変性意識

ページ名:変性意識

410名無しヒーリング2019/10/06(日) 00:25:39.57ID:mYy1XNnx

なんで喧嘩してるのかわからないけど両方正しくて両方誤ってるって考えの自分をつくって客観的に見ることは大事だと思う 
分かる人は体感してると思うけど、瞑想の段階で変性意識に入るのがまず最初、これはドラッグで言えば大麻になる 
その後に丹光が見えた状態で意識を体の内部にもっていくのがドラッグでいうLSDやキノコ、サボテン、閉眼で見える変な生物はここ、境界の守護者ってやつ 
それを全て解決してようやく高次の意識へ自分をもったままいける、ここはドラッグで言えばDMTなんだけど、その場合は自分を持ってない場合が多い、前提部分をしっかりクリアしてないし 
自分は意識を動かしてここまでしか行けないのでこの先はちょっと不明だから実践してこうだよってのがあれば是非教えてもらいたいな 
逆にそれは違うよってのも具体的な意見あるとすごく助かるなあ 

 

411名無しヒーリング2019/10/06(日) 00:53:53.97ID:OxL9+sJh>>412

カルロス・カスタネダかなんか読んでるのかね? 
それは仏教でいうと初禅だね 

仏教ではその先は、集中を支える二つの心の働きを手放す 
強い喜悦感が現れる、それを捨てる 
軽楽感が現れる、それを捨てる 

すると四禅、ウペッカー、エクアニミティといって 
マインドフルネスの「ありのまま評価せず」の観察瞑想が出来る 
仏教で言うヴィパッサナーはここからだ 

仏教では何かクンダリーニやエクスタシー的なものは求めない 

自分はここまで習わずに出来るようになってたが、後になってそれが禅定だと知った 
無色界禅定は必要とされないので、特にやってない 

 

412名無しヒーリング2019/10/06(日) 01:14:38.65ID:mYy1XNnx>>413

>>411
ほぼ自分の中の実践だから書籍はほぼ読んでないけど大抵同じこと言ってて凄いと思う、カルロス・カスタネダも読んでみるよありがと 
無色界は定義的にはわかるんだけど自己をもったままいったら文字通り事故が起こったのでトラウマ 
もうこの説明された単語だけでワクワクするんで調べてみてとりあえず試してみるわありがとね 

 

413名無しヒーリング2019/10/06(日) 01:27:30.38ID:OxL9+sJh

>>412
ああ、そうw じゃあ自分と同じかもしれないね 
とりあえずウィキペディアの図を眺めてみると良いと思うよ 

 

414名無しヒーリング2019/10/06(日) 01:33:00.39ID:OxL9+sJh>>415

上座部仏教の階梯についてはここらへんが非常に詳しい 
詳しすぎるぐらい詳しいPDFがある 
http://bodaijubunko.さくら.ne.jp/2paauk.htm さくら→sakura 
http://myanmarbuddhism.info/2013/01/10/22/ 
けれど、これは一応出家者向けの説明なので指導者が居ないと難しいと思う 

在家者で禅定を修めているのであれば山下良道の本を読むのが良いと思う 
パオ森林僧院で涅槃証悟までしているマスターなのだけど 
大乗仏教の観点から説明と指導をしているユニークな人なので 

 

415名無しヒーリング2019/10/06(日) 02:13:07.56ID:mYy1XNnx

>>414 
ちょっと読んでるけど面白いね、自分はいつでも好きなときにジャーナになれるくらいだった 
面白すぎて他者を介さず自己検証できるし即効性もあるからいつまでも欲がなくならん、その上の行き方も超合理的だし 
図は見た瞬間なんとなくわかって笑ってしまった、あいつらほんとすげーなーってなる 
一定まで行くともしかして肉体死が起こってしまうのではないかって不安が奥底にあって毎度そこでとどまるようにしてるけどこれ見ると全然問題ないぽいね

