1940年アメリカ大統領選挙

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1940年アメリカ大統領選挙

州別獲得選挙人分布図

獲得選挙人

民主党 234人

共和党 297人

勝利地域数

民主党 25州

共和党 23州

得票数

民主党 25,924,878票

共和党 23,736,811票

得票率

民主党 51.9%

共和党 47.6%

大統領

候補者

政党

民主党    共和党

副大統領

副大統領候補者

ヘンリー・A・ウォレス

チャールズ・マクナリー

政党

民主党    共和党


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1940年アメリカ合衆国大統領選挙(1940ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1940)は、アメリカ合衆国が世界恐慌から浮上し、第二次世界大戦の陰で行われた。現職大統領で民主党のフランクリン・ルーズベルトはそれまでの慣例を破り3期目に出馬して、それが大きな問題となった。共和党の意外な候補者は、一匹狼の実業家ウェンデル・L・ウィルキーであり、ルーズベルトが不況を終わらせられなかったことに反対したダークホースだった。ルーズベルトは合衆国の強い孤立主義感情を意識しており、彼が再選されれば外国との戦争は無いと約束した。ウィルキーは精力的な選挙運動を展開し、中西部や北東部での共和党の強さを復活することができた。

その為この選挙では共和党の勝利に終わり、1944年アメリカ大統領選挙まで共和党による政権が続くこととなる。

目次

候補者の指名

・民主党の指名

1940年の冬、春および夏を通じて、ルーズベルトが長い伝統を破り前例のない3期目に出馬するかについて多くの憶測が流れた。「2期」という伝統は合衆国憲法で定められていた訳ではなかったが、1796年に3期目出馬を拒否したジョージ・ワシントン大統領によって確立され、どの大統領も3期選ばれた者はいなかった。しかし、ルーズベルトは再び候補者になる意志があるかについては明確な声明を出すことを拒んでおり、ジェイムズ・ファーリーのような大望ある民主党員には、3期目は出馬しないので民主党の指名をもとめればよい、というようなことを示唆すらしていた。しかし、ナチス・ドイツが西ヨーロッパを席捲し、1940年の夏にはイギリスに脅威を与えるに及んで、ルーズベルトは、ナチスの脅威に対して自分だけが国の安全を見ていくために必要な経験と技術を持っていると決心した。

しかし、彼の決心とは裏腹に党内からのルーズベルトの三期目に反発する声は大きく、当時の副大統領で保守的なジョン・N・ガーナーがルーズベルトに対抗する形で出馬を表明するとニューディールの成果を史実程出せなかったルーズベルトはこの挑戦に苦しめられることとなる。ヒューイ・ロングのガーナー支持宣言により彼の3期目はないものと思われていたが最終的には進歩派との連携を取ったルーズベルトが民主党全国大会での勝利を収めることとなる。

ガーナーの敗北後、ロングは36年以降ニューディールの方針転換を行ったルーズベルトの支持を表明し彼の南部支持は大きなものとなるが、進歩派を政府に組み込んでもなお北部での支持は曖昧なままでいた。

・共和党の指名

ウェンデル・ウィルキーというウォールストリートに本拠を置く実業家が、それまで公的な役職を求めて選挙に出馬した経験が無かったにも拘わらず、意外な候補者として浮上した。ウィルキーは1932年の民主党大会ではルーズベルトを推す代議員であった元民主党員であり、ありそうもない選択と考えられた。ウィルキーは、ルーズベルトが電力独占を解体しようとしたときに歯切れのいい批判者として初めて大衆の注目を浴びるようになった。ウィルキーは、11の州の消費者に電力を供給するコモンウェルス・アンド・サザン電力会社のCEOだった。1933年、ルーズベルトはテネシー川流域開発公社すなわちTVAを設立し、洪水を抑え、テネシー川流域の貧しい人々に安い電力を供給することを約束した。しかし、国営のTVAがウィルキーのコモンウェルス・アンド・サザンと競合することになり、このことでウィルキーが民間の電力会社と競合するTVAの試みを批判し反対することになった。ウィルキーは政府が民間企業に対して不公平な利点を有しており、民間電力会社との直接競合を避けるべきだと主張した。しかしウィルキーはルーズベルトの社会福祉政策を全て斥けたわけではなく、実際に自由競争の仕組みではそれ以上うまく管理できないと考えるものは支持した。さらに共和党の有力候補者とは異なり、ウィルキーは連合軍、特にイギリスへの援助を強力かつ率直に提唱する者だった。イギリスにあらゆる援助を与えるという「宣戦布告同然」の考え方は、連邦議会における党の孤立主義派指導者に同意できない東海岸の多くの共和党員の支持を得ることになった。ウィルキーの説得力ある議論はこれら共和党員に印象を与え、彼ならば魅力ある大統領候補になると思わせた。「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙のオグデン・リード、スクリップス・ハワード新聞チェーンのロイ・ハワード、「ミネアポリス・スター」紙と「ミネアポリス・トリビューン」紙、さらに「デモイン・レジスター」誌や「ルック」誌の発行者ジョンとガードナーのカウェルズ兄弟のような当時の指導的新聞王の多くが、その新聞や雑誌でウィルキーを支持した。それでもウィルキーは望みの薄い候補者のままだった。5月8日のギャラップ世論調査ではデューイが共和党員の67%の支持を得ており、次にヴァンデンバーグとタフトが来て、ウィルキーは3%に過ぎなかった。

