ディオゴ・デ・シルベス

ページ名:ディオゴ デ シルベス


ディオゴ・デ・シルベスはポルトガルの探検家。1427年にアゾレス諸島を発見したとされる。生没年や家族だけでなく彼の名前でさえ曖昧な部分が多いため、細かい歴史は一切不明である。


1439年にマヨルカ島の地図製作者ガブリエル・デ・ヴァルセカによって描かれた海図にしか彼についての記載がない。1869年にインク入れを倒す事故が起きてしまい、アゾレス諸島についてのメモの一部が読めなくなってしまった。

メモ:Aquestes isles foram trobades p diego de ??? pelot del rey de portugal an lany MCCCCXX?II (訳:これらの島々はディオゴ・デ・???によって発見。14??年のポルトガル王国の船長)

上記のように姓名と日付の一部が読み取れなくなってしまい、歴史学者は議論を重ねた。姓名の候補にはシルベス(Sivils)の他にSevill ,Seville, Sunis, Survis, Sinus, Simis, Sinesなどが挙がり、日付もMCCCCXXVII (1427年),MCCCCXXXII (1432年),MCCCCXXXVII (1437年)など複数の意見があった。しかし1943年にポルトガルの歴史家ダミアン・ペレスが、アルガルヴェのシルヴェス*1という地名から由来した名前であると考え、姓名はSivilsになった。その際、日付も1427年に落ち着いた。


エンリケ航海王子に仕えた者だとされることが多いが、これも明確な根拠がない。もし仮にそうだったのならば、1427年にエンリケ航海王子の探検隊として、ソハダ岬を回航してアフリカ西海岸を進む予定だったのかもしれない。植民地化しているマデイラ諸島にも頻繫に通っていた可能性がある。


結局のところディオゴ・デ・シルベスがマデイラ諸島に到着して何をしたのかも不明である。帰りの航海中にルートから外れたという説、ボルタ・ド・マールルート(volta do mar routes)の1つを試して、海洋風と海流に関する情報を集めていた説もある。ガブリエルの地図によると、シルベスは実際にはアゾレス諸島の中央部~西部の部分しか発見していないようである。


*1 エンリケ航海王子が遠征を組織していた港ラゴスに近い

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