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曖昧さ回避 | この項目では、東アジアの広義的な遊牧民族について記述しています。中央アジア・北アジア・東ヨーロッパなどの遊牧民族については「タタール」をご覧ください。 |
極東トルコ系民族の切手(中国)
オスト・タタール(独語:Osttatar)とは、中国も含む東アジアのトルコ系諸族(後世のモンゴル系諸族も含む)の総称である。漢字では「東韃靼」(東タタール)と表記される。
古代から、翟(北狄)・山戎(東戎)などの遊牧民族が、中国北部に存在しいた。彼らは食糧を求めて南下し、華夏民族(古代漢民族)の集落に侵入して、略奪や蹂躙を繰り返した。
また、殷(商)と周(岐)と秦や晋なども、元来は「オスト・タタール」に含まれる遊牧系国家だったという。
実際には、モンゴル高原(ハルハステップ)東部にいた東胡が最も該当される民族とされ、宿敵の匈奴によって壊滅させられて、その遺民は四散して、烏桓(烏丸)・鮮卑・柔然(蠕々/茹々)・契丹・室韋(モンゴル系の祖)・扶余(ツングース系諸族[1][2]と混血)などの諸族に分かれた。
このうち、5世紀前後に奉天(瀋陽)付近にいた鮮卑慕容部の一派は、おなじトルコ系白狄鮮虞部[3]の一派と鮮卑化したチベット系の羌氐の一派と、鮮卑と同系統の扶余の一派[3]と合流して、その後裔は日本に渡海して日本列島に侵略して、先住民族の倭人[4](縄文人[5])を奴隷にして、稲作民族である江南系[6]の弥生人を支配下に置いて、いわゆる古墳人としてヤマト政権(河内王朝)を築いた。5世紀後半になっておなじ鮮卑禿髪部(拓跋部の支族)出身の禿髪阿毎(阿毎氏の祖)が渡海して日本列島に侵略して、河内王朝を滅ぼして、現在の皇室の祖となる大和王朝を築いたが、歳月が流れるについで、(倭人も含めて)混血が進んで次第に農耕民族化して大和民族が形成された(ただし、政府の機能は『大化の改新』以前は遊牧的であった)。
それとは別に、突厥沙陀部と室韋も広義的な「オスト・タタール」である。沙陀部も南匈奴と鮮卑とともに次第に漢族化していった。室韋の場合は、蒙古東部〜西満洲を支配してチチハルを拠点とした。
その室韋は他称として「蒙兀」・「萠古」であり、その後身は東にタタール部、西にモンゴル部として分かれていった。この両民族は、激しい抗争を繰り返した。しかし、モンゴル部の中心氏族のボルジギン氏族の嫡流であるキャト氏族からテムジン(チンギス・カーン)が台頭して、父など親族を殺害したタタール部を滅ぼし、さらに自分たちを虐待したツングース系の女真国家の金とついでに南宋を滅ぼして、東は中国、西は東ヨーロッパにおよぶモンゴル帝国を築いた。
現在はモンゴルに住むモンゴル人やヤクート人[7]とトルコ系のドルガン人[7]とツーバ(トゥバ)人[8]とゴルノ・アルタイ人とハカス人などが該当される。
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