アントニオ・ノリ

ページ名:アントニオ ノリ


アントニオ・ノリはジェノヴァの貴族かつ航海家。植民地となったサブサハラアフリカで最初の総督を務めた。エンリケ航海王子に代わってカーボベルデ諸島の島をいくつか発見し、アフォンソ5世によってカーボベルデの最初の総督に任命された。アントニオ・ダ・ノリの他にアントニオット・ウソディアレとも呼ばれる。


1415年*1イタリアのジェノヴァに生まれる。家族は高貴な貴族で、愛国者だった。
1447年[32歳] 親族フレゴソとアドーノによる政治的紛争でジェノヴァから追放された。海軍大尉かつ地図製作者のノリは、兄バーソロミュー(ジェノヴァの弁護士)と甥ラファエルと共に小規模な遠征を行い、ポルトガルまで航海した。その後、ポルトガルでエンリケ航海王子の海外遠征に従事するようになる。
1455年[40歳] カーボベルデ諸島の一部を発見する(※諸説あり、下段参照)
1462年[47歳] 1496年まで、発見したサンティアゴ島の南端にあるリエイラ・グランデ*2の指導長を務めた。
1497年[82歳]*3亡くなった(位置などは不明。ただし、政治的な理由でジェノヴァに戻ることは禁止されていた)。


カーボベルデ諸島の発見

  • 島の一部は、1460年12月3日付の寄付状に記載されていた。1460年にエンリケ航海王子が亡くなってから弟フェルナンド聖王子への王室の助成金でもあった。
  • 残りの島々は、1462年9月19日付のカルタ・レジア(王室の手紙)に書かれている。手紙には、彼が最初の発見者でディオゴ・ゴメスが二番目の発見者だとあるが、その出来事が文書にあまり記録されておらず、島々の一部または全部がディオゴ・ディアス、ディオゴ・アフォンソ、アルヴィーゼ・カダモストによって発見されたという説が有力である。この手紙には、カーボベルデの全ての島をドムフェルナンドに譲渡するとしているが、発見者の名前は示されていない。アントニオ・デ・ノリの名前は5つの島の発見者として初めて言及されている。
  • 1462年10月29日の公式王室の手紙には、他の(最後の)7つの島を発見したのは、王の筆記者ディオゴ・アフォンソであると述べている。

家族
娘(ポルトガルの貴族と結婚した)と息子(初期の遠征に同行した)が1人ずついた。
祖先
14世紀までに、北イタリアのノリ家は2つの分家に分かれており、Noli(サヴォーナ州)という領土を共有していた。一方はリグーリア州ジェノヴァに、もう一方はピエモンテ州ノヴァーラに定着していたが、ノリは15世紀初めまでにカメリアーノ城に住んでいた。ジェノヴァのノリ家は、13世紀までにすでに政府に加盟しており、1261年には「Consigliere della Signoria」として参加していた。1382年、アントニオ・デ・ノリの祖先であるジャコモ・デ・ノリは、ニコラス・デ・グアルコ公爵の命令でジェノヴァの十二年評議会のメンバーの一人になった。1378年、フレゴソの後にニコラス・デ・グアルコがジェノヴァの支配を引き継いだ時、彼は「前政権で無視された貴族を信頼する立場を任された」ため、フィエスキも任命された。フィエスキとグアルコの同盟における統治は、その後何年もアントニオ・デ・ノリと彼の兄弟バーソロミューにとって劇的な結果をもたらすに違いない。ノリ以前の政治団体は、①1447年にポルトガルへ強制退去させられること、②数十年後、チェゼーナから祖国ジェノヴァに本国送還される子孫の状況を説明する上で役に立つ。


*1 1419年説もある
*2 現代のシダーデ・ヴェリャ[Cidade Velha]
*3 1491年説もある

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