「ハイキック」を含むwiki一覧 - 3ページ

ファラン(鉄拳) - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

向はテンキー表記。左構えスマッシュロー&ライトハイ(左構えorレフトフラミンゴ中2LKRK)略称はスマローハイとかローハイとか。ローキック~ハイキックを繰り出す。連携の起点や削りに。2段目は上段のため相手のしゃがみには要注意。7では2段とも連続ヒットするようになった。カットロー(

砂辺光久 - Bout Wiki

を戦い抜き0-1の判定ドロー。同月30日、欠場したエマニュエル・フェルナンデスの代役として藤原大地とメインイベントで対戦し、2R開始9秒、左ハイキックでKO負けを喫した[7]。パンクラス提携の沖縄のジム「P's REAL」所属として活動していたが、2008年6月1日より「パンクラ

立川隆史 - Bout Wiki

対戦し、左フックによるKO負けを喫した。2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAで坂間豊と対戦し、左ハイキックによるKO負け。3連敗となった。2010年1月25日、「Survivor ~Round.3 立川隆史・引退記念興行~」が開催され、

田上明 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

にて披露。ロープの反動を利用した大回転式喉輪落とし。■起き上がり小坊師式ラリアット■閂スープレックス閂責めから連携で繰り出される。■フロントハイキック(ビッグブーツ)■ダイナミックキックジャンピング式フロントハイキック■3Dキックダイビング式大開脚ダイナミックキックの略。三沢から

緒形健一 - Bout Wiki

(T)KO判定その他引き分け無効試合44勝281016敗勝敗対戦相手試合結果イベント名開催年月日×テイラー・トーナー1R 3:00 KO(右ハイキック)SHOOT BOXING 2009 武志道-bushido- 其の参2009年6月1日×アンディ・サワー1R 2:11 TKO(

藤原あらし - Bout Wiki

スプレス5R終了 判定0-2Fujiwara Festival ~藤原祭り2010~2010年12月1日○山本ノボル2R 1:47 KO(左ハイキック)激突III2010年11月3日○山本ノボル4R 1:17 TKO(レフェリーストップ)The Path to the World

世界樹格闘キャラ妄想 - 世界樹の迷宮シリーズ・次回作妄想(2代目)

名説明説明攻撃を受ける直前でG光掌の術式全身から光を放ち全方位を吹き飛ばす。必殺技ゲージを20%消費するコマンド技名説明説明A技技名NA技名ハイキックで吹き飛ばす単発攻撃。ガード不能。説明→AAA杖を振り回し、水平に3回殴打する。リーチがそこそこ長いが低威力。↑A小手打ち杖を大き

川田利明 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

な得意技】■キック全日系のレスラーとしては珍しくキックを主要武器にした。余りスピードは感じさせないが、的確に相手を捉えるのが特徴。■フロントハイキック(ビッグブーツ)「デイイイイイイイ!」とでも言うべき、独特のかけ声から放たれる前蹴り。串刺し式は特に痛そう。■ステップキック前屈み

美花 - Bout Wiki

HOOTOで総合格闘技デビュー、SOD女子格闘技道場の長山景に腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。2006年2月24日、長山の先輩である高橋洋子に右ハイキックでKO負け[1](高橋とはその後アブダビコンバット予選で何度か対戦するがいずれも敗戦)。2006年8月19日のレッスルエキスポ20

秀虎 - Bout Wiki

益荒男キックルールタイトルマッチで我龍真吾と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2011年1月9日、初参戦となったKrushで健太と対戦し、右ハイキックによるKO負けを喫した[8][9]。2011年6月12日、Krush-EX 2011 vol.3でYUUKIと対戦し、タオル投入に

コール・ミラー - Bout Wiki

三角絞めで下すも、エピソード8の準々決勝でジョー・ローゾンにTKOで敗れ、シーズンから脱落した。6月23日のフィナーレではアンディ・ウォンにハイキックからのパウンドでTKO勝ちを収め、UFC公式戦白星デビューを果たした。2008年7月5日、「UFC 86」でジョルジ・グージェウと

山本喧一 - Bout Wiki

グトン1R 4:51 TKO(パウンド)MFC 7 - USA vs. Russia 32006年6月3日○ゲルマン・レイエス2R KO(左ハイキック)琉球 Kamikaze Spirits【総合格闘技ルール】2005年11月13日×美濃輪育久1R 3:23 KO(パウンド)PR