451名無しヒーリング2019/10/11(金) 00:05:57.86ID:OC0Rxw9+

そもそも真我って何って感じなんだよなあ 
自我が死んだときがあって体感できたからここまでは分かる、ここで自分が如何に業を背負ってるかもわかるしお陰様で出家する気もまだまだ起きないし

452名無しヒーリング2019/10/11(金) 01:15:55.84ID:IfEv1KMr>>453

釈迦の頃に仏教で悟りではないと否定された真我は今のアドヴァイタなどでいう真我とはまたちょっと違うかな 
今のアドヴァイタで言う真我は対象にならず何であるとも言えないもので定義としては涅槃と変わらない 
でも永遠の自分みたいな昔の意味で真我という言葉を使ってる人もまだいるし、仏教側からすると真我という言葉自体受け入れられないだろうけど 

有身見はそうそう落ちない 
その前の段階で自我が落ちたとわかる状態はいろいろあると思うよ 
落ちたとか自分は変ったとか思ってしまうのも心であり自我だから有身見まではなかなか落ちないわけだけど 

エゴが強いと思う人はマインドフルネスもいいけど慈悲の瞑想するといいんじゃないでしょうか 
それから自分から見て自我の少ない人もいるのに自分はどうして自我が強いのか、どこがどのように違うのか自分を詳細に調べるとか 
まあ正直自我の構造はひとそれぞれ違うから自分でいろいろ試してみるのがいいかと 
本当はマインドフルネスやってる間はほかの瞑想はしないほうがいいらしいけどね(慈悲の瞑想はマインドフルネスとセットみたいにもされてるから一緒にやったほうがいいだろうけど)

453名無しヒーリング2019/10/11(金) 01:29:27.28ID:OC0Rxw9+>>454

>>452
最初に消えたときは頭の中から自分という境界が崩れて3次元的にふわーってなったときだなあ 
世界との一体感というよりも自分が世界に溶けて無くなって人間として終わったって気持ちになったけどいつの間にか元に戻ってて 
その後の体験はぱっと目が覚めたかと思ったら、なんか妙な空間居る気がしてまず自分を確認した所で時間が止まった感覚と世界全てがたった今作られたみたいに感じて、くそパニクった覚え 
家族もいるのかいないのかわからなくて連絡取れるまで必死だったわ 
どっちが自我なのかちょっと判断つかないけど知識もろくにない状態で我流で瞑想はやめようと思いました

454名無しヒーリング2019/10/11(金) 02:31:02.57ID:IfEv1KMr>>455

>>453
○○というある気持ちになったりパニくったりするのは心(自我)で、心が自分だと思っているからそうなってるわけで 
でもある気持ちやパニくってることを自分はわかっているのだからそのわかってる自分がいるでしょう 
それが対象にならない主体と呼ばれるもので自我ではない有身見のとれた何だともいえない自分だと思いますよ 

どのような状態でもその状態になった自分を自分だと思ってるならそれはまだ自我で、 
自我(有身見)が本当に落ちるとどのような状態であっても心や身体がどのような反応をしていても、 
それらは自分ではなく、それらをただわかってるのが自分だという感じになると思います 

ただそうなるまでに自我が部分的に薄く少なくなっていきますから、そのぶんこだわりや執着が減って楽に生きられるようになっていくでしょうね 
有身見が取れると苦や楽を感じる心は自分ではなく、心の状態をただ知るものが自分になりますので、状態や心がどうだとかそういうことはほぼどうでもよくなると思います 

 

455名無しヒーリング2019/10/11(金) 04:44:35.11ID:OC0Rxw9+

>>454
なんとなく言いたいことは、わかる。 
しばらくトラウマってたけど、まさにそんな感じで自分を取り戻したから目が覚めて、とか色々紐解いてからその納得するまで考えて元の状態に近くなってからまた新しい世界が開けた感じになってるし 
最後の一文は阿羅漢までなるともう戻れないとはそういうことなのかなと共感できる

