大島義政

ページ名:大島義政
曖昧さ回避この項目では、上野大島氏の当主について記述しています。その他の一族については「里見義政」をご覧ください。

大島義政の肖像

大島 義政(おおしま よしまさ、1305年 - 1344年)は、南北朝時代の武将。別名は義昌

新田氏上野源氏)流源姓里見氏一門の上野大島氏の当主の大島盛義の孫、義貞(義員)の子、糸井義賢・糸井経政[1]糸井義和[2]・良寛(僧侶)の兄、義高の父、義世・守義・義之・守之の祖父、義量(義世の子)の曾祖父。

概要[]

1333年に惣領家の新田義貞に従い、一族の堀口貞満とともに鎌倉の巨福呂坂を攻略して、執権であった北条得宗家一門の赤橋守時が率いる軍を敗走させた。

その功績で、建武政権で後醍醐天皇から従五位下に任じられ、讃岐守・兵庫頭を歴任し、武者所に属してその名を連ねていた。

1335年に同族の足利尊氏(高氏)が後醍醐天皇から離反した後に相模国箱根での『竹ノ下の戦い』に義貞に従っていた。その後は義貞の命で、尊氏に帰順して周防国守護代となり、長門国守護の大内長弘(鷲頭長弘)とともに、南朝方の軍勢と防衛線を繰り返していた。

1338年に義貞が、越後国藤島の灯明寺畷で戦死を遂げると、義政は義貞の訃報に悲嘆しつつ、そのまま尊氏に仕えて、1344年に40歳で逝去した。

子の義高が後を継いで、彼は1360年に三河国守護代となり、1373年ごろにも、その職務にいたことがみられるなど、足利義満(尊氏の孫)に厚遇された。

脚注[]

  1. 経継の父。
  2. 重兼の父、兼重の祖父、義景の曾祖父、義行の高祖父、行兼(行崇)の6世の祖、景澄の7世の祖。

関連項目[]

先代:大島義貞(義員)上野大島氏第5代目当主 - 次代:大島義高


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