新撰武家百人一首 - いにしえwiki
えずば何と 慕はまし 花散るあとの 峯の白雲 (右馬頭大江元就朝臣)007.世の中や 鳰の浮巣の みだれあしの 玉にもなびく 和歌の浦風 (左京大夫藤原植宗朝臣)008.諸ともに 月も憂音や 忍ぶらむ 物思ふ袖に 影もはなれず (道灌法師)009.ゆく月や こほらぬかたも 曇るら
えずば何と 慕はまし 花散るあとの 峯の白雲 (右馬頭大江元就朝臣)007.世の中や 鳰の浮巣の みだれあしの 玉にもなびく 和歌の浦風 (左京大夫藤原植宗朝臣)008.諸ともに 月も憂音や 忍ぶらむ 物思ふ袖に 影もはなれず (道灌法師)009.ゆく月や こほらぬかたも 曇るら
069.徒に 待はくるしき 偽を かねてよりしる 夕くれも哉 (源氏頼)070.露霜の をかへの真葛 うらみわひ 枯行秋に うつらなく也 (左京大夫源氏経)071.みやこには またしきほとの 時鳥 深き山路を たつねてそきく (伊予権守高階重成)072.うつもれぬ けふりを宿の
ねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ(清少納言)063.いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな(左京大夫道雅)064.あさぼらけ うぢのかはぎり たえだえに あらはれわたる せぜのあじろぎ(権中納言定頼)065.うらみわび ほさぬそでだ
ける 都に何の 情ありて 忘れぬ夢の 残るおもかげ (畠山義就)037.たよりなき 外山にすみて 下枝をも 折ることかたき 峯の椎柴 (大内左京大夫政弘)038.日をそへて 袖の湊も せきあへず 身をしる雨の そらのみだれに (足利義植公)039.うきふしも かきつけおかば 人や
らに 待つは苦しき いつはりを かねてより知る 夕暮もがな (源氏頼)070.露霜の 岡べの真葛 恨みわび かれゆく秋に うづら鳴くなり (左京大夫源氏経)071.都には まだしきほどの ほととぎす 深き山路を たづねてぞ聞く (伊与守高階重成)072.うづもれぬ 煙をやどの し
露をおきて うき世にまたは 何かかへらん*33 (清少納言)063.諸共に 山めぐりする 時雨かな ふるにかひなき 身とは知らずや*34 (左京大夫道雅)064.朝ぼらけ 宇治の川霧 たえ/\に あらはれ渡る 瀬々の網代木 (権中納言定頼)065.あはれにも 暮ゆく年の 日数かな
鳥のまねして まづよしに せい少納言 よく知つてゐる (清少納言)063.今はたゞ 思ひ絶えなん とばかりを 人傳ならで どうぞいひたい (左京大夫道雅)064.朝ぼらけ 宇治の川邊に 定頼が めをこすりつゝ 瀬々のあじろ木 (權中納言定頼)065.うらみ侘び ほさぬ袖だに ある
16.道命阿闍梨詠杣麦歌事617.禪林寺僧正詠瓜歌事618.長谷前前大僧正與俊惠法師贈答綜歌事619.知足院忠實饗宴箏師中納言宗輔事620.左京大夫顯輔與証尊法印連歌事621.左京大夫顯輔與青侍連歌事622.式部大輔敦光與奈良法師作飛鳥味噌連歌事623.法性寺忠通元三日于皇嘉門院
歌合 とよはらむねあきじかあわせ 豊原統秋 222 十市遠忠自歌合 とおちとおただじかあわせ 十市遠忠 222 細川左京大夫自歌合 ほそかわさきょうのだいぶじかあわせ 細川高国 223 元久詩歌合 げんきゅうしいかあわせ 九条良経 2
1)であると推定される。坂上氏は、後漢の霊帝の子孫で、応神天皇の御代に渡来した阿知使主の子孫とされる(注1)。阿知使主の子孫で、東漢氏出身の左京大夫・坂上苅田麻呂が田村麻呂の父である(注2)(注3)。 picture from Wikipedia 注1)『日本書紀』応神2
A. 平安時代後期の歌人。藤原北家の流れを汲む中納言・藤原俊家の子で、藤原定家の祖父にあたる。歌人としては「余情歌」と呼ばれる独特の詞風を築き、後代の歌人に大きな影響を与えた。また、歌人としての才能だけでなく、有職故実や学問にも優れた知識人としても知られている。参考URL:htt
