ゴンサロ・ヴェーリョ・カブラル

ページ名:ゴンサロ ヴェーリョ カブラル


ゴンサロ・ヴェーリョ・カブラルはポルトガルの航海者・探検家・僧侶。キリスト騎士団に属する騎士である。エンリケ航海王子に仕えた航海者の中でも特に信頼が厚かったとされる。アゾレス諸島を発見した人物の一人。


1400年 父フェルナン・ヴェーリョと母マリア・アルバレス・カブラルの間に生まれる。
1427年[27歳] ディオゴ・デ・シルベスによるサンミゲル島の発見。
1431年[31歳] テーパス川沿いのヴィラ・デ・タンコスにいたが、キリスト騎士団長のエンリケ航海王子から召喚状を受け取る。「キャラベル船でサグレスからアフリカ西海岸へ向けて出発し、新たな土地の発見とその報告をせよ」という内容だった。それにはディオゴ・デ・シルベスが発見した島の再特定という仕事も含まれていた。航海により、荒れ果てた岩石質のフォルミガス島を発見するが、悪天候のためすぐにザグレスに帰還した。


1432年[32歳] しかしエンリケ航海王子に再び航海に行くよう命じられる。彼らは聖母マリアを信仰していたので、新しい島名はそれに因んだものにすることをカブラルは約束した。彼は航海の数日間に地図や航海図を念入りに調べて、毎夜風と海流の方向を確認した。8月15日の晴天の朝、船員たちは地平線に沿った黒い物体を視認した。最初は曇だと疑っていた者もいたが、その物体が「新たな島」であることが分かると、カブラルは船員たちにTerra à vista!(陸地だ!)と叫んで歓喜した。彼らはその後、口述で神と聖母マリアに感謝する儀式ミサを行った。聖母マリアの恩恵であると考えた彼は約束通りに発見した地を「サンタマリア島」と命名した。
彼らは島の北西部の砂浜に上陸し、その地*1をアシカに由来したLobosと名付けた。将来の植民地化のために家畜を解放し、内部の森林を調べて島を一周した。カブラルは大陸では馴染みのない木の一部や、土、水などを缶に入れてポルトガルに持ち帰った。缶を受け取ったエンリケ航海王子はすぐに島を本格的に植民地化することを計画した。カブラルは発見の報酬としてサンタマリア島の領地権が与えられ、島の更なる調査を命じられた。
1433年[33歳] 4月3日、アフォンソ5世はエンリケ航海王子の要請を受け、カブラルにアゾレス諸島の司令官の称号を与えた。


1434年[34歳] 1次遠征では5月8日に大きな島を発見し、大天使マイケルに敬意を示して「サンミゲル島」と命名。2次遠征ではサンミゲル島の北海岸を調べた後に南東の河口*2に上陸。サンタマリア島と同様に家畜を放ち、木の枝や汚れた箱、鳩などをポルトガルに持ち帰った。その際にサンミゲル島の領地権も獲得。
1435年[35歳] 植民地化のために島々の開拓・整備を命じられ、夏頃に家族でのサンタマリア島の移住を完了させる。家族や召使いは小麦・蜂蜜・ブドウ(クレタ島から移植)の栽培に尽力し、カブラルは彼らに土地を与えたりした。この頃エンリケ航海王子はムーア人をサンミゲル島に早期入植させた。


1439年[39歳] サンタマリア島の牧畜が本格化。
1444年[44歳] サンミゲル島の牧畜が本格化。
1445年[45歳] 9月29、貴族などの入植者*3とともに家畜・鳥・小麦・野菜などを持ち込んでサンミゲル島に上陸*4。彼らは迫害されたムーア人入植者に遭遇したが大きな問題にはならなかった。
1460年[60歳] 亡くなった。
1474年 この年までサンタマリア島とサンミゲル島は彼の政権下であった。サンミゲル島はルイ・ゴンサルベス・ダ・カマラに売却されたが、彼の妹テレサの一人っ子ジョアン・ソアレス(医師)が、サンタマリア島とサンミゲル島の指導長の後を継いだ。


*1 現在のポンテ・ドス・カヴェトランテス[Ponte dos Cabestrantes]
*2 Povoação Velha[古い集落]と命名
*3 初期の入植者の多くはポルトガルの異端尋問で迫害されたユダヤ人であった
*4 火山噴火が起きた直後で、海に枝や軽石が散乱していたらしい

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