ベン・ロズウェル - Bout Wiki

5日、M-1 MFCでイブラヒム・マゴメドフと対戦し、TKO負けを喫した。2003年7月31日、Heat FCでカーロス・バヘットと対戦し、ハイキックでKO負けを喫した。2005年1月23日、初参戦となったシュートボクシングでノブ・ハヤシと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。200

ポール・ブエンテロ - Bout Wiki

OTC 30: The Pinnacle【KOTC世界ヘビー級タイトルマッチ】2003年11月2日○アンディ・モンタナ1R 2:09 KO(ハイキック)Rumble on the Rock 42003年10月10日×ボビー・ホフマン5分3R終了 判定0-3KOTC 27: Aft

ケヴィン・バーンズ - Bout Wiki

3日、The Ultimate Fighter: Team Nogueira vs. Team Mir Finaleでジョンソンと再戦し、左ハイキックでKO負けを喫した[3]。2009年6月20日、The Ultimate Fighter: United States vs. U

マイティ・モー - Bout Wiki

リッジに1R KO勝利を収め、GP決勝戦での台風の目と言われていたが、同年12月4日の準々決勝でガオグライ・ゲーンノラシンに右のジャンピングハイキックを浴び、KO負けを喫した。2005年4月30日、K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGASではレミー・ボンヤスキ

ピート・ウィリアムス - Bout Wiki

ステルと対戦し、カステルが膝を負傷しTKO勝ちとなった。1998年5月15日、UFC初参戦となったUFC 17でマーク・コールマンと対戦し、ハイキックでKO勝ちを収め一躍有名になる。1998年10月16日、UFC Brazilで高阪剛と対戦し、判定負け。1999年11月19日、U

マイケル・マクドナルド_(1965年生) - Bout Wiki

K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS【世界予選A 決勝】2004年4月30日○ケリー・レオ1R 2:09 TKO(右ハイキック、2ノックダウン)K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS【世界予選A 準決勝】2004年4月30日○マーヴィ

マキシモ・ブランコ - Bout Wiki

2Rに右フックからのパウンドでTKO勝ちを収め王座を獲得した。2010年3月7日、「SRC12」でアームバー・キムと対戦し、1R1分10秒左ハイキックによるKO勝ちを収めた。2010年6月20日、「SRC13」でホドリゴ・ダムと対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた[13]。2

トレイ・テリグマン - Bout Wiki

25日、PRIDE.13でイゴール・ボブチャンチンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2005年8月20日、UFC 54でティム・シルビアにハイキックによるKOで敗れて以来、総合格闘技の舞台には上がっていない。戦績[]総合格闘技[]総合格闘技 戦績13 試合(T)KO一本判定その

マーク・ムニョス - Bout Wiki

となったため、同じズッファ社の運営するUFCに移籍した。2009年3月7日、UFC初参戦となった「UFC 96」でマット・ハミルと対戦し、右ハイキックでKO負け[2]。この試合より後は、階級を一つ下のミドル級へ転向。転向後は「UFC 102」でニック・カトーンに2-1の判定勝ち、

ミーシャ・テイト - Bout Wiki

45 腕ひしぎ十字固めFreestyle Cage Fighting 382010年1月16日○Sarah Oriza2R 0:08 KO(ハイキック)CageSport 72009年10月3日×サラ・カフマン3分3R終了 判定3-0ShoMMA: Strikeforce Cha

ギルバート・アイブル - Bout Wiki

。2000年6月4日、PRIDE.9でビクトー・ベウフォートと対戦、判定負け。8月27日、PRIDE.10でゲーリー・グッドリッジと対戦、左ハイキック一発でKO勝ち。10月31日、PRIDE.11でヴァンダレイ・シウバと対戦するも、試合開始直後にインローを金的に受け、続行不可能と

マット・ハミル - Bout Wiki

2月27日の「UFC 92」ではリース・アンディにTKOで勝利した[3]。2009年3月7日、「UFC 96」でマーク・ムニョスと対戦し、右ハイキックでKO勝ち[4]。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2009年12月5日、「The Ultimate Fighter 10

パトリック・スミス - Bout Wiki

・マンと対戦し、右ローキックでKO負け。1995年9月3日、K-1 REVENGE IIでムサシ(現・武蔵)のデビュー戦の相手を務めたが、左ハイキックでKO負け。1995年12月9日、K-1 HERCULESで田村潔司と総合格闘技ルールで対戦し、ヒールホールドで一本負け。1997