456名無しヒーリング2019/10/11(金) 12:39:55.13ID:pBCmz/NJ

テーラワーダで言う有身見断たれて再び戻らないというのは預流果から 
阿羅漢果の話ではないよ 

ほぼほぼといったのは禅定状態の時のことと、日常状態は話が違うから 
初禅に入れば七覚支はそこにあるということだから、悟りとほぼ同じ状態ではあるだろうが 
日常に戻ると失われるし、エゴは戻ってくる 
仏陀が禅定は悟りではないとしたのはそこだ 

禅定を体験してもエゴは戻ってくるが 
禅定以前と比べてダイレクトに感覚に出てくるようになる 
それでも無視してエゴを放置するとえらく苦しむことになる 
かといって一日中坐ってるわけにはいかない 
そこで、マインドフルネスということが重要になってくる 

これは禅定ではないが、禅定の意識に接触しながら暮らす方法だと言える 
禅定の意識に触れれば苦は滅する 
仏陀が悟りを開かれて見出したサティとはそういうこと 

しかし初禅から三禅まではまだ心が動いてしまう要素が残ってるので「ありのまま観察」にはならない 
「ありのまま評価せず観察」をやるには四禅が必要になる 
四禅は捨といって、テーラワーダでもここからがヴィパッサナー瞑想(観察瞑想)になる 

本当に有身見が断たれて預流果になるまでは行かないにしても 
初禅かその手前くらいまで行けば一応マインドフルネス、観察の効果はある 

その正定、正念を支えるのには八正道を知っておく 
自分は悟りを目指すべきと押し付ける気はないので 
まずは八正道について考察しておくだけでいいと思う 
必要なら行ずればいいし

460名無しヒーリング2019/10/11(金) 14:46:01.23ID:OC0Rxw9+>>462

瞑想続けてると禅定状態とシラフの状態の境界がだんだん曖昧になってるのを感じる 
涅槃とかアホみたいに深いんだろうけど、この状態とシラフの状態が曖昧になったらそれこそ生きてるのも死んでるのも変わらない感覚になるのかなあと気になるが…

462名無しヒーリング2019/10/11(金) 15:06:58.46ID:pBCmz/NJ>>463

>>460
光は観ましたか? 

 

463名無しヒーリング2019/10/11(金) 15:13:15.59ID:OC0Rxw9+

>>462
光に関しては意識すればいつでも見れるんだけど、それがみんなが言ってる光なのか確認できないからなんとも言えない 
例えば意識を特に筋力のない太もも内側とかに持っていくとしばらく真っ暗なんだけど徐々に光が見えてきて血液が流れ筋肉が動きって一連の流れを知覚できる 
脳からでる神経信号が視神経にダイレクトに繋がってるから光が見えるってのも納得できるのよね 
同じやり方を全身の体の部位一つ一つに行ってるのが今で、20年以上動かなかった足の指とかが動くようになったのは割と感動した

464名無しヒーリング2019/10/11(金) 15:22:02.70ID:pBCmz/NJ>>471

なるほど 
初禅の光というのは意識しては観られないです 
だから性質の違うものかなと思いますが… 
けど、足の指が動かせるようになったのは凄いですね 
まるでミルトン・エリクソンじゃないですかw

471名無しヒーリング2019/10/11(金) 15:55:58.84ID:OC0Rxw9+

>>464
初禅の光がどんなものかわからないけど、目をつぶったまま太陽を見たときのあの明るさの感じの光がまず出てきて、頭に名一杯光を集めてから各部位に意識を向けていくと物理的な知覚ができた 
光を集めて後頭部に意識を移していくと紫色の光に変化して、その後下を見るような感覚を起こしていくと徐々に青から緑、黄色で性器周辺で赤色の光が見える。次はこの状態で内蔵とかに意識を向けると変な生物とか幻覚?が見えるのよね 
逆に紫色が見えた状態で頭頂部から意識を逃がすような感じに移動させていくとある辺りから急に体に依存しない意識の動きができるようになってそのまま上がってくとこれまた急に黄金と黄色合わせたような極彩色の世界が出てくる感じ 
あくまで自分がこうやったらどうなるのだろうで実践してるものだから全てに自分の意志が介在するわけで、自分を捨てる部分にはいけないんだろうなあと考えてる

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