歌書(歌会集) - いにしえwiki
王子御会建保六年中殿御会和歌内裡御会和歌七夕御会元徳二年御会和歌禁裡御会和歌禁裡御会和歌公宴続歌嘉吉文安御会和歌禁中御会和歌御会和歌三席御会禁裏御会和歌御会和歌七夕七首和歌禁裏御当座続歌和歌部類近代着到和歌禁裏花見続歌禁裏御月次和歌永正和歌寄若菜祝言永正八年七夕和歌御会御会歌内裏
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家部 707 武田家諸士起請文武家部 707 佐竹氏旧記武家部 707 海津城主次第武家部 708 慶長三年大名帳武家部 708 慶長十六年禁裏御普請帳武家部 709 織田内府分限帳武家部 710 浮田家分限帳武家部 710 京極家分限帳武家部 712 成田家分限帳武家部 713
-- 名無しさん (2024-06-17 18:11:49) ↑まずは詳しくは本を読むといいが、義昭が公方になってた頃から光秀は幕府や禁裏の土地をせっせと横領してる。そんな光秀に細川は初期から内通してる。 -- 名無しさん (2024-06-17 18:19:56) ↑
朝云。禁中后宮春宮坊常事也。仙洞にもまゝ着之。行幸御逗留日。若朝覲又警固之時御會等。皆可着人は直衣卷纓。若緌有人兵衞府事也。凡直衣禁裏にてはゆりたる外は凡人の公卿は無左右着事なし。然而當家には公卿の後又未昇殿の時も。御鞠之時は着直衣也。衣冠は鞠にあつくらはしき故也。予以此法公卿之
朝云。直衣不着人は禁裏の御會等着(脱字)之。無別子細。只如直衣。凡直衣々冠の下には冬春は袙。夏秋は單帷等如常。若き人は四月始は若かえでの衣。秋は生の衣など着べし。但鞠に生の衣いたく先規少歟。又雖着何有難乎。猶あつくらはしくやあらん。凡束帶直衣々冠等は。皆はた袖ひろくして。布衣など
の下に結也。近來は紙捻にてしあひたり。時儀によるべし。されども家には組を本とする也。緌は衞府の人行幸の後朝御會若は警固之時懸之。但警固之比も禁裏の外にては卷纓計にて不懸之。おとなしき公卿は衞府なれども卷纓計にて不緌。是禁裏御會事也。人の心によるべし。タ云。冠は烏帽子よりは落やすき
題抄(同)ぬさぶくろ(同)七十二候(上田秋成)追擬花月令(同)和歌題辞要解(伴資矩)和歌仮名題(大塚寛柔)組題たま苗(田山敬儀)公宴仙洞出題禁裏院中会始題和歌題留歌題歳時表(福羽美静)はしがきぶり(建部綾足)はしがきぶり後篇(同)佐喜草(藤井高尚)増補新撰はし書ぶり(石津亮澄)詞
々。此義內典はしらず。外書には不可然。其故は書云。聖人南面治天下と云り。南方は朱雀火明の方也。內典には南方灌頂智の方とて宗とするとかや。然ば禁裏仙洞よりはじめて。式屋等皆南面なり。是を恐て木を植たる事なし。左近櫻などは中古より出來歟。其も鎭護の故にはあらずや。大極殿になし如何。又
秀)三条大納言殿聞書三内口伝懐中抄西三条殿和歌伝書二根集和歌作意三光院殿聞書歌口伝心持(細川幽斎)和歌初学集長頭丸随筆(松永貞徳)宗博三部抄禁裏古今講釈次第(智仁親王)有栖川家本無名抄歌合次第(大江道芳)種葉聞書和歌おさなぐさ倭謌家好学疏和歌六部抄和歌宝鑑抄(円城院実盛)和歌愚問
書云。是も無殊事。只公宴には一向布衣也。行景所行如此。雖直垂御會猶獨布衣也。革匊記有之。禁裏猶然。况仙洞乎。主上立御時被召。立時は前に非足の六位などを立て其後に仕也。是榼代々號革匊に見へたり。賀茂松下絹上色袴不着。弟子取事無之儀也。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
勢の駆逐を求める強硬派と宥和派が対立し、18日夜には有栖川宮幟仁・熾仁両親王、中山忠能らが急遽参内し、長州勢の入京と松平容保の追放を訴えた。禁裏御守衛総督・一橋慶喜は長州藩兵に退去を呼びかけるが、一貫して会津藩擁護の姿勢を取る孝明天皇に繰り返し長州掃討を命じられ、最終的に強硬姿勢
ることこそいよ/\さかり成べきぜんべうとはおぼえ侍れ。ちかき世には鹿苑院殿〔義満〕こそ永德の行幸に右大將にてはじめて御まりにたゝせ給て。其後禁裏仙洞にてもたび/\けさせ給などして。あげまりやうの事までもつとめたまひし御ことぞかし。さればみちにふける御心ざしは代々の御こととも申べき
奥版「レベッカ」のダンヴァース夫人役。家定最初の正室附きの老女)歌川:水戸光子 (家慶御年寄)浦路:森光子 (家茂御年寄、和宮降嫁の為に京都禁裏へ上がる役)万里小路:萬代峰子 (綱吉御台所附き上臈御年寄)西尾 :萬代峰子 (幕末大奥御年寄)しの:磯村みどり (家治大奥女中)右京:
ひ合べし。さて殘るニ本別々の木にてもあれ。又同木にてもあれよし。松櫻柳楓の時は。有時に相生をむかひ合せずともうへべし。一、露はらひと云ふ事。禁裏。仙洞などにて賀茂人はじめ候を云。懸の露をおとすベきため也。常には初心の衆も仕候。露はらひとはおもてむきの申也。內儀は又色々にふるまひ候
僧正御物語の事大樹公致仕の儀天海仰せ上げられ常眞御執合せを天海叱り給ふ事并將軍家天海が直言を御納得の事從前の高家衆を廢し更に高家衆を置るヽ事禁裏御慶賀の事并年號改元の事前將軍上洛に付道普請の事兩將軍家上洛忠長卿御馳走の事二條の城へ行幸將軍家御出迎の事并大小名供奉行列の事行幸御輦古
家部 766 永禄元年曼荼羅供雑記(後柏原院十三回聖忌)釈家部 767 文亀二年曼荼羅供記(後花園院三十三回聖忌)釈家部 768 応永十三年禁裏御懺法講記釈家部 768 応永二十一年仙洞御懺法講記釈家部 769 諸寺略記釈家部 771 法綱儀釈家部 771 金剛抄釈家部 772