コール・エスコベド - Bout Wiki

、三角絞めによる一本勝ちを収め王座を獲得した[5]。2010年3月22日、DREAM初参戦となった「DREAM.13」で前田吉朗と対戦し、左ハイキックで失神KO勝ちを収めた。2010年7月9日、TPF世界バンタム級タイトルマッチでマイケル・マクドナルドと1年2か月ぶりに再戦し、K

ライアン・シュルツ - Bout Wiki

O(パンチ)IFL - World Championship Final2006年12月29日×クリス・ホロデッキー2R 0:24 TKO(ハイキック→パウンド)IFL - World Championship Semifinals2006年11月2日○カム・ウォード2R 2:3

ジェレミー・ホーン - Bout Wiki

ionship(IFC)主催のワンナイトトーナメントに出場し、準決勝でフォレスト・グリフィンと対戦。ブレイクでスタンドに戻った直後に放った右ハイキックでKO勝ち。決勝ではレナート・ババルに0-3の判定負けを喫し、準優勝となった。プロ総合格闘技100戦目となった2007年9月1日の

ジム・ミューレン - Bout Wiki

3月22日、ドラッカの現役世界ヘビー級王者としてK-1初参戦となったK-1 THE CHALLENGE '99でピーター・アーツと対戦し、右ハイキックでKO負け。1999年6月6日、K-1 SURVIVAL '99で佐竹雅昭と対戦予定であったが、佐竹の左足薬指骨折によりレイ・セフ

ジェイソン・ハイ - Bout Wiki

年7月20日、「DREAM.10」のウェルター級グランプリ準決勝でアンドレ・ガウヴァオンに判定勝ちするも、決勝ではマリウス・ザロムスキーに右ハイキックでKO負けを喫し、準優勝となった。2010年3月31日、UFC初参戦となった「UFC Fight Night: Florian v

ジョルジュ・サンピエール - Bout Wiki

6年11月18日、「UFC 65」のUFC世界ウェルター級タイトルマッチにて、王者マット・ヒューズのタックルを完封して打撃で圧倒し、最後は左ハイキックからパウンドを打ち込みTKO勝ち。リベンジに成功すると共に第6代UFC世界ウェルター級王者となった。2007年4月7日、「UFC

ジャダンバ・ナラントンガラグ - Bout Wiki

Wikipedia来歴[]2003年11月3日、新日本プロレス「YOKOHAMA DEAD OUT」でTOMOとK-1ルールで対戦。2R左ハイキックでKO負け。2004年4月7日、K-1 WORLD MAX 2004 ~世界一決定トーナメント開幕戦~でアルバート・クラウスと対戦

ジョン・チャンソン - Bout Wiki

レオナルド・ガルシアと対戦し、1-2の判定負けとなったものの物議を醸す判定となった[1]。9月30日、「WEC 51」でジョージ・ループに左ハイキックでKO負けを喫しWEC2連敗となった[2]。2011年3月26日、WEC吸収によるUFC初参戦となった「UFC Fight Nig

ディエゴ・サンチェス - Bout Wiki

ate Fighter: Team Rampage vs. Team Forrest Finale」でルイージ・フィオラヴァンティと対戦。左ハイキックからの右膝蹴りでダウンを奪い、パウンドによるTKO勝ち。10月25日、「UFC 90」でチアゴ・アウベスと対戦予定であったが、肋軟

ダン・ホーンバックル - Bout Wiki

初参戦となった戦極 ~第二陣~でマイク・パイルと対戦し、三角絞めで一本負け。2009年8月2日、戦極 ~第九陣~で郷野聡寛と対戦し、3Rに右ハイキックで失神KO勝ちを収めた。郷野は担架で病院に運ばれるほどのダメージであった。2009年11月8日、ワールド・ノーギ・チャンピオンシッ

チャーリー・ブレネマン - Bout Wiki

の緊急出場となった[4]。2011年10月1日、「UFC Live: Cruz vs. Johnson」でアンソニー・ジョンソンと対戦し、左ハイキックによるKO負けを喫した[5]。2012年1月20日、「UFC on FX: Guillard vs. Miller」でダニエル・ロ

ダニー・カスティーリョ - Bout Wiki

ン・ローラーと対戦し、チョークスリーパーによる一本負けを喫した[2]。2010年3月6日、「WEC 47」でアンソニー・ペティスと対戦し、左ハイキックでダウンを奪われたところにパウンドで追撃されKO負け。ペティスはノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[3]。2010年8月18

ジョージ・ループ - Bout Wiki

対戦し、1-1の判定ドローとなりファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2010年9月30日、「WEC 51」でジョン・チャンソンと対戦し、左ハイキックによるKO勝ちを収めノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞。WEC戦績を1勝1敗1分とした[1]。2011年1月22日、WEC吸収に

