ボルタ・ド・マール

ページ名:ボルタ ド マール

ボルタ・ド・マール(Volta do mar, volta do mar largo, volta do largo)は北大西洋環流や恒常風によって弧状になる航路。ポルトガル語で「海の回転」や「海からの帰還」という意味がある。航海技術の一つで、15世紀後半のポルトガル航海家は既に理解しており、ヨーロッパ人による海洋帝国を成す上で重要な知識であった。


この方法に従えば、北西へ向かって帆走し追い風を見つけてヨーロッパに帰還することとなる。しかし「西」は一見するとポルトガルから遠ざかる方向である。 この知識を持っていなかった13世紀の探検家ヴァンディーノ・ヴィヴァルディとウゴリーノ・ヴィヴァルディら兄弟はカナリア諸島に向けて出発したまま消息を絶った。 北緯30度線を通過してしまえば、大西洋環流とボルタ・ド・マールを理解せずには、 ジブラルタル海峡まで遡上して帰国することはできなかったのだろう。 このようにボルタ・ド・マールを知らないと航海する上で致命的である(ボハドル岬の迷信の元凶とも考えられる)。 例えば、クリストファー・コロンブスもポルタ・ド・マールを利用して帰国を果たしている。
問題は貿易風帯と偏西風帯間をどう移動するかであった。熱帯無風帯(ドルドラム)に入って動けなくなると壊血病になる恐れがある。海藻だらけのサルガッソ海が魔の海と恐れられたのはこれに因む。後にメキシコ湾流に乗って北上する航路をアントニオ・デ・アラミノスが開発し、古典的航路が完成する。


還流の応用
マニラ~アカプルコ間のマニラ・ガレオンの航路は、大西洋の現象を太平洋に応用して完成した。 北太平洋の偏西風を見つけるために、船は日本の緯度まで北上する必要があり、 ここで安全に太平洋を横断できるのである。 マニラ~アカプルコ間のガレオン船の貿易路の発見は、 スペインのアンドレス・デ・ウルダネータによる。 彼はミゲル・ロペス・デ・レガスピに護衛されて帆走していたが、 船団は分離し、南に向かうものもあったが、 ウルダネータは太平洋の風も大西洋の風と同様に環状となって吹くと判断した。 大西洋ではボルタ・ド・マールを利用して、東に向かう前に随分北に移動すれば、 マデイラ諸島から帰国することができる。 これを前提にして彼は、 東に帆走する前に随分北に帆走すれば偏西風を捉え、 北アメリカの西海岸に戻ることができるのではと考えた。結果的に直感は報われ、北緯38度まで帆走したウルダネータはカリフォルニアのメンドシノ岬周辺の海岸に着き、 そこから沿岸を南に辿ってアカプルコに到達した。


シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

タンジール戦

タンジール戦(タンジール包囲戦とも)は1437年(9月13日ー10月19日)にポルトガル遠征軍がモロッコのタンジールを占領するためにマリーン・スルタン軍と争った一連の戦い。ポルトガルは15世紀にタンジ...

ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ

ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコはポルトガルの航海者・探検家。アルバロ・フェルナンデスの叔父かつエンリケ航海王子に仕える貴族であり、船団を率いて探検行を行った。マデイラ諸島を「発見」した人物の一人であ...

キャラック船

キャラック船(Carrack,カラック船とも)は15世紀に地中海で開発された帆船。大航海時代を代表する船種のひとつ。 この型の船を、スペインではナオ(Nao)あるいはカラーカ(Carraca)、ポルト...

キャラベル船

キャラベル船(Caravel,カラベル船とも)は、およそ3本のマストを持つ小型の帆船。高い操舵性を有したことなどから探検活動が盛んとなった15世紀に主にポルトガル人とスペイン人の探検家たちに愛用された...

アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダ

アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダは外国イングランドでの職歴があるポルトガルの騎士。ヘンリー6世によってアブランシュの初代伯爵(Conde de Abranches)に任命され、ガーターの騎士を創設した。...

