ペドロ・ヌネシュ

ページ名:ペドロ ヌネシュ


ペドロ・ヌネシュはポルトガルの数学者、宇宙学者、教授。16世紀の最も偉大な数学者の一人で、ポルトガルの大航海時代に重要であった航海技術への貢献で知られる。等角航法の最初の提案者であり、測定器を発明し、その中には彼のラテン名で呼ばれるノニウス(ノギスの名の由来になった)が含まれる。錬金術師ジョン・ディーや数学者エドワード・ライトに大きな影響を受けていた。


1502年 アルカセル・ド・サルで生まれた。家族はユダヤ教徒を先祖にもつキリスト教改宗者だと思われる。なお彼の孫はユダヤ教徒だとしてポルトガルの異端尋問にかけられた。
1525年[23歳] サラマンカの大学やリスボンの大学で学び、この年に医学の学位を得た。16世紀当時の医術は占星術も使うことがあったので、ヌネシュは天文学と数学も学んでいた。医学の研究も続けたが、リスボンの大学で倫理学、哲学、論理学、形而上学の教授の地位をえた。
1529年[27歳] 王室地理学者になる。
1531年[29歳] ジョアン3世は、弟のルイスとヘンリーの教育をヌネシュに委任した。また、数年後に王の孫(後のセバスチャン王)の教育も担当した。
1537年[35歳] 大学がコインブラに移ると、コインブラに再建された大学で数学を1562年まで教えた。ポルトガルを訪れたクリストファー・クラヴィウス*1がヌネシュの講義に参加し、彼に影響されたこともありえる。
1544年[42歳] 当時ポルトガルの富の源泉である貿易のための航海術の重要性が高まり、数学の教授職はこの年に独立。
1547年[45歳] 王室地理学者の長となり、没するまで務めた。
1578年[76歳] ポルトガルのコインブラで亡くなった。
死後
1961年 ポルトガルで発行されていた100エスクード紙幣に肖像が印刷された。


業績
16世紀のヨーロッパでは、科学の在り方が「以前の科学者を再定義すること」から「実験データに基づいて理論を確立すること」に変化していた。ヌネシュはとりわけ最後の偉大な評論家の一人(つまりは前者)であり、彼の最初の作品「Tratado da Esfera」は、当時の困難な宇宙論をコメントと注脚で解説していた。なお、普遍的な知識をヨーロッパの学者に広めるため、ラテン語だけでなくスペイン語やポルトガル語に訳して出版した。一方で、彼は実験の価値も認めていた。
航海学
ヌネシュの多くの業績は航海術に関するもので、一定の方角で進む船舶が地球上の2点を結ぶ最短距離である大圏コースを進むことにならないことを理解した最初の一人である。しかしながら大圏コースを進むためには常に方向を変えて進まなければならず、子午線に対して一定の角度で進む等角航法を提案した。またヌネシュは航海図は平行線(緯線)と経線を直線として示すべきだと主張したが、実際に作図すると面積が歪むなど様々な問題を引き起こし、メルカトル図法が考案されるまで解決に至らなかった。なお対数の研究が進むと、ライプニッツが航程線の代数方程式を確立した。
幾何学
1年で最も夕方の期間が短い日を発見した。当時この問題はあまり重要ではなかったが、1世紀以上後に独立して成功を収めたヨハンとヤコブ・ベルヌーイによって再び取り組まれた問題であり、ヌネシュが幾何学的にも優れていたことを示している。彼は最大値と最小値を求める先駆的な存在となり、これは後に微分積分学で一般化された。
宇宙論学
天動説に言及した最後の主要な数学者だと考えられている。しかしコペルニクスが同時期に太陽中心の体系理論を導入したため、これは重要性を失った。彼はコペルニクスの論文を知っていたが、いくつかの数学的な誤りを修正する目的で、彼の出版した論文の中で簡単に言及した。彼の宇宙論学は球面三角法やユークリッド幾何学の理解が深く関わっていた。
開発
航行コースの修正に関する航海学の問題に取り組んだ。特に船舶の位置を測定するためにより正確な機器の開発を試みて、ノニウス(nonius)と呼ばれる副尺をアストロラーベ(昔の天体観測儀)に設置した。これは、アストロラーベ上に描かれた多数の同心円で構成され、隣接する外側の円よりも1°少ない割合で等分している。したがって、最も外側の四分儀は90°で分割され、次の内側の円は89°、その次の内側の円は88°と連続的に減少していく。角度を測定する時は、円とアリダード(側斜儀)の交差地点に注目し、一覧表を見て正確な尺度を調べる。
ティコ・ブラーエはノニウスを使ったが複雑な機器だと思い、クリストファー・クラヴィウスやジェイコブ・クルティウスが改善を施した。1631年、最終的にピエール・ヴェルニエによってさらに改善され、ノニウスは2つの目盛りを含む副尺に減少し、そのうちの1つは固定され、もう1つは可動した(これが現在の形である)。
※顕著な業績はないが、力学の問題にも取り組んでいた。


文献一覧

  • Tratado da sphera com a Theorica do Sol e da Lua(1537)ー太陽と月の理論を持つ球体に関する論文
  • Tratado em defensam da carta de marear(1537)ー海図の擁護に関する論文
  • Tratado sobre certas dúvidas da navegação(1537)ー航海学の疑問についての論文
  • De crepusculis(1542)ー夕方の時間に関する論文
  • De erratis Orontii Finei(1546)ーオロンティ・フィニの誤りについての論文
  • Petri Nonii Salaciensis Opera(1566)ー1573年にDe arte adque ratione navigandiとして再編集
  • Livro de algebra en arithmetica y geometria(1567)ー数学と幾何学における代数の書

*1 グレゴリオ暦の提案者。ヌネシュを「最高の天才数学者」として評価した

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