メルヴィン・マヌーフ - Bout Wiki

一本負け。王座獲得を逃した。2006年12月2日、K-1 WORLD GP 2006 決勝戦のリザーブファイトでレイ・セフォーと対戦。ローやハイキックで攻め続けるもセフォーの右フックでダウンを奪われ、1RKO負け。2007年3月12日、HERO'Sにて高橋義生と対戦、グラウンドパ

ラシャド・エヴァンス - Bout Wiki

ートと対戦し、マウントパンチでKO勝ちを収めた。2007年1月25日、「UFC Fight Night 8」でショーン・サーモンと対戦し、右ハイキック一発でKO勝ちを収めた。2007年7月7日、「UFC 73」でティト・オーティズと対戦し、0-0の判定ドローとなった。2007年1

山本優弥 - Bout Wiki

6」のメインイベントでスコット・シャファーと対戦。1Rにパンチでダウンを奪われ、更にKO寸前まで追い詰められるも、2R以降盛り返し、3Rに右ハイキックからの左膝蹴りで逆転KO勝ちを収めた。試合後のリング上で試合を観戦していた谷川貞治に対して「推薦枠で出してください」と世界トーナメ

宇野薫 - Bout Wiki

メント-」で西浦"ウィッキー"聡生と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[9]。2011年9月24日、「DREAM.17」でリオン武と対戦し、右ハイキックによるKO負けを喫した[10]。戦績[]総合格闘技[]総合格闘技 戦績46 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合26 勝2

アンディ・ウォン - Bout Wiki

0-3の判定で敗れシーズンから脱落。UFCデビュー戦となる同年6月23日に行われたフィナーレでは、チーム・パルヴァーのコール・ミラーと対戦しハイキックからのパウンドでTKO負け。戦績[]総合格闘技[]総合格闘技 戦績16 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合7 勝2140

アントニオ・バヌエロス - Bout Wiki

開催されたFFCFで野中公人と対戦し、TKO勝ちを収めた。2006年5月5日、WEC世界バンタム級王座決定戦でエディ・ワインランドと対戦し、ハイキックによるTKO負けで王座獲得はならなかった。2006年8月17日、「WEC 23」でコール・エスコベドと対戦し、3-0の判定勝ち。ズ

寒川直喜 - Bout Wiki

イCombat at The Capitale166-172パウンド級タイトルマッチ】2005年2月11日○藤元洋次3R 2:52 KO(右ハイキック)J-NETWORK「GO! GO! J-NET '05 -volcano-」2005年1月21日○バンビ・タカ判定3-0TRIB

アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ - Bout Wiki

、ヒョードルの怪我によるミルコ・クロコップとのヘビー級暫定王座をかけた一戦では、テイクダウンを奪えずスタンドで劣勢に立ち、1R終了間際には左ハイキックでダウン、かろうじてゴングに救われた。2Rは開始早々テイクダウンからマウントを奪い、ミルコのブリッジに合わせて腕ひしぎ十字固めを極

ショーニー・カーター - Bout Wiki

ス・テイラー5分3R終了 判定0-3Bellator 25(シーズン3 第2週)2010年8月19日×リック・ホーン2R 4:08 TKO(ハイキック→パウンド)Triumph 3: Havoc2010年7月31日×ディラン・アンドリュース5分3R終了 判定0-3Cage Fig

アンソニー・ジョクアーニ - Bout Wiki

O勝ち。2試合連続となるノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2009年12月19日、「WEC 45」でクリス・ホロデッキーと対戦し、右ハイキックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ち[3]。3試合連続となるノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2010年4月

大和侑也 - Bout Wiki

KO勝ち。19歳で王座を獲得した[5]。2010年9月26日、WBCムエタイルール日本統一ウェルター級王座次期挑戦者決定戦で一貴と対戦し、右ハイキックでKO勝ち[6]。宮越宗一郎への挑戦権を獲得した。2010年11月7日、NJKFで川端健司と対戦し、3Rに3度のダウンを奪われKO

山宮恵一郎 - Bout Wiki

行なった結果、左足の靭帯損傷および骨折の疑いにより不戦勝となった[9]。12月5日、「2010鳥生三番勝負第三弾」として鳥生将大と対戦し、左ハイキックでKO負けを喫した[10]。2011年2月25日、「DEEP 52 IMPACT」で行なわれた「宮下トモヤチャリティーエキシビショ