セウタ攻略戦

セウタ攻略戦は、ポルトガル王国が後のアフリカ進出に関わる重要な戦い。1415年8月にセウタで起き、結果的にセウタがポルトガル王国領になる。もともとセウタはマリーン朝とグラナダ王国の利害下で、過去数十年...

バルバリア海賊

バルバリア海賊(バルバリア・コルセア[Barbary corsairs]またはオスマン海賊[Ottoman corsairs])は北アフリカのおもにアルジェ、チュニス、トリポリを基地として活動した海賊...

バルバリア海賊の歴史

※概要等は「バルバリア海賊」の頁を参照。イスラム教徒による海賊行為は、地中海では少なくとも9世紀の短命に終わったクレタ島のムスリム政権(824年 - 961年)の時代から知られていた。イタリア、フラン...

プレスター・ジョン

プレスター・ジョン(プレステ・ジョアン)は、アジアあるいはアフリカに存在すると考えられていた伝説上のキリスト教国の国王。プレスター・ジョン伝説では、ネストリウス派キリスト教の司祭が東方に王国を建国し、...

ジル・エアネス

ジル・エアネスはポルトガルの航海士・探検家。ボハドル岬を初めて越えた人物。私生活についてはほとんど知られておらず、エンリケ航海王子の使用人(盾持ち)であったのではないかと考えられている。1395年 ポ...

アントン・ゴンサウヴェス

アントン・ゴンサウヴェスはポルトガルの探検家、奴隷商人。黒人奴隷商人から奴隷としてアフリカ人を購入した最初のヨーロッパ人である。なお、16世紀の初めにマダガスカル島の沿岸を航行したアントン・ゴンサウヴ...

ディニス・ディアス

ディニス・ディアスはポルトガルの探検家。エンリケ航海王子に仕えており、父ジョアン・ディアスや息子バルトロメウ・ディアスも同様に探検家である。1445年 ディアスは既に老齢だったが「井戸の中で平穏に生き...

ヌーノ・トリスタン

ヌーノ・トリスタンはポルトガルの探検家、奴隷商人。1440年代初頭に活動し、ギニア周辺地域に到達した最初のヨーロッパ人であると考えられている(ガンビア川を越えてギニアビサウまで行った説もあるが、有力で...

フェルナンド聖王子

フェルナンド聖王子はポルトガル王国アヴィス王朝の王族。カトリック教会の福者で、祖国のために犠牲となったことから聖王子の名で親しまれている。 1402年 ポルトガル王国のサンタレンでジョアン1世とフィリ...

フェルナンド1世 (ブラガンサ公)

フェルナンド1世はポルトガルの貴族。第2代ブラガンサ公爵・第3代アライオロス伯。アヴィス王朝の開祖ジョアン1世の庶系の孫である。 1403年 初代ブラガンサ公アフォンソ1世と、ベアトリス・ペレイラ・ア...

フェルナンド・デ・カストロ

フェルナンド・デ・カストロはポルトガルの貴族、外交官、軍人。パウル・デ・ボキロボの初代領主。ジョアン1世の王室評議会のメンバーであり、エンリケ航海王子の王室の総督を務めた。同じ時期にフェルナンド聖王子...

ゴメス・エアネス・デ・ズララ

ゴメス・エアネス・デ・ズララはフェルナン・ロペスの後を継ぐポルトガルの編年史家。1410年 ポルトガルで生まれる。1433~1438年[22~27歳] 著述家を生涯の半ばで始める。ドゥアルテ1世の治世...

ルイ・デ・ピナ

ルイ・デ・ピナはポルトガルの編年史家。1440年 グアルダで生まれる。1482年[42歳] 春にポルトガルのジョン2世からカスティーリャに派遣され、大使館の秘書を務める。9月に唯一の使節としてそこに戻...

フレイ・ジョアン・アルバレス

フレイ・ジョアン・アルバレスはポルトガルの騎士修道士・編年史家・作家。王室に仕え、フェルナンド聖王子の秘書を務めた。1400年 トレス・ノヴァスで生まれる。1437年[37歳] フェルナンド聖王子と共...