ボハドル岬の迷信

ページ名:ボハドル岬の迷信


ボハドル岬(Cape Bojador、ボジャドール岬とも)は西サハラの北部に位置する岬。カナリア諸島から約240㎞南にある。ジル・エアネスが通過する以前は多数の船が行方不明となっており、「世界の境界線」としてヨーロッパ人に恐れられていた。

Who wants to pass beyond Bojador / Must also pass beyond pain.ーFernando Pessoa "Mensagem"

誰もそこから先へは決して船を遣ろうとしなかった――現代地図の上では殆ど目につかぬ程の障害であり、低い砂地なので接近して初めて視認できるのだが、それでもなお、油断のならない潮流や暗礁、そして時にその向こうに待伏せている迷信的な恐怖の数々の故に、全く通過不可能とされていた難所であることに変わりはなかった。エンリケ麾下の乗組員達は皆例外なくこの岬の手前で引返し、彼らの被った迷惑の帳尻を合わせるべく沿岸のムーア人部落を襲うことで鬱憤を晴らしていた。この岬を越すと、それを考えただけでアラビア人地理学者の血を凍らせたという晦冥の海が展け、その向こうには白人が黒ん坊になってしまう炎熱地帯が待っているのである。
ボイス・ペンローズ『大航海時代』1952 荒尾克己訳 筑摩書房刊 p.47

しかしセウタ攻略の際にアフリカの地理情報を仕入れ、また自らも地理学や天文学を学んだエンリケ航海王子はこれらは迷信であると確信していた。エンリケは船乗りに対して「何の根拠も無いくだらない伝説を信じるな!」と叱咤したが、当時の船乗りはボジャドール岬を越えることができなかった。中にはエンリケの命令を無視して地中海に引き返し、わざわざイスラムとの戦いに身を投じる者もいた。1433年エンリケは従士のジル・エアネスを探検航海の指揮官に抜擢し探検航海を命じる。その後、彼によってボハドル岬が「世界の境界線」でないことが証明された。


なぜボハドル岬は「世界の境界線」と恐れられたのか
問題なのは、なぜこのような迷信が広まったのかということである。地図を見ても特に変わった地形はなく、いくら乗り上げそうな暗礁があったとしても大袈裟な話であろう。しかしパイロットチャートを分析すると、この問題の焦点が「風」であることがわかる。(北東に吹く)偏西風が(南西に吹く)貿易風に変化するのが、ちょうどこの岬の周辺であり、海岸線に沿って進んでいた探検隊は、風で海に投げ出されてしまうのだ。恒常風のメカニズムを知らない当時の人々は、切り替わるポイントである岬を強く警戒したに違いない。なお事実、ボハドル岬周辺の北緯30度を越えて南下した場合、ボルタ・ド・マールを知らないで帰還するのは難しいと思われる。


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