618名無しヒーリング2019/02/23(土) 00:47:23.40ID:sbhfVYcq
南伝仏教と北伝仏教があるということだけど、南伝は上座部、いわゆる小乗仏教で、
北伝は大乗仏教ということだよね。
小乗は個人の悟りを重視し、意識を自分で操作しようとしたりする、
自力の行のニュアンスが強い。
大乗は利他の精神を重んじ、行も他力の性質が強い。
マインドフルネス的に考えると、意識の方向性を操作しようとする小乗はマインドフルネスと言えるが、
じゃあ、大乗の禅はどうかってことになる。
まず基本は、大乗小乗に関わらず、仏教の行は基本マインドフルネスってことは
押さえておかないといけない。
ただその手法が自力的か他力的かの違いがあるだけ。
マインドフルネスとしては、他力の方が高度なんだよ。
優れていると言える。
小乗は意識を自力的に対象に向けていく。
大乗は型を作って意識が自然に向いていくようにする。
意識の牢屋を作ってガッチリと、意識が逃げられないようにするわけだ。
どちらも「今に在る」ことが目標になってる。
もう仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、目指しているところは同じ。
ここまでくると余計なことはいらない。
ただ「今に在れ」ということになってくる。
我々はもし純粋に今にあるとすれば、一切の我は生じない。
今この瞬間だけに没頭している人に、過去や未来を利用した思考の働きは存在しない。
今しかないってのは、空と同じなんだよ。
今ってのは何ものも存在出来ない。
一瞬の流れ星だって、存在するにはわずかな時間の幅を要するんだよ。
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