マインドフルネスという手段

ページ名:マインドフルネスという手段

324名無しヒーリング2019/09/29(日) 15:33:11.26ID:Jo15IJKv>>326

思いの自分ともう一人の自分、それは観察者、真の自分と言っても変わりないでしょう 
ともかく人間にはその二つの意識があります 
もう一人の自分から思いの自分を観るのが観察です 
観察なしにネガティブな思いの手放しということは出来ません 
手放しが起きたとするならどこかで観察の要素が入ったと言えるでしょう 

何かに反応して苦しみを生み出すのは思いの自分です 
そこで、何に不快感を持ったのか考えることは思いの自分の働きです 
もう一人の自分には判断したり分別したりという働きはありません 
そちらの自分の意識でなければ、嫌いだった人の幸せを願うことは出来ないし 
自分自身の幸せすら本当には願えません 
ここを混同してしまうとエゴは戻ってきてしまいます 
もう一人の自分の視点から思いの自分を観ることで分別なくありのままの自分の心が観えます 

瞑想を始めてもすぐにはそこにはいきません 
シンプルですが簡単でもありません 
色んなものが邪魔するからです 

実際は悟った人も苦を滅し続けて歩んでいくんです 
不退転の預流果と言えど、煩悩や慢は残ってます 
マインドフルネスとはそのための手段(の一つ)です 

その滅し続ける道に疑いがないことが不退転です 
滅し続ける以外に生き方はないと知っており、悪趣に堕ちません 
不退転に悟ったから自分が思ってることは全部正しいとか 
そんな事ではありません 
そんなのは究極の悟り、阿羅漢果に悟った人だけで、彼らには慢心はありません 

 

325名無しヒーリング2019/09/29(日) 15:45:07.42ID:Jo15IJKv

> もう一人の自分には判断したり分別したりという働きはありません 

失礼、もう一人の自分に判断がないかというと微妙ですね 
智慧がありますから 
分別、執着、あるいは思考、思い、悩みのたぐいはないです 

 

326名無しヒーリング2019/09/29(日) 15:47:38.35ID:Jo15IJKv

>>324 これも訂正 
預流果にも煩悩は残っているとされます 
不退転とされます 
阿羅漢に慢心はないとされます 
などなど、通説については伝聞です 

時間潰しに書いてたのでちょっと言葉が雑でした 
失礼しました

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