俊頼朝臣)075. (藤原のもとよし)076. (法性寺入道前関白太政大臣)077. (じゆんとく院)078. (源のかねまさ)079. (左京大夫顕輔)080. (たいけん門院のほり川)081.ほどとをく みのわのかたを ながむれば たゞてんわうの みやぞのこれる (ごとく大寺
集前斎院摂津集一宮紀伊集肥後集伯母集(康資王母)待賢門院堀河集藤原基俊集大蔵卿行宗集(源行宗)中納言雅兼卿集(源雅兼)平忠盛朝臣集藤原為忠集左京大夫顕輔卿集(藤原顕輔)兵庫頭源仲正朝臣家集大納言成通卿集(藤原成通)貧道集(藤原教長)田多民治集(藤原忠通)親隆集(藤原親隆)清輔朝臣
見御寶藏繪事401.藤原信實畫後鳥羽院御幸繪事402.順德院御位時,向藏人孝道尋撥面繪事403.後堀河院御時負付繪貝事404.後堀河院御時以左京大夫信實繪北面等影事405.繪師賢慶依弟子法師繪而勝訴事406.光明峰寺入道道家為左大臣實經修理一條室町御所事蹴鞠第十七407.蹴鞠逸遊
)とは、陽成源氏(摂津源氏)流土岐氏(美濃源氏)一門の人物で、約3名ほど存在する。土岐持益 (池田次郎) : 通称は池田太郎、官職は美濃守/左京大夫。美濃国守護の土岐頼忠の孫、頼益の子、持兼・氏慶(植村次郎)[1]の父、教益(幼名は亀寿丸、持兼の子)の祖父。子の持兼・氏慶が相次い
物法師應彈琴女詠歌事187.阿闍梨仁俊祈北野社詠歌而有感應事188.天曆月次御屏風歌,兼盛詠擣衣,紀時文難之事189.崇德院問左京大夫顯輔百首歌詠同五字或不詠事190.花園左大臣家侍青柳歌事并紀友則初雁歌事191.四條大納言公任三月盡夜,難長能歌事192.別當惟方於
一色 義有(いっしき よしあり)とは、足利氏(下野源氏)流源姓一色氏(三河源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。一色義有 (左京大夫) : 別名は義季。丹後一色氏の当主の一色義遠(義政/義枚(よしひら)/饗庭元明)の子、義信・義清・佐良木光俊[1]室・稲葉通則室[2]の兄、義幸の
山入 義盛(やまいり よしもり)とは、源姓佐竹氏(常陸源氏)流山入氏一門の武将。約2名ほど存在する。山入義盛 (左京大夫) : 山入氏義の子、義遠・義嗣の父。父とともに藤姓佐竹氏(常陸藤原氏)の第4代目の当主の佐竹義舜と戦ったが、義舜の謀略によって、一族の小田野義正[1]に捕虜さ
A. 幕末の大名であり、大老を務めた人物です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%A2%E5%9F%BA%E9%9A%86%20%28%E5%B7%A6%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%A4%AB%29
半の月かな(57番 紫式部)登場人物:紫式部/香子、藤子和歌物語 五今はただ 思ひたえなむ とばかりを人づてならで いふよしもがな(63番 左京大夫道雅)登場人物:藤原道雅、当子まさこ内親王、中将内侍和歌物語 六玉のをよ たえなばたえね ながらへば忍ることの よわりもぞする(89
源 至(みなもと の いたる)とは、嵯峨源氏一門の人物。約2名ほど存在する。源至 (左京大夫) : 源定の子、包[1]・宥の弟、靖[2]・唱[3]の兄、挙・尚の父。渡辺至 : 渡辺氏の祖の渡辺綱の曾孫、久(筒井冠者)[4]の孫、安[5]の子、伝[6]の弟、勝[7]・引[8]の兄、
きしまし)は、藤原北家山蔭流[1]の系統で、常陸国信太郡浮島郷[2]を拠点とした[3]。目次1 概要2 歴代当主3 脚注4 関連項目概要[]左京大夫の藤原仲正(山蔭の子)の庶長子の国豊は浮島氏の祖であるが、生母が京の遊女であったために、父に疎まれて、朝廷に仕えるも右近・兵衛尉とい
に酔ひて死ぬる語第十八 金峯山の別當毒茸を食ひて酔はざる語第十九 比叡山の横川の僧茸に酔ひて諦經する語第二十 池尾の禅珍内供の鼻の語第廿一 左京大夫??、異名の付く語第廿二 忠輔中納言、異名の付く語第廿三 三条中納言、水飯を食ふ語第廿四 穀斷の聖人米を持ちて咲はるる語第廿五 彈正