谷津の小字 - 埼玉県の小字
富士見一丁目、緑丘一丁目、浅間台一・二丁目、春日一・二丁目、西宮下四丁目、今泉一丁目になった。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾町西部耕地整理組合 整理確定図・ 上尾市浅間台地区公図調整図・ 埼玉県報 昭和46年8月、昭和
富士見一丁目、緑丘一丁目、浅間台一・二丁目、春日一・二丁目、西宮下四丁目、今泉一丁目になった。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾町西部耕地整理組合 整理確定図・ 上尾市浅間台地区公図調整図・ 埼玉県報 昭和46年8月、昭和
1966、1971年に春日一・二丁目になった。新井(あらい):1971年に春日二丁目になった。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾町西部耕地整理組合 整理確定図・ 上尾市浅間台地区公図調整図・ 埼玉県報 昭和46年8月・ 行
台三丁目になった。神明後:明治14年の字届書には記載がない。1971年に浅間台三丁目になった。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和46年8月、昭和61年10月・ 行政文書 市町村区域内町字設置廃止変更(昭和41年度
丁目になった。飛地(元柏座分):1971年に浅間台一~三丁目、中妻一丁目、春日二丁目になった。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市浅間台地区公図調整図・ 埼玉県報 昭和46年8月、昭和60年10月・ 行政文書 市町村区域内
栄二・三丁目、新栄一・二丁目になった。南(南耕地)(みなみこうち):2014年に清門一~三丁目、長栄二丁目、新栄一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 平成26年11月22日施行 町名町界変更地番対照表
端から蒲生までの日光街道沿いは茶屋通りと呼ばれ、草加側を出茶屋、蒲生側を下茶屋と呼んだ。隣接する金右衛門新田にも字出茶屋がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 第3号「草加の地名について(3)」
元柏座飛地)が別々に記されている。小山(元大谷別所分):1975年に西宮下二・三丁目になった。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和49年8月、昭和49年10月、昭和50年1月、昭和50年7月、平成17年9月・ 行政
草加、南草加、谷古宇、宿篠葉、吉笹原、東立野、原島、与左衛門新田にまたがっている。1931年に草加町字高砂町、字住吉町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
には記載がない。1931年に草加町字松江町になった。粒田:明治14年の字届書には記載がない。1931年に草加町字松江町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
たがっている。1931年に草加町字高砂町、字住吉町、字神明町になった。流し耕地(ながしこうち):明治14年の字届書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
草加、南草加、谷古宇、宿篠葉、吉笹原、東立野、原島、与左衛門新田にまたがっている。1931年に草加町字住吉町、字神明町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
加、谷古宇、宿篠葉、吉笹原、東立野、原島、与左衛門新田にまたがっている。1931年に草加町字高砂町、字住吉町、字神明町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
加、谷古宇、宿篠葉、吉笹原、東立野、原島、与左衛門新田にまたがっている。1931年に草加町字高砂町、字住吉町、字神明町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
の区域。北草加、南草加、谷古宇、宿篠葉、吉笹原、東立野、原島、与左衛門新田にまたがっている。1931年に草加町字神明町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
一・二丁目になった。田中(たなか):1974年に菅沢一・二丁目になった。菅ノ尾(すげのお):1974年に菅沢一・二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和48年6月、昭和49年7月
:1974年に野火止二丁目になった。隅屋敷(すみやしき):1974年に野火止二丁目になった。関越自動車道に架かる隅屋敷橋がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和48年6月、昭和49年7月
ある。西ノ原(にしのはら):1974、1975年に畑中一・三丁目になった。神山(こうやま):東京府久留米村に編入したと思われる。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 片山村全図(大正11年)・ 東京府市区町村便覧(昭和14年)・ 埼玉県報 昭和48年6月、昭和49
字高砂町、字住吉町になった。草加町の道路元標があった。丸野:明治14年の字届書には記載がない。1931年に草加町字西町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
たが、住居表示実施により中央、住吉などとなり消滅した。手白:明治14年の字届書には記載がない。1931年に草加町字手代になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
にも字塚田がある。前(まえ):現存。隣接する市右衛門新田にも字前がある。沼田(ぬまだ):谷塚上町字西沼田の中に飛び地として現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
えとおり):現存。通(通耕地)(とおりこうち):現存。石橋通(いしはしとおり):現存。鬼子沼(鬼子耕地)(おにここうち):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 第2号「草加の地名について(2)」
町助三郎(すけさぶろう):現存。中島(なかじま):現存。谷置(やおき):現存。榎戸(えのきど):現存。道通(みちどおり):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 第2号「草加の地名について(2)」
がある。前耕地(前)(まえ):現存。隣接する彦右衛門新田にも字前がある。沼田(ぬまだ):谷塚上町字西沼田の中に飛び地として現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
きたとおり):現存。遊馬町に遊馬本田北公園がある。新田南通(しんでんみなみとおり):現存。新田北通(しんでんきたとおり):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 第2号「草加の地名について(2)」
