R 9:23 腕ひしぎ十字固めPRIDE.61999年7月4日
ビクトー・ベウフォート10分2R終了 判定4-0PRIDE.51999年4月29日
アラン・ゴエス10分3R終了 引き分けPRIDE.41998年10月11日
カーロス・ニュートン2R 5:19 膝十字固めPRIDE.31998年6月24日
ヴァーノン・"タイガー"・ホワイト3R 6:53 腕ひしぎ十字固めPRIDE.21998年3月15日
マーカス・"コナン"・シウヴェイラ3:44 腕ひしぎ十字固めUFC Japan: Ultimate Japan
【UFC-Jヘビー級トーナメント 決勝】
1997年12月21日
マーカス・"コナン"・シウヴェイラ1:51 無効試合UFC Japan: Ultimate Japan
【UFC-Jヘビー級トーナメント 準決勝】
1997年12月21日
×キモ[2]1R 4:20 肩固めシュートボクシング S-cup '96 決勝戦
【アルティメット特別マッチ】
1996年7月14日

獲得タイトル[]

  • 東日本新人戦 優勝
  • 全日本学生レスリング選手権 第4位
  • UFC-JAPAN ヘビー級トーナメント 優勝
  • プロレス大賞 最優秀選手賞(2000年)

著書[]

  • 『凄技 プロレスラー桜庭和志の反常識技術講座』(ベースボール・マガジン社、1999年7月) ISBN 4583040059
  • 『ぼく。―桜庭和志大全集』(東邦出版、2000年4月) ISBN4809402029
  • 『格闘ボーダレス―最強を決める男たちの証言!』(ソフトガレージ、2000年5月) ISBN 4921068534
  • 『桜庭和志のギミック―これが桜庭流PRIDE必勝法だ』(学習研究社、2000年12月) ISBN 4057000321
  • 『さくぼん―桜庭和志公式マガジン』(ダブルクロス、2001年5月) ISBN 4898296513
  • 『Comic&Document 桜庭和志』(講談社、2001年7月) ISBN 4063344355
  • 『まるごと桜庭和志―ゴング格闘技1999-2001編』(日本スポーツ出版社、2001年10月) ISBN 4930943531
  • 『WORKS―Special edition』(フォーブリック、2001年12月、共著) ISBN 4894616688
  • 『帰ってきたぼく。』(東邦出版、2002年8月) ISBN 4809402835
  • 『ぼく…。』(東邦出版、2007年6月) ISBN 4809406288
  • 『独創力。』(創英社、2009年11月) ISBN 4881421883

脚注[]

  1. “魅せる格闘技”の申し子が語るおのれを体現していくための哲学 仕事を楽しむためのWebマガジンB-plus 2010年12月1日
  2. 2.02.1 UWFインターナショナル取締役だった鈴木健はキモとの試合は、結末が決まっており、シュートマッチ、真剣勝負ではなかったことを後に明かしている(『kamipro』No.130、エンターブレイン。鈴木健インタビュー)
  3. ホイス陣営、ルール変更を一方的要求 BoutReview 2000年3月13日
  4. PRIDE.17東京ドーム 桜庭、涙のドクターストップ BoutReview 2001年11月6日
  5. 『帰ってきたぼく。』p.152。
  6. [PRIDE男祭り] 桜庭、肋骨骨折で欠場 BoutReview 2004年12月28日
  7. 十年越しの対決=U という名の大河物語最終章へ 田村vs桜庭は「Uの墓標」か?(1) All About 2005年2月21日
  8. 日本人全滅。ミルコ完勝 BoutReview 2005年6月27日
  9. PRIDE 榊原代表、桜庭戦の負傷ストップ問題に関してコメント BoutReview 2005年6月27日
  10. 桜庭がシュートボクセに武者修行 宿敵・シウバとガチンコ・スパーリングも スポーツナビ 2005年8月19日
  11. HERO'S 桜庭移籍について榊原DSE代表「家族に裏切られた気持ち」 BoutReview 2006年5月6日
  12. 『ゲーテ』2006年4月号(幻冬舎)、高田延彦インタビュー。
  13. やっぱり主役は、“サク咲く”桜庭和志 HERO'S 公式サイト 2006年8月4日
  14. 桜庭和志、無念のドクターストップ! 10.9HERO'S欠場「椎骨脳底動脈血流不全」で1か月の安静が必要 スポーツナビ 2006年9月27日
  15. 15.015.1桜庭和志が改めて否定「トーナメントには出ません」 DREAM新拠点「Laughter7(ラフターセブン)」がオープン スポーツナビ 2008年3月24日
  16. 【DREAM】10・6大会まであと3日!桜庭がYoutube「DREAMチャンネル」で参戦を発表 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年10月3日
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  26. 桜庭のセコンドに下柳 スポーツナビ 2004年1月14日

外部リンク[]

  • 桜庭和志公式サイト
  • Laughter7公式サイト
  • DREAM 選手データ
  • HERO'S 選手データ - Internet Archive
  • PRIDE 選手データ - Internet Archive
  • K-1 選手データ
  • SHERDOG 選手データ

Wikipedia[]

  • Wikipedia:ja:桜庭和志
  • Wikipedia:en:Kazushi Sakuraba
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