1940年5月にフランス入ったナチス軍の電撃作戦はアメリカ世論を震撼させ、タフトですらカンザス州の聴衆に向かって、ルーズベルトが国際的な危機を国内で社会主義を広めるために利用することを妨げるよう、アメリカは国内問題に集中しなければならないと告げた。デューイとヴァンデンバーグもドイツとの戦争に繋がるイギリスへの如何なる援助にも反対を続けた。それでも、交戦中のイギリスに対する同情は日に日に高まり、このことがウィルキーの立候補に力となった。共和党の党大会が開かれるまで1週間強となった6月半ばまでに、ギャラップ世論調査はウィルキーは支持率17%で2位に上昇し、何十万、恐らくは百万通におよぶウィルキー支持の電報が会場に殺到した。

1940年共和党大会それ自体でも、基調講演者であるミネソタ州知事ハロルド・スタッセンがウィルキーに対する支持を表明し、会場でウィルキーの公式マネジャーになった。何百というウィルキー支持者が党大会会場の上の傍聴席を占めた。ウィルキーの素人的立場とその新鮮な顔が代議員と同様に有権者にも訴えた。代議員達は予備選では選ばれず各州の党指導者によって選ばれており、大衆世論が急速に変化している波を敏感に感じ取っていた。ギャラップも集会が終わるまで報告されなかった世論調査のデータで同じ事を見出していた。ウィルキーは共和党への投票者の中で44%でトップに立ち、衰えていくデューイは29%に過ぎなかった。ウィルキーを支持する聴衆がくりかえし「ウィルキーを臨む」と叫ぶ中で、集会における代議員達の投票が始まった。デューイが最初の投票ではリードしたが、その後は徐々に力を失っていった。投票を重ねるごとにタフトとウィルキーが伸びていき、4回目の投票までにどちらかが指名を獲得することが明らかな情勢になった。ミシガン州、ペンシルベニア州およびニューヨーク州といった大きな州の代議員達がデューイやヴァンデンバーグに見切りを付けてウィルキーに乗り換えたときが重要なポイントとなり、6回目の投票でウィルキーを勝利させた。

多くの歴史家は、ウィルキーの候補指名が如何なる政治集会の中でも最も劇的な瞬間の一つだったと、今でも見なしている。ウィルキーが誰を副大統領候補に指名するかについてはほとんど考えられていなかったので、ウィルキーは集会の議長でマサチューセッツ州選出の合衆国下院議員、かつ下院の院内総務でもあるジョセフ・W・マーティンに決定を委ね、マーティンはオレゴン州出身で上院の院内総務であるチャールズ・L・マクナリーを提案した。マクナリーは指名投票の終盤で「ウィルキーを止めよ」運動の急先鋒であったという事実にも拘わらず、代議員達はマクナリーを副大統領候補に指名した。

一般選挙

・秋の選挙運動

ウィルキーは、ルーズベルトが大統領2期という伝統を破ろうとしていることを攻撃し、「もし1人の男が不可欠であるなら、我々の誰も自由ではない」と主張した。過去にルーズベルトを支持した民主党員ですら、ルーズベルトの3期目を認めない者がおり、ウィルキーは彼らの票を獲得できると期待した。ウィルキーは、ルーズベルトのニューディール福祉計画の中で無能や浪費と主張した事柄も批判した。大統領になればルーズベルト政権の計画の大半を引き継ぐが、より効率的に行うと述べた。しかし、多くのアメリカ人はこの時も実業界の指導者が世界恐慌に責任があったと見ており、「大企業」を象徴するウィルキーという事実は多くの労働者階級有権者の心証を悪くした。ウィルキーは怖れを知らぬ選挙運動家だった。共和党が依然として世界恐慌をもたらした責任があると考え、しかもルーズベルトが高い人気を保持している工業地帯もしばしば訪れた。このような地域では、しばしば腐った果物や農産物を投げつけられ、群衆にはやじり倒されたが、それでも平然としていた。ウィルキーは、ルーズベルトがこの国を戦争に対する備えが無いままにしているとも攻撃した。これに対しルーズベルトは効果的な返しを行うことが出来ないながらも、「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない」と公約した。

・結果

                       

                      大統領選の結果
大統領候補者

出身州

 党 得票数得票率副大統領候補者

出身州

選挙人得票数
ウェンデル・ウィルキー

ニューヨーク州

共和党23,736,811票47.6%チャールズ・L・マクナリー

オレゴン州

  297
フランクリン・ルーズベルト

ニューヨーク州

民主党25,924,878票51.9%ヘンリー・A・ウォレス

アイオワ州

  234
ノーマン・トーマス

ニューヨーク州

アメリカ社会党116,599票0.2%メイナード・C・クルーガー

イリノイ州

   0
ロジャー・バブソン

マサチューセッツ州

禁酒党57,903票0.1%エドガー・ムーアマン

イリノイ州

   0
     その他   -65,922票0.1%      -   0
         合計49,902,113票100%     -  531
                 選出必要数  266


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