。新田(しんた):1975年に一部が廃止された。瀬崎七丁目に瀬崎新田公園がある。沼田(ぬまた):2011年に谷塚一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 第2号「草加の地名について(2)」・ 埼玉県報 昭和50年1月
。谷塚町やぎわ町会がある。 東兎(ひがしうさぎ):現存。西兎(にしうさぎ):現存。谷塚町に下兎会館がある。谷塚町兎町会がある。 参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 第2号「草加の地名について(2)」
谷古宇にまたがっている。1931年に草加町字草加になった。東割:東本郷から編入したと思われる。1931年に草加町字草加になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
与左衛門新田、 庄左衛門新田、弥惣右衛門新田、太郎左衛門新田、北草加、谷古宇にまたがっている。1931年に草加町字草加になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 創刊号、第11号・ 埼玉県報 昭和6年4月
えし):現存。堀返し遺跡がある。島田(しまだ):現存。大沼(だいぬま):現存。辰井川に架かる大沼橋がある。立野(たての):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 第2号「草加の地名について(2)」
遺跡がある。野発(やおき):現存。隣接する上谷塚にも字野発がある。飛沼田(とびぬまだ):谷塚上町字西沼田の中に飛び地として現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 第2号「草加の地名について(2)」
る。西通(にしどおり):現存。大字小敷谷にバス停「西通り」がある。西通遺跡、西通Ⅰ遺跡がある。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和56年2月・ 上尾都市計画事業大谷北部第四土地区画整理事業 旧新地
地(元柏座分)(とびち):バス停「今泉入口」付近に現存。1986年に一部が今泉一丁目になった。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 上尾市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和61年10月、平成17年9月・ 上尾都市計画事業大谷北部第四土地区
家現在の地名:桶川市大字小針領家※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。御ノ木向原本村堤外堤内参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
(野耕地)(やごうち、や):現存。寺谷前耕地(てらやまえ):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図
原(はら):現存。1982年に一部が大間一・二丁目になった。宮前にバス停「宮前原」がある。 参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図
りぬま、だいぬま):現存。上野(うえの):現存。飛(とび):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図
橋がある。本田五ノ割(ほんでんごのわり):現存。未新田五ノ割(ひつじしんでんごのわり):現存。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図
や):現存。1982、1983年に一部が大間二丁目、堤町、幸町になった。外谷(そとや):現存。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ ゼンリンの住宅地図 鴻巣市 1969・ 埼玉県報 昭和58年6月
通遺跡がある。荒勺(あらく):現存。荒井山(あらいやま):1966年に神明一~三丁目になった。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図
た小字。寺家下(寺谷下)(てらやした、じけした):荒川沿いに現存。1928年に新設された小字。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ 埼玉県報 平成4年11月・ 行政文書 市町村制(昭和3年)・ こうのす歴史散歩
一丁目になった。箕田に下町公園がある。 宮地(みやじ):現存。隣接する鴻巣にも字宮地がある。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和55年3月、昭和56年4月、平成2年9月・ ゼンリンの住宅地図 鴻
ち):現存。芝原中耕地(芝原中)(しばはらなかごうち):現存。野足(野足リ)(やだれ):現存。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図
巣市市ノ縄下耕地(しもごうち):現存。中耕地(なかごうち):現存。上耕地(かみごうち):現存。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図
伽台下(あかだいした):荒川沿いに現存。1913年に新設された小字。鞠子(元鴻巣分)(まりこ)参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ 埼玉県報 平成4年11月・ 行政文書 雑款(大正2年)・ ゼンリンの住宅地図 鴻
中通」がある。高野(たかの、こうや):現存。谷島(やじま、やしま):現存。保井(ぼい):現存。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図
谷中(やなか):現存。1981、1990年に一部が赤見台二丁目になった。深見(ふかみ):現存。参考文献・ 鴻巣地域の地名 : 大字・小字・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 鴻巣市遺跡地図・ ゼンリンの住宅地図 鴻巣市 1969・ 埼玉県報 昭和56年4月、平成2年9月
字坂田※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。南原 宮前護摩堂向井(向)堀ノ内(堀内)細谷目沢参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。堀切大加納峯西天神 笹原原本村新田常敷宮ノ脇後谷 川辺参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
rarr;桶川市大字篠津現在の地名:桶川市大字篠津※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。上下参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。若宮南若宮白山相生西原西主浦神明浜井場牛久保稲荷前東主浦北原細谷欠折大久保参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)