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古田重嗣の肖像
古田 重嗣(ふるた しげつぐ、天正6年(1578年)- 慶長20年12月11日(1616年1月6日))は、安土桃山時代~江戸時代前期の武将。官位は山城守。
古田重然(織部/重景)の子[1]、重尚・重広・重行(重之)・重久の兄、重詮の父。妻は仙石秀久の娘。同時に中川清秀(頼弘流)の外甥でもある。
美濃古田氏(開田氏/改田氏)は美濃源氏流八島氏(羽島氏)一門の美濃木田氏の庶家で、美濃国席田郡古田郷[2]を本拠地として、惣領家が没落すると同族の摂津源氏流土岐氏を経て、斎藤道三(秀龍)に仕えて、同国の山口城主[3]となった。
慶長3年(1598年)9月に、祖父の重定(重政)が、豊臣秀吉を追って殉死すると、父から家督を譲られた。慶長5年(1600年)9月の『関ヶ原の戦い』でも、父とともに徳川方として、参戦した。
父の重然(織部)は茶人の御茶頭として著名であり、茶道の師である千利休の高弟であり、宗匠の利休同様に反骨精神が旺盛で、徳川家康を中心とする江戸幕府の意向を無視することが甚だしく多かった。
また、茶の湯を通じて朝廷・貴族・寺社・商業界などと様々なつながりを持ち、全国の大名にすら多大な影響力を与える存在にもなっており、このために古田氏は幕府からその影響力・存在を危険視されるようになったと考えられている。
慶長20年(1615年)の『大坂夏の陣』前後に重嗣は父には内密として、親交がある織田頼長(左門)[4]を通じて、腹心で近江国の大津代官の鈴木左馬介(重然の女婿)と古田氏の茶頭である木村宗喜(石田三成の旧臣)とともに、弟の重行(九八郎重之)を経て豊臣家方の後藤基次(又兵衛)と内通して、京の町中を放火して、混乱に乗じて家康の暗殺を企んだ疑いで、京都所司代の板倉勝重に捕らえられた。
重嗣の父である重然も、昨年の『大坂冬の陣』のころから朝廷を協議して豊臣家と内通して、徳川方の軍議の秘密を大坂城内へ矢文で知らせたなどの嫌疑をかけられ、秀忠(家康の子)と勝重の制止を強引に振り払った家康によって、投獄された。翌6月に父の重然は切腹を命じられて、同時に鈴木左馬介と木村宗喜も処刑されて、京の市場で晒し首となった。同時に重嗣は江戸で切腹し果てた[5]。
名目的には古田氏の後継者の重嗣も、幽閉された後の年末に子の重詮をはじめ弟の重尚・重広・重行・重久らとともに切腹を命じられて、介錯を受けて壮絶な最期を遂げた。享年39。こうして、美濃古田氏の嫡流は途絶えた。
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